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【 刑事モース〜オックスフォード事件簿〜case1 】◆華麗なる賭け先にお断りしておくのは、毎回映画レビューをする際、冒頭に気に入ったセリフを紹介がてら入れるのだが、今回は割愛させていただく。(というのも、amazon primeで無料の視聴を一度しただけなので、ご容赦を)さて、刑事モノや探偵モノは、やはり人気が高い。特にキャラが際立つものは、見ていて飽きないし、面白いからだ。もちろん視聴者各人の好みもあるし、ストーリーの良し悪しもあるので、一概には言えないけれど、一話一話完結していてシリーズ化されているのは、安定感があるし、落ち着いて視聴できるのでありがたい。私にとって刑事モノと言えば、ピーター・フォーク主演の『刑事コロンボ』が大好きで、いまだそれを超える刑事モノを知らない。探偵モノなら金田一耕助シリーズで、特に市川崑監督作品が素晴らしい。とにかくキャラクターが見事に完成されていて、ブレがない。何でもそうだけど、キャラが際立っていなければ見ていて面白くないので、これは重要なポイントと言える。『刑事モース』は、イギリスのテレビで放送された刑事ドラマである。私にとってイギリスで放送された人気ドラマですぐに思い浮かぶのは、『シャーロック・ホームズの冒険』である。主演はジェレミー・ブレット。日本語の吹き替えは露口茂なのだが、正に、ホームズの格調高く優雅で紳士的ムードを正確に表現することに成功していた。そう言う洗練された名作に数多く出合ったおかげか、本当の意味でミステリーを堪能させてもらう機会に恵まれた。『刑事モース』は英国の歴史と伝統と、ちょっぴり辛口な国民性を垣間見せてくれるイギリスチックな作品だと思う。とは言え、制作が2000年代に入ってからの、比較的最近の作品なだけあって、1960年代の英国を舞台にするには、ちょっと画面がキレイ過ぎるような気がした。あらすじはざっくりさせてもらうが、なにぶん1回のみの視聴(amazon prime)なので、記憶違いがあるかもしれないのでご容赦を。1960年代のイギリスが舞台。カーシャル・ニュータウン警察の新米刑事モースは、退職届を出すつもりでタイプしていた。死体を直視できないし、血液の飛び散った凄惨な現場に立ち会うのが苦手だったからだ。(他にも理由はあるが)そんな折、メリーという少女が失踪したことで、モースも捜索のためオックスフォードへ出向くことになった。同時期に、オックスフォード大学の学生マイルズが死体で見つかる。一見、自死にも見えるが、断定はできないでいた。さらには失踪と思われていたメリーも、その後、死体で発見される。そのメリーという少女は、15歳という若さでありながら、男性遍歴があり、オックスフォード大学の学生であるマイルズの他に、教授のストロミング、自動車整備士のジョニーと関係があり、誰の子かは不明だが、中絶した経験もあった。モースがストロミング宅へ聞き込みに行くと、ストロミングは留守だったが、その妻ロザリンドとばったり遭遇した。見れば彼女は元オペラ歌手であることがわかった。モースは彼女の熱狂的なファンなので、見間違えるはずもなかった。この作品、あらすじを書くのに手間取る。というのも、いろんな伏線があって、最後に回収されていくのだが、単純な犯人探しの推理ドラマと違うからだ。ポイントとなるのは、一般的にホワイトカラーと称される立場の大学の教授や官僚らが、つまらない賭け(ゲーム)をやったことが発端となる。一方で、作中、警視正の娘が怪しげなパーティーで一服盛られて、恥ずかしい写真を撮られて、父親の職業上、真実をなかなか明かせないという、要所要所で捜査が劇的に進展しない理由が詳らかになる。私はわりと刑事モノとか推理ドラマは、気軽に楽しくサラリと見るのがモットーなので、最後まで犯人は誰なのかとドキドキしながら見るのは苦手である。その点、『刑事モース』は、ハマる人はハマる作品だと思われる。英国製らしく、品はあるし、絵的にもキレイで、それでいてドロリとした人間の業を表現している。だがあくまで私個人としては、たまに見るなら雰囲気に酔えて楽しめそうだけど、毎週放送されるTVドラマとしては、見忘れることもありそうだ。きっと私が求めるようなユニークなキャラクター設定ではなく、どこまでも大衆受けするような人物像におさまっていたからかもしれない。私の中で一番は、やっぱり『刑事コロンボ』なのだ。2012年放送【監督】コルム・マッカーシー【出演】ショーン・エヴァンズ、ロジャー・アラーム、フローラ・モンゴメリー
2024.09.14
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【刑事コロンボ 〜二枚のドガの絵〜】「名画の数々は、もともとあなたが始めたコレクションだったわけですね?」「でも手元に置くつもりはないのよ」「なぜですか?」「あら、みんな分かってないのね。亡くなった元夫だって、最後には絵のコレクションに嫌気がさしていたのよ。買いあさって秘蔵するより、私が彼に勧めたように、名画はみんなで共有すべきなのよ。それで学校や美術館に寄贈することにしたの」『コロンボ』に登場する愛すべき脇役の設定に、いつも共鳴してしまうのは私だけだろうか?「ああ、こう言うタイプいるなぁ」と、思わずクスッと笑みがこぼれてしまうような天然ボケタイプで、それでいて憎めないキャラ。例えば〜二枚のドガの絵〜に登場する被害者の元妻なのだが、この脇役が本当に憎めない。離婚の原因は元妻の浮気なのだが、性格はいたって穏やかで、人が良くて、おっとりしていて、しかもコケティッシュ。元妻は金もうけなんてまるで興味がなかったので、おそらく資産家の夫がガッチリと財布のヒモを握っていたに違いない。だから元妻が趣味で美術館へ夫を連れて行った時にも、夫は名画の良さを味わうでもなく、いかにその絵画が今後価値の上がるものなのか、投資目的で鑑賞するに過ぎなかったのであろう。(コレはあくまで私の想像だけど)実際、私の従姉もこんなタイプで、「あそこのラーメンは美味しいみたいよ」と、夫を評判のラーメン屋に連れて行ったところ、夫がそのラーメンにハマった。従姉は単に美味しいラーメンを夫にも食べてもらいたいだけだったのに、夫はそのラーメン店のオーナーとなってしまった。いわゆる株主というやつだ。きっと従姉の夫はそのラーメンをすすりながら「これは儲かる」と思ったのかもしれないーー〜二枚のドガの絵〜のストーリーはこうだ。美術評論家のデイル・キングストンは、資産家で独身の叔父が、自分に残すであろう多くの名画を、一刻も早く我が物にしたかった。だが、最近になって叔父が遺言を変更し、全ての名画を元妻に相続させると書き換えてしまった。デイルは叔父を殺害することを計画する。共犯者として恋人を利用し、さも強盗が押し入って室内を荒らしたかのように工作し、叔父を射殺してしまう。その後、共犯の恋人にまで手をかけ、事件の真相を知る者はいなくなった。しかしデイルの犯行は止まることを知らない。全ての罪を、叔父の元妻になすりつけるべく、叔父を殺害した銃を元妻の邸宅に続く庭園にわざと捨てたのである。被害者の元妻を演じるのはキム・ハンター。なんと、『欲望という名の電車』で、ヴィヴィアン・リーと姉妹役を果たしたオスカー女優である。このキム・ハンターの登場で、完全に犯人役がどうしようもない悪人で、キム・ハンター演ずるエドナ・マシューズ(被害者の元妻)がいかに人の良い奥様であるかが、役者のかもし出すオーラだけでハッキリするのだ。この明暗によってドラマは気持ちの良いほどスッキリとした終焉を迎えることとなる。やはり日本人にはこれぐらいの勧善懲悪がちょうど良い。日本人が最も愛すべき『刑事コロンボ』のスタイルが、ここに凝縮されているのだ。1971年放送【監督】ハイ・アヴァバック【キャスト】ピーター・フォーク、ロス・マーディン、キム・ハンター
2023.04.29
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【刑事コロンボ 〜ホリスター将軍のコレクション〜】「彼の人柄がよくわかりますよ。ここに展示された本には、彼を狙った銃弾がめり込んでいます。危うく助かりましたが、将軍は眉ひとつ動かさなかったのです。(その一例からも)彼がどう言う人間か想像がつくでしょ? 度胸があり過ぎるんですよ。とても普通じゃありえない。私なら気絶するところです。普通の人間ならうろたえるのに、彼はどんな状況でも冷静そのものだ」私は、元夫が自律神経失調症とうつ病を患っていたこともあり、周囲の人たちが元夫のことを腫れ物でも扱うようにするのを、何度となく目撃した。もっとタチの悪いのは、妻である私自身が心の病に理解がなく、ただ指をくわえて手をこまねいていたことだ。結局、私は離婚してしまったのだが、元夫はその後、障害者手帳を取得し、福祉のお世話になったとのこと。たまに私のところへ電話をかけて来ては、「みんな俺の話なんかまともに聞かないんだよ。何でか分かるか? 精神科に通ってるからさ」とグチをこぼした。そんな元夫も亡くなって12年が経つ。今回私が見た〜ホリスター将軍のコレクション〜において、事件を目撃した女性は精神に疾患を持つ者という設定である。一番信頼に値する身近な母親でさえ、娘の心の病に辟易している有り様なのだ。この状況をたとえドラマの上でも目の当たりにすると、何とも言えない苦いものがこみ上げて来るのだ。ストーリーは次のとおり。退役軍人のホリスター将軍は、第二次世界大戦や朝鮮戦争で活躍した英雄であった。そんな彼は、事業が成功し独身貴族を謳歌していた。ある時、ホリスター邸に調達課のダットン大佐が訪ねて来る。慌てた様子のダットン大佐が言うには、海軍に会計監査が入るとのこと。実はホリスター将軍とダットン大佐は癒着し、莫大な資金を海軍から横領していたことから、ダットン大佐は狼狽を隠せないでいた。一方、ホリスター将軍はそんな一大事を聞いても、眉ひとつ動かすことなく冷静だった。ダットン大佐はこれからすぐにスイスへ飛ぶと言う。ホリスター将軍は一考する。この様子なら彼の逃亡は失敗し、いずれ自分の名前も明かされてしまうだろうと。そこでホリスター将軍は迷わずダットン大佐を射殺してしまうのだった。ホリスター邸は海辺にあり、その様子をヨット上から目撃する人物がいた。彼女はヘレンと言う女性で、離婚の痛手から心を病み、ずっと投薬とセラピーを続けているような状態だった。ヘレンはさっそく警察に通報するものの、駆け付けた警官もさることながら、傍にいた母親でさえ娘の言うことを単なる妄想としか思わなかった。今回の作品のポイントとなるのは、加害者であるホリスター将軍が国の英雄であり、誰もが尊敬するカリスマ的存在であったこと。一方、事件の目撃者であるヘレンは心の病を患っていて、定職に就いておらず、セラピーに通っているような状態なので、彼女の証言をまともに信じる人がいない。それにつけ込んだ犯人のホリスター将軍は、巧みな話術でヘレンを虜にし、結婚をチラつかせ、彼女を囲い込もうとする。やがてヘレンは恋に落ち、自分が目撃したものは、強い陽射しによる錯覚だったと証言を覆してしまうのだ。このドラマから考えさせられるのは、いかに人というものが他者を色メガネで見ているかということだ。同じ人間であることに変わりないのに、その人の持つ肩書きにコロっと騙されてしまうのだから、何とも情けない生きものではある。でもだからと言って、その人の持つ背景や人柄を無視して事実だけを知るべきなのかと問われれば、それは何とも言えない。せめて、物事には表裏があるのだと肝に銘じておきたいものだ。犯人役は『ローマの休日』にも出演したエディ・アルバートで、〜ホリスター将軍のコレクション〜においても好演している。1971年放送【監督】ジャック・スマイト【キャスト】ピーター・フォーク、エディ・アルバート
