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普通に書いているのに、許可されていない属性があるとか言われて意味がわかりませんし写真を載せるのも大変面倒なのでこの楽天ブログは中止いたします。ぜひfacebookに移行するか、アメブロcafefleur96の方をお読みください。広瀬この
2019年05月23日
昨日は関門海峡の見える素敵な会場でミネハハのコンサートを開催しました。こちらではあまり知らない人が多いので集客はいまひとつでしたが、みんな来てみたらよかったのに、と思います。今日になって反響がすごいのです。あんなに素晴らしいとは思わなかった、なぜだか涙が出て止まらなかった、圧倒的な歌唱力、トークもとても楽しかった、招待券で行ったけどお金出してでもいいと思った、あんなに凄いと知ってたらお友達を誘えばよかった、などなど。そうでしょ?って言いたいのですが、一度も彼女のナマの歌を聴いたことのない人は無理もありませんよね。知らないんですから。一度でもコンサートに行った人は必ずまた聴きたくなる人です。奇跡の声と言われる所以です。人の心をゆるませる独特の周波数を持っている声なのです。初めていらした方、お付き合いで来られた方、びっくりしたでしょう?来てよかったですねぇ。彼女の歌に込められたメッセージも心に響きましたね。私など何度もコンサートへ行っているのにハートにストレートに響く歌声に毎回涙がじわっとにじんで来ます。あちこちでハンカチが動いていました。ミネハハとの付き合いは20年以上になります。まだ松木美音の本名でCMソングを歌っていた頃に知り合い、彼女がミネハハと名乗ってソロ活動を始めた直後に北軽井沢へ移住した私は、引っ越して4ヵ月後に近くのペンションで彼女のコンサートを開きました。昨日は夕食を摂りながら、もう亡くなった共通の友人の話など昔話をいろいろしました。いつもコンサートのお手伝いをしていたその人もきっと会場のどこかで彼女の歌を聴いていたと思います。そうだよね、ケンケン?会場では長年このブログを読んでくださっているという方が声をかけてくださいました。最近はfacebookのほうが多くなり、こちらはご無沙汰がちで申し訳ないのですが、ありがたいことです。Nさん、ありがとうございました。またどこかでお会い出来たら嬉しいです。
2019年04月15日
元号が新しくなって、5月からは新しい天皇と皇后と共に新しい時代が始まると思うと、何となく心が浮き立って来ます。我が家も丁度同じ時期に新しい場所での新しい暮らしが加わることになりました。現在の住居に70年以上暮らし、こんな良い所はほかにないと自慢していた夫が急に「田舎暮らし」がしたいと言い出してどんどん決めてしまった所ですが、もともと自然が大好きな私に異存のあるはずはありません。それがまず先にあって、庭で遊ばせたいという発想から飼うことになったアンビーですが、明日は一晩義姉の家に預けて手続きに行って参ります。我が家の変化のほかに世の中の何が変わるかと考えた時に、平成の間にじわじわと広がって来た「心の世界を知ること」がますます広がって行くのではないかと思っています。人間が肉体だけでなく、目に見えなくても心や精神や意識を持っていることは誰でも承知のはず。でも、それが肉体の脳の中の世界と思っている人がまだ多いのではないでしょうか?違いますよね?脳は一つの臓器に過ぎませんから肉体が灰になってしまえば消滅してしまいます。けれど肉体のどこかに潜んでいた「意識」というものは灰にはならず、三次元の私たちには触ることも見ることも出来ない空間に溶け込んで行きます。(実はもともとその中に自分がいた、という方が近いかもしれません)そんなことを世界中のお医者さんや科学者や大学の先生たちが沢山の本に書いていますから、今からでも勉強を始めないと時代に置いて行かれてしまいます。精神世界を知ることがこれからの時代の新しい「教養」となることは間違いありませんから。
2019年04月03日
昨日は小倉の朝日カルチャーセンターで精神科医の越智啓子さんといつもフルール会に来てくださる古屋ネネさんのかけ合い漫才のような楽しいトークショー「天使につながる」があり、そこでフルール会や4月14日に行なわれるミネハハのコンサートの紹介をさせていただきました。用意して行ったフルール会の案内のプリントやコンサートのチラシが飛ぶようになくなり、今日はさっそくコンサートのお申し込みが何件かあって嬉しい限りです。そして今日はまた嬉しいことが!19年前の初めてのフィンドホーン訪問以来の仲間であるまきちゃんが私の誕生日祝いと言って、下関の彦島のカキ小屋へ連れて行ってくれたのです。そこは地元の彦島産のカキだけでなく、広島産と兵庫産のカキもあってどれも粒揃いの大きなカキ。まきちゃんが慣れた手つきでどんどん焼いてくれるのでついつい食べ過ぎました。私にはどれも美味しくて産地による味の違いはよくわかりませんでしたが、舌の肥えたまきちゃんにはよくわかるみたいです。帰りは関門海峡が一望出来る素敵なカフェでデザートまでご馳走になってしまいました。私には娘が二人いますが、3女とでもいうべきまきちゃんにはいつも助けてもらい有難いことです。貴重な休日だったのに、まきちゃん、本当にありがとうございました。
2019年03月31日
今日は私を入れて11人で「HEAL」の鑑賞会をしました。中身がビッシリと詰まった濃い内容なので何度か繰り返し観るべき映画だと改めて思いました。東京では何度か上映会があったようですが、九州では熊本と福岡だけで、もうこれからはないそうです。心がいかに身体に影響を与えているか、意識には上らないようなこともストレスとなって病気の原因となっているかがよくわかり、また心をHEALする(癒す)ことで難治の病気も治すことが出来る実例がいくつも紹介されています。心の中に蓄積された感情やストレスがいつの間にか病気の原因になっているのに、薬だけ飲んでも治るはずはありません。西洋医学以外のいろいろなHEALの方法をもっとみんなが知る必要があると思います。終わってからみんなで感想を話し合いましたが、みなさんがご自身やご家族の病気のことを率直にシェアしてくださり、中には難病を呼吸で克服した方、お腹の中の腫瘍を手術するつもりでいたら腫瘍から「あなたの中にいたい」とのメッセージを受け取ってそのままにしているけれど何でもない方などいらして、皆さん素晴らしいと思いました。私も昔ストレスいっぱいだった生活を思い切ってやめた時から健康になったように思います。世間体や一般的な社会常識から飛び出すのには勇気が要りますが、それが自分を守り病気にならない秘訣と改めて思ったことでした。
2019年03月21日
今日は第3日曜日、フルール読書会の日です。先月は「HEAL」を観に福岡まで行ったので、4週目に「ガイヤシンフォニー3番」の上映会をしたので2ヶ月ぶりとなりました。最近平日に使える駐車場がなくなったので、新月や満月の日の瞑想会が難しくなり、今月から会の開始時間を1時間早めて同じ日にすることにしました。午後1時からの瞑想会は夫も含めて5人でしたが、やはり一人でするよりもずっと豊かな気分でした。瞑想を始めてすぐに心が幸福感で満たされ、感謝の思いが泉のように湧き上がって来ます。これは一人の時には味わえない思いです。こういう純粋な気分を味わう時間が多ければ多いほど宇宙意識とつながるコードが太くなって行くような気がします。いらしてくださった皆さま、ありがとうございました。そして2時からはいつもの読書会。これだけに参加の方も加わって、いつものように「心の扉を開く」の3月17日のページを読みました。内容的にはちょっと難しかったかもしれません。「あらゆるものと完全に調和し、一体となって生命と共に流れて行くのが、全ての人が到達すべき究極の意識状態です」つまりonenessということだと思いますが、私など理屈ではわかっていても、そこに到達するまでにはまだ何回も生まれ変わって来なければならなそうです。
2019年03月17日
「グリーンブック」観て来ました。先に公開されてアカデミー賞の作品賞にもノミネートもされていた「ボヘミアンラプソディー」と「アリー・スター誕生」も観ましたけれど、作品と内容の面白さでは完全に引き離していますから作品賞受賞は当然と思いました。日本では熱狂的なクイーンのファンのお陰で興行的には「ボヘミアン~」の方が評判になっていましたが、CGを使っていたりして私にはイマイチでした。グリーンブックとは黒人向けの旅行ガイドブックのこと、という知識しかなくて、ストーリーは全く知らないまま映画館へ行ったのですが、レニングラード音楽院出の、なぜか上流階級ともつながりのある教養ある黒人の天才ピアニストと、彼に運転手兼用心棒として雇われた無教養な白人男の二人連れが、南部へコンサートツアーに出かける話です。1960年代の南部はまだまだ黒人差別が激しく、2人はいろいろな問題に直面しますがお互いに影響を与え合い、知らない世界を知って行くうちに次第に融和して行きます。こんな面白い実話がこれまで映画化されなかったのが不思議なくらいです。孤独な天才ピアニストと、粗野だけど妻子をこよなく愛するイタリア系のブロンクス育ちの男の間に生まれる不思議な友情と、夫を愛する優しい妻の心根が表れるラストシーンにぐっと涙がこみ上げました。
2019年03月06日
千葉県のお友達からすごいものが届きました。大きな封筒に入ったスクラップブック。???と思いながら開いてみてびっくり!!私の身内の作家が、ある新聞に昨年秋から2月まで連載していた小説の切抜きがすべて貼り付けてあったのです。うちは夫と二人で新聞は2紙取っているので、更にもう1紙は取れないから単行本になるのを待ってから読む、と言った私の言葉を覚えていてくださって、毎日切り取って貼ってくださっていたのです。すぐにお電話をして、留守電にお礼の言葉を吹き込んでいる最中に涙が出て来てしまい、半分泣き声になってしまいました。いくらお友達でもなかなかここまでは出来ないことと思ったら言葉が詰まってしまったのです。本当に有難いことです。168回分の切り抜き、これからゆっくり読ませていただきます。S子さん、ありがとうございました。(お礼の電話は夜になってから改めてしました)
2019年03月04日
今日は下関の義姉夫婦のお宅へアンビーを連れて行きました。4月に入ったらどうしても一晩だけ預かって頂かなければならないので初お目見えです。義姉たちは以前シェパードを2頭飼っていたこともあって大歓迎してくれたのでアンビーも安心したのか、すぐに慣れてひとしきり遊んだ後はうちでもしないような爆睡。お雛祭りとあって、8年ぶりに飾ったというお雛様を見せていただきました。一緒に飾られた赤ちゃんくらいの大きさの日本人形に義姉がお宮参りの時に着たという着物が着せてあるのにびっくり。77年前のものです。もう一体のほうには、義姉の娘さんのお宮参りの時の着物が着せてあり、物持ちのよさに感服しました。私にはこういう繊細さや丁寧さが欠けているとつくづく思います。現に2月27日に20歳になった下の孫娘の誕生日をすっかり忘れていて、昨夜あわててメールを送ったくらい。わんちゃんを連れに行くので頭がいっぱいだった日です。今は南仏の大学に通うAちゃん、立派に成人になっておめでとう!
