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【マチェーテ】「どこへ行ってたの?! メールくらい送ってよ!」「マチェーテ、メールしない(メールできない)。マチェーテ、証拠を渡す」「・・・戻ってくれてありがとう」この作品はいわゆるB級映画で、前半はスプラッターシーンの連続と来て陰惨さが際立っている。不思議なもので、後半は視聴者も慣らされてしまい、かえってドタバタ喜劇のようなおもしろさを感じてしまった。製作者の中に、クエンティン・タランティーノの名前を見つけ、なるほどと妙に納得してしまうものがある。というのも、この作品は『グラインドハウス』という映画で使われた偽予告編を、実際に映画化してしまったものらしい。(ウィキペディア参照)だから、グリコのおまけ的な作品として捉えた方がいいかもしれない。驚いたのは主役に扮するダニー・トレホで、この役者さんはメキシコ系アメリカ人。年齢的なことよりルックスについて言わせてもらえば、B級、C級でなければ主役には到底及ばない悪役顔をしている。とにかく厳つくて、コワイ。メキシコの連邦捜査官という役柄だが、どう見てもメキシコ系マフィアと言ったところだ(笑)元メキシコ連邦捜査官のマチェーテは、ワケあってアメリカテキサス州で不法移民の日雇い労働者として働いていた。マチェーテの凄腕に目をつけた殺し屋から、不法移民嫌いで知られる政治家マクラフリン議員の暗殺を依頼される。マチェーテは報酬にもらった金を、表向きはタコス売りの女性革命家であるルースに託す。一方、移民局職員のサルタナは、法の執行と正義との間で葛藤しつつも、最終的にはマチェーテといっしょに麻薬王に立ち向かうのだった。これほどコテコテのB級モノなのに、ロバート・デ・ニーロが出演しているではないか?!ニコラス・ケイジもそうだが、ハリウッドのオスカー俳優たるもの、出演作品を選ばないのだろうか?メキシコの麻薬王の役としてスティーヴン・セガールが登場するが、これには納得。この役者さんなら大いに結構だ(笑)ウィキペディアによれば、実生活の上でも刑務所を出たり入ったりしていたというワケありのダニー・トレホだが、この作品を見れば完全に生き方を改めたのがよく分かる。奇跡みたいに与えられた主役を、意気揚々と演じているのを見ると、こちらまで嬉しくなってしまうほどだ。年を経てこんな大役のチャンスに恵まれるのは、世界広しと言えどもアメリカぐらいだろう。さすがは自由の国アメリカだけのことはある。全体を通してお祭り騒ぎのB級モノだが、そうそうたる役者陣に支えられて一見コミカルではある。だがその実、アメリカの移民政策に対する抗議が込められていそうだ。それにしても、ラストのエンディング・タイトルにまたまた2本の予告編が出ていた。 ということで続編は只今iTunesで公開中(笑)2010年公開【監督】ロバート・ロドリゲス、イーサン・マニキス 【出演】ダニー・トレホ、ロバート・デ・ニーロ
2014.09.02
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【スカーフェイス】「どういうことだ? 子供を乗せたぞ」「いつもは別の車で学校へ行くんだ」「中止しよう。今日はやめだ。中止だ! あいつが一人の時に殺る。女房子供はお断りだ!」“映像の魔術師”と呼ばれたヒッチコック監督から多大なる影響を受けたデ・パルマ監督は、スリラー映画にこだわることなくバイオレンスのジャンルにも活動の域を広げて行った。本人も、実はホラー的要素の濃いバイオレンスを扱った作品を手掛けることを得意としているようで、世間の評価とは別に、生き生きとした作品に完成されているのが「スカーフェイス」である。ヒッチコック監督の得意とした目線アングルや、ワンカットワンカット隙のない凝った画作りは、驚くほど見事にデ・パルマ監督に継承されていると言っても良いだろう。「スカーフェイス」は、賛否両論分かれる作品だが、興行的には成功し、「殺しのドレス」同様にデ・パルマファンを一気に増やした作品の一つでもある。1980年、トニー・モンタナはキューバからフロリダ州マイアミへ、鮨詰め状態の船で渡って来た。