2023.04.15
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【刑事コロンボ 刑事コロンボ 〜指輪の爪あと〜】「車を見ていると思い出します。子どもの頃は悪ガキだったもんで、よく車にイタズラしたものです。ポテトを排気管に突っ込むと、エンジンが止まるんですよ・・・酷いでしょ? 私はね、子どもの頃、悪さをした償いに警官になったんです」『刑事コロンボ』のスゴいのは、やっぱり出演者にあると思う。〜指輪の爪あと〜を見たとき、「あれ?この人どこかで見たことあるなぁ」と思ってマジマジと見てしまった役者さん。それは、被害者であるレノーラの夫役ケニカット氏を演じた御仁である。この役者さんの存在感はフツーじゃないと思った。そう、オスカー俳優のレイ・ミランドである。ヒッチコック作品の代表作でもある『ダイヤルMを廻せ』に出演し、犯人役を演じた人物である。〜指輪の爪あと〜においては、犯人役ではなく、被害者の夫という立場で、脇役として好演しているが、レイ・ミランドのあまりの存在感に、犯人役のロバート・カルプが霞んでしまっている(?)なんならいっそのこと、脚本をチョイチョイと手直しをして、レイ・ミランドに犯人役をやってもらえば良かったのに、と思ってしまうほどだ。『ダイヤルMを廻せ』では、グレース・ケリーと共演したレイ・ミランドだが、当時は若くて知的な雰囲気をかもし出しており、とてもじゃないが『刑事コロンボ』に脇役として出演するような役者さんには思えない。その一点だけを取っても、〜指輪の爪あと〜は貴重な作品であると言える。※『ダイヤルMを廻せ』は、当ブログにおいて、ヒッチコック作品というカテゴリに作品の紹介をしているので、こちらと併せてご覧ください。ストーリーは次のとおり。さる探偵社に、マスコミ業界に顔の広いケニカット氏が訪れた。対応したのは探偵社の代表であるブリマーだった。ブリマーは笑顔でケニカット氏に言った。「奥さんは浮気などしておりません。清廉潔白ですよ」と。実はケニカット氏は、若くて美人の妻であるレノーラの素行調査を依頼していたのだ。ブリマーから妻の素行に何の問題もないという調査資料を受け取ったケニカット氏は、安堵して部屋を出て行った。その背中を見送ったブリマーは、すぐさま隣室に移動すると、問題のレノーラに向かって取り引きを持ち掛ける。レノーラは、ブリマーが夫に「奥さんは清廉潔白です」というウソの報告をした一部始終を隣室で聴いていたため、一体なぜブリマーがこんなことをするのかと、半ば混乱してしまう。実際には、レノーラはゴルフ教室のインストラクターと浮気をしていたからだ。だがブリマーから持ち出された取り引きで、自分の浮気をネタに、夫の情報を得ようとしていることを理解した。その晩、レノーラはブリマーの別荘を訪れ、改めて取り引きには応じないと宣言した。さらには、ブリマーの虚偽についても夫に報告すると言い出した。例えそれによって離婚されようとも、自分の口から全て本当のことを話すと、開き直った。これに慌てたのはブリマーだった。自分の目論みがはずれ、窮地に立たされてしまったからだ。ブリマーは思わずカッとなり、レノーラを顔面から殴って殺害してしまうのだった。今回の作品は、珍しくも犯人が突発的な犯行で相手を殺害してしまう。これまでのコロンボシリーズは、犯人が綿密な計画を立てて、半ば完全犯罪のような形で殺害に到るというパターンなので、今回はイレギュラーとも言える。レイ・ミランドの出演でヒッチコック技法を思いついたわけでもないが、ブリマーのかけているメガネのレンズに、殺害工作シーンが映し出されているところがおもしろい!これはちょうどブリマーがレノーラを殺害してしまった直後のシーンなのだが、ブリマーの顔がアップにとらえられ、そのメガネの左右のレンズに隠蔽作業が映し出されるのだ。これは、ヒッチコック的なニオイがして、多いに高揚感味わうものだった。私が『刑事コロンボ』を大好きになった理由は、こう言うヒッチコック作品へのオマージュ的なものがあるのも一つかもしれない。1971年放送【監督】バーナード・コワルスキー【キャスト】ピーター・フォーク、ロバート・カルプ、レイ・ミランド
2023.03.25
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【刑事コロンボ 刑事コロンボ 〜構想の死角〜】「(何度も)しつこくて申し訳ありません。(あなたのおっしゃりたいことは)わかっています。根ほり葉ほり伺ってしまい・・・本当にすみません。(でもこれは)私の性分でしてね」人にはそれぞれ役割というものがある。例えば漫才師などは、ボケとツッコミという役割があって、どちらか一方でも欠けたら漫才は成立しない。たいていはコンビのどちらかがネタを考える役割を担っている。だからネタを考え、台詞が書ける側というのは、ある意味、漫才コンビを存続していく上での要でもある。そんな、マルチな才能を持つ芸人なら、漫才師という枠に留まることなく、放送作家や脚本家などに転身することが可能であろう。しかし他方で、漫才師のボケ役、あるいはツッコミ役としてそこそこの芸を持っているとして、ネタを考えない側、台本を書かない側はどうなんだろう?〝つぶしがきかない〟と言われるが、仕事を選ばなければ何とかなるようだ。コンビを解消したあとなど、飲食店を開業したり、介護ヘルパーになったり、ハウスクリーナー業を営んだりと、いろいろだ。それでも一度は華やかな芸能界の空気を吸った人にとっては、一般人のレベルにまで落ち着くのは、なかなか勇気のいることなのではと想像してしまう。そんな折、私は『刑事コロンボ』〜構想の死角〜を見た。これは、コンビを組む推理作家の一人が、独立したいと言い出したことから事件が起きる。ストーリーは次のとおり。ベストセラー作家として大成功をおさめたケンとジムは、表向きは二人で推理小説のネタを考え、完成させていると思われていた。だが実際にトリックなどを考え、文章として書き上げているのはジムだった。一方、ケンはその明るく社交的な性格から、マスコミの取材や、出版社との交渉など、営業面を担当していて、小説は1行も書いていなかったのだ。ある日、ジムはコンビを解消したいと言い出した。ケンはそれに対し、素直に頷くわけにはいかない。ジムの書く小説のおかげで、これまでの贅沢三昧な生活ができたわけで、コンビが解消されてしまえば、ケンの役割は一切なくなる。つまり、身の破滅を意味するのだ。ケンは、別荘やら車などの購入に金づかいが荒かった。借金もあった。ここは一つ、ジムに多額の保険金をかけて、死んでもらうしかない。受取人はもちろん自分である。ケンは、一世一代のトリックを仕掛け、ジムを殺害するのだった。この作品を見て思ったのは、やっぱり人は身の程をわきまえることが大切だ、というもの。もし自分が誰かの才能や技術に依存して成り立つところにあるとしたら、一刻も早く、己の立ち位置を見直さなくてはならない。あるいは、自分の役割を相手の才能の一部として組み込んでしまう仕組みを作ることだ。そうすることで、いざ相手が独立を目論んだとき、一人ではどうすることもできない状況となる。つまりは二人がお互いに足枷となり、故障のない限り、半永久的に歯車となって動き続けてゆくのだ。だが、たいていの人間は欲の塊であり、業の深い生きものであるから、利益は全て我が物にしたい。身の丈以上の利潤追求したところで、人は人でなくなる。例えばドラマ中に殺害されてしまうジムは、作家として成功したし、結婚もして前途洋々。だが、このままの状態が続けばギャラは相変わらず折半だし、もう我慢の限界に近いところまで来ていた。小説は全て自分が書き上げていて、ケンは一行だって書いていないのに!今後独立しても、書ける自分は何も問題ない。だが、書けない彼はどうなる? そんなことはどうでもいい。生きるためなら何でもするだろう。仕事は選ばなければ何でもあるーーと、思ったに違いない。その傲慢さ、いや、本人はそんなつもりは毛頭なかったであろう。だが結果として、コンビ解消を望んだジムは殺害されてしまった。じゃあ殺されないためには一体どうしたら良いのか?これは極端な例えかもしれない。しかし教訓として心に刻みつけておく必要があると思う。身の丈を超える欲を出したときこそ、人は己の危機を感知するべきだ。この作品は、人の深淵を覗くドラマとなっている。メガホンを取ったのは、スティーヴン・スピルバーグである。まだ若くて無名だったスピルバーグの、渾身の作品なのだ。一見の価値あり。オススメだ。1971年放送【監督】スティーヴン・スピルバーグ【キャスト】ピーター・フォーク、ジャック・キャシディ
2023.03.04
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【刑事コロンボ 刑事コロンボ 〜死者の身代金〜】「(真相は)些細なことをつなぎ合わせると見えてくるものなんですよ。(そこでたどり着いた答えが)この誘拐は妙だ、ということです」突然だが皆さんは「ウーマンリヴ」という言葉を聞いたことがあるだろうか?これは、1960年代から70年代前半にかけて、一世を風靡した女性解放運動である。主にはアメリカやヨーロッパなどが舞台となっていて、日本にも多大な影響をもたらした、性差別撤廃を目指した運動だった。、、、と、こんな偉そうに解説しておきながら、私はリアルタイムはまだ幼少だったので、ろくにその本質を知らない。敬虔なクリスチャンであったかどうかは推測に過ぎないけれど、聖書に則り、聖書とともに生きて来たごく一般的な女性がぼんやり物思いに耽っていたとき、とある矛盾に気付いてしまったのだ。それは、平等を説くキリスト教でありながら、その実は男性優位であること。基本的にキリスト教圏である欧米は日本と違い、女性の立ち位置は深刻な社会問題を引き起こす引きがねとなるのに充分な条件が揃っていたと思われる。とにかく女性は慈愛に溢れた母性の塊でなくてはならず、夫に尽くしてこその存在であった。(良妻賢母というやつである)それは、キリスト教における唯一絶対の神が「そうあるべき」と言うのだから、簡単に覆すことなどできない。だが、圧倒的な女性の立場の低さを知らしめたのは、人工中絶が非合法という恐るべき現状であった。なんとキリスト教者は、たとえレイプによる妊娠でも中絶してはならないのだ・・・!(これに関しては様々な見解があるため、クリスチャンでもない私がとやかく言うべきことではない)その後、女性解放運動の成果の一つとして、妊娠、中絶を決定する権利を与えられた。(だが、すべての国ではない)これがものすごくざっくりとした「ウーマンリヴ」の一端である。さて、なぜ私がこんな話題を持ち出したのかと言うと、『刑事コロンボ』においても、その世相がチラリと見え隠れしているからだ。〝死者の身代金〟において犯人であるレスリーは女性弁護士だが、秘書は男性である。コロンボはその秘書に、上司が女性というのはやりづらくないのかと、聞くシーンがある。男性秘書は一蹴するが、今なら間違いなく〝セクハラ〟で訴えられてしまうかもしれない、、、このように、時代背景を軽く知ってとくと、また一段と『刑事コロンボ』を楽しむことができると思い、ほんの少しだけ「ウーマンリヴ」について語らせていただいた。あしからず。あらすじは次のとおり。ある晩遅く、レスリーは万全の準備を整えて、夫の帰宅を待ち構えていた。もともとレスリーには夫に対して愛情などはなかった。夫の持つ社会的な知名度と資産を利用して、自分の弁護士としての地位を盤石なものとすることが結婚した目的であったのだ。