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2022-03-15 22:00 JST.土星と緊張状態になる月.サビアン.獅子座 21° 月 『中毒した鶏』水瓶座 21°土星 『絶望し幻滅した女』蠍 座 21° 『職務放棄兵士』牡牛座 21° 『開いた本を指す指』..理想の達成に早急に飛びつき限界を突破しようと危険な挑戦をする...Eili ...
2022年03月09日
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2022-03-13 23:10 JST.海王星に近づく太陽.サビアン.・うお座22度『シナイから新しい法則を持ち降りてくる男』.これまでの古い考えに未知の新しい考えや知性を持ち込む度数新規な発想や開拓、発見を誘発する..この新しい法則を携えて降りてくる男をどう世間は扱うか…世間はそれを愉しむのか、それとも畏れるのか….この日のもうひとつのトピックに.冥王星と月の強烈なオポジションもある、そしてこれも座相を組んでいる。.海王星・太陽と冥王星と月…アスペクトとしてきれいであるが、位置するサビアン度数は優雅極まりない。危険だ。...月のいる位置は21時時点でかに座26度で、『豪華さに幸せを感じ、長机で読書にふける人』23時時点でかに座27度『渓谷での嵐』.これを狙い撃ちしている冥王星は、この時点でやぎ座28度にいてサビアンシンボルは『大きな養鶏場』.いわば社会的成功の頂点のシンボル…冥王星だけにこれを破壊する意味を連想させるが、何か象徴としての資本主義的成功のシンボルが壊されることで新しい視点を得た人間が降りてきて、この物語を優雅に拝聴している人たちを連想させる。...しかし、わずかな差ではあるが、3/3の火星冥王星の合がやぎ座27度『山の巡礼』が示唆的だとすると、タイトな緊張状態は3/13 23:00 JST 頃のかに座ーやぎ座ーてんびん座ーおひつじ座の27度 組合せとなるてんびん座27度『頭上を飛んでいる飛行機』おひつじ座27度『想像の中で復活された失われた機会』.自分がこれまで守ってきたものが外部の侵略により破壊され奪われてゆく度数.一方でこの破壊により得られているもう一つの感情は過去の郷愁に似た理想の復刻...Eili ...
2022年03月05日
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木星に追いついた太陽サビアン.・うお座15度『部下の訓練を準備している将校』.体験のない若い部下たちに戦争の恐ろしさや経験を伝授する事は難しい…この場合、将校たちはかなり苦戦することになり、結果として、「習うより慣れろ」を選択する場合もありえるがしかし、この度数はかなり消極的なエネルギーであり、ためらう気持ちが強いむしろ「若い者には伝わらない」という諦めを体験する..うお座15度を起点としたグランドクロスを深追いする.・おとめ座15度『装飾されたハンカチーフ』.装飾されたハンカチーフを受け継いだ子孫たちは、先代の功績に座っているこの時、名家に似たプライドを保持し敬意をもってふるまえるのも、この装飾あってのもの決して汚すわけにはいかないハンカチーフを保持するものは一層保守的になってゆく..・ふたご座15度『会話をしている二人のオランダの子供』.会話の中での自己主張において、他の容認を待って意見を述べる事を意味する当然反対意見を言われた際には、その主張は引っ込める…という消極的な行動に出るつまりここに自分の意志は不在で、他人の出方をみながら行動を決める防衛本能..・いて座15度『自分の影を探すグランドホック』.まだ自分が世間に受け入れられていないと判断し、引っ込んでいる人...Eili ...
2022年03月05日
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2022-03-03 02:30 JST.前回は破壊の星冥王星に近づく戦争意志の火星とそれを見守る守護的金星の関りを観察してみたが、..今回は、太陽に追いついた月を観察し、訪れた意味を探ってみる..新月サビアン.・うお座12度『新参者たちの試練』.より大きな原理に自分を投げ出そうとするしかし自分の内面を知られたくはなく隠すあまり、秩序だった組織からは逃走し脱落してゆくあるいは包み隠さず投げ出すことによる爽快感を感じさせる度数…...うお座12度を起点としたグランドクロスを深追いする.・おとめ座12度『ベールを外された花嫁』.解明というよりもおとめ座らしい理屈の押し付け暴く側の立場でありながら、暴かれた姿の表明が、次のイベントを誘発してゆく。美しく魅力的と捉えるか、期待外れと捉えるかは、他の感受点にゆだねられることとなる。.・ふたご座12度『生意気に自己主張する少女トプシー』.新しく入った世界で適合できない自分に気付き始めるその世界への幻想や期待が崩れており、思い描く世界とのギャップから自己主張を表明するほかない。それをわがままとするか、素直な純朴な意見と受け止めるかによって周囲が変化するか….・いて座12度『時の声をあげる鷹に変化する旗』.旗は記号であり、鷹はその具現化…つまり行動に移されることを意味する。今では全世界に、その声は轟いている。自分の内面に隠されてきた理想的な衝動は抑えがたく、それまでの日常を捨て高らかに叫ぶことになる。理性はこの瞬間失われたかに見え、雄たけびを上げる。それを周囲は否応なく耳にすることとなる。.この時の衝動は原始的かつ止めようがない大きなエネルギー...Eili ...
