《櫻井ジャーナル》

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2010.01.19
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カテゴリ: カテゴリ未分類
 17日に行われたウクライナの大統領選挙で現職のビクトル・ユシチェンコ大統領は再選されなかった。最終的にはビクトル・ヤヌコビッチ元首相とユリア・チモシェンコ首相の決選投票で新大統領は決まる。日曜日の投票でユシチェンコは5パーセント程度の得票しか得られなかった。

 2004年から2005年にかけて展開された「オレンジ革命」でユシチェンコは実権を握ったのだが、その際に日本など「西側」のメディアは彼を「民主化」のヒーローとして扱っていた。昔日の面影はない。

 オレンジ革命が進行している最中、ユシチェンコの顔にできものが表れ、異常の原因はダイオキシンによるという話が広められた。イホル・スメシコ治安局長とウォロジミール・サチュク副局長と食事をしたときに毒を盛られたとユシチェンコ側は主張したが、その根拠は示されていない。持病の症状だという指摘も伝えられているのだが、ユシチェンコ陣営の主張が「革命」を推進するために有効だったことは間違いない。

 オレンジ革命の源はボリス・エリツィン時代のロシアにある。当時のロシアでは国有財産の「私有化」、強者に対する箍(たが)を外す規制緩和、市場に対する盲目的な信仰、つまりミルトン・フリードマンの理論に基づく「強者総取り」の経済政策を推進したのだが、結果として国民の大多数は極度に貧困化し、その一方で少数の人間が不公正な手段で巨万と富を手に入れていた。そうした富裕層の中でも特に大物だったボリス・ベレゾフスキーがユシチェンコ陣営を支えていた。資金を提供するだけでなく、メディアを動かしてヒーローに仕立て上げたわけである。

 ところで、2003年にはグルジアでもウクライナと似たような出来事があった。「バラ革命」だ。このときにはベレゾフスキーの元仲間であるバドリ・パタルカチシビリがスポンサーとして暗躍している。

 勿論、両「革命」の背景ではアメリカの権力層、特に「ネオコン」と呼ばれる親イスラエル派の一団も蠢いていた。ベレゾフスキーなどエリツィン時代のロシアで台頭した富豪の中には「イスラエル系」の人が少なくない。ベレゾフスキーがイスラエルの市民権を保有していたことがあるほか、ウラジミール・プーチンが大統領になってから国外へ逃亡した富豪の一部はイスラエルへ逃げ込んでいる。

 現在、こうした富豪たちはイスラエルの政策にも大きな影響力を持っている。グルジア政府の閣僚にも「イスラエル系」が存在し、南オセチアへ奇襲攻撃を仕掛けた際に重要な役割を果たしたと言われている。

 ウクライナで実施された今回の大統領選挙でユシチェンコが敗れた理由はいくつもありそうだ。大統領になって「化けの皮」がはがれたことも大きいだろうが、スポンサーの力がプーチンとの戦い、そして金融危機で弱まったこと、そのスポンサーがアメリカ旧保守と対立するようになったことも無視できない。





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最終更新日  2010.01.19 15:02:09


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