2019年03月03日
わんこが増えたお陰で日常生活がかなり変化しました。先ずは早起きになったこと。私たちの朝食より先に朝ごはんを上げなければならないからです。夫のトイレでの新聞を読む時間も短くなって、私たちの朝食も早まりましたから午前中の時間にゆとりが出来ました。私のカーブス(筋トレジム)通いも午前中に行ければ、午後の時間を有効に使えるようになります。いちばんよかったことは、ほとんど1日中パソコンの前に座り通しだった夫が家の中を歩き回り、天気がよければ庭のウッドデッキでわんちゃんと遊んだりして身体を動かすようになったことです。お散歩はまだ5月に入ってからになりますが、それが始まったら1日2回は外へ出かけますからもっと運動になるでしょう。そうそう、わんこの名前は「アンビー」に変わりました。自分で「アディ」とつけておいて、言いにくいと言い出し、彼なりの意味がある名前なのだそうです。ともかく毎日が規則正しくなったことは大いにけっこう。飼った以上は寿命までは私たちも生きなければなりませんから責任重大です。4月からは彼が夢見ていた別荘も増えて、まだまだ変化し続ける老後となりました。ちょっとワクワクしております。
2019年03月02日
今日から我が家に家族が増えました。アディと名付けた生後6週間のジャーマン・シェパードの女の子です。昔シェパードを2頭飼っていたことのある夫は犬を飼うならシェパード以外考えられないと以前からほしがっていたのは知っていましたが、今回急にうきは市のほうに広い土地と家を買うことになったとたん、そこの庭を駆け回る姿を想像したら矢もたてもたまらなくなったらしく、ネットでさがしてどんどん決めてしまったのです。私は特に動物好きというわけではありませんし、室内犬は14年飼ったことがありますが、大きな犬はかわいいというより、こわいというほうが先にたつのです。でもウキウキしている夫を見ると反対も出来ず、なんとかなるだろうと思っています。それで今日往復10時間かけて宮崎まで連れに行って来ました。夫も子犬から飼うのは初めてなので、いろいろと細かい注意を受けて来ました。電車に酔わないようにと、朝から何も食べさせていなかったそうで、帰るなりフードをぱくぱく、お水をがぶがぶ。夫はお散歩を楽しみにしていたのに、4ヶ月経つまではダメだそうでがっかりしています。急に家が増えたり犬がやって来たり、いろいろと変化があって面白いのですが、忙しくなりそう。でもリタイヤして6年経った夫には新しくすることが沢山増えて活気付いていますから良いことだと思います。私も出来る範囲で協力して行こうと思っています。
2019年02月28日
1週間前にした歯の手術の今日は消毒と抜歯。4日前にも消毒に行きましたが、下の歯茎がぐるりとが縫われていたようです。腫れもあってこの1週間ほんとに軟らかいもの、小さく切ったものしか食べられませんでしたが、今日の夕食から普通のご飯が食べられるようになりました。おかゆもおじやも、とろとろに煮たお雑煮も嫌いではないので何とかなりましたが、下の前歯が全然使えないとかじったり、噛み切ったりが出来ずいかに不自由かが分りました。難関は越えたので、あとは回復と義歯が出来るのを待つばかり。早く何でもバリバリ食べられるようになりたいです。
2019年02月08日
昨年2月6日から始めたアメブロ、毎日書いて勝手に「ブログマラソン」と名付けましたが、先ほど今日の分を投稿して丁度丸1年、完走いたしました!ところが表示された累計は365にはならないのです。2回だけ抜けたのは自覚していますが、足りない分17はどこへ消えてしまったのかわかりません。でもとりあえず1年間は書き続けたのですからいいことにしましょう。見も知らぬ方がフォロワーになってくださったり「いいね」をしてくださったり、本当に有難いことです。これからは「毎日の課題」とはせずに何か書きたいことがある時だけ書いてみようかなと思っています。一番面白がって読んでくれていたのが夫で、校正係りを勝手してくれていました。なのであまり悪口を書けなかったのがちょっと残念でしたけど。https://ameblo.jp/cafefleur96/
2019年02月06日
2年前から暖めて来た企画「ミネハハコンサート」がようやく活動を開始しました。下関と小倉の友人とで実行委員会を作り、ミネハハの九州担当マネージャーとも相談しながら出来上がったチラシが近々刷り上がります。日時:4月14日(日)13:30開場 14;00~16:00 (マルシェは11:00より)場所:JR門司駅北口 赤煉瓦プレース交流館 駅より徒歩3分 駐車場ありチケット:前売り 一般3500円 小中高生2500円 親子ペア5000円申し込み先:cafefleur77☆gmail.com (☆を@に変えてください)タイミングよく、ミネハハの声が副交感神経を高めて人の心を開かせる特別な周波数を持っていることを科学的に証明したCDブック「聴くだけで人生が変わる」も明日2月1日に発売になります。彼女とのお付き合いは1992年、まだ本名の松木美音の名でCMソングを歌っていた頃にさかのぼりますが、96年に私が北軽井沢に移住した4ヶ月目に無謀にもコンサートを開いた時はすでに「ミネハハ」としてソロデビューした直後。最初のアルバム「夢ごこち」があまりにも素晴らしかったので、この美しい歌声をぜひ緑の中で皆さんに聴いていただきたいというのが動機でした。あれから23年。今では毎月日本中のどこかでコンサートが開かれて多くの人々をその3オクターブ出るという透明感のある美しい声で魅了しています。当日はミネハハマルシェも開かれ、高千穂に奉納されている古屋ネネさんらによる鈴舞・神舞や岡山睦子さんの貴重なフラの友情出演もあります。ぜひぜひ多くの方々にいらしていただきたいです。シェアお願いします。
2019年01月31日
2年前から暖めて来た企画「ミネハハコンサート」がようやく活動を開始しました。下関と小倉の友人とで実行委員会を作り、ミネハハの九州担当マネージャーとも相談しながら出来上がったチラシが近々刷り上がります。日時:4月14日(日)13:30開場 14;00~16:00 (マルシェは11:00より)場所:JR門司駅北口 赤煉瓦プレース交流館 駅より徒歩3分 駐車場ありチケット:前売り 一般3500円 小中高生2500円 親子ペア5000円申し込み先:cafefleur77☆gmail.com (☆を@に変えてください)タイミングよく、ミネハハの声が副交感神経を高めて人の心を開かせる特別な周波数を持っていることを科学的に証明したCDブック「聴くだけで人生が変わる」も明日2月1日に発売になります。彼女とのお付き合いは1992年、まだ本名の松木美音の名でCMソングを歌っていた頃にさかのぼりますが、96年に私が北軽井沢に移住した4ヶ月目に無謀にもコンサートを開いた時はすでに「ミネハハ」としてソロデビューした直後。最初のアルバム「夢ごこち」があまりにも素晴らしかったので、この美しい歌声をぜひ緑の中で皆さんに聴いていただきたいというのが動機でした。あれから23年。今では毎月日本中のどこかでコンサートが開かれて多くの人々をその3オクターブ出るという透明感のある美しい声で魅了しています。当日はミネハハマルシェも開かれ、高千穂に奉納されている古屋ネネさんらによる鈴舞・神舞や岡山睦子さんの貴重なフラの友情出演もあります。ぜひぜひ多くの方々にいらしていただきたいです。シェアお願いします。
2019年01月31日
今日は運転免許の更新のための高齢者講習の一部「認知症検査」に行って来ました。以前は同じ日に講習と機械による検査や実際に車を運転する実地検査も同じ日に行なわれたのに、今は別の日になり、もう一回3月1日に行かなければなりません。前回から3年の間に法律が変わったのだそうです。認知症検査のほうは100点満点のうち94点だったので問題ないのですが、16個のまったく分野の違う絵を見せられて、その後ちょっとした問題をやった後覚えているものを全部書きなさい、というのは毎回同じ。前回はすらすらと14個書けて、2個思い出せなかったのですが今回すらすらと書けたのは10個。2~3分考えてあと3個思い出して合計13個書けましたが、それで6点のマイナスでした。やはり3年で記憶力が落ちていることが分り、今回を最後に3年後には免許証返納を決めました。今後、車がなければ生活出来ない所に住むことも、カウアイ島でレンタカーを運転することもなければ、こんなめんどくさい講習も受けなくて済むわけですから。