2022年03月05日
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2022-03-07 15:30 JST月が天王星に迫るサビアン牡牛座11度花に水をやる女失敗をしたら破滅を覚悟するほどの賭けに出る全世界に注目を浴びるほど対向位置のサビアン蠍座11度救助される溺れた男安全を犠牲にした男が勇気を振り絞り賭けに出る…人々の心を動かし深い絆を生み出すEili ...
2022年03月04日
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2022-03-18 17:00 JST太陽と海王星が的にした月サビアン乙女座 28度力をつかまえたはげ頭の男...月を撃ち落とそうとしている….. うお座28度 『満月の下の肥沃な庭』おとめ座28度 『力をつかまえたはげ頭の男』ふたご座28度 『破産宣告された男』 いて座28度 『美しい流れにかけられた古い橋』...Eili ...
2022年03月03日
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2022-03-03火星&金星&冥王星_合サビアン山羊座 27度山の巡礼・自分が決めた目標に向かって忍耐強く歩む事。・何ものにも屈することのない「不屈の精神」を鍛える事。・目標を叶えるだけの実力を磨いていく事。・人に反対されようが邪魔されようが、自分の意志を貫く事。・しっかり前を向いて視野を広く保って進んで行く事。Eili ...
2022年03月03日
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『ベクシンスキーの絵のように…(8)』...禍々しき邪気に包まれし銀行…かつて栄華を誇った金脈は下水処理場の如き様相….そこを味わい、楽しみ、沈溺した者たちの巣窟には、今もなお彼らの魂が彷徨う...そのぽっかりと空いた奈落の口腔にうっかりと誘われてゆく人々の姿が見えてくる...青黒い炎と煙は臭気を帯び画面から漏れ出て額縁を汚している..この建物には魔物がいてそれは蜘蛛の姿をしており縄張りはきっちりと示している..けれども今ではいないその魔物たちもまた死んだ...その怪物は怨念により産み出され怨念により死に絶えた...蹲っている人が多数見える皆、怯え懇願しているような姿だ債務者の墓場だろう…中には一族全員の姿さえ見出だせる.この上なく不幸なものたちによる夢と希望の成れの果てがここにある...Eili...
2021年10月24日
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『ベクシンスキーの絵のように…(7)』...この威圧感は何だろう見上げてみるとぽっかりと浮いた中身のない案山子のような...制裁者のようないで立ちにしばし言葉を失う.胸に十字架が灯されているが宗教者ではない.この者は、兵士だ…それも死地を何度も潜り抜けておきながらこの地で散っていった勇者の姿だ.恨みはあるのだろうか…ない.ただ無念さだけが強く辺りを包み込んでいる。...兵士の姿は空洞で禍々しい憂鬱な夕日に満たされている.見るとそこには異界の月が精いっぱいに侵食を試みるも力及ばずといったところだろうか…蝕を成せずにいる.しかし、一矢を報いて誇りを保ちどこか凛々しい姿には毅然とした潔さを伝えている.この空間がかつての戦場でありこの地はそれを忘れることはさせないのだ..この地は緩やか傾斜で、窪地にはうっそうとした森林が広がっている丘の上にもところどころに隠れ潜める場はあるがどれもこじんまりとした領域で格好の標的と化している.大体の当時の面影をしりこの地で起きた悲劇も目に浮かぶ.では彼らはどこに向かって逃げたのか…何を拒んだのか.種族の未来を得るがため己の未来を捨てたのだ.ではこの地に宿る彼らの亡霊は如何に….それは監視だこの地を平定するまで、彼らは死後も監視し続けなければならぬのだ...Eili ...
