April 7, 2008
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カテゴリ: アニメ日記



ちょっと今回はちょっとネタバレありです。


感想を一言で言うなら「満足」です・・・が、それ以上何か書こうと思うと、なかなかまとまらない・・・。

シンクロニシティ・・・いろんな出来事が偶然重なって起こったように見えても、因果関係ではないがなんらかの連関があるのではという考え方。
と言う説明でいいのかな?
が、この物語の進行の基本骨格になっていると思う。
さらにその背景になるのが、人知を超えたものとは、単に人の知を基準にした尺度にを「超える」ということに過ぎないということ。

自分達が知りうることを因果的に説明してみても、それはただ人を納得させるだけのものかもしれない。真実が人に観察されていても、それを認識しなければ人にとっては無いのと同じだ。


いろんな物事が起こり、それがある一転に集約されていく。
「ここで待つしかない」ラストシーンは、それを見事に描いていると思う。

神霊たちが天に昇ることは、直接は太郎たちとは関係ないのかもしれない。というよりか、太郎たちは神霊については何も判断していない。
ただ道男と、あと山に住んでるじっちゃんが、仲良くしろと言っただけで。

研究所をめぐる物語の進展と、太郎たちが問題解決していく物語の進展が、重大な関連があるんだけど、でもその結末はけして因果的じゃないし、むしろ関係ないといってもいいくらい。

もちろん、道男がアレを持ち出すことは一つのきっかけになっているけど、でももしかすると、研究所からあふれ出したアレらがあるのだから、結局は同じ結末になっていたのだろう。

ただ、都救出作戦と、タイミング的にあっただけで。



太郎たちは新しい世代なのだと思う。
いや、社会もまた変化しているのだと思う。
現在だから、信の父親がとらわれてしまったような因果(ほかの親達もそれぞれにとらわれている)を、彼らはみごとに打ち破れたのだと思う。
それも偶然といえるのかもしれないし、必然といえるのかもしれない。



ラストシーンの笑顔をどのように解釈するかは、アニメーションの方が、文章や実写でよりも抽象的な表現であることを利用して、ずっと幅を持たせることが可能なんだと思った。
この話では、その幅の中に、見ている側が勝手に、というか必然的に生命倫理まで持ち込んでしまうことになるのだから、因果的に捕らえてしまうと彼らはまるで町を救ったヒーローになってしまう。
でも太郎たちにはそんな意識はこれっぽちもない。彼らは彼らで行動しただけで、ダムに作られた生命が捨てられたのはまったく別の事情だし、台風がきたのもたまたまだし。そもそも、太郎、信、匡幸、都それぞれが抱えていた問題の関連も因果的ではない。でも、けして無関係じゃない。


この関係性のありかたに、なんとも心地よさを感じた。

個々人の人の生き死にと、社会全体の問題の正しい立ち位置に思いたいような気もする。ていうか、思ってしまったほうが言いと言うか、そうなっていくべきだというか。

鳳先生が「なんとなく」協力したというセリフ。それまでの科学者らしい言い回しにくらべて、とても人間らしい、そっけないが心からのセリフだ。
でも、科学的に図式化してわかりえないことは、いきなり人知を超えたオカルトだとしてしまわないで、わからないなりに認めていくことは、単に科学的に問題に対面する第一歩かもしれない。
平田先生があらたな目標だといったように。


太郎たちが神霊たちとの関係は、現実に我々の周りで起こっている個人的問題と社会的問題の関係にも適応できるのじゃないだろうかと思った。
あれもこれもシンクロニシティだから、と言ってしまったならそれはもう単なるオカルトでしかないけど、一見どうにもならないような大きな社会問題や自然現象(龍は冬の間は水中に潜み、夏になると天にのぼりるという)も、その周辺に住む人々としての立ち居振る舞い方があるというか・・・よくわかんないんだけど、何もかもを因果的に考えることによって感じる閉塞感ってのもあるんだと思う。






うーん。
もっとうまく書ければいいのだけど・・・







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Last updated  April 10, 2008 10:55:52 AM コメント(2) | コメントを書く
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