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前回 雷山千如寺大悲王院前回の雷山観音さんの項で何気なく♪山寺の和尚さんは毬はつきたし毬はなし♪と書きこんだのだけど、よくよく歌詞を考えると、まあ残酷なこと!どう考えても動物虐待。でもこの歌は児童唱歌として小学校の時によく歌ったものです。で、ちびっと調べてみました。雷山千如寺大悲王院本堂(山寺の和尚さんと関りなし)作詞:久保田 宵二、作曲:服部良一山寺(やまでら)の和尚(おしょう)さんが毬(まり)はけりたし 毬はなし猫をかん袋に 押し込んでポンとけりゃ ニャンとなくニャンがニャンとなく ヨイヨイみのうの豆ほんさんのウエブから驚愕の事実。この歌は福岡県浮羽市の大生寺(ダイショウジ)の第八世蔦道和尚の狂乱の様子を歌ったものという伝えがあるそうです。蔦道和尚(チョウドウ)は京都の妙心寺の白隠(ハクイン)禅師より禅の厳しい修業を受けていたのですがあまりの厳しさに狂人となり大生寺に帰山し6年の間監禁されたとのことです。この歌はその当時の和尚の狂態をあらわしたものだといいます。なるほどねえ。で、もっと調べると、えっ! っと思えることが出てきちゃいました。この歌は、なんと日本における和製ジャズの第1号というのです。昭和初期につくられたそうです。まずはyoutubeを聴いてください。とっても面白いですから。 ダカヂク ダカヂク ダカヂク ダカヂク エイホホー ダカヂク ダカヂク ダカヂク ダカヂク エイホホー 2.入り婿の旦那さん 酒は飲みたし酒はなし渋茶徳利に詰めこんで グッと飲んでペッと吐くペッが ペッとはく ヨーイヨイ 3.色街のお酌さん 太鼓打ちたし太鼓なし可愛いお腹を ちょいと出してポンと打ちゃ ポンと鳴るポン ポン ポン ポン ポン ポン ポン エー ダカヂクダカヂクダカヂクダカヂクダカヂク ダンダダーン ダカヂクダカヂクダカヂクダカヂクダカヂク ダンダダーン ダカヂクダカヂクダカヂクダカヂクダカヂク ダンダダーン ダカヂクダカヂクダカヂクダカヂクダカヂク ダンダダーン バンバンバン バンバンバン バンバンバン バンバンバン ダンダダンダ ダンダダンダ ダンダダンダ ダンダダンダ ダンダンダン ダンダ ダンダン エー エーとっても流行ったそうですよ。ダカヂク ダカヂク ダカヂク ダカヂク エイホホー口癖になりそうです。調べてみると、あらびっくり!山寺の和尚さんもやるもんですなあ。ダカヂク ダカヂク ダカヂク ダカヂク エイホホーでも、まだ謎は残る。狂乱の様子の歌にしろ和製ジャズにしろ、どうしてこれが児童唱歌になったんだろう。???ダカヂク ダカヂク ダカヂク ダカヂク エイホホー
2011.08.24
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1月7日夜行バス→1月8日京都タワー銭湯→神護寺→千本釈迦堂→銀閣寺道→銀閣寺→永観堂→松尾大社→奈良→1月9日山辺、長岳寺→高畑、不空院→東大寺ミュージアム・前編 重森三玲・松尾大社の三神像はとても有名です。平安初期のもので保存状態もとてもよく、ご神像界のスターといっていいかも。去年の5月にはテクテク大分の奈多海岸までご神像をもとめる旅にでましたが、今回はここ、松尾さん。 <大分県 八幡奈多宮の元宮、市杵島>お仏像さんは誰でも知っていますが、ご神像を知っている人はなかなかいません。「神様ってかたちないんでしょ」とか、「神様って自然にいらっしゃるんでしょ」とか、「大木でしょ」とか、「鏡でしょ」とか、トントン。すべて正解です。本来、日本の神様は自然界においででした。そこへ仏教がはいってきたわけです。この二つを共存させるために、神と仏を同体と見て一緒に祀る、神仏習合という信仰のかたちを作りだしました。