2004年04月14日
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「ファルージャの目撃者より:どうか、読んで下さい」

Please Read - eyewintess report from Falluja
ジョー・ウィルディング
Jo Wilding


2004年4月13日
─ナブルス通信2004.4.15号による─

「ナブルス通信」なのに、イラクのことを?
 今回はご容赦ください。攻撃されているファルージャに「無謀」にも向かった西洋人のジョーさんが、体験して、持ち帰ったファルージャの現実は2002年春のパレスチナ──ジェニンやナブルス、ベツレヘムがいっぺんに蘇ってくるものでした。読んでいて、震えが起こってきます。
  ベトナム戦争の「ソンミ虐殺事件」と同じだ、という声もあがっています。「ファルージャで400人が死亡」という1行ですまされることが、いったい、どういうことなのか。長いですが、ぜひ読んで、他の人にも知らせてください。

 この文章は、イラクで反占領の活動を展開している「OccupationWatch」で活動するイギリス人のEwa Jasiewiczさんが受け取り、パレスチナ人のフセインさんがナブルス通信へ送信してくれたものです。14日に受け取ったものを益岡賢さんが数時間で超・特急に訳してくださいました。アラビア語など不明の個所もありますが、スピード優先で送ります。[ナブルス通信]



「ファルージャの目撃者より:どうか、読んで下さい」


Please Read - eyewintess report from Falluja
Jo Wilding

ジョー・ウィルディング
2004年4月13日


 長くなってしまいます。お許し下さい。でも、どうか、どうかこれを読んで下さい。そして、できるだけ多くの人に広めて下さい。ファルージャで起きていることの真実を明るみに出す必要があるのです。ハムーディ、私の思いはあなたとともにあります。
2004年4月11日 ファルージャ


 ファルージャ東部の高速道路で、トラックや石油タンカー、戦車が燃えていた。少年と男たちの流れが、燃えていないローリーを行き来して、ローリーを裸にしていた。私たちは、アブ・グライブ経由の裏道にまわり、持ち物をあまり持たない人々で一杯の自動車が逆方向へ向かうのにすれ違いながら、道沿いにできた急ごしらえの軽食スタンドを通り過ぎた。ヌハとアフラルはアラビア語で歌っていた。スタンドの少年は、バスの窓から、私たちと、そして今もファルージャにいる人々に、食べ物を投げ込んでいた。


 バスは、ファルージャの導師の甥が運転する車の後について進んでいた。彼はまた、ムジャヒディーンと接触がある私たちのガイドでもあり、今回のことについてムジャヒディーンと話をつけていた。私がこのバスに乗っていた理由は、と言えば、知人のジャーナリストが夜11時に私のところに来て、ファルージャの状況は絶望的であり、手足が吹き飛ばされた子どもをファルージャから運び出していたと語ったことにある。また、米軍兵士たちは、人々に、夕暮れまでにファルージャを離れよ、さもなくば殺すと言っていた、と。けれども、人々が運べるものをかき集めて逃げ出そうとすると、町はずれにある米軍の検問所で止められ、町を出ることを許されず、ファルージャに閉じ込められたままで、日が沈むのを人々は見ていたと、彼が私に語ったことに。


 彼はまた、援助車両とメディアもファルージャに入る前に引き返させられたと私に説明した。医療援助をファルージャに運び入れる必要があり、外国人、西洋人がいると、米国の検問を通過してファルージャに入ることができるチャンスは大きいと。その後の道は、武装グループにより守られているとのことだった。そこで私たちは医薬品を持ち込み、他に何か手伝えることはないか調べて、帰りにはバスでファルージャを離れる必要がある人たちを乗せていこうと考えていた。





 到着後、私たちは物資をバスから降ろした。荷箱はすぐに引きちぎるように開かれた。最も歓迎されたのは毛布だった。そこは病院と呼べるものではなく、ただの診療所だった。米軍の空襲でファルージャの大病院が破壊されてから、ただで人々を診療している個人医の診療所だった。もう一軒の診療所は、ガレージに臨時で作られたものだった。麻酔薬はなかった。血液バッグは飲み物用の冷蔵庫に入っており、医者たちは、それを非衛生的なトイレのお湯の蛇口の下で暖めていた。


 女性たちが叫び声をあげながら入ってきた。胸や顔を手のひらでたたき、祈りながら。ウンミ、お母さん、と一人が叫んでいた。私は彼女を抱きかかえていた。それから、コンサルタント兼診療所の所長代理マキが私をベッドのところに連れていった。そこには、頭に銃による怪我を負った10歳くらいの子どもが横になっていた。隣のベッドでは、もっと小さな子どもが、同じような怪我で治療を受けていた。米軍の狙撃兵が、この子どもたちとその祖母とを撃ったのである。一緒にファルージャから逃れようとしたところを。


 明かりが消えた。換気扇も止まり、急に静かになった。その中で、誰かがライターの炎を付けた。医者が手術を続けられるように。町の電気は何日も前から止まっており、発電器の石油が切れたときには、石油を入手するまで、とにかく何とかしなくてはならない状況だった。デーブがすぐに懐中電灯を渡した。二人の子どもたちが生き延びることはなさそうだった。


