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すっかりご無沙汰のブログとなっております。いよいよメキシコへの引越しが迫ってきました。数日後にはメキシコです。今回はメキシコシティーで研究生活を送ることになっています。メキシコ生活はこれで3回目。3度目の正直と言うことで。暇を見つけてあちこち出かけたり、今までよりももっとディープなメキシコを満喫したいと思ってます。ただ、その内容はこのブログではなく既にメキシコ生活ブログを別に書いているのでそちらに書いていくつもりです。このブログは閉鎖しませんが、今後更新予定も基本的にはないので、良かったらそちらのブログに遊びに来てください。また、スペイン語・ラテン音楽ブログはそのまま営業中なのでこちらのほうもよろしくおねがいします。ラテン音楽ブログPARA GOZADERAスペイン語ブログA TODO DARmixiもやっています。それでは!
2006/07/29
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いやぁ~、このブログ更新するの、久しぶり。4月はちょっとバタバタ。と、言うのもなぜかロシアに仕事で長期行くことに・・・なっていたんだけど、結局条件面で折り合いがつかず、お断りすることに。引き受けていれば東京・北海道での打ち合わせやらで忙しくなるところだったのだけど。おまけにかなり難しい仕事だったので、準備に追われるところだった。面白い話だったのだけど、流れて少しほっとしているのも事実。第一、メキシコ行きまでにしなければならないことがまだいろいろあるので、ま、これでよかったのかもね。(と、何事もポジティブに)しかし。南国系な私があらぬ方向へ・・。まあ、仕事は必要としてくれるならばどこまでも行くつもりでございます。でも、やっぱり当分ラテンアメリカから離れられないようだなぁ~。ラテンの次はどっか南国の島に住みたいと思っているんだけどね←やっぱり南国^^;と、言うわけで近況はそんなこんなです。更新をしていないにもかかわらず、ここに訪問していただいている方もけっこういらっしゃるようでありがたいのですが、他でいろいろ書いていますので、そちらへどうぞ。ラテン音楽ブログPARA GOZADERAスペイン語ブログA TODO DARmixiもやっています。お待ちしています
2006/05/05
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いやぁ~、すっかりこちらのブログ、ご無沙汰です。が、生きておりますよ~。冬眠してるけど(苦笑)。もう、いつやめようか・・それを考え続けてもうすぐ1年(長っ)。特に昨年末にブログではなくHPをつくったので、そういう意味でもう、このブログの役割も終わったかな・・なんて思いつつ往生際の悪さでここまで続けてきましたが、しばらくはこんな感じで気まぐれにUPしてみたり、しなかったり・・で、行こうかと思っています。(やっぱり往生際悪い^^;)ま、こういうこと書くと逆に連日UPしだすかも?!ちなみに。ラテン音楽ブログPARA GOZADERAスペイン語ブログA TODO DARは相変わらず営業中ですので、お越しをお待ちしています。最近はもっぱら某SNSのほうをやっているのですが、そちらのほうはけっこうマメに書いてます。で、連日のごとくWBCネタを書いていて、その転載なのですが、こっちにも載せておきます。しばらくこの「転載」技を乱用するかも。SNSに来てくれている方、ご了承くださいませ*******************************ii VIVA MÉXICO CABRONES !!メキシコよ、よくやった。いやぁ~、ディズニーランドで遊んでた・・って聞いてたから心配したよ。でも、アメリカには負けられません。メキシコ人の意地です。そんなわけで、日本の準決勝進出が確定。少々後味悪いけど、何はともあれよかった。FINALで「日本対ドミニカ共和国」なんてなったらすごいことです。さて。今回も「疑惑の判定」がありましたね。○…メキシコ-米国戦でまた、米国に有利な「疑惑の判定」があった。三回、メキシコ先頭のバレンズエラの打球は右翼への大飛球。ボールはグウンドにはね返って、判定は二塁打となった。しかしテレビ画面で見ると、右翼ポールを直撃してはねかえっており、明らかな本塁打。メキシコは激しく抗議したが、受け入れられなかった。判定を降した一塁塁審は日本戦で「走者の離塁が早かった」として勝ち越し点を認めなかったボブ・デービッドソン審判員。フェンス直撃と判断したと見られるが、場内のブーイングはやまなかった。悔しさを晴らすようにメキシコはその後、適時打を放って先制した。・・まったく、ありえない審判ですね。だいたい、このような世界大会でアメリカ人の審判がアメリカの試合の審判の大半を占めていること自体おかしいのに。全てにおいてアメリカ有利で進めるアメリカ。見苦しいの一言。さて。ドミニカメディアの反応は・・Orale buey!! ya mandamos a los gringitos pa' la chingada.Los gringos inventaron la pelota, pero hoy no le valió de nada contra el fuerte picheo de los Mexicanos. México ganó el juego 2 por 1.Descalificados USA y Mexico. La cosa es entre los Asiáticos y Caribeños. El Plátano contra el Sushiわざとメキシコ人のスペイン語調で書いてありますが、ちょっと、一言。pa' la chingadaじゃなくて、a la chingadaのほうがいいよ・・って、そういう問題じゃないか。El Plátano contra el Sushi・・って、ウケタ。やっぱりSUSHIかい。って、ことはドミニカ共和国は決勝は対日本戦になる・・と思っているのだろうか?でも、彼らにとっては韓国人も日本人も一緒だからなー。バナナが勝つかすしが勝つか?その前に・・さぁ、キューバ戦。DALE CON TO'!!NEWERA CAP MEXICO(WORLD BASEBALL CLASSIC)
2006/03/17
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昨年受けたDELEの SUPERIOR・・合格!!DELEとはなんぞや?という方はInstituto cervantesへ。DELEはDiploma de Español como Lengua Extranjeraのことで、 スペイン教育文化スポーツ省より授与される 公認資格。日本ではスペイン語資格と言えばスペイン語技能検定もありますが、スペイン語技能検定はあくまでも日本国内の資格ですが、DELEは世界で通用する唯一のスペイン語資格です。とりあえず、これでほっと一息。DELEの試験にはSUPERIORより上はないわけなので、今後、試験を受ける必要はないけど、自分の中ではこれでやっと「スタート地点」に立てた・・という思いです。もともと、私にとって語学というのは「手段」であって「目的」ではないので、あんまり語学試験には興味と言うか、執着がなかったのだけど、自分のスペイン語能力を「客観的」に証明しなければならない・・と、言うことはけっこうあるわけで。それに、自分のスペイン語力はどの辺のレベルなんだろうか?という単純な興味から受験をしてみることに。で。試験問題を見て、のけぞった。なんじゃこれっっっ~!難しかったわけじゃなくて、あんまりにも「スペインのスペイン語」だったので、100%ラテンアメリカ仕込のスペイン語である私には理解不能・・。私のスペイン語力が低いからなのか、それとも、ラテンアメリカ人でも理解できないのか・・疑問に思った私は早速自分の周りにいる「かしこ」なドミニカ人達に見せてみたら・・見事に3分の1くらいしかわからなかったのだ、彼らも。ちなみに見せたのは「語彙」。みんな大卒のインテリなので、一般のドミニカ人に聞けば理解率はもっと低いのだと思う。実際、ラテンアメリカ人がDELE受けても満点はとれない・・と言われている。とりあえず、安心・・・している場合じゃない。この時点で私の「雑草魂」に火がついてしまったのだ。基本的にろくにスペイン語を勉強したこともないし、おまけにラテンアメリカ仕込のスペイン語で、独学街道まっしぐらの私が、このスペインのスペイン語という「王道」に挑戦したくなってしまった。と、言うわけでそこから私の「スペインのスペイン語学習」が始まったのです。だいたいDELEの SUPERIORを受験して合格する人というのはスペインに留学していた人で、かつDELE対策の学校にも通っていた人が多い。実際それが一番確実だと思う。だけど、あくまでも独学でかつラテンアメリカからでも合格してやるもんね・・と、いうのが私の魂胆だったのだけど。これで落ち着いて夏からの研究生活にも打ち込める・・・一足早くに桜が咲いてよかった。
2006/02/23
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私は6年間ほど厨房に入って料理をつくっていたので、料理をつくるスピードには自信があるのです。そんな私がスピードで負けるもの・・それはPLATANO(調理用バナナ)の皮むき。生まれてこのかた、ずっとドミニカ人やっているお手伝いさん連中にいつも完敗。無言でお手伝いさんの手が私のPLATANOにのび、剥いてくれる。そんなに遅いのね・・。おまけに、PLATANO剥いているときに手につく汁で手が「パキパキ」になるから嫌なのだよね。でも、でも、PLATANOが食いたい!そんな私に朗報が。こちらの商品。なんとニューヨークタイムズでも紹介された商品。確かにNYにはドミニカ人をはじめ、PLATANOがなくては生きていけないカリブエリア出身者がいっぱい住んでいるもんね~。でも、こういうものをつくってしまうところがアメリカ的。少なくともドミニカ共和国にはこれ、売ってない。ちなみにこちらのサイトでこのPELA PLATANO バナナの皮むき器の実演ビデオが見れます。こちらう、うけた。
2006/02/18
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Hiiiiiiiiiiiiiiiiiiiiiiiijole!Ooootra vez contigo! Por la chamba que tienes・・・ay! Maldita sea.ってなわけで数日後に迫っていた渡墨延期!事の発端は夜中の電話。Necesito hablar contigo urgentemente(緊急で話したいことがあるんだけど)...の一言でいや~な予感。だてに今年で祝10周年目の付き合いじゃないわよ。相方君に急遽長期出張が入ってしまったのです。それも海外。puedes venir conmigo?・・一緒に来れる?・・って、仕事についていくのもなぁー。それも何でメキシコ行って海外出張についていかなあかんねん。相方君は「わかった。ボスに相談するから40分ちょうだい」←半端な時間指定ですね^^;で。この間にわたくし、そろばんはじいてましたw今もっているチケットをキャンセルして、新たに取り直した場合の損得計算。さすが、関西人。商人!計算してみると、結局キャンセルチャージを払っても、取り直すチケットは滞在期間が短くなった分、安い料金が適応されるのでトータルプラスマイナスゼロ!で、40分経過。電話で話すと「やっぱり無理だったよ。別の時期に取り直せない?」最初は「今更何ぬかすー!キィー」と怒ってた私だけど、40分の間にそろばんはじいて、いろいろ冷静に考えたらここはキャンセルして変更したほうがいいと思えるようになってきた。あー、なんて立ち直りの早い私・・。そこで、「わかった。取り直す」と言ったら上機嫌の相方。「どっか遠くに旅行しよう♪」なんてぬかしていた。ハイハイ。どーせ、実現しませんよーー;それにしても、こんなやり取りをなんだかんだと言って丸9年も続けている私は実は「ドM」なのかもしれない(一見Sだけどね)・・と、最近気がついた。←遅っ。ま、延期になっちゃったけど、メキシコは逃げない。それに何でも始まる前が楽しいものなので、メキシコ行きが延びた分、楽しみも増えたと思うことにしよう♪(え?痛い?)そんなこんなでメキシコで会いましょう♪なんてお伝えしていた皆様、すみません。また近々そちらに行きますので。
2006/02/08
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うー。寒い。南国体質の私には実に寒さが身にしみる。そんな大寒波の中、お買い物へ。で、買ってきたのがどう考えても「夏全開」なキャミと「春満開」なネイルチップ。やっぱり買うものも南国系。でも、やっぱりお買い物って、テンションあがる。特にこういう「女子グッズ」は更にUP。でも、なんだか心、ここにあらず。・・と、言うのも。CARNAVAL!!!!そう、2月はカーニバルシーズン。日本にいるにもかかわらず、心はCARNAVALへ。ドミニカ共和国では1月からCARNAVALモードです、既に。と、言うのもドミニカ共和国のCARNAVALは4日間なんてけちなことは言わず1月下旬から3月中旬くらいまでしてしまう大盤振る舞い。(っていうか、やりすぎ^^;)CARNAVALといえばブラジルのリオが世界的に有名だけど、ドミニカ共和国のCARNAVALは実はとてもおもしろい。地方色がすごく出るし、なんているかCARNAVALと言うのは本来こういうものなんだよね・・と思う。↑これはLA VEGAのCARNAVAL DIABLO(悪魔)が持っているVEGIGAZO(楕円形のグローブのようなもの)でお尻をおもいっきり殴られます。なので、DIABLOがやってくるとみんな一目散に逃げる。殴られても「厄払い」とか「縁起がいい」とか一切ない!(笑)と、なると当然ドミニカ共和国に行きたいよー病が再発。だけど、来年の2月は研究生活なので無理だなー・・と思っていた。が、今年からの研究生活。実はスポンサーは決まっているけど、肝心の研究に関する部分がかなり未定。ま、メキシコペースには嫌と言うほどなれているので、いいんだけど。で、先日。私の希望が通れば、来年の2月は丸ごと休暇を取れることが判明!って、ことは・・2月にドミニカ共和国に行ける!!!後はお金ですね。はい。節約しよーっと。メキシコに行ってから(←遅っ)確かにお金は痛いんだけど、会いたい人の中にはかなりの高齢者もいるので、近いうちに戻らないと・・。それにちょっとジェンダーがらみで調べたいこともあるし。そろそろBACHATAのCDも大量に買い込まないといけなしなぁ・・。ああ、CARNAVAL・・。そんなわけで、心は既にドミニカ共和国へ旅立っていきました。かなり妄想モードに突入中。
2006/02/04