2021年10月24日
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『ベクシンスキーの絵のように…(6)』...青いフードの男は企みようやくにして近づいた.彼は世の理を発見したつもりでいる.表向きはモンクの装いだが裏の顔は欺けない…..邪な想いから今まさに聖典を盗み出しているのだ.出会いではない探求でもない.精神の恵まれぬもののしでかす過ちがここに示されてる...何やらこそこそとその場で読み砕き…その後ろめたさが卑屈な臭気を帯びて落ち着きがない.彼が、この時誤読し間違った解釈のもとで災難を招こうとしている...相応しくないもの….彼は文字を読めてもその真髄を理解できず資格がないからこそ盗み出すほかない.しかし、たとえ盗みに成功しても真実を得ることができない...Eili...
2021年10月22日
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『ベクシンスキーの絵のように…(5)』...愛し合うとは、この姿だ…世界は二人に容赦がなかった.しかし、ここに彼らの勝利も刻まれている...幾年もの砂嵐の中で彼らは耐え忍び…耐え忍び…その場に凍り付くことで伝えた...僕たちは発見するそして何か大切なものを探そうとするほとんど希求するほどのすがりつく想いをこめて...けれどもそこにかけらた優しさは微塵もなく無慈悲にも絡みつく2体の欠片を残すのみ...しかし、命を超えて愛が勝ったことを彼らの屍は示した...神が負けたのだ...もし仮に神が勝つためには何が必要だったのかと問われれば.決して事実を表に出さず封印しきる事に違いない.彼らは見えないものの姿で示されそれ故、神秘をまとうことができる.そして、見えないものは怖れられと同時に興味をそそる誘惑さえも格段に強まってゆく.科学者と考古学者を道ずれにして誘う世界に真実の痕跡が置かれている...Eili...
2021年10月19日
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『ベクシンスキーの絵のように…(4)』...立ち並ぶ巨人兵の如き修道僧その岸壁に挟まれて独り男が心細げな松明を片手に潜り抜けようとしている….この畏怖漂わせる聖者の参道を進むは勇者幾億幾千年の時を超えて繋ぐもの...暗く陰鬱とした領域に足を踏み入れた若者は引き戻せないことを知っている.そしてこの世界の印象とは裏腹に不安を感じてはいない...恐れることそのものが敗北であることを理解しているからだ..行く手を拒むその道にこそ求めるものの鍵が隠されていることに気づいている...巨僧をひとりまたひとりと過ぎさるたびに彼には真実を解き明かす条件というものが整ってくる.この時いぶかしむ巨僧をひとりの頭が溜まらずにして傾げこの若者を眺め下す.. 「越えおった…」..小さきながら、低く轟いたその声は風となり、彼を追いかけ、松明をかすかに揺らす..もう一人の巨僧は餌をぶら下げている若者は見向きもせず、気にも留めない..一際威圧感を発する巨僧の前その威張り腐った佇まいがこの世界を作り、凍り付かせている.彼らは死の世界から遣わされ防いでいる..その先の世界に、彼ら自身は入ることを許されいるわけではない..ここでもう一人の巨僧が静かに祈りを始める自然と胸の前に出た手は若者が進むことを拒絶せずむしろ見守っている.下界から偉人が現れたのだ...この巨僧たちの一族から死神が地上に遣わされていることに気付くと山門は近いのだと知る.....Eili...
2021年10月17日
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『ベクシンスキーの絵のように…(3)』....男が独り死神の寵愛を受けている.この男が如何に残忍な魂なのかは隠しようがなく瞳に現れている...そこに漂う憐れみは無知ゆえの暴力からくる悲しみであり無理解のまま死後も棚びく救いのなさ.この者が一体何人の命を奪い取ったか僕は想像できるそして、こうしたものが時より、この地上に堕ちてくる.僕たちは気づけないでいる恐怖のない苦しみ.このものは魔を帯びりており人の目から…その存在が忘れ去られている.彼の生命の叫びは暴力.彼の世の唯一のかかわりは暴力..それを知る唯一の死神が制裁を与えているねじ込むように教え諭している..そしてこの男の空虚な瞳にはようやくにして哀しみが灯るのだ.この後彼の瞳から幾千年の時を経て雫がこぼれ落ちる...Eili...
2021年10月17日
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『ベクシンスキーの絵のように…(2)』....白無垢の枯れた樹木が希望のない天に向かい伸びている.逆さまになった死に絶えた根を添えて神に差し出しているのだ..乾く身体の牢獄を抜け極小の精が一粒浮遊する..その灯は陽炎のように…それはまるで紺碧を裏返した異世界に染み入るように抜け出すのだ...けれどもその祝福にも似た開放は囲まれるそこもまた刹那に閉じられる...Eili ...