「本当は私は仏教の仏です(本地)が、日本では神道の神としてやってます(垂迹)」。これが「本地垂迹説(ほんじすいじゃくせつ)」です。多分にご都合主義的ですが、仏教自体がヒンズー教の神様をとりいれて土着の宗教と共存共栄をはかって流布されたわけですからこのことに目くじらをたてることはなかれ。このおかげで、いろんなお仏像やご神像ができたわけですから。ああだ、こうだで、仏像があるんだから神像があってもいいじゃないか!って考えがでるのは当然のなりゆきです。と、かなりかなり端折りましたが、神様は日本の徳の高い方々に降りてこられて人の形になられたのです。そういうわけで、実はご神像はお宮さんやら、お寺さんの守護社に安置されています。東大寺には僧形八幡神さんがおいでですし、薬師寺には三神像が休ケ岡八幡様に、八幡奈多宮にもたくさんの神様がおいでです。 <應神天皇におりてこられた神様 奈多宮所蔵>さてこの松尾大社の宝物館には十八体のご神像が一挙に安置されて公開されています。秘仏(秘神?)扱いが多い中、常時一般公開がされているということは珍しく、ありがたいことです。三玲の庭を左右に見ながら神像館へとすすみます。入るとすぐにガラス越しですが、有名な三神像鎮座されていました。もったいない、というのがまず脳裏にうかびました。それから、あられもないのですが、「大きい」。思わず呟いてしまいました。<男神像老年 大山咋神オオヤマクイ><女神像 市杵島姫神イチキシマ ><男神 壮年>この三神は非常に威厳があり戸惑いあるいは畏怖さえかんじます。特に、老年の大山咋神はお仏像にみられる慈しみはなく、「自然界をつかさどる厳父」にたるご様相です。女神の市杵島姫神はお仏像の特徴であるふくよかさ(おおらかさ)をしめす首に三道があり、なぜかしら体は正面をお向きですが、お顔は右をむいておいでです。ご神像については、まだまだお仏像ほど研究がすすんでおらず、説が百花繚乱です。この市杵島姫神は弁財天さんでもあるという説もあり、この松尾さんの姫神さんの頭頂は弁財天をあらわす蛇、蛇が口をあけている様子という説明もあります。神神神。とにもかくにも十八体一挙におでましは、壮観の一語につきます。 残像というか余韻というか、なんともいえぬ思いを背負い神像館の裏手の登拝口にまわります。巨岩が地より湧きでているかのような神、磐座への入り口は、日は少しも陰っていないというのに薄暗くて湿り気をおびており、さすがのマム号も一人では無理だとみてとりました。結界をしめす勧請縄です。残念ながら入り口からのぞめるのはここまでです。いつかの日か、境内で誰かをひっかけて登拝してやる・・・っと誓うマム号です。テクテク歩いていくと松尾山から流れる霊亀(れいき)の滝と御手洗川、滝御前社。下って行くと、霊泉の亀の井。お口に濾過紙をぶらさげられた亀さん。ということで、松尾さんをぐるりと一周。ご神像は圧巻でした。う~ん。。。よかったぁ。時間は4時30分。さて、奈良に行きますかっ。ゆっくり休んで明日は、山の辺の長岳寺、不空院、東大寺ミュージアムをまわります。 つづく*掲載の画像および文章の転載を禁じます・ * ・ * ・ * ・京都で合気道をはじめるならば、合気道入江道場 を おすすめします。「マムさんにすすめられた」とお伝えくだされば・・・なんにも恩典つきません。が、きっとニコニコしてくれます。合気道入江道場 HP
2012.01.22
