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お知らせ 彼と一緒に暮らすことになりました。貧乏なのでネット環境を維持することを諦めようと思い、当面ブログを閉鎖することにしました。突然どこかでまた始めることになるかもしれませんが、今までアクセスしていただいたみなさま、読んでいただいたみなさま、書き込んでくださったみなさま、本当にありがとうございました。 「愛の讃歌」シアタードラマシティ 私には、ひとまわり下の彼がいる。特に珍しいことでもない。この舞台の主人公、偉大なるフランスの歌姫エディット・ピアフが死んだ時、彼女には20以上も年下の夫がいた。エディットが彼と出会ったのは、名声を得ていた華やかな時期ではなく、歌を忘れ借金とアルコール中毒にうめいていた時期であった。療養所で息をするのも絶え絶えだったエディットを救ったのが、太陽の光そのもののようなギリシャの青年テオだったのだ。 「あなたの純粋さ、清らかさ、初々しさが私の汚れた魂を洗い流してくれる」 畏れながら私もそうである。自分の生きてきた道程に後悔はない。しかし、悲しみ、苦しみ、憎しみを越え生きるうちに思わず知らずたまった、猜疑心、計算高さ、狡猾さは垢となり、私の心をぐるりと取り囲んでいた。それに気づかせたのは、彼との出会いであった。若さだけが持つ濁りなき魂の輝き。混じりけのない優しさはゆらめく水鏡そのもので、いつでも私は彼のそばにいるだけで自分が蘇るのを感じる。こんな出会いがあるのである。 この先どうなるかは全くわからない。彼と息子は歳の離れた兄弟のように仲がよい。時々息子が一人増えたような錯覚を覚えることがある。彼はある時は息子のようで、ある時は友人のようで、ある時は夫のようで、プリズムのように多様な光を放つ。 「朝、目が覚めたとき 私の身体が愛にふるえている 毎朝が愛に満たされている 私にはそれだけで十分」 エディットが書いたこの歌詞が、私の心にまっすぐ届いた。今の私にはこの意味が少し分かる。ついこの前までぼんやりとしていて意味を成していなかったこの言葉が今では少し理解できる。愛の形、愛の温度。愛の手触り。彼が届けてくれた愛の眩しさに私はまさにふるえている。 彼だけではない。職場のお母さん達との愛情のやりとりも、子供の笑顔も、光そのものだったのだ。私が鈍感だっただけ。一番欲しかったものが目の前に並んでいたのに、気づかなかったのだ。 もちろん日常はごたごたしていて、疲れたり傷ついたり、なかなか落ち着かないのだが、彼と子供といる時間空間は、いつでも光に溢れている。そこにいて初めて、自分が闇の中にいたことに気づくのだ。 全てはうつろうのだから、光が失われる時は来るだろう。しかし光の存在を知った以上、私はそれを信じ続けて生きるのだろう。 美輪さんがいつも言う「愛と美があれば人は生きていける」。暗がりの中、「美」にたびたび救われてきた私は、「美」の力を信じている。そしてようやく「愛」の力を探しあてようとしているのかもしれない。しんどいときもあったけれど、ここへ来て「ごほうび」をもらったような気がしている私は今、自分を「捨てたもんじゃない」と褒めてやりたい気分になっている。
June 6, 2006
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ネットで松岡正剛の番組が配信されている。1回15分。無料配信。贅沢である。「松岡正剛のブロード・トーク 天鵞絨(びろうど)」ビロード。ベルベット。ベロア。毛織物。子供の頃から大好きだった布地。ベロアジャケットが、昨年秋から流行りましたよね。「深くて、微妙で、揃っている」びろうどなテーマ、びろうどな人たち、びろうどなサブジェクトを取り上げる。素材は本。第一回は、「複雑系」とは何か。複雑系。カオス(混沌)。エントロピー(デタラメさ加減)。線形(リニア)でなく、非線形(ノンリニア)。11人のサッカーチームが、ひとり抜けて10人になった。ひとり分の力不足。なのに、11人と変わらない力を発揮することがある。そんな現象。ひとつのボルト、空を舞うちょうちょ。小さな塵のようなものが、1時間経ち、5時間経ち、1年経ち、5年経つと、全体に大きな影響を及ぼしていくことがある。これを複雑系と呼ぶ。簡単に足し算では出せない。一言で言えない。自然界にも、経済にも、音楽にも、社会にも、そういう現象が潜んでいる。さらに、デタラメについて。ファッションにおいても、縫い取りを外に出してみる。私たちは今、デタラメさ加減を出したい、そんな気分になっている。子供をきちっと育てたい、と願う今の私は、気分的に、秩序を好み、カオスを嫌う、複雑を恐れる、そんなところがある。でも、私自身がひとつの塵。私の存在も、全体に変化を及ぼす。それが自然の法則なら、別に怖がる必要はないはずだ。だがそれは、ひとつの選択、一瞬の判断が重要であることにもつながる。子供の成長においても、ひとつの出会い、ひとつのテレビ番組が、後に大きな結果を生むことになる。スタートなようで、実はその前から物事は始まっている。一日一日、日常のささいな出来事をひとつのほほえみを、大切にしていきたい。同時に、「遊び」「デタラメさ」を色気として纏いたい。80年代から登場した複雑系理論。21世紀最大のテーマになっていくだろう、と校長。「千夜千冊」では、一冊の本を深く掘り下げた校長、本編では、ひとつのキーワードで数冊の本を紹介。ひとつひとつ手に取り紹介された数冊は、「鏡の伝説」「非線形の力学系とカオス」「カオス的世界像」「複雑系」「エントロピーと秩序」沸騰した味噌汁を「カオス」と言った校長。これからは味噌汁を煮立ててしまうたび「カオスだ」とつぶやいてしまいそうだ。
April 10, 2006
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「サウダージ」って聞いたこと無いことばだな、と思って検索した。 [saudade]ポルトガル語。 郷愁、哀愁、失ったものへの想い。 遠い人や場所への憧れ。NHKで、ポルノグラフィティが故郷因島で行ったライブドキュメンタリーを放映していた。彼が観たいと言って、真夜中に観た。面白かった。因島とその周辺に住む小・中・高生を招待して、ライブを行ったのだ。「小学生相手にライブなんて初めてで、めちゃくちゃ緊張して、声ガラガラになってしもた」 方言丸出しのMCが魅力的だった。ポルノと言えば、アキヒトの滑舌。「アポロ」で出た時、すごいヴォーカルだな、と思った。それを生かせる楽曲で、当時「好きな曲だ」とは思わなかったけれど、「すごい曲だな」と思った。声域が高く、伸びの良い、縦横無尽なヴォーカルである。今回ドキュメンタリーを観てて、画面下に出る歌詞を追っていて、また「すごいな」と思った。詞が文学的。ギターのハルイチ(最近はカタカナでないらしい)がほとんど歌詞を手がけていることを知った。番組中で、「いつも本を読んでいるやつだ」「クリムトの模写を貼った」と言ってて、インテリなんだな、と。村上春樹が好きだというが、なるほど、影響が感じられる。最近のJ-POPの歌詞では見たこと無い格調の高さである。「サウダージ」「ヒトリノ夜」「アゲハ蝶」「Mugen」など、メロディーとアレンジが独特で、すごくいいのがある。手がけるのは本間昭光という人で、元キーボード奏者、松任谷正隆主宰のマイカ音楽研究所にいた。槙原敬之のツアーなどに参加。ワールドミュージックやハウスミュージックなどで使われる癖あるアレンジをふんだんに引っ張り込んでいるのに、私達にとても近い音に聴こえるのはなぜだろう。80年代歌謡曲みたいなのもあるのに、新しく聴こえるのはなぜだろう。因島ライブで、同郷である東ちづるからのメッセージを読み上げていた。「彼らは本物です」と断言するくだりがひどく印象的だった。彼女は「本物」と「偽物」があることを知っている人なのだ、という気がした。「僕らも君らもみんな夢の途中にいる」と、声高に叫んだポルノ。世界にも過去にも未来にも、あまねく存在しているような彼らの音楽を聴きながら、私も夢を追って生きていこうと思う。
April 9, 2006
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最近、仕事に向かう日は、駅のホームで彼と待ち合わせして、一緒に通勤しているのですが、今朝、彼の顔を見て「帰り~や」と私。 顔色が悪かったんです。リゾートホテル繁忙期、続く激務で、完全に身体をやられているのです。以前から休め休めと言っているのですが、まじめな性格なので、なかなか休もうとせず、のっぴきならないところまで自分を追い詰めているのです。職場は当日欠勤のできる職場なので、さほど責められることもありません。 でも結局一緒に通勤してしまいました。客室メイクなのですが、彼のフロアは全然人がいなくて、しかも部屋数が多い。いつもそうなんです。しかも客層が悪いので、汚い。同じ客室メイクでも、彼のフロアは内容が格段にハードなのです。だから人がどんどん辞めて、人手不足なんですが…。さらに、彼と同じフロアのメイクさんは、スローリーな方々ばっかり。必然彼が人の何倍もやらされているのです。まずい…今度こそ倒れるかも…心配なまま別れ、それぞれのフロアへ。 私のフロアには、私や彼をいつもかわいがってくれているおばちゃん達(以下マザーズ)もいます。「今日、あの子、ほんまにやばいです」と私が言うと、「休めばいいのに…心配やなあ」とマザーズもため息。「心配しすぎて、疲れました」と私。 自分のフロアを終わらせても、他のフロアが終わっていなければヘルプに向かうのが常なのですが、チーフの指示なしでフロアを動くことは許されていません。しかし今日という今日は、怒られても勝手に行ったろうと思って、まず自分のフロアを終わらせ、次にヘルプ要請のあったフロアへ行って終わらせ、それからそっと彼のフロアへ行きました。 彼のフロアチーフは、オープン当時からの仲間の一人。彼を息子のようにかわいがり、体調不良を心配しつつも彼を酷使しなくてはならないというジレンマでここんとこ苦しんでいます。「勝手に来ちゃいました♪」と言うと、「Hくん(彼)が○○番に入ってるから、入って!!」と叫びました。 「大丈夫~~~~~~??????」と追い詰められた顔でひたすら仕事している彼の許へ突入。彼は「ああ…」と安堵の息をもらしました。手をぎゅっと握って「頑張るわ!」と言うと「うん…」と目をうるっとさせました。…かわいそうに…なんでこのフロアだけこんなしんどいんだ。一瞬目で会話、後は左右に別れそれぞれの持ち場へ。 いくつか部屋を終わらせてふと見ると、別のフロアへヘルプに行ったはずのマザーズと出くわしました。にやりと笑いあう私達、後はそれぞれの動きへ。 あ~、ありがたいなあ、と思いつつ、めどをつけ、さあ、自分のフロアへ帰ろう、あらあたしのバケツはどこ??誰が持ってったの、あらあたし自分で持ってたわ、エレベーター待って待って!!どうもどうも、じゃ~ね~と団子になって嵐のように帰っていく私達。目をキラキラさせてひらひらと手を振る彼。「きっと来てくれると思ってた」ええ、もちろんですとも。 ロッカーで着替えながらも、鯛アラとごぼうと木綿豆腐で炊くとおいしいよ、シーチキンと大根もお勧めよ、豆ご飯は私は豆を一緒に炊くわ、いや私は塩茹でして後で混ぜるわ、などなど、さらに喫茶店でケーキをつつきながら、子供には「危ない」ってことを常に教えとかないとダメよ、自転車の規制が厳しくなるよ、気をつけたほうがいいよ、などなどなど。その時その時を大事に刻んできたマザーズに教わることは数知れません。 オープン当時、同じフロアでやってた仲間たちは、今はブロック替えでバラバラにされてますが、絆は深まる一方、会社の横暴とも言える仕事量を前に、いたわり合いで乗り切って来ました。お互い大切な人のために、自分のできることを精一杯やることの喜びを身体で教えてくれたマザーズ。彼女たちとの出会いに、いつもいつも感謝です。
April 8, 2006
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最近、めくるめくNANAの世界に魅了されている。矢沢あいの漫画を初めて読んだのは子供の頃の「りぼん」だと思うが、当時は単発でたまに掲載されている程度で、紡木たく風だなあ、と思いながら読み流していたように記憶している。内容はほぼ忘れているが、小学生にはちょっと大人な内容で、当時からうるうる度は高かった気がする。ここ数年話題になっているNANAの作者が矢沢あいだったのを知った時、BIGになったのね、と生意気にも思った私だった。 これまた彼が持っていて、貸してくれた。少女漫画のコミックを15巻も揃えていることに少々驚いた。「バンドの話だから」と聞いて納得した。それにしても、私の彼は根っからバンドマンなのね、と今更思う。彼の手の届くところに置いてあるものは、ほぼ音楽に埋め尽くされていると言ってよいようだ。 現在10巻まで読み終わっているが、内容が多様で、矢沢あいの積み重ねてきたものの広さ、深さを感じる。勉強してんなあ、と思うし、いろんなことを経験してきたんだなあ、とも思う。やっぱり生意気ですが。 たぶん、「りぼん」を読んでいた頃から長年かけて、私も多少はいろんなことを感じ、動いてきたんだろうな。リアルに共感できるところが数え切れないほどあって、一気に引き込まれてしまった。 ふたりのNANAは名前以外は全く似たところがなくて、しかもストーリーが進むにつれ性格もどんどん変わっていく。玉の輿に乗ったり芸能活動したり、華やかなキャラクターなのだがその個性は奥深く、一筋縄ではいかないところに現実味があって、大人の読者も飽きさせない。 漫画だからセリフで語られない部分、絵もとても重要なのだが、線にとても力があり、勢いが良く、オーラを感じる。人物の描かれ方、服装、アパートのインテリアなども非常に凝っていて、それを追うだけでも楽しい。今年の春は奈々風がいいかな、それともレイラ風かな、などと迷っていると、次々新しいかわいこチャンが登場して…目移りします。 映画版もずっと気になっていたので、全部読み終えたらすぐ借りて観るつもりである。映画も出来がよさそうですよね。 初めの頃は圧倒的に天然奈々のかわいらしさ、男前ナナのカッコ良さで押していたが、巻が増えるほどキャラも増え、それぞれのドラマが前面に出てきている。私と彼の中のナンバーワンは、ヤスで、彼はノブもお気に入り、私はレイラとシンも好みである。私はタクミが苦手で、なぜなら前夫があんなヤツだったからである(笑)。それぞれの行く末が読むほどに気になってくる。つまり見事にやられている。 私があんまり褒めるので、たった一度しか通して読んでいなかった彼は、「もっぺん読んでみよう」と、私の読み終わった分を持って帰っている。二人とも面白いと思うものがいっぱいあるって、幸せなことだなと思う。「デスノート」の前売りも、二人で買いに行った。「自分の方が失くさないって」と二人で取り合って、結局私の家の引き出しにしまってある。それまでにまず、宮崎あおいちゃんの「好きだ、」を観に行く予定である。
March 29, 2006