2021年10月16日
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『ベクシンスキーの絵のように…』,...この世界は由来を伝えぬまま僕たちを無情にも荒野の如き海原に放り出す….倒れこんだ身体は揺らめきながら陽に焼かれ爛れている…..頭上にかすめるカモメの声が波音にかき消されてはまた舞い戻る..そして気がつけば僕らは皆深く…蒼く…果てのない水柱の中に閉じ込められ.ゆっくりとゆっくりと沈み込んでゆく...僕は独り覚醒させられて見つめている.ここに感じる孤独感とじれったさは堪らない...ただこの水柱はしごく神聖な姿をして美しく時を忘れて見とれてしまう….そして隠された残酷な世界は荘厳な煌めきの中で讃えられているのだ...Eili ...
2021年10月16日
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『僕たちの今、この時代~山羊座の蠢き~』...~山羊座…物事が結果としてたしかに現れる時代~.....我々はどこからきて何処に行こうとしているのだろうか….万物の母と思われる方は、幼かった…あまりにも.この記憶の欠落に、僕は少なからずいら立ちを覚える…誰も読み解けているものではないにせよ...そう、焦るな…君の背中は、そうつぶやいているようだった...僕は口火を開く.私たちの時代はだいぶ消耗してきています….僕はそうつぶやくと君の応えを静かに期待しながら待っていた.君はそのことには沈黙しただ遠くを眺めやる..王…あなたにも見いだせないのですか僕は淡く期待を抱いた自分を恥じた.王の背中は何かを思い詰めたように語り落したなるようにしか…ならぬであろう.僕らがこの惑星に飛来してからどのくらいの月日が流れただろう…...いったいどのくらい...王にも賢者にも解けぬその謎に無邪気に挑む僕の姿は、ここでもまだ若者扱いをされていた...僕だって、皆と同じ46億歳なのにむしろ皆なぜ、このことに気を留めない留めないのだろう...僕は預言者として忠告した...昨年12月には木星が山羊座に入りました土星と冥王星も時経ずして同じく山羊座に…その惨状が現在の状況となります.それはただ星図と惑星系の運航を読み解いたものにすぎず己の意見を挟んだものではない...僕の悲観的な未来像はだいぶ周囲に怖れられ皆口々に不吉な…とこぼすばかりだった...さらに言えば2020年7月初旬に山羊座の守護星である土星が水瓶座から山羊座へ再び戻りますそして、その土星が順行に戻るのは9月末頃になります.トランスサタニアンのこれらの惑星の動きを軽視すべきではありません….王はよせ…と一言こぼした...私には見えている…それはもうすでに見えている事であるが民衆には耐えることはできない事柄だ...僕のリーディングは、即座に中断され封印された...ただ恭しく、小さな石棺の中に収められたのだまだその書は死んでもいないのに死んだものの如くしかし、極めて丁重に扱われた...そちの才能はよく心得ておる気がかりであろうな…...王は、まだ遠くの地平線を眺めやりながらそう零すのだった...僕はいっそのこと謎のままでいて欲しいとさえ思ったなぜ、一部を垣間見せるのだ一部だけを垣間見せ僕の心を動揺させる….僕は、今度は神に呪いの意識を向けていた…そして、すぐさま、その過ちに気付き己を恥じた...戒め…と我々は捉えるそれが救いとなるのか、それとも人類は、科学を駆使して、この地球の惨状をねじ伏せるのだろうか…...Eili ...
2020年08月03日
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『多層的な世界』...『FLYING AWAY』の世界で漂いながら...仮想現実の織りなす層が世界を色とりどりに覆いながら羽衣のように揺らめいて揺らめいては畳まれる.かつて、仮想現実は社会にとって眉を顰めさせる否定しうる世界だった.だが、今それは、そうした趣向の強い人達の逃げ場ではなくなってきたと言えるだろう.逆に言えば今の時代、現実というたった一つの層のアバターだけで生きる時代ではなくなってきている.とはいえ、この世界には地図というものはなく旋律という形象を持たない表現で構成される.埋没したものが憐れみを受けるのではなくアバターを持ち歩くことが許されるのだ.とはいえ層は互いに干渉しあい危険なほど不安定な薄い膜でしか守られていない.ここは僕の精神世界だがこの世界は特に脆く意識を集中しても維持できる時間は少ない.この世界から第一層の世界へ一筋の光が差し込む.そこから必要な酸素を取り込まなければいけないここはまるで海底まるでレンズの中に閉じ込められ護られている…だが、ここの時間の流れ方は他と異なる.逆に言えば窒息しそうなほど透明な物質で精神を満たされないと世界を維持する事はできず.そうした物質で充満させると逆にあちらの世界には戻れなくなるのだ.ここでもまた恐怖に打ち勝たないとならない.それには信仰に似た信念がいる.今を生きているだけではない過去にも未来にも同時に生きている事を上層から下層に貫いた身体があることを忘れないようにしないといけない...Eili ...