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彼岸花のこと 花さき山価格:1,260円斎藤隆介 作/滝平二郎 絵 花さき山の花の絵(切り絵)を見ると彼岸花を思う。この本を手にしたのは高校1年のとき。絵本がはやりだしたころ。この本は絵本ブームの先駆けかも。 お 話ヤマンバがすむ山に、山菜をとりにいった10歳のあやが迷いこみます。そこには一面みたこともないような美しい花が咲いていていました。ヤマンバは、誰かがひとつ良いことをするたびに咲く花だと教えます。あやの足元に咲いている花は、貧しい家のことを思い、昨日あやが自分はがまんするから、妹に着物を買ってやってくれといった時に咲いた花です。 あやの足もとに咲こうとしている花は、双子の赤ちゃんの、本の少し先にうまれたお兄ちゃんが、母親のお乳を我慢して弟に飲ませた時に咲きだしたものです。 弟はお乳を吸いながら片方のあいた方の母親のお乳を手でぎゅっと握りしめています。お兄ちゃんはじっとそれを見つめて弟のためにがまんします。 ヤマンバは説きます。「あっちの山は、山火事になったときに三コという大男がかぶさって焼け死んでできた山だ。八郎潟は八郎が死をもって海をかえたものだ。やさしいことをすれば花がさく。命をかけてすれば 山がうまれる」と。家に帰ってお父さんやお母さんにこの話をしますが、誰も信じてくれません。そこでもう1度山にはいってみるのですが、再びそのヤマンバに会うことも花をみることもできませんでした。でも、それからもずっとあやは、いいことをするたびにこの花が今咲いてると思ったということです。 この絵本は美しい話と美しい絵で、名作といわれています。学校の読書感想文ではひくてあまたのようです。他者のために自分を犠牲にすることの尊さをこの本がうたっているのは明白です。作中で、斎藤氏は自己犠牲の尊さを強調するためでしょう。 乳飲み子にさえ我慢することをさせます。双子の弟は母親の乳房を吸いながら片方は手でしっかりつかんでる。兄はこらえています。斎藤氏はここぞとばかりに強調します。まさに我慢のデフォルメです。他者を助けるためには死をもじさないとは・・・。昔ながら説教説話だと思ってフムフムと読んで昔のお話って、いい事をしたら報われる、とか悪いことしたら地獄だとか。その反面意味もなく、いがいとはちゃめちゃで残酷で、悲惨なんですよ。終わらせるのならいいんだけど、これで子供にどういう感想を、学校は、あるいは教育者は、大人は、もとめようとしているのかなあとマムはちょっと心配です。画一的な「自己犠牲は美しい」なんて子供にもとめるのはマムはイヤですね。勿論現代の教育者がそのような短絡一辺倒の考えをおしつけるとは思えられませんがこの本は冒頭に書きましたようにマムが購入したのは高校1年(多分ね)の時です。この本が出版されたのは1969年です。当時はね、まだ、このような絵本は絵本だけど子供のための絵本ではありませんでした。当時、絵本は誰が買っていたか!それは、マムたち年代の学生がおしゃれで、あるいはカルチャーとして買いだしたんです。アンアンを読んでいる女性が絵本も読むって感じね。これが絵本のブームとなっていくんです。当時の私たちは、「あ~きれいな絵に美しくも哀しい話ねぇ」でおしまいっ。で、飾っていた。で、戻りますが、子供の場合、子供がみずから、これが読みたい読みたいと言ったわけではないと思うのね。多分子供にとってはこわい絵と気の毒なお話なんじゃないかなあ。で、それでいいのよ。絵本なんてね。マムが、もし教育者で、この絵本を授業で使うならば、いろんな意見を出させて、なんでなんでどうして、どうしてと議論沸騰させて考える材料としてつかいますね。勿論、自己犠牲の美しさにたいする感性も認めたうえで、子供たちの素直な意見を引き出したいですね。そういう意味ではこの「花さき山」はいろんな考えが吹き出す名作といえます。あのね、マムが双子のお姉ちゃんで小さい時から我慢ばかりさせられたらグレちゃうよ。それかズル賢い子になっちゃうよ。 じぶんのことより ひとのことを おもってなみだを いっぱい ためて しんぼうすると、そのやさしさと、けなげさが、こうして 花になって、 さきだすのだ。 (花さき山より抜粋)
2010.10.11
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