 「こちらへ」。マキが言って、私を一人、ある部屋に案内した。そこには、お腹に受けた銃の傷を縫い上げたばかりの、年老いた女性がいた。足のもう一カ所の傷には包帯がまかれていたが、彼女が乗っているベッドには血が染み込んでいた。彼女は白旗を今も手に握りしめていた。彼女の話も、同じである:「私が米軍の狙撃兵に撃たれたのは、家を出てバグダッドに向かおうとしているときでした」。街の一部は米軍海兵隊に制圧されている。別の一部は地元の戦士たちが統制している。彼女たちの家は、米軍が制圧した地域にある。彼女たちは、狙撃兵が米国海兵隊兵士であるという固い確信を持っている。


 米軍の狙撃兵たちは、ただ大虐殺を進めているだけではない。救急車と救助活動も麻痺させている。ファルージャ最大の病院が爆破されたあと残った次に大きな病院は米軍が制圧する地域にあり、狙撃兵たちによって診療所から遮断されている。救急車は、銃弾による損傷を受けて、これまでに4回、修理された。路上には遺体が転がったまま。遺体を取り戻しに道に出ると狙撃されるので、誰も遺体を取り戻すことができない。





 彼は、赤三日月[イスラム世界での「赤十字」にあたる]のマークのついた白旗を手にしていた。私は彼の名前を知らない。運転手が、我々がどこに行こうとしているか通りがかりの人々に告げたとき、皆、私たちに手を振った。ムジャヒディーンの地区のはずれにあるピックアップが最後の角から見えなくなり、次の壁の向こう側からは海兵隊の制圧地になる、そのはざまの地帯は、すさまじいまでの沈黙が支配していた。鳥も音楽もなく、誰一人生きている者の兆しはなかった。そのとき、反対側にある一つの門が開いて、一人の女性が出てきた。彼女はある場所を指さした。


 私たちは壁に空いた穴まで壁沿いに歩いた。そこから車が見えた。まわりに迫撃砲の跡があった。側溝には、交差した足が見えた。彼は既に死んでいると思った。狙撃兵の姿も目に入った。二人が建物の角にいたのである。狙撃兵たちにはまだ私たちの姿が見えないと思ったので、私たちの存在を知らせる必要があった。


 「ハロー」。できるだけ大声で、私は叫んだ。「聞こえますか?」 聞こえたはずである。私たちから30メートル位しか離れていない所にいたのだから──もっと近かったかも知れない。そして、蠅の飛ぶ音が聞こえていた。何度か繰り返し叫んだが、返事はなかったので、自分についてもう少し説明することにした。


 「私たちは医療団だ。この怪我をした男性を運びたい。出ていって彼を運んでいいか?OKだというサインを出してもらえるか?」


 私の声は、確実に聞こえたはずであるが、彼らはそれでも応えなかった。まったく私の言葉が分からなかったのかも知れない。そこで、私は同じ言葉を繰り返した。デーブも、アメリカ英語のアクセントで同じように叫んだ。それから、再び私が。ようやく、叫び声が返ってきたように思えた。確かではなかったので、もう一度呼びかけた。
「ハロー」
「ヤー」
「出ていって彼を運び出していいか?」
「ヤー」


 ゆっくりと、両手を上に上げて、私たちは出ていった。それにあわせたかのように現れた黒い雲は、熱いすえたような臭いを運んできた。彼の足は硬直していて、重かった。私は足をレナーンド・デーブに任せた。ガイドは腰を持ち上げていた。粘ついた血によって、カラシニコフが彼の髪の毛と手にくっついていた。カラシニコフは御免だったので、私はその上に足をかけ、彼の方を持ち上げた。背中の穴から血が流れ出た。私たちは彼を持ち上げてピックアップまで運び、蠅を追い払おうとした。


 彼はサンダルを履いていたのではないかと思う。というのも、そのとき彼は裸足だったから。20歳になっていない感じで、偽のナイキのズボンをはき、大きく28という背番号のついた青と黒の縞模様のサッカーシャツを着ていた。診療所で、この若い戦士をピックアップから降ろしたとき、黄色い液体が彼の口から流れ出た。人々は彼の顔を上向きにしてクリニックに連れて入り、臨時の死体安置所にすぐに運び込んだ。


 私たちは、手に着いた血を洗い、救急車に乗った。別の病院に閉じ込められた人々がいた。これらの人々はバグダッドに行く必要があった。サイレンをならし、ライトを点滅させながら、私たちは救急車の床に座って、パスポートとIDカードを窓から外に向けて見せていた。私たちは救急車に人々を詰め込んだ。一人は胸の傷をテープで貼り合わせ、もう一人は担架に乗せて。足がひどく痙攣していたので、彼を運んでステップを昇るとき、私は足を押さえていなくてはならなかった。


 診療所よりも病院の方がこうした怪我人を治療するのに有利だが、病院には適切な手当をするに十分な物資が何もなかった。怪我人をバグダッドに運ぶ唯一の方法は、私たちが乗ってきたバスで連れ出すことだが、そのためには、診療所に怪我人を連れて行かなくてはならなかった。私たちは、撃たれたときのために、救急車の床にすし詰めになって乗った。私と同年代の女性医師ニスリーンは、私たちが救急車から降りたとき、涙をこらえきれなかった。





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最終更新日  2004年09月15日 00時44分47秒
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