それでもあたしは生きていく
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なんとかかんとかブログを再開しはじめた。 潜伏期間2ヶ月あまり。その間あたしは・・・ とにかく、必死になって仕事をしていた。 あたしの仕事は職員の福利厚生部門である共済担当。2月は毎年生命共済の統一募集月間になっており、1500件以上の契約を一斉見直し、新規募集キャンペーンを行う。 それぞれの支社に共済の宣伝にも出向き、特設相談窓口も作り、必死になって勧誘を行っていた。 当然、キャンペーン後は集計作業があり・・・ 生命共済は若葉マークのあたしにとって、この2ヶ月間は手探りと残業の毎日だった。 そんなクタクタ状態の平日を、なんとか乗り切り、 週末は・・・ヘルパー2級学校へ行っていた。 初日が出張のため参加できなかったあたし。 オリエンテーションに参加できなかったことで、提出物など大幅に後れをとり「なんてところに来てしまったんだろう・・・」と疎外感に呵まれ続けた・・・はじめの数週間は。 自分の学校選択をつくづく後悔したあたしだったけど、だんだん話ができる人が増え、実習であーでもないこーでもないってなってくると・・・なんだか楽しいじゃんっ! 金曜日の夜中に泣く泣くレポートをしながらも、毎週の学校が楽しみになった。 学校のことは、またゆっくり振り返りたいなぁ、なんて思っている。 現在の仕事をひーこらやって、週末は疲れた体にムチ打ちながらも楽しく学校に行く毎日。 あとは・・・次の仕事探しだ。 仕事探し・・・どころじゃなかったけど、なんか、憑かれたように就活もやった。 ネットで求人を探して、職安に登録して職探しして、必死に履歴書を作って面接にも行った。 テレビなどで問題になっている介護職だけれど、派遣切りが横行している年度末近くは応募も多かったらしい。あたしは2件しか応募していないが、職安では1人の募集に5人も6人もむらがっていた。「今回は異例の応募です。」と募集した側も驚いていた。 「100人の中で落ちるのと、2人しかいない中で落ちるのと、どっちが嫌ですか?そう考えたら、希望人数なんて気にしなくていいんですよ。自分が受けたい施設を受ければいいんです。」と職安で職探しをして職安の職員になった相談員が教えてくれた。なるほど、ものは考えようだ。 いい担当者に出会うことができ、救われた気分になった。 結局、応募した施設は2つとも受かった。高齢者施設で場所は息子たちの近くと決めていたことが勝因だったかもしれない。 家の近くで仕事の内容がはっきりしている職場を選んだ。待遇はもう一つの方がいいけれど、何をするのかがはっきりしている方を選んだ。予定外の仕事が入って、体を壊す不安があったからだ。 文字通り「駆け抜けた」2ヶ月間、だった。 明日から5月。 ゴールデンウィークが終われば、退職までもうすぐだ。 40を前に、迷ってばかりだった。 40歳は、迷いを乗り越えて過ごせたらいいな、と思う。
2010.04.30
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