その真相に気付いた夫が離婚話を持ち出した。夫は資産家で名声もあり、今離婚を切り出されたりしたら、女性弁護士として仕事もプライベートも高く評価されている自分の名誉にキズが付いてしまう。どんな手段を使ってでも阻止しなければと思った。そこで思いついたのが、誘拐殺人トリックである。小型のピストルで夫を殺害すると、弾が貫通せず死体が大して傷つかないのを良いことに、死体を現場から動かし、さも身代金目的の誘拐のごとく、新聞の切り抜きを貼り付けた脅迫状を、自らに送りつけた。一報を受けたFBIは、逆探知などを設置し、犯人検挙に躍起になるが、ようとして知れなかった。その後、死体が見つかったことで捜査権がFBIからロス市警の殺人課に変わった。コロンボの登場である。童話の世界において継母というのは冷酷非情で容赦のない性格である。だが今回私が見た〝死者の身代金〟では、被害者の実の娘が留学先のスイスから帰宅するやいなや、後妻のレスリーを徹底的に糾弾するシーンがある。継母に対して負けるものかという意地が垣間見える。犯人は間違いなくレスリーであるが、いくら小娘が泣き喚こうとも証拠がない限りは検挙できない。ましてや相手はインテリな弁護士である。すわ泣き寝入りかとあきらめかけていると、コロンボの存在が急に際立つのだからニクイ。この作品の受け止め方は視聴者の自由だけれど、私は製作者の、半ばうんざりした、この当時の世の中の動きに対する反感を見たような気がした。犯人のレスリーは女性弁護士として地位も名声も手に入れているが、その実、夫に対して不誠実だし、継子を蔑ろにしている。こんな輩が女性の権利を主張するのは一体どういうことか、けしからん、、、という辛口のメッセージが伝わってくる。そんな成功した勝ち組の女性を犯人役に仕立てた製作者サイドの本当の意図はわからないけれど、少なくとも当時の「ウーマンリヴ」への反駁が理解できるのではなかろうか。悪役に徹した犯人役のリー・グラントだが、さすがハリウッド女優、この作品でエミー賞主演女優賞にノミネートされている。ちなみにリー・グラントは、’51公開の『探偵物語』にも出演し、高い評価を受けた女優さんである。とにかく粒ぞろいの役者が揃っての好演なので、悪いはずがない!これが50年も昔に放送されたなどと信じられない名作刑事ドラマなのだ。1971年放送【監督】リチャード・アーヴィング【キャスト】ピーター・フォーク、リー・グラント
2023.02.11
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【刑事コロンボ 〜殺人処方箋〜】「うちのカミさんに言われるんです。一度(精神科医に)診てもらえって。先生の所に通ったら治りますかね? 私の悪いクセは、、、疑い深くて人を信じないことです」平成生まれの我が息子が『刑事コロンボ』を知らないのだから、きっと今のお若い皆さんは知らなくて当然です。でも、私と同じ世代ともう少し上の世代の方々は知っているはずです。1970年代に初めてNHKで放送されるやいなや大ヒット!『刑事コロンボ』が放送される時間になると、街の居酒屋からお父さんたちの姿が消えるとまで言わしめた刑事ドラマなのですから!パッと見は冴えない刑事であるコロンボ警部が、何気ない犯人の振る舞いやわずかな手がかりから、徐々に犯人を追い詰めていくドラマなのです。派手なドンパチもカーチェイスもまったくありません!ドキドキハラハラなんて皆無なのです。ドラマの冒頭で、殺人に至るまでの経緯をすべて見せ、ロサンゼルス市警であるコロンボがその犯罪のトリックを一つ一つ解き明かしていく、というスタイル。この定番スタイルこそが、落ち着いてドラマを楽しめる所以なのです。私はこの『刑事コロンボ』を毎週楽しみにしていて、両親と食い入るように見ていたのを、昨日のことのように覚えています。さて今回ご紹介するのは、米国で1967年に放送された〝殺人処方箋〟です。あらすじは次のとおり。精神分析医のフレミングは、自宅で結婚記念パーティーを開いていた。だがこれも不仲の妻のご機嫌を取るために過ぎない。財産目当てで結婚した妻から、浮気を理由に離婚を迫られているのだ。パーティーの最中、愛人のジョーンから電話があった。ジョーンは神経症を患っていて、もともと患者として通院しているのだが、フレミングは、この女はコマとして使えると思ったのだ。気が弱いところが難であるが、ジョーンを共犯者として利用し、妻を亡き者にしようと計画を立てた。ジョーンには結婚をチラつかせ、妻の殺害の片棒を担がせることにした。フレミングは妻をメキシコ旅行に誘った。何も知らない彼女は素直に喜び、いそいそと支度を始める。だが、彼女がメキシコに行くことは叶わない。彼女は夫であるフレミングに、自宅で背後から絞殺されるのだ。一方、愛人のジョーンは、フレミングの計画通りに変装し、フレミングの妻を装い、メキシコ行きの飛行機に搭乗する。そしてわざと周囲に印象付けるような口論をし、ジョーンだけが飛行機からおりた。こうしてメキシコに旅立ったフレミングには、完全なアリバイを作り、妻は夫婦喧嘩から一人帰宅したあと強盗に殺害されたという筋書きを完成させるのであった。コロンボを演じるのは言わずと知れたピーター・フォーク。もう30年ぐらい前のことになりますが、サントリーウィスキーのCMに出演していたのを、皆さんはご存知だろうか?あれはシビれましたね、はい。今は簡単に当時のCM動画を閲覧できるのですから、便利な世の中となりました。(ピーター・フォーク CM というキーワードで、すぐに出て来ます)ピーター・フォーク的な役者を日本で探してみたら、いましたよ、日本にも。、、、とは言え、今は亡き役者ですが、藤田まことあたりが、ピーター・フォークのポジションではないでしょうか?今回、私がおすすめする〝殺人処方箋〟は、ラストの大どんでん返しが見どころとなっています。犯人は完全犯罪を目論む精神科医。頭脳明晰なインテリです。たとえ長年のキャリアを積んだ刑事と言えどもお手上げかーー⁈ と半ば諦めかけたところで、コロンボの抜かりない作戦勝ちとなります。『刑事コロンボ』は、この〝殺人処方箋〟によって好評を博し、シリーズ化が決定しました。私は洋画を見る際、たいてい字幕スーパーを選んで視聴するのですが、この『刑事コロンボ』だけは吹き替えで楽しむようにしています。今は亡き小池朝雄の、のらりくらりとした物言いや、絶妙な間(ま)の取り具合をぜひとも味わっていただきたい。見事に声の出演だけで、コロンボ役を演じ切っているのですから。1968年放送【監督】リチャード・アーヴィング【キャスト】ピーター・フォーク、ジーン・バリー
2023.01.28
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【相棒~劇場版3~巨大密室!特命係絶海の孤島へ】「つまり自分たちの身は自分たちで守るしかないんですよ。そんな簡単なごく当たり前のことからどうしてみんな目を背けるんだ? 私は決して自分から危害を加えたりはしない。そこが決定的にテロリストとは違います」「だとしても非合法兵器を持っていい理由にはならないでしょう?!」「そんなことは分かっている!」テレ朝の刑事ドラマはどれも定評があるものの、『相棒』もまた幅広い年齢層に支持されているようだ。2000年に放送が開始されて以来なので、もう15年にも渡ってお茶の間で愛され続けているというわけだ。今回の劇場版については、これまでどおり可もなく不可もなく、という感想に留めておきたいと思う。もともと『相棒』は思想的にも左寄りで、何かと言うと自衛隊を敵視している。特命係VS自衛隊という図式さえチラチラと見え隠れする。国の防衛という行為を、まるで戦争への助走のように煽り立てるのもいかがなものかと思う。世界常識からすれば、国防に力を入れるのは当然のことであるし、永世中立国と言われているスイスには、ちゃんと軍隊が存在する。防衛あってこその賜物であることは周知のとおりである。 ストーリーはこうだ。特命係の杉下右京と甲斐亨が出勤すると、部屋には神戸尊が待っていた。神戸はかつて特命係に在籍していた人物である。用件を尋ねると、神戸は「馬に蹴られて男性が死亡した事件をご存じですか?」と聞いて来た。その事故は、新聞にも小さいながら記事として載っていたので杉下は知っていた。現場は八丈島を経由した小さな孤島で、某実業家の所有する鳳凰島だった。その島では、元自衛官というキャリアを持つ集団が武装し、合宿生活を送っているとのこと。さらには、生物兵器を製造しているというウワサもあり、特命係に事故の調査を依頼して来たのだ。さっそく杉下と甲斐は島へ向かい、事故現場の検証を行った。ところが不審な点がいくつか見つかり、杉下は事故ではなく殺人事件ではないかという疑念を抱く。杉下は密かに鑑識課の米沢と連絡を取り、真相に迫ろうとしていた。 例によって杉下右京のクールでスタイリッシュな身のこなしは、キャラクターとして大成功である。高度な推理力、洞察力、さらにはいかなる権力、圧力にも屈することのない正義と信念の持主という設定は、視聴者サイドの要求を充分に満たしてくれるものだ。水谷豊のメリハリに富んだ演技も、このキャラクターを活かすのにとても効果的である。刑事ドラマとしての『相棒』はとても完成されたものであるし、万人が楽しめる作品だと思う。 だがもしも思想的なものを盛り込んで社会派ドラマへと転換するなら、もうひとひねりが必要だ。平和を語る前に、日本を取り巻く世界情勢についても希薄だし、自衛隊の存在価値を否定するだけのものも表現されていない。それならいっそ警察内部の汚職などを徹底的にドラマチックに仕立ててみたらどうだろう、定石ながら。災害時に命を懸けて活動している自衛官の姿を見たら、この映画に描かれているような自衛隊への批判など、とうてい言えまい。 とはいえ、興行的にも成功しているこの作品はそれなりに支持されているのも確かである。そこそこ楽しめるという意味ではおすすめだ。 2014年公開【監督】和泉聖治【出演】水谷豊、成宮寛貴、伊原剛志~ご参考~★相棒-劇場版- 絶体絶命!42.195km 東京ビッグシティマラソンコチラ★相棒~劇場版2~コチラ
2015.11.01