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なんだかご無沙汰になってしまいました・・。その間もここを訪問していただいてありがとうございます。ご無沙汰になっていた理由はまたそのうち書くとして。(あ、別に何かあったわけではありません。元気ですよ^^)今日、私の元生徒であるジャマイカ人のTからメールが。彼からは年末にもこんなメールをもらった。Sensei es cierto entre todas profesoras que yo he tenidas ,Ud es muy diferente de ellas por la forma de ensenar,siempre le voy a gradecer a Ud por todo lo que Ud ha hecho para nosotros彼はスペイン語のネイティブではないので、間違いがあるのだけど、恥ずかしながら要約するとこういうことが書いてあります。先生は他の多くの講師とは教え方がとても違う先生でした。先生が私たちのためにしてくれたことに感謝します。 ま、良いか悪いかは別として(笑)、確かに私はちょっと他の先生方とは違うだろうな・・とは思う。こうやって教室を離れても変わらず慕ってもらえるのはこの職業のひとつの魅力だと思う。で。このメールにはこのような文章が。yo tengo una buena noticia para Ud pero es para despues de enero porque me voy a empesar a trabajar 先生にいいお知らせがあります。1月から働き始めます。そして、今回届いたメールがこれ。yo soy ya el presidente de una empresa que se llama Full Service National and International Tenemos todos los siguientes.私はFull Service National and International と言う会社の社長です えっー!働き始めるって、会社経営だったのー!?し、しかも。会社の業務内容は下記の通り。 FULL SERVICE NATIONAL AND INTERNATIONAL SERVICIO MULTIPLE .Guia Turistico .Impresos y serigrafia.Taxista .Alquiler de vehiculos.Agencia de Viajes .Abogados en general.Nineras .Fotografias.Excurciones .Fabricantes de inversores.Videos .Salon de Belleza.Amas de casa .Tecnico de electrodomestico.Arquitectos .Laminados de vehiculos.Tours .Ingenieria en general.hoteles .Resort.Jardineros .Pintura en general.Mosos .Plomeros.Herreros .Chefs.Muebleria .Talleres de Macanica.Peluqueria .Artesanos.Artista Plastico .Mudanzas y acarreos.Alquiler de todos para fiestas .Electrodomestico.Acessor Juridico .Seguridad Privada.de todo de coraciones .Repuesto para todos tipo de vehiculos y A DEMAS COMPRAS Y VENTAS DE casa, solares,apartamentos,fincas,autobuses,automoviles ・・・訳そうとおもってやめた・・orzだって、取り扱い業務多すぎ!財閥ですか?!と言うほどですよ・・。これは。簡単に言うと、家政婦・ベビーシッター・ボディーガード・ガイド・運転手・配管工・電気技師などの人材派遣業からイベント会場などのレンタル、修理業、引越し業から絵画の買い付けなどなど。おまけに不動産業まで。ムー。どうやったらこんなに手広くできるんだ・・?っていうか、雇ってくれ、俺を。ま、実はTはお金持ちなのだろう・・と言うことは見ていて思っていたんだけど。まだ20代前半なのに、すごいね。彼のこの仕事に日本語が役に立つのかどうか・・ま、自動車部品の買い付けとかには多少役立つと思う。でも、たとえな~んの役に立たなくっても私は生徒一人ひとりの貴重な時間を共有できてよかったと思っている。こうやっていまでもメールをくれたりして自分の生徒たちがそれぞれがんばっている姿を見るのは私のエネルギーにもなるんだな・・と思いました。今度ドミニカ共和国に戻れるのはいつかわかんないけど、またひとつ楽しみが増えたよ。
2006/01/31
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あれから11年・・・今日は阪神・淡路大震災のニュースが何度となく流れたし、思い出した方も多いと思う。兵庫人である私もこの日には思い出すことがいろいろある。11年前の今日。「震災のときどこにいたの?」震災からしばらく、よく聞かれた質問。私は11年前の今日ケニヤのナイロビにいた。だから震災は体験しなかったのだけど、今でも不思議に思うエピソードがある。本当なら11年前の今日、私は神戸の元町にいるはずだった。幼なじみが元町に住んでいて、アフリカにしばらく行く前のゆっくりあっていろんな話をして、泊めてもらう予定だった。今考えても不思議なのだけど、アフリカ行きが迫ってきたある日。何の理由もなく突然日程の変更がしたくなった。急に出発を1週間早めたくなったのです。旅行代理店に変更を依頼すると「キャンセル待ちになります」とのこと。で、キャンセル待ちだと今確保している席はキャンセルしないといけないので、下手すると今確保している席も取れなくなってしまう可能性が大と言われてしまった。旅行代理店の担当者からは特に理由がないのならこのままの日程のほうがいいですよ・・なんていわれたんだけど、なぜかどうしても変更したかった。なので、「取れなくてもいいから変更してください。」あー、やっぱり取れなかったか・・と思ってたら取れた。なので、予定を1週間早めて友人宅にもお邪魔した。そして東アフリカへ。もし、あの時意味もなく予定を変更していなかったら絶対にアフリカの地は踏めなかったと思う。幸い友人宅のある元町周辺はエアーポケットのように奇跡的に被害から逃れていたので、友人には何もなかったし、そこに私がいたとしても大丈夫だったと思う。でも、あの日神戸を出て、成田へ行くことはできなかったと思う。そして、ナイロビ。震災の起きたとき、私は原因不明の測定不能の熱(つまりは42度以上)で寝込んでいた。夜、ふらふらしながらトイレへ行ったとき、(安宿なので部屋にトイレはない)宿の人たちが集まってテレビを見ていた。で、通りかかった私にテレビを指座して「あれ、あなたの家族なんじゃない?」と言ってきた。そのときの映像は、体育館のようなところにたくさんの日本人らしき人たちが集まっていたものだった。なんで、ナイロビなんかでこんななんに変哲もない風景画テレビで流れているんだろう・・と不思議に思ったけど、熱でぼ~っとしていたので宿の人たちに「似ているけど家族じゃないよ」と言ってフラフラしながら部屋に戻った。後で考えてみればあれは震災で体育館などに避難していた人たちだったんだと思う。熱でうなされていたので、次の日も寝ていた。でも、だいぶよくなってきたし、明日はようやく予定していたビクトリア湖へいけるかな・・・なんて思っていたら私を訪ねてきてくれた人がいた。中央アフリカからケニヤにやってきた日本女性で、数日前たまたま知り合っていろいろ話をした人だった。大体一人でアフリカに長期できたりする女性ってあんまりいないので話も合った。いろいろ話したけど、彼女に自分のホテルの名前は言っていなかった。西アフリカの商人の定宿のような、ちょっと変わっているけど、でもおもしろくて居心地のいいところだったんだけど、地球の歩き方などにのっているわけでもないし、マイナーなところなので名前を言っても仕方ないと思ったので、大体の場所と西アフリカ人が多いことだけを言ったように思う。彼女は私が兵庫出身だったので震災のことを伝えてあげないと・・と思ったらしく、私の言ったホテルの特徴だけで一軒一軒ホテルを訪ねて探してくれたらしい。ちなみ、その場所はリバーロード界隈。この辺は安宿がたくさんあるので、探すのは大変だったと思う。夕方にやっと見つけ出して私の部屋を訪ねてくれた。もし、熱出してなかったら今頃はビクトリア湖にいたはず。震災のことを知ってもっと心配したか、はたまた知らないまま過ぎていたのか・・。結局、既に遅かったので、その日は何もできなかった。震災の規模もまったくわからなかったし。翌日、道端で売っていた新聞を見て愕然とした。その写真は阪神高速がずたずたになっている写真。たくさんの建物が崩壊している写真や家事の写真。その時、「ああ、もう私の家族も家もなくなっているかもしれない」そう思った。とりあえず日本大使館なら何か教えてくれるかなと思い言ってみた。そこで言われたのは今はまず電話もつながらないし、飛行機のチケットも取りにくいだろう・・とのこと。それでも、念のため電話局へ。実家に祈るような気持ちで電話をかけてみた。そしたらあっさりつながった。そして父が出て、うちのほうはすごい揺れだったけどなんの被害もなかったことや神戸の友人も無事であることなどを聞いて、ほっとした。でも、あのとき、一瞬で全てが無くなる、失うということはあるんだな・・と思った。実際に11年前、あの震災でいろいろな大切なものを亡くした方が多数いる。神戸は今も昔も大好きな街。今はすっかりきれいになったけど、それでもやっぱり更地をみたりすると完全に復興したわけではないと実感する。第一、震災で大切な人、ものをなくした方の気持ちは今も11年前を変わらないと思う。亡くなった方々のご冥福を心よりお祈りいたします。
2006/01/17
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何度か書いたことあるけど、本当にネットサーフィンしているとかなりの確立で知り合いとか友人を発見する。自分的にはけっこうなニュースなのだけど、まあ、プライバシーに関わることだし、その人のことを書くことはできない場合がほとんどだったりする。で、今日もちょっと調べ物をしていたら懐かしい人を発見!今日ネット上で再会した人に関してはBLOGに書いてもOKな人なので書いちゃいます。LUCHA LIBRE@いきなりの肉体美ですが、大阪プロレスで活躍中のビリーケンキッドです。大阪プロレスで詳しいプロフィールをどうぞ。日本にいるうちに一度見に行きたいな~。久しぶりだわ~。彼はもともとメキシコでLUCHADOR(メキシコ版プロレスのレスラー)をしていた人でメキシコのAAAに所属していた。当時のリングネームは「飛影」だった。(・・って、これは公表していいんだよね、飛影君?)なぜか彼はCUERNAVACA在住だったのだ。それで無類のLUCHA LIBRE好きである私と知り合い、彼からはいろんなLUCHA裏話を聞かせてもらっていた。けっこうゴシップネタ(○○の彼女はブサイクとか^^;)も教えてくれたし。やっぱりLUCHADORは食べないと・・と、言うことでうちで日本食ごちそうしたり。なので、うちの相方とも知り合いで相方も彼の誠実なところをとても褒めていた。今でも時々「TOBI(ビリーケンキッドのこと)は元気かなぁ?」って私に聞くくらい。そういえば、この肉体美をつくるために彼は一日一キロのゆで卵の白身食べてた・・。いわく、これがもっとも安上がりで良質なプロテインなんだとか。メキシコでは日本より簡単にLUCHADOR(プロレスラー)になれるけど、本業でやれるのはほんの一握り。ほとんどは兼業レスラー。彼からもAAAにいるころのギャラを聞いたことがあるけど、かなり大変な割にはお金にはならない。そのころ、プロレスをやめて日本へ帰って違う人生を歩もうかな・・なんて言っていたけど、しばらくしたらメールが来て「大阪プロレスに入りました。リングネームはビリーケンキッドです」ってメールが来た。そりゃまた、コテコテなリングネームやね・・と思ったけど、メールを読んでいてもなかなかうまくいっているようだったしファンもついているようだった。あれから数年。相変わらず、いや、パワーアップしてがんばっていたんやね~。なんか、うれしい。プロレスに限らず、自分のやりたいことで食っていくことは本当に難しいけど、実現させているあなたは偉い。しかも、マスク3万5千円!MISTICOのマスクとおんなじ値段になってるでぇ!出世したね!このマスクはcollaboというお店で購入できます。こんな形での再会もうれしいもんですね。
2006/01/16
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昨日、個人的にとってもVIVA!な事を発見した。前回の日記にも書いたけど、現在過去に撮った写真を猛烈にスキャンしているんだけど、その中でふと、改めて自分の関心をひいた写真があったのです。その写真はドミニカ共和国のSAN PEDRO DE MACORISと言う街の民族舞踊を撮ったもの。ちなみにその踊りはLOS GULOYASと言います。ドミニカ共和国へ赴任するずっと前、私はこのLOS GULOYASを見たことがあります。どこでかというと、JUAN LUIS GUERRAのA PEDIR SU MANOのPVの中に出てくるのです。そのPVに釘付けな私。まさかそのときはドミニカ共和国に住むことになるなんてまったく想像もしていなかったのですが、そのときからいつかこのLOS GULOYASを生で見てみたいと思ってました。と、言うのも、私はもともと無類のアフリカ好き。そんな私がラテンアメリカがすきなのはいろんなところでアフリカに出会えるからだと思うんですよね。で、このLOS GULOYASを見たとき、ものすごくアフリカを感じたのです。そして、数年後。何の因果か、あ、いや、なんと言う幸運かドミニカ共和国へ。でも、当時はこの踊りがLOS GULOYASと言うこともSAN PEDROの踊りだと言うことも知らなかったのです。が、あるときSAN PEDROへ行くことに。SAN PEDROはドミニカ共和国第三の都市。世界一大リーガー人口が多いことで有名な街(人口比)。あのサミー・ソーサもこの街の出身だったりする。と、言ってもはっきり言ってこの街、見るものは何もない。私にとってSAN PEDRO DE MACORISといえばMACORIX・・・これでわかったなあなた。素晴しい酒飲みですね。MACORIXはこの街の地酒(もちろんラム酒)。あとは、一応PASTELES EN HOJAという食べ物がおいしいと評判なくらい。(かなりローカルなネタ)で、そのPASTELES EN HOJAのおいしいお店があると聞いていたので颯爽とMOTO CONCHO(バイクタクシー)で到着すると・・・本当にこうやって出迎えてくれたのです。びびりました。まるで私を待っていたかのように、出迎えてくれて踊り始めたのです。もちろん実際は別の団体さんを待っていたのですが、そのへんはさすがドミニカ人。細かいことは気にしない。私たちのことも歓迎。と、言ってもここは劇場でもなんでもなく、ただの公園です。まさかこんな形で見たかったLOS GULOYASを見れるなんて・・。そして、ここ最近の写真整理でこの写真を見つけて、ふとLOS GULOYASについてもっと知りたいと思ったのです。そこで調べてみると、本当にびっくり!な事実が。なんと、2005年11月25日にこのLOS GULOYASがユネスコの「人類の口承及び無形遺産の傑作宣言」に指定されていたのです。どぇぇぇぇっ~~し、知らんかった。ちなみに以前ドミニカ共和国の音楽と踊りで書いたとおりドミニカ共和国には既にユネスコの「人類の口承及び無形遺産の傑作宣言」に指定されているものがもうひとつあります。それがコンゴス ビラメラの精霊信仰の文化的空間と呼ばれるものです。なので、LOS GULOYASで二つ目です。いやぁ~、うれしい。自分が素晴しいと思ったものが世界的に認められて。世界遺産と言うとどうしても遺跡とかが注目を浴びるけど、この「人類の口承及び無形遺産の傑作宣言」は生きている人間が伝え続けている点で私はこちらのほうがはるかに興味をひかれます。このLOS GULOYASはCOCOLOと呼ばれる他のカリブ諸島(もと英国領)からのアフリカ系移民がドミニカ共和国に伝えたものです。一般的にドミニカ人はアフリカの伝統が自分たちの文化に影響を与えていることを否定したがります。でも、こうやって世界的に認められることでアフロドミニカン文化が見直され、保存されていくのではないかと思うし、そう願いたい。ちなみにSAN PEDROでは11月25日を「LOS GULOYASの日」とするそうです。昨年の12月25日から1月6日まで世界遺産に登録された記念としてLOS GULOYAS祭りのようなものを開催していたようです。見逃してしまった人や今後見てみたいと言う方。もともとこのLOS GULOYASはCARNAVALで踊るし、あと1月1日に伝統的に踊る習慣があります。SAN PEDROは首都のSANTO DOMINGOから1時間くらいだし、近くにJUAN DOLIOというリゾート地もあるので行きやすい場所なので機会がある方はぜひどうぞ。同じくCOCOLOSが伝えたと言われるGuavaberry(アルコール飲料)を飲みながら!それが無理な方はせめてJUAN LUIS GUERRAのA PEDIR SU MANOとGUAVABERRYを聴きながら!