カストロ主義に反対し、政治犯として追放されたのだった。トニーは、弟分であるマニーとともに、アメリカの裏社会で一仕事済ませることになった。それは、コロンビア人を相手にコカインの取引きを成立させることであった。トニーは、単なるチンピラに納まるつもりはなく、麻薬王として裏社会に君臨するのが目的だった。だが、殺人と麻薬と脱税の先にあるのは、使い切れないほどの大金と引き替えに、我が身の破滅でもあった。エルヴィラ役のミシェル・ファイファーは、この当時、本当に若くて美しい。気だるくもの憂げで、いつも何かに対して苛立ちを感じている、雌虎のようなキャラクターに扮するのだが、適役だ。暇さえあればドラッグに溺れているシーンも、妙に板についていて説得力があった。さらに、チョイ役ではあるが、F・マーリー・エイブラハムも出演している。代表作に「アマデウス」があり、サリエリ役として有名だ。本作においては、マフィアのナンバー2的存在だが、何やら腹に逸物ありそうでインパクトのある役柄だった。そして何より、主役に扮したアル・パチーノは、ここでも絶好調だ。声量も行き届いていて存在感があり、肩肘張って生きている男の辛さ、切なさみたいな感情が、ドッと溢れる演技力である。バイオレンスに彩られた裏社会の縮図を、見事に表現した作品なのだ。1983年(米)、1984年(日)公開【監督】ブライアン・デ・パルマ【出演】アル・パチーノ、ミシェル・ファイファー、F・マーリー・エイブラハム※予告 『ミッドナイト・ガイズ』は近日掲載予定です(^^)v
2014.07.30
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【フェイクシティ~ある男のルール~ 】「それでワシントンと俺を殺そうとしたのか!? 壁の(内側に隠した膨大な)金を増やすために?」「俺たちの金だ。チームの金だ。シルキーの弁護料もここから出た。お前の老後資金もだ。不備な制度を是正したのさ。お巡り同士が助け合って暮らしていける(中略)」「“悪者を捕まえる”って役目は?」「人間は皆、性悪さ」キアヌ・リーブスという役者さんは、自分がどんなキャラクターを演じれば視聴者が喜ぶのかを実によくわきまえている人物だと思う。作品を観る前から何となくキアヌの演じるキャラや設定が見えてしまうのも、おそらくその辺りの所以であろう。作品冒頭部、キアヌ演じるラドローがコンビニでウォッカのミニボトルを購入し、それをあおるように飲みながら運転するあたりからして、アウトローな刑事であることをムンムンに漂わせている。しかし、このあたりの演出はサスペンスモノやスリラーモノには欠かせない物語の導入部であるため、何か“ワケありの刑事”風情を出すにはまずまずの成功と言える。ロス市警のラドロー刑事は、正義のためなら手段を選ばないタフな男。強引なやり口で事件解決に導いていくため、多大な被害も避けられない。そんな時、上司のワンダー警部だけはラドローをかばい、尻拭いをして来た。ある日、かつてのパートナーであったワシントン刑事が、ラドローの行き過ぎた捜査を密告しているとワンダーらから聞く。ラドローは真相を知るためにワシントンを尾行するが、その途中、強盗事件に巻き込まれワシントンは撃ち殺されてしまうのだった。内容的には特に目新しさはないものの、出演俳優たちの顔ぶれには胸が躍った。ワンダー警部役のフォレスト・ウィテカーは、言わずと知れたオスカー俳優で、この役者さんがほほ笑みを浮かべただけで何か黒い影が見えてしまうのは何故だろう?(笑)唾を飛ばしながら自論を展開するシーンなど、あまりのパラノイアぶりに驚かされる。 それほどの存在感、そして演技力に脱帽なのだ。ここのところサスペンス映画から離れていたためか、久しぶりに引き込まれるような楽しさを覚えた作品であった。2009年公開【監督】デヴィッド・エアー【出演】キアヌ・リーブス、フォレスト・ウィテカー
2014.03.16
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【マッドマックス】「おい、何事だ?」「釈放だ」「釈放だと? なぜなんだ?」「被害者も誰も現れないんだ」「何が誰も現れないだと?!」「だから誰も来ないんだ! 被害に遭った女も、町の連中も、誰も来ないんだ! 一人もな! お手上げなんだよ」「ふざけるな! それが何だ?!」「裁判はない。不起訴だ」この作品は、無名のメル・ギブソンをスターに押し上げた出世作でもあるので、あまり酷なことは言えないけれど、低予算で製作されたせいか、全体的にB級的なムードが漂っている。だがカー・アクションはずば抜けている。臨場感があって、スリル感はたっぷりと味わえる。(女性にはいかがなものかと思う内容だが)オーストラリア映画であるこの作品は、日本でブレイクしたらしい。(ウィキペディア参照)何が日本人にウケたのかは分からない。私だってれっきとした日本国籍を有する者だが、あまり胸に響くものはなかった。だから『マッドマックス』がその後シリーズ化されたことに、驚かずにはいられない。 友人に訊いたところによると、「カワサキ」やら「ホンダ」などのバイクが登場していてカッコイイと言うので、きっとそういう乗り物好きのやんちゃな大人が興奮するアクション映画なのかもしれない。主人公マックス役に扮したメル・ギブソンが、実に若々しい。シワ一つないし、真っ直ぐ見つめる瞳が正義感に燃える警官役としてピッタリだ。今や敬虔なカトリック信徒としては有名な話だが、この映画のストーリーだって悪の中枢でもある暴走族を壊滅状態にしてくれるのだから、胸のすくような気持ちになる。ストーリーはこうだ。ちまたでは、暴走族による凶悪事件が横行していた。ある日、凶悪なナイトライダーが女を助手席に乗せ、いいところを見せようとスピードを出してパトカーの追跡を逃れていた。また、ナイトライダーは追跡して来るパトカーを次々と転倒させ、警官を殺した。無線で応援要請を受けたのはマックス。暴走族を追跡するのを専門とする警官マックスは、黒皮の上下服に身を包み、肩にはマグナム44、足にはショットガンを装備。ナイトライダーの運転する車にピタリと張り付き、隙を見せないでいた。いよいよ追い詰められたと知ったナイトライダーは、運転操作を誤り死亡する。ところがこのことをきっかけに、ナイトライダーの暴走族仲間の怒りを買い、マックスと同僚のジムは命を狙われる身となってしまったのだ。ベタだなとは思うが、マックスの愛する妻と子どもが暴走族の手にかかった時、復讐を誓う正義の男に変わっていく展開が良かった。怒りの沸点に達したマックスが、我を失い、たった一人でも立ち向かっていく姿は、カッコイイを通り越して狂気の沙汰だ。腕を撃たれたりして重傷を負いながらも、執念で暴走族を追い詰めていくのだからスゴイ。メル・ギブソンの初々しい演技と、何やら本物の暴走族を集めたとかいうエキストラと、様々な名車に注目だ。1979年公開 【監督】ジョージ・ミラー【出演】メル・ギブソン
2013.05.26
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【ダイ・ハード ラスト・デイ】「トラブルが好きなのか?ツイてないだけ?」「俺も答えを知りたいよ」世界一ツイていない男が満を持しての登場である。前作から6年を経ての『ダイ・ハード ラスト・デイ』である。今回のキャッチコピーは「運の悪さは、遺伝する」なんと、マクレーン刑事に息子がいたのだ!「ジャック?」「親父!?」一見、安直とも思える設定。そしてお約束の演出。でもそれがバタくさく感じ、何ともハリウッドっぽくていいではないか!そもそも眼目はCGであろう。最先端のコンピューターテクノロジーを最大限駆使し、おそらく今できうるであろう最高の表現であることは間違いない。それをおおいに楽しまなければ(^^)なお、予告では第九の最終楽章が効果的であった。第九の最終楽章という盛り上がりを演出する効果音のみならず、最先端テクノロジーとアナログ音楽の組み合わせは実に心地のよいものであった。観賞時には、きっと心のバランスも保ってくれることであろう。ときに「ダイ・ハード」シリーズは今回で5作目となりすでに25年をむかえる。この機に、「ダイ・ハード」シリーズをもって四半世紀の歴史に思いを馳せてみてはいかがであろうか。ご参考まで、吟遊映人のシリーズ記事はコチラです(^^)◆ダイ・ハードはコチラ◆ダイ・ハード2はコチラ◆ダイ・ハード3はコチラ◆ダイ・ハード4はコチラなお、劇場公開は2月14日です(^^)vこうご期待♪【監督】ジョン・ムーア【出演】ブルース・ウィリス
2013.02.05
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【イヤー・オブ・ザ・ドラゴン】「中国人の言い草にはもううんざりだ! 君らには賭博も賄賂も神聖侵すべからずか? 数千年来の伝統だって? そんなカビくさいものくそくらえだ! アメリカはまだ200歳だ。君らの遅れた時計を合わせろ! 君らには特権はないんだ。他の人種と何ら変わりはない。だから平等に法律に従え!」 80年代半ばと言ったら香港映画の全盛期ではなかったか?もちろん、この作品は香港映画ではなく、単にチャイナタウンが舞台となっているに過ぎないが、東洋系俳優の際立つ演技力には目を見張るものがある。その筆頭が、チャイニーズ・マフィアのジョーイ役に扮したジョン・ローンである。この役者さんの代表作に『ラスト・エンペラー』などがあるが、身のこなしが優雅で品格のある物腰に、世の女性はずい分と沸いたものだ。さぞかし立派な出自のお家柄なのではと思いきや、なんと孤児院育ちと言うから驚いた。(ウィキペディア参照)そんなわけで、正式な生年月日もよく分からないまま今に至っているようだ。そんなジョン・ローンがマイケル・チミノ監督によって見出され、若きチャイニーズ・マフィアの役を熱演したのは、何かの因果かもしれない。これがきっかけでジョン・ローンはスターダムにのし上がるのだ。舞台はニューヨークのチャイナタウン。チャイニーズ・マフィアのボスが暗殺されたことで、盛大な葬儀が行われていた。チャイニーズ・マフィアの内部では、新旧対立によるリーダー争いがくり広げられていたのだ。一方、ニューヨーク市警のスタンリー刑事は、それまでの警察とマフィアの馴れ合いを一掃するために送り込まれたのだが、独断的なやり方を警察内部から非難されていた。また、仕事一筋で家庭を顧みないことから、スタンリーの妻・コニーとは最悪の夫婦関係になっていた。チャイニーズ・マフィアの抗争を必死で報道する、中国系アメリカ人のTVレポーターであるトレイシーと接近するスタンリーは、妻のことを気にしつつも、トレイシーに傾いてしまう。スタンリーはチャイニーズ・マフィアを敵にし、妻からも愛想をつかされ、上司や同僚からも疎まれ、四面楚歌の状態で闘いに挑むのだった。主人公スタンリー刑事に扮したのは、若きミッキー・ロークである。このころのミッキー・ロークは、ジョニー・デップなみのエキゾチックなルックスに恵まれ、ハリウッドの若手スターとしてキラキラ輝いている。その後、不遇な時代を過ごし、『レスラー』で久しぶりに見たミッキー・ロークの容貌は、若かりしころの面影を残すこともなく、浮腫み、歪んでいて、あの甘い声さえ失われ、嗄れていた。だが、『イヤー・オブ・ザ・ドラゴン』の時のミッキー・ロークより、『レスラー』で復活したミッキー・ロークの方が、はるかに好きだ。『イヤー・オブ・ザ・ドラゴン』はバブル期と重なり、むやみやたらと「ノリノリ」な?猥雑さが垣間見られる。内容というよりは、出演者の快演を味わいたい作品だ。1985年(米)、1986年(日)公開【監督】マイケル・チミノ【出演】ミッキー・ローク、ジョン・ローン
2013.02.03
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「全員を殺す。一人ずつだ。だが今じゃない。自分のしたことを昼も夜も考えろ。女房や子供に許しを請い・・・なぜ死ぬか話せ。そして思いがけない時・・・明日か・・・それとも半年後か・・・1年後に俺が現れる。俺が生きてる限り、安全はない」フランスらしいフランス映画と言ってしまえば聞こえは良いけれども、ノワール作品につきまとうのは人生の無常ではないか。同じジャン・レノが主人公の、『レオン』があれだけ完成度が高かったのは、殺し屋稼業の成れの果てを率直に表現したことによるものだ。『バレッツ』においても、マルセイユを舞台にマフィアとして暴れていたシャルリが、足を洗ってからその後のことを追っている。だが、一たびその道を通ってしまった者は、そう容易くは堅気には戻れない・・・この辺りの展開はありきたりと言えどもなかなか見ごたえはある。問題はラストだ。このような結末はどうしてもキレイゴトに思え、作品としての質を低下させてしまうのではなかろうか。やはり、血で血を洗う世界にどっぷりと浸かっていた者の宿命は、平穏な生活とはかけ離れたものでなければいけない。とりあえずのハッピーエンドは、この世に蔓延る全ての犯罪者を擁護することになってしまうからだ。かつてはマルセイユのマフィアとして幅を利かせていたシャルリは、足を洗い、愛息子と外出を楽しんでいた。駐車場に車を止めるため、息子を一足先に車から降ろし、シャルリだけが地下駐車場に向かったところ、数人の覆面の男たちから一斉射撃を受け、22発もの銃弾を撃ち込まれてしまう。その後、病院で治療を受け、奇跡的に回復するが、シャルリを襲った者がなんと、「死んでも友だちだ」と誓い合った親友のザッキアであることが判明。シャルリの仲間は復讐を勧めるが、すでに足を洗ったシャルリは、報復が繰り返されることを避けるため踏み止まる。だが、今度はシャルリの家族にまで魔の手がのびようとしていた。個人的に好感を持てたのが、シングル・マザーとして必死に働く、マルセイユ警察の女性刑事だ。この刑事が、上司のパワーハラスメントに苦しみながらも、懸命にザッキアを追うひた向きさが上手に描かれていて良かった。なんだかんだ言ったところで、犯罪とバイオレンスが絡み合う銃撃戦にはジャン・レノがよく似合う。(富士には月見草がよく似合う、ではないけれど)自分の立ち位置をわきまえた、役者のかもし出す演技は、やはり何ものにも変えがたい魅力があるものだ。この映画は、ジャン・レノによって支えられた作品かもしれない。2010年(仏)、2011年(日)公開【監督】リシャール・ベリ【出演】ジャン・レノまた見つかった、何が、映画が、誰かと分かち合う感動が。See you next time !(^^)
2012.10.07
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「時間がない、急ごう。夢は向こうから近づいてこない。追うんだよ。計画とは違うがこれしかない。これからクラブで金を出して、グランド・セントラル駅へ行く。マイアミ行きは11時30分・・・いいね? 愛してるよ」「(お願い)遅れないで!」回想で始まる映画というのは、どうしてこうも悲哀に終わるのだろうか。この回想型の映画で有名なのは、「タイタニック」である。冒頭で年老いたヒロインが登場することで、何やら豪華客船の夢の跡を連想させるのだから、この回想型スタイルの効果はスゴイ。本作「カリートの道」も、いわゆるこのタイプ、回想で始まるのだ。もう初っ端から主人公のラストが“死”であるという悲劇的な告知をされるのだから、ストーリーが展開しているうちでも、ずっと頭の片隅で死の影を感じ続けている。そして、予想どおりの結末になったところでも、ある種の絶望的な悲哀観に襲われ、胸が締め付けられそうになる。だが、こういうインパクトで視聴者の悲しみを誘おうとするテクニックだとすれば、それは正に、デ・パルマ監督の作戦勝ちであろう。お見事としか、言いようがない。カリート・ブリガンテは、グランド・セントラル駅でマイアミ行きの列車に乗ろうとしたところ、腹に数発、撃たれてしまう。本当は、愛するゲイルとお腹の子とバハマでレンタカー会社を経営しながら余生を送ろうと思っていたのだ。だが、元麻薬王であり、何人ものチンピラを始末して来たカリートが、簡単に堅気になれるはずもなかった。死の直前、彼の脳裏には走馬灯のように、これまでの記憶がよみがえる。彼は、駅の壁に飾られた“パラダイス”の看板を見ながら、一生を終えるのだった。デ・パルマ監督の描く主人公のタイプとして多いのは、女・子供にはめっぽう弱い男だ。 だがその反面、喧嘩はめちゃくちゃ強く、裏切りには容赦なく、人を人とも思わないほどに打ちのめす、バリバリのワルな男でもある。このギャップに魅了される視聴者も多いのではなかろうか。特に、アル・パチーノは、デ・パルマ監督の描きたい主人公に持って来いの適役であろう。「カリートの道」では、カリート・ブリガンテという役柄がアル・パチーノに限りなく追いついたような、あるいはその逆なのか、とにかくひと際異彩を放つ演技であった。他にも、堕落した弁護士役にショーン・ペンが出演しているが、このキャスティングもすばらしい。エンディング・タイトルである「ユー・アー・ソー・ビューティフル」にも、思わず目頭を熱くした。英国のミュージシャン、ジョー・コッカーが魂の歌声を奏でてくれる。最初から最後まで、非の打ちどころのない作品であった。1993年(米)、1994年(日)公開【監督】ブライアン・デ・パルマ【出演】アル・パチーノ、ショーン・ペンまた見つかった、何が、映画が、誰かと分かち合う感動が。See you next time !(^^)
2011.08.28
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「池元、殺っちまったからなぁ」「会長とは話がついてるんですよね?」「・・・水野、お前隠れろ。一人ぐらい生きてねぇとよ、結果がわかんねぇじゃねぇか」 バイオレンスというカテゴリは、ホラーという特殊モノにも似て、好き嫌いのハッキリ分かれるジャンルではなかろうか。本来、映画という娯楽は、日常から離れたところにあるものへの逃避とか、逸脱を望むものであり、言わば夢とか希望を買う商品である。だが世間がこれだけ多種多様化していたら、自ずと好みも違って来るだろうし、中には残酷で身も蓋もないものにいわれのない快感を覚える人種もいるのだ。また、そういうマイノリティーが存在しなければ芸術は生まれない。当然の産物だ。日本が誇る巨匠、北野武監督は、日本という国家をわびさび文化から対極にあるヤクザ社会をクローズアップし、キレイゴトに真っ向からメスを入れた。これはハッキリ言って海外に対する威嚇であり、“なめんなよ”という自己主張の現われみたいなものなのだ。だが、そんなバイオレンスに満ちたヤクザ映画とは言え、これほど平和的な(?)作品はないだろう。どこぞの国は、核兵器をチラつかせながら世界を閉口させているのだから、ヤクザ映画のグロテスクさなんて、ずいぶんまともな喧嘩に近いものを感じてしまう。巨大暴力団組織である山王会会長・関内は、傘下の池元組と村瀬組がむやみに親密な関係であることに嫌悪する。そこで、関内の右腕でもある加藤に、両者を仲違いさせる画策を練らせる。一方、池元組組長は、村瀬組組長と兄弟盃を交わした仲でありながら、どこか日和見主義で、関内からにらまれていることを知るやいなや配下の大友に村瀬の始末を丸投げするのだった。本作「アウトレイジ」が既成の仁侠映画と一線を画すのは、やはりなんと言っても大卒らしきインテリが登場し、フツーに英語をペラペラと話すところだろう。ヤクザと英語というなんともミスマッチな組み合わせがいかにも現代的ではないか。今やヤクザの世界も国際化というわけだ。さらに、ヤクザとは対極にあるはずの警察官が、何食わぬ顔してヤクザと癒着し、持ちつ持たれつの関係を維持しているという皮肉な正義の在り方。誰も信じられない。信じられるのは自分だけだと思いきや、その自分さえ一寸先は闇なのだ。事実、北野監督は真理をついているかもしれない。この世の中、信頼に足りるものなんてあるのか?義理だ人情だと言ってみたところで、今時そんな浪花節は流行らない。我々はいつかは死ぬ。その死に様が酷かろうがなんだろうが、人間の死なんてそういう俗っぽいものなのだと、作品を通して教えてくれる。R-指定の映画だが、キレイゴトで終わらせていない結末を大いに評価したい。2010年公開【監督】北野武【出演】ビートたけし、椎名桔平、加瀬亮、三浦友和また見つかった、何が、映画が、誰かと分かち合う感動が。See you next time !(^^)
2011.06.06
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