愛し愛されて生きるのさ。

愛し愛されて生きるのさ。

『バウンスkoGALS』

『バウンスkoGALS』(1997/原田眞人監督)
バウンスkoGALS


 1997年当時、社会現象にもなった“コギャル”を描いた青春映画。当時は原田眞人監督のこともよく知らず、「コギャルの映画なんて誰が観るんかいな」と思っていた。しかし世評は肯定的なものばかりなので、いっちょ観てやろうかしらと思い、観た。そうしたら度肝を抜かれた。嗚咽が混じるほどに泣けてしまったのだ。

 アメリカに行くための資金を稼ぐために渋谷に寄り道したリサ、コギャルを取り仕切るリーダー的存在のジョンコ、飄々としていてジョンコと絶縁しているラクちゃんがひょんなことからリサの渡米資金を稼ぐために東京を駆け回る、1晩の物語である。

 そこに描かれているのは援交・PHS・プリクラ(登場したばかりのタイプ)・ブルセラショップと少々懐かしさを感じるモチーフばかりだが、根底に流れているのは“友情”という普遍的なテーマである。卑俗的なものに彩られているのだが、描かれているのは生身の人間の「この人のために何かしてあげたい!」という実にまっとうな感情である。コギャルにだってモラルもプライドもある。人を上辺だけで判断するのはよろしくない、ということ。

 この映画の特徴として、コギャル(行動者)と大人(観察者)の2つの視線で成り立っていることが挙げられる。援助交際に関しても、コギャルにはコギャルの言い分があるし、大人には大人の言い分がある。ここでは援助交際を否定的にも肯定的にも描いていない。援助交際を「悪いこと」とバッサリ斬ってしまうことは簡単であるが、この問題は思ったよりも根深いものであるかもしれない。援助交際をどう捉えるか、それは観た人が考えて判断することである。

 コギャル三人娘(佐藤仁美・佐藤康恵・岡元夕紀子)は、皆この作品が本格映画デビューである。岡元夕紀子は役柄が上京したばかりというだけあって初々しい。この映画のストーリーを回す重要な役である。ジョンコ役の佐藤仁美は渋谷のコギャルを取り仕切っているという役で貫禄充分。演技も実にナチュラルで女優としての才能を感じさせる。佐藤康恵はほとんど素で演じていたように思える。飄々としたラクちゃんというキャラは佐藤康恵そのものであった。

 観察者である大人側の役者は、役所広司・桃井かおり・小堺一機・ミッキーカーチスといった錚錚たるメンバーである。彼ら大人にとってコギャルは宇宙人のような存在であり、その絡みはユーモラスでもありスリリングでもある。この他にも沢山の大人が登場し、その手堅い演技で映画全体を引き締めている。

 ラストの駅のホームでの別れのシーン。たった1晩の出来事だったけど彼女たちは様々な経験をし、思うことがいっぱいあっただろう。そこから彼女たちは成長していく前向きなラストである。この別れのシーンで涙ながらに友達を見送る姿に感動、号泣。誰かのために涙を流すって、なかなか出来ないからちょっと羨ましいと思った。そこに優しく流れるUAの『水色』が効果的。それがまたさらに涙を誘う。

 この映画は青春映画の傑作である。「コギャルの映画」というだけで侮ってはいけない。ストーリーもテンポよく進むし、キャラクターも個性的な人ばかり。ここに登場するコギャルたちは今どんな大人になっているのか、ちょっと想像してみたりして。

 ちなみに、この映画で交わされるコギャル言語。ほとんど聞き取れなかった。日本語じゃねーな、ありゃ。


© Rakuten Group, Inc.
X
Design a Mobile Site
スマートフォン版を閲覧 | PC版を閲覧
Share by: