《櫻井ジャーナル》

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2010.10.16
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カテゴリ: カテゴリ未分類
 鉱山の落盤事故で閉じ込められていた労働者33名全員が救出されたという。チリでの出来事だ。無事生還できたことは喜ばしいことなのだが、その一方で劣悪な労働環境が問題になっている。儲けを優先する会社がコスト削減のために安全対策を疎かにしていたということだ。

 チリと言えば、シカゴ大学の教授だったミルトン・フリードマンの経済理論が最初に実践された国。フリードマンは「自由市場」(そんなものは存在しない)における政府の役割を減らすことが必要だと主張し、無政府状態にすれば、ことは全てうまく運ぶとしていた。要するに「レッセ・フェール(なすに任せよ)」への回帰、強者総取り経済を復活させようとしたにすぎない。

 フリードマンが何と言おうと、彼の理論が弱者、つまり庶民を苦しめることになるのは目に見えていた。チリでこの理論を実践できたのは、一九七三年九月にオーグスト・ピノチェトが軍事クーデターを成功させ、理論導入に抵抗しそうな勢力が皆殺しにされていたからである。チリで経済政策を指揮したのは「シカゴ・ボーイズ」と呼ばれるフリードマンの弟子たちだった。

 クーデターの黒幕は大統領補佐官を務めていたヘンリー・キッシンジャーであり、その時の大統領はリチャード・ニクソン。ところが、このニクソン大統領はフリードマン理論が失業者を大量に生み出すと考え、自国では採用していない。実際に導入するのはロナルド・レーガンである。

 一九七九年から八二年にかけてチリ政府は輸入を奨励した。ペソが過大に評価され、贅沢品の消費ブームが起こるのだが、実態は惨憺たるもの。輸入の拡大を「経済成長」と錯覚する人もいたが、結局のところ恩恵に浴せたのは、上層階級と中産階級だけだった。

 その一方、国産製品が売れなくなり、チリ国内の企業は倒産、貿易赤字と失業が膨らんで経済は破綻する。極端な低賃金で働かせる「失業対策事業」で失業率を低く見せようとしたが、実際の失業率は控えめに見積もっても20%以上。1980年代の後半、チリでは人口の45%が貧困ラインの下に転落していたという。貧困層の子供は教育を受けるチャンスを奪われ、さまざまな不平等を再生産することになった。日本も同じ道を歩んでいる。

 こうしたチリでの実験を肯定的にとらえたのがフリードリッヒ・ハイエク。親しくしていたマーガレット・サッチャー英首相にフリードマン理論を売り込んだ。

 勿論、通常ならイギリスの庶民が強者総取りの経済システムを受け入れるはずはない。それを可能にしたのが1982年の「フォークランド戦争」である。戦争に圧勝したイギリスではサッチャーが「戦争の英雄」になり、その雰囲気を利用してフリードマン的な国家改造を開始した。炭鉱労働者を攻撃したことから始まり、ブリティッシュ・テレコム、ブリティッシュ・ガス、ブリティッシュ航空、ブリティッシュ空港、ブリティッシュ・スティールなどを次々と民営化している。

 石油相場の高騰という追い風を受け、1970年代の後半に入って北海油田の生産は本格化、1980年代に入るとイギリスは石油輸出国になる。このおかげでイギリス経済は好調に見えたが、その裏では貧富の差が拡大し、経済の基盤が崩れていた。1990年代の後半に石油の生産量が減少していくと、その実態は隠しようがなくなる。



 1980年代から90年代にかけて、フリードマン理論は世界規模で富を偏在させ、投機集団を儲けさせる一方、庶民の生活を困難にした。投機を規制しないと資本主義経済そのものが崩壊するという危機感を持つ人も増えてきたが、いまだに有効な規制は打ち出せないでいる。チリの軍事クーデターはチリ国民を苦しめただけでなく、世界の庶民を地獄へと導く門を開けたとも言えるだろう。





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最終更新日  2010.10.16 11:56:30


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