2006/01/09
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ここ数日間、ずっ~とやらねば・・と思っていたことについにはじめました。それは今まで撮った写真の整理。昔まだまだデジカメなんてものが存在していなかったころのものや、デジカメはあるけど、シャッター速度とか望遠レンズじゃないと難しいものはやっぱりアナログでとっていたのでそれが相当量あるのです。で、以前買ったスキャナーは行方不明(苦笑)だったので、数ヶ月前に購入。と、言ってもスキャナーだけじゃなくて、プリンター複合機を買ったのだけど。それにしても、日本の電気製品はすごいね。本当に。途上国暮らししていると余計驚く。そんなわけで、大量の写真をスキャンしてました。日本にいるうちにまとめておきたかったし。見ていると「いやぁ~、懐かしい」的写真がどっちゃり。これは10代で初めての一人旅INインドで撮った言わずと知れたタージマハール うう~ん、美しい(自画自賛)他にも山ほどあるんだけど、意外と意識してない割には結構世界遺産にも言っているんだな~と実感。こちらはペルーのマチュピチュ雨季にも関わらず、歩いてマチュピチュに行ったのでたどり着くまでが大変だったんだけど、いろんな意味でその価値があった。ついたとき、朝早くなので他の交通手段で来る人たちは当然いなくて人がほとんどいないマチュピチュはすごく美しかった。まだ、アフリカ時代のものや、中国行ったときとか、それから大量のアメリカ留学時代の写真などなどが残っている。なんだかすっかり遠い思い出のようになってしまったけど、こうやって思い出すのは楽しいもんです。
2006/01/07
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お正月、いかがでしたか?去年はドミニカ共和国のリゾートでワイン片手に年越し。その前はメキシコの相方一族とぶどう12粒食べていた。(メキシコでは大晦日にぶどうを12粒食べて、12個の願い(←多すぎ)をする習慣があります)その前も相方一族と恒例の年越し。確か私は相方一族のリクエストにお答えしてPAELLA(パエリア)をつくったような・・。そんなわけで数年ぶりの日本のお正月。バブリーなchamoy兄からの数々の差し入れを見ているだけで満腹に。そんなにすきでもないけど、「多分これ、ひとつで3万円くらいするんだろうなー」と思って貧乏根性でカニ食べたら食べすぎで気持ち悪くなり、なんだか食欲減退でやせた正月でした orzさて。いろんな方のブログを読ませていただいていると、やっぱり年末は「2005年を振り返る」的な内容が多く(私も書きましたが^^)、新年はやっぱり「今年の抱負」とか「今年の目標」なんていう内容が多いなと思いました。話はそれますが、一人メキシコ在住の方のブログで来年を2007年だと思っている方がいました。思わず「わかるわ~」と思ってしまいました(笑)ラテンアメリカにいるとあんまり「今何年」とか「今日は何月何日」とか考えなくなるんですよねー。(日系企業でお勤めの方なんかは違うと思いますが)ついでに自分の年齢も忘れるし。(あ、忘れたくて忘れているのではありません)去年はいろいろ自分なりの目標があって、そしてそれを実行して結果も出たのですが、その反動か・・今年はそういう目標とか抱負ってのはなんかないような・・。で、ちょっと違う角度から「新年の抱負」とか「新年の目標」というのを考えてみました。ちょっと前の話なんですが、ある時コーディネーター(と、いう名の雑用係)として、あるストリートチルドレン関連のNGOに行った事があります。この日の訪問先はこことあと、メキシコでも有数の超金持ち大学訪問だったのですが、まさに「メキシコの光と影」。同じ国、同じ街にこれだけdistinto(異なる)な世界が存在していることを強烈に見せられた気がします。このNGOはけっこう有名なところで、運営もしっかりしている(ように思える)し、スタッフも熱意を感じるところでした。メキシコのストリートチルドレンの問題は非常に深刻で、この訪問で実際にNGOのお話を聞けたり、ストリートチルドレンたちと話をできたり個人的にも非常に有益な訪問でした。その中で一番印象に残っている話。食堂を見せていただいているとき、ストリートチルドレンの子供たちが描いたという絵が食堂に貼ってありました。スタッフがこう説明してくれました。「ストリートチルドレンには「今」しか存在していません。「今」を生き延びることしか考えられないのです。でも、こうやって過去にこの施設でした行事を絵に描いておけば「過去」を振り返ることもできる。そして、今週の行事を絵に描いて食堂に貼っておくことで今週どんなことがあるのか、と考えられるようになるのです。つまり、未来について考えることを習慣づけることができるのです。ストリートチルドレンにとって「未来」を考えることは「今」から脱却するために必要なことなのです」確かにストリートチルドレンは「過去」を断ち切ろうとしている。「過去」にはつらい事だらけ。「未来」を見ないのは「今」を生き延びるために精一杯だから・・だと私は思っていたのだけど、この説明を聞いていて私の解釈は違ったように思えたんですよね。日本人の方々のブログで「新年の抱負」や「新年の目標」に触れている人がすごく多かったのは小さなころから「新年だから今年の目標を考えましょう」という教育に基づいた習慣なのじゃないのかな・・と思ったのです。ストリートに暮らす子供たちが「未来」を見れないのは「今」を生き延びることに精一杯と言う以上に「未来」を見るという教育を受けていないからじゃないのかと。「全ての人に教育を」これはよく使われることばだけど、改めてそう思う。私自身が開発政策を研究するにあたってその根源にあることは「格差」をなくすこと。まあ、それはとてつもなく難しいことなのだけど、これが私の抱負のかわり。!!'E PA'LANTE QUE VAMOS!!
2006/01/04
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後でUPします^^
2005/12/30
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思うに、日本人って「振り返る」のが好きだと思う。ドミニカ人なんて、全然振り返らんもんね。自分の誕生日はもちろんのこと、自分の生んだ子供の人数も名前も覚えてないもんね。と、言うわけで(?)私は一応日本人なのでちょっとこの年の瀬に今年を振り返ってみたり。なんだか今年はいろいろ大きな節目だった気がする。去年の今頃はドミニカ共和国でリゾート三昧して「食っちゃ寝」を絵に描いたような年末年始。おかげで5キロも太ったなぁ。そして、4月に日本に戻ってきて、すぐに母が亡くなった。いまだに母が亡くなったと言うことがどういうことなのか実感がない・・と、言うか人の死というもののリアリティーのなさを感じている。私や家族にとっては実につらい一年だったのだけど、逆に私個人としてはこのことで嫌でも前を向いていなければならない・・と思うようになったかな。その後研究資料と格闘の日々。なんとか資料をまとめた後、メキシコにも行ったし、台湾にも行けたし。そして、ようやく当初の希望が叶って研究生活@メキシコが実現することになった。多分これも、自分のキャリア(と言うほどでもないんだけどね)大きな節目となると思う。ついでに以前からずっと「やらないと・・」と思っていたHPもえいやっ!とばかりに、数日でつくった。できるだけドミニカ共和国で自分が体験したことを形として残しておきたかった。人様にお見せできるものかどうかは別としてなんかちょっと「やり遂げた」感はあるなぁ。と、言うわけでなんか「やり尽くし」て、「燃え尽きた」感がある(笑)。そんな「燃え尽きた」感じがちょっと心地よかったりもする。(ちょっとM(笑))この一年、お付き合い下さった皆様、本当にありがとうございました。来年一年も皆様にとってよい一年であることを願いつつ。
2005/12/29
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只今一人でお留守番中。自堕落を絵に描いたような生活を満喫。昔からどうも私は極端な生活を送っていて、いつも「ものすごく忙しい」か「ものすごく暇」かどちらかだったりする。12月上旬までは「ものすごく忙しい」だったんだけど、今は「ものすごく暇」になってしまった。そこで、以前からやろうやろうと思っていたHPをつくっておりました。一部の方にしかお知らせしてませんが。・・と言うわけで、見たい人は探してください←なんじゃ、それ。クリスマスは相方に電話したらQue bueno que me acordaste!!(僕のこと覚えてくれているなんて!!)とえらい喜んでいたけど、あの~、もしもし。2日前にも電話したよね?まあ、クリスマスの日にかけてくれた・・というのがうれしかったのでしょう。それにしてもオーバーな。グアテマラから出張帰りって言ってたけど、そんな短期出張だったのね。ま、メキシコからグアテマラはお隣なのですぐだけど。話は戻って。HPをつくっているとどうしてもドミニカ共和国時代の写真を見たり、あと調べ物でドミニカ共和国関連のサイトを見たりしていると、もうたまならなくドミニカ共和国に帰りた~い!!!となってしまった。ドミニカ共和国から送られてきたクリスマスカードにも「メキシコからはドミニカ共和国に近いからchamoyがメキシコに戻ることになってよかった」と書いてあって、「そう、そうなのよ~」と思いました。メキシコからならその気になればざっと6時間ほど。(パナマ経由で)もしくは、プエルトリコまでなら直行便あるのでプエルトリコまで行ってドミニカ共和国へ船でいくとか(笑)。直行便こそないけど、日本から行くことを考えれば楽チン。Kちゃんもこの年末ドミニカ共和国に里帰りすることが決定。なかなかチケットが取れなかったようだけど、ようやく取れたみたい。いいなぁ~。あ~、俺も行きたい。メキシコに戻ったら「ドミニカ旅行貯蓄」を始めよっと。それまで、待っていてくれドミニカ共和国!
2005/12/26
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FELICIDADES!!(おめでとう)俺!・・・って、私の誕生日は11月に既に終了。じゃ、何かと言うと・・・。まずは、ついに50,000アクセス突破~。ちなみに踏んでくれたのは***.kdd.netさんでした。なんか自分で踏むような気がしていたのですが・・。自分の中で5万を区切りにしたい・・と言う思いが(勝手に)あったので、なんとなく記念的アクセス数だったりします。そして。もうひとつ自分にFELICIDADES!ようやくメキシコ復帰が決定いたしました~。希望が叶って客員研究員として渡墨します。ああ、長かった・・・ここにたどり着くまで。これまた5万アクセスに到達したら書こうと思ってました(深い意味はないけど)。一応このこと(メキシコへの研究員としての復帰)は私の中では計画通り。ドミニカ共和国で書いた最後の日記の中で・・「私はドミニカ共和国が心から好きです。この国に来て、来れて本当に良かった。この幸運を誰に感謝して良いのかわからない。でも、どうやって感謝すればいいのかはわかっている。それがこれからの私の課題です。これが「終わり」で「始まり」です。」・・・と、書いたのですが、この時点で研究生活に戻ることを決めていました。「どうやって感謝すればいいのかわかっている」・・・自分にできることを具体化させていくためにはまずはその土台としての研究が必要。テーマはジェンダー政策評価私らしいでしょ?ウシシ。私の本来の専門は国際関係学と日本語教育学なのですが、国際関係学から一歩踏み込んで開発学のなかでジェンダー政策評価をやっていくわけですが、基本ができていない私はかなり苦戦してきました。でも、とりあえずはスタート地点に立ててよかった。しばらく日本語教育からは離れるけど、教育は政策課題のなかで大きなものであり、特にジェンダー平等を考えたときにとても重要なものなので日本語教育とは直接は関係ないけど、今後はもう一歩大きな枠で教育問題にも関わって行きたいと思う。スタートは9月のセメスターにあわせて8月。なので、まだまだ時間あるなぁ~。それまでに一応またメキシコに行くつもりではあるんだけどね。でも、まだまだ下準備をしないといけないけど、専門書は手には入りにくいし、高いし・・。今回の件に関してもっとも強く私の背中を押してくれたのは相方。一度7月頃に挫折しかけたとき、あの時相方に励ましてもらってなかったら多分途中で投げ出していた気がする。友人にもとてもお世話になったし。いろいろな人に支えられつつここまでこれたけど、今度は自分が誰かを支えられるような政策を考えて行きたい。そう思う。と、いうわけでまた私の生活も新しい章へ突入していきそうです。ここ数年、来年の抱負を漢字一字で表しているんだけど、今までは「動」とか「飛」とか「前進系」(笑)が多かったのだけど今年はずばり「和」。「調和」の「和」。自分の中の世界と他の世界がうまくシンクロしていけばいいなと思っている。来年もいい一年になりますように。
2005/12/19
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あ~ぁ・・・台湾旅行も今日が最終日。午後には飛行機乗って帰るのね~と思うの既に悲しかったりする。でも、戻る前にまだまだ楽しむのだぁー!!と、その前に。昨晩のお買い物。台湾の布靴。もちろんシルク。刺繍もちゃんと手でやっているし。この写真のはヒールのないタイプだけど、実際に買ったのはヒールがあるミュール。シルクなので履き心地もいいし軽いんだよねぇ~。前回の台湾旅行でも気に入ってかって帰ったんだけど、メキシコではいていたらみんなから「どこで買ったの??」とすごい質問攻め。日本だと雨が多いのでちょっとどうかと思うけど、メキシコみたいに乾燥しているところだと手入れも簡単なのでお勧め。それから。昨晩ホテル周辺を散策しつつ屋台に目が釘付けになっていた私たち。で、ちょっとチャレンジ☆ってことで「臭豆腐」名前の通り「臭い」(笑)!動物系の独特な香り(苦笑)が・・・。でも、台湾人の大好物なんですよ。ま、こういう発酵系の食べ物ってクセになるんでしょうね。日本人にとっての納豆みたいなもんかな。で。その通り道で香腸(台湾ソーセージ)の屋台もあって香腸好きの私としては買って帰るか・・でも、なんだか大量注文が入ったみたいでおじさん、大忙し。しょうがないので急いでないし待っていると、そのソーセージを注文した台湾人御一行のなかの一人が私たちに話しかけてきた。もちろん中国語で。当然わかるわけもないので、その様子をみてその台湾人の男性はすぐ私たちが日本人だとわかったよう。だけど、笑えたのはじつはこの屋台はキャバレー風のお店の前で、その御一行はキャバクラ嬢と男性陣だったのです。で、私たちに話しかけてきた台湾人の男性はどうも私たちのことをキャバ嬢と間違えた(爆)よう。それをジェスチャーで説明してました(笑)。しかし。ここから先が台湾なのに超ドミニカ共和国的展開。そのおにいちゃん。なんと私たちの香腸をおごってくれました♪そして、おにいちゃんは笑顔で去っていきました。話は戻って。さて、台湾3日目。最終日のメインイベントはなんと言っても小龍包!!!ニューヨークタイムズが「世界のベスト10レストラン」に選んだと言うディンタイフォンへここはなんと言っても小龍包だけど、土日の9時から10時までの間だけの限定メニューである小龍湯包。これが目当て。行列覚悟のお店なのだけど、早くに行ったので待つことなくすぐ入れてよかった。あと、かにみその入った小龍包も。もう、肉汁たっぷりぃぃぃぃ~。かにみその小龍包、激うまっ!濃厚なかにみそがぁぁぁ~。←悶絶中う、うますぎる。こんなうまいもの食べれてしあわせ~。みんなキビキビと働いていました。また来るぞぉ!で、帰り道。うまそうなお惣菜屋さん。目があってしまった・・。その後、ホテルの近くにある市場へ。写真は取れなかったけど、この市場楽しかった~。だって、試食天国☆いろいろなおいしそうなおかずが大量にあって、じぃ~っと見ていると試食をすすめてくれるんですよね~。中国語できたらもっといろいろコミュニケーションできて楽しいんだろうな。もっと見たかったけど、チェックアウトの時間が迫っていたのでホテルへ。速攻荷物つめて空港までのPICK UPがあるのでロビーへ。そして、日本へ。あ~、帰ってきてしまった。楽しかった台湾。また、行くぞぉ~!
