《櫻井ジャーナル》

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2015.07.01
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カテゴリ: カテゴリ未分類

 ギリシャの財政危機
 西側の巨大金融資本から首を締め上げられ、ギリシャは窒息状態になっている。こうした仕打ちを日本のマスコミなどは「支援」というわけだが、年金や賃金を大幅に減額、社会保障の水準を下げ、失業者を増やすTPP/TTIP/TISA先取りのような政策を押しつけるIMF(国際通貨基金)、ECB(欧州中央銀行)、EC(欧州委員会)、いわゆるトロイカに対するギリシャ国民の怒りは限界に近づいている。有力メディアはギリシャ国民の約7割が経済通貨同盟からの離脱に反対していると伝えるだけで、こうした事実は無視しているようだ。
 ギリシャが財政危機に陥った大きな理由はふたつある。ひとつはアメリカの巨大銀行、ゴールドマン・サックスがギリシャで行った「ビジネス」で、もうひとつは第2次世界世界大戦や軍事クーデターによる国の破壊。メディアが盛んに宣伝していた年金制度や公務員の問題は副次的な問題である。とにかく、彼らは庶民へカネが流れることを嫌い、富裕層や大企業を富まそうとする。それが自分たちの個人的な利益につながると考えているのだろう。

ゴールドマン・サックス
 2001年にギリシャが通貨をユーロに切り替えた際、 ゴールドマン・サックス は財政状況の悪さを隠す手法をギリシャ政府に教え、債務を膨らませた。このことが事態を悪化させた理由のひとつ。そうした操作が続けられていたであろう2002年から05年にかけて同銀行の副会長を務めていたマリオ・ドラギは2011年、ECBの総裁に就任し、今でもその職にある。

 債務を隠す手法として利用されたのがCDS(Credit Default Swap/クレジット・デフォルト・スワップ)。債権者が債務不履行のリスクを回避するため、幾ばくかのカネ(保険料)を支払ってリスクを引き受けてもらうという取り引きで、2000年の終わりに「CFMA(商品先物現代化法)」がアメリカ議会を通過し、広まることになった。その法律を推進していたひとりがアラン・グリーンスパン連邦準備制度理事会議長だ。

 こうした取り引きが何をもたらすかを巨大資本や富豪たちは最初から理解、自分たちの資産は国外へ避難させ、その一方でカネ儲けに勤しんでいたようだ。資産の避難は1970年代にロンドンを中心として張り巡らされたオフショア市場のネットワークが利用されたのだろう。そうした資産がどのように隠されたかを今から調べることはきわめて難しい。

ナチ・ゴールド
 歴史的な問題も無視できない。大戦の際、1941年から44年までギリシャはドイツに支配され、4万人以上が処刑されたほか、寒さと飢えもあって25万から40万人が死亡、21万人が強制労働のためにドイツへ連れ去られたという。しかも都市は破壊され、船は沈められ、橋は爆破され、そして強制的にドイツへ融資させられたが返済はされず、貴金属も盗まれた。こうして被った被害の賠償が行われたとは言えず、現在のギリシャ政府はこの問題を持ち出している。

 ギリシャだけでなく、ドイツは占領した国で金のインゴットなど財宝を盗んでいたことがわかっている。いわゆる「ナチ・ゴールド」だ。ヨーロッパでは個人の資産も銀行に預けられているケースが多く、ドイツとしては「効率よく」盗むことができた。

 こうした財宝の少なからぬ部分は行方不明になっているが、多くはアメリカの一部支配層が押さえたと見られている。アメリカの破壊活動を取り仕切っていたウォール街の弁護士、アレン・ダレスの側近として知られ、大戦前からイタリアで活動していたヒュー・アングルトンがナチ・ゴールドをドイツから秘密裏に持ち出すシステムの管理者だったようだ。

 その息子、ジェームズもダレスの側近で、後に封書の開封工作を指揮、それを知ったウィリアム・コルビーCIA長官に解任されている。それから間もなく、好戦派が台頭する中、コルビーは長官を辞めさせられ、替わって就いたのがジョージ・H・W・ブッシュ。このとき、ソ連脅威論を宣伝するために「チームB」が活動している。事実に基づく分析をしていた既存の部署を好戦派は気に入らなかったのである。

 占領された国から持ち出された金塊の大半はスイス、ベルギー、リヒテンシュタインなどの銀行へ運び込まれ、証書は満州国(中国東北部)の銀行へ送られ、そこで隠蔽工作が行われて最終的にはスイスにあるBIS(国際決済銀行)で決済されたとされている。(John Loftus & Mark Aarons, “The Secret War Against The Jews”, St. Martin’s Press, 1994)

金の百合
 日本も朝鮮半島から中国大陸、そして東南アジアで財宝を組織的に略奪したとされている。略奪プロジェクトの中心には昭和天皇の兄弟がいて、1937年から開始、政府が保有する資産だけでなく、銀行や裕福な家に押し入って金や宝石などを奪ったようだ。

 持ち運びが容易な財宝はすぐ日本へ運ばれたようだが、多くはフィリピンに集積、そこから運び出す予定になっていた。いわゆる「山下兵団の宝物」だが、実際の工作に山下奉文大将はほとんど関係していない。金塊は東京にあるスイス系銀行、マカオにあるポルトガル系銀行、あるいはチリやアルゼンチンの銀行に運び込まれたともいう。(Sterling & Peggy Seagrave, “Gold Warriors”, Verso, 2003)

 山下の前に第14軍司令官だったのは田中静壱中将で、1943年に東京へ戻って参謀本部付きになり、大将へ昇格、敗戦時には東部軍管区司令官兼第12方面軍司令官。そのときに副官だった塚本清(通称、塚本素山)はその前、1943年にダイヤモンドを日本へ運び込んだとされている。塚本は1961年に創価学会の顧問に就任した。池田大作が会長に就任した翌年のことだ。その2年前、1958年には戸田城聖会長が「急性心衰弱」で死亡している。

 そうした財宝に関する情報を最初につかんだアメリカ軍の将校はエドワード・ランズデールだと言われている。ランズデールは大戦中、OSS(戦略事務局)に所属していた人物で、戦後もキューバやベトナムでの破壊活動などに従事、1950年代後半にはフィリピンの殺し屋を連れて東京にも出入りしていたという。1963年11月22日にジョン・F・ケネディ大統領が暗殺された際、現場にいたとする軍人仲間もいる。

 フィリピンで隠された財宝がフェルディナンド・マルコスの台頭と関係があると考えている人もいる。そのマルコスをアメリカ軍は1986年に国外へ連れ出すが、その作戦の黒幕はネオコン/イスラエル第一派のポール・ウォルフォウィッツだった。マルコスがフィリピンの外へ出たことから裁判が始まり、宮殿から財宝に関する文書が出てきたほか、財宝に関する情報も漏れ始めるのだが、詳細は割愛する。

 かつてスメドリー・バトラー米海兵隊少将が言ったように、戦争は不正なカネ儲け、つまり押し込み強盗だ。アメリカの侵略戦争に荷担する「集団的自衛権」にも当てはまる。日本の有力メディア、大手出版社、権威筋がこの問題に触れない理由は言うまでもないだろう。






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最終更新日  2015.07.02 13:50:38


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