2020年08月02日
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『ひとつの叙事詩』....『FROZEN TOUCH』によせて...あの頃の記憶を、ひとつの叙事詩として刻み込んでゆこう事件はあらゆる面で悲劇であったけれども僕は吟遊詩人のように語り継いでいかなければならない...彼は八王子のアジトに潜伏していた..彼の周りでは穏やかな事は何一つなかった.連日の報道で窮地に立たされている…どこもかしこも炎と煙に包まれ息をするのも困難だった.引き戻すにはあまりに遅すぎ振り返った道も先が見渡せるものではなくなっていた.最後の砦のようなものが崩れ去ってゆく光景が目に浮かび浮かんでは頭を大きく左右に振るそのデジャブから精いっぱい目を背けるしかなかったのだ.時折背筋に寒気がはしるがそこに気を留めると溺れそうになる….この後に待ち受ける制裁と苦難の事はとりあえず考えないよう無視した.聖者は死んだ…いや、まだ生きてはいるがあれは、もう…<聖者>ではない.ただ、拠り所を失ったこの状況下自分にできることは…ない.彼は自分の任務を改めて思い起こすことにしたそれは気が重く、とても尋常な精神で耐えられるそれではなかったここで足を止めるわけにはいかない….自分の住処はひとつひとつ失われてゆく…逃げなければならない.自分を執拗に追いかけてくる闇深い現実から必死で逃走しながら彼は、隠れひそみ、機会をうかがった….もうすべてが崩壊している…頭では気づいていることなのだが永年しみついてきた信仰がかれを身動きがとれない雁字搦めの呪縛の鎖に繋いでいた...僕はその時別の場所にいた.彼や彼らの事を思念で必死に追いかけていた…あんなにも精神を集中させていた時期はない.突然見失った彼が今どこで何を考えているのか全身全霊でアンテナを張るように僕は深く…深く交信しようとした.ただならぬ事が起きようとしているこの直感は何よりも正しかった.彼は獣のように潜んでいる….瞳に映る未来の光景は、無慈悲にも廃墟と化した祖国彼は憐れんだが、それをどことなく仕方のない事だ…と感じておりあろうことか、その恐ろしい世界に自ら向かっていた.彼はまた新たな引き金を引こうとしていたのだ...怖れを抱いたのは世間ではなく彼のほうだった.おそらく僕は死ぬだろう…<これは現実だろうか...>苛立ちを襲われながらも、彼はそれを受け止めるしかなかった.意識はもうろうとした中で彼は受話器を手に取る彼は、この時10年以上接触を避けていた母親に電話をかけている.これが最後かもしれない…僕はもう今生あなたに会うことはできなくなるだろうが心配しないでくれ母さんの事は愛している...そう述べて受話器を置いたと聞いている..時を同じくして僕もそのころ母に手紙を書いている.教祖の事が…もう僕にはわからない…わからなくなってしまった.と...Eili ...