2005/12/11
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台湾旅行2日目。昨晩の足ツボマッサージのおかげか、体も軽い!今日は一日動きまくりなので、朝も6時半に起床。いつもごろごろのカリブリゾートとは大違い(笑)。私たちもがんばればできるのね~とKちゃんと感心しつつ朝ごはんへ。宿泊についてる朝ごはんだし、たいして期待もしてないけど食べないとなんかもったいない・・と言うビンボー根性で食べに行きました。朝のおかゆはいいねぇ~と軽くおなかに収めて、さっそくお出かけ。まずは地下鉄で一日乗車券を買って「龍山寺」へ。朝早くから参拝者で一杯。にぎわっていた。いかにも中国的な感じがなかなか素敵だった。でも。私たちの目的はお寺じゃなくて、実はお寺のすぐそばで売っている「胡椒餅」こんな感じで釜(?)のような壷(?)のようなものに貼り付けて焼いてあります。この辺、なんだかインドとかネパールとかっぽい。一個40元也。肉汁がすごっくたっぷり!一個だけでもけっこうボリュームあり。食べ終わったところで、流暢な日本語で話しかけられたのだけど、長崎に住んでいると言うその台湾人のおじさんに「ここの胡椒餅は台湾で一番おいしい。他のところだったら25元くらいのもあるけど、ここのは黒豚を使っているから全然味が違う。どうして、ここを知っているの?」なんて聞かれた。「ガイドブックに載ってたからきました」って答えたんだけど、地元の人がおいしいと言うところで食べれてうれしい。そして土日だけやっている市へ。雑貨市と花市。それから玉市。玉とはもちろん翡翠のこと。この中でも花市はけっこう規模が大きくて、さすが南国台湾!って感じで蘭の花がきれい。あとシルクの雑貨や翡翠の携帯ストラップなんかを購入。その後、地下鉄で「木柵駅」まで行って、タクシーで今回の台湾旅行のメインイベントである「猫空」へ。「猫空」は台北のはずれにある茶芸館がたくさんあって有名なところ。お茶畑があるところで、ここの茶芸館はだいたい自分のお茶畑をもっているんだそう。なので、お茶葉を使った料理も食べれるそう。う~。楽しみ。でも、残念ながら雨が降り出した。ここ猫空はすばらしい景観も売りなので、晴れて欲しかったんだけどな~。でも、今日しか日程的に行くの無理なので強行するしかないし。そして到着したのがここ。蘇州の庭園を模したという店内は2階なのに鯉が泳いでる!3階席はオープンテラスになっていて猫空の景観を楽しむことができるけど、今日は雨模様なので2階席で。2階といっても客席は全部同じなのではなくて、池の上にガラス張りの部屋もあって、お茶を飲む自分の下を鯉が泳いでいたり・・。私たちはここを選択。本当にゆっくりお茶を楽しめる空間です。茶器もかわいい。お昼時なのでランチも!と言うことでお茶の葉を使った料理を!と思ったのだけど、ここはまったく日本語が通じないし、メニューの漢字を見てもいまいちよくわからなかった・・。でも、ま、これなんかどう?って漢字でほとんど想像の世界(笑)で注文。で、出てきたのがこれ。あと、もうひとつ頼んだのだけどそっちは写真がぶれてたので残念ながら載せられません。この左側に写っているシチューのようなもの、激ウマでしたぁ~。なんだか台湾版SANCOCHO(ドミニカ共和国を代表するごった煮のような料理)って感じ。すっごくおいしかった。もうひとつのほうは牛肉と大根なんかを煮込んだもので、お肉もとろ~っとしてておいしい!セットメニューについているのはしいたけのてんぷらや茶葉の炒め物などなど。おいしいぃ~~!そして、さらに感動的においしかったのは・・「凍茶」「凍茶」とはウーロン茶のゼリー。もう、絶品でした。自分じゃ絶対この味出せないだろうなぁ~。本当においしかった。大満足のあと、タクシーを呼んでもらって地下鉄の駅へ。そして、外国人の要人が宿泊することで有名な台湾を代表するホテル「圓山大飯店」へ。ここは飲茶やティータイムも充実してて、泊まらなくても楽しめそう。まだまだ楽しい台湾の一日・・と言うわけで士林夜市へまずは香腸!台湾のソーセージ。ちょっと甘めでビールが進むぅ~。今度は台湾スイーツ!豆花です。あっさり豆乳プリンってところでしょうか。私は冷たい豆花でKちゃんは熱いほうを注文。トッピングも選べるのだけど、私は定番ブラックタピオカ。もちもちでおいしいぃ~。まだまだ食べます!大好物のビーフン。みんなが食べてたので注文してみたいかスープ。いかもぷりぷり。歩いているとこんなの発見!金魚釣りならぬ海老つり。えびは手長海老。う、うまそ~(←こればっかり(笑))でも、なかなか吊り上げるのは難しい感じ。こんな感じで夜市は楽しい~。安いし大満足。そして、いったんホテルへ戻って本日もマッサージへ。「豪門世家理容名店」へ。ここで全身マッサージを堪能。2時間コースで、温湿布で体も温まる。マッサージ師のお姉さんが体の上にのっかて微妙に体重を加減しながらマッサージしてくれて贅沢気分。本当に大満足の2日目終了。
2005/12/10
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いよいよ3年ぶりの台湾。ついでに関空使うのも3年ぶり。ここ最近は成田ばかりだったし。昨晩からKちゃん宅に泊まっていたので一緒に関空へ。荷物も手荷物だけだし、チェックインもすぐ終了。それにしても関空、人、少なっ!閑散としてた。ま、混んでいるよりすいていてよかったけど。今回初めてキャセイパシフィック利用したけど、いい感じ~。シートもゆったり感がある気がする。機内食食べて、おしゃべりしてたらつくって感じのこの台湾までの距離感もいい。スムーズに到着して、ホテルへ。送迎があるので、PICK UPの方を発見して近づくと「そこで福引やっているので、チケットの半券とパスポート提示して引いてきてください」・・・思わずKちゃんと爆笑。な、なんなんだー。このドミニカ的わらえる展開は!と、思いながらもとりあえず福引引いといた(笑)。はずれだったけど。ホテルに到着後、速攻お出かけ。まずは、茶芸館へ!「茶楽」ここは簡単なお茶セミナーもやってくれて、おいてある5種類のお茶は好きなように飲んでいい。お茶菓子もついています。初めての方にはいいかな・・と思うけど、それ以外には向いていないところですね。私もKちゃんも台湾は初めてじゃないのでちょっと・・ね。台湾初めての団体さんなんかの定番って感じでした。その次はさっそくお茶を買いにお茶屋さんへ。徳興茶業有限公司↑人間が入りそうなくらい大きいここはしっかり試飲もさせてくれて、いいお茶を安く買うことができるお勧めのお茶屋さんです。ご主人はなんだかお茶を売るのが趣味のように思えるくらいで、自分も一緒にお茶を楽しんでいる感じでした。あまり商売人という感じではなく、変な押しもなくて納得してお茶を買うことができました。ご主人の日本語は流暢ではないけれど、お茶を買ったり質問するくらいならまったく問題なしなので、安心できるお店です。たっぷり試飲させてくれるし、変な茶芸館行くより、いいかも。お勧めです。お茶屋さんの近くにある寧夏路夜市へ!ここは規模的には小さいけど、おいしい屋台が多いことで有名。何を見ても「うまそ~」を連発。私とKちゃんは食べ物の好みもかなり近いので食べたいものも似ていて、真っ先に食べようと思ったのは「牡蠣のお好み焼き風卵焼き」日本じゃ牡蠣は高いので、牡蠣の安い台湾で満喫。熱々でおいしかった!そして、夕飯を食べに「梅子レストラン」へ。台湾で有名なレストランで日本人客のとても多いところで定番中の定番レストラン。食べたのは・・・いかのすり身を揚げたものあわびそして、蟹おこわ!(時価)二人共蟹に夢中でほぼ無言(爆)あわび、うまかった~~~!!この時点で夜10過ぎ。いろいろ歩いて食べて、満足だけどさらに満足したい!と言うことで、足ツボマッサージへ。今回の宿泊先の周辺はなぜかマッサージ店の集中しているエリアで、歩いていけるところにある、その名も「健康堂」へ。割と新しいお店なので内装も明るくて入りやすい。マッサージ師さんたちは弱っているところを的確にあてるのでびっくり!ちなみに私の指摘された「弱っているところ」は・・・子宮卵巣腰首肝臓が~ん・・。このうち、まったく心当たりのないのは子宮。エコー検査でも「きれいな子宮」と言われていたのでちょっとショック。卵巣は前から左の卵巣がはれてる・・と言われているので納得。あと、腰痛持ちだし、首はものすごくこっているのよね~。ただ、肝臓はいつも検査数値は素晴しいので何で肝臓が弱っているのかな?とも一瞬思ったけど、実はこのマッサージに行く前に当然ビール飲んでいるんだよね~。肝臓ってアルコール飲むとすぐ負担がかかるらしいので、多分そのせい。あと、言われたのが「スポーツ選手の脚」なんだそう(笑)。これ、よく言われるのよね。一番言われるのが「ダンサーの脚」!がはは。今回は「水泳選手の脚のようだ」と言われました。実際長い間水泳をしていたので、あたっている。(選手と呼ばれるようなものではなくて、あくまでも趣味でやっていただけだけど)ここのマッサージはとてもよかった!本当に体が軽くなりました~。こんな感じで第一日目終了。一日目にして、既に大満足の一日でした。
2005/12/09
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今気づいたけど、日記ってさかのぼって過去の記事を書けるのって当月と前月のみなのね~。・・ってことで、10月29日の日記を書くつもりだったけど、10月分はもう書き込めないようなので今日の日付で書くことに。******************************あ~。ついにこの日がやってきました。結婚式当日。って、私の結婚式じゃないんだけど(苦笑)、でも相方の妹の結婚式なのでとても身近に感じる。私がドキドキしてたりする。朝起きてご飯を食べていたらお義母さんの用事をかわりに引き受けることに。銀行行く用事だったので、相方と出かけたんだけど、この日はQUINCENAの次の日だったぁぁぁぁ~。(涙)QUINCENAとは要するに給料日。メキシコでは給料日は月に2回。つまり15日に一回なのでQUINCENAこの日の直後はスーパー、レストランなどなど一挙に混む。つまりみんな給料はいるまでお金ないんだよね~(悲)。おまけにすぐにぱぁ~っと使っちゃうんだよね~。ま、スーパーのお買い物とかは必需品だからしょうがないけど。で。当然ながらもっとも混むのは・・・銀行ってな訳で1時間以上並びました。急いで家にもどると親戚なんかが来ていてみんなドレスアップに余念がなかった。遅れたうちらはみんなが教会のミサに出かける中、急いで着替え。私は結婚式はよく呼ばれているんだけど、考えたら教会の結婚式のミサには行ったことはない。・・と、言うのもメキシコでは結婚は単なる民事婚とカトリック教会での結婚と二つあって、当然教会で結婚しない人はミサはない。なので、どんな感じなのか興味あったので行きたかった。急いでタクシーで教会へ。ミサの時間からは既に1時間以上たっていたのでそろそろ終盤・・って言うか終わってたよ~。でも、ちょうど新郎新婦との記念撮影だったので写真はちゃんと撮ってきたけど。一応うちは「事実婚」なので(爆)、しっかり家族写真にも写り、相方の嫁としての写真にも写り・・・。そこで一言。「これってさぁ~、うちらが別れたらこの記念写真飾るの気がひけるんじゃない?」って言ったら相方に怒られた(苦笑)。ちなみに。ミサは1時からだったのだけど、新郎のFには「12時半からだから」と言ってあったらしい(笑)。義弟いわく「知っているうちで一番FがHORA MEXICANA(メキシカンタイム)な人」なんだそうで、「早めに言っとかないと、自分の結婚式でも遅れてくるよ」とのこと。ミサが終わったところで次は結婚パーティーなのだけど、これは3時半くらいからとのことなので、いったん家に戻って会場へ。想像してたのよりずっと素敵なガーデンウェディング!やっぱりメキシコの結婚式はこういうスタイルが好きだわぁ~。見つめあう新郎新婦こっちが照れます~。ちなみに、うちの相方と妹は全然似てません。本当に兄妹?ってくらい似てない。メキシコってすごい混血なので兄弟でも目の色から肌の色まで違うこともあるくらい。この写真を載せたのはウエディングドレスが実はお義母さんの手作りだったのと、新婦のティアラやネックレス、ピアスがとっても素敵だったから。ちなみにそのティアラなどなどは世界遺産に指定されている銀の街TAXCOに住んでいる相方のおじさんがデザインして自分で作ったもの。かなり立派で、買ったら高そう~。新郎はCHILANGO(メキシコシティー出身)ってすぐわかる人なのだけど、気さくで話もしやすくて私も安心。親戚付き合いが半端じゃないメキシコでは、こういうの重要。気の合わないとんでもない人が親戚にいると本当に人生大変。幸い相方一族は付き合いやすい人たちばかりでとても助かっているけど。今回の結婚式。どんなけMUSICO呼ぶねん~!って突っ込みを入れたくなるほど次々といろんなMUSICOがやってきた。これはお決まりMARIACHI新郎Fは歌がうまいらしくMARIACHIをバックに新婦に愛の歌を歌っていた・・。私はこういうの大の苦手なんだけど、メキシコ女性はこういうのすごく好きなんだよね~。ま、会場も盛りあがっておりましたが。これはもっとも盛り上がったBANDAMORELOS州は実はBANDA音楽が盛んでレベルもけっこう高い。この人たちもかなり上手かった。その分、料金もかなりお高い。私はこの手の音楽は苦手で好きじゃないけど、やっぱりメキシコには合う音楽だし、みんなすごくうれしそうだった。特にCHINELOSがかかったら大盛り上がり。さすがMORELOS!こんな感じでお決まりのダンスタイムにブーケトス、それから花嫁のガータベルト投げ!などなど。しかし。さすがメキシコ・・と思ったのは式場は午後3時から午前3時まで押さえてあったこと・・。日本じゃ12時間もパーティーしない・・。でも、本当に午前2時ごろまできっちりパーティーが続いたのでした。