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私にはたくさんお母さんがいる。職場のお母さんたちである。以前「ヨイトマケの母」というタイトルで日記に書いた母達のことである。マザーにSを付けてマザーズと呼ぶ。 今の彼は友人の片思いしている相手だった。彼と付き合い始めた時、彼女にそれを伝え、謝った。しかし彼女は職場を辞めてしまった。 恋愛沙汰以外にも、彼女の家庭事情や、色々と理由はあったのだが、彼女は仲間にほとんど説明なしで突然辞めた。本当に仲良くしていたのに、「ありがとう」も「さようなら」もなく、メールでさらっと報告があっただけだったために、仲間はひどくショックを受けた。とりわけ傷ついたのは、私達のマザーズだった。訳が分からないけれど、でも彼女を信じたくて、想像上の理由を作って、泣きながら納得しようとしていた。 今まで絆だと思っていたものは、何だったの?とマザーズは悲しんだ。私も傷ついていたが、同時に腹が立った。彼女に私を憎む理由はあっても、マザー達をこんな無礼な形で「侮辱」する理由は何もないはずだ。いわば「やつ当たり」だった。 彼女と一番仲の良かった私ですら、辞めることを聞かされていなかったこともマザーズを驚かせた。彼女が辞めた当日、私があまりにも泣いているので、みんな夜電話でその話ばかりしていたらしい。翌日、私が目を腫らしてメガネをかけて仕事に行くと、ロッカーにはるさめスープが置いてあって「元気出してね」とメモがあった。着替えていると顔を見に来てくれて「…来た来た、よかった…もう~この子は、心配させて~~」と私の顔を両手で包んだ。 私の落胆ぶりはマザーズを納得させた。「そうよね、傷つくのは当然なんだよね、全然説明なかったんだもんね」うなだれた私の姿はみんなの気持ちの象徴みたいになっていた。実際には、私はほぼ全ての事情を知っている。それをみんなに打ち明けることはできないけれど、私は改めてマザーズの人のよさ、傷つきやすさを目の当たりにした。嘘の残酷さも。 みんなに甘えたくなって「我が家に物資が不足しております。石鹸の余っている方はご一報ください」とメールすると、翌日から生活用品、食料品、衣料品と、大量の物資を次々にみんな持ってきてくれた。重たいから、とチーフはダンボールで直接家に送ってくれた。皆一斉に戸棚を探してくれたのだと思う。私がしょっちゅう寝込んでいるのを見かねて「身体にいいから」と自家製のニンニクはちみつ漬け、「おいしいから」と肉屋の牛スジ。毎日カバンに入りきらずに紙袋で持って帰った。まだまだロッカーに残っている。 みんなの目は慈しみに溢れている。その目を見ていたら、嘘はもうたくさんだ、と思った。彼に聞いたら「おまかせします」と言われたので、仕事後のお茶の席で、突然私は発表した。 「彼氏ができました~」「みんなのよく知っている○○くんです」 しーーん。。 「あははははは~~~!」皆高笑いした。 ひとまわりの歳の差、私は子持ち。それでも冗談で「そうなったらいいね、とは言ってたんよ」とマザーズは喜んだ。 「○○くんやったら、全然反対せえへんわ」「いいと思うわ」 うれしかったのは、私側から見て「いい相手だ」という言い方をマザーズがしてくれたことだった。この歳の差で、ほとんどの人は「遊び」「たぶらかしてる」というような見方しかしていない。マザーズだけは私の味方なのだった。 数ヶ月前だが、マザーズ、というタイトルで曲を作った。私をかわいがってくれているお母さんたちに、音楽でお返ししようと思ったのである。一部抜粋、こんな歌である。 ♪ みんな一人で生きている 寂しいのは私だけじゃないと言い聞かせている 愛しき母たちの前で泣いたとき 私の中で何かがこわれたかわりにうまれた みんなへの歌 家に帰れば待っている ささやかな営み 日が昇ればまた始まる それぞれの日常を守る母達の姿 ここにいる時は母じゃなく あるがままの 甘えんぼでなつきたがりの自分に自然になってる 子供になってる 今の彼とは、この曲から全てが始まったような気がする。この曲を彼がすごく褒めてくれて、私は作曲に精を出すようになった。彼は曲の完成をいつも楽しみに待ってくれていて、私も彼の顔を思い浮かべながら音楽を作るようになっていった。 お母さんたちも、新曲披露のたび喜んでくれていた。宴会を通じて仲良しになっていった私達だけれど、もう宴会も音楽も必要ないくらいになってきた。顔を見るだけで満足なのだ。みんなが元気でいてくれれば、それだけでいい。 今は繁忙期で、残業残業である。上司がえこひいきして、一部だけ早く帰したりして、なぜかマザーズだけが制服のまんま最後まで仕事していたことがあった。私は別のフロアだったので着替えてマザーズが帰って来るのを待っていた。 するとプリプリ怒ったマザーズが登場して、「うちらに何の連絡もなしに勝手に終わってるんやで!どういうこと!同じフロアなんやからみんなで最後までやるべきやわ!」といかにもマザーズらしい理由で怒り爆発させている。そして私に、「○○ちゃん、これ食べ!」とドンクのミニクロワッサンを突きつけ(行きに買ってきたらしい)自分達も口をもぐもぐさせながら「ごめんな、もう帰りや」と謝るチーフに「でも、まだ明日の用意できてへんのに、朝来た人が迷惑するでしょう!」とまたまたいかにもマザーズらしく明日のフロアの準備をしに制服のまんま階段を駆け上がっていってしまったのだった。 その夜、「せっかく待っててくれたのに、ごめんね」と次々メールが届いて、私は「この人達には一生かなわない」と改めて思ったのだった。
March 18, 2006
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30代でバツイチで子持ち。ハタチの息子のカノジョがこんなプロフィールだったら、お母様はどんなことを思うんでしょうね。 今日、NHKをつけっぱなしにしていたら、「トップランナー」でリリー・フランキーが出ていて、母親について話していました。 「母親が好きだということを、男は恥ずかしいと思う時期が来るのだが、大切なものを大切だということがなぜ恥ずかしいことなのか。今となっては後悔している」 聞いててなんだか涙が出ました。 その後、「あの人に会いたい」で、池田満寿夫をやっていました。 『あなたはたくさんの絵を描いて、いろんな賞をもらって、アメリカにまで行ってしまったけど、母さんはただ、あなたにそばにいてほしかった。母さんにはあなたの絵は全然分からないけど、母さんは野菊が好きだから、一面に咲いた野菊の絵を描いてくれないか』 その絵を描く前に、お母さまは亡くなられたそうです。またこぼれる涙。 母親って、切ない生き物だなあって思うのです。 何度か我が家に泊まっている彼ですが、お母さんは心配せえへん?と聞くと、大丈夫じゃない?というので、そんなもんなんかなあと思いながら気にはなっていました。 なんと、私のプロフィールをお母さんにあっさり公開しているようで私はぶっ飛びました。その上で、「今日は泊めてもらう」と言って出てくるようです。 まぢで…?と思いましたよ、聞いた時。 ところがなんと、彼の弟のカノジョも、未婚の母なのだそうです(笑)彼のウチでは、そんなに珍しいことでもない…のかなと。 でもでもやっぱり、母は母だったのです。ウチに泊まった翌日帰宅してみたら、ご両親が、彼の外泊について話していたそうで。 お父さんが「もうハタチなんだから」とお母さんをたしなめていたとのことです。それで話は終わり、彼が直接責めを受けることはなかったそうですが。 ほらほらあ、だから言ったのに~~!と言っても時すでに遅し…「今日はウチの夕食作る」と彼自身、点数かせぎに乗り出していましたが(笑)。 大人しくてずっとウチにいた長男が、突然たびたびウチを空けるようになって、お母さんもびっくりこいてしまったんだと思います。そらそーなんだろうな。 私はハタチと言えば、親と離れていましたから、分からないんですね、そういうのが。大人になってから親と一緒に住むというのが。 私は彼に「お母さんと私、二人崖っぷちにぶら下がってたら、お母さんを助けるんやで」と言いました。「カノジョは替えがきくけど、お母さんは一人なんだからさ」と。彼は笑っていました。 息子と彼、二人がぶら下がってたら、私は息子を助けます。そうやってお母さんも彼を育ててきたはずなんで。 もちろん、感情は別なんですけどね、これが私の中のスジなんです。ややこしい生き物です私も(笑)。私の中にはハハモードとカノジョモードがあって、それがたまにせめぎ合うので大変です。 激務の最中で、発熱して今日は寝込んでいる彼。彼をわが子のように思っているチーフから仲間みんなにメールが届きました。「無理させすぎたかなと反省、当分休むようメールしました。みなさん励ましてあげてくださいな」。当日欠勤したところで、彼だけは世界一悪くないとチーフは思っているんですね(笑)。今頃、彼の携帯に、職場のかーさんねーさんたちからのメールが殺到していることでしょう。 みんなに大事に大事にされている彼を、私も負けないくらい大事にしたいと思っているんですけどね。カノジョって配役は、なかなか難しいものがあります。私だけだろうか。
March 12, 2006
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去年から今年にかけ、17歳、20歳と、なぜか異様に歳の離れた彼が続いていて感じるのはやっぱり、恋愛は相性だぜ、ということなのです。 17歳の彼は、会っているときもいないときも、いつもいつも不安でした。なぜなら、「オンナほしい~~」と常に叫んでいるけれどその実は、彼にとって「オンナ」の存在というのは、彼の中にたーくさんたくさんある欲、の、ほんの一つでしかないからです。一瞬たりともその場にとどまっていないのです。 世代かな、と思いました。私だって17歳の頃は、ひとつになんて決められなかった。今は違います。大事なものが完全に固まっているから、迷わないし、脇見運転もしない。でも、17歳の男の子に対して、絞れ、なんて言えないでしょう。時代のせいじゃないかとも思います。情報の洪水、スピード重視の世界。若者がそれに巻き込まれている。まったくもって無理はない。 マクド(関西弁ですね)で二人向かい合って座っていて、ポテトを食べながら自分だけ漫画を読み始めたり、英國屋のソファーで靴脱いで片足上げて座ったりするのを見るたびに、不安がますます募るのですが(笑)、「世代だ、世代の違いだ」と。美輪さんも、「年下の彼を持つと常に崖っぷち」と言ってましたし、しょうがないと思っていたのです(今考えると意味が違う…)。 しかし!「世代」ではなく「育ち」だったのである(笑)。私は上記のようなふるまいを許す家庭に育っていないが、彼は違ったわけです。このギャップが不安を産むわけです。 それから彼の繰り出す小さな「嘘」。明らかに外からかけているのに、「今ぁ?ウチ」。これがまた不安を産む。 加えて一緒にいるときの彼の目はあまりにも色々なものを一度に見すぎていて、その中に自分がいるのかすら分からない。続かなかった理由は、こんなところだと思います。 20歳の彼は、一緒にいてほとんどそういった不安を感じることがありません。彼の目の中に自分がいるのを感じるし、彼は目の前にあるものを大事にする人です。まっすぐで、嘘もつけません。澄んだ湧き水みたいな子です。二人の間にはいつもゆったりした空気が流れています。しゃべっているのはほとんど私だけど(笑)、彼といるととても落ち着くのです。引っ込み思案ですがお行儀がよく、素直です。 高校は荒っぽいアホ男子校で、浮いた存在だったらしい。「話しかけんなオーラが出てた」と友人に言われたそうで。部活でバンドをやっていなければ辞めていたかもしれません。 彼を癒してくれるのは「ベース」。一日一度は弾かないとイ~~っとなるそうで。私の存在がちょっとでもベースの代わりになれたら、こんなうれしいことはないのですが。 正反対と言えるくらいの前の彼と今の彼。年齢じゃなかったな、と最近よく思います。
March 5, 2006
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「デスノートって知ってる?」と彼に聞いてみたら、「ハマった」と言った。「どんな話?」「ノートに名前書いたら死ぬの」 …さっぱりわからんと思っていたら、次に会った時にジャンプコミックスをまとめて貸してくれた。 読んでみたら私もハマった。セリフがミステリーの犯罪者と探偵のおっかけっこみたいで、主人公は「青の炎」の櫛森秀一をまざまざと思い起こさせるキャラクターである。秀才で、冷静で、意気地と実行力と、高校生らしい理想を併せ持つ。しかし、人の命の重みをリアルに感じることができないため、デスノートを使って軽々と他人の命を奪う。非常に「今っぽい」主人公なのである。 大量殺人を犯しているのだから、大悪人なのだが、その若さ、孤独さ、一途さに抗いがたい魅力があり、「この子はいったいどうなっていくんだろう」とハラハラさせられる。常にくっついている死神のアホっぽさもチャーミング。ファンの多いのもうなづける。 さらに途中から出てきたミサという女の子。この子が出てきたあたりから物語がハチャメチャになってくる。この子の暖かさ、危なっかしさ、肝っ玉の強さがまたまた主人公と異質な輝きを放っている。 さてさて原作にファンの多いこの作品を実写映像化するにあたり、我らが藤原竜也が主人公に抜擢されたが、気になる一点はイメージを壊すことなく魅力的な主人公を演じきれるかということのみである。 結果。余裕、余裕です。竜也君なら原作を超えるライトを演じてくれると思いますよ。竜也版「夜神月」わくわくしながら待ってます。
February 18, 2006
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私は30代のシングルマザーである。そして今回、やっと成人式のすんだところの彼と付き合うことになった。 なんでわざわざ改めて書くかというと、私はこのことを忘れたことがないからである。 彼に対して何かしてもらおう、と思っていると、相手は逃げていく。年齢は関係ないかもしれないけれど、相手が10歳以上年下ともなると、そのことが顕著に現れる気がする。 私は彼がかわいくて仕方が無い。気になって仕方が無いというだけである。 私がそばにいることで、彼が癒されたらいいな、彼の役に立てたらいいなと、いつもそう思って接してきたし、それは彼氏と彼女の関係になろうが変わらない。 そして、自分より彼にふさわしいと思える女の子が現れれば、瞬殺で身を引く。これは私の中でのルールである。 なぜなら、最終的には私は息子を優先しなくてはならないからである。 どうしたって彼氏が後回しになる場合が出てくる。時間的にも、制約が多い。「それでもそばにいたいから」と言ってくれる彼に、それ以上求めることなんてあるわけが無い。求めてはならないと思う。 普段甘えたりわがままを言ったりするが、それは持ちつ持たれつというやつで、甘やかな関係が好きだからである。甘えて欲しいから自分から一線を破るわけである。でも、ルールは守る。 片思いしていた彼に今回失恋する形になった既婚者である友人は、昨夜遅く、彼に電話してきた。酔っていたらしい。 20歳の男相手に2時間も「あんなことがあったね、こんなことがあったね」と語り続け、「おかまバーで憂さ晴らしして新しい男を見つけるぞ」と叫んだらしい。繰り返すが3歳の息子を持つ主婦である。 後からそれを聞かされ正直呆気にとられた。もちろん私はこんなこと言える立場にない。だからここに書いているのだが…。 彼は明らかにグッタリしていた。疲れていた。当たり前である。30代半ばにもなる子持ちの主婦に、電話越しに好きだ好きだと二時間も酒臭い息を吹きかけられたのである。 私が彼の立場だったら恐怖である。ホラーである。すでに地の果てまで彼が退いているのがハッキリと伝わってきた。 彼は今後も友達として、彼女を大切にしようと思っていたはずなのだ。しかし彼女は永遠にその機会を失った。 失恋のつらさは知っているつもりである。だが今回の彼女のやり方は、うまくないと思った。恋愛は自由だと言ったって、その年齢の、その立場の、やり方というものがある。結婚してたって、誰かに恋することはある。相手が一回り以上離れていることだってある。それはどうしようもないことである。だが、礼節やたしなみだけは、守ってほしい。それが結局、自分を嫌いにならずにすむ方法だと思うからである。 思ってもみなかった彼女の行動に、似たものである私と彼は呆然と顔を見合わせている。普段かなりさっぱりした性格に見えるからなおさら衝撃であった。岸辺に飛び出してしまってパクパクしている魚みたいになっている彼をよしよしと再び海に戻してやらなくてはならない。からからになってはかわいそうである…。
February 11, 2006
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付き合うことにしました。そして友人を失いました。 もう終わりにしようと思っていたのです。友人の片思いの相手だし、前の彼と距離の近い子なので、とてもしんどい。まだ引き返せると思っていたのです。 でもインフルエンザで寝込んでみたら、彼のことばかりが頭をよぎる。ああ、もう逃げられないところまで来た、と思いました。 これだけ好きなら、友人にも言えると思ったのです。 電話して、彼に、前の彼のことを話したら、「関係ない」と言ってくれました。 問題は友人のことのみとなりました。 早くするべきだと思ったので、その日に電話しました。短い告白。彼女の動揺が伝わってきました。 夜、もう一度電話しました。その時は長く話してくれました。 その直後、インフルエンザが再発して寝込みました。友人は自分から電話やメールをくれてました。後でドキドキしながら自分からかけました。すると、先日の電話の声とはうって変わったよそよそしさ。人が変わったように。 大きな痛みほど、時間が経つほどに増してくることを私は知っています。普通に話せなくなってきている彼女の声を聞いて、改めて傷の深さを思い知りました。電話はたった数秒。切ってからこぼれる涙。二度と以前には戻れない。分かっていたことなのに、やっぱり苦しい。 向こうを向いてしまった友人の背中に向け、今は言い続けるしかない。ほんとにごめんね、と。
February 10, 2006
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親子で寝込むのも、この冬何度目かというところである。あぁしんどい…。働けないのでまた貧乏である。 私は生理も重なって風邪なのか何なのか判らん状態で、しかし鼻喉にキている。 息子は病院で「感冒性の風邪と便秘です」と言われ安心したのだが、一日一度は八度台に上がるため平常復帰ができない状態である。 「最初風邪って言われたけど、再診したらインフルエンザだったってこともあるんよ」と電話で園長先生に言われた。八度台でインフルエンザってあるんでしょうか?インフルエンザって上がりっぱなしじゃないんでしょうか?
