昨年1年間は、1月1日16:10に<令和6年能登半島地震>の大きな被害にあった後、自身の心の弱さとの闘い(葛藤)の一年でした。
私の現在地ですが、液状化現象で家屋が2度傾き半壊の認定を受けてから、急遽アパート(石川県では<みなし仮設住宅>と呼ぶ)に家族で避難し、早1年たっても、まだそのままです。
現在修復中の家屋はアンダーピニング工法でやっと10月後半に傾きを修復しましたが、大阪万博による人手不足(地震で被害を受けたすべての地域で影響あり)もあり、上下水道の修復(下水は仮修復)が昨年末に終わりました。 これから、エコキュート・エアコン設置、全雨樋の整備、外構の仮アスファルト敷きなどで後2-3か月はかかります。 それで何とか住めますが、3月に引っ越しできるかどうかですね。
これからの最大の問題は、液状化被害を受けた地域が最大数mの地滑りも起こしているため、地盤改良の大掛かりな工事が、令和8年度から実施されるとのことが金沢市で決定されたため、家の前のうねった仮舗装のままの道路と、機能していない側溝が1年半にわたって放置されることが決定してしまいました。 当家の雨水は直接道路に流すことになりました。
家周辺の塀や駐車スペースのコンクリ整備は前の市道と側溝が完全に復興した後です。 元の家に戻るには、まだまだ先で、数年かかるでしょう。
わたしの現況は以上です。
この、ブログは昨年9月後半で途切れていました。 震災だけでなく9月20日から同月23日までの大洪水が奥能登中心に被害の追い打ちをかけ2桁の死亡者もでて、心が折れました。 能登半島の人々(広くは石川・富山県の被害者)におかれましては、心からのお見舞いをささげます。
いまだに、県と国の無慈悲な政策で、ボランティアは有に及ばず、土木工事員すらも集まらない状態です。 こんな状態でも、能登の人々は力を合わせて、いつ終わるとも知れない復興に向けて、立ち上がっています。 能登を見捨ててはいけません。 明日は太平洋側の人も同じ運命が間っているやも知れないですよ。
心の折れた1年でしたが、昨日発震時の16:10に能登に向かってお祈りしました。 これからはまたブログも更新していきたいと思っています。
地震で大きな影響を受けた能登の景勝地に昨年後半より数回入り込んで、わずかながらのお金を落としてきました。皆様も、永続的に観光に訪れて下さい。
能登の人はボランティアだけじゃなく、観光客も待ってますよ!
見附島~ 2024/12/29
軍艦様の形は崩れましたが、末広がりになり、すっとした美人からどっしりした島影になりました。
わたしはゴジラやモスラの幼虫が海から上陸してくるような、威厳と迫力を感じます。
恋人の鳴らす鐘も、修理待ちです。もうしばらく待ちましょう。
撮影時間:2024/12/29 昼
撮影場所:石川県珠洲市見附島
見附島~ 2018:09:23 05:51:15
能登景勝地の現在 02 2025.01.03
2024年、初めての投稿です 2024.02.11
静寂 2023.11.22