2005/12/07
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ちょっとばかし所用でまたまた東京へ行っていました。そして、ちょっと複雑な心境で戻ってきました←意味深発言(爆)おまけに戻ってきたらあまりにもの寒さにぷるぷる。ちょうどいい区切りを迎えたので、「この一年、俺もがんばった」と言うことで、今週末台湾へ。ウシシ。忙しかったので下調べもしていなかったので、ようやく暇になったので今日はネットで調べ、バーチャルに頭の中ですでに旅行気分。今まで全然触れていなかったけど、実は私はかなりの台湾好き。相方がいなければ、確実に台湾に移住してたはず!それくらい大好きな台湾にいけるだけで幸せ♪とにもかくにも大好きな茶芸館巡りにマッサージ満喫でございます。布靴もいっぱい買ってこよーっと。確実に5キロくらい太ってくる予定(爆)。ラテンも好きだけどたまには気分転換。あ~、楽しみ、楽しみ♪
2005/12/06
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実は今、忙しかったりする。忙しいゆえの現実逃避・・ってことで日記UPしたりしています(汗)。と、いうわけでメキシコ滞在記もUP中。話は変わって・・。以前はまっていたTELENOVELA(ラテンアメリカのテレビドラマ)に「RUBI」というのがあったのだけど、このRUBIの主役を演じていたのがBARBARA MORI 最初、「ん?MORI?森さん?」と思ったけど、例えばAQUINO=秋野さんって感じのたまたま日本語と発音が同じ苗字なのかと思っていたけど、やっぱり!BARBARA MORI!日系なんですよーーーーーーー!!どこに日本人の血が入っているのだー!というくらいそういう感じがしないけど、こんな美女が日系ってなんかうれしい。ちなみにウルグアイ生まれなのですが、やっぱり移民の国、ウルグアイ。ものすごい混血っぷり何じゃないかと思う。で。その「森さん」が主演している最新映画がこのLA MUJER DE MI HERMANOちょうど私がメキシコいるときにロードショー中だったのだけど、見にいけなかったので、今度戻ったときにPIRATAで見るか(苦笑)。BARBARA MORIはあまりにも「RUBI」役がはまり役だったので、私の中ではいかにも「根性悪いラテン女」のイメージが定着してしまっていますが、見た目にもこれぞLATINA!といった感じでBOMBAな感じで目の保養です。機会がある方はぜひご覧あれ。
2005/11/30
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10月24日~メキシコ滞在中の日記をぼちぼちとUPしています。そちらのほうも見てくださいね。続きを書く前のお知らせでした☆
2005/11/26
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これを書いているのは12月16日。たまたまメキシコ在住の方がメキシコとベネズエラの外交問題について書いている記事を読んだ。人それぞれ考えは違うわけで、だからおもしろいわけで。でも、私個人はその方の意見とは180度違う意見を持っている。ちょうど、先月在ベネズエラだった友人にあったときの話も書こうと思っていたし・・って言うかすでに書いていたので以下に続く。*********************************11月20日今日は三宮でベネズエラ系の友人Kに会う約束。昨日からKちゃん宅にお泊りだったけど三宮での待ち合わせがけっこう早かったので早起き。休日だったしゆっくりしたかったんだけどねぇ~。Kちゃん、ごめん。今まではドミニカ共和国でKちゃんちに行くともれなく蚊帳の中で寝れるのだけど、ここは日本。そして今は冬・・。私は蚊帳で寝るの好きなんだよね~。なんというか落ち着く。世界のあちこちをうろうろしていると季節や気温の急激な変化についていくのがけっこう大変。アメリカに住んでいるときは引越しをしたのでマイナス30度の「鼻毛も凍る世界」から50度の「車のボンネットで目玉焼き焼けます」の世界を体験。マイナス30度は死の危険を感じますよ~。本当に。さて、久しぶりにあうベネズエラ系日本人の友人。お互いアメリカ留学を経てラテンアメリカ行きという似たような経歴を持っているしいろいろ話もあっておもしろい人である。私はけっこう人に会うと反射的にHUGをしてしまう人なのだけど、相手が日本人男性だと基本的にはHUGはしない・・けど、ベネズエラ系の友人が現れたら・・おもいっきりHUGされた~。やっぱり(笑)。お互いラテン系だね~。お互いの国(俺、メキシコ。彼、ベネズエラ)の話を熱く語る(笑)。と、言うのも折りしも私がメキシコ滞在中ベネズエラのCHAVEZ大統領のFOX大統領への強烈な批判が外交問題にまで発展していた。この話はなかなか奥が深い。もろに私にとっては直球ど真ん中な話題。ベネズエラに住んでいたKの視点をぜひ聞いてみたいと思っていたし。日本人は一般的に政治の話をしないし、好まない。なのだけど、私にとっては自分の専門分野にも絡んでいるし、やっぱりラテンアメリカなんかに住んでいると政治というのは身近なものだったりする。と、いうわけでCHAVEZ大統領のアルゼンチンで開催された米州サミットでの「FOX大統領は帝国の犬である」発言に関していろいろ話した。堅い話になるけど、私はFOXISMOにはとても批判的なのでCHAVEZの発言はその通りだと思うけど、反面ベネズエラの石油の約50%は米国が買っている現状を考えると、果たして帝国の犬はFOXだけなのか?と言うことになる。とはいえ、どう考えてもFOXよりCHAVEZのほうが上手。根性が違う。Kからもベネズエラの現状を聞けて興味深かった。友人も私と同じく基本的にはCHAVEZの政策を評価しているのだけど、具体的ベネズエラでの彼の評価なんかも聞けておもしろかった。ラテンアメリカの産油国としてメキシコとベネズエラはそれぞれ思惑があるわけだし、それに加えてネオリベラリズムの信奉者であるFOX とCHAVEZは水と油なわけで、両国の関係は悪化している。今後が気になるところ。ま、そんなお硬い話からそうでもない話までいろいろして楽しく時間が過ぎていったのでした。仕事のあるKと別れて、私はお買い物。途中で南京町によって買い食いしたりした後、帰宅。やっぱり神戸はいいなぁ~。今度はじっくりお買い物に来よっと。*********************************今日はちょっと硬めで。たまにはまじめな話も書くのです。NYのテロ事件があったとき、私はメキシコにいたのだけど日本とメキシコではかなり報道の仕方が違ったのが印象に残っている。日本の報道はアメリカというフィルターを通している。それをそのまま鵜呑みにしてしまうのはとても危険だとおもう。ベネズエラのCHAVEZ大統領にしてもそう。アメリカから見れば「邪魔者」でしかないCHAVEZは「悪者」のレッテルを貼られている。それがそのまま日本にも入ってきているような気がする。本当に悪者かどうかはベネズエラ市民の支持をみればわかるはず。CHAVEZは圧倒的に支持を得ている。彼を支持していないのはベネズエラの裕福層。一方FOX大統領。CUERNAVACAは今やちょっとしたバブル状態。どんどん新しいショッピングモールやら大型スーパーなんかが建設されている。一件、なんだか豊かになっていっているように見える。だけど、そのほとんどは外資。メキシコは国を切り売りしているだけ。来年からアメリカからの主要農作物(とうもろこしや豆など)の輸入が始まる。市場に安いとうもろこしや豆がどんどん入ってくる。これも一見いいことのように見える。だけど、これでますますメキシコの農民は追いやられる。ZAPATISTAが94年に「TLC(TRATADO DE LIBRE COMERCIO=NAFTAのこと)はメキシコ農民への死刑宣告である」と言ったのはまさにその通りだと思う。2006年の大統領選はそういう意味で舵取りの正念場だと思う。現状はAMLOことMANUEL LOPEZ OBRADORが圧倒的支持を得ているけど、まだまだ勝負はこれから先が長い。私は投票することはできないけど私なら間違いなくAMLOに投票する。そんなわけで来年はメキシコの今後がかかった大きな年になるんじゃないかと思います。
2005/11/20
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昨日から京都泊。実は京都には6年ほど住んでいたのでなじみの街でもあり、大好きな街でもあったりします。なんか京都に来ると「ほっこり」できるのです。とはいえ、京都は秋の観光シーズン真っ只中でございます。俺様は観光じゃないちゅうのにホテル押さえるの苦労しました。(おまけにハイシーズン料金で高い)と言うわけで所用で京都。そんな中、京都のはずれでばったり出くわしたニカラグア系日本人2名様。おー。お久しぶりです。といっても一人はニカラグアに遊びに行ったときに会っていて、もう一人はドミニカ共和国に遊びに来たのでそんなに遠い昔ではないとはいえ、久しぶり。京都と言う日本の古都に行っても出会うのはラテン系。類友ですね。ついでに偶然メキシコ人と話す展開になってしまった。ますます、類友だー。スペイン語を長く勉強しているのかと聞かれたのでメキシコとドミニカ共和国にいた話をすると、その人D.F.出身だっていうので、思わずchilangoですね・・と言いかけた(笑)。最近はchilangoって肯定的に使う人も多いけど、基本的には差別的な呼び方だもんね。ま、PIPOPEほどじゃないけどね。ちなみにPIPOPEとはPOBLANO(PUEBLA出身)のことだけど、PINCHE POBLANO PENDEJOの略です。意味はスペイン語のわかる方だけわかってください。和やかにメキシコ人と話した後、一路大阪へ。梅田でドミニカ系日本人である、わたくしのドミニカ共和国での相棒であるKちゃんと半年振りの再会☆Kちゃんと大阪の街を歩くなんて、な~んか不思議。焼き鳥食べながらいろいろ語って、今晩はKちゃん宅にお泊り。お土産にメキシコのチョコレートとコーヒー持参で行ったのだけど、KちゃんもKちゃんの妹さんもメキシコに来たことがあるのですごく喜んでくれた。Kちゃんの妹さんはメキシコの骸骨グッズが大好きで、同じく骸骨好きな私と話が盛り上がる。そんな感じに日本なのにラテン系な感じで夜もふけていったのでした。そして、明日は神戸でベネズエラ系の友人と待ち合わせだったりして、まだまだラテン続き。
2005/11/19
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あ~ぁ。戻ってきてしまった。あ、決して日本が嫌なわけではありません。しばらくご無沙汰しておりました。実は今後もしばらく忙しい状態が続くのでメキシコ滞在中の日記は落ち着いたらUPしていこうかなと思っています。戻ってきたらなんだかすっかり冬になっていて・・南国仕様の体なのでつらいです(笑)。ま、D.F.はけっこう寒いんですが、クエルナバカは朝晩をのぞけば半そでですからね。今回は結婚式や誕生日(←俺の)やらで、食べすぎて見事にふとって戻ってきました。ま、何もなくても結局太って帰ってくるんですけど、毎回。しかし。本当に気を抜いてメキシコの街を歩けない・・と言うくらい誰に会うかわからない状態で、帰りの空港でびっくりの再会もあった。早朝のフライトだしすっぴんで行きたいところだったけど、空港では毎回誰に会うかわからないのでとりあえずメイクしといてよかった・・(苦笑)。でも、メイクしてないほうが誰かわからなくていいかも(爆)。しかし、めんどうで髪の毛巻いてなかった・・。う。と、言うわけで今回の滞在中もいろんな人から勝手にいろんなchisme(噂話)を聞かされ、本当にradio bemba(ドミニカ共和国語。人づてにうわさは確実に早く広く伝わると言うような意味)を実感。今回の滞在はほんとうにまったりできてよかった~~。いろいろ収穫あり!な滞在で、満足です。どう満足だったのかはこれから書いていきますよ~ウシシ。
2005/11/16
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後でUPします^^
2005/11/10
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後でUPします^^
2005/11/09
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後でUPします^^
2005/11/07
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2005/11/05