February 4, 2006
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友達の好きな人を好きになってしまった。 「どうせ遊びだろ」と思われがちだが、本人いたって真剣なのが哀しい。 人よりもすごくペースが速いので、遊びに見えるようである。が、こんなに忙しいのに、しかもこの歳になって恋愛ごっこを楽しむ余裕なんてあるわけがない。いつだって交通事故のように向こうからやってくる。準備ができているはずもないので、毎回パニックである。しかも、なぜか常にニュータイプの悩みがついてくる。 友達と好きな人がかぶるなんて、高校生以来である。ひとごとでしかなかった。人のものやメジャーなものはあんまり良く見えないたちだからである。私だけが彼の良さを知ってるのよ~みたいなのの方が好みなのである。 しかも相手は20歳…(大爆笑ポイントではない。)あんたこないだ10代にこっぴどくやられたくせに、学習能力つうもんはないのか!というお叱りの声が今まさに聞こえた気がする。 書いてて情けなくなってきた。つくづく自分が情けなくなってきた。 しかもすでに「愛してるよぉ」とハートの絵文字付きでメールし合っている関係なのであった。 そろそろ友達について書かねばならない。友達は子持ちだ。私のようにノウテンキに「愛してるよぉ」と言えないのは、私と違って夫がいるからである。 そう、周囲の人間は言う。「いいじゃん、結婚してんだから」と。何を遠慮する必要があるのだ、と。「文句言うなら離婚してみろって」とまで妹は言った。彼自身も「見られてもいい」とあっさり言う。 でもでも~~すでに親友の域に達している彼女を失うのが嫌で嫌で、私は彼との関係をいまいち進展させられずに、しかし会うことも止められずに、さらに彼女に激白することもできずに、息のつまりそうな日々を過ごしていた。 「見守っててね」「手出さないでね」とさんざん言われてきたのにこのざま。私がこの状況を打ち明けたらどんなことになるだろう。恐ろしくて想像すらできない。 悩みまくっているのでスピリチュアル関連に手が伸びる。今日めくったのは「スピリチュアル・セルフ・カウンセリング」だった。 「鼻のトラブルは、心がいじけているときに起こりやすくなります。心が後ろ向きになったり、ひがんでいたりするときに、鼻炎という症状になる場合があるのです」 今日から思い切り鼻をつまらせている私は、この箇所を読んで、はっとした。 私は、彼女を言い訳にしていたと思った。あることに気づいた。 私は、夏に17歳の子と一緒にいたことを彼に打ち明けたくなくて逃げていたのだ、ということに。 17歳の子のことを知ったら、彼はかなり揺れるだろう。よく知っている間柄だし、今もよく職場で会う。年齢差からただでさえ不安定な二人の関係が、それをきっかけに壊れるのが怖いのだ。 そのことについて周りは、言うべきだ、言わなくていい、と割れる。私にはどちらも正論に聞こえる。しかし、言わずに付き合うのは、フェアではない、ような気がしてしまう。 17歳の子とはもちろん完全に終わっているし、友達にすら戻れなかった。二人とも器用な方ではないのだ。恥ずべきことはないけれど、やっぱり言いにくい。 周りからバレる可能性もある。ひょっとして彼女が言うかも…と、だんだん気持ちが沈んでいく。 そんなこんなで、「友達を傷つけたくない」という思いとごっちゃになって、どんどん後ろ向きになっていたような気がする。 この年齢差から「自分が愛したいだけだから、愛されなくてもいいや」と悟ったふりまでして、真っ向勝負を避けていたのだと思う。 でも「横歩きばっかしてても、地球を一周してもとに戻ってきちゃうだけよ」と美輪さんは言った。前に踏み出さなくてはならない。どうすれば後悔せずにいられるのか、真剣に考えてみるつもりである。おりしももうすぐバレンタイン。彼にとって初めて使う香水を選ぶことを許してもらった。彼はいつもまっすぐで、落ち着いている。常に私一人が大騒ぎしているのである。そう、人は年齢ではない…分かっているつもりでも、毎回ここがネックだ。
February 2, 2006
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ここ数ヶ月はリトミックに生きるよ、と言いつつ年を越した。来月試験があるからである。ちょっと時間があると、ついつい曲を作って遊んでしまうが、本当はそんなことをしている場合ではないのである。 何でもそうだと思うが、音楽能力も毎日の訓練が必要である。音感、リズム感、音楽に合わせ身体を動かす身体能力、ピアノの演奏、音声学の知識。どれもこれも、少し怠けるとストーンと力が落ちる。クラスメイトでも、練習熱心な人とそうでない人にハッキリ差が現れてきたような気がする。 基礎的な音楽力がまんべんなく身について、なおかつ子供を指導するのに必要な「教え力」、生徒が飽きないようにレッスンを組み立てるだけの構成力が必要不可欠となってくるわけだが、まだまだそこまでは遠い道のりである。まずは自分の基礎固めからである。 リトミック=リズムである。リズム感を身につけるためのメソッドは非常に多彩である。 リズムをその場で聴いて足でステップしたり(リズム聴取とステップ)、手で拍子を刻みながら足でステップし、合図があったら手と足の動きを入れ替えたり(複リズム)、リズムをステップしながらその逆リズムを手で補足したり(補足リズム)、ピアノ演奏のリズムを1小節遅れでステップして追っかけたりする(カノン)。4分の4だけでなく、4分の3、8分の6まで身体に入れなければならない。 ピアノのテクニックは、与えられたメロディーに伴奏づけする技術を試される。伴奏をつけるためには主要三和音、副三和音の基本的なコードを一通り使えるようになっている必要がある。 ソルフェージュはリズム聴取と視唱を試される。ピアノの刻んだリズムを音符で表記することができるか、また、楽譜を見て歌えるかというところを見られる。 もっともピンチなのがティーチングである。実践力を試される。生徒が目の前にいることを仮定して、ピアノで伴奏を入れながら、言葉がけ、合図を入れることができるかを見られる。多少でも音楽を教えている人ならたやすいだろうが、教えた経験の皆無な私には非常にキツいところである。 これだけの練習をしてさらにレポートも3つ提出しなければならない。書いてて冷や汗が出てきた。仕事や家事をこなしながら、来月までにどれだけの準備ができるんだろう?あせる…。しかし、できるだけのことをやる以外に道はない。大丈夫、大丈夫(ゆきんこさん風)。リラックスしないと、集中できない(中田英寿流)。やみくもにやっても、上達しない(イチロー流)。なんとか、なるでしょ(ドラえもん、だったかな…)。
January 6, 2006
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あけましておめでとうございます。 一日一日全力少年のわたくしですから、2005だろうが2006だろうが大した違いはございませんけれども、なにせ必死にがんばっていきたいと思います。どうぞよろしくお願いします。 我が家の正月は3日から始まるので、ここ数日は通常運転ですが、保育園は休みなので仕事には行けません。子供がいるとなんだか家事が増えますよねえ。リトミックの合宿と期末準備が…やばいよう…。 大晦日(あっ日ヘンに毎だったのか!)は観てましたよ、ジャニーズ101人のカウントダウン。まさか101人目が森光子だとは思いませんでしたけれども。嵐くんたち!格別にかわいかったですね。 先日、仕事へ行く途中で同じ職場の人と会ったんで、一緒に改札を出ようとぞろぞろ動いていたんですが、ふと目に入ったでっかいポスター。思わずその人に「赤西と亀梨どっちがいいですか?」と聞いたら「山下くん」と言われました。彼女がサッと取り出したのが携帯の山ピー画像。存じ上げませんで…。黒髪もかわいいですね。 タッキー&翼を見るとなんだかいつも「ありがとう」って言ってしまうんですよ。お金を払いたくなる美しさですよ。細木に手足をもがれてしまわないよう祈る思いです。 kinki kidsの二人は震災直後に大阪駅で募金活動しているのを目撃したことがあります。募金箱を抱えて一応「ご協力お願いしまあす」と言ってましたが、ものすごい勢いで交差点を渡っていったので募金もできませんでした。ファンがずら~~っと後ろに続いて歩いていてパレードみたいになってました。二人とも頭がすごくちっちゃかったのを鮮明に覚えています。 番組全体で一番「まあ♪」と思ったのが光一くんが長瀬くんに飛びついたとこですかね。仲がいいんですよね。かわいらしかったです。 動くステージが使われてましたね。潤君腹ばいに横たわってませんでした?下から見たらどんな絵だったんだろう…ムシのウラみたいな…いやいや。 嵐くんのかわいさはコトバにしづらいようなかわいさですわ。いたいけなんですわ。フレッシュなんですわ。清潔なんですわ。100人も出てくると際立ちますよね。
January 1, 2006
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メリークリスマス! 職場はリゾート系ホテルなのでクリスマスといったらもう、超忙しいです。客室セッティングはカップルあるいは家族用に揃えられ、満室!パーティの後片付けがもう、大変…ちょっとは片していってくれ!ゲストはアウト時間がみんな遅く、それに伴い仕事も残業…しかし!うちらだって何かしたい。猛スピードで仕事をあげ、だんごになってカラオケルームへ。 しかし誰も歌いません。ロウソクを立てたケーキを前に乾杯してから、おもむろに取り出したのがジェンガですわ。 テレビでやっているのを観てからいっぺんやってみたいと思ってたんですよ。で、先日、キディランドで買ってきました。 8人中6人が初めて。ジェンガってものすごく時間がかかるゲームらしいですね。しかしみな初めてなので一時間ちょっとで2回倒しました(笑)。 大盛り上がりですわ。ダーツバーに行けばいろんなゲームがあっていくらでも遊べるで、と妹が言っていたので、そのうち行ってみようかなと。 ゲームの楽しさなんて忘れてました。よっしゃ休憩時間にと、もらいもののドラえもんUNOを仕事カバンにすべりこませるわたくしであります。
December 25, 2005
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一、世の中で一番楽しく立派な事は一生涯を貫く仕事を持つという事です一、世の中で一番みじめな事は人間として教養のないことです一、世の中で一番さびしい事はする仕事のない事です一、世の中で一番みにくい事は他人の生活をうらやむ事です一、世の中で一番尊い事は人のために奉仕し決して恩にきせない事です一、世の中で一番美しい事はすべての物に愛情を持つ事です一、世の中で一番悲しい事はうそをつく事です 福澤諭吉の作であるというのは嘘らしいのだが、真理だと思う。これを一言で言うと、「不遜になるな」ということだね、と会長は言った。(リトミックのレッスン中だったんです) 「不遜」とは「自分を偉い人間だと思って、他人を見下した態度をとるさま」をいうらしい。上からものを言うことである。 周りを見回してみると、「不遜な人」ってのはもれなく不幸である。表面的にはよくされても、嫌われている。死んだら喜ばれそうだな~と思う。頭がめっちゃ堅いから成長も止まっている。 謙虚でいたい。でも卑屈にはなりたくない。自分を愛していれば大丈夫だと思う。 清掃仲間が共同体としてうまくいっている大きな理由が「不遜」な態度をとる人がいない、ということに他ならない。老若男女混じった10人足らずのグループの中で誰か一人が上からモノを言ったらきっと瞬時にバランスが崩れる。 仲間内でも仕事中は切磋琢磨し、一人一人が全体を見ながら自分の役割をきっちり果たしていることでグループとしてのレベルが上がる。もちろん一人一人の能力も確実にレベルアップするし、皆が謙虚だから、それぞれがのびのびと自分を解放することができる。 会長はNHKの「30人31脚」引き合いに出した。二人三脚の30人ヴァージョンである。小5生が横一列に足をくくりつけてダッシュする。感動的なのは、一人での自己ベストが9・0の少年も、速いグループで足をくくりつけて走れば8・5で走りきるというのだ。共同体は個人を変えるのだ。 これはまるっきり自分にあてはまると私は思った。清掃人としての私は本来9・0の少年だ。だが優れた人たちの中でずっと仕事することで、8・5にどんどん近づいてきたような気がするからだ。 本番、そのグループは途中で転んだ。9・0の少年が転んだのではなかった。ひとりがリズムを崩したのを隣の子が一瞬気にして、そこで足がもつれた。端が転んだ場合、もう一端だけが突っ走って斜めにゴールする絵を思い浮かべてしまうが、そのグループはどうしたか。 「全員が転んだ子のところまで戻って、もう一度再スタートしたんだよ!小学5年生でだよ!」 会長は叫んだ。私はとっくに号泣していた。 「仲間を決して見捨てない」。会長は「教育という字は誤訳だと思う。誰かが誰かに教えるなんてそんな傲慢なことはない。お互いに育つんだから。共に育つ、共育、の方が正しいでしょ」 「不遜になるな」。私にとってまさに座右の銘になりそうな気がする。
December 23, 2005
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また失恋しました。今年3度目ですかね。 付き合えないとは前から言われてましたけどね。でもね、でもねえ。じゃあなんでそんなノリノリなんだよ。女を何だと思ってんでしょうね。 理由がぶっとびました。他にもそういう女がいたんですね。つきあってないけど気になる、みたいのが。両方宙ぶらりんなんです。どっちとも正式にお付き合いする気はないけど、仲良くしたいらしいです。 酒が入ると裏面が出るとは聞いていましたが、こんな裏面が出てくるとは。だいたい裏面て何さ。ひとつの軸持って生きてれば表も裏もないでしょうに。 こないだ職場で一緒になったんですが…「あのとき…楽しかった」と言うので「…そうですか…それはよかったですね…いい思い出になって」と言うと「そんなんじゃないのにい~~」と手を握ってきました。知るかよ。 「今まで通り仲良くしてほしい」じゃかあしいわ! 彼の雰囲気が好きです。でも中身がヤダ。好きに生きればいいけれど、嘘は嫌だ、嫌なんだ。嘘だけはつかないでほしい。 現在の自分と「奏」の内容と、なんらかぶるところはないんです。「いつまでもこの歌で君とつながっていく」という歌詞です。でもめっちゃ聴いてます。ピアノのしみじみとした響きとやわらかなヴォーカルになぐさめられるんです。曲はエンディングに近づくにつれ徐々に熱を上げていきます。 「君が僕の前に現れた日から 何もかもが違くみえたんだ 朝も光も涙も、歌う声も 君が輝きをくれたんだ」 こないだ彼の誕生日でした。私はバラの花束を抱えて待ち合わせの喫茶店へ急ぎました。ところがちょっと会わぬ間に喫茶店はつぶれていました。 待ち合わせ場所がなくなって彼を探してウロウロしましたが、疲れて座り込んだところに横から人の気配が。顔を上げると私の好きな瞳がくすくす笑って私をのぞきこんでいました。 クリームイエローと薄いピンクが混じった大ぶりのバラ。背中を丸めて、大きな束を見つめて「すごくうれしい…」と恥ずかしそうに笑いました。 私の好きな彼の「A面」。でも次は、B面も愛せる人と恋をしたいです。
December 4, 2005