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【真夏の方程式】「問題には必ず答えがある。だけど、それをすぐに導き出せるとは限らない。これから先、君はそういうことをいくつも経験していくだろう、、、それは僕も同じだ。でも焦ることはない。僕たち自身が成長していけばきっとその答えにたどり着けるはずだ」芸能人の相次ぐ結婚報道に、世の女性たちの絶望的な悲鳴を聴く。西島ショックに始まり向井ショックまで、何やら胸にポッカリと穴が開いたような気分なのであろう。あこがれの俳優がよそ様のご良人となられた日には、夢も希望も失ってしまったということなのだろうか。「経理課の女性社員がそろって机に伏して泣いている。その横で課長が“午後は仕事にならん”と泣いている」というツイッターがテレビで紹介されていたが、よっぽどの衝撃報道だったのだろう。しかし、世の女性たちよ、最後のとりで(?)があるではないか!そう、福山雅治その人である。最近は役者として活躍しているけれど、もともとはミュージシャンで、デビュー以来安定した人気を誇っている。そんな中、フジテレビのドラマ『ガリレオ』シリーズは、老若男女問わず、福山雅治を周知させるきっかけとなった作品だ。 原作は今や飛ぶ鳥を落とす勢いのある東野圭吾で、おもしろくないわけがない。天才物理学者・湯川学が、行きがかり上、謎解きをしていくストーリーである。 あらすじはこうだ。海底鉱物資源開発計画における住民説明会に際し、有識者の代表として物理学者である湯川学が招かれた。「手つかずの海」と謳われる玻璃ヶ浦の地元住民は、開発計画に賛成派と反対派が真っ二つに分かれていた。反対派の中には、湯川が宿泊する緑岩荘の一人娘・成実もいた。一方、その緑岩荘には、親の仕事の都合で夏休みの間、緑岩荘に滞在することになった小学5年生の恭平がいた。子ども嫌いの湯川だが、なぜか恭平にはアレルギー反応も出ず、恭平の屈託のないおしゃべりに付き合ったりした。そんなある日、堤防下の岩場で男性の変死体が発見された。その男は、湯川と同じ緑岩荘に宿泊する者で、しかも元捜査一課の刑事だったのだ。 今回の『真夏の方程式』では、これまで出演していた柴咲コウに代わり、吉高由里子が湯川の相棒役であり、女性刑事として登場する。ヒロインは川畑成実役の杏である。この女優さん、父親が渡辺謙ということもあって、物凄い存在感だ。水着姿の杏を見たら、同性でも息を呑む。とにかく手足が細くて長いのだから!ちょっと日本人の体型とは思えない洗練された身体つきなのだ。 『真夏の方程式』は、端的に言ってしまえば、「大人のエゴに子どもを巻き添えにするな」というテーマが隠されている。なので、登場する小学生の男の子の演技にも注目するとおもしろい。(緑岩荘にやって来たばかりの時と、緑岩荘を去って行く時の表情の違いに注目。)ロケ地は西伊豆堂ヶ島近辺のようだ。のんびりとした田舎の風景、懐かしくも切ない夏の海は、この西伊豆にピッタリだった。季節的には夏向きの作品かもしれないが、冬休みに鑑賞しても、充分家族で楽しめる映画だ。福山雅治ファン必見の作である。 2013年公開【監督】西谷弘【出演】福山雅治、杏、吉高由里子
2014.12.06
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【THE LAST MESSAGE 海猿】「海上保安官の奥さんだもん。彼にもしものことがあっても、あの子は私が守る。私がちゃんと育てて、何があっても一人で生きていけるような子にしてみせる。でもね・・・私のことは誰が守ってくれるの? もし大輔君がいなくなっちゃったら私どうしたらいい?(中略)大輔君がいなきゃダメなの!」『海猿』シリーズも3作目ともなると、なんとなくストーリー展開の予測がつき、安心して見ていられるようになる。予告では、よもや主人公の殉職か?!と、ハラハラさせられたけれども、途中の流れからハッピーエンドの結末がチラつき始める。邦画の特徴的なパターンとして、シリーズものは後味スッキリの爽快感がなくてはならない。それは例えば、水戸黄門の印籠や、寅さんの失恋みたいなものかもしれない。『海猿』においては、必死の救出劇と主人公の生還によって締めくくらなくては、この作品が成り立たない、とでも言ってしまおう(笑)主人公の仙崎大輔を演じるのは、前作までと同様の伊藤英明だ。この役者さんは、ジュノン・ボーイコンテストで準グランプリを受賞し、芸能界入りを果たしている。この作品では、精悍な海上保安本部の救難士として活躍しているが、実際の伊藤は、幼少期に内臓の疾患を抱えており、役所から障害者手帳を交付されていたほど深刻な状態だったようだ。(ウィキペディア参照)そういう背景のある役者さんなだけに、演技は体当たりの姿勢が見受けられ、見ていて清々しい。無論、作品は興行的にも大成功を収めている。国家プロジェクトとして建設された天然ガスプラント施設レガリアで、大規模事故が発生。また、運悪く大型台風が接近していた。福岡沖にあるレガリアまで、仙崎は吉岡らとともに救出に向かう。火災が酷くなる一方、レガリア設計者である桜木が、レガリアへのプライドと未練から脱出せず、結果的に取り残されてしまうはめに。また、救難士である仙崎、新人の服部、作業員の木嶋、レガリアの常駐医である西沢も、台風の通過を前に施設内に取り残されてしまうのだった。作品のタイトルからして完結編になるかと思いきや、そうではなかった(笑)皆さんご存知のとおり、今年、シリーズ4作目が公開されたのは記憶にも新しい。3作目の『LAST MASSAGE』は、世の女性にはかなり高い評価を受けたのではなかろうか。 仙崎が人並み以上の良きパパであり、愛妻家でサービス精神旺盛で、それでいて仕事ぶりも申し分ない。後輩育成にも余念がなく、皆から慕われ、正にパーフェクトなナイス・ガイなわけだ。(それでも役の上で、ちょっと教養が不足しているのはご愛嬌)「こんな人が私を守ってくれたらいいなぁ」と、目をハートにして鑑賞していた女性は多いはず。共働きで無気力亭主と子育てに追われている世の女性に夢を与えてくれる、血と汗と涙の感動ドラマなのだ。2010年公開【監督】羽住英一郎【出演】伊藤英明、加藤あい、佐藤隆太また見つかった、何が、映画が、誰かと分かち合う感動が。See you next time !(^^)
2012.11.11
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「しかし何で犯人の八重樫は立て篭もったんでしょう? 総監以下幹部12名を人質に篭城したくせに、一切交渉にも応じず、何も要求してこなかった」「確かに妙ですね」「八重樫の篭城の目的が分からない限り、事件は解決とは言えません」『相棒』シリーズは、テレビドラマとしてもう長い間お茶の間の皆に支持されて来た作品だ。劇場版として公開されたものについても、観客動員数は見事な数字を打ち出し、興行的にも大成功を収めている。主役の水谷豊は、なんと言っても昔からのコアなファンに厚い支持を受けているし、及川光博も同様だ。この二人がタッグを組んで、数字が取れないわけがないのもまた事実である。作中のキャラクター設定もおもしろい。水谷扮する杉下右京は、東大卒の頭脳明晰な刑事でありながら、どこか風変わりで、紅茶をたしなむ優雅さを備えている。権力に屈しないし、組織の中では同調しないから煙たがられる存在だが、そういう孤高な生き方に視聴者はたまらなく惹かれてしまうわけだ。相棒となる神戸尊も、クールでセレブな雰囲気で周囲を圧倒する存在感を発揮する。バランスの取れたパートナーなのだ。舞台は警視庁本部。特命係の神戸尊は、エレベーターに乗ろうとしていた。すると拳銃を手にした男が、女性職員を捕まえているのに気付き、咄嗟に助ける。その後、男は会議室に直行し、警視総監を始めとする12名の警視庁幹部を人質に取る。 だが犯人の動機は分からず、身代金等の要求もないことで手をこまねいていた。会議室が機動隊とSITによって包囲される一方で、犯人の特定が出来ずにいたが、杉下右京の奇策によって会議室内をデジカメで撮影することに成功。鑑識の米沢が調べたところ、犯人は元警視庁公安の八重樫哲也だと判明した。今回の劇場版2での見どころは、小野田官房室長(岸部一徳)の動向だろう。ポーカーフェイスなだけに、言動だけではどうにも計り知れない野望が見え隠れするのもおもしろい。ヒロイン朝比奈圭子に扮する小西真奈美も、お嬢様キャラから脱却して、精神力の強い女性を見事に演じている。脚本もまずまずで、ドラマチックさにやや欠けるものの、全体的にまとまっていて、安心して楽しめるサスペンスドラマに仕上げられていると思った。2010年公開【監督】和泉聖治【出演】水谷豊、及川光博また見つかった、何が、映画が、誰かと分かち合う感動が。See you next time !(^^)
2012.01.22
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「その証言が誤認だったら?」「証人を疑ったら裁判にならない」「だが誤認かも」「証言台で宣誓したぞ!」「人は間違いを犯す。もしも誤認だったとしたら?」この作品は、過去に何度も映画やテレビなどで製作、放映され、その度に話題を呼んだらしい。サスペンスドラマなどで度々目にするのは、法廷で検事と弁護士が火花を散らし、新たな事実や意外なアリバイが判明して、逆転無罪を勝ち取るという展開だ。ところがこの作品は、12人の陪審員たちが別室であれこれ討論し、有罪か無罪かを評決するという、ただそれだけのドラマである。そういう意味では、いわゆる“法廷モノ”とは多少色合いが違うような気がしないでもない。作中では、それぞれの登場人物に名前があるわけでなく(たとえあったとしても、名前で呼び合うシーンはない)、それぞれが1,2,3・・・と番号順で席に着いている。その陪審員1~陪審員12までのキャラクターには、様々な背景があり、抱えている問題がある。その中で、一人の人間を極刑にするか否かを討論するプロセスが、重厚に描かれている。 スラム育ちの18歳の少年が、父親殺しの罪に問われていた。日ごろ、父親から虐待を受けていた少年には動機もあり、ナイフを購入した証拠も挙がっていた。さらに、近隣住民の目撃証言もあり、少年が犯行に及ぶところを列車の通過越しに見ていたというものまであった。12人の陪審員たちは別室に通され、ほとんど皆が有罪であるかに思えたところ、たった一人の陪審員が無罪を主張するのだった。作品のテーマはとてもはっきりしていて、とにかく“疑わしきは罰せず”の鉄則を強調するものに仕上げられていた。それだけに、人一人の命を左右する評決の重みを感じ、いいかげんな態度では望めない陪審員のあり方を問うものだった。登場した俳優陣の顔ぶれは、これまた見事で、テレビ向けに作られたとは思えないほどの存在感と重厚さをかもし出していた。ジャック・レモンの冷静で客観的な問いかけには、演技を超えた孤高の魂さえ感じた。 また、ジョージ・C・スコットの際立つ存在感には、目を見張るものがあった。裁判員制度が導入されて間もない日本では、一見の価値がある作品だと思う。1997年(米)公開 ※日本では2003年にNHKBS2にて放映 【監督】ウィリアム・フリードキン【出演】ジャック・レモン、ジョージ・C・スコットまた見つかった、何が、映画が、誰かと分かち合う感動が。See you next time !(^^)
2012.01.15
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「申し訳ありませんでした」「謝ることなんて何もないぞ。君たちは十分ベストを尽くした。・・・次は私の番だ」 本作で思わず目を見張ったのは、“公安”の存在だ。ずい分前に、法曹界に片足を突っ込んだ友人から、公安の凄さは訊いていた。公安は、日本国家を守るための機関なので、警察組織からも独立し、その素顔をさらすことはない。国家に対し、不穏な動きがあれば、たとえそれが内閣総理大臣と言えども監視のターゲットと成り得る。電話は常に盗聴して分析し、暗号などを使った特殊な会話を24時間態勢で解析するのだ。さらに、作中にもあったように、公安は世間の日常に溶け込んで生活している。傍目に見れば、どこにでもある家族風景なのだが、実は何気なく町内に潜む要注意人物を監視するために、何年もかけて居住するのだ。それはもう見事な家族ごっこであり、連携プレーなのだ。そんな公安の潜入捜査がクローズ・アップされたのは、何と言ってもオウム真理教の一件であろう。だが、日本のCIAとも言える公安は、あまりドラマとしては成立しにくい。とにかく全貌が明らかにされていないので、ほとんど想像の世界だからであろう。それに比べると、SPの世界はドラマになり易い。命をかけて要人を警護するという行為は、何やらアクション映画の王道たるニオイがプンプンする。井上は警護課第4係のメンバーとともに、六本木ヒルズで行なわれている地雷撲滅キャンペーンの警護に当たっていた。そんな中、晴れているのにこうもり傘を持つ不審なスーツ姿の男を発見。すぐさま井上は、その男の追跡に乗り出す。一足先に仲間の笹本が男に声をかけたところ、一目散で逃走。井上は必死で追跡する。一方、第4係の係長である尾形は、公安から目をつけられていた。というのも、テロリストの背景に尾形が一枚かんでいることを掴んでいたからだ。尾形はSPでありながら、何やら不穏な動きを見せていたのだ。「SP」は、フジテレビ系列で放送されていたTVドラマの劇場版である。映画では、野望篇と革命篇の2部作があり、今回、吟遊映人は野望篇の方を鑑賞してみた。主人公井上の役を、V6のメンバーである岡田准一が熱演している。ルックス良し、演技良しで、まずまずの好評。他にも堤真一や香川照之らが脇を固めることで、単なるアクション・ドラマではなく、印象的で迫力のある演技を披露してくれている。ラストはやや消化不良に陥りぎみだが、おそらく革命篇への動員を促すための効果であろう。全体を通して、まずまずの作品であった。2010年公開【監督】波多野貴文【出演】岡田准一、堤真一、香川照之また見つかった、何が、映画が、誰かと分かち合う感動が。See you next time !(^^)