2019年01月21日
うっかりしていましたが、今年私は年女でした(笑)。これまではお正月が来る前に翌年の干支は自然に知っていて、特に自分の干支の時は忘れたことがなかったのに、人様からいただいた年賀状の絵で気がつくとは!まあ、どうでもいいことなんですけどね。でも7回目ということは、もしかしたら最後の年女かも?8回目は96歳ですからね。何とも言えません。しぶとく古だぬきならぬ古イノシシになっているか、それとも天国で若返って優雅に下界を見おろしているか、神のみぞ知る、でございます。うちの家族はとり、ねずみ、うさぎ、ひつじと小動物かおとなしめのばかり。私だけが獰猛みたいですが、決してそうではないことは皆さんがよくご承知と思います。猪突猛進だけは合ってるかもしれませんが。
2019年01月06日
昨日の朝、四国のある女性から突然電話がかかって来ました。「四国のNです」というお名前にびっくりしました。私が北軽井沢へ移住して間もない頃、うちへ1週間泊まりにいらした方です。彼女との共通点はお互いに当時精神世界のリーダーとして活躍していらした、今は亡き津留晃一さんの発行されていたニュースレターの読者というだけ。お会いしたことのない方でした。当時何か悩みをかかえていらしたようで、それを津留さんに相談したら私をご紹介くださったようなのです。私は当時気の置けない一人暮らしだったので、涼しい自然の中にいるだけで癒されると考えられたのでしょう。私も自分の気に入っている自然を共有してくださる方は歓迎でしたので、喜んでお受けしました。その時何を話したかなど全く覚えていませんが、ただ宿とご飯を提供しただけで何も特別なことはしないのに、帰りのバス停までお送りする車の中で「来てよかった」と涙を流されたことだけ覚えています。その後何度か讃岐うどんを送ってくださったり、互いに年賀状のやり取りなどしましたが、いつか立ち消えになったままです。それが21年前のこと。その後偶然お電話で一度だけお話ししたのが今から6年前。たまたま高松へ行くことがあって、その前年に初めて乗ったピースボートで知り合った方が香川県の方だったのでお電話したのです。そしてその方とお食事をした時「私は四国にはもう一人だけ知っている人がいるんです」と言って名前を言ったら、何とその方が知っていて、その場で電話をかけてくださったのです。そこで15年ぶりに電話でお話をしましたがそれっきり。それで昨日突然のお電話だったので本当にびっくりしました。今年は野菜の出来が良いので送ろうと思って、という内容だったので、今は北軽ではなく北九州にいることを告げました。そして今日ダンボールいっぱいの新鮮な野菜が届いたのです。何と嬉しいこと。よく覚えていてくださったとお礼を言ったら、21年前のことを今でも感謝しているとのお言葉。感謝はこちらこそです。覚えていてくださってありがとう。お野菜はこれからお正月にかけて大事にいただきます。
2018年12月20日
ドイツとハンガリー共同制作の映画「暗い日曜日」を今回は家のテレビにDVDを入れて観ました。これで4回目です。最初に観たのは3年前のピースボートで、これの上映会をした方がいたのです。とても謎の多い映画なのでみんなで話をしたところ意見がバラバラ。もう一回観ないとわからないということで2回目の上映。それでも謎が解けないので3回目も観たといういわくつきの映画です。ハンガリーで作られた「暗い日曜日」(Gloomy Sunday)という曲を題材に書かれた小説が原作の映画ですが、あちこちにさりげなく伏線が仕込んであってとにかく面白いのです。舞台となったレストランは今でもブタペストにあるそうで、何とも切ない映画。ナチスの非道を描きながらドイツが共同制作したというのも凄いです。夫に話したらぜひ観たいというので探しました。とうに廃盤になっているのですが、見つけたのです。DMMで。初めて会員登録をして送ってもらいました。それで私も4回目を観たというわけですが、やっと私の推理が正しいことの確信を得ました。チラッチラッと意味有りげなシーンがさりげなく映るので、うっかりすると大事なシーンを見逃してしまうのです。夫も案の定大切なシーンを見逃していました。もしご覧になる方がいたら、最初のシーンと最後のシーンがつながるのでどうぞ細かい所に注意してごらんください。(ネットで検索するといろいろな感想が書かれています)
2018年12月13日
夫には3人の娘さんがいてそれぞれ結婚し子どもが3人ずついるのですが、2番目の娘さんはオーストラリア人と結婚してメルボルンの近くに住んでいます。そこの孫は女の子3人。その次女の16歳の高校生が遊びに来ました。今は丁度夏休みなのでしょう。今週末から千葉県のほうへホームステイに行くそうですが、こちらでは叔母さんにあたる夫の三女の家に滞在しています。昼間はみんな仕事や学校で留守なので、今日は私たちと一緒に映画を観に行くことにしました。今評判の「ボヘミアンラプソディー」。オーストラリアで観たけどもう一度観たいと言うし、私たちも丁度観たかったので。何人もの人から涙ボロボロになるからハンカチ用意して行きなさい、などと言われていましたが、残念ながら涙は出ませんでした。みんなここで感動するんだろうなあ、というのはわかるのですが、もともとロックミュージックとはあまり縁がないので仕方ありません。それでもどれもいい曲だなとは思いましたよ。彼らが活躍した1980年代はまだLGBTに対しての差別感情が今よりひどかったでしょうから、自分らしく生きるのは勇気のいることだったと思いますが、その頃身近にゲイの人が何人もいた私は、それをごく当たり前のこととして受けとめていたので主人公の「生き様に感動」というのはあまりないのです。それよりも別のところに感心していました。一つは世界的な人気アーティストたちが一致団結してアフリカの飢餓の子ども達を救うために無償でチャリティコンサートを行なう精神の素晴らしさ、そしておそらくオーディションで選ばれたであろう映画の中でのクイーンのメンバーたちを演じる俳優たちの技量の見事さのほうにむしろ感動したのです。本物によく似ているだけでなく、あれだけの音楽的技能や歌唱力と演技力の両方を備えた人たちの層の厚みというもの、それが凄い!と思ったのです。最後に本物のクイーンの演奏風景が映りましたが、出演者と本当によく似ていましたもの。コメント5件
2018年12月13日
23年目のカウアイ島。ほかにも外国へは何回も行っているのとんでもない失敗をやらかしました。何と出発の日空港までのバスの時間を見間違えて一台遅いのに乗ってしまったため飛行機に乗り遅れてしまったのです。途中で気がつけば2時間もかかるバスをやめて新幹線で行けば間に合ったのに、一度インプットされた時間はそう簡単にははずれないのです。一応出発カウンターまで行ったら、係りの方が手配してくれて2日後の同じ便に変更してくれました。翌日は飛んでいない日なので仕方ありません。(この辺が地方空港の不便なところ)もちろん手数料はたんまりかかりました。トホホ・・仕方なくスーツケースだけコインロッカーに入れて,とぼとぼ家に戻りました。お陰で結局1週間いられる筈のコンドミニアムに4日しかいられず残念無念です。それでも別のユニットに来ていた友人たちや娘と一緒に食事したりカヤックに乗ったり、日本では買えないサプリやビタミン剤を買うことが出来て満足しました。目の前が海なので、みなさんは気軽に海に入れたり、そのままジャクジーに入ったり出来たことが良かったようです。帰りの飛行機ではあまり眠らなかったので時差ぼけもなく、又忙しい日常が戻って来ました。
2018年12月02日
