《櫻井ジャーナル》

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2013.09.08
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カテゴリ: カテゴリ未分類
 最近50年間を振り返ると、歴史の節目となる出来事が2度、9月11日に起こっている。最初は1973年にチリで実行された軍事クーデター。2度目は2001年にアメリカのニューヨークにある世界貿易センター、そしてバージニア州にある国防総省本部庁舎(ペンタゴン)に対する攻撃だ。チリのクーデターは強者総取りの新自由主義経済が導入される幕開けになり、2001年の出来事はアメリカを一気にファシズム化させる引き金になった。

 アメリカの権力システムを動かしてきた原動力は、巨大資本の利権をいかに守り、拡大するかということ。チリの場合も自国の庶民に目を向けた政策を推進する政権が登場したことがクーデター計画につながっている。

 チリを含むラテン・アメリカはスペインやアメリカの支配層に略奪されてきた。単純に財宝を盗んだだけでなく、鉱物資源を奪い去っている。象徴的な存在がボリビアのポトシ銀山で、採掘された銀はヨーロッパ支配層に莫大な富をもたらした。20世紀に入ると、アメリカが略奪者として登場する。

 こうした利権構造を揺るがしかねない存在だと見られた政治家がサルバドール・アジェンデ。1970年の大統領選挙における有力候補で、CIAはマスコミなどを使って大規模な反アジェンデのプロパガンダを展開したものの、36.63%の得票で第1位となり、35.29%を獲得した第2位のホルヘ・アレッサンドリと議会で決着をつけることになる。そして選ばれたのがアジェンデ。

 アジェンデ政権は最低賃金を大幅に引き上げ、学校に通う子供たちには毎日1杯の牛乳を支給、1年後には銅鉱山を国有化している。賃金の上昇で民衆の購買力は高まって経済活動は活発化した。その代わり、巨大資本はボロ儲けできなくなる。

 そこでアメリカの支配層は経済戦争を仕掛ける。チリの重要な輸出品である銅の市況を暴落させ、ウォール街はチリへの融資をストップ、世界銀行も新たな融資を止めてしまった。さらに、トラック運転手がストライキを実施、商店主、工場経営者、銀行なども同調し、全国的なロックアウトに発展している。

 こうしてアジェンデ政権を揺さぶった後、オーグスト・ピノチェトを中心とする軍人がクーデターを実行、アジェンデの政策を支持していたと見られる勢力を弾圧し、多くの人が殺害されている。

 巨大資本に批判的な勢力が弱ったところへ登場したのが、新自由主義経済の伝道師たち。ミルトン・フリードマン教授やアーノルド・ハーバーガー教授の教えを信奉する「シカゴ・ボーイズ」だ。大企業/富裕層を優遇する政策を実施した。

 「新自由主義経済の父」とも言われているフリードリッヒ・ハイエクはチリでの実践に満足、マーガレット・サッチャー英首相にフリードマン理論を売り込み、イギリスでも導入された。この当時、北海油田で莫大な利益が出始めていたので表面化しなかったが、イギリス社会は破壊され、貧困化が水面下で進む。シティ(イギリスの金融街)を中心とするオフショア市場のネットワークが整備され、富豪/巨大企業が資産を隠し、課税を回避する仕組みが整備されたのも、その頃だ。



 後にニュージーランドでも発覚するのだが、情報機関は自国の政府でなく、アメリカやイギリスの情報機関から命令を受けて動いていた。いわゆる「国家内国家」だ。1974年8月には情報機関を調査するための委員会を設置する。

 オーストラリアのパイン・ギャップにはアメリカやイギリスが築いていた通信傍受システムの重要基地があったのだが、その使用期限が1976年に迫っていた。自国の情報機関に対し、CIAとの協力を打ち切るように命令する首相が使用契約を更新しない恐れは十分にある。そこで動いたのがイギリス女王エリザベス2世の総督、ジョン・カー。ホイットラム首相を解任したのだ。カーは第2次世界大戦中にアメリカへ派遣され、CIAの前身であるOSSと一緒に仕事をしている。

 ホイットラムが排除された原因は情報機関に絡む問題以外にもある。首相就任後、徴兵制を廃止、ベトナム戦争から撤退、人種差別政策を採っていた南アフリカとのスポーツ交流を停止、中国との国交を樹立、パプア・ニューギニアの独立を承認、フランスの南太平洋における大気圏核実験を中止に追い込み、大学の授業料を無償化したほか、健康保険制度などの社会福祉を充実させ、芸術にも積極的な支援を行っている。日本の歴代政府と全く逆。大変な行動力だが、これはアメリカやオーストラリアの巨大資本にとっては驚異だった。

 また、2001年9月11日の出来事は、1980年代の初めから準備していた「戒厳令」を実行に移す引き金になった。その準備とは、1982年に始まった「COGプロジェクト」。当初は核戦争を想定していたが、1988年から「国家安全保障上の緊急事態」に変更された。政府が主観的に緊急事態だと判断すれば発動、憲法を停止できることになったわけだ。その緊急事態が「911」だったということ。日本でも似た仕掛けを導入しようと目論んでいるようだ。





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最終更新日  2013.09.08 16:24:41


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