2011.07.21
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「だったらさ、引っ越し終わるまで隠し通せばいいじゃないの。後で分かったってね。新しい署長の責任になるんだから。(拳銃)3丁ぐらい何とかなるでしょうが。・・・ああ、そうだよほら、こないだ押収した密輸の拳銃ね、あれ置いといてつじつま合わせてさ、ねっ」「・・・ですね、署長。見事な逃げっぷり!」今月の初めに、JR浜松駅前バスターミナルにおいて、29歳の男性によるバスジャックが発生した。ナイフを持っての犯行だったが、ケガ人もなかったためさほど大きくは取り上げられなかった。本作「踊る大捜査線3」においても、刑事ドラマではごくありがちなバスジャックの場面が出て来るのだが、今やドラマの世界ではなく、日常的な犯罪としてニュースを賑わすのだ。浜松で逮捕されたバスジャック犯の供述によれば、住む家もなく、仕事もなく、所持金はわずか¥640で、「憂さばらしをしたかった。刑務所に入りたかった」とのこと。こんな短絡的な動機で犯行に及ぶとは、もう世も末だ、と思ってしまう。「踊る大捜査線3」では、今回ドラマにおける過去の犯罪者たちがそれぞれチョイ役として登場しており、亡くなったいかりや長介の演じた和久刑事まで、声だけの出演として挿入されていた。さらに、交渉課の真下役を演じたユースケ・サンタマリアも出演しているので、昨年公開の邦画としては、実に豪華な顔ぶれと言えるだろう。刑事課強行犯係・係長の青島は、引っ越し対策本部長として、皆を指揮することになった。というのも、湾岸署は新湾岸署へと移転が決まっていた。そんな中、引っ越しのドサクサに紛れ、新湾岸署の武器庫から拳銃を3丁盗まれてしまう。一方、青島は健診の結果を、急遽医師から告げられたところ、肺に白い影があるので精密検査が必要とのことだった。青島は一時的にふさぎ込んでしまうが、亡くなった和久刑事の言葉を思い出し、“死ぬ気で”事件と対峙するのだった。本作で思わず胸を打たれるシーンと言えば、青島が己の寿命がもう長くはないと思い込み、死ぬ気で物事に当たれば何も恐いものなどないのだと、ますます張り切るところだ。この健診の結果は、後で誤診であることが分かるのだが、青島ほどの明るく陽気で熱血漢というキャラクターでさえ、医師からの宣告にはふさぎ込んでしまうのだ。人間は、いつかは死ぬ運命にある定めを知ってはいても、実際、まともに直面した時、当然のことながら尋常ではいられない。我々は、生きている間に様々な艱難辛苦と立ち向かい、また、それを乗り越えていかねばならない。ドラマのように、“死ぬ気で”物事に当たるなどということが、果たして出来るかどうかは分からないが、しがみ付いてでも生きていくことの大切さを教えられた。本作は、青島というキャラクターの、底抜けに前向きな思考に救われる作品であった。 2010年公開【監督】本広克行【出演】織田裕二、深津絵里、小泉今日子 また見つかった、何が、映画が、誰かと分かち合う感動が。See you next time !(^^)
2011.03.17
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「7年・・・7年間、君は週1回僕に会いに来てくれている」「会いに来ないと死ぬって言うから」「何で同じ夢をみるんだろう。僕たちがもう会えなくなるのは、僕の死刑が執行された時以外ありえないと思ってた。まさか、君が先に死ぬなんて・・・」ドル箱作品を生み出すハリウッド映画に押されぎみの日本映画界も、最近はすばらしい作品がめじろ押しだ。CG技術などハリウッドには到底及ばない特撮にも果敢に挑み、日本ならではの行間を重視した叙情的な作品を次々と打ち出している。本作でも、サスペンス物にはありがちな、結末の分かり易いストーリー展開を避け、視聴者を飽きさせない構成を取っている。そのため、二転三転するストーリー展開に、年甲斐もなくワクワクさせられた。主人公である宇佐木玲子役を演じたのは米倉涼子であるが、いつのまにこれほどの演技力を身につけたのであろうか。米倉涼子と言えば、もともと国民的美少女コンテストにおいて特別賞を受賞しており、その後、モデルとしてデビューをした女優さんなのだ。最近では松本清張作品に出演していて、めっきり悪女役が板についてしまったと思われたのだが・・・。そんなワンパターンを見事に払拭し、本作では格好良い警視庁の交渉人として登場する。 ある日、羽田空港近くのショッピングモールで、人質約50名を取る立てこもり事件が発生した。事件発生から12時間が経過し、交渉人である宇佐木玲子が犯人側と交渉に入るが、いきなり電話交渉が中断される。 その後、警視総監命令を受けたSAT部隊に現場は引き継がれるが、なんといきなり店が大爆発。結局、犯人である御堂啓一郎は逮捕されるのだが、事件はそれで終わらなかった。この作品の見どころは、やっぱり上空10000mでの緊迫した機内のシーンであろう。 犯人が2人と思っていたら3人、3人と思っていたら4人という具合に、実行犯が次々に浮かび上がるところなど見ものだ。さらに、黒幕が予期せぬ人物であったことなど、大どんでん返しが楽しめる。脇を固める役者陣も、津川雅彦や橋爪功など錚々たる顔ぶれで、見事な演技だった。本作はTVドラマの延長としても、単独のサスペンス物としても、多いに楽しめる作品なのだ。2010年公開【監督】松田秀和【出演】米倉涼子、筧利夫、陣内孝則また見つかった、何が、映画が、誰かと分かち合う感動が。See you next time !(^^)
2010.09.01
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「営業二部の村川という男の口座に3千万振り込みがあったそうです」「訳ありの金としか思えんな」「日付は12月19日、振り込んだ相手は“日の丸物産”だそうです」「日の丸物産・・・」「何か心当たりはありませんか?「ちょっと調べてみる。・・・やっぱりただの係長やなかったな、お前」「いえ・・・ただの係長です」この作品は、世の殿方を多いに悦ばせること間違いなしである。と言うのも、ストーリーうんぬんより強引な場面展開とお色気ムンムン大人のドラマ的なカラーが強いからである。作者は漫画家の柳沢きみおで、週刊現代に連載された人気コミックの実写版という形になっている。地味で冴えない窓際係長のもう一つの顔・・・みたいなテーマが作品のコアになったものだ。正直なところ、女性サイドからすれば高橋克典ファンが飛び付くか、あるいは殿方サイドならお色気ムンムン下ネタに生唾を飲むか、まぁそういう娯楽モノである。電王堂の総務二課係長である只野仁は、野暮ったく残念な人柄で、皆からは諦められた存在である。だが、彼の真の姿は違っていた。彼は電王堂最高責任者である会長直属の特命係長として、社内に蔓延る不正を暴く立場にあったのだ。ある日、只野は「フラワー・アース・フェスタ2008」のイメージ・キャラクターである人気グラビアアイドル・シルビアのボディガードを任される。シルビアは何者かに狙われ、怯えるのだった。ある意味、春先に観るには格好の作品かもしれない。難しい顔してため息の出るような映画から解放され、たまには「ありえん!」と思えるようなバカバカしい娯楽映画も、気分転換には持って来いなのだ。肩肘張らずに居間のテレビでゴロンと横になりながら観てみたい・・・そんな作品なのだ。2008年公開【監督】植田尚【出演】高橋克典、永井大、赤井英和また見つかった、何が、映画が、誰かと分かち合う感動が。 See you next time !(^^)
2010.03.28
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「海老原真一さんも本間恵さんも全員無事です。吉岡も生きてます」「今どこにいる?」「くろーばー号のファンネルスペース。煙突脇を通って表までつながってる梯子だと思います。・・・吉岡はここに来る途中で爆発の衝撃で閉じ込められました。救出にはカッターが必要です。これから上まで登ります。ヘリの用意をお願いします」世間で話題沸騰中の時、もちろん吟遊映人も人並みに興味が湧いた。マンガは読まなくても、せめてテレビドラマでチェックしなければと。それが「海猿」である。噂には聞いていたが、この映画が公開されたことで、海上保安庁のイメージアップに多大な貢献を果たし、しかも海上保安官の志願者数が激増したとのこと。おそるべし、メディアの力。あれだけ湧いた「海猿」現象も下火となり、今さらではあるが、何となく・・・と言うより向学のために鑑賞しなくてはと、思い至った次第である。鹿児島湾内で座礁したフェリーでの救助活動のため、出動が命じられる。海上保安庁機動救難士である仙崎大輔は、任務遂行のため現場へ急行。大型フェリーは予想以上の速さで浸水、傾いていくのだった。簡潔な感想で申し訳ないが、「感動した」としか言いようがない。命を張って救助活動をする海の男たちをモチーフにしたこの作品に、どうしてケチなどつけられようか!三等海上保安監指揮官の下川役を演じた時任三郎は、実においしい役柄を見事にそつなくこなしていた。「コレだよ、コレコレ!」みたいなテレビドラマの王道ここにあり的風格を見せつけられた気がする。余談になるが、時任三郎と言えば、1983年に放送されたTBSドラマ「ふぞろいの林檎たち」が代表作としてあげられるだろう。名脚本家・山田太一の作品とあって本人も力を入れた役柄ではあったと思うが、すでにこの時からテレビドラマの王道を反れることなく、堂々と歩いていたような気がしてならない。今回の「海猿」にしてもそうだが、役者が視聴者に何を求められているのかを非常によくわきまえた俳優さんだと思う。「海猿」を観ると、“ドラマとはこうあるべきだ”と、映像・脚本・演出・音楽の全てから教えられる作品なのだ。2006年公開【監督】羽住英一郎【出演】伊藤英明、加藤あい、時任三郎また見つかった、何が、映画が、誰かと分かち合う感動が。See you next time !(^^)
2009.06.14
