《櫻井ジャーナル》

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2013.04.10
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カテゴリ: カテゴリ未分類
 「 教育基本法に愛国心、郷土愛とも書いたが、検定基準にはこの精神が生かされていない

 安倍首相が「買弁政治家」だということは以前にも書いたことがある。アメリカを支配する巨大資本の命令に従い、日本の自然、社会、人々をカネ儲けの亡者たちに売り渡そうとしてしているのだ。TPPの推進もその一環。

 そうした買弁勢力に忠誠を誓うような人間を育てることを安倍首相たちは「愛国」と呼んでいる。彼らの悪巧みに気づき、反対するような庶民が育っては困るわけで、そうならないためにも「教育改革」を進めている。

 教育課程審議会の会長を務めたことのある三浦朱門は教育改革の目的を次のように語っている:

 「平均学力が下がらないようでは、これからの日本はどうにもならんということです。できん者はできんままで結構。戦後五十年、落ちこぼれの底辺を上げることにばかり注いできた労力を、できる者を限りなく伸ばすことに振り向ける。百人に一人でいい、やがて彼らが国を引っ張っていきます。限りなくできない非才、無才には、せめて実直な精神だけを養っておいてもらえばいいんです。」(斎藤貴男著『機会不平等』)

 つまり、自分たちの仲間に引き入れる予定の一部生徒は別にして、大多数の庶民は「実直な精神」だけを持つロボットのような人間に育てるということだ。安倍首相が言うところの「道徳」とはそういうものだろう。

 また、安倍首相は現行憲法を「占領軍が作った憲法」だとして、「改憲」を主張するのだが、この改憲もアメリカ支配層の命令に従ってのことだ。「占領軍が作った」のは確かだが、当時と事情が変わり、アメリカは現在の憲法が邪魔になっている。

 憲法が制定された頃、アメリカ国内を含む連合国に属す人びとの日本を見る目は厳しいものがあった。日本はポツダム宣言の受諾を1945年8月の上旬に決め、14日にはこの事実を連合国側に通告、15日には「玉音放送」とか「終戦勅語」と呼ばれている放送が流され、9月2日にはミズーリ号で降伏文書に調印して日本の敗北は正式に決まった。



 本ブログでは何度か指摘したことだが、関東大震災以降、日本はJPモルガンを中心とするウォール街の強い影響下にあり、支配層の世界では「日米同盟」が成立していたのである。だからこそ、血盟団による襲撃、五・一五事件、二・二六事件などが起こったとも言える。ただ、決起した人びとは天皇が同盟の一員だと気づかないという致命的な間違いを犯したが。

 ところが、その関係は1933年に大きく揺らぐ。JPモルガンと対立関係にあったフランクリン・ルーズベルトが大統領に就任したのである。その直後、ルーズベルトを排除してファシズム体制を樹立するクーデターの計画もあったのだが、これは失敗する。その事情は本ブログ、あるいは拙著『テロ帝国アメリカは21世紀に耐えられない』(三一書房)で書いた通り。

 ウォール街にとって邪魔な存在だったルーズベルト大統領が1945年4月、執務中に急死する。それを切っ掛けとしてホワイトハウスは反ルーズベルト派が主導権を奪い、ナチスの残党を保護し、南アメリカなどへの逃亡を助け、雇い入れるようになる。日本でも「右旋回」が起こるわけだ。イギリスのウィンストン・チャーチルが5月にソ連を奇襲する作戦「アンシンカブル」の立案を命じたことは本ブログでも書いた通り。

 この作戦はイギリス軍に拒否され、チャーチルは7月に下野するのだが、翌年の3月にアメリカで「鉄のカーテン」演説を行い、「冷戦」の開始を宣言した。その裏では ソ連に対する核攻撃 をアメリカ軍の一部は計画、そのピークが1963年。そうした状況のとき、ソ連との平和共存を訴えたジョン・F・ケネディ大統領は暗殺されたわけである。

 ともかく、ルーズベルト後のアメリカ政府は早く天皇制官僚国家の存続を確かなものにする必要があった。そこで、戦争の放棄、民主化の推進とセットで天皇制を定めた憲法を制定したわけである。民主的な内容の憲法でなければ連合国の内部を説得することができず、天皇制の維持は無理だっただろう。

 一応、憲法で天皇は「象徴」とされたが、実際には戦後も昭和(裕仁)天皇がアメリカとの交渉で最高責任者として動いていることを関西学院大学の豊下楢彦教授は明らかにしている。吉田茂とダグラス・マッカーサーのラインでなく、天皇とワシントン(ジョン・フォスター・ダレス)との間で戦後の日本が進む方向が決められ、安保条約の締結も天皇の意志が反映されていたということであり、沖縄の問題も昭和天皇を抜きに語ることはできない。

 4月10日の予算委員会で下村博文文部科学相は「自分の国に誇りと自信を持った歴史教育を実行しなければならない。」と語ったという。歴史の「教育」とは、不確かだということも含め、事実を教えることから始めるべきであり、下村文科相の言っていることは洗脳にほかならない。戦前の「妄想史観」からまで抜けられないのだろう。





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最終更新日  2013.04.11 03:47:01


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