私が東京から今いる所に移り住んだのは3年前のこと。翌年の11月から始めた「フルール会」というスピリチュアル仲間が集まる会が今日で2周年を迎えました。それを記念して今日は特別に映画の鑑賞会をいたしました。9月にエドガー・ケイシーの「リーディング」という映画の上映会を大きな会場を借りて開いて以来、夫の方が積極的にうちでもしようということになり、スクリーンやプロジェクター、窓を覆う黒布など買って準備を進めて来ました。上映したのは「アウト・オン・ア・リム」。有名なシャーリー・マクレーンの原作を彼女自身が演じて30年前にビデオとして売り出された映画です。原作通り彼女の恋愛を主軸に、まわりの友人のサポートで少しずつスピリチュアルな世界に目覚めて行くシャーリー、そしてそうした世界に全く興味がなく、理解しようともしない恋人や親友との意識の隔たりに寂しさを感じる彼女の姿が描かれています。現実に家族やまわりの人たちに同じような寂しさやもどかしさを感じられる方も多いのではないでしょうか。彼女のガイド役として登場するデイビッドという青年の言葉はまさに「心の扉を開く」の中に度々書かれていることばかり。「あなたも私も、そして誰の中にも神がいる。みんなひとつだ。つまり人はみな神なのだ」と言って、二人で海に向って両手を広げ「I am God」と叫ぶシーンは何度見ても感動的です。昼食をはさんで午後は後編。恋人と別れたシャーリーがデイビッドの案内でアンデスを旅する話です。そこで彼女は魂が身体を離れる「幽体離脱」という神秘体験をしたり、宇宙人の存在を確信する出来事に遭遇しますが、それはまた親友からは一蹴されてしまいます。機械に弱い私たち老人ふたりのやること。若い人たちのサポートなしでは出来なかったことです。いらしてくださった皆さま、手伝ってくださった方々ありがとうございました。スクリーンが少しゆがんだりしましたが、次からはもう少し上手になりたいと思います。
2018年11月18日
作家の内館牧子さんの新刊「どうせ死ぬんだから」という小説が今朝の新聞に紹介されていました。すぐ死ぬんだからラクが一番、中身の方が大事と身なりもいい加減、化粧もしないばあさんが多いと憂いて、オシャレな高齢者の物語を書きたいと、78歳の女性が主人公の小説だそうです。きっかけは以前80代中心の集まりに出た時、自分に手をかけてオシャレにしている人たちと全くかまわない人たちとにはっきりわかれていて、オシャレな人たちは明るく元気でリーダーシップがあり、気配りもすぐれていたからだそうです。これは作家の内館牧子さんが最近書かれた小説の題名。今日の新聞で紹介されていました。すぐ死ぬんだからラクが一番、中身の方が大事と身なりもいい加減、化粧もしないばあさんが多いと憂いて、オシャレな高齢者の物語を書きたいと、78歳の女性が主人公の小説だそうです。「ナチュラルが好きという女どもは何もしないことをナチュラルと言う」とこの小説の主人公に言わせているそうですが、確かにそういう方多いですね。いいトシして今更化粧なんて、という方。女性専用筋トレジム「カーブス」には50代から80代の女性が多いのですが、大半がこの「ナチュラル」組です。折しも今日は博多で今年83歳の芳村真理さんの講演会があり、3年ぶりに会いに行って来ました。昔彼女の所で仕事をしていたこともあり、講演の中で「夜のヒットスタジオ」の衣装のスライドや当時のヘアメイクさんの話、時々収録の場で珍しいお料理をいただいた「料理天国」の話などが出て懐かしかったです。昨年出された「一生、美しく」(朝日新聞社版)という本にサインしていただいて来ましたが、まさに内館さんの小説とリンクした内容です。最近の若い人たちのメイク術は素晴らしく、きれいな人ばかりですからこれからの時代はきっとトシをとってもオシャレで美しい老レディが多いことと思いますが、本当は若い頃はお化粧なしでもみんなきれいなんですよね。老人こそシミが増え、顔色も冴えなくなるので手入れしないと見苦しくなってしまいます。下着のままで人前に出ては失礼なのと同じで、まったく「ナチュラル」なままの顔を人様に見せるのは失礼に当たると、私は一応顔に服を着せるつもりである程度のお化粧は習慣になっています。老人ホームでお化粧の講習をしたら皆さんの顔が明るくなり、活気が出て来たとの報告もあるそうです。たかが化粧、されど化粧、なんですね。
2018年11月11日
毎朝の夫と二人の読書会で「心の扉を開く」のほかに「平家物語」を読み始めてから何ヶ月経ったでしょうか。厚さ4.5センチ。解説まで入れて905ページある長さですから、毎日2,3ページではかなりの時が経ったと思います。それでもやっとあと少しと言う所まで来ました。(一人だったらおそらく読み通せなかったでしょう)一の谷で敗れ四国の屋島にまで逃げてほとんど勝ち目のなかった平家軍ですが、ここで夜襲をかければ完全に義経率いる源氏は敗北して歴史が変わったであろう一夜がありました。源氏勢は三日三晩寝ずに戦っていたのでほとんど全員が前後不覚に寝入ってた時に夜襲をかけようとしたのに、二人の男が先陣争いをしているうちに夜が明けてしまい、平家は千載一遇の機会を逃してしまいます。明日はいよいよ壇ノ浦。奇しくもこの辺りと縁の深い所です。ここで平家が滅亡するのは誰もが知っているお話。源義経は大体が悲劇のヒーローのように思われていますが、かなり残虐で冷酷な人物でもあったようです。確かに勇敢で、奇襲が得意、巧みな戦術に長けた人ですが、夜道を親切に道案内してくれた地元の男を用が済んだら殺してしまったり、那須与一が見事に扇を射落とすのを見て感服した平家の侍が、船上で舞を舞ったら、その男も射殺したりと情け容赦ありません。まあ、戦争とはそういうものなのでしょうが、この辺りから日本の武家社会が生まれ、その精神が後の太平洋戦争にまで受け継がれていることを考えると複雑な思いがします。武士道って、やはり男の世界のものですね。朝ドラ「まんぷく」の松坂慶子扮する母親が、何かと言えば「私は武士の娘です!」と威張りますが、女がどんな扱いを受けていたかを考えると、価値観が揺らいで来ます。私も武将の子孫ですけれど、あまり自慢にはならないなあ、と思います。
2018年10月26日
今日のフルール会にはゲストに昔「じゅんとネネ」でアイドルだったネネさんがご主人のワルターさんと来てくださいました。ネネさんとは 今から13年ほど前の偶然今日、10月21日に北軽井沢のお店に来てくださったのが最初。あの時もまだ結婚前のワルターさんが一緒でした。その後フィンドホーンへ一緒に行ったり、トランスフォーメーションゲームをしたりでずっと繋がっています。今日は最初いつものように「心の扉を開く」の今日のページを読んでエンジェルカードを引き、ちょっとだけシェアしてからすぐにコンサートに移りました。ワルターさんのギターに合わせてまずネネさんのライフワーク「和歌うた」から。百人一首の中から沢山の和歌にメロディーをつけ、何十首も美しい声で歌ってくださいました。若い時と全く変わらないよく伸びる高音と声量に圧倒され、時を忘れました。最近よく昔の歌手がテレビに出ますが、キーを下げたり、それでも声が出なくなっている人が多い中で驚異的な歌声です。最後はカラオケでいろいろな歌、そしてみんなもよく知っているあのヒット曲「愛するってこわい」。私たちも手拍子をしたり一緒に歌ったり楽しかったです。
2018年10月21日
1996年に北軽井沢の別荘地に移住してカフェを始めて間もなく、お客さんとしていらした30代のご夫婦Aさんと知り合いになりました。お二人は関西の方で、将来自分たちでペンションを経営するのが夢で、そのための勉強にと近くの会社の寮の管理人助手として働いていました。しばらくして別の土地に移られ、その後もあちこち移動されましたが時々連絡しあっていました。そして遂に北海道の美瑛にご自分たちの宿を建てられたのです。お祝いは何か贈るより泊まりに行くことだと思って友達を誘って行ったのが7年ほど前。それからは会う機会もなく、年賀状だけのやり取りになってしまっていましたが、そのお二人から夏に連絡があり、昨日我が家へ来てくださいました。すでに50代になられていましたが、積もる話に時を忘れ、最後にはうちの夫も一緒に夕食に出かけ、楽しい時を過ごしました。するとうちの夫の話し方や雰囲気が奥さんの亡くなったお父さんにそっくりとのこと。ご主人のご先祖は元は山口県の萩で、義姉の嫁ぎ先も萩。私にも萩で生まれ育った親しい友人が二人います。なんとなくご縁を感じます。途切れ途切れながらこうして長く続くご縁は本当に嬉しいものです。お二人は今は美瑛の宿を人に譲って新しい宿の候補地を探しているところだそうです。それが出来たら必ず泊まりに行くとお約束して別れました。
2018年10月17日
昨日の朝、スマホを充電しながら別の部屋へ行っている間に不在着信があり、留守電が入っていました。「広瀬さぁ~ん、今福岡の友達の所へ来てるの。お電話くださ~い」という元気な女性の声。けっこう親しそうな声ですが、お名前は入っていません。残された電話番号は「非通知」。念のためタップしましたがもちろんかかりません。一体誰なの?またかかって来るかと待ってましたがそれっきりです。あちらは、せっかく留守電入れたのにかけて来ない、と怒っているかもしれませんが、かけようがないじゃ~ん!。
2018年10月10日