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とにもかくにも「食」が頭の中をいつも占めている私。メキシコに里帰りするときも、毎回、あれも食べて、これも食べてETC なのですが、毎回「絶対食べるリスト」の1位を占める食べ物があります。それが、これ。TACOS AL PASTORこれは豚肉をオレンジジュースとスパイスを混ぜたものに漬け込んで写真のようにあぶり焼いたものを薄くスライス。パイナップルや玉ねぎ、シラントロ(香草)などをドバッとのせて、さらにSALSA(ソース)をかけていただきます。「酢豚のパイナップルは許せない派」の私だけど、PASTORのパイナップルはなぜか許せる・・というか、ないと嫌だ。このTACOS AL PASTOR おそらくはアラブ料理がメキシコ化したものだと思う。トルコのドルネケバブにそっくりだもん。私は実はイスラム料理が大好物。なのでイスラム圏へ行くともう、とまりませ~ん。特にモロッコ料理大好き。あと、タンザニアのザンジバル島の料理もうまかった。けっこうラテンアメリカというのは実はアラブ系の人が多い。もともとはスペイン自体がアラブ系の血がかなり入っているのでスペイン人とメキシコ先住民の混血と言ってもアラブ系の血が入っていることが多い。それに移民もけっこういるし。なので、メキシコに関わらず意外とラテンアメリカの料理にはアラブの影響を受けたものがあったりする。さて。このTACOS AL PASTOR なぜか日本人ウケする味らしく、かなりの日本人が「一番好きなメキシコ料理」にTACOS AL PASTORをあげる人が多いですね。ちなみに私の好きなメキシコ料理TACOS AL PASTORCHILE RELLENOCARNITASMOLE(特にROJO)TAMALESENSALADA DE NOPALES(サボテンのサラダ)POZOLE(BLANCO)などなど。なんかメキシコ人みたいだー。それから、こちらは私の大好きなメキシコの飲み物。赤いのはAGUA DE JAMAICA(ハイビスカスのジュース)白いのはHORCHATA(お米のジュース)どちらもメキシコ人が大好きなもの。HORCHATAはおいしいのとそうでないのではかなり差があるので、おいしいところを知らないのなら無難にJAMAICAを注文したほうがいいと思います。私はもちろんどちらも自分でつくるので自分好みにつくりますが。でも、お店だとどちらにするかいつも悩む・・。そこで、相方はいつもJAMAICA派の人なので私はHORCHATAを頼んで両方飲むことにしています。メキシコはラテンアメリカではダントツに食文化の豊かな国なので、本当に料理に関して楽しみの多い国です。
2005/11/04
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後で書きます^^
2005/11/03
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2005/11/02
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私がメキシコで一番好きな日・・・それはDIA DE MUERTO死者の日です。「骸骨祭り」とでもいえるくらい、死者の日が近づくと骸骨のオンパレード。特に砂糖でつくった骸骨が街中に並びます。他にもチョコレートやアマラントという粟のようなものでつくったものもあります。死者の日は日本のお盆に当たる日で、死者の魂があの世から戻ってくると信じられています。日本と違うのは「死んだ人はあの世で楽しくしている。だから現世に生きる自分たちが悲しんでいてはいけない」と言う考え方があって、お墓でパーティーしたりして、楽しくお墓で過ごします。もちろんひっそりとお墓参りして故人を偲ぶ人もいますが。そして、「死後の世界」は楽しい・・と思っているので、骸骨たちは楽しそうに描かれています。私はこのメキシコ的なお盆が大好きで、死んでからもこうやって自分のことを楽しく思い出してくれるんだったらメキシコで死んでもいいかな・・と思ったり。今回は写真を取れなかったのですが、他にもOFRENDAといって、故人の写真や故人が好きだったものなどのお供えをきれいにデコレーションします。この時期、メキシコでは各地でこのOFRENDAコンテストなんてのも開かれます。本当に見ていて飽きないし、この時期メキシコに旅行に来るのもお勧めです。私はOAXACAかMICHOACANなどに行くのですが、この地方は今でも伝統的な死者の日の行事をしています。死者の日のお楽しみはまだあって、これはPAN DE MUERTO死者のパンこの時期、山ほど売られています。私の好物でもあります。けっこうシンプルな味なのですが、その分飽きが来ない。他にもOAXACAなどでは死者の日に特別用意する料理があります。ぜひ、11月1・2日はメキシコへ。
2005/11/01
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昨晩半分寝ぼけながらの電話では相方は今日朝帰ってくるはずだった。で、明日はCUERNAVACAでの結婚式には2人して絶対出席なので今日はCUERNAVACAに帰らないとまずい・・と、言うことで今日こそは相方が戻ってくるに違いない・・と読んでいたわたくし。朝8時に相方から電話。相方「今、CUERNAVACAにいるんだけど」私「はあぁ~??」なんで、CUERNAVACAに一人、戻っているんだぁぁぁ??いわく。「いやぁ~、昨日仕事でCUERNAVACAに行かないと行けなかったのでそのまま戻ってきちゃった」私「・・・・・・」相方「で、ホテルまで迎えに来て欲しい?それともタクシー乗ってバスターミナルまで行ってバスで来れる?」メキシコシティーとクエルナバカの往復なんて数え切れないくらいしている私にとってはべっつに一人で余裕で帰れますわよ。フン!でも、なんで日本からわざわざ来ていると言うのに私一人で荷物もって帰らないといけないんだ?と、思い「迎えに来て」と言うと相方君「・・・・・・」確かに迎えに来るのはめちゃめちゃめんどうだし、時間もかかる。でも、それだったら最初から「悪いけど一人で来れる?」って言えばいいと思うんだけど、その辺ラティーノだからいえないんだろうな~。あくまでも女性側が「選んだ」ということにしたいんだろうなぁ~・・と思い、ま、迎えに来てもらうほうが時間の無駄・・と思い、さっさと一人でCUERNAVACAへ戻ることに。が、もちろんバスターミナルには迎えに来てもらった。あ~、やっぱりCUERNAVACAは暖かい。その後、明日が結婚式だっちゅうのに(あ、わたしのではないですよ。念のため(笑))、まだ服やら靴を買っていないという相方の買い物に付き合うことに。相方弟に車で迎えに来てもらった。で、どっかで飲んで帰ろう♪と言うことになって、わりかし最近にできたLA BOTICAというCANTINAへ。ここ最近メキシコではCANTINAが流行っていて、ここもかなりにぎわっていた。ちょっと前まではCANTINAって「男の酒場」って感じだったけど、今はそんな感じじゃなくて、食べ物も充実。最近のTEQUILAブームもあってなんだかお洒落なコンセプトになっている。ここLA BOTICAは確かチェーン店で、メキシコシティーでも行ったことがあるきがする。そしてTEQUILAガバ飲みした記憶も(笑)。やっぱり2×1(2つで1つ分の料金)はやばいっすね(笑)。で。今回は私の大好物CARNITASとビール山盛り♪ちょっとピンボケだけど、こんな感じ。↓CARNITASは豚肉でとってもジューシーでおいしい。ちなみにこれ、1キロのCARNITASなんだけど、私は大好物にもかかわらずいまいちおなかがすいてなかったので実質、相方と義弟でたいらげた。がっつり!くったのは彼ら。でも、気分的に満足☆メキシコに行ったらこういうCANTINA、お勧めですよ~。安いし、飲めるし(笑)。
2005/10/28
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本日も資料探し第2弾。昨晩TOLUCAから戻るからね~と電話をかけてきた相方は私の想像通り(笑)、戻ってこなかった。でも、さすがに9年も付き合っているともう、読めるもんね。ついでにラテンアメリカに長く住んでいると約束まもらない・・なんて事にも慣れるのです。昔はいちいち、ぎゃーぎゃー言ってましたが、今ではどうでもよくなりました(爆)。でも、約束を守らなかったことはどうでもいいとしても、何かあったのかな?と少々心配していたら電話がかかってきた。いわく。メキシコシティーに戻ってきたら雨が降っていたので少し収まるまで休もう・・と思ったら爆睡してしまったらしい。また後で電話するから・・って、なんでいつも一度で用件を伝えないんだー!といつも思うんだけど、ま、いいか・・と思って私は朝ごはんへ。以前会社勤めをしていたころ、よく通勤途中でフルーツヨーグルトを買っていたんだけど、つい、習慣で買ってしまった。けっこうボリュームあるので他のものが食べられなくなってしまうけど、朝はヨーグルトよね。やっぱり。その後、ネットカフェへ。それから下見しておいた結婚式用のドレスを買いに。前からピンクのドレスが欲しいと思っていたんだけど、ちょうどピンクでそれも私好みのデザイン。(←つまりは露出が多い(笑))試着してみて思ったけど、やっぱり私はこういう淡い色はあんまり似合わない・・。店員さんもそう思うのか、しきりに赤のドレスを進めてくるし。実際、自他共に認める私に似合う色って赤なんですよね。インパクトの薄い顔にはインパクトのある色がいい・・ってことだと思うんだけど。でも、赤のドレスよりピンクのドレスのほうがデザイン的に気に入ってたので、結局ピンクのドレスをご購入。ウシシ。ここでいったんホテルに戻って再び出かける準備をしていたら相方から電話。「今日は絶対戻るからね」・・・って当てにしてませんよ~(笑)さて、ここからが本番。と、いうことで資料探しのたびその2。UNAMへ。UNAMはUNIVERSIDAD NACIONAL AUTONOMA DE MEXICOのことでメキシコ国立自治大学ですね。ここはなんと総学生数20万人!教職員とかも含めるとえらい数に・・。これだけでかいともうひとつの街ですね。実際大学のことCIUDAD UNIVERSITARIA(学園都市)というようにも呼びます。この大学はテレビ局やプロサッカーチームPUMASも持っているし、外国人用のスペイン語コースがあるので日本人にも有名な大学です。さらに、有名なのが図書館。ここの図書館にはギネスに認定された世界一の大きさの壁画があります。これがその図書館。と、いうわけで昨日と同じ地下鉄でUNIVERSIDAD駅へ。ここから無料バスが出ているのです。が、この大学。とにかく広い。バスの行き先も5つに分かれています。つまり自分がどこに行きたいのかはっきりしてないとたどり着けません。事前に目的の研究機関のあるところの地図をプリントアウトしておいたのだけど、これがまた不鮮明・・。ま、とにかく出発・・ということで大学へ。しかし、やっぱり広いよ~。UNAMへ行くのはこれで2回目。前回は仕事がらみだったので、大学側のコーディネートがあったので車で送り迎えだったし、案内もしてもらえたのでまったく問題なかったんだけど、今回は・・。むー。とりあえず歩きつつ思った。「腹減った」目的地はいまいちよくわからない割には食べ物系の勘はするどい私。すぐにちょっとした食堂街発見。ここ、UNAMの学食は激安。私の行ったところは学食ではないけど、値段はかなり安い。ボリュームもたっぷりでおいしかった!いやぁ~、満足、満足。・・・・はっ!資料のこと忘れてた・・。多分、こっち・・と思いながら歩いていると、うぉぉ~。目的地到着。野生の勘だね。ふと、アポなしで入れてもらえるのか?と思ったけど、笑ってごまかすことにしておこう。「日本からわざわざ来たんですぅ~」と言えばOKなはず。ラテンでは女の泣き脅しが一番効果的(笑)。一応訪問者リストに名前とか所属とか書かされたけど、全然OKでした。なかなか資料の量・質ともに充実はしているけど、これはものすごい時間かかりそうだわ~。昨日COLMEXでほとんど探していたものは手に入ったので、ざっと見るだけにした。と、いうかほんの1・2時間では無理っぽい。ま、でも今後利用価値はあると思うので下見ということで。あ~。でも大学って好きだ。ちょうど「死者の日」に向けて準備中のようでたくさんの学生がOFRENDA作りをしていた。日本に帰ってきてから、たまたま出来上がったOFRENDAの写真を他の方のブログで見たらずいぶん立派なOFRENDAだった。見たかったなぁ。残念。とりあえず、これで用事は終わったので、帰りにPERISURへ。ここはSANTAFEができるまではメキシコで一番大きいショッピングモールだったところ。SANTAFEはかなり高級だけどPERISURはモールにしてはそれほど高くないので今でもけっこう人気はある。個人的にはショッピングモールには特に興味はないんだけど、時間もあったしどうせ通り道だったので寄ることに。・・・なんだかしみじみとドミニカ共和国との国力の差を感じてしまった・・。やっぱりメキシコはラテンの大国だわね。その後、ホテルへ。8時半ごろ相方から電話。相変わらず「今日こそ帰るから」といっていたけど、声のトーンからして絶対帰ってこないね・・と決定。(笑)そのまま寝てたら11時すぎにまた電話有り。でも、ぐっすり寝ていた私は内容を覚えてない。「明日は帰るからね~」って言っていたような気がする。
2005/10/27