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「花岡靖子が殺害を認めました。でも依然として石神は事実を認めていません」「そうか・・・もし石神が人を愛することを知らないまま生きていたら、罪を犯すこともなかったのかもしれない。あいつはそれほどまで深く人を愛することができたんだ」「石神は花岡靖子に生かされていたんですね」今や売れっ子作家の東野圭吾も、過去には文学賞に15回も落選するという辛酸と苦杯を嘗めて来た時代があった。そんな東野氏にとって小説とは、人生をかけた仕事であり、夢であり、表現舞台であったのかもしれない。その後、地道な執筆活動が報われ、本作と同名小説である「容疑者Xの献身」で、直木三十五賞を受賞したのである。この作品は探偵ガリレオシリーズとして、大学で物理学を研究している湯川学が、警察の手に余る難題を論理的に検証し、解決していくというものである。テレビでもドラマ化され、主人公の湯川学役に福山雅治が抜擢されるなど、高視聴率を獲得した人気番組であった。花岡靖子とその娘・美里はアパートでつつましく暮らしていた。ある日、別れた元夫の富樫が突然訪ねて来る。富樫は、二人の居所を探し当て、どこへ逃げようとも未練がましく付きまとい、復縁を迫った。そんな中あまりの横暴な態度に、美里は背後から富樫を殴打する。怒った富樫は美里に対し殴る蹴るの暴力を奮う。それを見た靖子は、娘を庇おうとしてこたつの電気コードで富樫の首を絞め、殺害してしまうのだった。弁当屋で朝から晩まで働く靖子に恋をする石神(高校の数学教師)役に堤真一が扮するのだが、ちょっとくたびれた感じで、だが天才的な数学者の雰囲気を漂わせつつ、福山雅治とは対照的な役柄を好演。また、美人で薄幸な花岡靖子役を松雪泰子が非常に丁寧に演じていたことに驚いた。以前の固定化された“白鳥麗子”的イメージはすっかり払拭されていた。読者を惹き付けて止まない原作の魅力を、映画でもそのまま残しつつ、最後は涙を誘うドラマチックな演出に仕上げられていた。2008年公開【監督】西谷弘【出演】福山雅治、堤真一、松雪泰子また見つかった、何が、映画が、誰かと分かち合う感動が。See you next time !(^^)
2009.05.15
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「この中の誰かが、小倉さんの脳幹部付近に圧力をかけた」「何言ってんだ? あんた、第一どうやってそんなこと?」「・・・エピ?」「その通り。エピドラ。つまり、硬膜外麻酔によってです」「・・・はい?」国立千葉大学の医学部を卒業し、病理専門医として勤務する傍らこの大作を完成させたのは、著者である海堂尊だ。何と言っても専門職の語る内容は、圧倒的なリアリティで迫るから太刀打ちできない。 その証拠に「このミステリーがすごい!」大賞では、選考委員満場一致の受賞作だったとのこと。素人はもちろんのこと、玄人まで唸らせる筆力は、鬼気迫るものがあるに違いない。・・・かく言う吟遊映人は、実は、海堂尊の著書は未読で、本作をDVDで初めて鑑賞する機会を得たに過ぎないのであしからず。東城大学医学部付属病院では、心臓移植の認められていない日本における代替医療である、バチスタ手術のエキスパートチームが組まれた。アメリカから心臓外科の権威である桐生恭一を招き、その成功率は100パーセントを誇った。そんな中、3例立て続けに謎の術中死が起こる。大学側は、それらが医療ミスなのか、故意のものなのかを調査するため、不定愁訴外来の田口に内部調査を依頼する。この作品を観て思ったのは、シナリオライターなどを志す人にとっては入門的なストーリーではないかと。まず、個性豊かなキャラクター陣であること。専門性の強い内容を、ゆるい表現で緩和させること。犯人は、予想もしなかった人物であること、など。テレビ放送された際にも、すこぶる高視聴率を獲得したらしいが、なるほど、そうに違いない。我々の知らないところで起こっている、何やら難しい問題というものを、そこそこ知識として取り入れたいという願望は、常識人ならば誰にでもあるはずだ。このような医療系ミステリーが出現しなければ、“バチスタ手術”なんて言葉はまず耳にすることはない。これから先も、きっと専門職による専門性の強い小説がどんどんクローズアップされていくに違いない。つまり、それほど現代においては、圧倒的な“リアリティ”が求められているということなのだ。2008年公開【監督】中村義洋【出演】竹内結子、阿部寛、吉川晃司また見つかった、何が、映画が、誰かと分かち合う感動が。See you next time !(^^)
2009.04.03
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「今度の事件には大勢の人たちが関わって、それぞれの人生が少しずつ変わってしまった。君もそうだし・・・この私も。でも生きていくってことは、いろんなことがあって当たり前なんだ。楽しいことばかりじゃない。苦しいこともつらいこともあるんだ。大人になれば、それが乗り越えられる。」「乗り越えられなかったら?」「乗り越える力をつけることがちゃんとした大人になるってことだよ。」やっぱり宮部みゆきの作品はおもしろいと思う。重厚さとか奥行とか、そんなものを現代人は大して求めていないことを知っている作家なのだ。復讐とか怨恨とか、ギトギトした人情沙汰を好しとせず、あくまでドライで、多少の残酷さとスリリングをほど良くミックスしたミステリー小説を得意とする。導入部は特に気を使い、読者が飽きないように次なる展開へと移行するにもわかり易い文体と、無理のないドラマ性で読者を納得させるのに成功している。数年前に、遅ればせながら読んだ本に「火車」があるのだが、実におもしろかった。90年代、バブル崩壊とともに社会問題となったカード会社(ローン会社)の在り方をテーマにした作品だった。このことからもわかるように、宮部みゆきは時代を読むことにも長けた作家なのだ。都内において、一人の男がひき逃げされる事件が発生。しかしこの事件は、単なる交通事故ではない雲行きに見舞われる。なぜなら被害者の妻には愛人がいて、三億円もの多額の保険金がかけられていることが判明。愛人は有名レストランのオーナーで、たちまちマスコミによって報道合戦がくり広げられる。限りなく黒に近い被害者の妻とその愛人ではあったが、彼らには揺るぎないアリバイがあり、捜査は難航した。この作品の見どころ、それは“刑事の財布”“目撃者の財布”“犯人の財布”といった具合に、各人の財布を擬人化し、財布が持ち主のことを語るという表現スタイルを取っていることだ。また、出演者たちの顔ぶれもなかなかのもので、最初から最後まで目が離せなかった。 「火曜サスペンス」や「土曜ワイド劇場」などを観て育った(?)当管理人にとっては、とても楽しい2時間ドラマを視聴した気持ちでいっぱいなのだ。2007年WOWOWにて放送【監督】麻生学【原作】宮部みゆき【出演】長塚京三、仲村トオルまた見つかった、何が、映画が、誰かと分かち合う感動が。See you next time !(^^)
2008.12.17
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「忘れるっていうのは、神が人に与え賜うた素敵な能力だと思うんだけどね。」「はい?」「こないだイヤなことを思い出したものだから・・・。」「その文法に則って言うのならば、忘れずに覚えておくことの方が価値ある能力だと思いますがねぇ。」本作の副題も含めた正式タイトルは、「相棒ー劇場版ー絶対絶命! 42.195km東京ビッグシティマラソン」である。テレビでシリーズ放送されているドラマ、例えば「踊る大捜査線」や「HERO」など絶大な人気と視聴率を誇った番組が、後に劇場版となって映画化されることは少なくない。「相棒」もその中の一つであり、興行的にも大成功を収めた作品である。主役を演じている水谷豊は、若かりしころ定番となっていたやんちゃな役柄を見事に脱却し、火サスなどの2時間枠のドラマでは知的で大人の落ち着いた演技を披露してくれた。また、この作品にゲスト出演している役者陣の顔ぶれも錚々たるメンツばかりで豪華の一言。10000人のエキストラを動員しての撮影も見逃せない。都内で謎の猟奇殺人事件が発生。現場にはチェスの棋譜と思われる記号が残されていた。そんな折、国会議員である片山雛子のオフィスで郵便物爆発事件が起きる。警視庁特命係の杉下右京と亀山薫は、独自の捜査に乗り出し、謎の猟奇殺人と関連性があることを突き止める。そして、犯人の標的が東京ビッグシティマラソンに参加するランナー3万人と、15万人の大観衆にあるのではと奔走する。いろいろと見せ場はあるものの、当管理人が個人的にシビれてしまったのは、やはり西田敏行が犯行の動機を切々と語るシーンだ。正直、この卓越した演技力に水谷豊はすっかり呑まれていて、犯人役の西田敏行が“愛息子を失った憐れな父親”として視聴者を完全に味方につけてしまったかに思えた。進行性のスキルス型胃癌であると宣告を受けている犯人役の西田敏行が、「私には時間がないのです・・・!」と、涙ながらに訴える件は思わず目頭が熱くなった。この作品は、視聴者の期待を裏切らないどんでん返しのあるストーリー展開になっており、非常に興味をそそられるシナリオに完成されていた。2008年公開【監督】和泉聖治【出演】水谷豊、寺脇康文また見つかった、何が、映画が、誰かと分かち合う感動が。See you next time !(^^)
2008.11.09
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「里山裕一郎さんは結婚式を数日後に控えた夜、突然命を奪われ32年の人生を終えました。彼の心臓が2度も止まりながらまた動き出したのは、生きたかったからじゃないでしょうか。彼には幸せにすると約束した大切な人がいたからです。」テレビドラマには持って来いの脚本と言うものがある。何を隠そう、その代表格がこの「HERO」ではなかろうか。それもそのはず、この作品は2001年にフジテレビ系列で放送され大ヒットを記録したドラマなのだ。それを今回はあえて劇場版にしたというわけだ。そういう意味で、気心知れた仲間たちと、意気込みを新たにして作り上げた作品は、スタッフ・キャストともに充実感に満ち溢れていたのではなかろうか。鈴木雅之監督も、多くのテレビドラマの演出を手掛けた人で実績があり、高視聴率を獲得して来た敏腕演出家である。本作でもその手腕が多いに発揮されているように思われた。検事・久利生公平は同僚の芝山に代わり、芝山が起訴した傷害致死事件の公判検事を任されることになる。本人が自白しているため、早期に決着がつくと思われていたところ、裁判で容疑者が一転無罪を主張。何とその容疑者には敏腕弁護士・蒲生がついていた。蒲生は元検事で、検察庁の手法をよく心得ていた。そのため冷静な法廷戦術で久利生を追い詰めていく。そんな久利生を事務官として支える雨宮舞子は、気の遠くなるような地道な作業で証拠探しに奔走するのであった。文句なしの人気タレント木村拓哉は、そのルックスとかもし出す雰囲気で、多くの視聴者を魅了したはずだ。また、松たか子とその父・松本幸四郎の親子共演も話題を呼んだ。さらに、お笑いタレントのタモリもチョイ役だが出演しており、堂々と演じていた。テレビドラマの延長線上として観たら、あまりにも豪華でそうそうたる顔ぶれの俳優人に誰もが胸を躍らせることだろう。キムタクファン必見であることは言うまでもないが、テレビドラマを愛する人、テレビドラマの脚本や演出に興味のある人にとってもすばらしいお手本となる作品ではなかろうか。リアリティーよりもドラマ性を重視した、テレビドラマの王道をこれでもかとばかりに披露してくれるのだ。2007年公開【監督】鈴木雅之【出演】木村拓哉、松たか子また見つかった、何が、映画が、誰かと分かち合う感動が。See you next time !(^^)
2008.06.29