2020年08月02日
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『日出る国の追憶』...『ZIPANG / HYDE feat. YOSHIKI』によせて.....世界は今頻発する厄難にさらされ私たちの日出る国にも押し寄せている.遠くアフリカの大地からは砂漠イナゴの大群が押し寄せすでに、インド洋を渡ってきている.西の大国の揚子江では世界最大のダムの決壊の恐れがささやかれ.コロナを発生させた武漢ではすでに洪水に見舞われ.私たちのこの日出る国においてさえゲリラ豪雨が何度も襲い掛かかっている.この災難の洗礼を浴びながら私たちの生活は、それでも止めるわけにはいかない.人通りからは人影が消え先月まであった店も、もう閉じられる人の生活は、根本的な変換点に差し掛かっている.人は接する事を禁じられる.それでも変わらぬものがある空気感染を起こす未知のウイルスに怯えながらもこの自然の情景は、なぜか逆説的に美しい.小鳥たちはさえずり虫たちは楽しそうに草花を飛び回っている.あの311の時でさえ放射能の汚染にまみれながらもむしろ自然は生き生きと見えだし私たち抜きにして自然は幸せそうにしている…...この時を待っていたかのように羽を伸ばす生き物たちのなかで、私たちはマスクをしながらひっそりとやり過ごす...こうして僕たちは世界を動かす側から世界を見つめる側に廻るのだ...そして、世界の美しさを今一度かみしめる...Eili ......~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~..遠き日見し 麗しの日出る国よ まだ 移ろわず その姿映せりや今も..舞い降る花 香る春水かがみ 涼し夏秋来ぬと 月見見上ぐ温めあゆる 冬よ..あの巡りくる季節を愛おしむ心へと光は生まれ来るのだろう..めくるめく 社会の隅で心取り残され先を急く人波に 見えなくなる僕が消えてく..The sun's gonna riseThe sun's gonna rise..あの鮮やかなる都慎ましい人々へ光は 今日も 光は昇りゆくのだろう..遠き日見し 麗しの 日出る国よ まだ移ろわず その姿映せりや今も...HYDE...『ZIPANG / HYDE feat. YOSHIKI』...~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
2020年08月01日
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『雲の隙間から…』...『HYDE - ORDINARY WORLD』によせて...ああ、なんて素敵なのだろうこんなにも魅せられ煌めいている.僕はため息の中で一日が始まったああ、おそらくこの美しさに打ち震えるのは.僕が復活した証拠だ…...何が美しいかと言えばそれは太陽や月ではない…この雲だよ....もう何の言葉もいらない.彼らは怖ろしく荘厳でも可憐な光を帯びてはいないけれどその柔らかな棚引くヴェルベットの光で柔らかく包み込んでくれるんだ….この温かみに気づくとき.この惑星でよかった…と思えるよ...Eili ...
2020年08月01日
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『陽炎の世界』...『HYDE - ORDINARY WORLD』によせて...元の世界に…戻りたい.ああ、もう戻ってこないのだろうか失われてしまったのだろうか一体いつになったら、元通りに….もはやそれを望むことができない局面まで来ている.なんて世の中になってしまったのだろう….そのように僕らは嘆く…充分に辛抱しているではないかでも、これ以上は耐えることができるだろうか.しかし、一向に世の中は明るい兆しを見せはしないそれどころか、自滅してゆく人が多く出てきている….置いてけぼりになった心は過去の幻想に溺れてしまい、抜け出せそうもない.それは苦しく、そして悲劇だだが、絶望ではない….絶望とは、あらゆる望みが絶たれること…これを知るものは少ない.その言葉を口にするものは多いがその言葉を真に精神の隅々まで味わったものは少ない.思考は呪いとなり果てて世の中の色彩は濃い緑泥の沈鬱としたものになり力のないものになる….明るさはもはやまぶしすぎて耐えられない….一つの解決策は存在する.そんな時は意識を失って気絶してしまえばいい….強制的にでも己の瞳を閉じてしまうのだ.その後にゆっくりと目覚めればいい.これは神様がくれた優しさなのさ僕は想うよ…...Eili ...
2020年08月01日
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『心の影』...『VAMPIRE'S LOVE / VAMPS』によせて...ここにそっと置いていた心の影は夕焼けに照らされて長く長く伸びている.大地に落とされた形象は先鋭化されて見えるがどこか柔らかく.源をみれば可愛らしいほど小さく丸まっていて先が少し尖っているだけ.こんな気持ちの拠り所が君の傍らにいる...夜になるもう影は落とせないけれどもよく見てみればそれは消えてはいない.夜の静寂に身を潜めているだけ..その細やかな心が見事に闇に溶け合っているんだ少しの間眠らせてと.安心できる柔らかな闇の中に滑り込んで...Eili ......
2020年08月01日
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『日常の世界』...『HYDE - ORDINARY WORLD』によせて...僕たちが下を向いてばかりいると何か大切だったものさえ通り過ぎてしまう幸せというのはまるで子供…かまってあげないとどこかに消えてしまうものなんだ.僕がこの世界に失望している時は気づけなかったことだが内部には大きなエナジーが眠っている本人が知らなかった事は喜劇だ.この世に生まれ出でた生命は等しくたくましい…...生きていれば、可能性は少なくともあるんだ…その解放の仕方がわからないだけ.そして生じたことは、受け止めるだけそれは逃れることができないから.ただあまりにつらいのなら視点を変えてみる必要があるだろう.日常の世界に眠っている神秘….そこに僕が居た奇蹟君に出会えた奇蹟.そして、この世界を賛美するんだ….病みゆく世界を目にとめながら普段通り過ぎていた美に目覚めるそれでも垣間見せた輝きに私たちは癒されるそれは数分の出来事でいいそれで僕は充分だ...Eili ...