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今日も相方は仕事に忙しい様子。これがメキシコ不慣れでスペイン語もできない・・となると少々かわいげ(?)もあるんだろうけど、私はさっさとおでかけモード。昨日は2人で朝ごはんだったけど、本日は一人で。私はMACHACAと言うメキシコ北部の料理が大好きなのだけど、メキシコ国境に近いTUCSONで一番好きだったメキシコ料理だったりする。アメリカ留学時代に覚えてしまった味なのだけど、逆にメキシコシティーなどの中央部ではおいしいMACHACAにありつくのはかなり難しい。けど、みつけると思わず頼んでしまうのです・・。と、いうわけで朝からMACHACAをくってしまった。でも、やっぱりいまいちおいしくなかった・・。さて、そもそも今回の渡墨目的のひとつが資料集めで、さっそく資料もとめておでかけ。目的地はメキシコの東大ことEL COLEGIO DE MEXICOここは数多くの政治家を輩出しているエリート中のエリートが集う大学なのです。日本からも常時研究者がいることでも有名だったりします。と、いうわけで早速METRO(地下鉄)でUNIVERSIDAD駅へ。ここの駅からはラテンアメリカ最大級の大学であるUNAMへの無料バスも出ているので大学生だらけの駅。学生さんにまぎれて、ここでバスに乗り換え。さらにPERIFERICO SURを南へ。そして到着。ここはこじんまりしているし、お金持ちそうな学生しかいない。門でセキュリティーのおじさんが学外者をチェックしているんだけど、堂々と「学生よ」って顔して入ったら何も言われなかった(笑)。ここの図書館は世界的に有名なのです。日本語の本だってあるし。・ ・・っと、目的の資料は見つかるのか・・・って、あっさりたどり着く。さっすが、COLMEX!日本じゃまず手に入らない類の資料が固まってあるではないですかぁ!(感激)ウフフフ。にま~っとしながら資料を手に取る私はちょっと変だったに違いない(笑)。でもでも、こんなにあっさりたどり着けてうれしぃ。思いのほか、資料探しあっさり終了。と、言ってもまだ明日続きがあるのだけど、とりあえずは本日分はこれでOKなので、学食でお昼を食べたかったのだけど、ここの学食は学生IDないとダメって聞いていたので断念。学食って感じではないこぎれいな感じだった。10ペソ(100円くらい)で満腹になるお得メニュー・・残念。その後、速攻市内の中心へ戻りました~。私の一番好きな民芸品市場MERCADO DE LA CIUDADERAへ。ここは民芸品の種類も豊富で、強引な客引きもしないしゆっくり見れてとってもお勧めない市場。地下鉄からのアクセスもいいし、旅行者にもとってもお勧めですよ~。民芸品好きの私はいつきても飽きない。上の二つはオアハカの木彫りの民芸品。これは生命の木と呼ばれるもので、大きさやデザインもいろいろなのだけど、手の込んだものは値段もかなりするけど、本当に惚れ惚れする作品があったりします。今回手持ちのアクセサリーは前回ドミニカ共和国で大使公邸におよばれしたときのもので、気に入っているけどドレスの色が黒だったので、そのアクセサリーも黒。今回のドレスはピンクなので(って、まだ購入前なんだけど、もう買った気でいる)そうなるとアクセサリーも新調せねば・・と言うことでちらっとシルバーアクセサリーを見ていたら、なかなかの品物が。シルバーは(ゴールドもだけど)重さで値段が決まるので、かなり重いものだったので、銀にしてはかなり高いものだったのだけど、ご購入。明日はドレスを買うのだー・・ってすっかり頭の中は資料よりドレスアップに切り替わっていたりする(笑)。相方君はかわいそーにTOLUCAに出張中。一緒に来る?なんていわれたけど、これ以上寒いところは嫌です(笑)と、言うことで本日も一人就寝。
2005/10/26
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ここ最近のパターンとしてメキシコシティーについてクエルナバカに直行せずにD.F.に数日泊まる・・と、なっていて今回もD.F.泊。空港からクエルナバカへは直行バスがあるのでこっちのほうが便利なんだけど、ついたときは疲れてすぐ休みたいのでそういう意味ではそのままD.F.滞在のほうがありがたく感じるようになってきたお年頃(笑)。ま、私の気分優先というよりは相方の仕事優先になっているだけなんだけど。そんなわけで、相方君はお仕事なのですが、その前に朝ごはんを食べにおでかけ♪ちなみに、わたくし。毎日目覚めはとってもいいのだけど、それは単におなかがすいて目が覚める(爆)。超健康優良児!そんな私は朝ごはんが一日で一番楽しみだったりする。特に旅先なんかでゆったり豪華な朝ごはんをまったり食べるのが大好き。メキシコは一般的に家庭では朝食は軽いし、食べない人も結構いる。実はメキシコの朝は早いし、通勤・通学の時間が結構かかる人が多いので通勤途中で食べる人も多いので家ではあまり食べないのです。が。レストランの朝食メニューはかなりたっぷりで重いのが多い。朝から濃い!朝食が多い。肉もくっちゃうし。私は日本でも朝からカツカレーでもOK!な人なので全然平気なんだけど。で。「どこに行く?」「何食べる?」という会話を楽しみたいところだけど、相方君は食べ物に関してはかなり保守的で、新しいお店を開拓したりするのはしない人。私はチャレンジャーな人なんだけど、結局相方のお気に入りのお店へ。確かにここ、安くておいしい。お店の雰囲気も明るい。それに近いので結局たいていここで食べることになる。今回は新しいメニューが会ったのでそれを頼んだらおいしかった!けど、デジカメもって行ってなかったので写真お見せできなくて残念。相方くんと朝ごはん食べに行くのが好きな私はこの時点ですでに満足。でも、この後お仕事に旅立っていかれました(笑)。私のほうは、今回の滞在中の目的のひとつが書籍購入だったので、さっそく相方に教えてもらった書店が並んでいる通りへ。でも、古本屋だったんだよねー。全部。古本がいかん!と言うわけじゃないんだけど、今回の目的の類ではなかったので別の知っている書店へ。そこでなかなかいい本を見つけたので購入。日本から見ればメキシコ人は全然本を読まないように思えるけど、ドミニカ人に比べたらものすごい読書家に見える(爆)。その後、半年振りのD.F.の街をブラブラ。半年でもけっこう変わっていて、新しいお店もけっこうあったので飽きなかった。それにしても、本当にメキシコもCAFEブームで新しいCAFEが次々にできてうれしいのだけど、なかなかおいしいコーヒーには出会えない。この点はやっぱりドミニカ共和国のほうがいい。ドミニカ共和国でまずいコーヒーなんてありえないもん。歩きつかれたのでいったんホテルに戻ってお昼寝。スッキリしたところで、近くのCAFEへさっき買った本を持って出かけた。コロニアルな建物を利用したCAFEなので、すごく空間的に広くてゆったりできる。混むこともないのでゆっくりぼーとできるのでけっこう好きなCAFEなのです。あー。やっぱりメキシコにいるだけで幸せ♪という気分で満足な一日だった。
2005/10/25
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実は本日がメキシコへ出発だったりする。前日から所用で東京泊。で、本日快晴。メキシコ日和(?)だわ。所用を済ませて、いざ空港へ。予定通りチェックイン。ちなみに私はメキシコへはもっぱらJAL便を利用。アメリカ経由はずえったい嫌!テロ以前はロス経由便でもJAL便でメヒカーナ便に乗り継ぎなら入国審査なしでトランジットできたけど、テロ以降すべて入国審査が義務付けられている。でもって、すんごい時間がかかる。一度、どうしてもその便に乗らないとまずい!と言う状況で乗り遅れかけたことがあって、死ぬ思いで空港を疾走!ダッーシュ!!でカウンターへ向かうも出国手続きにも長蛇の列・・。そのときのことがトラウマになって、以降真剣にアメリカのトランジットが大嫌いになった。ドミニカ共和国に行く場合、直行はないので仕方なくアメリカ経由だけど、やっぱりNYで乗り継ぎ失敗。そんな訳で、東京まで出て行くのめんどーでもやっぱり直行便のほうがいい!のです。と、言うわけでJAL便のゲートへ向かうといまだかつて見たことないほどメキシコ人がどっさりいた。びっくり。でも、よくよく彼らの話を聞いていると(勝手にスペイン語が耳に入ってくるんざます)、日本が目的地だったのではなく、みんな中国からのトランジットのようだった。でも、なんで中国?なんかイベントがあったようでほとんど招待客で、ミュージシャンもけっこういた。搭乗の時もずらっとメキシコ人が並んでいたのだけど、私がスペイン語を理解するとは思ってもいないみたいで、彼らは日本人と中国人の違い(特に女性について)なんかを熱く語っていた(苦笑)。後半はひたすらメキシコ料理の話(爆)。そんな感じで機内もメキシコ人でいっぱい。早くもメキシコにいる気分。何事もなく、メキシコシティー空港到着。以前にも書いたけど、ここのところずっとメキシコ空港は改装中でそれも終盤になっていてずいぶん変わったとのこと。ついてみて、うー。なんなんだ!このイミグレ(入国管理局)のひどさ!改装して少々システムと言うか並び方がかわったのだけど、前よりひどくなっている!入国審査に1時間20分くらいかかったぞ!並んでいる人、けっこうブーブー言ってました。そりゃあそうでしょう。おまけに!メキシコの税関はボタンを押して青だったら荷物ノーチェック、赤だったら荷物を全部開けられるという有名な(?)システムがあるのだけど、青の場合本当にノーチェックだった。これ、けっこう楽だったのだけど、現在は確かにボタン押すシステムは残っているのだけど、その前にX線チェックがあるのだ!以前はなかったのにぃ。このせいで、これまた税関が混む。あー、嫌だ。サントドミンゴのがっらがらの空港が懐かしい。サントドミンゴだったら着いて3分くらいで入国審査終わりまっせ。(一応観光立国なんですけどね。ドミニカ共和国も)そんなわけで、相方に言っておいた時間を大幅にオーバーして到着ゲートを出てみたら、いた、いた!相方君。しかし。「もう、chamoyを空港に迎えに行くのに疲れたよ」んまー。なんて冷たい一言・・・と思ったら、そういう意味ではなくて、要するに早くメキシコに戻ってきて定住して欲しいとのことなんだって。それは、私も同じ。もう、長時間のフライトに疲れた(肉体的に(爆))。しばらく定住生活を送りたい!これが今回のテーマとなるのでした・・。
2005/10/24
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ようやく少し時間に余裕もできてきたので、書いていなかった日記をさかのぼってUPします。*********************************実は、まだ日本にいたりする(笑)。本日は神戸でちょっとしたイベントに呼ばれて参加。同業仲間のOちゃんにメールしたら彼女も来るとのことなので、久々の再会を楽しみにしつつ、神戸へ。Oちゃんはスリランカで日本語を教えていたので、南アジアの日本語業界のお話を聞くのが楽しみ。で、行ってみたらなんとコスタリカで日本語を教えていたAちゃんも来ていた!彼女とはドミニカ共和国で一度会っていて、うちの大学にも授業見学に来てくれていたなぁ。なつかしい。そして。今日の参加者リストをなにげに見ていると・・。ん?この名前って・・と驚きの名前が。直接会ったことは一度もないのだけど、お互いの共通の友人がいて、その友人の通して私に何度かメールを送ってきていたエルサルバドールで日本語を教えていたSさんの名前が・・。まさか、こんなところでお会いするなんて・・。・・・なんて驚いていると、そのSさんが登場。お互い面識はないけど、なんとなくすぐわかったようで、向こうも「もしかしてドミニカ共和国のchamoyさんですか?」と声をかけられた。お互い兵庫出身ってことも知らなかったけど、ひょんなことで再会。ってことで、4人もの日本語教師が終結~。終了後、CAFEへ。ラテンアメリカの日本語業界の状況はまあ、大体把握しているのだけど、スリランカのお話は「ほ~っ」と思うこともいろいろあって新鮮。南アジアは実は日本語教育が盛んだし、学習者の覚えが早いエリアでもあるのでレベルもけっこう高い・・ってなことは事前に知っていたので、その辺のお話も生で聞けて改めて納得。スリランカ・・と言えば12月に起きた津波。被害にあった国々に住む友人・知人がけっこういたので心配していたのだけど、Oちゃんはまさにスリランカの海に面したところに住んでいたので、余計に心配だったのだけど、その辺の当時の話なんかも聞けた。彼女の住んでいた家は世界遺産に指定されている城壁に囲まれていたんだそうで、その城壁のおかげで津波に被害はほとんどなかったとのこと。でも、その城壁を出るとまわりはすごい被害を受けていて、そのギャップが大きかったんだそう。世界遺産に守られる・・なんてすごい話だな・・と思う。Oちゃんはすごい面白い人なので、もっといろいろお話したかったけど、次の約束があるのでということで、今日はここまで。やっぱり日本語教師仲間と話すのって、いろいろ共感できたり、新しい発見があったり・・でおもしろいなぁーと改めて思った一日でした。明日は東京だー。
2005/10/22
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のびにのびまくっていた私のメキシコ行きがようやく近づきました。ってなわけで、しばらく不在にいたします。ついでにパソコンも持っていかないので更新も現地からするつもりなし。たまにはパソコンのない生活を送るのだー。今回は例のごとく「予定は未定」・・と言うより「特に予定なし」といったほうがいいかも(笑)。今回は結婚式に出席するのと、日本じゃ手に入らない資料集め・・って、また資料かい・・。なんとか帰りの飛行機の中で資料を読破したい。そんな悲しいノルマを背負いつつの渡墨。まったく、この時期と言えば死者の日にあわせてOAXACAとかMICHOACANに行ったりとか、はたまたGUANAJUATOのCERVANTES祭(今年はTHE BOOMのコンサートあるそうですよ、奥さん!)に行ってみたりするのが正しい外国人の滞在のような気がしますが、もう、何回も行っているのでいいのです、今回は。ただ、死者の日は私がメキシコで一番好きな日なので、そのときにメキシコにいれて、幸せ。たくさんの骸骨に囲まれてきま~す。ま、多分TAXCOに連れて行かれるような気がします。(相方一族はもともとはTAXCOの人たちなので)ところで、メキシコシティーの空港の改装がようやく終わってけっこうかわっている・・と聞いていたのですが、空港内にSPAもできたそう・・。おーっ、ちょっとのぞきに行ってみようかな・・なんて思ったら・・。女性は行かないほうがいいかもしれない・・。ここではちょっと書けないことをしてくれるところのようです。・・・って、よく営業許可下りたね。さすが、メキシコ。さて、旅行期間ですが、それは秘密(爆)。と言うわけでいつ出発していつ帰ってくるのかは謎のままで。HASTA ENTONCES!
