愛し愛されて生きるのさ。

愛し愛されて生きるのさ。

市川崑

○『日本橋』

 泉鏡花の小説を映画化。出演は淡島千景・山本富士子・若尾文子・品川隆二・船越英二ほか。

 日本橋の稲葉家の女主人・お孝は、美人芸者の清葉と張り合う。ある夜、お孝は一石橋で医学士・葛木の窮地を救い、清葉に振られ傷心の葛木を愛するようになる。だが葛木は、お孝に惚れた伝吉から別れるように嘆願され巡礼に出、お孝は葛木恋しさに発狂する。清葉の家近くで大火事が発生、伝吉は清葉の母と子を救い、稲葉家に走るが、お孝に刺される。旅僧姿の葛木が現れると、正気に戻ったお孝は服毒。葛木は清葉にお孝への愛を告げて日本橋を去る。

 市川崑初のカラー作品。そして市川監督はセット上の家具をグレーに塗ったりと冒険的な試みを行う。そのため画面は暗い色調で彩られ、奇妙な印象を与えてくる。物語に関して言えば、今いちストーリーを消化しきれてない感じを受けた。そのためどこか混沌とした映画に仕上がっている。

○『穴』

 京マチ子主演のスラップスティック・コメディ。ドタバタ劇をやりたかったのだろうが、ちょっとモタついた印象を受ける。ストーリーは面白いのに演出が追いついていないのが残念。

 自ら失踪し、さらには自分自身を探す懸賞を募集するという奇抜な女ルポライターの物語。そのうち彼女には殺人容疑がかけられ…。

○『炎上』

 三島由紀夫の『金閣寺』を映画化。金閣寺という名前が使えないために、映画化の際に『炎上』とタイトルを変更したが、このタイトルが実にいい。怪我の功名である。

 昭和19年、父の遺書を携えて驟閣寺を訪れた溝口吾市は、驟閣寺をこの世で最も美しいと信じていた。田山老師の好意で徒弟となるが、終戦後、進駐軍や観光客が押し寄せ、驟閣寺は神聖さを失う。大学で知り合った足が不自由な戸刈は驟閣寺の美を批判し、老師の私生活を暴露する。母と口論の末に飛び出した街で芸妓を連れた老師に出会った吾市は、ついに驟閣寺に火を放つ。

 寺院の美しさを盲目的に愛する、ある意味フェティッシュな作品である。神聖さを失っていく寺院を前にアイデンティティが崩れ去る主人公の姿が悲しく切ない。

 主演の市川雷蔵は、当時時代劇の美形スターとして花道を歩いていたが、この『炎上』で現代劇にノーメイクで挑戦。しかも題材が題材だけに、野心的な試みといえる。どもりというコンプレックスを抱えた主人公を巧みに演じていた。派手な立ち回りだけではなく、こういった微妙なニュアンスを必要とされる役もこなせる俳優なのだと実感した。そしてなまぐさ老師を演じた中村鴈治郎の名演も光る。ラストで「吾市が驟閣に火を放ったのには、自分にも責任の一端がある」と語る姿が印象的。

○『あなたと私の合言葉 さようなら、今日は』

 これは面白い!ストーリーは大したことないが、役者たちのあえて棒読みな芝居が笑いを誘う。カメラワークなど演出の至るところに小津作品へのオマージュが感じられる。

 ブスキャラに挑んだ若尾文子と妙に早口な京マチ子が面白い。小品ではあるが遊びに富んだ傑作である。

○『鍵』

 谷崎潤一郎の同名小説の映画化。登場人物が一様に死人のようなメイクを施され、どことなく寒々しい乾いた雰囲気の映画になっている。

 原作とは異なる「主要人物、全員死亡」というシニカルなラストで幕を閉じる。当時としては、相当な問題作だったらしい。

 古美術鑑定家の剣持は老化と精力減退に悩んでいた。娘の敏子の恋人でインターンの木村が訪問した夜、妻の郁子がブランデーに酔って風呂で倒れる。剣持は木村に手伝わせて郁子の裸体を寝室に運び、翌朝診察を頼んで姿を消す。剣持は木村を利用して夫婦の若返りを狙っていた。酔って倒れた郁子の裸体写真を撮る剣持。しかし老化は着実に進む。倒れた夫を看病する一方、郁子は木村と抱き合う。ついに剣持は逝き、残った3人も婆やの毒入りサラダを食べて死ぬ。