2020年07月31日
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. 『次元を超えた交流』.....『VAMPIRE'S LOVE / VAMPS』によせて...君と僕は今住んでいる層が異なるだろうけれどもその互いの接するわずかな面でいい語り合おう.こちらの世界は悲惨だけれども…美しいよ.君が最後に、愛に気付きそれを切ないほどに希求しすがる姿には….君の最後に愛する女性に僕も会ったよ.そう、七夕の2日前君が施行されてしまうその瞬間まで君の心に寄り添っていた人を.彼女は、自分に届いた君の言葉を伝えてくれた…ずっと一人胸に秘めながらおそらくどうしようもなく切なく押さえることができなかっただろう.君の言葉は…なんてなんてすごい言葉だったのだろう….明日命を絶たれる事に気を留めながら毎日毎日毎瞬毎瞬その生を生きる事.僕にもできるだろうか…君の言葉の遺産を引き継ぐものとして....Eili ...
2020年07月30日
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『刻印した人』...やはり…思い出してしまうずっと仕舞い込んでいようと思っていたけれど.君はもういないけれども君の置いて行った香りを覚えている人たちにだけ僕は語り掛けよう….恐ろしい、淵に滑落してしまった朋に声をかけてくれた人たちに.彼らは獣のように恐れられたけれども別の姿を見いだして頂けた人がいることを知って胸が張り裂けそうな想いだった.おそらく僕らは、あまりたいして変わらない罪びとも罪を犯していない人も…..聖者も貧者も…私たちが思っているほど差がない...だからこそ、意味を見つけなければならない…存在の危機に瀕しているんだもの….そうした魂を助けるために僕には何ができるかを試した生だった...この世界は病みしばらく続く苦難に僕らは喘ぐだろう…...でも、愛おしさが生じてくるはずだ…世の理を理解しない僕たちにも地球にも…...Eili ...『HYDE - ORDINARY WORLD』
2020年07月30日
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『死と生と…』..生まれ変わりは…やはりあるいやむしろ、世界は、そればかりで溢れかえっている….この繰り返しに、気づいた釈迦は、解脱を説く必要があった僕らは、それでも戻ってこようとする…釈迦の真理の先に何かがある….その魅惑的な力に気付かされる…まだ未発見の力だろうか.それがどういう摂理に基づくものなのか僕にはわからない.僕らは、美しい波長に寄り添おうとするそれは、なんて自然な事なのだろう.僕は驚く….生命が形を帯びぬものから形象のある身体へ宿ろうとするときそれはなんて神秘的な現象なのだろう….雲の上から滑り落ちてくるんだ.そのものは変性する…じっくりと、時間をかけて.美しく生まれ変わるか哀しい姿になってしまうかは光の干渉の縞模様のようなもの.その同調する揺らめきの中に隠されている.ああ、なんて素敵なのだろうこんなにも魅せられ煌めいている.それは一つのどうしようもなく魅惑的な旋律に呼び込まれるんだ.その音階を聴き入るだけで融けてしまう….人生には悲劇が付きまとう…でも僕は、誰もが目を背ける光景の中から無垢な美を見てしまう.哀しい音楽も、妙に引き込まれ、忘れられないように......こんなにも真剣ならば僕は受け入れよう.君が死するとき生まれ出でようとする何かが沸き起こる….ああ、でもこの境地はとどめておけない...過ぎ去ってしまうのだろう.だから僕は耳をそばだてて、その音階に合わせて身体を震わせなければならない….そう、魂が躍るのだ…...僕はまた記憶喪失になって死にそして不完全な生の清算を行うためにまた、何かに宿らなければならないのだろう.身体の死は確実に訪れたとしても魂の死は許されていない…...その時は、ごまかしなく美しいと思われるものに引き寄せられてゆくのだろう….傍らでこっそりと垣間見てあこがれる事しかできやしない….真実と幻想の狭間に..あの優しい世界に漂うとする…そこにたどり着くかどうかはわからないでも、皆結局は、その魅力には敵わない.皆踊りながら滑り落ち螺旋を描きながら徐々に記憶を削られてゆき身体を得て喜ぶのだ...Eili ....『VAMPIRE'S LOVE / VAMPS』...