いよいよ明日のせりが最後で築地市場が来週から豊洲へ移転するそうです。昔は魚市場とか魚河岸とか呼んでいましたが、私の父は若い頃この中にあった水産社という会社で業界紙の記者をしていました。全国の漁村を調査のために歩き回っていたそうで、後にその部分だけを引き受ける「水産経済研究所」というのを友人と立ち上げ、少し離れた鉄砲洲という所に事務所を構えていました。銀座一丁目から一本道で1キロの隅田川の河口近くの場所です。そこが戦争で皆出征してしまって空いていたので、母と祖母と私は中野で空襲に遭った後そこへ移り住み、そのままそこが実家となりました。結婚後の住まいも晴海だったので、築地は何かと縁のある懐かしい所なのです。場外市場はそのまま残るということなので安心しました。いつも真っ先に行くのが小さな鮭屋さん。厚みが5センチほどもある鮭の切り身が5枚で1000円!この春に行った時は「値上がりした」と感じたので、1200円になっていたか、4切れになっていたかのどちらか。定かでありません。今は中国人観光客でいっぱいです。生鮮品を買って帰れないので、その場で食べられるようなものが沢山売られていて、ずい分様変わりしましたね。
2018年10月05日
台風24号はまたあちこちに被害をもたらせたようですが、私のいる所は今回も何の影響もなく雨が少し余計に降ったくらいでした。3日前くらいから緊急避難警報がけたたましく鳴りますが、外は雨も降っておらず拍子抜け。いつもそうなので、こんなことが続くと「オオカミ少年」ではないけれど肝心な時に「またか」ということになりそうでちょっと心配です。楽しみにしていた「ヒルデガルト」の映画会は中止になり残念でした。別の日にいつもうちが「フルール会」などで使っている場所で出来ないかとの主催者からの相談がありましたが、その方の都合と会場が使える日との調整が未だつかず決まっていません。午後の(朝日カルチャーの「英語で歌おう」の)M先生の朗読とピアノコンサートの会は予定通り行なわれ、懇親会にまで参加して楽しんで来ました。朗読は「二人の弘」と題して長田弘と吉野弘の詩でしたが、優しい暖かい詩は先生のドラマチックな朗読とも相まって心に沁みるものでした。
2018年10月01日
やっと見つけました、アロマのサロン。東京にいた頃は毎月一回、シーツやタオルを詰めたリュックを背負ってアロママッサージをしに来てくれる方がいたのですが、九州へ来てからはなかなか見つからなかったのです。一軒だけ古い家の壁に「アロママッサージ」と書かれた所があったのですが、どうしても入ってみる気分にはなれず3年が経ってしまいました。それが先日のエドガー・ケイシーの映画の上映会に来てくださった方の中にすぐ近くでサロンをなさっている方がいらしたのです。それで昨日さっそく行って来ました。最初の音叉で頭の中がお掃除されたような気分。とても丁寧にリンパのマッサージもしてくださり、久しぶりにい~い気持でした。自分の身体へのご褒美です。(なんてご褒美もらえるようなことしてるかな?)ちゃんと筋肉がついていてとてもしっかりした身体です、とほめていただきました。(カーブスのお陰?)でも足首が固くてむくみがあるのは自分でもわかっていて困っているところです。終わっていろいろお話しましたが、スピリチュアルな世界を理解している方との話は楽しいです。ツーと言えばカーで余計なことを言わなくてもすぐ心と心がつながるのが嬉しいですね。来週はヘッドマッサージとフェイシャルをお願いすることにしました。
2018年09月21日
2月半ばから毎日書いているブログに先日から「がんになったらどうしますか?」と題して(1)から毎日シリーズで書いているのですが、その中で以前講演を聞きに行ったアニータさんというインド人女性のことを書きたくて名前の確認をするため、一緒に行った友達Kさんに久しぶりに電話をしました。アニータさんはがんの末期で危篤になり意識不明の中で臨死体験をし、目覚めたらがんが消えていたという女性です。Kさんは私より10歳下ですが、それぞれが30代40代の時からの40年に及ぶ友達で数年前に乳がんを宣告されたのですが、スピリチュアルの本を山ほど読んでいる彼女は何の治療もせず、趣味のダンスに打ち込んで今でもとても元気です。彼女からはいつも何かしら良い本を紹介されるのですが、今回は熊本在住の主婦の方が書いた「遺伝子スイッチ・オンの奇跡」(風雲社)という本を紹介されました。すぐアマゾンに注文。翌日届いて一気に読んでしまいました。手術も出来ないほどの末期の子宮頸がんで余命1ヶ月と言われた著者工藤房美さんは、お友達が持って来てくれた村上和男氏の「生命の暗号」という本を読み、人間一人の存在は70兆分の一の確率であることや、全身60兆個の細胞の遺伝子のうちオンになっているものは5%しかないと知って、もし残りの遺伝子を1%でもオンにすることが出来たら元気になるかも、と毎日全ての細胞に「ありがとう」を言い始めます。それを10万回も繰り返した頃、がんはきれいに消えていたそうです。それで思い出したのが、私も以前北軽井沢で暮らしていた頃同じようなことをやっていたのです。病気ではないのですが、ある日突然自分の臓器が自分の寝ている間も休みなく働いていることに気がつき、寝る前に必ず全細胞に「ありがとう」を言うことにしました。遺伝子をオンにするのは「感謝と希望」と工藤さんは言っておられます。一度オンになったら二度とオフにはならないというのが私の考えです。一度目覚めた意識が元のレベルには戻らないように。今こうして病気知らずで元気でいられるのは、私もわずかでも知らないうちに遺伝子をオンにしていたのかもしれません。https://ameblo.jp/cafefleur96/
2018年09月20日
今日無事に「リーディング」上映会を終了いたしました。遠くから近くから足を運んでくださった大勢のお客様、お手伝いくださった多くの友人、知人たちに心からの感謝をしたいと思います。またこのような映画を制作してくださった白鳥哲監督とスタッフの皆さま、出演してくださった方々にも感謝です。最初に「地球蘇生プロジェクト」という短編を上映してから「リーディング」と続きましたが、会場いっぱいのお客様と共に私ももう一度観て感激を新たにしました。白鳥哲監督の地球環境を蘇らせたいという熱い思い、与えること、分かち合うことの大切さ、ケイシーのリーディングを通して人々の意識改革を目指す意欲がビンビンと伝わって来ました。熱心なクリスチャンだったケイシーが、自分の口から「前世」などという言葉が出て来ることにどんなに困惑したことでしょう。キリスト教は「生まれ変わり」などは認めていないのですから。これは未だに目覚めない人々に対する優しい挑戦でもあると感じました。この映画を多国語に翻訳して日本から世界へ広げて行くのは素晴らしいことだと思います。そしてそれが許される今の自由の有難さを感じ、その自由を決して日本は失ってはいけないと痛感しました。ケイシーの女性版であるドイツ人の修道女ヒルデガルトの映画も9月30日の午前中に近くであることがわかり、さっそくそれにも申し込みました。一人で行くつもりだったのですが、「リーディング」を観た夫が自分も一緒に行くと言ってくれたのが何よりうれしいです。
2018年09月09日
マンマミーア ヒヤ・ウイ・ゴー」を観て来ました。前作は20歳になったソフィーの結婚式にパパの可能性がある3人のゲストがやって来るという話で、ママ役のメリル・ストリープの歌とダンスが見ものでしたが、今回は古くなったホテルをソフィーが改装し、そのオープニングパーティーにまた例の男性たちがやって来る話。もちろんママの友人のおばちゃん達も。(あのエッチなおばちゃんも健在です))ママはすでにあの世の人となり、最後にちょこっと幻となって現れます。ソフィー役は「ラ・ラ・ランド」の主役をやった人じゃないかしら?ママが大学卒業後、いくつも恋をしながら旅をして、最後に気に入ったギリシャの島の廃墟となった家をホテルにしてソフィーを産み、一人で育てるまでの話と現在が交互に描かれています。なぜだかいろいろなシーンで涙がこみ上げてきて困りました。I Have a Dreamで涙、ManmaMiaとDancing Queenで涙、ドナの出産シーンで、最後に美しく年齢を重ねたメリル・ストリープでまたぐっと来ました。ドナが世の常識より自分のやりたいことを優先して、ひとりでたくましく生きる選択をし、楽しい人生を送ったことに感動したからかもしれません。そのほか多分その時その時のいろいろなことが思い出されたからだとも思います。このミュージカルの初演の舞台をロンドンのプリンスエドワード劇場で観たのは今から16年前。その後東京の劇団四季のステージ、その頃5歳くらいだった孫娘が「マンマミーア」の歌が大好きで、私の車でCDを繰り返しかけては大きな声で歌っていました。その子がもう大学を卒業しました。すべてが懐かしいです。
