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Feb 13, 2008
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カテゴリ: カテゴリ未分類
好きですっ!って告白されたら無条件でその人を好きになるって人、手を上げて?・・・

無条件でって所を抜いたとしても、殆どいないと思うのよね。

「好かれたから好きになる」は無いとしても「好きだから好かれたい」ってのは
逆に殆どの人が当てはまるでしょうね。

まぁ実際にそういう行動を起こすか否かは別にしてもねw

でもさ「好きだから好かれたい」が行き過ぎると、ストーカーになっちゃうし
難しいところですよね><

情と理のバランスのとり方が難しいって事になるのかなぁ。

「智に働けば角が立ち、情に竿させば流される、意地を通せば窮屈だ」


理で割り切るかと言っても、必ず情が絡んでくる。

情に流されてしまうと理が霞んで規律が乱れる。
規律が乱れてしまうと収拾がつかなくなる。
だから「泣いて馬謖(ばしょく)を斬る」ことになる。
「泣く」事で馬謖への情を表し、「斬る」事で理を保つ。

普通に考えればそういうことであっても、
「諸葛孔明のことが嫌いな人」がそう見るだろうか・・・
あいつは規律を守る為に斬ったのであって、冷血漢に見られないように
「泣いて見せた」のだ。
なんていう人もいるかも知れない。

それくらい人の情というものは厄介なものだと思うのですよ。

受け取り方がまったく違ってしまうこともあるのですよね、現実世界でも。

諸葛孔明の事が好きで、尚且つ馬謖の事も好きな人が、「何も切り殺さなくてもいいんじゃね?」と思ったら、いつかはその感情が表面に出てくる可能性は充分にあるのです。

「泣いて馬謖(ばしょく)を斬る」状態になる前に馬謖の手綱を引き締める。
理想論ではあるけれど、常に気を付けていないといけない事だと思うのです。
「斬る側」にも「斬られる側」にもならないように・・・










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Last updated  Feb 13, 2008 09:00:57 AM
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