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「ひみ寒ぶり」10年度に次ぐ豊漁との記事を読んだ。景気がぱっとしない暗い世情に、何やらホッとしたニュースである。家内の実家が氷見魚市場から程近いので、帰省の際には、散歩コースとなる場所である。その魚市場が豊漁に沸いていると思うと、嬉しくなってしまう。 今は亡き義父が、まだ元気だった頃、朝一番に漁港に連れて行ってもらい、朝ごはんのおかずに、新鮮な魚を購入したことが懐かしい。氷見では当たり前の料理だろうが、魚の味噌汁というのは、首都圏ではありえない贅沢な料理だ。山海の美味に雄大な景色、豊かな自然と、富山は魅力がたっぷりである。 歴史的遺物や自然遺産、これが関東だったら、観光客がウジャウジャ来るのは間違いない。交通手段さえ改善されれば、富山観光のブレークも夢ではない。 新幹線の開通は朗報だがまだ甘い。リニアモーターカーくらいの交通改革が必要なのではないか。帰省して富山の魅力に触れるたびに、そんな思いを抱くのである。
2013.02.09
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大阪日日新聞 投書担当 御中「平和国家としての限界」 今回のアルジェリアの悲劇、日本人に犠牲者が発生しているとの情報に接し、悲しみに耐えない。テロリストとは、妥協も交渉もしないという原理原則が守られたことにおいては、たしかに成功といえようが、しかし、これほどまでに人質に犠牲が生じたことは、残念でならない。 しかし、今回のテロでは、日本の「平和国家」としての限界が露呈してしまった感は否めない。その限界とは、口先だけの「平和」「平和的解決」では、現実には全く日本国民を守ることができない「平和国家の限界」ともいうべき、冷厳な事実である。 今回のテロでは、被害者の国籍は多数にわたった。その中に、米国や英国のように、自国民の保護のためには特殊部隊の投入を惜しまない国家があったことは、日本にとっては、かなりラッキーであったことは間違いない。これが日本単独、あるいは軍事的弱小国だけが関係国となっていたならば、日本にとっては厳しい事態となったと思われる。平和国家としてやれることは、口先だけの交渉と、お金での解決しかなかったと思われるからだ。 グローバリゼーションや企業の多国籍化は、日本の国民とその権益が、世界中でリスクを背負うことをも意味する。紛争地そのものではなくても、治安の悪化している地域や、テロリストの温床となっている地域を避けて活動することなど不可能だ。 その際に、日本国がどこまで自国民の生命と財産を守るのか、そこには、大いなる疑問がある。今回は米英という「大人」の国に下駄を預けておけば、「子供」の日本としては何もせずとも済んだ。しかし、やがて訪れるであろう日本単独の被害事例が起こった場合、どのような反応を日本政府がするのか、それは非常に興味深いと共に、不安で仕方がない。テロや犯罪行為、あるいは戦争に遭遇した場合に、正規軍なり特殊部隊を派遣するなり、軍事力の行使まで視野に入れなければ、今後のグローバリゼーションの中では、国民は守れない。 国民の生命と財産を守る。これは国家としての最低の義務である。国家は、誇りを持って堂々と国民を守るべきである。逆に、それが出来ないならば、日本は国家の名には値しない。 軍事力を行使してでもこの国と国民を守り抜く、これを宣言して実行すること。それが今回の事件の教訓であるべきだ。わが国の誇る自衛隊には、その能力も意思も十分にある。欠けているのは、政治の決断と国民の支持である。 日本よ、毅然たる国家たれ。
2013.02.02
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