2018年08月31日
昨日は朝日カルチャーで英語の歌を歌う日。今はカーペンターズのTop of The Worldをみんなで歌っています。帰りにボードを見ると山川紘矢・亜希子夫妻の講演会が来年2月2日にあると書いてありました。タイトルは「精神世界を知って楽しく生きる」だったように思います。(すみません、うろ覚えです)すると同じクラスの一人Tさんが「精神世界って何?」と言うので「心の世界のこと。見えない世界のことよ」と言ったら「へえー何だか怖い」と言うのです。もう一人のEさんも「うん、怖い」と。「怖くなんかないですよー、楽しくなりますよー」と言いながら4人で近くのデパートのティールームでお茶しました。そこで山川さんの話をし、いつのまにか自分の身の上話までするうちフィンドホーンのこと、「心の扉を開く」のこと、主人との出会いのことやら、畑仕事の最中に湧き上がってきた言葉などいろいろしゃべってしまいました。すると最初に「怖い」と言っていた人が感嘆したように「今日は良いお話を聞かせてくださってありがとう」と言うのです。帰り際にはもう一度同じことを言って私の手を握ってくれました。次に会う時「アウト・オン・ア・リム」を持ってくる約束をして別れましたが、山川夫妻の講演会も勧めてみようと思います。
2018年08月26日
やっぱりだまされましたね。まだ8月ですもの、秋になるわけないのに、虫ちゃんまでだまされて鳴いてしまいましたがまたもや猛暑続きです。エアコンの効いた部屋から出たくないなあ、と思いつつ買い物もあるのでせっせとカーブスに通っています。水はしっかり飲んでいますから大丈夫。と言ってもなかなか2Lは飲めませんねぇ。お茶は別としてせいぜい1Lが限度です。ところで最近甘いものが全然ほしくなくなりました。以前は毎日必ずおまんじゅう1個くらいは食べていたのですが、目の前にあっても手が出ないのです。それなのに頂き物などがあると毎日減って行く怪!もちろん犯人はわかってます。うちに一匹おなかの出たネズミがいますから。独り占めされるのはシャクだから私もたまにつまんでみるのですが、美味しいと感じないのはこれ如何に?味覚が変わったんでしょうか?そう言えば東京にいた頃は時々ジャンクなものが無性に食べたくなって、月に一度は必ずKFCに行っていました。それが最近買って来たら全然美味しくないのです。場所が変われば味も変わる?ってわけではないと思うのですが・・・
2018年08月24日
北軽井沢では8月のお盆を過ぎると急に風が秋の色を帯びて、夜には虫たちが鳴き始めるというのが常でしたが、九州の平地で同じことが起きると何だかだまされているようで落ち着きません。朝夕エアコンがいらなくなったのは有難いですが、尋常でなかったこの夏の暑さを思うと、この急変が素直に受け入れられないのです。本当にこのままどんどん秋になって行くのでしょうか?数日前スマホをiPhone6から8plusに変えました。最初が6年前の5で次が6、これで3代目です。近くのauショップへ行ったら長々と見積もりの計算やら説明を受けた後、品物は2ヵ月後になりますから予約をと言われて愕然。これまではいつでもその場で買えてデータも移してもらえたのに、と言ったらヤマダ電機に行けば在庫があるかもしれません、とのことなのですぐ近くのヤマダ電機へ。すると8plusの250なら1台だけあります、と言うのでそんなに容量はなくていいと思いましたがOKしました。それからが大変。40分ほど待たされて、説明を聞き、又更に待たされてようやく品物を手にしたのは家を出てから4時間後のことでした。帰ってから調べたら移してもらった連絡先は5時代のものだけでそれ以後増えた分は入っていません。電話がかかると先ず女性の声が入って呼び出し音が鳴ります。送ったと言われたメールが届いていません。Gメール受信の仕方がこれまでと違います、などわからないことだらけ。画面が大きくなって見やすくなり、メールも書きやすくなったのは有難いのですが、新たにログインし直すのやら、使えなくなったサイトなどがあって悪戦苦闘しております。
2018年08月21日
一昨日から急に朝夕涼しくなって、今日は夏の間ずっと避けていたサンルームにいても涼しい風が吹きぬけて行きます。北軽井沢では8月のお盆を過ぎると風が秋風に変わるのが通常で慣れていましたが、九州でこんなことは初めての体験です。9月に入ってからならまだしも、まだ8月も大分残っているのに、何だか妙な感じです。エアコンなしはもちろん有難いのですが、あまりにも例年と違うと何だかだまされているようで落ち着きません。服装も何となく白いパンツなどははく気分になれず、かといってまだすっかり秋の服装では少し暑いですし困ってしまいます。とりあえず今日の午後は黒の短めパンツに白の七分そでのブラウス、グリーン系の夏用スカーフ、靴は黒のオープントウで出かけることにしました。こんなことが取りあえずの関心事項とは本当に平和な世の中、ありがたいです。間もなく自民党の総裁選ですが、安倍さんはなぜ改憲をそんなに急ぐんですかね。戦後初めて憲法を変えた首相としての名を残したいからなのでしょうか?石破さんが特に好きなわけではありませんんが、国民に十分な説明をしていないこと、改憲に緊急性はないという意見には賛成です。現憲法のどこをどう変えたいのか分りやすく書いたものを全国民に文書にして配布してほしいです。最終的には国民投票なのでしょうが、それに向けての準備がなされているとは思えません。モリカケ問題にも誠意ある対応はしないままうやむやにして、これからも好き放題されるのはごめんです。信頼できない政府を持つ国民は不幸ですね。
2018年08月19日
8月15日は終戦記念日。73年前のこの日のことを書いてみます。5月の空襲で東京の家を焼かれた母と祖母と小学校5年生の私の3人は群馬県高崎市の父の友人の家に居候をしていました。父もこの家の主も招集されてどこにいるのかも、生死のほどもわかりません。近所にやはり東京の滝野川という所で焼け出された一家がいて、そこのおじさんと子どもがよく遊びに来ていました。その頃は本当に食べるものがなくわずかな配給の大豆やいもで飢えをしのいでいましたから話題はすぐ食べ物のことになります。前の日にもそのおじさんと、焼けた家の近くにあったたい焼き屋さんの話になりました。いつになったらそういうものがまた食べられるようになるだろうね、などと話して別れた夜、空襲警報のサイレンが鳴り響きました。広島、長崎に落とされた「新型爆弾」のことは話題になっており、今後の空襲はこれまでとは違う爆弾を使うらしいと専らの評判でしたから、いつも以上の緊張が走りました。私たちの家は駅の南口からすぐの所でしたが、空襲の時は烏川にかかる聖大橋(ひじりおおはし)の下に逃げることになっていました。厚いコンクリートの橋の下にいれば直撃弾を避けられるというわけです。 その夜は高崎だけでなく前橋も空襲だったらしく、川下の方に沢山の焼夷弾が落とされるのが花火のように見えた光景を今でもはっきりと覚えています。夜が明けて家まで帰る道々、駅前だから当然焼けてしまっているだろうと絶望的な気持で帰って来たら、何と家は残っているではありませんか。ほっとしてくつろいでいると何やら外が騒がしいのです。人々が走って行きます。何だろうとついて行ってみると、ある家の前にラジオが置かれ、その前に大勢の大人たちがうなだれて立っていました。ラジオからはボソボソとした男性の声が聞こえて来ますが、何を言っているのかさっぱりわかりません。しかし大人たちの「戦争が終わった!」「負けたんだ」「もう空襲はないんだ」と言うような声が聞こえて来ます。何も考えられずボーッとして家に戻ると、滝野川のおじさんが飛び込んで来ました。「ナオコちゃーん、戦争が終わったよー!たい焼きが食べられるよー!お父さんが帰って来るよー!」その言葉でやっと「戦争が終わったんだ」という実感が湧いて来ました。もう夜電気をつけてもいいんだ、もう空襲におびえなくてもいいんだ、お父さんが帰って来る、といううれしさがじわじわと湧き上がって来ました。
2018年08月18日