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竜也君がネズミをやった映画である。パート2しか観ていないが、ものすごくよくできている。「ライオン・キング」のロブ・ミンコフ監督の手がけた初実写映画の続編で、2002年に公開された。 まずデジタルキャラクターと言われるCGの白ネズミ、スチュアートがすごくよくできている。当時最新のSFX技術とかで、50万本CGで生やしたという白い毛並みは一本一本フワフワとやわらかそうで、滅茶苦茶愛らしい。 スチュアートの動きは声を演じたマイケル・J・フォックスの演技を撮影したものを元に作り出されている。マイケルのあの魅力溢れるコミカルなしぐさがスチュアートにそのまま生かされているわけだ。 次に映像が美しい。その秘密は徹底的に絞った色使いにある。公園の植栽やサッカーグラウンドのグリーン、空の青を美しく背景に、リトル家のインテリアから俳優の衣装、少年サッカーチームのユニフォーム、やじ馬の人々や街を走るタクシーまで、イエローとオレンジで埋め尽くしたことで、現代NYの街を舞台にしながらどこかファンタジックな雰囲気を醸し出している。今回初登場の小鳥、マーガロもイエロー(カナリヤ?)。ここまで色使いが印象的なのは「シザーハンズ」を観て以来である。 さらにリトル家の家族がすばらしい。「ただいま」「おかえり」を言う代わりに「リトル家は最高!」「リトル家に乾杯!」ととんでもない挨拶をする。パパとママはジョージ(長男)、スチュアート(ネズミ)、妹(赤ちゃん)の3兄弟をこよなく愛しており、パパはママをいたわり、ママは常にクラシック映画の女優のように美しく(せめて理想として掲げていたいものだ)、子供達をいつも見守り、きめ細やかにサポートしている。 会話も面白い。スヌーピーのまんがを思い出す。 「すごいストレス…今まで嘘ついたことないんだ」 「だから疑われないのさ」 「助けに行かなくちゃ!試されてるんだ、男か、…ネズミか」 「…それって、引っ掛け問題?」 「どこにいるの?うまくいってる?彼女はいた?大丈夫?ママの質問がすごいんだよ」 「君もだよ」 吹替版なのでスチュアートは藤原竜也、ネコのスノーベルはホンジャマカ恵俊彰、小鳥のマーガロはジブリ作品でおなじみ島本須美。 主人公のスチュアートはマイケル・J・フォックスがそのままネズミになったかのように明朗で健全で、前向きなヒーローである。竜也君の屈託のないのびやかな個性が声を演じる上ではまっている。対するネコのスノーベルはニヒルで小心、愚痴っぽくて流されやすい。恵さんが的確に演じている。 みんながスチュアートはじめリトル家の人々のようだったらそれに越したことはない。しかしこの世を冷静に見渡せば、圧倒的多数であるのはスノーベル的人間であろう。この俗っぽい世間ズレしたネコの存在が「普通でない」家族を描く本作品を地面に近づけているという点で重要な気がする。 字幕版で小鳥マーガロの声を演じているのはメラニー・グリフィスらしい。「ワーキング・ガール」での彼女はやたらめったらかわいかった。日本でテレビ放映した時に彼女の声の吹替えをしていたのが高島雅羅という声優さんなのだが、色気とかわいらしさを兼ね備えていてメラニーのキャラにぴったりだった。その高島さんがこの作品ではリトル夫人(ジーナ・デイビス)の吹替えをやっていてちょっと驚いてしまった私だった。 ジーナ・デイビスで印象深いのは「プリティ・リーグ」だ。全米初の女性によるベースボールチームを描いた作品で、妹に妬まれるほどの美貌と才能の持ち主であるキャッチャー選手を演じていた。優美で落ち着きがありイヤミな感じのない素敵な女優さんなので、高島雅羅さんの声だとこれまた暖かく色っぽく、私の中でジャストミートな配役でうれしかった。
November 23, 2005
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ブログ上では、握手会の話題で盛り上がってらっしゃるようですね!相変わらず体力が必要なイベント・・・それでも嵐くんたちはいい仕事をしておられるようですな~。 かぁわいい~~♪クリスマスを意識したミディアムポップスですね。ビデオ流しながらキーボードでコード弾いて喜んでおります。主音はレで♯はドとファ、コードはDですね。ハッピーな曲を作るときにDはよく似合う気がします。 しょっぱなのサビ「街に愛の歌 流れ始めたら」ではA-D-Gをうろうろと刻む70~80年代くらいのディスコミュージックのようなコードが、Bメロでは「過ぎてく季節を美しいと思えるこの頃」というフレーズが印象的。 風邪こじらせて咳き込みまくりで寝込んでいるんですが、いい加減身体が痛くなって夜中に起き出してビデオ観だしました。真っ赤な衣装でにこにこ踊っている嵐くんたちを観ていると元気が出そうです。 きゃあ~ほんとだ、「秘密」みたい~ニノかわいい!と初めのうち騒いでいたのですが、気がつくと私の目は大野くんに釘付け。・・・このフリの大野くんめっちゃ素敵じゃないっスか?? めちゃめちゃ踊れる人の軽いフリってグッと来るんですよね。わあ、大人の色気を感じる!舞台で鍛え抜かれてまた引き締まったのかな?手足がいっそう長く見えますけど。やあ、いいもの見せてもらっちゃったな~(文章がヤラシい。すいません、病気なんで。) またあのニノの確信犯的なかわいいダンスが見られると思ってなかったので幸せですわ。自分がどう見えるかぜ~んぶ知ってるんですもんね。わかってんだけどかわいい。プロですね。
November 20, 2005
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私がリトミックの講師になるべく養成校へ通いだしてはや半年が経過したのだが、ここへ来て思ってもみなかった成果が出てきた。先にも少し書いたが、曲を作れるようになったことである。 現在、4曲できていて、5曲目を作っている途中である。初めの2曲は余興向けの明るく楽しい曲だったが、3曲目にして超マジなバラードに挑戦した。 自分でキーボードを弾きながら歌ったものをためしに周囲の人に聴かせたら、案外好評で、大いに気を良くした私であった。 中でも一番ハマッてくれたのが、余興でギター伴奏を担当してくれる男の子だった。アマチュアバンドでベースを弾いている青年である。 大阪駅へ向かう電車の中でウォークマンを渡し、その場で聴いてもらった。大阪駅へ着いた頃には彼の目がうるうるしていた(ように見えた。あんまりマジマジと確認できなかったのでハッキリ断言できない)。 1曲めを聴いてもらった時は「いいねえ」と言った。2曲めの時は「名曲誕生」と言った。そして3曲めは一言「ヤバい」とつぶやいた。その反応は一番私の気に入った。 だって、プロやん!と彼は上空を仰いだ。ほんまにい?やった~~!と私が拍手すると彼も拍手してくれた。私は大満足で彼と別れ、帰路に着いた。 「すぐやりたい」と言う彼の意欲がうれしかったので、宴会係の子にMDを渡した。彼女は先の2曲をほめちぎってくれていたので、今度の反応も非常に楽しみだった。 ところが、「これはちょっと・・・」と控えめだけれどどう読んでも否定的なメールが届いて、かなりがっかりしてしまった。 よくよく話を聞いてみると、「あんまり心に刺さるから、もうしまいこんじゃった」などと言う。聴いて無茶苦茶泣いたらしい。「宴会で聴いたら辛くなって帰ると思う」・・・そこまで言われたら、余興でできるわけがない。 私の作った曲がここまで人の心をとらえた、ということに私は驚愕した。私はいつのまにこんなことができるようになっていたのだろう?しかし考えるまでもない。リトミック修行のおかげだ。 リトミックはリズム感を鍛え、音に対する感覚を鋭敏にしてくれる。さらにソルフェージュや楽典が作曲する際非常に役に立つのだ。 音楽を作る、という作業は、レッスンで毎度のようにやっている。リズムを作る、メロディを作る、コード進行を作る、動きを作る…即興の延長で、まずはふふふ~~んと歌う。 頭の中に浮かぶのはメロディとコードである。それをキーボードで弾いてみる。すると、自分の頭で鳴っていた音が鍵盤上ではどの♪か、どのコードなのかが分かる。以前はこのコード(和音)の法則が理解できずに中途半端で終わっていた。しかし今はレッスンで習得した知識がサポートしてくれる。補えない部分も楽典の本をめくれば解決である。 メロディとコード名が分かったら、それを楽譜にしてみる。使っているスケールは♭が3つらしい、てことは変ホ長調になるようだ。すると主和音はE♭だ、じゃあ、サビは1-3-6あたりのコード進行で…といった具合に作曲が進んでいく。すべてはレッスンで教えてもらったことばかりである。リトミックが音楽教育であるということを今更実感して身震いしている。 楽典の役割はあくまでバックアップである。自分が「こんなんがいいな、こーいうの好きだなあ」と思うフレーズ、響きをひとつの曲にまで作り上げるためのツールである。 「ここはちょっとあせってる感じにしたい」「ここは逃げてるふうで」「このへんで空飛んでる感を出したい」というイメージを音にするには、音に対する感覚と、音楽の知識、両方が必要で、それらすべてが網羅されているのがリトミック講師のレッスンなのだった。 作曲にハマッたおかげで、ますます暇が無くなった。ちょっと時間が空いたらキーボードの前に座っている。作曲は楽典習得のためのいいトレーニングになるし、幸い作ったものを発表できる機会もあるので、気合も入る。曲を入れたテープを繰り返しかけていたら、息子が覚えてなんとなく歌っている。友人の子供も歌っているらしい。子守唄代わりにかけて寝かせたりしている。ん?なんか「ぽっかぽか」の麻美みたいだな~。また一人遊びが上手くなっちゃってるよ。まいったなこりゃ。
November 15, 2005
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ええと、一週間たってしまったんですよ、観てから。でも書かなきゃもっと忘れていくんで書きますよ! 奔放、猥雑、開放感。「お祭りってほど悠長じゃねえやッ!」と蜷川幸雄は叫んだが、この舞台はやっぱりお祭り騒ぎ。花も実もある俳優がずらりと顔を揃え、シェイクスピア各作品の主人公、ヒロインに化け次々に登場し、競演という名の取っ組み合いを繰り広げる。 登場人物はシェイクスピア作品の複数の人物の個性が入り混じって出来ていたりする。悲劇もより合わさっているけれど、とにかく笑えるったら笑える。これが井上ひさしかあ。すごい! すべてがごった煮、ごたまぜで、退屈する暇がない。ストーリーと人物はシェイクスピアのごった煮、時代は天保だけどセットはヨーロッパの宮殿みたいな柱(これを最初に解体して運び出し、最後にまた持ってきてくっつけたところがオシャレだった)や彫刻と遊郭の街角が混ざっていたり、宇崎竜童の音楽もハードロックあり、タンゴあり、歌謡曲あり。演出も、えっこれは歌舞伎?もしやディズニー映画?まさしく文楽?ひょっとしてロッキー・ホラー・ショー?いろんなものをごたまぜにしていて、2005年の今、観たい舞台を見せてくれている!この爽快感。 パンフレットによれば井上ひさしの台本は「王子、ふわりと、宙に浮き上がって屋根の上へ」などと書いてあるらしい。これを蜷川幸雄のフィルターを通して具現化する際に、役者達の個性がまるでアテガキされたかのようにぴったりはまっていて心地よい。唐沢寿明のこせこせした感じ、藤原竜也のはっちゃけぶり、篠原涼子の腹の座ったお姫様ぶり、夏木マリのハイカラな身振り、対する高橋惠子の純和風なしぐさ。白石加代子の妖怪めいた動きにぞっとした。どの役者もほんとにすごいですな~。いちいち書いてられないですよ、めっちゃ長くなるじゃないですか。 でもちょっと書こうっと。藤原竜也がまた爆発していましたね。発光していましたね。ナイスビームでした。あの猥褻な動きの魅力的なことといったら!!バカみたいな顔も腰のフリもしなしなした扇子の使い方も、すべてが魅惑的。踊りは初めて拝見しましたが、まあ、さすが卓越した身体能力を持ち合わせているだけでなくリズム感も素晴らしかった。どの役者さんもそうでしたけどね。自己表現力があるということはリズム感があるということなんでしょう(リトミックはそういう理論でできている学問なんですちなみに)。 あと特筆すべきは高橋洋と毬谷友子。ロミオとジュリエット。この二人をもっと観たいと思いました。、なんだか目で芝居を観ているんじゃなく耳で音楽を聴いているみたいな、びりびりっと何か伝導線でつながっているような感じ。ひたむきで、演技への狂気が感じられる。妖気ってんでしょうか。 エロ・グロ・ナンセンスが浮世絵、しかも春画かな、をバックにスパークしたハイパワーな舞台でした。貴族でなく民衆の物語にしたところが何より好きかもしれない。私も彼らと同じだから。清濁併せ呑んで腰据えてイケイケでこれからもやってこうぞ!と自分の身の上を省みて幸せに浸ったりしていました。蜷川・井上、バンザイですね。いっつもこんなこと言ってる気がする。
November 10, 2005
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大人の恋の歌を食したければシャンソンだ!というわけで美輪明宏音楽会「愛」の今回のラインナップは芳醇なフランスの名曲がずらり、心は満腹、幸せである。一曲ずつ感想をメモしたい。 短いモノローグから始まる「人の気も知らないで」。いきなり来た「年下の男性との恋」。…うっ。崖っぷちの恋。「歳若い恋人は魅惑的であると同時にそれだけの代償を支払わなければならない」と語り、一人芝居に入る美輪さん。 「…あたしにだって若い頃はあったわ。でも若さって残酷なものねえ。冷酷、傲慢、気まぐれ・・・でも、あたしはその残酷な若さに宝石やお金を貢いで、しがみついて生きているんだわ」 女は惨めなものですよ。若くて美しい容姿、ほれぼれするような身のこなし、威勢のよさ、自分が失いつつあるものを全て持っている相手と一度甘い時間を持ってしまったら最後…思い切るのは大変。ええ。ええ。 ハンガリーの曲がシャンソンとなって欧州で100年前に大ヒットした「暗い日曜日」。暗いんです。むちゃくちゃ。「あんたの顔を見たいから、目を開けたまま自殺しよう」という歌ですから。この曲のせいで、当時自殺者が急増したそうです。 初めて聴いた時「なんでこんな歌があるんだ」と思ったんですが、今回美輪さんの説明で分かりました。当時の流行はピアズレーなどの「退廃」。タナトスの魅力ですね。そういやクリムトの絵にぴったり。 「恋人たちは何処に」。若い頃美しかった老娼婦の歌。美貌を手にした女ほど年老いていくことの苦しみは大きい。トークで正負の法則について語る美輪さん。「絶世の美女と呼ばれて幸せな死に方をした人はいない」。 今回、モノローグではCDどおりのセリフだったけれどもその響きが少し違って聴こえました。「今夜も売れそうにないわ…また一人か…」CDでは女の苦悩がひたひたと迫ってきますが、今回はあきらめと開き直り、老女のしぶとさを感じました。同じ歌でも、どんどん解釈を変えていきます。 暗い曲ばかりでは死にたくなるのでここいらへんで明るい曲を1曲。「ラストダンスは私と」。老娼婦が瞬時に妖艶な美女へと変化、驚愕です。女王のような自信と余裕、気品に満ちた軽やかなステップ(な、70歳!70歳!)。シビレます。細胞ピチピチ言ってます。 再び若い男に捨てられる女の歌…「人生は過ぎ行く」。恐ろしい速さで流れていく時間。たちまちのうちにやってくる老い。女はただ巻き込まれのたうつだけです。 恋人を引き止めたくて最後には「行かないで、行かないで、行かないで…窓から飛び降りるわ!!」床に転がった女の死に顔はまさに、クリムトの絵画そのもの。凍りつきました。 むくっと立ち上がり「死んでしまいました…」と美輪さんに戻り、お次はユーモアたっぷり、「マダム カチカチ」という女子プロレスラーの歌。約100年前にフランスにはすでに女子プロレスがあったんだそうですよ。全集には入っていない歌です。 森久美子さんとか、和田アキ子さんを思い出して聴いてください、と、通俗的な女性の魅力に恵まれなかったけれども、豪快でくよくよせず、いつでも明るく明るく生きるのさっ、とおなかを突き出して歩き回る美輪さん。 ロシアの香り豊かな「恋のロシアンキャフェ」。日本にはいまだ出現していないという、ゴージャスなナイトクラブ、ロシアンキャフェ。亡命したロシアの貴族が欧州で開いたのが始まりだとか。室内は絢爛豪華に飾られ、公爵や衛兵はコート係や楽団に変身し、美酒、ロシアンダンスで客を酔わせるそうな。 美輪さんがブイブイいわせていた頃のお話。うんとドレスアップした美輪さんがフランス人の青年に連れられて行ったロシアンキャフェでの失敗談。美輪さんは給仕にチップを渡したそうですが、そこで青年がむくれました。「君は僕に恥をかかせた」「どうして?」「チップは男が渡すものだ。女性が直接渡すのは男にとって恥ずべきことだ」 「あたくしは自分が女だと思っていなかったんですね」と美輪さんはしれっとおっしゃいました。場内爆笑。 さらには、音楽が始まると酔っ払った美輪さんはロシアンダンスを踊りまわり、場内は大盛り上がり、気がつくと美輪さんのテーブルには山とワインやシャンパンが届けられたということでありんす。 むせぶ恋のヴィオロン、バラライカ…薔薇と宝石と絹と恋の思い出…じょじょにテンポアップすると同時に美輪さんも腕を高く差し上げ踊ります。豊かなリズム、ふりまく色香、イヤでもヒートアップする聴衆。 第一部ラスト、待ってましたわ「ミロール」。きゃあ~きゃあ~!はなっから盛り上がってましたわたくし。大好きなんです。老娼婦の片思いの歌です。「変奏・愛の讃歌」という感じがいたします。 港町に立つ老娼婦のところにふらりと寄ったのは娼婦仲間でも常に話題にのぼる素敵な青年。娼婦達など道端のゴミとしか思っていないような高嶺の花。かわいい上流のお嬢さんと縁がまとまり船で旅立ったが、何かトラブルがあって一人帰ってきたのは有名な話。「その後どうなさったの?」しょぼくれる青年をなんとか励まそうと、老娼婦は一生懸命になります。 「女なんていくらでもいるわよ…たとえば…あたしなんかどう?」自分を省みた瞬間、老いた自分に卑屈になり背中を向けようとしますが、はたして青年はうなだれたまま。何より青年に元気を出してもらいたくて、老娼婦はわが身の恋など振り捨てて、青年をなだめたりあやしたり。 「歌って踊ってみんな忘れて…そうそう、その調子。踊って踊って!ブラボー、ミロール(お兄さん)!アンコール、ミロール!ラララ……」元気を取り戻した青年を見てそっと老娼婦は涙ぐみ、彼を抱きしめます。 「自分を愛してくれなくとも、愛する人が健康で幸せに暮らしてさえくれれば、他になんにもいらないじゃないの?」というピアフの偉大なるメッセージが入った歌です。無償の愛。遠い憧れ。こんな女性にわたくしもなりたいんです(絶叫)!! 第一部終了。手が痛くなっちゃいましたので続きは次回に。
