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すでに松の内も過ぎて、「あけましておめでとうございます」とご挨拶するには遅い時節となってしまいました。新年、最初の吟遊映人です。 皆さんはもう初詣にはお出かけでしょうか?私はまだ済ませていません。言いわけをするわけではありませんが、お正月のあの大混雑の中、もみくちゃにされながらのお参りには抵抗があり、出かけていないのです・・・とは言え、大切な一年の始まりでもありますし、そろそろ初詣に出かけて無病息災を御祈願して来ようと考えています。 「遠くとも 一度は詣れ(まいれ)善光寺」と言われる信州長野の善光寺には、過去二度ほどお参りさせていただいたことがあります。善光寺の人気は何と言っても宗派を問わない、それを超越したところに絶大な信仰を集めて来たように思われます。その歴史も大変古く、善光寺縁起を読むと、ご本尊である阿弥陀如来がどのように、いつ、だれが長野の地にもたらしたものなのか紹介されており、とても興味深い物語として伝承されています。そんなわけで、本当はもっと足繁くお参りしたいところなのですが、物理的になかなか叶うものではありません。それにしても全国のあちらこちらに「善光寺」と名のつくお寺が存在するのはなぜでしょう?ちょっと調べてみたところ、長野・善光寺のご本尊が様々な経緯で長野を離れていることがわかりました。上杉謙信と武田信玄が川中島で戦った際に、ご本尊は武田側によって甲府へ移されています。その後、甲府→岐阜→清州→浜松→甲府→京都→長野・・・と言う具合に、流転の日々を送っています。でも物は考えようで、そのおかげで善光寺信仰が全国津々浦々まで広がったのだと言っても過言ではありません。 さてその歴史上の合戦の地・川中島ですが、「桂慎」という中華料理店が2年前にオープンしました。今年36歳になる若き店主が地元の皆さまに愛されるお店を目指し、日々精進しています。おすすめは〈あんかけ焼きそば〉とのこと。店主は、身も心も凍えそうな今のこの時期こそ、アツアツの中華を皆さまに召し上がっていただきたいと申しておりました。 吟遊映人はこの「桂慎」とご縁があり、サポートスタッフとして応援させていただいています。初詣を済ませた方も、そうでない方も、善光寺でおびんずるさん(病を癒す、びんずる尊者像)を撫でて、暗闇の中のお戒壇巡りをし、境内で善光寺オリジナルの御守りを買ってご利益をたくさん頂戴したところで、ちょっと足を伸ばして川中島町の「桂慎」でお食事などいかがでしょうか?人の好い店主が、ボリュームたっぷりのアツアツの中華を、腕によりをかけて調理いたします。どうぞお腹をペコペコに空かせてお出かけください! 吟遊映人は、今年も皆さまに一つでも多くの映画や本のご紹介をさせていただきます。つたない記事ではありますが、今後ともよろしくお願い申し上げます。また、長野市川中島町にある「桂慎」におきましても、何とぞごひいきくださいますよう重ねてお願い申し上げます。 平成31年 小寒
2019.01.13
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【祝:文化勲章受章 高倉健さん】『日本人に生まれて本当に良かったと、きょう思いました。』感動で身体が震えた。高倉健さんの、記者会見のコメントである。健さんは文化勲章の親授式を終え、宮内庁で記者会見に臨まれたという。『日本人に生まれて本当に良かったと、きょう思いました。(映画では)ほとんどは前科者をやりました。そういう役が多かったのにこんな勲章をいただいて、一生懸命やっていると、ちゃんと見ててもらえるんだなと素直に思いました。』健さんをして国民的俳優といわれる所以を、私はここに見た気がする。そしてコメント自体もさることながら、そこに健さんの慎み深さも醸しだされ、とても涼やかなのだ。誠にありがたい限りである。日本の美風はここにあり、だ。また、健さんは親授式に先立ち「平成二十五年度 文化勲章受章に際して」というコメントを寄せており、そこには以下の一文がある。『今後も、この国に生まれて良かったと思える人物像を演じられるよう、人生を愛する心、感動する心を養い続けたいと思います。』実は親授式のコメント以前に、こちらの一文に接し、私はすでに感涙を禁じ得ないでいた。これほど素直で謙虚な文書を目にしたのは久しい気がする。このごろは、昭和を代表する重鎮が立て続けに逝かれた。喪失感に打ちひしがれた昭和の人間は数多いよう。シッポの世代だが私もその一人である。だからわかるのだ。その人たちにとって、健さんのこのコメントがどれほど爽やかで清々しかったか、そして内から湧き上がる篤い力を感じたか、ということを。健さん、文化勲章を受賞されおめでとうございます。心からお祝いの言葉を申し上げます。本当に、本当におめでとうございます。国民の誰もが「この国に生まれて良かった」と思えるような演技を、これからもどうぞお見せください。健さん、いつまでもお元気でご活躍ください。皆、祈っております。秋は読書、という短絡で夜長を本と一緒に過ごしていたが、しばらくは健さんのDVDを見てみよう。まず、今夜は『鉄道員(ぽっぽや)』。そして明日は『ホタル』がいいな。追:昨日の天皇陛下主催の茶会に、健さんは風邪を召して欠席されたという。よくせきの事と拝察される。無念の思いに暮れる健さんの、一刻も早いご快癒を祈念申し上げる。11月6日記す