先日のNHKスペシャル「駅の子の闘い」をご覧になった方いらっしゃいますか?(8月30日に再放送があるそうですが、こちらからもご覧になれます)https://www.facebook.com/gomizeromirai/videos/2321756771197780/?hc_location=ufi「駅の子」とは戦災孤児のことです。この言葉自体知らない方がほとんどでしょうね。まだ70年ほどしか経っていない頃の話です。日本中の主要都市がアメリカ軍の空襲で毎晩のように火の海になっていました。その空襲で親を失った子ども達が12万人もいたのです。私の家も空襲で焼かれましたが、母も私も火の中を逃げ、父は復員して来ましたから孤児にはならずに済みましたが、上野駅の構内に大勢の子ども達が寝ていたのを覚えています。ほとんどの子どもたちの父親は招集されて、日本中が母子家庭になっていましたから、空襲でその母親を失えば当然子ども達は孤児になります。家もなく親もなく、行く所がないので駅の中や地下道で、地べたに寝るしかなかった子ども達を「駅の子」とか「浮浪児」と呼んでいました。食べ物を得るために盗みをしたり、万引きしたりして生きていましたが、中には餓死する子どもも大勢いました。政府は何もしてくれません。戦争は大人が始めたのに、その大人は何もしてくれない、おにぎり一つくれない、と今80代になった当時の「駅の子」が語っていました。国民は皆ひもじい思いをしていましたが、食べ物はある所にはちゃんとあったのです。それをこっそり売って大儲けした人たちもいました。進駐軍がやって来て「東京から浮浪児を一掃しろ」とのお達しがGHQからあって「狩り込み」が行なわれ、子ども達は一部は施設に収容されましたが、檻のようなものに閉じ込められたりした子もいたようです。番組では出ませんでしたが、施設が足りなくて収容できなかった子ども達はトラックに乗せて山へ「捨てに行った」そうです。ひどい話ですね。私は未だに日本の政府を許せないし、戦争しておいてその結果に何の責任も取らない日本政府が大嫌いです。国民を大事にしない国は大嫌いです。だから愛国心が持てません。
2018年08月17日
このたび長年親しんでいただきましたカフェフルールのサイトを閉じることになりました。もうお店をやめてから5年経ちますのに、シーズンになるとアクセスしてくださる方が多く有難いと思いつつとても心苦しく感じておりました。そこで名残惜しいのですが閉じることになりましたが、楽天ブログは引き続き下記をクリックしていただければご覧いただけるようになっております。今後ともよろしくお願い申し上げます。https://plaza.rakuten.co.jp/cafefleur/
2018年08月17日
ずい分長くご無沙汰してしまいました。7月25日から8月9日まで北軽井沢の山荘「マナハウス」へ行っておりました。私が若い頃に結婚した夫と二人で1964年東京オリンピックの年に建てた古い山荘です。東京都心の狭い団地に住んでいた私たちにとって庭のある暮らしは憧れだったのですが、とても高くて手が出ません。そんな時北軽井沢の別荘地の広告が目に入り、夫と見に行きました。月賦(今の言葉ならローン)なら何とか買えると、200坪の土地を手に入れ、最初の年は近くの廃止になったキャンプ場から6畳一間のバンガローを運んでもらってそこで親子4人でひと夏過ごしました。涼しくて緑が豊かでのびのびと暮らせるそこが大好きになり、当時5歳と3歳だった子どもたちも気に入ったようでしたがお風呂とトイレがないので、翌年母屋を作りました。そして毎年夏はそこで過ごすようになったのですが、17年後離婚となり私は行けなくなりました。5年後に夫が再婚してからは子どもたちも足が遠のき、大好きだった私たちの「ふるさと」はなくなってしまったのです。ところがその又17年後久しぶりにその近くの友人の別荘に泊まりに行ったことが縁で、そこから2キロほど離れた所に私は土地を買うことになり、家を建て移住してカフェを始めました。楽しい楽しい、毎日が発見と感動の日々でした。大勢の人が泊まりに来てくれて、みんなの実家のような役目も果たしていました。しかし奇しくもまたその17年後、突然の骨折とある事情からそこに住めなくなり、東京のワンルームマンションでの賃貸生活が始まりました。そしてその2年後、これまた思いがけなく再婚をすることになり夫の住む九州の家へ移ることになったのです。昔の山荘は9年前に前の夫が亡くなって次女が相続することになり、自分の名前を取って「マナハウス」と名付け大改装を行なって今はリトリートハウス兼貸別荘となっています。そこへ行って来たわけですが、まわりまわって故郷に帰って来た感じがします。東京生まれの私たち親子にとっては原点とも言える家です。昔より大分気温は上がっていますが、それでも日中最高でも28℃、夜は窓を閉めて軽い布団をかけて寝られる高原の夏は快適です。うれしいのは野菜が安くて新鮮で美味しいこと。夫は生まれて初めて食べるとうもろこしの甘さにびっくりしていました。殺人的とも言われる今年の猛暑。健康を守るためにも避暑は贅沢とは言えなくなった感があります。今は渋谷から高速バスが北軽井沢まで3時間半で3500円で行くので大助かり。バス停からはゆっくり歩いて10分。スーパーやコンビにも歩いて行けるので車がなくても暮らせます。来年も行きたいと思っています。
2018年08月14日
昨日の福島先生のお話の続きです。先生のお人柄や技術が優れていることへの感動のほかに、もう一つ感じ入ったことがあります。それは手術を受けられた女性の「意志の力」です。最新式のMRAを備えた病院での検査の結果、その病院では手術出来ないことがわかり、あとは自分で医者を捜し歩かなければならない状態になって、全ての画像やその他の資料を抱えて病院まわりをするのですがどこからも断られます。それでも彼女は決して「諦めません」でした。そして偶然目にした福島先生のメールアドレスにメールを送った「行動力」があったからこそ手術が受けられたわけです。左右両方の脳に沢山の血腫が広がっていたため術後しばらくは全身麻痺状態だったそうです。先生からまた日本に来る時には車椅子ででもいいから会いに来てほしい、と言われ「絶対自力で歩いて行く」と決心し。辛い辛いリハビリに励むのです。そしてその通りになったという「意志の強さ」。諦めない、行動する、強い意志を持つ、というこの三つがあってこその現在の健康と明るさ強さがあるのだと思います。これはすべてのことに通じることではないでしょうか。スケールは全然小さいのですが、私も3年前に旅行先で股関節を骨折して手術しました。一刻も早く退院して家に帰りたい一心で翌日からのリハビリに励み5週間で退院しました。異例の早さだと言われました。同じ年齢で同じ場所を同じように骨折して手術を受けられた方は3ヶ月の入院だったそうですし、別の方はリハビリをいやがって娘さんを困らせています。どんな病気も怪我も気の持ちようとその人の考え方、行動力でその後のことが決まってくると思います。昨日は沢山のことを学ばせていただきました。
2018年07月24日
今日はとても良いお話を聞く機会に恵まれました。あのゴッドハンドと言われる脳外科医の福島先生に手術をしていただいて一命を取りとめた女性のお話です。横浜から山口県にいらしたついでに北九州へも来てくださったのですが、11年前の交通事故が原因で頭の中に沢山の血栓が出来てしまい、それがいつ破裂するかわからない状態なのに、東京中の名だたる病院すべてから「手術出来ない」と断られたのだそうです。(最悪な対応だったのが有名なTのつく大学病院だったそうです)それほど難しい手術で、先ず現在日本では手術出来る医者はいないということで、思い切ってアメリカの福島先生にメールを書き、全てのデータを添付して送ったところお返事があり、先生が日本に来られた時に手術を受けられることになりました。手術室へ入って驚いたのは中央の福島先生のまわりに放射状に7人の患者が寝ていてそれぞれに一人ずつ脳外科医がつき、数人ずつのスタッフが控えていたのだそうです。福島先生にしか出来ない手術を7人が同時に受け、その中でも今日の女性のが最も難しく、先生のなさった中でもトップクラスの難度のものだったとか。何しろ130針近く縫ったそうですから。(この7人全員が今健在だそうです)その後の壮絶なリハビリ体験なども話されましたが、何よりも感動したのは福島先生の今でいう「神ってる」言葉、患者に対する暖かさに聞きながら涙が出てしまいました。お金でも名誉でもない、純粋に患者を助けたい一心の先生のような方が捨てたくなるような日本の医学会って何なんでしょうね?