October 23, 2005
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まるでハロー!プロジェクトのように職場のスタッフがシャッフルされてしまって10日近く経つが、各チームで問題が多発しており、落ち着くまでにはまだまだ時間がかかりそうである。 人間にも肉食系と草食系がいるらしく、草食系ばかり集まっていたわがチームの仲間たちは肉食系にひたすら食われっぱなしでなんとも痛ましい。肉食同士の激しい噛み付き合いもある。そのうち死体が並ぶことだろう。 現在私のいるチームにT-REXはどうやらいないようだがブロンドザウルスばっかり、つまりスピード不足なので、その分自分の仕事が増える。食べる量はどんどん減っていて胃が小さくなっているようで、やせていく一方である。妹に「お姉ちゃん、目玉(ばっかり目立つ)やん」と言われた。 これまでのチームは集団として非常にレベルが高かった。怠ける人がいなかったし、それぞれのよいところを生かして協力しあうので仕事もしやすく、帰りはみんなで毎日お茶。とても仲がよかったので、バラバラにされてしまったショックは大きかった。そこで、少しでも励ましあおうということで初めて宴会が催された。 宴会までの一週間、ふと一曲歌おうと思い立ち、即行チーム内にいるバンドマンにギターを持ってくるよう命令した。 ついでにオリジナル曲を一曲もらって歌詞だけ変えて宴会で歌おうと思ったら、コード進行だけ持って行くからメロディは自分で考えろと言われた。 もらったテープにはギターで1曲、ベースで2曲の計3曲分のコードが入っていた。彼はベーシストなので、ギターでコードを起こすのがめんどくさかったらしい。仕方なくひたすらベースだけが鳴り響くテープを聴きながら、キーボードでコードを起こし、中から1曲選んで、次はメロディである。 歌詞はチーム全員の名前を入れて笑いをちりばめ、チームの絆をテーマに励ましになるような明るいものにしてみた。みんなへの溢れる愛を羅列すればよかったのでするすると10分くらいで書いた。 それをコード進行を元にメロディに乗っけなければならない。子供の頃から幾度と無く試み挫折してきたことだったので、リトミックの即興ノリで案外スムーズにできてしまったのには驚いた。気心しれた仲間内で披露するという気安さもあったのだろう。生まれて初めて作ったオリジナル曲は、仕事と学校と育児の合間を縫っても2日で完成した。翌日ギター係の彼に渡し、翌々日、宴会当日に30分早く会場入り。3回合わせて本番である。 宴もたけなわになりアルコールもちゃんぽん状態でふわふわしていたら「そろそろ行ってもらいましょう!!」と突然回ってきた。ギター係の彼はメロンソーダしか飲んでいないのでちょっと緊張していた。ローソンでコピーしてきたばっかりの歌詞を一人一人に配っていざ、余興開始。 どよめきと笑い、そして涙、涙。感謝のお言葉をたくさんいただいて、即席ユニットは大感激である。「覚えたいから録音して!」という声にお応えするため、今週中にもテープ収録予定。幹事はすでに第二回宴会の場所を探している。仕事はキツイしいやな奴もいっぱいいるけど、みんなで心をつないで毎日乗り越えていけたらいい。たどたどしいこの曲が少しでも役に立つならとても幸せだ。
October 18, 2005
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私と仲良くなるとみな体がおかしくなるのか?と思ってしまったりする。彼が体調不良で仕事を休みがちである。これまたストレス。一昨日出てきたが、やる気がまったく出ないらしい。 心配である。ほっとけない。まったくもってほっとけない。飛んでって力になりたいが私も不自由な身でそうもいかない。歯がゆくて仕方ない。あ~~。 美輪さんも言っていたが、暇だとやる気がなくなる。恵まれるのはよくないのだ。専業主婦時代よりシングルマザーになってからの方が実際幸せである。 だいたいが「自分のことが好きじゃない」なんていう人である。私に言わせればそういう人はご両親の育て方が悪いのだ。両親にしっかり愛されていると常に感じて育っていれば、自分のことは好きでいられるような気がする。 自分を好きでない人は、他人を好きになれない。これまた真理だ。自分を許せないのだから、人だって許せるはずがない。だから私が本当の意味で彼に愛されることはないのかもしれない。それでも私は彼をほっておけない。 人生に対してやる気が出ない人って、どうやったら力になれるんでしょうね。私はまったくわかりません。彼のどこが好きなのかって?あのうるうるした目ですね。ええ。病気ですわ。
October 16, 2005
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大阪厚生年金会館芸術ホール。シアターBRAVA!に行きかけました(笑)。危ない危ない。一緒に観た彼女はJr.時代からの嵐通ですが、「一番とらえどころのない子だよね」と言ってました。なるほどね。。 やぎ座のAB型で、千葉県にある中華料理屋さんの長男、弟ひとり。食べ物は質より量(笑)、花粉症(笑)。好きな作家は村上龍。スタイル抜群でJr.時代から人気があり、嵐としてデビュー。 芝居については3年前に「演じている時は野性ですよ。自分の性格とか全て忘れるもん」と面白いことを言っています。面白いんですよね、何かと。 相葉ちゃんの発言ですごく印象に残っているのが、 「女のコはね、とにかく何でも言わせたがりすぎ!コトバひとつ足りないのがなんだっていうんだよ。大変ですよ、男は。でもその大変なのがまたいいと。あー、この話をどう終わらせたらいいんだろう、わからなくなってきました」 素直だし、深いと思うんですよ。男ってこんなふうに思ってんだろうなあって。女ってめんどくさいけど、それがまたよかったりする、みたいな。男には獣性があるそうですからねえ。女にはよくわかりませんが。女は言葉が欲しいんですよね、とにかく(笑)。で、どう終わらせたらいいんだろう、わからなくなってきました、みたいなこと言うのがこれまた相葉ちゃんのかわいらしさが出ている気がして。 「できない」「わからない」「おくれちゃった」自分のマイナス部分をスッと受け入れるところが相葉ちゃんの魅力ですよね。自分を愛していて、自己肯定がしっかりできているから、足りない自分を怖がらない。キング・オブ・アイドル相葉ちゃんがみんなに愛される秘密はそのへんにある気がします。 宇野千代さんなんですけど、私がすごく好きな言葉があって「鳥が空を飛ぶように、虫が地を這うように、私は生きてきた」 相葉雅紀ってそんな感じしませんか?ひたむきで、純粋な生き物。 今回の舞台にもそんな相葉ちゃんの魅力が生きていました。脚本の土田さんの望んだとおり、主人公高島と相葉ちゃんの個性がダブっていて、はまっていました。蜷川幸雄や美輪明宏を見慣れた目から見ると、実際、地味な芝居ですが、役者の魅力で大きく作品がふくらむことがあるんだなあって。 この芝居は、役者が大事ですよ。ものすごく大事です。だって、セットは動かない、音響は少ない、歌わない、踊らない、そしてストーリーを語らない。どちらかと言えば、通好みの芝居です。こういうのを「会話劇」というらしいです。ストーリーは役者とは関係ないところで進んでいきます。役者たちはストーリーを動かせず、ただうねりに巻き込まれていくだけです。どうすることもできない。そこがこの物語の恐ろしいところです。私達も、そんなふうにして生きていますから。いつだって、何も知らされてはいませんから。 「エデンの東」では、主人公は救われたので、そこにカタルシスがありました。「理由なき反抗」とこの「燕のいる駅」に救いはないので、気持ちは重いまま、宿題を残されたような感じです。 相葉ちゃん演じる駅員さんと、大西麻恵さん演じる売店の女の子の明るいふんわりした存在感、そして役者達の会話の面白さが、この芝居の救いになっています。 私達は、知らなくてはならないし、動かなくてはならないはず。この世界の動向と無関係ではいられない。自分の周辺にばかりとらわれて忘れていたことを思い出させてくれました。 で、やっぱり相葉雅紀はすごい、と思いました。
October 9, 2005
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職場での突然の異動劇。チームはバラバラになり、親しかった仲間はちりぢりになって新しいチームへ行った。この夏一緒に過ごした少年とも、離れた。 「ああ、すべては突然、昨日になってしまった」 会っている時もいない時も、不安で不安でおかしくなりそうだったのはついこの間のこと。 「わからない、なぜ彼女がいってしまったのか どうしても話してくれなかった なにかいけないことをしてしまったのか 今はただ昨日が恋しい」 彼のそばを離れてからの息苦しい時間から解放されることを、私は拒絶している。が、今更どうにもならない。 「昨日、愛はとっても簡単に遊べるゲームだった 今の僕は隠れ場所を探している ああ僕は昨日を信じたい」 つらくても、私は満たされていたのだ。ゲームは私の手の中にあったのだ。今は違う。あの恋は私の手をすりぬけて逃げていった。そして痛みが残った。 「ああすべては突然、昨日になってしまった」 もう、二度と戻ってこない。
October 7, 2005
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結局、少年に補足説明した。せずにはいられなかった。 その日は二人組んで仕事をしていて、どうしても何度か仕事中に手などが触れ合う。その瞬間だけ二人でいた感触が身体を走った。でもお互いの肌は冷たく、何も語っていなかった。 お互い、気持ちの奥底で通じ合っているという安心感を手に入れることができないままで、あえてお互いを見つめることを放棄し、顔をそむけ、違う速度で歩いていく。間違ったとは思っていないが時間がまだ足りない。 それでも言葉を交わす声の柔らかさが、氷のように固まっていた心をゆっくり溶かしていった。うずく痛みもそのうち和らいでいくことだろう。 お互い前に進んでいけたらいい。それだけ。
September 30, 2005
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マリ姐さんのサイトを今日久しぶりに見たらリニューアルしていて、出演作品の動画が少し観られるようになっていた。 中でも面白かったのは7年続いている舞台「印象派」の動画だった。まだ観たことがないので、少しでも雰囲気を感じることができてうれしい。理屈でなく感覚で、身体で観てみたい舞台だ。動画を観て浮かんでくる言葉といえば「ぞわぞわ~」「ふわ~ん」「ぽっかり」「どきどき」みたいなことである。何かを呼び覚ましてくれそうな作品だ。一度体験してみたい。 日曜の昼間にボーっとマリ姐さんのサイトなど見ると、自分とマリ姐さんのテンションの差に愕然としたりする。とにかくこの人のテンションの高さを感じてみてほしい。マリさんは自分を「アスリート」と言う。自分を追い込んで精神、肉体の鍛錬を積み上げ、幅広い教養を芳醇な遊び心でもって纏い、人とのコミュニケーションを大切にして自分を活性化させる。顔も身体もピンと張っていて、ダブつきが全くない。マリさんの生き様が容姿にあらわれている気がする。 決して器用な人ではない、と思う。俳優業も、「向いていない」と言う。しかし「向いていない」俳優業で確実に結果を残してきた。 「近代能楽集」の「弱法師」で初めて生でマリさんの演技を観た。身体を大きく動かすことのない「静」の演技を、表現巧みな声で精緻にやってみせていた。「天保十二年のシェイクスピア」のマリ姐さんを観るのが楽しみだ。 公式サイトから、マリさんがインタビュー出演したテレビ「スマイル」のサイトにとんでみた。「瞬間の綺麗でなく、永遠の美しいを求める」というマリさんの言葉に吸い寄せられた。 「若くて綺麗、お顔が綺麗、声が綺麗、ではこの仕事はごまかせない。綺麗には終末があっても美しいには終末がないかもしれない。そういうイメージで死ねたらいい」 美輪さんと同じことを言ってるな、と思った。「綺麗だ、と、ちやほやされるのは若いうちだけ。歳をとった時に何を持っているか、が大切。」すなわち、愛と美、なんだと思う。 マリさんがいつも輝いているのは、恵まれた容姿に甘えることなく、ピュアなエネルギーで常に自分を高めようとしているからだ。自分にとても厳しくもあるが、大事にすることも上手である。 エッセイ「カッコイイ女!」で身体や心のケアについて語っている。マリさんのつくるジュースを生活に取り入れてみたら、すごくお通じがよろしいんです(笑)。彼女に学びたいと思ったら、まずはそのへんから行くのもひとつかなと。スマイル→「夏木マリ×白い飯」
September 25, 2005
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またまた楓さんからいただいたバトンで~す。問1:好きなアーティストは? 嵐(勝手に元気が出てくる。私の希望。) スキマスイッチ(黒みがかった繊細なポップス。) グレン・ミラー(骨太で大らか。人生のときめき。) フジコ・ヘミング(心の襞が潤う透明な音色。) 問2:リスペクトするアーティストは? 美輪明宏(極上の愛と美。究極の癒し系。)問3:好きなパートは? やるならヴォーカル。聴くだけならドラムも。問4:一緒にプリクラとりたいアーティストは? 美輪さんとプリクラとりたい。。問5:次にバトン渡す5人は? 前のバトンもまだ渡してないな~。受け取るけど廻してないわね、そういえば。。
September 24, 2005
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少年と別れたのは彼の中で急激に終わりが来たのを感じたからだ。彼からは言わないだろう、と彼を知るある人から聞いたので、私から別れを告げた。たとえ自分が相手のことを好きでも、自分に気持ちの向いていない人と無理やりつきあうほど私は自虐的な女ではない。相手がそうしたいなら、そうするしかないと思ったから、言ったのだ。 しかしその後の少年の態度はなんだか刃のこぼれたナイフのようにぎざぎざしており、私は彼の言動に毎日傷つくばかりである。これ見よがしに他の女性になついていたり、少年と歳の近い女の子を「俺かわいいと思うけどなあ」とわざわざ大きな声で言ったりする。どうして私の神経を逆撫でするようなことばかりするのか。 このことを話すと、友人は、「自分のしたことは見えてなくて、されたことしか見えていないんやわ。別れようって言われたことで、自分のプライドが傷ついたんちゃう?」と言った。 別れよう、と決めた私は夜中に「別れましょう」とメールを送った。翌日返事は来なかった。そこで、その翌日仕事に向かう電車の中で心臓が早鐘のように打つのを感じながら出勤し、少年と二人になったのを機に「ちゃんとバイバイって言って」と言った。彼は妙に渋ったが、私が何度も言ったので「はい、バイバイ」と言った。それで終わった。 そのことで彼のプライドは傷ついたというのか?バイバイと言わされたということしか彼の頭にはないというのか。 な、なんてバカなんだろう・・・。 私がきちんと教えてあげなかったからいけなかったのだろうか。 「私は君のことが好きだけど、君が私に冷めたんならあきらめようと思って、君から言いにくいだろうと思って、別れてあげたんだよ。だから、うんと年上の女に別れようって言われたからって俺のプライド傷ついた、なんて思うのは、違ってるから」って。 「別れたくない」と泣いてほしかったのだろうか。「ありがとう、幸せになってな」と言ったことが彼を傷つけたというのか。 もういやだ、17なんて・・・。