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「拳銃が欲しいんです。」「分かりました戸辺さん。もしイヴの日にどこかのコインロッカーのキーが届いたら、私からのイヴの贈り物だと思ってください。」原作の白川道氏の作品は、残念ながらまだ読んだことがない。「イヴの贈り物」の作風に限って言えば、浅田次郎の短編小説を彷彿とさせる。いわゆる「純愛」をテーマにしたものだろうか。だがこの作品から感じられるのは、もっとセンチメンタルで同情的でしかもやみくもな感情だ。この作中の誰かに感情移入する必要などない。我々は全て、傍観者なのだ。この日本のどこかで起こっている「かもしれない」ドラマなのだ。一流商社マンの戸辺は、派閥闘争に敗れ左遷。安らぎの場であるはずの家庭も夫婦仲は冷め切っており、会話と言えば妻の愚痴を聞かされるのが関の山だった。一人娘はすでに病気で亡くなっており、人生の生きがいは仕事に打ち込むことだけだった。そんな中、行きつけのカフェで19歳の女性アルバイト店員、中沢恵子と出会う。戸辺は彼女に亡くした愛娘の面影を追っていた。ある時、恵子が暗い路地で柄の悪い男にからまれている現場を目撃し、声をかける。戸辺のおかげで助けられた恵子は、安心感のある戸辺に全てを打ち明けるのだった。父親の残した借金のせいで、いまだにお金を取り立てられていること。母親が女手一つで自分を育ててくれたこと。クリスマスイヴにはろくな思い出がないことなど。そして二人は、いつしか客と店員という関係からもっと親密であたたかな関係に変化してゆくのだった。佐藤監督がメガホンを取ると、なぜか人生の無情とか哀切が一層際立つ。男と女の関係を単なる肉欲の対象にせず、もっと深く、精神的な結びつきとして表現してくれるから嬉しい。人をいたわる気持ち、愛おしむ気持ちは、人間の最も崇高な魂なのだ。それが間違った方向の行為であっても、全力で傾ける純粋な愛は、孤独さえも凌駕してしまうと言いたげなラストであった。エリート商社マンから一気に奈落の底に落ちぶれた主人公を、舘ひろしが好演。胃がんを患って頬がこけている様はごく自然で、メイクではなかった。舘ひろしの役者魂を見たような気がした。また、貫地谷しほりの可憐で初々しい演技も良かった。男性視聴者を釘付けにしたに違いない。2007年 WOWOWにて放送【監督】佐藤純彌【出演】舘ひろし、貫地谷しほりまた見つかった、何が、映画が、誰かと分かち合う感動が。See you next time !(^^)
2008.06.28
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「手を下したのは私です。でも・・・夫の心を殺したのは警察という組織です。だから賭けてみようと思ったんです。・・・警察を使って真実を隠すことができるかもしれないって。・・・真実をお話しになりますか?」久しぶりに上川隆也の演技を見せてもらった。初めて彼を目にしたのは、’95NHKドラマ「大地の子」に出演していた時だ。その後、当時勤務していた職場の同僚が「こんなのがあるよ」と教えてくれたのが「演劇集団キャラメルボックス」の存在だ。上川隆也はその劇団に所属している。そして看板役者でもあるわけだ。設立まもなかった劇団にとって、「大地の子」でブレイクした上川のおかげで観客動員数を大幅に増やすことに成功したのだから。キャラメルボックスは、決して斬新ではないが、爽やかですっきりとした台本に定評があり、高校演劇において多くの支持を持つ。芝居の世界では何かと前衛的で左翼的なものが好しとされる風潮の中、キャラメルボックスは思想的な思惑もなく、主にエンターテイメントとして演劇振興に力を注いでいる。さて、その上川隆也だが、さすがに舞台俳優から出て来た人だけに声量があり、発音が良く、観ていて安心感がある。本作でも他の演技派俳優に呑まれることなく互角に対峙しており、見応えを感じた。舞台は1995年1月。その日関西では空前の大地震に見舞われた。一方、とある県警察署では、警務課長の不破が失踪したということが問題になっていた。 県警最高幹部の6人が捜索の算段を練る。ところがキャリア組で県警ナンバー2の冬木と、叩き上げのノンキャリアで刑事部長の藤巻が、現場の実権をめぐり対立する。やがて不破についてのさまざまな人間模様が明るみになる。金髪の若い女性と密会していたこと。4年前の県議選や指名手配犯との関係など、徐々に点と点が線で結ばれていく。この作品の見どころは、何と言っても警察という組織の内部事情であろう。そして、真実と正義が真っ向から対立する心理描写だ。ある地域の人々は、大地震に被災して寝る場所さえ失ってしまったという過酷な環境にある中で、一方では私利私欲に目がくらみ、他人がどうであれ正義に背くことに痛みを感じないでいる。人間とは、救いようがないほど欲深い生きものであることを、これでもかとばかりに見せつけてくれる作品なのだ。2007年 WOWOWにて放送【監督】水谷俊之【出演】上川隆也また見つかった、何が、映画が、誰かと分かち合う感動が。See you next time !(^^)
2008.06.26
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「私に生ある間、陛下に平安は訪れない。そのことは心から詫びたい。斬首という陛下の恩情にも感謝します。だがたとえ引き裂かれてもこの身は陛下のもの・・・。昔も今も喜んでこの身を陛下に捧げる。許しを請いたい罪は・・・数え上げればきりがない。だが大罪は・・・最後のもの。この・・・はやり病のような許されがたき罪、謀反だ。だが誓って言える。私は陛下を心から愛していた。」レスター伯が亡くなった時もそうだが、まるでこの世の終わりのような哀しみを見せるエリザベス。だが数時間後、否、数分後には公務を続行。彼女は女王の姿に戻るのだ。この恋多き女性と、反逆者を断頭台に乗せる女王の二面性とが、エリザベスという一人の人間を形作っているのだ。ヘレン・ミレンの非情な言葉や、しぐさ、態度の一つ一つが全て完成された演技に感じられた。作品の後半部、エセックス伯の反逆の証拠をつかむ際、彼の妻を呼び出していかにも同情的に装うのだが、その実、うまく誘導してエセックス伯がスコットランド王と内通していることを探り出すのだ。そしてその証拠を聞き出すと、それまでの優しげな態度を一変させ、怒りに燃えた女王の形相になるところなど背筋が凍ってしまうほどだった。「エリザベス1世」の後編は、レスター伯亡き後からストーリーが展開する。レスター伯の義理の息子であるエセックス伯を寵愛したエリザベス。だがエセックス伯はあまりにも若く、しだいに謙虚さを忘れていった。己の身の丈をわきまえず、エリザベスの寵愛を利用し暴利を貪ったのである。宮廷内では、エセックス伯を危険視する動きが出て来た。そんな中、エリザベス自身も甘い恋の病から目覚めつつあった。やがてエセックス伯は謀反を起こし、あえなく囚われの身になる。議会では有罪の判決が下され、死刑が命じられた。エセックス伯を好演したヒュー・ダンシーは、「ルワンダの涙」で主役を演じており、“若さゆえの加速”というセッティングには最適のポジションだった。この「エリザベス1世」でも役柄に溶け込んだ演技はお見事で、ヘレン・ミレンとは堂々と互角に渡り合っていた。史実に基づいた壮大なスケールのドラマを心ゆくまで堪能させてくれる、そんな作品なのだ。2005年(英)テレビ放送【監督】トム・フーパー【出演】ヘレン・ミレン、ヒュー・ダンシー※前編はコチラから
2008.04.27
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「肉欲で結ばれるより、心で結ばれる愛が大切。」「私たちの間にあるものか。」「そうよ。・・・深い愛で結ばれている。」「そうか。・・・君の口からその言葉を聞けてうれしいよ。そうだ、変わらぬ愛だ。」 久しぶりに格調高い作品を観た。詩的で大袈裟なほどの自己アピールと女性への賛辞は、イギリスならでは。シェイクスピアを生み出した国だけのことはある。偉大な劇作家シェイクスピアを庇護したのは他でもない、エリザベス1世なのだ。この作品は、イギリスのチャンネル4でテレビ放送されたものだが、なかなかどうして侮れない出来映え。映画館のスクリーンでも無論、耐えられるスケールの大きさと映像美で魅了してくれる。 出演者もそうそうたる顔ぶれを揃えた。エリザベス役のヘレン・ミレンは言うまでもないが、レスター伯役のジェレミー・アイアンズは円熟した演技と上品な身のこなし、言わば“ジェントルマン”の風格を画面いっぱいからかもし出していた。ジェレミー・アイアンズは「ダイ・ハード3」に悪役として出演したこともあり、決して類似性のある役柄ばかりを演じている人ではない。数々の名誉ある賞を受賞した実績のある演技派なのだ。テューダー王朝最後の女王であるエリザベス1世は、磐石ではなかったイングランドを独立した国家として建て直しを計るため、英国国教会を樹立。これにより、ローマ教皇から正式に破門宣言される。以後、エリザベスは国内のカトリック勢力と立ち向かうこととなる。特にスコットランド女王メアリーは、敬虔なカトリック信者であったため、エリザベスの側近たちはメアリーを危険視していた。だが、メアリーは列記としたイングランド王位継承権を持っていたため、エリザベスは処刑をためらったのである。結局、側近たちに押し切られる格好でメアリーを処刑するものの、その死後、スペインとの対立が激化。アルマダ海戦ではついにスペインの無敵艦隊を倒し、イングランドが世界貿易を一手に握るようになる。そんな折、エリザベスの心の支えでもあったレスター伯※が病死する。様々な視聴の仕方があると思うが、あえて注目してもらいたいのはレスター伯のエリザベスに対する“愛のささやき”である。この表現力は、正に、詩的文学と言えよう。この作品が単なる史実にならなかった所以は、このドラマチックな表現力の豊かさにあるかと思われる。ぜひ、このセリフの言い回しに着目していただきたい。※エリザベス1世は生涯独身を貫いたが、実際にはレスター伯とは恋仲で“愛人”であったとされる。2005年(英)テレビ放送【監督】トム・フーパー【出演】ヘレン・ミレン、ジェレミー・アイアンズ※後編はコチラから
2008.04.26