 直接的なセックスシーンは無いが、列車の連結部分がインサートされたりと性を暗示する隠喩がところどころに現れる。他にも突然ストップモーションになったりと、ドキリとさせる演出がなされている。

 仲代達矢のドライでありながらもギラギラした芝居が凄い。役者のメイクからしてとても不気味な映画である。

○『おとうと』

 幸田文の小説を映画化。主演は岸恵子・川口浩。仲の良い姉弟を描き、ラストは弟の死で幕を閉じる。

 ラストは有名な、姉弟が指を紐で結んで眠るシーンである。これを近親相姦的な見方をする人もいるようだが、それ以前に2人の堅い絆に心を打たれる。家計を支えているがゆえにしっかりしている姉を岸恵子が好演。それとは対照的に目先の楽しさばかりを追い求めている磊落な弟を演じた川口浩も、いい加減ではあるが繊細な少年を巧みに演じている。

 その他にも、リューマチ病みである継母役の田中絹代も静かな狂気を秘めた芝居をしていて印象に残る。父親役の森雅之はとにかく知的で渋い!この映画で彼のカッコよさを初めて知った。

○『黒い十人の女』

 1961年作品。妻がいるにもかかわらず他に9人の愛人を持つテレビプロデューサーが、たまりかねた女たちに殺害を企てられる、というストーリーで、岸恵子、山本富士子、中村玉緒と時代を代表する女優が揃ったことでも話題だった。時代は流れ1997年、シネセゾン渋谷でレイトショー公開された時はレイトショ-動員記録歴代2位という記録を樹立したらしい。

 1997年に渋谷でレイトショーされたときの発起人はピチカート・ファイブの小西康陽で、そこもまた渋谷界隈のおしゃれ星人に支持された理由であるだろう。

 確かに、岸恵子の部屋のインテリアやファッションは一時期流行した60年代そのものであり、スタイリッシュである。山本富士子の「そうざんしょ」や「○○ざます」といった言い回しも新鮮に映る。カラー映画が主流になり始めた時期にあえてモノクロで撮ったり、様々な角度から人物を撮ったりと凝った映像ではある。

 ストーリーも序盤は展開が早く、暗殺計画が実行されるまでは退屈せずに観ることができるが、その後がやや冗長である。船越英二演じる風のキャラクターも突然つまらないものになってしまう。そこが残念である。

 市川監督作品の中でも凡庸な出来であるという感は否めない。ただ、当時の大映のトップ女優が一同に会するとさすがに艶やかな迫力がある。60年代のファッションやインテリアに興味がある人なら、かなり楽しい映画であるに違いない。

○『私は二歳』

 育児書を原作とし、2歳児が主人公という前代未聞の作品。主人公の赤ちゃんの声を、中村メイコが吹き替えている。母親役に山本富士子、父親役に船越英二。

 子供の視線で大人たちを見ているところがとても風刺が効いていて面白い。また大変だけど楽しい育児をうまく描いた娯楽映画である。とくに浦辺粂子演じるお婆ちゃんが死んでしまうくだりはジーンとくる。

○『犬神家の一族』

 横溝正史の探偵小説を映画化。市川崑の代表作として数えられることも多い、娯楽に富んだ傑作である。この作品の前にも後にも、様々な役者が金田一耕介を演じているが、この作品のクオリティの高さから「金田一=石坂浩二」というイメージが広く定着している。

 土着的な人間関係のドロドロに殺人事件が絡んでいく推理劇である。強欲な人々たちのヒステリックな芝居と、派手な殺人事件がハラハラワクワクさせてくれる。なかなかここまで心躍らせてくれる映画はない。テーマは欲望渦巻く一族の争いであるが、ホッと息をつかせてくれる「笑い」の部分も忘れておらず、バランスがいい。