September 23, 2005
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私のメール着信音はもうずっと「手つなごぉ」です。 メールを通してメールをくれた人と手をつないでる感があるんです。まあお得♪ ミディアムスローで音域もナチュラルトーンで、大好きな一曲です。 さて、3歩進んで4歩下がる恋愛がぼちぼち始まっている最近のわたくしですが、こないだ手をつないだんです。 もともとスキンシッパーのわたくしは、相手がスキンシップ好きであるのを見て取るともうタイヘン。朝いちで抱きつきますから。 しかし、相手がそうでもない人の場合は、肩をぽんと叩くとか、並んで歩く時なんかにそっと背中に手をまわすとか、隙を狙って触ります(笑)。全く受け付けない人もいるので、そこはわきまえます。人それぞれですしね。 同性はなんてことないですが、異性はちょっと空気読まないといけませんね。当たり前だって。 少年との日々も、お互いがスキンシップ好きだったためにどんどんエスカレートしてった結果ああなったということだと思います。よーするに、寂しがり屋なんですよね。きらいな人は絶対触るわけないし、好意は手を通して伝わります。 数日前、仕事中ヘコんでいたわたくしは、彼の姿を見るや否や走ってって飛びついておりました。うんとこさ甘えさせてくれる人で助かります。基本甘えんぼですから。で、ほんの数分ですが彼は手をつないだまま話を聴いてくれました。 いきおいでつないだ手を離す時にはすごく恥ずかしかった。離した後、顔をまともに見られず、また走っていく私・・・(落ち着けよ)。 でも距離が縮まった気がしました。 ♪手つなごぉ 言葉よりつながる瞬間さ 思うように 伝わらぬ時には それだけでいい 私のような口の遅い方は、一度お試しください。
September 19, 2005
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この夏台風のように通り過ぎていった竜巻少年との日々から一転、秋の空の下をぷらぷら散歩しているかのようなスローロマンスがのんびりとやってきた。竜巻の通過した残骸はまだ片付けきっていないのだが、そのうち自然に秋風が彼方へと運んでいってくれるであろう。とにかく失恋の苦痛を一人で耐えることを逃れられただけでバンバンザイである。次のお花畑を早いうちに見つけたモノの勝ちだと寂聴さんも宇野千代さんも言っていたではないか。 少年からすると父親ほどの年齢にあたる彼は、もう彼女を作るつもりはなかったと言っていて、それは、つきあってしまうと、別れが来る、その後全く行き来がなくなるのは寂しい、という理由かららしい。なんとも、誰そ彼、秋の彼という感の漂うフラジャイルな恋愛感だが、離婚のトラウマを抱える私にはその気持ちが分かりすぎるほどよく分かる。そこで、3歩進んで4歩下がる茶飲み友達関係がとりあえずも穏やかに続いているわけである。この先はなりゆきまかせ。なるようになる、かなあ。 たまたま、至近にお互いほど映画観て本読んで音楽聴いて芝居観てる人がいなかった私たちは、似たものであったことを喜び合い、お互いを貴重だと思い、傍から見ればどーでもいいことを喫茶店でぺちゃくちゃとしゃべってほんわかとした気分で帰るのだった。 確かにこれが付き合いだすと、不安が増したり束縛したり、笑ってすませられないことばかり増えてくるかもしれない。しかしお互いの気持ちはすでに確認しあっている以上、このままでいいのかどうかも分からない。逃げているだけ、という気もする。うーん。 深見じゅんの名作「ぽっかぽか」のような夫婦にかつては憧れていた。夫婦がお互い甘えすぎることなく、離れすぎることなく、いたわりあって、春のひだまりのようなやさしい日々を過ごしていくふたり。その中で、主人公の麻美は自分たち夫婦について「お見合い同然で結婚して、今はけちけち恋愛です」とテレながら言ったところが印象的だった。「けちけち恋愛」とはどういうものなのか、当時の私にはよく分からなかったが、このたび、あ、こういうことだったのかな、と思ったりしている。竜巻少年と過ごした日々があるから余計にそれを感じるのかもしれない。 踏み出すにはもちろん勇気がいるけど、踏み出さない勇気もあるのかな、と。走り出しそうな思いをあえて抑えて、一歩ずつ。ゆっくり歩くことで美しい景色をじっくりと眺めることができるし、お互いを見つめる余裕も生まれる。スローラブだなー。こんなのも、悪くないな。いつも瞬間を愛していたいですね。
September 18, 2005
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楓さんからバトンいただきました♪問1:初恋はいつですか? 幼稚園のときすでに好きな男の子がいっぱいいた。問2:今まで付き合った人数は? 4人。ってほんとのこと書いてるし。問3:好きな人とデートしたい場所は? 夜景が好きです。ドライブしたいなあ。問4:好きな人と見たい映画は? 邦画の人間ドラマ系。問5:好きな人に言われて1番うれしかった言葉は? かわいい、かな。問6:好きな人はいますか?その人の好きなところは? いつもいますから。つつまれちゃうところ。問7:こんな人は絶対無理って人は? 大きい声で笑ったら怒る人(前夫)問8:浮気は許せますか?許せるならどこまで許す? 遊びは許せないけど本気なら許す。でも別れるけど。許してない?問9:同棲してみたい? したくありませんよ今更(汗)問10:あなたが愛を感じる行動は? スキンシップ。顔を触られたときがMAX。問11:愛と恋の違いは? 愛は相手のため。恋は自分のため。だそうです。問12:1番長く続いた恋愛は? 結婚て入れていいの?としたら8年か。 一応恋愛関係にはあったと思います。 問13:お付き合いしたい有名人・芸能人は? 嵐の二宮くんに決まってます。問14:一生人を愛せなくなるor人に愛されなくなる? え、どういうこと?いつも愛してんだけど。 楓さんのお答えを見て意味がやっと分かった私(笑) 人を愛せないというのは不幸ですよね。 人に愛されない人がこの世の9割だと美輪さんは言ってたな。問15:このBATONを廻す5人は?? ブログのお友達でまだもらってない方に。
September 16, 2005
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私も妹も自らを「だめんずうぉ~か~」であるとハッキリ認めている。 だめんず、というのは「ダメなメンズ」、そればかり渡り歩く女のことをそう呼ぶらしい。姉妹に共通しているのはのーてんきというか鈍いところで、相手をクールに分析することが下手である。違うところは、私は面食いで妹はそうでもないところである。私は眉目秀麗な男というより犬ころっぽいかわいらしい男に弱い。捨て犬みたいなうるうるした目に一発でやられる。妹の付き合ってきた男たちのタイプは見事にばらんばらんである。が、割りに甲斐性なしあるいは将来の見えない男を好む傾向がある。救いは妹が貧乏なために貢ぐ女になれないところである。 今週の私は色々あって、かの17の少年との潮時を唐突に迎えたことを知ったと同時に40歳なのにこれまた犬ころみたいな目をした人と何やら新たな一章をこちらも唐突におっぱじめそうな予感がある。もうだめだ。ピアノの練習が全く進まない。増えるのは煙草の量ばかり。睡眠不足がたたって腹痛を起こし、本日の清掃ではほとんど役に立っていなかった。おばちゃんたちに心配をかけているのが申し訳ないが、めまぐるしいこの状況を人の良いおばちゃんたちに打ち明けられるわけも無い。幸い、私がバテていても生活に疲れているようにしか見えないので、下痢を装って途中下車し密会・・・私はいったい何をやっているのだろう。わけのわからん経験値ばかり上がっていく。自分自身手に負えない。 正直、不安と心配で破裂してしまったというのが本音である。今後しばらくは10代?ぎえ~~寄るな寄るな!と走って逃げる日々が続くであろう。これからは年上の人とまったり行きたいが現在のところ非常に繊細微妙な状況である。息子よ、君のことを忘れているわけでは決してないのだよ。あなたがいて初めて私が存在しているのだから。ただ、ちょっと今しんどい時期なので手抜きのご飯で勘弁しておくれ。すぐ何とかするからね。ママは強いから、すべっても転んでも即座に立ち上がるからね。だって今回、泣いてないもん・・・慣れって、あるんだね・・・。 SPA!文庫「だめんずうぉ~か~1」の巻末には、著者と瀬戸内寂聴さんとの座談会が収録されていて、これがとてもためになる。ヒモタイプの男ばかり好きになる寂聴さんは、これまでの男全員に貢いで貢いで晴れ晴れとしていらっしゃる。「全員に恨まれてないの、よくしてあるから。それが自慢」と言い放つ美しさ。私も死ぬときに「ばんざーい」と両手を挙げて叫ばれないよう心がけたい。
September 10, 2005
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なかなか本心を語らない彼が、今日初めて少しだけ打ち明けてくれたのを聞いて、自分の17の頃を思い出した。 彼はかれこれ数週間体調を崩していて仕事にもあまり出られない。にも関わらず病院での検査結果は「正常」。どこが正常なのよ、どこが!と叫びたくなるが、どうもストレスから来る心因性のものらしい。 17歳の少年の抱えるストレスなど私には想像しにくくて、なかなか甘えてくれない彼に対し手の打ちようもなく鬱々としていた。 「あの仕事してるとムカツクことってない?」 「ムカツク??」 「自分のとこめっちゃ頑張って早く終わらせてもヘルプに行かされたり、部屋がめっちゃ汚かったりするとムカツクんやんか」 「・・・そうなんや」 「上の人が訳分からん話してくるし、ヘンなことでめっちゃ怒られるし、なんでこんなに頑張ってんのにまだこんなに部屋があるんやろうとか」 「・・・なるほど」 私がもはや怒ることもなくなってしまった細々した瞬間のひとつひとつが彼の感受性を激震させているらしい。それはやっぱり、まだまだエネルギーに満ち満ちているということもあるし、体験がまだ少ないから小さなことにも心が揺さぶられるのだろう。私自身は、6年に及ぶ苦闘の末、「絶対に話の通じない相手がいるのだ」と夫に対し見切りをつけたあの時から、「割り切る」ことを覚えたという気がする。怒れるうちはまだ期待しているのだ。「怒っても仕方ない」という諦め、それはうれしいことではないけれど、生きていくうちに自然と身につけていかざるを得ない。人生やることはたくさんあるし、エネルギーは限られているのだから。 やっぱり17歳って大変だ。社会への出始めの頃だから、激震もしょっちゅうだろう。若いエネルギーは怒りを高温で燃焼させ、本人を焼き尽くすほどの炎となる。少年はその炎のやり場を知らず、身体を蝕み、生活を破綻させるまでに追い詰められていたのだ。 私にできることと言えば、包んでやることくらいだ。私がいることで彼が少しでも安らいでくれるように、両腕をあけてそばにいてあげるしかない。小さな息子のいる私にどこまでできるかわからないが、そういう心積もりだけは自分の中で固めていよう、と思った。私にも17の頃があったんだもの。
September 6, 2005
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うちはベッド派でなく布団派である。今日、時間があいたので、布団カバーとピロケースをハンズに買いにいった。今使っているカバーはハハから回ってきたバーバリーのパイル地のもので、モノはよいのだが、寝室のカーテンとの調和という点ではよろしくなかった。寝室のカーテンはサーモンピンクのモアレ地のストライプで、フリンジつき。そう、美輪的趣味なのである。国でいえばフランスっぽい気がするしクラシカル。バーバリーはもろイギリス的でしかもカジュアル。色も違う。ここにズレが生じていた。 布団カバーもいいものは結構高い。安くてカーテンに合うものとなれば、色を合わせるしかない。そこでピンクの無地を選んだ。問題はピローであった。同じ色を選ぶか、アクセント色を選ぶか。迷った末、モノトーンのゼブラ模様にしてみた。ピンクに少し黒を効かせることにしたのだ。そう、美輪さんがお金が無い時代に暮らしていた六畳一間がこれまたピンクと黒だったのである。 家に帰ってしまった!と頭を抱えた。押入れの戸をはずしてのれんをかけているのだが、これが小花模様で、素朴なアメリカンカントリー調。こののれんの存在を忘れていたのだった。まずい。こののれんはまずい。そこで、使っていないカーテンをかぶせた。これで部屋のトーンはようやく納得いく程度に統一がとれた。普段は寝室など寝るだけなのだが、コーヒーとお菓子を持ち込んでささやかながらくつろいでみた。こんな時間は久しぶりだった。 美輪さんの本を読むようになって以来、部屋もいろいろいじってきた。結婚していたときは、旦那の圧力で思うようにできなかったが、一人になってからは金銭的に思うようにいかなくなった。しかし美輪さんは「お金がなければ手間をかけよ」と斬る。お金がない、というのは単なる言い訳に過ぎないと。そこで工夫をこらしてやってみるのだが、どうにもうまくいかない。何が原因なのかわからないのだが、なんだか変。インテリアに関しては常に不満をくすぶらせていた。 あるとき、重大なことに気がついた。「調和」である。部屋の壁の色、天井の材質、電灯、家具、ファブリック、全てが調和しないことには、美は生まれないのだ、ということに。ギャルっぽいカッコをしているおばさんがなぜ気持ちが悪いか、やたらはしゃいでいる黒木瞳になぜ違和感を覚えるのか、などと同じ理由で、うちの和室に住商オットー(通販)の白い西洋家具は不似合いだ、ということだったのだ。 美輪さんの新刊「おしゃれ大図鑑」は雑誌MOREに連載されているものをまとめたもので、カラー写真や絵をふんだんに使った「おしゃれに生きる」ためのノウハウが満載である。ファッションは中原淳一、インテリアはアールデコ、音楽はジャズやシャンソン、映画は昭和初期、小説は三島、鴎外、乱歩、鏡花。夢二に華宵、内藤ルネ、寺山修司。フジコ・ヘミングとの対談、おすすめの男は福山雅治、オダギリジョー、新庄剛。歌舞伎の世界へいざなった後、ラストにエディット・ピアフの「超一流恋愛」について語ったところで幕を閉じる。 「美」って色々ある。たくさんある「美」の中で、どれを自分の生活に取り入れるかは、最終的には自分で決めなくてはならない。相当なデータと知性が必要である。色々試してみて分かることもあるだろうし、お金も時間もかかるし、少しづつ積み重ねて自分なりの「美」ができあがっていく。 美輪さんのチョイスに共通するものは、常に「純粋なもの」であるところではないか。美輪さんはいつでもピュアなものを愛する。商業主義を嫌う。「新しくったって、くだらないものはくだらない。古くったって、いいものはいい」本物かニセモノか、見分ける五感を持つために、たくさんの美に常に触れていたい。
September 5, 2005
