《櫻井ジャーナル》

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2013.02.24
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カテゴリ: カテゴリ未分類
 バラク・オバマ米大統領と会談した後、安倍晋三首相はTPP交渉に参加する意志を明確にし、政府と与党との間で調整に入る意向を示したという。「聖域なき関税撤廃」が交渉参加の前提条件ではなく、自民党の基本方針6項目すべてをオバマ氏に伝えたから文句はないだろうという態度だ。

 何らかの譲歩をアメリカ側から引き出したかのような物言いだが、中身は何もない。問題は形式的な「聖域」があるかないかでなく、TPPが日本という国をアメリカの巨大多国籍企業に従属する存在にする仕組みだということ。民主主義を否定し、「1%」が「99%」を支配する環太平洋独裁政府を生み出そうとしているとしか考えられない。この本質は何も解決されていない。

 前にも書いたことだが、TPPは討議内容が秘密にされている。知っているのはアメリカを拠点とする巨大多国籍企業の幹部たち。交渉内容が人びとに知られたら反対されると考えているのだろう。この一点だけでもその反民主主義的な性格がわかる。

 そうは言っても、内容の一部は外部でも知られている。中でも大きな問題になっているのが ISDS(国家投資家紛争処理)条項 だ。この条項によって、直接的な生産活動やサービスのルールだけでなく、労働条件、環境汚染、食糧の安全などに関する規制、あるいは健康保険や年金など社会保障の仕組みを各国政府が決めることができなくなる可能性がある。

 日本の国民から見ると安倍首相は「子どもの使い」レベルだが、アメリカ政府にしてみると、今回の会談は上出来。日本を巨大企業の支配下に置く仕掛けがなくなればTPPの意味はなく、この問題が解消されるはずはなかった。この茶番会談を日本のマスコミは好意的に伝えているわけだ。アジア侵略からアメリカとの戦争へと国民を導いた新聞の伝統が生きている。

 日米同盟とは日本の対米従属関係を意味しているとする声をよく聞く。第2次世界大戦後、日本は連合国でなくアメリカに支配されたことも確かだろう。この支配構造が築かれ始めたのは1945年4月のことだ。「冷戦」は何の関係もない。フランクリン・ルーズベルト大統領が執務中に急死、反ファシストから反コミュニストへ大きく政策が変更されたことで支配の性格は定まった。

 大統領急死の翌月にドイツは降伏するが、その段階でアメリカはナチの幹部や協力者を保護、逃亡を助けはじめ、後に雇い入れることになる。イギリスのウィンストン・チャーチル首相がソ連に対する奇襲攻撃(アンシンカブル作戦)を計画したのもこの頃だ。日本である程度「民主化」が進んだのは、ルーズベルトに近いニューディール派がまだいたことに加え、アメリカ以外の連合国の目があった。

 そうした状況の変化が東京裁判や日本国憲法にも反映されている。象徴的なのは昭和天皇の扱い方。東京裁判で天皇は起訴されず、憲法は事実上、天皇制の存続を認めている。憲法は1946年に公布されているが、のんびりしていると、ほかの連合国やアメリカ国内から天皇の戦争責任を問う声が高まり、「天皇制官僚国家」を継続させることが困難になるところだった。



 このダレス・グループと重なっているのがジャパン・ロビーであり、その実働部隊として1948年に創設されたのがACJ。その中心にいた人物がジョセフ・グルーだ。1932年にハーバート・フーバー大統領が駐日大使に任命、彼のいとこはジョン・ピアポント・モルガン・ジュニア、つまり巨大金融機関、JPモルガンの総帥と結婚していた。

 関東大震災の復興資金を調達する際、日本が頼った相手がJPモルガン。当然、日本の経済政策はこの金融機関の影響下に入る。JPモルガンは日本に多額の資金を投入、その多くは電力業界へ流れている。彼らにとって日本は鵜飼いの鵜のような存在になった。

 1920年以来、JPモルガンと親しくしていた政治家が井上準之助。浜口雄幸内閣で井上は大蔵大臣として緊縮財政と金本位制への復帰を決めているが、これはJPモルガンの意志だ。

 フーバー大統領もウォール街の傀儡だったのだが、1932年の大統領選挙でルーズベルトに敗れてしまう。新政権は金本位制から離脱し、巨大企業への規制強化と労働者の権利拡大することは予想されていた。(裁判所の抵抗もあり、多くは実現されなかったが)

 大統領に就任する17日前、マイアミでルーズベルトを含む一向が銃撃され、就任後にはJPモルガンを中心とするウォール街の大物がファシズム体制の樹立を目指すクーデターを計画している。この計画はアメリカの伝説的な軍人、スメドリー・バトラー少将の議会証言で明らかにされ、失敗に終わった。このクーデター未遂事件を「右」も「左」も触れたがらないようだが、アメリカ議会での証言であり、記録に残っていて否定できない。

 日本の対米従属は遅くとも関東大震災から始まっている。アングロ・サクソンへの従属ということになると、幕末までさかのぼらなければならず、その前にはアヘン戦争がある。





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最終更新日  2013.02.25 02:23:48


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