2013.11.05
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『しょうがねぇなぁ』9月21日は、古今亭志ん生師の40回目の命日であった。お亡くなりになられて早40年になるのだ。彼岸の時に彼岸にいかれるとは誠に志ん生師らしいではないか。心中の落語でたしかこういうクスグリがあった。花魁との心中を決意した金公は今生の暇乞いにまわる。「旅に出る」と言う金公に親方は問う。「いつ帰ってくるんでぇ?」そして金公はこう応えるのだ。「彼岸時分」最後の最後まで落語を地でいった感じがして見事だと思う。「志ん生に間にあった」世代のシッポに属する身としては、そういうところに特別な感慨を抱くのだ。だから、気のせいか彼岸時分に聞く志ん生師は事のほか熱を帯びて感じる。余計なお世話かもしれないがこの時分の怪談は禁じ手である。ゾクゾクッとし過ぎるのだ。彼岸時の志ん生師は滑稽噺につきる。我ながら凝り性なもので(笑)、そこへ持ってきて矢野誠一さんの著著で「五代目古今亭志ん生師くらい多くの人びとによって、その藝と人について書き記された例をほかに知らない。」という一文をかつて目にしてから、志ん生師に関する文献を読み漁ったがいまだ尽きない。馴染みの図書館では絶版となった志ん生師の関連書物が宝の山になっている。幸か不幸か同好の志もいないようでいつでも好きなものを借りられるのがうれしい。そしていままでに読んだ文献を通してふたつの感想をもった。ひとつは、人それぞれにそれぞれの志ん生師がいる、ということ。もうひとつは、志ん生師は噺に頻出する『しょうがねぇなぁ』にすべて尽きる、ということである。最初の一つは山頭火と比肩できること大なのだ。これについては、まだ書物が出ていないようであるから一考の余地ありだと内心思っている(笑)。結構な比較論を展開できそうだ。まあ、意義はさほど認められないのだが(汗)二つ目は即ち志ん生師を解くキーワードである。志ん生師の落語やその人生を考えるとき、現代で今の常識にあてはめてそれを考えるのは、今を普通に生きる我々には理解と想像をおおいに超えるのである。それこそが志ん生師と並の落語家の違うところなのであるが、そこの理解なくして志ん生師の落語は納得できないのだ。それを解くのが『しょうがねぇなぁ』である。何だかわかったようなわからないようなことを言って申し訳ないのだが、そういうことなのである(笑)詳細は後日お伝え致したいと思います(^^)v(わかったようなわからないようなお話ですがね♪)そんなことで(笑)、五代目古今亭志ん生、噺はモチのロンで関連文献(落語筆記本、志ん生師口述筆記もアリ)も読んで面白く飽くことはない。ところで21日は宮沢賢治の命日でもあった。賢治がとてつもなく素晴らしい人であればあるほど、志ん生師との乖離(というより落差か・笑)を感じ、それも落語っぽく感じ、何より亡くなった日が賢治と同じくすることも志ん生師らしいではないか。そして命日が落差ならコチラも落差。賢治の命日を扱った新聞のコラムは何社もあった。去年もそうでありはっきりと記憶している。惜しむらくは、というか当然かもしれないが、志ん生師の命日を扱ったコラムはひとつもなし!これまた志ん生師っぽくなくでもないが、シッポとはいえ「志ん生に間にあった」世代としては少し不当な扱いを感じなくでもないのだ、残念。『しょうがねぇなぁ』ひとりごち、空にむかって手を合わせるのであった。
2013.09.23
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吟遊映人ア・ラ・カルト(2012) 吟遊映人のブログでは、今年から新たに【読書案内】の記事もアップするようになり、私個人的にはとても充実したブログ更新の一年になりました。映画感想の記事については、後半からややスタミナ切れで、マンネリ気味となりましたが、それでもどうにか一本一本新たな発見はないかと、自分なりの方法で鑑賞することができました。何でもそうですが、スタート時というのは準備良し、意気込み良し、エンジンフル回転で勢いに乗ったところまでは順調です。問題はその後、単調に続く道はドライバーに睡魔が襲います。そういう時は、急がず、焦らず、充分な休養をとることです。休養は決して怠惰とは違うので、お正月は思う存分ぼんやりし、ゴロゴロしましょう。(笑)さて、この年末に来て政治が動きました。これまで野党に転落していた自民党が政権を奪還し、安倍内閣が発足しました。今後の展開が気になるところですが、吟遊映人は踊らされるのに懲りたこともあり、これまでどおりのスタンスをとっていきたいと思います。コツコツと真面目にやっていくことが美徳だと思い込んでいる私は、あるいは時代遅れを露呈しているようなものかもしれません。要領の悪い生き方を無様にさらしているのかもしれません。しかし、私のような生き方があっても良いのでは?と思うわけです。人は皆、千差万別ですから。吟遊映人が映画感想や読書案内、あるいは風景写真や様々な詩歌をアップするのは、全て、自己陶酔です。(笑)自分を慰撫するための行為なのです。他人様に自慢するまでのレベルには達していませんが、それでも通りすがりにご覧いただけたら本当に嬉しい限りです。また、こんなつたないサイトをお気に入りに登録していただいている方々にも、深く感謝致します。ブログの管理上、コメントやTBの受付は一切しておりませんが、どうか皆様、ご容赦下さい。今年も一年、吟遊映人をごひいきにしていただきまして、本当にありがとうございました。来年もどうぞよろしくお願い申し上げます。皆様、どうぞ良いお年をお迎え下さい。合掌また見つかった、何が、映画が、小説が、誰かと分かち合う感動が。See you next time !(^^)