2018年07月23日
うちには開かずの間ならぬ開かずの戸棚がいくつかあって、2年前この家に来てから一度大整理をして、シミのついたシャツやシーツなどごっそり捨てたことがあり、台所の戸棚からも賞味期限が切れて9年も経った食品を沢山捨てたことがあります。9年というのは夫が一人になってからの年数そのままです。台所にはまだ開かずの扉が2箇所あって、古い食器やら鍋やらが入っているのでそのままになっているのですが、昨日忘れていたそうめんが一包み出て来ました。賞味期限を見ると2008年3月!なんと10年前です。夫が「そうめんは時間が経つほど美味しくなるんだから大丈夫」 と言うので、昨日のお昼にゆでてみました。少し黄色味を帯びているので油分が酸化しているのではないかと心配でしたが、味は何ともなく、おなかも今日に至るまで何ともないので大丈夫なのでしょう。30年前に自然食品店をしていた頃、卵、豆腐、パンなど生鮮品はもちろん、他の食品も売れ残りの賞味期限切れのものばかり食べていた経験があるので、今も賞味期限より自分の舌を頼りに生きていますが別にまずいと思ったことはありません。これも子どもの頃に戦中戦後の飢餓時代を体験しているお陰でしょうか。有難いことです。
2018年07月18日
昨日自殺について書いたあと、ふとシルバーバーチはどう言っていたかしら?と思い、読み直してみたらこう書いてありました。「地上生活を自分で勝手に終わらせる権利は誰にもありませんが、自殺に至る事情には酌量すべき要素や環境条件がいろいろとあるものです。いずれにせよ自殺行為は絶対にためになりません。地上生活を勝手に終わらせることが魂にプラスになったということは絶対にありません。自殺は精神異常者や、霊に憑依される場合もありますが、大多数は臆病者の逃避行為です。果たすべき義務に真正面から取り組むことが出来ず、死んでこの世から消えることがその苦しみから逃れるいちばんラクな方法だと考えるわけです。ところが死んだつもりなのに相変わらず「自分」がいる。そして逃れたはずの責任と義務の観念が相変わらず自分につきまとう。その精神的錯乱が暗黒のオーラを生み、それが外界との接触を遮断します。その状態から抜け出せないまま何十年も何百年も苦しむ者がいます。しかしいちばん大切なのは動機です。動機が利己主義でなく利他主義に発している時、つまり自分がいなくなることが人のためになるという考えに発している時は、たとえそれが思い過ごしであったとしても、先の臆病心からの自殺とはまったく違います」(「シルバーバーチの霊訓」より引用)この最後の文章を読んで、戦争中の特攻隊で片道燃料だけで飛び立って行った若者たちのこと、そして題名は忘れましたが、北海道でブレーキの効かなくなった列車の前に飛び込んで列車を停め、多くの人の命を救った人についての実話に基づいた三浦綾子さんの小説が頭に浮かびました。
2018年07月16日
2月12日から「アメブロマラソン」を始めて今日で丁度5ヶ月になりました。その間ネット環境のない所に旅行した2回以外は毎日書いたのでざっと150回は書いたことになり、我ながらよくタネが尽きないと感心している次第です。その日に書いたことの中から連想したことが翌日のタイトルになったり、あるいは毎日の瞑想の中で浮かんできたりします。タイトルが決まって最初の一行を書くと、あとは自動的にどんどん言葉が湧き出てくるので面白く、自分でも楽しんでいます。大変だと思ったことは一度もありません。読者になってくださる方、「いいね」をしてくださる方も少しずつ増えて励まされています。最初夫には内緒にしていたのですが(彼のことも書いたりしているので)いつのまにか読者になっていて、毎日楽しみにしてくれています。とても面白いから娘たちにも読ませたいとURLを送ったりもしているようです。この楽天では日常のことを書いているので同じではつまらないと、最初は自分が辿ってきた道や導いてくれた本のことなど書いていましたが、今はその時々に思いついたこと、思い出したことを書いています。「広瀬尚子のスピリチュアルエッセイ」というタイトルにしていますが、必ずしもスピリチュアルな内容ばかりではありません。長い人生の中で経験したこと、そこから学んだこと感じたことも題材になっていますが、当然その人生観はスピリチュアルな考え方に基づいています。少しでも多くの人が「自分が肉体だけの存在ではなく、魂というものが主体の肉体以上の存在である」ことに気付いて目を覚まし、世間の目を怖れず、絶対的な安心感の元に生きることが出来るようになってくれたら、というのが私の願いであり、私自身の人生の目的ともなっています。よかったら読んでみてください。読者になっていただければ嬉しいです。ついでに拡散もお願いします。https://ameblo.jp/cafefleur96/
2018年07月12日
今日で3日間大雨が続いています。4日前に1日だけ台風一過の晴天がありましたが、その前も台風で雨続き。予報では明日も明後日も雨のようです。今回は近畿地方や四国まで広範囲に降っているようで、すでに被害や死者も出ており、うちのほうの地域でも道路が水浸しになっている所があるようです。幸い我が家は山の側でもなく大きな川も周りにないので、避難命令の警報は鳴っていますが、避難所へ向う途中の方が危険なので家の中でおとなしくしています。明日は朝日カルチャーセンターで山川夫妻の講演会があるのですが、飛行機は飛ぶかしら?会場へは行かれるかしら?と心配です。会場近くを流れる紫川の水位がかなり上がっている映像が映りましたのであふれないよう祈るばかりです。
2018年07月06日
昨日までの大雨がウソのように今日は100%のピーカン!洗濯機2回分の洗濯物を干して気持よかったです。今日から7月。関東地方はもう梅雨明けだというのに、順番が違うんじゃない?沖縄だってまだでしょ?台風とのダブルパンチで大雨だそうです。九州もまだ明けません。どうなってるんでしょうね。日曜日の午後はBSで「ファンタジーオンアイス2018静岡」を堪能しました。羽生くんはもとよりコストナー、フェルナンデス、プルシェンコといったオリンピック組のほか、久しぶりの安藤美姫さんや織田信成さん、ほかに初々しい新人やペアのみなさんがそれぞれ思い思いの衣装や曲を選んで、点数とは関係なく自由にのびのび滑る様は楽しげで、こちらも安心して楽しめました。サッカーもそうですが、熱狂はいいけれどあまりに「国」を意識し過ぎると対立や差別も起きるし、「何としてでも勝ちたい、勝たせたい」となってしまってついて行けなくなります。競技だから、スポーツだから当たり前かもしれないけれど、一歩間違うと先だっての日大事件のようなことも起きてしまいます。私はあまり愛国者ではないので、今日のスケートみたいに国境のない、競争のないイベントのほうが性に合っています。
2018年07月01日
私はインド人のお医者様ディーパック・チョプラ博士の「原初音瞑想」を毎日しているのですが、その先生である渡邊愛子さんの一昨日のメルマガに面白いことが書いてありました。一部を引用させていただくと・・・「私たちの感情は腸内細菌の状態に左右されているので、悪玉菌が優勢だとネガティブな感情に支配されやすく、善玉菌が大多数を占めていればポジティブ、穏やか、落ち着いた状態で瞑想のクオリティも高いようなのです。それでも、腸内環境を良くする過程でデトックスが起こっている時は感情のデトックスや解放も起こることが多く、そんな期間は瞑想中に考えや感情が沢山浮かびやすく落ち着かないものですが引き続き皆さんと瞑想と腸の関係性について実験?探求していっているところです。」(6/28/18 BODYMINDSPIRITメルマガより引用)とてもうなづける内容です。腸が血液を造っているとの報道で腸内の環境がとても重要なのは知っていましたが、それが感情にまで影響しているとは知りませんでした。心と身体は密接に影響し合っていますから、逆にネガティブな感情を持ち続けると腸内の悪玉菌が増えるかもしれませんね。昔波動の研究をなさっていた今は亡き江本勝氏が言っておられたことを思い出します。感情と身体は連動しているから、例えば「寂しい」という感情の波動と脳の海馬(記憶を司る所)の波動が似ている。金属波動ではアルミニュームもとても近い。だから常に「寂しい」という感情を抱えていると海馬にアルミの波動を呼び込み、アルツハイマーになりやすい、という説です。当時科学者たちからはせせら笑われましたが、私はあり得ることだと思っています。感情をバカにしてはいけませんね。そして食生活にも気をつけて腸内をいつもきれいに整え、過去をくよくよしたり起きてもいない未来を心配して不安でオロオロしたりしないようにしましょう。明日は明日の風が吹く。スカーレット・オハラはいいこと言いましたね。
2018年06月30日
昨夜から今朝にかけて凄い雨。そしていつになく大きなカミナリの音にあわててパソコンの電源を切りました。今は小雨になっていますし、この辺は大きな川がないので水害の心配はなく安全です。昨夜はサッカーを横目で見ながら眠ってしまいましたが、夫は遅くまで見ていたようで、夜中につけっぱなしのテレビの音で目が覚め、リモコン探しに起きたため今朝はかなり寝坊してしまいました。今日は寝不足の方が多いのではないでしょうか。いつも思うのですが、国内が内戦やら紛争やらで落ち着かない国からもスポーツとなるとちゃんと世界大会などに出場するチームがあることに感心します。日本は戦争中とてもスポーツや芸術に精を出す余裕などありませんでした。国中が一致団結して「敵を倒す」ことにすべての力を注ぐよう強制されていたのですから。小学生が竹槍を持ってわら人形めがけて刺しに走って行く映像が残っていますが、戦争はひとことで言えば殺人以外の何ものでもありません。子どもに殺人の練習などさせる日が二度と来ないよう、そしてみんなが寝不足になりながらサッカー観戦が楽しめる時代がいつまでの続くことを祈らずにはいられません。
2018年06月29日
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