2005/10/15
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ドミニカ共和国に日系移住が行われたことを知っている日本人はほとんどいないと思う。そもそも、日本人にとってドミニカ共和国はどこにあるのかすら知られていない縁遠い国なのだと思う。公私共に日系人とかかわってきた私は2003年にドミニカ共和国に赴任が決まったとき、不思議な縁を感じた。ドミニカ共和国には1999年に一度行っていて、そのときも偶然知り合った日系人の家族が私の友人の生徒さんの家族で、その縁でとてもお世話になった。ある地方都市に住むそのご家族は移住して成功された方なのだけど、サントドミンゴまで送っていただいた車の中で移住してからの苦労話を伺った。といっても湿っぽい話ではなかったけど、その語り口の明るさとは裏腹にきっとものすごい努力をされたのだろうと、どこまでも続くバナナ林を通り抜けながらそう思った。ドミニカ共和国への日本人の移住は1956年に始まった。つまり戦後移住で、他のラテンアメリカの国々への移住が100年前後の歴史を持つところが多いことを考えると、来年50年を迎えるドミニカ共和国の日系移住はその約半分の歴史と言える。つまり、そんなに「昔」の話ではない。そして、この移住政策の失敗は「昔」のことではなく「今」現在も続いている。その経緯に関して私が長々とここに書くよりこちらを読んでいただいたほうが早いと思う。また、こちらはとても詳しく調べてあります。私が実際にお会いした移住者の方々や移住地の写真が出ているので、懐かしくなってしまった。また書籍も何冊か出ているので機会があればぜひ読んでいただきたいと思う。逆に、ここには自分が体験したことや思ったことを少し書いておこうと思う。ドミニカ共和国に赴任してしばらくしてかつての移住地に行ったことがある。南西部にあるその移住地・・・期待と夢を持ってそこに移住した日本人たちを待っていたのは耕作にまったく向かない土地。事実、私が言ったときもドミニカ人が「もう3ヶ月も雨が降っていない」といっていた。そこはドミニカ共和国内でも「忘れられた土地」のようなところで、何もない。おそらく数十年前と今もほとんど同じなんじゃないかと思う。正直、私は1日でもここにいろ・・と言われたら嫌だな・・と思うようなところだった。当時のことを覚えているドミニカ人いわく、そこに3ヶ月ほど移住者たちはいたそうだけど、それぞれ他の土地へ移って行ったそうだ。また、ドミニカ共和国の最初の移住地DAJABONに移住した第一陣の日系人にもお世話になった。この方は今は別の街に住んでいるのだけど、淡々と当時の状況を話されるのが印象的だった。この方もおっしゃっていたが、当時のドミニカ共和国への移住は他の国への移住より条件がよかったので、審査も厳しかったことや、トルヒージョの独裁政権時のほうが待遇がよかったこと、DAJABONには当時うなぎがたくさんとれる川があって、移住者でたくさんとったことなどいろいろなお話をうかがった。その移住の舞台になったDAJABONには今でも数家族の日系人が住んでいるし、日本語学校もある。ドミニカ共和国には日系人のための日本語学校が数校あるが、すべて日本語学校運営委員会に所属している。すなわち、サントドミンゴ校を中心に全部分校と言う形になっている。これは多分、ほかのラテンアメリカにはないドミニカ共和国だけの独特の運営方法だと思う。数ヶ月に一度日本語教師の研修会があって、今はサントドミンゴ校でしかしないその研修会だけど、以前は各分校が持ち回りで開催していた。私は日系日本語学校の教師ではないので、基本的には参加できないのだけど、いろいろお付き合いさせていただいていたので、このDAJABON校で開催されたとき、参加させていただいた。そのときの様子はこちらこのDAJABONはハイチとの国境の町。こんな辺境にかつて日本人が入植し、今でもその師弟が住んでいる。日本人墓地へも行ったのだけど、そのとき、その墓地におばあさんのお墓があるという日系人の姉弟がいた。そのおばあさんは若く亡くなっているのでもちろん一度も会ったこともないし、彼らはDAJABONに来るのも初めてだといっていた。でも、ずっとおばあさんに会いに行きたいと思っていたそうで、お墓の前で感慨深い表情で佇んでいた。ここには日系移住の記念碑がある。そこに書いてある言葉にとても感銘を受けた。「未来を開く子孫よ 我らが老骨を礎となし 誇りある日本民族の血を以って限りなき発展を図り 君らが母国 ドミニカ共和国の繁栄に寄与されんことを願う」ドミニカ共和国での移住者の中でとりわけ私の記憶の中に強く残っている家族がPEDERNALESと言う別のハイチ国境の町に住んでいる。移住とは、日本人であることは、日本語を学ぶことは・・・こんな辺境の日系人はおろか日本人すら住んでいない街で到底できないような努力をされている家族です。そして、今の日本人はもう、もっていないような何かとても純粋な気持ちをもってらっしゃる姿が忘れられない。ドミニカ共和国への移住は完全な失敗だった・・・かもしれない。たくさんの方が失意の中、日本に帰りたくても帰れず他国に再移住したり、自殺したりしたことは事実で、今も日本国を訴えた裁判は終わっていません。移住者の中でも意見が分かれ、対立も生まれてる。ただ、私はそれでもドミニカ共和国で生き抜いている多くの移住者を見てきた。中には成功を収めた方、これから成功することを夢見てあきらめずにいる方。大切なのは「今」の日本に住む私たちが、かつて「棄民」と呼ばれた人々がドミニカ共和国にいることを知ることだと思っている。縁あってドミニカ共和国に住んでいた私は、移住者たちのことを可能な限り伝えていきたいと思っている。このことを書くことで、私の中のドミニカ共和国での時間にひとつの区切りができたように思う。このブログを続けてきた集大成かな。そんな風に思います。
2005/10/11
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もともと涙腺のゆるい私はNHKのドラマ「ハルとナツ」を涙なしには見れなかった。でも、泣けてきたのはブラジル移民の歴史を描いたこのドラマ、単にお話として悲しかったからではなく、自分の中の経験とだぶったのです。と、言っても当然私は移民じゃないけど、日系移民や日系人とのかかわりが強い私は、今まで会った日系人、とりわけ日系一世の方々の話を思い出して感情移入していました。私は公私共に日系人とかかわってきた。アメリカ留学時代は北米の日系史に関して調べていたし、その後メキシコでも日系協会とかかわりがあった。そして、日系移住史の中で大きな歴史の舞台になったドミニカ共和国に縁あって住むことになった。メキシコの日系移住は実はブラジルよりも古く、1887年にあの榎本五稜郭で有名な榎本氏が送った榎本移民に始まる。ちょうど私がメキシコに渡った1997年は日系移民100周年で、様々なイベントが行われた。この榎本移民、飲んだこともなければ、見たことすらないコーヒーを栽培するためにメキシコのチアパス州に到着したが、コーヒーの栽培には失敗。今でもこのチアパス州タパチュラには日系協会があって、日本語学校もある。これまた縁あってお邪魔させてもらったことがあるのだけど、びっくりするほど歓迎していただいて恐縮だったのをよく覚えている。メキシコ最貧州のひとつであるチアパス州。ここの日系人の人たちは日本人の血をひいていることをとても誇りに持っている。少しでも日本や日本人とかかわりを持ちたい・・そう思っているようにも私には思えた。ただ、日系人といっても現在5世や6世もいて、その5代あるいは6代前のおじいさん(*注)が日本人だったというわけで、一見メキシコ人とはまったく変わりもないし、日本語ができるわけでもなく、日本的な生活習慣が残っているわけでもない。でも、だからこそというか、他のメキシコ人と自分は違うんだ・・と言う感覚があるように思えた。そして、日系人なので日本に出稼ぎに行くこともできる。よく言われることだけど、かつて日本人が貧しくてラテンアメリカに移住したのに、今じゃラテンアメリカから日本にその師弟が出稼ぎに来るのは皮肉なことかもしれない。楽観的な考え方かもしれないけど、それでも私は出稼ぎによって両者(日本人と日系人)の隔たりが縮まればいいのじゃないかと思う。日本人は日系移住の歴史や日系人を知らなさ過ぎると私は思っている。出稼ぎによって日本人が日系人に関心を持つこともあると思う。多くの入植地では、いまは「兵どもが夢の跡」となっているところも多い。だけど、現地に根付いて貢献している日系人はたくさんいる。・・・この話は長くなるのでいったんここまで。(*注)榎本移民は全員男性だったので、「おじいさん」と書きました。そのチアパス州タパチュラでハリケーンによる大洪水の被害が伝えられていて、とても心配。とりわけcimaさんや関係者に何もなく、無事であることを祈っています。
2005/10/07
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前回は我等が阪神タイガース優勝だったけど、今回はメキシコ。サッカーのU17でメキシコ優勝!メキシコがMUNDIALつまり世界大会となのつくサッカー大会で優勝したのはなんと、これが初めてらしい。そ、それはすごいことになっていそうだ・・と思ったら、やっぱりすごいことになっていたようです。メキシコでは重要なサッカーの試合でメキシコが勝つとANGELITOと呼ばれる独立記念塔に恐ろしい数のメキシコ人が集合!ざっと2~3万人・・。メキシコ在住の方なんかや旅行で行ったことがある方なんかはご存知かと思いますが、ANGELITO周辺はメキシコシティーの大動脈なのでものすごい交通量。あんなところに数万人もあつまれるはずもなく、当然交通マヒ状態に・・。そんなこととは露知らず・・。ちょうどサッカーの試合が盛り上がっているころ相方宅にお電話。誰も出ないので、きっとどこかのフィエスタにでも行っているのね・・と思いきろうとしたらお義父さんが出た。「今PATIO(庭)にいたから電話の音が聞こえなかったんだよ」って言っていた。そのときは「ふ~ん」と思ったけど、後になって考えてみたら家族全員でPATIOでサッカー観戦していたに違いない。普通にリビングで見ればいいんだろうけど、なぜかメキシコ人は外でテレビを見たいらしく、相方家もよくテレビを庭に持ってきてみんなで酒盛りしながら見るのです。ま、何はともあれ、メキシコ優勝はめでたい。いつかワールドカップで優勝してね・・・でも、そんなことになったら、それこそえらいことになりそうだけど(笑)。
2005/10/04
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阪神が優勝しましたねー。生まれたときから、いや、生まれる前からきっと阪神ファンになるべく決まっていたわたくし。そう、chamoy一族はみんな大のトラ党。85年の優勝は子供だったけど、それでもとにかくうれしかったのを覚えている。で、2003年の優勝時、私はドミニカ共和国・・。そのとき、阪神の優勝を生で見れなかったので、ネットで結果を見つつ優勝を喜んだ・・けど、次の優勝は20年後くらいかな・・などと阪神ファンの特徴とでも言える自虐的な考えをしていたけど、こんなに早く、それもわたくしの日本滞在中に決めてくれるなんて・・・感涙。それも、今日なんて私の大好きな下柳投手が先発でウイニンングボールはこれまた私の大好きな金本選手ですよー。そして、そして聖地の甲子園。おまけに対巨人戦。すばらしい。とにかく、よかった。本当は今頃メキシコだったのよ。メキシコ行きが延期になるたびにがっくりしていた私だけど、延期になってよかった。今頃、甲子園周辺はすごいことになってるんやろなー。わたくしは、サンテレビ(ローカルテレビ局。熱烈なタイガース局として有名)で特番みるもんね。今年はルーキーイヤーだった能見選手をいつもはらはら見ていたけど、今日もベンチにも入ってたねー。能見選手のお父さんとchamoy父は旧知の間柄だし、能見選手のこともなんか他人と思えない。がんばれ、能見!それにしても、本当に阪神ファンってノリがラテン系。って言うかラティーノスもびびるのではないかと思う(笑)。今年は道頓堀も飛び込み防止対策とっているけど、それでも飛び込んでいそうだなー。今頃かに道楽のかにもジャックされてるかもね(笑)。いやいや、これでやっと安心して寝れます。(←マジ)よかった!
2005/09/29
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なんだかご無沙汰になってしまった・・。数日前、突然の腰痛に襲われダウン。わたしは自他共に認める「超健康優良児」。日本の途上国関連の医療の権威的お医者さんにも太鼓判を押された途上国向きな体の持ち主で、実際メキシコ滞在4年間で一度もおなかを壊したことがない。これをいうとメキシコを知っている人はびびる(笑)。わたしはかなりcalle(ストリート)食いをする人だけど、全然平気。メキシコはvenganza de moctezuma(moctezumaの復讐)というのがあって、moctezumaと言うのはアステカ最後の皇帝なんだけど、外国人は必ずメキシコに来たらゲリをする・・と言うものです。でも、メキシコくらいじゃ全然平気♪具合悪くて病院行くことなんてまず、ない。そんな、わたくしなので、何かの弾みで体の調子を崩すとどよ~ん・・と沈む。普段健康な分、落ち込みが激しい気がする。今回、なんの前触れもなく腰痛が出て、動けなくなってしまった。いわゆるぎっくり腰だったら安静にしていれば治るんだろうけど、今回のはとくにぎっくり腰になるようなこともしてないし、朝起きたら痛かった・・。椎間板ヘルニアだったらどうしよう・・。うー・・。早速ネットでチェック。すると、普段のわたしは相当腰に悪いことをしていることがよくわかった。そのうちのひとつが、パソコン。そんなわけで少しパソコンから遠ざかるべく努力をしておりました(笑)。一時は「このままなおんなかったらどうしよう・・」と思っていたけど、安静にしてたらなおりました。あー。よかった。あのままじゃ、長時間のフライトは無理=メキシコにいけない・・と思うとかなりブルーだったけど、ほぼ全快しました。昨日はさんまと中村玉緒さん、浅田美代子がメキシコを旅するって言う番組があったので、どんなもんかな?と思ってみてた。コーラがぶ飲みする有名なロバが登場してたけど、わたしが8年前に行ったときは「ビールがぶ飲みするロバ」だったんだけど・・。いつのまにコーラに?って違うロバさんなんだろうか?場所は同じなんだけどね。番組そのものはおもったよりまともだった(笑)。そんなに大きな間違いもなかったけど、浅田美代子がマゲイを指差して「あれ、アロエ?」って聞いたら通訳さん「はい」・・・って違うやん!とつっこんでしまった。あれがテキーラの原料のマゲイ(竜舌蘭)ですよー。アロエじゃありませんよー。LUCHA LIBREの紹介もあって、わたしのホームグラウンド(爆)のCOLISEOが!なつかしい。今度はこの番組でドミニカ共和国に行ってください☆・・って絶対なさそう(笑)。でも、ぜひドミニカ人に度肝抜かれてほしいなぁ(笑)
2005/09/21
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ラテンアメリカの音楽祭の中でも有数のイベント FESTIVAL PRESIDENTEの日程および出演アーティストが発表されましたー!!が。出演予定アーティスト、ビミョー・・。・・・と、いうことで、どうビミョーなのか・・詳細はわたしの音楽ブログにて。PARA GOZADERA(注)レゲトン好きは読まないほうがよろしいかと・・。ドミニカ共和国へ旅行の予定のある人は、ものすごい少数だと思いますが、この時期に予定しているならぜひ♪FESTIVAL PRESIDENTEへ。ちなみにこの時期、オフシーズンでリゾートも安いし、お勧めです。って雨季なんですけどね。でも、それほど降りません。ああ、わたしも行きたいなー。でも、これまたビミョーな時期なんだよねー。残念。次回に期待・・って2年後かぁー。
2005/09/05
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今更ながら(笑)、スペイン語関連ブログやってます(細々と)。興味のある方はこちらへ。A TODO DARここ(楽天)をいつどうするかはいまだに決めてはいないのですが、いくつかに分けてやっていこうと思ってます。そのひとつがラテン音楽ブログPARA GOZADERAこちらのほうもそれなりに定着してきていて、好きなことを好きなときにつらつら書いているだけだけど、こういうスタイルが一番好き。スペイン語ブログA TODO DARもおんなじような感じで不定期に思いついたことを書いてます。スペイン語ブログを始めたのは、スペイン語関連ブログってほとんど管理人さん自身が初心者か、管理人さんは初心者じゃないけど初心者の読者向けってのが多いので、できたら中・上級者向けのブログを書きたいってのがあって、はじめてみました。どちらも(ラテン音楽・スペイン語ブログともに)マニア向けですが(笑)、少数精鋭のみなさま、お待ちしていま~す。
2005/09/04
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やっと、ついに・・・。資料のまとめ、完了。おめでとー!!(←誰も言ってくれないだろうから、自分で(笑))。なんだか、タイミング的に本当に「夏休みの宿題」の追い込み気分だったなぁー。と言っても、1ヶ月くらい早いペースで仕上げたんだけどね。当初、メキシコ行くつもりだったからなぁ←遠い過去を見る目。ま、でもとりあえずはやらなければならなかったことは終わったわけで、9月になって心機一転、仕切りなおしです。スペイン語の校正は本当にきりがなく、こっちのほうがいいかも・・なんて思って直していると泥沼に・・。訳文が失礼ながら、悪文で何が言いたいのかわかんない・・プラス固有名詞は間違いだらけだし、前置詞まちがってますよ!状態で、日本語教師時代の作文の添削を思い出した。添削は難しいのですよ。本当に。でも、不思議とけっこう添削は好きだった。今回も、翻訳は嫌いだけど、校正は好きだ・・ということを発見。要は重箱の隅をつつくのがすきなのかもしれない(笑)。ま、語学好きな人って基本的にはみんなそうだと思うけどね(苦笑)。とりあえず、少しは落ち着いたと言うことで、さっそく旅行計画♪せっかく日本にいるのでアジアじゃぁ~。ってまだ少し先の話だけど。でも、すんごい楽しみ。もう、大好きなお茶とエステ、マッサージにうまい食いもん☆どれも、ラテンアメリカじゃ実現難しいことなので(うまいものはあるけど)この際(?)、楽しむのだー。相棒のKちゃんと一緒に行けるなんてすんごいうれしい。それに、これはドミニカ共和国時代からいつもKちゃんと「行こうなー」と話していたことだし。ドミニカ共和国といえば、お世話になったドミニカ人家族のみなさんが「chamoyはいつドミニカ共和国にくるんだー?」って言ってたらしい。うおぉー。俺もドミニカ共和国に行きたい。でも、年内はありえないなぁ。来年、行こうかなぁ。ばあちゃんも高齢だし。にゃんこにも会いたいし。ドミニカの友達や同僚たち。会いたいなぁ。本当に。それに、BACHATA関連の情報も仕入れないと。アメリカのTUCSONにメキシコ、ドミニカ共和国・・・帰りたいと思える、そして帰れる場所があるっていいな・・としみじみ思う今日この頃。
2005/08/31
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