2012.12.31
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映画監督のトニー・スコット氏が逝去されました。吟遊映人は、トニー・スコット氏のご冥福を心よりお祈り申し上げます。氏はまさに名伯楽でした。デンゼル・ワシントンの華はトニー・スコット氏が育てたといっても過言ではないでしょう。誠にもって、実に惜しい人がまた一人世を去りました。巨星を失い、今は喪失感でいっぱいの吟遊映人でありました。今宵は、名作「マイ・ボディガード」を見ながらトニー・スコット監督を偲びたいと思います。合掌(-人-)なお、吟遊映人の過去記事は以下の通りです。ご覧いただければ幸いです。マイ・ボディーガードサブウェイ123激突アンストッパブル
2012.08.20
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今年は思いもかけぬ災害の年になりました。空前の大災害に見舞われた被災地の方々にとっては、まだまだご苦労が絶えないことと思います。心よりお見舞い申し上げます。さて、今年もたくさんの映画鑑賞に明け暮れることができました。時間の都合で、なかなかシネコンまで足を運ぶのが難しいというのが現状ですが、ご近所のTSUTAYAさんのおかげで、自宅の自室でのんびりと作品を鑑賞することができます。また、同じ作品を観てあれこれ感想を語り合える、気のおけない友人にも恵まれ、ささやかな幸せを感じています。写真に関しても、過去に撮りためたものから最近のものまで、少しずつ皆様にご紹介できたことを、とても嬉しく思っています。誰かに何かを伝えたいと思う気持ち、これを“表現する”と言うのですが、美しい山野の風景、通りすがりの石仏、野鳥の憩いなど、自分なりの捉え方で表現できたのではと満足しています。(もちろん、完璧ではありません。あくまでも自己満足という意味です。)今年一年、様々な映画を観て、本を読んで、そして、カメラを持って山野を歩いた時に思ったのは、流行り廃りの激しい世の中のトレンドなど追いかけることなく、人の顔色ばかり気にするのではなく、自分というものをしっかり持って、素朴に、堅実に生きていきたいということです。そこで、今年一年をしめくくるにあたり、皆様にご紹介したい詩があります。詩人・茨木のり子さんの『倚りかからず』です。この詩は、人がしっかりと大地に足をつけて歩んで行く上で、とても励みになる作品です。倚りかからずもはやできあいの思想に倚りかかりたくないもはやできあいの宗教には倚りかかりたくないもはやできあいの学問には倚りかかりたくないもはやいかなる権威にも倚りかかりたくはないながく生きて心底学んだのはそれぐらいじぶんの耳目じぶんの二本足のみで立っていてなに不都合のことやある倚りかかるとすればそれは椅子の背もたれだけ本年も、このつたないブログに目を通していただきまして、本当にありがとうございます。来年も、皆様にとって幸多き年でありますように、お祈り申し上げます。合掌また見つかった、何が、映画が、誰かと分かち合う感動が。See you next time !(^^)
2011.12.30
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今回の東北地方太平洋沖地震において、我々は自然の前には無力であることを知った。 だが、それでも減災できる手段はなかったのかと考えずにはいられない。“今さら”ではない。我々はそこから学び、今後に生かさなければならない。日ごろから地震に対する防災意識の最も強い静岡県では、すでに40年も前から東海大地震に備えた対策を講じている。家屋の耐震補強の奨励はもちろんのこと、ブロック塀の改善、それに備蓄品については、当然のように各家庭が押入れの片隅に常時保管している。そして何より地震で恐いのは、家具の転倒による圧死。これは実に、全体の8割を占めるというデータがある。そのため静岡県民は、家具や食器棚の転倒防止に最大限努めている。地震には、津波や火事などの災害についても憂慮しなければならないのだが、まずは身近なところから、各家庭で出来る防災対策を施していきたい。そこで、今回の大地震を対岸の火事と捉えるのではなく、明日我が身にふりかかるかもしれない天災であると捉え、日ごろからの防災意識を、より高めて行こうではないか。この度の大規模災害に対し、被災地の皆様には、心よりお見舞い申し上げますとともに、一日も早い復興をお祈りいたします。 吟遊映人記す
2011.03.15
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