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2011.12.06
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カテゴリ: 地元生活
<朝鮮新報>より抜粋

崔承喜生誕100周年 を記念する華やかな行事
時を超えて輝く、崔承喜の舞

今も世界中の人々を魅 了する崔承喜
圧制と過酷な受難に打ちひしがれていた暗黒の時代、同胞たちに生きる希望と勇気を与えた不世出の舞姫・崔承喜。今年、その生誕100周年を迎えて、平壌はもとより、日本各地で多彩な催しが開かれる。


日本にも多くのファンを持つ崔承喜の舞
一連の行事には、朝鮮の舞踊芸術部門創作指導員および創作家、芸術家、崔承喜の遺族、総連はじめ海外同胞代表団が参加するという。

東京、広島で公演

日本では、崔承喜生誕100周年記念と銘打って、任秋子民族舞踊団特別公演が東京で開催される(12月5日、王子・北とぴあ)。ここでは、崔承喜が振り付けし、自ら踊った「牧童と乙女」など代表的な作品が上演される。

この日に向けて、朝鮮舞踊振り付けの草分けで人民俳優の任秋子さん率いる同舞踊団メンバーたちが、金剛山歌劇団や神奈川県川崎市にある「アリランの家」のホールで猛レッスンを続けている。

練習に励む任秋子民族舞踊団
60年近い舞踊家人生を刻んできた任さんは、遠い日の記憶を手繰り寄せながら、常に輝かしい目標であり続けた崔承喜の生誕100周年を深い感謝を込めて迎えたかったと話す。

「今日のように異国・日本で朝鮮舞踊が開花し、人々からなくてはならない存在として愛されるようになったのは、伝統的な朝鮮舞踊を、現代的で粋な芸術に昇華させ、私たちに伝習してくれた崔承喜のおかげ。だからこそ、いまもウリハッキョの初級部から朝鮮大学校までの舞踊部に連綿と受け継がれ、地域の舞踊サークルから歌劇団まで幅広い舞踊家を網羅しながら、隆盛発展を遂げていると思う」

今度の舞台は、そうした「朝鮮舞踊の母」への恩返しの公演にしたいと力強く話す任さん。12月4日には、「朝鮮半島と日本の心をつなぐ」として「崔承喜生誕100年記念公演―朝鮮舞踊祭典」が、広島ALSOKホールで開かれる。さらに12月21日には、「崔承喜讃フェスティバル」が、東京・文京シビックホールで開催される。ここでは、崔承喜の貴重なフィルムが初めて公開される。なかでも、崔承喜按舞・群舞「バラ」、崔承喜按舞・独舞「長鼓の舞」、崔承喜按舞・群舞「扇の舞」など、朝鮮に帰国したあとに制作された貴重なフィルムが上映される。ファンにとって垂涎の的となるお宝映像とも言える。




というわけで、朝鮮舞踊祭典、チケットが回ってきて、行ってきた。

崔承喜(チェ・スンヒ)という舞踊家は今回初めて知った。

1911年生まれ韓国京城、両班の出身
1926年舞踊に魅せられ東京石井獏舞踊団入団。
1930年20歳の時早稲田大学生、安獏と結婚。
モダンバレエにオリジナルな朝鮮舞踊を取り入れ、米国、ヨーロッパで公演し名を馳せる。
1946年朝鮮民主主義人民共和国に家族で渡り、平壌に舞踊研究所を設立。
1956年「人民俳優称号」を授与。
2003年2月他界。平壌市内愛国烈士陵に眠る。
と、経歴がある。
日本にいる時代に川端康成、菊池寛など著名人との交流多し。



舞台は若い女性ダンサーの豪華な民族衣装と優雅な舞で本当にきれいだった。
モダンバレエを取り入れたというのが、身のこなしにも分かるような、
基本は古典的な朝鮮舞踊にもかかわらず、さらりと優しい風のように流れる舞踊だった。
古くは伎生舞踊から発生しているのだろう、ドラマ「ファンジニ」が思い浮かんだ。
流れる曲もファンジニで聴いたことがあるものだった。
2時間の公演も、美しいダンサーと舞に食い入りながらあっという間に過ぎていった。

幕の間にきれいなチマチョゴリ姿の女性がマイクを持って出てきた。
舞踊解説する女性が、「日韓」と言わず、「朝鮮と日本」と言うに馴染めなかった。
朝鮮と国交がないことを哀しみ、「日朝国交正常化」を願うという在日北朝鮮人の女性だ。
「崔承喜は在日の誇り」と言ったが、
華やかな舞台に立ち、著名人とつきあう崔承喜は憧れだったであろう。
日本の支配下にあって、国籍を越えて輝いた女性だったのは確かだと思う。
解説の女性は、「北」という言葉を一言も出さず、「朝鮮」と言い切る。
彼らにしたら、韓国は「南朝鮮」にすぎないから。(反対に韓国は北韓というよね)
朝鮮半島が分断され、北朝鮮に渡った後、崔承喜は、日本や韓国で公演することはあったのだろうか、平壌で本当に幸せに暮らせたのかと、舞踊とは離れたことをふと考えた。


実際、今回の女性の解説にもパンフレットにも書いてないけれど、
検索してみたら、
1967年、崔承喜は、北朝鮮国内で「ブルジョワおよび修正主義分子」とし粛清され同年以降夫の安漠・娘の安聖姫とともに消息不明となっていて、2003年に突然北朝鮮側が1969年の死亡を公表している。
消息不明の2年間、なにがあったのか、この一方的な発表も真実なのか、分からない。
ソウル両班出身なのに北に渡ったのは夫の安獏が政治活動家だったせいかと思われる。



この夏、JSA観光ツアーに行き、北のすごさを見てきたし、
10年前小さな潜水艦で侵入した韓国江陵の夜や明け方の海に行き、
また、延坪島に落とした北の砲弾を見てきた私には、
今の現状さえこうなのに、はたして幸せな解決方法で民族統一できるのか、
解説者の在日女性が願う日朝親善・日朝国交を、
拉致問題の未解決も含め、北朝鮮が自ずから遠くにしているように思えてならない。
華やかな素晴らしい舞踊を見せてもらい、気持ちもさわやかなはずなのに、
解説者女性の優等生的な挨拶が、心に引っ掛かりながら帰宅した。
しかし、今回出演していた朝鮮学校の生徒たちは、この日のために、
どれだけ練習したのかと思うと、素直に大きな拍手を送りたい。
本当の意味で、平和な幸せな生活が朝鮮半島に訪れることを祈るばかりだ。




参考文献があり。

(西木正明著、光文社、2010年) 
をゆっくり読んでみようと思う。


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最終更新日  2011.12.06 11:23:52
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