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「リトミックって何?」と聞かれると、正直、返答に困ることが多かった。一応、一言めとして「音楽系の幼児教育」と答えるが、なんかうさんくさい感じがする。楽器ではないし、歌でもないし、ダンスでもない。お遊戯でもない。ね、いかがわしい感じがしてくるでしょう。 もちろん、いかがわしいものを私がこんなに苦労して身に着けようとするわけがなく、欧米では幼児の教育法としてとうの昔に一般化している優れた教育法であることは間違いない。ただ、リトミックを全くご存じないかたに「こんな教育法なんです」と正確に、わかりやすく、手短に解説する自信がもてなかった。色々調べたり聞いたりはしたが、私自身がきちんと理解することができていなかったからだ。 しかし!説明できるようになりましたよ。そういう授業を受けたから(笑)。 「リトミック」とは、「リズム」を語源とした名称ですが、「音楽に合わせて身体を動かすことで人間としての諸能力(集中力、思考力、創造性)を伸ばす」教育法のことです。 その教育法は3つのジャンルから成り立っています。ソルフェージュ、リズム教育、即興演奏です。 ソルフェージュとは、聴音、視唱、楽典のことであり、聴いた音を楽譜にする、楽譜を見て歌う、音楽の決まりごとを学ぶというものです。リトミックソルフェージュは、子供達が楽しくこれらを学べるためのプログラムを作っています。 リズム教育とは、テンポ、強弱、アクセントなど音楽におけるリズムの持つ様々な法則、特性を身体で感じ、表現できるようにするためのプログラムで、フォロー(ついて動く)、即時反応(ピアノの変化に合わせ次々に動きを変える)、カノン(模倣)、プラスティックアニメ(振り付けを考えて動く)といったものがあります。 即興演奏では、リズムやフレーズをその場で作っていくための感性を伸ばし、規則性や技法を学びます。グループを組んで、前の人のフレーズを受けてより展開させていく、曲として成り立つようにまとめる、メロディーと伴奏でお話をする、といったプログラムを指します。歌でもピアノでも作れるようにします。 全てのレッスンは、子供達が楽しく、動きながら、頭でなく身体に音楽を入れていけるように工夫されており、繰り返しレッスンを受けることにより集中すること、考えること、のびのびと自己表現することが容易になります。リトミックを経て器楽、歌唱、ダンスを習った場合、成長率がぐんと違ってくることは必至です。 この教育法を確立したのはジャック・ダルクローズというスイス人で、20世紀初頭に編纂されました。もともとは音楽大学の学生のために作られたプログラムだったのですが、幼少期にこの教育を受けることで優れた成果を得られることが分かり、現在ではレッスン開始の適齢期は3歳とされています。演劇メソッドや幼稚園のお遊戯、老人のための施設などさまざまなところで取り入れられ、生かされている音楽教育です。 私自身がリトミックを始めて内面的に変わったと思う点は、ほめることが好きになったり、型にとらわれずに自分を出せるようになったり、音楽に触れることで情緒が安定したり、個性豊かな友達がたくさんできたり、といったものです。リトミックを通して自己肯定することが容易になるのです。 また、一年先輩の方々や先生方を見ていていつも思うのは、「一皮むけている」。リトミックを体得していくうちに、殻を破って、自分を生き生き表現し、まわりを釣り込んでしまうだけの人間的魅力が身についていくようなのです。 大切なお子様の目が最近、「死んでる」と思われたお母様、「うちの子、多動?」というくらい活発なお子様を持たれたお母様、「やんちゃです」と保育士さんにきっぱり言われたお母様(私)、あるいは「うちの子、天才?」と最近どうしても思ってしまうお母様、すべてのきらきらな子供達に優れた音楽教育、リトミックを謹んでお勧めいたします。どうぞよろしく。
August 30, 2005
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昨日、嫉妬しました。一緒にいる間あまりにも同じ女性の名前が出てくるので、もう、いやでいやでたまらなかったです。 あんまりしんどかったので、もういいや!とかなり昨夜は荒れていて、今朝は非常に攻撃的な気分でいました。まともに視線も合わせない私。そしたら、罰を受けました。 仕事がひと段落して休憩していた時に、彼が体調不良で早退していたことを聞かされました。 仕事中の私のところへちょっと顔を出して、「おつかれ・・・」と声をかけたまま、何も言わずに。 「しんどい」と一言ももらさずに黙って帰っていたことに気づき、頭がくらくらしました。 それからは、ずっと動揺していて、心配でもう、倒れそうでした。後悔で身体がきしみました。 めちゃめちゃおしゃべりなくせに、肝心なときにはいつも黙っている子です。しんどいよ~、と私に言えないほどしんどかったんだと思います。 わがままぶってるわりに、素直に自分の気持ちを言えない子です。甘えんぼなくせに、私には甘えようとしません。 私と同じ。ひとりで立っている子だと思います。でもしんどいときは、寄りかかってくれればいい。こうしてひとりで心配しているより、ずっといい。 昨夜、醜い気持ちでいっぱいだった私に下った罰だと思いました。 もう、こんな気分はたくさんです。二度と北風にはなりたくない。結局、自分が風にあたることになるんです。 笑顔しか見せない。そう固く決意して、明後日から出直すつもりです。
August 20, 2005
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楓さん。私も負けずに書いちゃいますよ! 普段、ほとんど止まったことのない地下鉄が止まりました。 待ち合わせの駅へ向かう電車の中で。 幸先悪いなあ・・・。と思いつつ別の電車に乗り、急きょ別の駅で落ち合い、改めて二人で当初の予定の場所、ミナミへ。 ミナミぶらぶらデート。 お昼はマクド。お互いビンボーです。 夜まで一緒にいて、帰り、東海豪雨を彷彿とさせるすごい雨。私のウチの最寄り駅まで来たものの、うろうろすることもできず、どうにもならないので彼はまた地下鉄に乗り帰りました。私もびっちょびちょで帰宅。終わりも締まらなかったなあ。 甘い時間。でもいつも感じる小さな隙間。年齢差が、お互いをなかなか素直にさせてくれません。 逢瀬を重ねるうちに、距離が縮まることを祈りつつ、今日は眠ろうと思います。 面白いなあ~。17歳。
August 17, 2005
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私は現在ホテル清掃をしているのだが、この仕事は見てくれをかまっていたら仕事にならない。バスの蒸気で化粧は落ち、ベッドの埃で肌はざらつき、床拭きで足はあざだらけ。(最近は膝にバレーボール選手よろしくサポーターをはめて動いているが、片方100円の代物なので気がつけば膝からズレている。) この職場で恋愛などすると、色気のかけらもない汗まみれの姿を好きな人に始終見られるはめに陥る。好きな人には、自分の一番キレイな姿を見ていただきたいと思うものだし、ましてやこの歳になると、ある程度つくりこまなくてはキレイな自分など発生してこない。しかも私の場合、相手はぴかぴかの10代。感覚的に鋭敏な目線が恐ろしい。なぜに少年Aは髪をふたつに分けて縛り化粧の崩れたうんと年上の掃除婦を彼女に選んだのか??せめて行きと帰りにはキレイな服をココロガケたせいであろうか。私がつぶやくと、パチンコ屋勤務の妹がキッパリと言い放った。 「でも、汗だくで必死で働いてるウチを好きになる男は多いで。そういうのって結構きれいに見えるもんらしいで。男も女も、一生懸命働いてるとこが好いって人、いっぱいおるんちゃうか」 深い。なんて深いんだ。妹よ。彼女が海に見えた。 じゃきっと、(お金ほしさに)とことんまじめに仕事している私の後姿に彼は興味を惹かれたのであろう(他に理由がない)。合点がいった。 そんなわけで、上から下までぴかぴかにしているばかりが女じゃないのねえ~にんげんっていいわねえ~とちょっとにんげんを見直したわたくしなのでした。
August 14, 2005
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幸せです!(のっけから) 今は。 今朝はブルーでした。 不安になると、それを乗り越えようとして色々やってみて、ダメだったらまた考えて、またやってみて、そして幸せな自分に出会う。 また不安になることもあるに決まっているけど、そしたらまた、そうやって乗り越えて、と、ひとつひとつ前に進んでいくしかない。 後ろだけは見ないようにして、次々に新しい自分を開けていけたらいい。 最後に見えてくる景色が、きれいなものであるように、自分なりにやってみようと思います。いつだって、世界は自分の前に開けているのだと思いたい。
August 13, 2005
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離れたところから相手を見つめている間はひとり。歩調も距離も自分で決められる。でもお互いが手を伸ばし始めたらもうひとりではいられない。相手との関係性が自分を作っていく。ふたりの立ち位置、距離が気になり、ひとりで好きなところに立つわけにいかなくなる。相手の位置によって、相手の気持ちによって自分の位置を決めることになる。 相手にとっては人生で初めてぐらいの恋だ。うれしくて、楽しくて、これまでとは違う自分を余計に好きになって、この恋をただ成就させることだけを夢見ている。その先にあるもの、痛み、苦しみなどにはまだ出会っていない。 それに対して私はまたひどく怖がっている。私が見ているものは相手とまるで正反対のものだ。私はまた痛い目に会おうとしている。あの苦しみを再び、しかもまた新しい形で受け止めなければならないのだ。出会いと別れはつがいになっているのだから。 私はこれから幾度この恐怖を味わい、痛みに耐えていかなければならないのだろう。恋をした方が絶対いい。それは分かっている。でも、恋の苦しみも私はすでにたくさん知っている。恋が長い年月を経て安楽椅子に横たわり、怠慢に変わり、無残に雲散霧消していく姿も焼きついたままだ。それなのによりにもよって相手はたったの17歳である。すでに歩調の違いに気づいているし、パワーにも圧倒的差がある。私は相手をどれだけ受け入れ、照らすことができるだろう。そして相手を失ったとき、どうやって自分を受け入れるのだろう。私から去っていくことはない気がする。彼はあのスピードで、この恋愛を一気に駆け抜け、次の出会いを目指すだろう。 彼は今人生において重要な時期にいる。男女についても社会についても、これから足を踏み入れようとしているところだ。今後の数年間は彼の人生に大きな影響を与えるに違いない。私はそのことを自覚していなければならない。そして彼が女性を愛せる人間になれるように、私にできることをやらなくてはいけない。彼の賢さや優しさが、私の存在によって奪われるようなことがあってはならない。そのための努力は楽しいものだろうか?それとも苦しみを伴うものか?恋の終わりと同様、私にはまったく予想がつかない。
August 8, 2005
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本気かな? そうたぶん 気まぐれ 嘘でもいい もう時間が無い 言葉 繰り返して 思い出しても やっぱり 信じられない 言葉や仕草、まとわりつく視線に惑わされ、よろめいた直後、他の女性との見たくもない彼の姿を目撃している自分。私はいったいこの歳になるまで何をしてたんだろう!あんなガキ(そう!クソガキだっつの)のために一人夜の苦しさを煙草で紛らわし、涙こぼしてようやっと寝付く。よけいなことは言いたくないし、聞きたくないし、見たくもない。ただひとつのことだけしてもらえたら私は幸せでいられる。面と向かって求めてみたら、あの子は何を感じるんだろう?どうするだろう?私は男ではないし、17歳でもない。心の内は想像もつかない。 嵐のニューアルバム「one」を聴いて一番気に入ったのは櫻井翔「夢でいいから」だった。クインシー・ジョーンズを思わせるような大人びたブラック・コンテンポラリー。曲調も歌詞も今の自分と水が合って、スッと入ってくる。サビの飛翔感が寂しさを洗い流してくれるようだ。 私があの子くらいの頃は、朝から晩まで黒い音しか聴いていなかった。だから今でもこんな曲に弱い。自分ではどうにもならないところだ。翔君の意見が随所に取り入れられているらしいから音楽的な嗜好が翔君と似ているのかなと思う。 ロマンティックなメロディとリアルなラップのコンビネーションは空からの声と地上のつぶやきを交互に聴いているような気にさせてくれる。ヒップホップ志向の嵐がたまに使う手法だけど、私はこの嵐がとても好きです。
August 4, 2005
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今、私は何百室もある大きなリゾート系ホテルの客室メイクの仕事をしている。始めたころは身体がきつく、覚えることもたくさんあって、夜はくたくたで息子より早く寝てしまうくらいだったが、ようやく少しずつ慣れてきて、精神的にも余裕が出てきた。何より人に恵まれており、上の人も同時に入った人たちも皆やさしく、常に励まされている。私の入ったブロックがたまたま運が良かったのである。他のブロックではバタバタ人が辞めており、大量募集は続いている状態である。 10代から60代までのメイドさんが、繁忙期でてんやわんやのホテルを怒涛の勢いで掃除していく。基本的に1名で部屋に入り、バス・トイレ・洗面台から、ゴミとり、ベッドのシーツはがしとメイク、掃除機、拭き掃除、アメニティのセット。これを何室も繰り返す。だが忙しい時はバスとベッドを2名で担当したり、ヘルプが入り、シーツだけはがしてくれたり、掃除機だけかけてくれたりする。派遣の方々も右往左往している。制服、私服、見たことない制服、老若男女が入り乱れ、チェックアウトからインまで時間帯のホテルは戦争である。昼休憩は10分、おにぎりを急いでお茶で流し込む。取れないこともある。 自分が掃除婦をするなんて、数年前まで想像もつかなかった。心身ともに脆弱な自分にはできない仕事だと思っていた。だが人間のっぴきならない状況になると案外何でもできるものだ。意外に毎日踊るようにして「おはよ~~」と入って行き、おばちゃんたちとハイタッチしてバケツを手に取る自分がいる。そう、このおばちゃんたちが私にパワーをくれるのである。 私の理想の女、度胸があって優しくて、周りに気が配れて、けちけちせずに包容できる、そんなグレートマザーな人たちがうちのホテルにはわんさといる。家に帰れば夫と姑と子供の世話に追われ、法要に走り、自営を手伝い、PTA会議に駆けつけしながらこのキツイ仕事をこなす。お昼を食べないと私などは午後には電池が切れて動けなくなるが、おばちゃんたちの体力は手元で伸びる。「もう一部屋いこっか」「あっちも手伝うか」と、超人的に働き続ける。とてもじゃないけど太刀打ちできない。仕事が終わると100円マックの喫煙席を陣取りタバコを吸いながらコーラを飲んで、「あの人がこんなことした」「あのやり方はよくない」口では愚痴りながらも生きる気マンマンである。私もこのあったかい場所の中の一席を占め、じっと聞き入り頷いたり一緒に騒いだりし、席を立つころには充電完了である。 「とうちゃんのためならエンヤコラ かあちゃんのためならエンヤコラ」で始まる美輪さんの代表曲「ヨイトマケの唄」には実在のモデルがいる。美輪さんの小学校の同級生の母親と、美輪さんの友人だった苦学生の青年である。「ヨイトマケ」とはビルを建てる前にやる重石を使った地ならしをする仕事のことである。美輪さんの同級生の母親がそれをやっていたのだ。足の悪い小柄な母親は時折ふらつきながら重い紐を引っ張って地ならしをする。母親に会いに来た息子と美輪明宏少年に目をとめ、「心配しなくていいよ」とにこっと笑う。その素敵な笑顔は美輪さんにとって忘れられない記憶となった。 そしてその後出会った一人の青年。戦争で天涯孤独になった青年は苦学を重ねて見事大学を卒業し、工事現場で監督をしているときに美輪さんと再会する。その青年の立派な姿に美輪さんは感激し、「お祝いをしましょう」と赤飯を炊いて食卓を整え、青年と囲むうちに、青年の人生と記憶の中のヨイトマケの母親が結びつき、浮かんできたフレーズが「ヨイトマケの唄」だった。その場で青年に歌うと、青年は箸を置き、泣き崩れた。 私はこの「ヨイトマケの唄」に出てくる「かあちゃん」をいつも理想の母としてきた。家族のために苦労、苦労で死んでいった母。息子は立派に成長し、「かあちゃん、見てくれ、この姿」と叫ぶ。全編を通して母親の絶えることない強い愛情がつらぬく唄である。そして私はこの大きなホテルの一角で現代の「ヨイトマケの母」たちに出会った。抱いていたイメージよりも豪快で、たくましく、家族の中で誰よりも長生きするであろうヨイトマケの母たちを!低賃金の重労働でも、いつでも前向き!仲良し!若い男の子も女の子も、おばちゃんたちに引っ張られて仕事をし、いつしか笑顔が増えていく。 私が「客室整備をしてます」と言ったら、「そんな地味な仕事しているようには見えへんね~」「もっといい仕事なかったん?」と言った人がいた。地味?とんでもない。数段ドラマチックな場所におりますよ、あなたの人生よりはね。憧れ尽きないかっこいいおばちゃんたちについて、掃除するついでに自分も磨かせていただいております。
July 30, 2005
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10年以上ぶりの城ホール。変わらぬジャニファンの女の子たち。私達にはマナーが凄く良くなったように見えましたよ。光GENJIの時なんて立ち見の客は曲ごとに大移動したり、手すりによじ登って警備員に引きずりおろされたりしてました。みんなおりこうさんだよ~。 とにかく全てが麻痺してしまうような感じで、ひたすら酔わされてしまいました。立ち見だったけど、双眼鏡もあったし、幸い、ニノのオーラは竜也くんと同じで最後列まで届くので、堪能できました。ほんとに色っぽい!歌って踊っているだけなのに、なんでこうも格別なんだろう!二の腕なんて、見てはいけないもののようになめらかでつるんとしてる。直視できない!ソロの振りはめちゃめちゃかわいい、振り自体は。でもニノは色っぽい。ぞくぞくするほど色っぽい!こんな人いないよ。 二宮和也が二宮和也であるってどんな気分だろう?こういう人がいるんだね。すごいね。私、同じ日本人なんだ、どうしよう。私達は幸せだけど、本人はきっと生きるの大変だろうな。いつまでも舞台で、映像で、無二の魅力を放ち続けていてほしいです。 ほかに、実物のほうが全然いいと思ったのが相葉ちゃんです。すごーく華がありますね。めっちゃめちゃかわいかった。キング・オブ・アイドルだ!妹と二人頷きました。舞台当たってるかしら・・・。 体調が悪かったので、ニノを見つめるだけでせいいっぱいだった初の嵐コンですが、またまたエネルギーもらっちゃいました。嵐くんたち、一ヶ月がんばってください。どうもありがとう。
July 28, 2005
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日記のカテゴリ、テレビ・ドラマにしてみましたが番組の話ではないのであります。寿命の尽きたうちのテレビがとうとういくら殴っても映らなくなりました。まご嵐どころかD嵐すら観られなくなりました。フッ。DVDやビデオは観ることができます。新しいテレビを購入する予定は今のところありません。そのへんに落ちてないかな?テレビって高いんだもん。 チケット掲示板でコンタクトを取っていた方に思いっきりブチられ、いまだチケットは手元にありません。しかし、あさっては妹をひきずって城ホールへ行く予定です。なんとかなるだろ!なんともならなければすごすごと帰ってくるだけです。 ヒロシです。(いきなり) 嵐が好き、なんて年齢的にはちょっと恥ずかしいと思っていたら、 リアルに17の子に恋してしまったとです。 私もとうとうここまで来たかと思いました。タバコを吸いながらぼーっとしている時間が増えました。故・中島らも氏が、「恋した時は、一人街をさまよい、酔っ払って、何日も家に帰らず」一人でのたうちまわって恋の終わりを待つというやり方で乗り切ると書いていたのを思い出します。らもさんは結婚してましたから。私は独身ですが、今回はあまりと言えばあんまりなんで、そういう感じで行きたいと思います。恋はいつも空から突然降ってきます。テレビが降ってくればいいのに・・・。ヤニクラで何を書いているのか自分でもよくわからない今夜の日記なのでした。
July 25, 2005
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美輪さんは常々「目に見えるものを見なさんな、見えないものを見なさい」と言っている。見えるものというのは、外見、民族、性別、年齢、学歴、職業、といったもので、見えないもの、というのは要するに心のことである。 その人がどれだけ純粋で美しい精神の持ち主で、理知にあふれ、勇気があって、思いやりがあるか、ということだけを見るのである。 なまじっか目がついているために、心だけを知ることは難しい。ビジュアルはやはり強烈だし分かりやすい。年齢や職業なども、人付き合いする上でやはり全く知らずにいるのは冒険だと思ってしまう。 ところが、ブログで知り合った人というのは、本人の名前から職業から、本人の好みで語られる部分以外は全く見えないままのお付き合いである。外見なども知りようがない。だから、見えないものの力がぐぐーっとクローズアップされてくることになる。 ブログで長いお付き合いになる人というのはやはり何か波長が合うとか、趣味ひとつでは語りきれない何か理由があるように思う。もちろん何かの縁でもつながっているはずだ。偶然の出会いなんてものはないらしいから。 ただ、文体から想像されるイメージだけでのお付き合いだから、実際の肖像とぴったりあわせるなんてことは不可能に近い気がする。 実際に会ってみて、もしがっかりしたら、がっかりされたらどうしよう~という不安から、ブログづきあいが長くなるほど実際に会うにあたってはビビってしまうものだと思う。 で、今回、「近代能楽集」を観に大阪へ遠征して来られた楓さんとゆきんこさんに会うのは私にとっては全く「初めてのおつかい」なみにドキドキだった。 そこでやはり事件である。待ち合わせ場所で、楓さんも私も、遠目にお互いを確認していたにも関わらず、お互いが「あれじゃないな」と断定してしまうほどに、お互いの想像図と実際像に差があったのである。 着信があったので出ながらちら、とそちらを見ると、「あれじゃない」はずの人も携帯を持っていた。「もしもし」と聞こえると同時にその人も「もしもし」と言った。うっそ~~! お互いに「イメージと違う、違う」と大騒ぎの出会いとなった。 いかにイメージというものがいい加減なものかということを思い知ったのだった。 しかし楓さんとご飯を食べながらお話していると、行間で語るところや、少女らしさが香るところ、ブログの楓さんがやはりちらちらダブる。あ、やっぱり楓さんなんだなと思った。 ナマゆきんこさんを目撃したときも、やっぱりイメージと違うと思ったけど、お話しているうちに、コメントにみられる素直さ、あたたかさを肌身で感じ、あのゆきんこさんだ、と思った。 ブログは人の無数にあるプリズムの中の数種類しか見られないものなのかもしれない。お二人をナマで確認してみて、やはり芝居や音楽と同じで人間も生に限るな、と再認識した次第である。お二人とも、私の貧困な想像力では全くもってカバーしきれない素敵な人間像を持っておられた。 それでも、ブログで見せてくれている部分だけであっても見えないものを先に見てからの出会いというのは、独特の安心感があって、普通の人付き合いにはない面白さがあるなあと思う。お二人ともが、私の描くお二人のイメージの中で好きなところがそのまま見られたのが、私にとっては幸せなことだった。何やら人生観が少し変わった気さえする。
July 19, 2005
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観るにあたってまず三島由紀夫の戯曲を読んだが、よく分からなかった。そこで白洲正子「お能の見方」を読んでみた。 「古典の勉強をするためにお能をみる、というのは邪道である」「美しいものをただ美しいと感じるのが能の舞い」 能から持ってきたものは、セットをいじらず、途中で世界が、主役が変化すること。そこだけはっきりと感じながら、あとは美しさに素直に身を任せるつもりで観た。 「卒塔婆小町」 私は美輪明宏版の「卒塔婆小町」を観ているが、あまりにも前で比較できるほど覚えていない。美輪さん演じる小町は鹿鳴館の場面に変化したときに美女に装いを変えた(変身については三島氏の諒解もとっている)が、壌さん演じる小町は始めから終わりまでボロを纏ったままだった。壌さんは立ち居振る舞い、発声で美女に変化してみせた。 だが見目麗しいかと言われればそんな訳はない。だが詩人はその小町を見て「美しい」と言う。「美」が主観的なものであることがここで強調されるのか、小町の内面の美のことを言っているのかは、わからない。内面の美を知ることで外見まで美しく見えたのだろうか。それとも、深草少将だった頃の記憶の中で見た小町だったのだろうか。(美輪版ではそこは解り易さに徹したとパンフレットにある。前世である深草少将の記憶が蘇ったものとすれば合点がいく。) ただ、「小町は見目麗しい」ということに納得してしまった自分がいた。詩人の目を通していつのまにか小町を見ていたのだ。 第一場面、暗闇に「パタッ、パタッ」と何やら音がするので、接吻の音かと身構えたが、紅椿の落ちる音だった。芝居の間、セリフの邪魔になるときは止まるが、それ以外ではひっきりなしに落ちる。とても心地よい。椿の木がぐるっとめぐらされてそれに沿うように白いベンチが手前に置かれ、各ベンチにそれぞれ座って恋人達が抱き合っている。かなり濃厚な愛撫を繰り広げている。その男女は全員男優によって演じられている。太っちょの女も、可憐な若い女も、コンサバティブなスーツに髪を巻いて男にしなだれかかっているが女形である。ありそうでない、俗悪なようでファンタジックな舞台。キューブリックの映画を思い出した。 それは老女・小町が現れてからも同じで、ボロなのだが、醜悪さはないし、詩人の酩酊ぶりも、嫌悪を感じない。この現実感のなさに酔わされる。やはり椿の落ちる音は接吻を表しているのだという気がしていた。 蜷川舞台のレギュラー、高橋洋さんの演じる詩人は、いろんな俳優さんの素敵な部分をギュッと凝縮したような生きの良い魚のような、それでいて芳香漂わせる声と姿。いそうでいない様な、くせがない様である様な、割り切れない感じ。何でも演れそうな人だ。 恋に憧れながら逢引する男女を外から見ているだけの男だった詩人が、小町への恋に目覚めるところがあざやかな変化だった。「あっ、変わった」とはっきり思った。詩人は「きれいだ」と言ってしまったために死に至る。スローモーションで弧を描いて後ろへ倒れていく詩人の美しさ・・・そう、そこはゆっくり死んでほしいところだった。私もあんなふうに美しく破滅してみたい。そう思わせる死に方。 最後の老婆のセリフ「あたしに色気を出しやがるんですよ」、ここを蜷川版では生かし、美輪版では削っていた。美輪さんはこの物語を「椿姫」になぞらえて見ているからだ。老婆は無償の愛の持ち主であるという主旨から、詩人に投げつけられるこのセリフを省略している(これについても三島氏自身が省略を正しいこととして認めている)。 このセリフを生かすことで、詩人と老婆が80年前の二人に跳び、その記憶から醒め、もとの老婆に戻ったのだ、というふうな感じをより受けた。だから結局、蜷川版も美輪版も、変身するにせよしないにせよ、「内面の美からくる外見の美」とかそういうことより「鹿鳴館時代へトリップした」という見方において一致しているのかなあと思った。そこは両方のパンフレットを読み込んでみても、はっきり確認できないのだが、そういう見方の方が私にはすっきり来る。 「弱法師」 竜也君演じる俊徳は、意外にもイヤな奴だった。藤原竜也がやってしまえば、イヤな奴も、魅力的に存在してしまうのかと思っていたので、この竜也君は初めてだった。 俊徳は一言でいえば「オタク」だった。何かに異常に詳しいことをすぐさまオタクとは言わない。それは単なるマニアである。マニアがオタクとなるその境界線は、人を省みることができるかできないか、というラインである。オタクは自分の世界のみを守るから「お宅」なのである。周りは全て敵。自分が許されて存在していることに気づいていない。俊徳はそんな青年だった。 だが、芝居が進むにつれて俊徳がちらちら魅力的に見えたりする。周りの人間に対している俊徳はただのオタクだが、自分に対した俊徳は苦悩するいたいけで透明な存在に見える。それが入れ替わり立ち代りするので、こちらも徐々に警戒を緩めてしまう。 俊徳が「戦火の記憶」にトリップした瞬間、やはり「あっ」と思うくらいに変わった。単なるオタクから民衆の穢れを背負った盲目の美少年、いわゆるシャーマンに変化した。竜也の身体は光を跳ね返し、神話的魅力に輝いた。 夏木マリのセリフまわしは一筋縄ではいかない大人の女の色気を放ち、俊徳の存在に揺さぶられることなく泰然としながら、いたいけな俊徳を発見し、「少し好きに」なる。俊徳は級子と新しい世界へ旅立てばよかったのだが、ラスト、「僕って、どうしてだか、誰からも愛されるんだよ」と、もとのオタクとなってそこに座るのである。 ああ、残念だったけど、「この世の終わりの景色」に確かにトリップできて、能のルールの通りに幽玄の美を体験できたのかなあと気が落ち着きかけた瞬間、バチーンと音がして、防火用の鉄扉が背景をふさいだ。そこで流れた音響に気づいた瞬間、ガツンと衝撃を食らった。 それは三島の声だった。自衛隊駐屯地で行ったスピーチの声だった。このスピーチを終えた後、三島は切腹したのだった。 「俊徳は自分だ」と言った三島。この孤独で救いのない魂を、自分になぞらえていた三島。三島の抱えていた大きな空洞を、俊徳を通して体感した気がした。いやだ、こんなのはいやだ、三島さん。私にとってあなたは英雄だから、こんなのは、つらい。 ショックは後をひき、帰り道は三島に繰り返し語りかけようとする自分がいた。
July 17, 2005
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私の多岐にわたる趣味嗜好は人に理解されにくいものもある。中でも「は?」と必ず聞き返されるのが、うずまきについてカミングアウトしたときである。 私はうずまき模様が大好きなのである。頭がおかしくなるくらい好きなのである。着物にうずまきが使われているものなど見るとくらっとする。唐草模様の不完全うずまきみたいなあの曲線に惹かれる。何か描けと言われると用紙の端にくるくるとからまるツタ模様のようなものを描きながら一周する。 憧れは鳴門海峡の渦潮を見ることだが、九州で小規模ながら渦潮を見られるところがあって、そこへ行くとこれ以上ない幸せを感じつついくらでも眺めている。食べ物で言えば、ラーメンなると、スイスロール、バームクーヘン。中でもバームクーヘンの魅力は圧倒的で、コンビニで菓子パンやミニケーキの並ぶ棚へ行くと、必ずあの多重うずまきに飲み込まれそうになるのを必死で押さえて隣の「薄皮あんぱん」を買う。(あまりにも好き過ぎると買うのをためらってしまうものである。) いつからこんなに自分がうずまき好きになったのか定かではない。たぶん大人になってからだと思う。数年前に自分がうずまき好きであることを気づかせてくれたのが、タイトルにした伊藤潤二の「うずまき」というホラー漫画である。 伊藤潤二は新感覚ホラーの担い手として「うずまき」で一躍注目を集めた漫画家で、その後「富江」が映画化され話題になった。ご覧になった方もいらっしゃることだろう。 私はホラーを観ないし読まない。寝られなくなるからである。正直「富江」と「貞子」の違いすらよく知らない。「きっとくる~、きっとくる~」がどのホラー作品のフレーズなのかも分からない。この漫画を読むことになったのは、バイト先の先輩が伊藤潤二の大ファンだったせいである。 ホラー漫画マニアのその先輩は、かなりムラ気な性格の人で、朝、挨拶してまともに返してくれたことがなかった。どうしようもなくお姫様なところがあって、周りの人たちは常に彼女を持ち上げなくては職場がスムーズにいかないので、取り扱いには非常に注意を払っていた。かく言う私も、自分の数少ないホラーネタをふりしぼったり、何かにつけ「言霊が悪いですよ」とか言ってみたりして彼女を喜ばせることに徹していた(浅い)。 彼女は伊藤潤二に宛てたファンレターがきっかけとなって、数回喫茶店でお茶した仲だというのを何よりの自慢にしていた。伊藤潤二先生に「君の目は富江の目に似ている」と言われたことを真昼間から誇らしげに職場で語るのだった。 困ったことには「私は伊藤潤二の広告塔だから」と言って数々の著作を貸してくれるので、仕方なしに家に持って帰って明るいうちに急いで読んで、朝出勤するまでは内容を忘れるようにして、職場で彼女の顔を見た瞬間思い出しては感想を述べる、ということをしていた。 ホラー漫画には暗い私だが、確かにマニアな彼女が入れ込むだけあって伊藤潤二はなかなかに面白かった。ホラーの平気な人は一度お試しくださいませ。 「うずまき」の内容はほとんど覚えていないのだが、これを読んでいて自分が「うずまきが大好きだ」と覚醒したという一点において私にとって記念碑的作品となってしまった。作者自身がうずまきに入れ込んでいるのかと思いきやそうでもないらしい。だが着目点がいいと思う。「うずまきに入れ込む」とかって。 これを書いていたら妹の彼氏が夕食のお礼だと言ってコンビニでロールケーキとバームクーヘンをダブルで買ってきてくれた。これまたすごいシンクロである。感激である。私を結婚式に呼んだ時には引き菓子はぜひバームクーヘンにしてください。よろしくお願いします。
July 14, 2005
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