 演出もかなり凝っていて、細かいカット割りでテンポよく見せてくれる。他にも、わざとピンボケ映像を挟み込むなど、視覚効果に冒険が見られる。

 石坂浩二は飄々とした金田一耕介をサラリと好演。高峰三枝子・草笛光子・三條美紀の「犬神シスターズ」は鬼気迫る芝居で観る者を圧倒。欲の塊のような芝居がマジで怖い。

 陰惨な殺人事件を描いていながらも、どこか明るい探偵映画に仕上がっている。あの湖から突き出した2本の足とともに、観る者の脳裏に焼きついて離れない名作であると思う。

○『悪魔の手毬唄』

 金田一シリーズ第二弾。前作よりもメランコリックな作風で、殺人を犯してしまった犯人の悲しい心情が滔滔と描かれる。

 鬼首村という場所を舞台に、村に伝わる古い手毬唄の歌詞通りに行われる殺人事件を描く。

 もちろん謎解きの楽しさもあるが、それ以上に登場人物の切ない心情が印象に残る。そういった意味では前作『犬神家の一族』よりも名作かもしれない。市川監督は、殺人を犯すという悪の中に一瞬光るものを丁寧に掬い取っている。

 磯川警部を演じた若山富三郎がいい味を出している。惚れた女性のためにあれこれ手を焼くが、決して思いを口に出せないオクテで一途なオヤジでとてもいとおしい。

○『獄門島』

 金田一シリーズ第三弾。今回は獄門島という島を舞台に殺人事件が繰り広げられる。 

 この映画のイメージは、「極彩色に彩られた派手な殺人劇」である。というのも殺されてしまうラリった三姉妹の着物があまりにも派手で、その殺され方もなかなかに派手なため、こういうイメージが焼きついてしまった。その殺されてしまうアブない少女たちの中に、まだ10代だった浅野ゆう子がいることは有名である。

 ストーリーもトリックも面白く飽きさせないが、メインの出演者である大原麗子のキャラクターがちょっと弱い。控えめな役柄ではあるのだが、派手なストーリーに埋没してしまってあまり印象に残らないのが残念。そのためかラスト近くで明かされる重要な事実もインパクトに欠ける。

 鐘の中で発見された死体の首がスポーンと飛ぶシーンは笑える。市川監督が撮ると、こういうグロテスクなシーンも楽しく見られるから不思議だ。

○『女王蜂』

 金田一シリーズ第4弾。本当は前作でシリーズを終えるはずだったが、スポンサーなどの希望によりあと2本製作される。そのためか市川監督のモチベーションは明らかに下がっておりトーンも落ちている。そのためこの作品はあまり面白くなく、シリーズ最終作『病院坂の首縊りの家』は未見である。

 今までの金田一シリーズの犯人役が総出演しているところからも、市川監督が「この作品でシリーズを終えよう」としているのが分かる。そんな豪華絢爛な出演者とは裏腹に演出は全く冴えていない。もしかしたら題材が悪かったのかもしれない。そのため私の記憶からこの作品のほとんどが消去されている。残念無念。

○『細雪』

 『鍵』以来、再び谷崎潤一郎文学に挑んだ作品。妻であり脚本家であった和田夏十が亡くなってからの後期市川作品の中では一番の名作である。

 昭和13年の大阪船場の4姉妹を淡々と描く。原作は長編であるので、それを全て映画にしたらかなり長大になってしまうので、ここでは1年に絞って描かれている。

 4姉妹を演じているのは岸恵子・佐久間良子・吉永小百合・古手川祐子。この4姉妹を演じた役者のバランスが絶妙である。4人が揃った場面などは「これぞ映画!」という迫力とゴージャスさに満ち溢れている。

 この映画でとりわけ目に付くのが、色の使い方である。着物の華やかさもそうであるが、室内に差し込む光の色まで監督のこだわりが見られる。どこか淡々とした映画ではあるが、市川監督の美学が至るところに散りばめられた名作である。

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