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「晋どん・・・もう、ここいらでよか。」「・・・心得申した。」(西郷は、大久保との青雲の志に燃えた若き日を走馬灯のように回想する。)「ご免なったもんし!」(別府晋介の介錯により、西郷は絶命。)鹿児島という一つの根から生まれた西郷と大久保は、ともに傑出した個性を持っていたため、どうしても対立しなければならない運命を背負っていたかのように思える。時代が大きく変わろうとしていた江戸末期、人間は「時代の中に全ての可能性を引き出そうと動いて」いた。歴史や伝統の中にどっぷりと浸かっていた島国民族が、井の中の蛙であった己の姿に気付き、自己破壊してゆくのだ。言わば、歴史と伝統を破壊する時代に突入したのだ。しかし、幕府の終結はすでに熟しきった結果であり、新しい時代の風は洋上から吹き込んでいた。総集編第二部後編は、「明日への飛翔」と題される。「翔ぶが如く」もこれが最終章となる。明治6年末、鹿児島県下は無職で血気盛んな壮年、若者であふれていた。そこで、これを指導し、統御しなければ方向性を誤ると考え、西郷は「私学校」を設立。 名目上は漢文の素読と軍事教練であったが、その実、不平士族の暴発を防ぐことにあった。しかし、これが西南戦争の直接的原因を生み出す結果となる。明治10年になると、この私学校の生徒が火薬庫を襲撃するという事件が起きる。火薬庫を襲うことは重罪で、死刑に値した。狩猟先でその一報を受けた西郷にとっては、寝耳に水のことであった。一方、政府はこの一件を鹿児島県士族の反乱と見て、警戒命令を出す。また、明治政府による西郷暗殺計画などの陰謀が明るみになるなど、様々な要因が重なり、西南戦争の火蓋が切られたのである。熊本の田原坂での激戦において、薩軍は勇猛の士が次々と倒れていった。それほどの犠牲を払って死守していた田原坂であったが、圧倒的兵力の差で政府軍が大勝。薩軍は撤退を余儀なくされる。鹿児島に入った薩軍はまず城山を占拠。しかし政府軍は城山包囲態勢を完成させ、薩軍は窮地に追い込まれる。こうして政府軍の総攻撃により、前線に立って指揮をしていた西郷も股と腹に被弾。ここに西郷隆盛は絶命するのだ。一方、西南戦争で政府軍を指揮し、薩軍を敵に回した大久保は、同じ政府関係者からも批難を浴び、厳しい状況に立たされてしまう。そしてついに明治11年、大久保利通は不平士族らの手により暗殺される。作家司馬遼太郎の作品に共通してスポットが当てられる登場人物。それは、古い歴史や伝統に深い関心や尊敬を持ちながらも、一方では伝統を破壊し、天下に野望を抱くというものだ。一体、それらが何を意味するのか?誰にも止められない、逆らうことのできない時代の流れ。歴史の進行を意味するのではなかろうか。古い時代と新しい時代との間にできた深い溝。その溝を埋めるべくして、西郷や大久保たちが全力を尽くして運命に挑戦してくれたのだ。そうして近代日本を造り上げた彼らの精神を、魂を、決して無駄にしてはならないのだ。合掌。「時代だ。時代というものよ。時代のみがわしの主人だ。時代がわしに命じている。その命ずるところに従ってわしは動く。時代とは何か。天と言いかえてもよい。」(『国盗り物語』より司馬遼太郎・著)1990年TV放送【原作】司馬遼太郎【脚本】小山内美江子【出演】西田敏行、鹿賀丈史また見つかった、何が、映画が、誰かと分かち合う感動が。See you next time !(^^)
2008.03.12
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「今少し冷静になってもらいたか。おまんさは戦になって国が潰れても良かとごわすか!?」「わいは戦をしに行くとってなかっ!!」「そんつもりでも、戦になるやもしれもはん! そん時は・・・!」「よかっ!! 国が潰れても、人が死に絶えるわけではなかっ! 人が死んで死んで、国を焼き尽くして、そん中から生き残ったもんがもう一度新しか日本国を造れば良かっ!!」「そいは暴論ごわす!!」愛読する司馬文学について少しだけ語りたい。歴史というのは、それを捉える後世の人物たちによって検証され、良くも悪くも評価される。それは、その時代背景にもよるし、作家や学者らの歴史観によってずい分異なる。動乱の幕末時、幕府側に立っていた新撰組などは、狂暴な野犬の如き人斬り集団として捉えられていたイメージを、作家司馬遼太郎は一新。動乱期に苦悩する「政治青年の群れ」として、官軍も賊軍もなく等しく描くのである。 こうして、それまでは勤王の志士たちに抵抗する反逆者、いわば賊軍でしかなかった新撰組は、幕臣意識に燃える忠義の士としてドラマの表舞台に立つようになったのだ。「翔ぶが如く」では、西郷や大久保などにスポットが当てられ、魅力あふれる人物として描かれているが、それは決して「官軍」だからと言うような安易な見識からではないことが理解できる。その点を踏まえてこのドラマを鑑賞すると、さらに司馬文学を堪能することができるのではなかろうか。総集編第二部前編は、「両雄対決」と題される。王政復古によるクーデターの後、名目上、政府は徳川幕府から朝廷へ移ったものの、中央集権国家を確立するにはいまだ難題が残されていた。それは「藩」の存在をどうするかという問題であった。そこで、現状の政局を打破するべく、西郷隆盛、大久保利通、西郷従道(隆盛の弟)、大山巌、木戸孝允、井上馨、山県有朋の薩長の7名が木戸孝允邸にて「廃藩置県」案を練った。その後、岩倉具視、板垣退助らの賛同を得て廃藩置県が制定。こうして土地と人民は明治政府の所轄するところとなったのである。明治6年になると、対朝鮮問題が浮上。これは、明治元年に李氏朝鮮が維新政府の国書受取り拒否に端を発しているが、その後、明治政府の使節を侮辱したとあって、武力行為に及ぶか否かが審議される。西郷、板垣らは武力をもって朝鮮を開国しようとする主戦派で、この主張は後に「征韓論」と呼ばれる。(しかし西郷の当初の主張としては、あくまでも出兵ではなく使節として赴くというものだった。)この主張は一度は閣議決定したものの、太政大臣の三条が急病のため岩倉具視が代行役に立ち、白紙に戻される。西郷らの朝鮮出兵は、無期限延期となった。「翔ぶが如く」もいよいよ佳境に入って来た。それまで、兄弟のように仲睦まじい西郷と大久保であったが、ここへ来て徐々に方向性の違いが明白になってくるのだ。否、方向性は必ずしも違うとは言い切れない、が、その改革におけるプロセス、方法、手段は明らかに違ってくる。しかし、それは両者のうちどちらが正しく、どちらが間違っていると白黒つけるのではなく、史実として捉えてみたらどうだろう。人間は情感に流される動物である。愛すべき登場人物に感情移入せずにはいられない場面も出て来るだろう。だが、西郷も大久保も坂本竜馬も新撰組も、皆等しく、激動の時代を生きた「志士」たちなのである。1990年TV放送【原作】司馬遼太郎【脚本】小山内美江子【出演】西田敏行、鹿賀丈史また見つかった、何が、映画が、誰かと分かち合う感動が。See you next time !(^^)
2008.03.11
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「大陰謀には間違いないが、これは正義の陰謀やよってな。」「アハハハ・・・!」「吉之助・・・?」「もちろん、正義の陰謀ごわす。そいどん、なんとしてもやり遂げんいけもはん。」「じゃどん、土佐があくまでも反対したらどげんしますか?」「・・・そん時は、短刀一本あれば足り申す。」いみじくも今年は、作家司馬遼太郎の13回忌。その年に「翔ぶが如く」をDVD鑑賞とは言え、楽しく視聴できるのは非常に嬉しい。 幕末の動乱をもっと深く探究するには、司馬先生の著書である「坂の上の雲」や「竜馬がゆく」なども併せて拝読しなければ堪能できないかもしれない。だが、ここで忘れてならないのは、あくまでも作品を楽しむということ。歴史の概要がわかったら、その中でくり広げられるドラマ(限りなくフィクションに近い世界だとしても)に酔わされようではないか。総集編第一部後編は、「維新成る」と題される。幕末も大詰め、日本は大きく揺れていた。薩摩藩と長州藩が薩長同盟を結び、倒幕運動を展開した。そのため、江戸幕府第15代征夷大将軍徳川慶喜は、討幕の名分を失わせるため先手を打ち、天皇に対して統治権の返上を行った。(大政奉還)その後、岩倉具視、大久保利通らの働きかけにより、朝廷の秩序を一新し、徳川主体の政治を抜本的に変革しようとする動きが出て来た。それは正に、薩長が主導する新政府の樹立を意味した。(王政復古の大号令)これにより旧幕府陣営では、薩摩藩に対しての猛烈な反発が強まる。さらに、西郷隆盛の冷酷な命令により、江戸において藩士に強盗や狼藉をわざと行わせることで、旧幕府側に戦端を開かせるという戦略に出た。その結果、旧幕府側は薩摩打倒の機運が高まり、会津藩を始めとする旧幕府軍と薩長軍とが、鳥羽・伏見において衝突した。(鳥羽・伏見の戦い)こうして江戸幕府は倒れ、明治新政府が樹立するのだが、これを成功に導いたのは他でもない、西郷隆盛、大久保利通、木戸孝允(桂小五郎)の3名である。(明治維新の三傑)日本人の間、特に九州では断然西郷人気を誇るのだが、後世の史学者、諸外国の記者等は「西郷より(新しい国造りに)圧倒的に貢献度の高いのは大久保である」とする論評を出している。作中でも感じられることだが、大久保は西郷のようなカリスマ性や雄弁さを持たない。 しかし粘り強さ、強靭な精神力において、右に出る者はいなかった。そのため、ベストを尽くすことが敵わない戦況においては、二の手、三の手を臨機応変に進め、耐え難きを耐え忍ぶという忍耐の人であった。そんな大久保は、維新の三傑中でも一度として政治の中心からは離れなかったのだ。1990年TV放送【原作】司馬遼太郎【脚本】小山内美江子【出演】西田敏行、鹿賀丈史また見つかった、何が、映画が、誰かと分かち合う感動が。See you next time !(^^)
2008.03.10
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「江戸には慣れたか?」「はいっ!」「その方、江戸をどのように思う?」「はいっ!」「遠慮のう思うままに申せ。」「はいっ! されば、出府してまもなくペリー艦隊が江戸湾に戻って来ました先日、こん目で確かめんものと出かけましたどん、敵を迎え撃つそん心構えと警備の薄さに驚き申した。」「う・・・む。他には?」「国許を思えば江戸の人はともかく、我らお長屋に居る者どもまで白か米の飯をいただくことは、どげんかと思います。」「大名には体面というものがある。」「はいっ!」「倹約は旨とせねばならぬが、締めるところは締めておる。あまり小さきことにこだわらず、もっと大局を見よ。」「翔ぶが如く」は、1990年1月から同年12月までNHK大河ドラマとして放送された、司馬遼太郎原作の歴史ドラマである。この作品は、ピーク時には30パーセントという高視聴率を打ち出し、歴代の大河ドラマとしても高く評価を受けた。最近では、ダイジェスト版がDVD化され、レンタルショップなどで見受けられるようになった。総集編第一部前編は、「青雲の志」と題され、一介の下級武士に過ぎなかった西郷と大久保が運命の波にもまれながらも、徐々にその頭角を現していく様を描いている。薩摩藩の下級武士であった西郷吉之助(隆盛)だが、武骨ながらも地道な努力が認められ、藩主島津斉彬の格別な抜擢を受ける。斉彬は、薩摩藩の富国強兵に努め、西洋技術を積極的に取り入れた。そんな西洋学に通じていた斉彬のもとに仕えた吉之助は、多いに影響を受ける。しかし、斉彬の急死により、吉之助はあえなく失脚。事実上の新藩主である島津久光と反りが合わずに流罪となってしまう。一方、幕末の動乱の最中、江戸では井伊直弼が独断で将軍世継問題を強行採決。反対勢力に対しては徹底的に弾圧を強化し、多数の活動家を粛清した。(安政の大獄) その結果、開国・通商派である井伊大老は尊攘派の恨みを買い、江戸城桜田門付近で暗殺されるという事件が起きる。(桜田門外の変)この一連の歴史の中に絡みつく天下の盟友、西郷と大久保の明らかな違いが目の当たりにされる。それは、信念を持って正義を貫く西郷は、たとえ相手が身分の高い人物と言えども、死さえ臆することなく忠言するという人であるのに対し、大久保は状況判断能力に優れ、その場の空気を読み、臨機応変に対応した。したがって権力にはめっぽう弱く、ごり押ししてまでの無理強いを好しとはしなかった。 この二人の相違点を比較しながらの作品鑑賞は、非常に楽しい。これから日本史をひも解く学生には秀逸なテキストとなることであろう。西郷隆盛役の西田敏行、大久保利通役の鹿賀丈史、両者とも見事な演技力で視聴者を酔わせてくれる。1990年TV放送【原作】司馬遼太郎【脚本】小山内美江子【出演】西田敏行、鹿賀丈史また見つかった、何が、映画が、誰かと分かち合う感動が。See you next time !(^^)
2008.03.09
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