2020年07月30日
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..執行から2年.彼らはもうこの世にいないけれど彼らの事が時折頭をよぎる….この生を、世界を道ずれにして閉じようとした人たち…元々は知性豊かで、己に厳しく、人にやさしい…どちらかといえば、穏やかな人たちだった.そんな彼らがわすか数年で壊されてゆく…そして、人間として最も悍ましい事に手を染めてゆくこととなる…...麻原のメッセージを誤魔化しなく読み解けばこういうことになる..君たちは=我々は 生きるべきではない・・・.滅びることができぬのならば、 私がその引き金を引いてやろう…..覚悟しておけ、弟子たちよ お前たちは地獄に行く… 私が連れてゆく.しかし、決して、これは間違っていないのだ… 勇者しか歩めぬ道なのだ… ただ、人間には受け入れることができないだけであり、 しかし、真理なのだ… この道をヴァジラヤーナと言う...驚くべきことにそれを説き伏せてしまう…善良で優秀だと言われる人たちを.彼らは、すでに生きながら死しているも同然であり.だからあんなにも重い雰囲気だったのだ….麻原は自分では手を汚さず邪に誘導しながら、事件を起こし血塗られた13人を連れ去っていった….多くの犠牲者を道ずれにして計画を着々と進めてゆく…...思い起こせば、彼は事件を起こす前から自分に付き従う信者に「供養」していた….説法の際のオウム三唱も時折我々に手を合わせるように祈ったのは.我々が彼の生贄であり犠牲者であることを認知していたからだ….その光景は不可思議と言えば不可思議であり頭のどこかでいつもひっかかっていた..最初から、この世を抹殺するために生まれた(降りてきた…と彼は言っている)本当にそのような人は存在するのだろうか…...何か遠い異世界の出来事のような錯覚を起こすけれどこれはオペラでも小説でも映画でも仮想現実でもなかった…..何度も頬をつねってみたが、消せやしなかった.そして、冗談でもなくそれを実行しうる…70トンものサリン工場まで建設していたのだ.今はなき、秘匿とされた、その恐ろしい施設の存在も僕の目に焼き付いている….なんと禍々しい世界を破壊しつくそうとする闇深い執念の意志による産物…...僕らの生きる時代に、リアルタイムで展開され歴史に刻まれた.僕は、その止められない光景を…極めて間近で見せつけられていた感じがする...今でもおぞましくフラッシュバックするのは、占星術の報告の際に見ていたアルミ板で作られた上九から東京圏までの立体模型だ….彼の執務室に置かれたその模型を見ながら、魔王となった彼は、散布計画を夢想していたに違いない….その後、わずか2か月後に事件が起こされ、世を動乱の渦に巻き込んでいたその事を知ると僕は文字通り、いてもいたってもいられなかった上九から脱出することに決めた...あの時の心臓の鼓動が蘇ると息切れがしてきそうになる.この人と、戦うには…自分の全生命力を懸けないといけない…ひょっとすると一生分だけでも足りない….神と怖れられる人と、対峙しないといけない…それも今すぐ….この人は聖者ではない…何かとても人智を超えた恐ろしい事を…この人は考えている!!!...その衝撃は今でも、心臓を波立たせ解放してはくれない.この国は、この事件の深層を受け止めることをせず消化できぬまま、時代を移行することでやり過ごすしかなかった...深く考えてみれば起こされた国の問題に収まるものでもない<人間の生そのもの>への挑戦だった…そしてそれは僕だけではないその挑戦をすべての人が、暗黙のうちに受けていたのだ...自覚があるにせよないにせよ..極めて近すぎる人たちの中から 巻き込まれ魔窟に落ちた13人 こんなにも悲劇的なことはない…. その予感を感じてたであろう高弟たち… そして何も知らない頭がお花畑の信者から 無差別な被害者の方々......13人の悪霊に取りつかれた精霊たちのゆくへはどこに向かったのだろうか….残された世界の住人たちにはなんの手立てがあるのか….このような悪夢は時が解決するのか…時しかないのだろうか…...Eili ...
2020年07月29日
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.同じ時代に訪れて同じ魂を見つけそして、また一緒になろうとすることは難しい.本当に….これはとっても大切なことなのに、隠されている.人が最も希求している事実.皆好き好きに…隣にいる子を好きになるけれど.隣にいつもいるとは限らない.一時は、隣にいたとしてもその頃は不覚にも、準備が整っていない….だからそれは淡い憧れとなる.すぐにまた、手の届かないところに行ってしまうんだ.その頃は照れくさくて真っ裸な自分の精神を直視できない…自分の本当の心すら目を逸らしやり過ごしてしまう….時間の扉は、もう長くは開いたままにはなっていないというのに行き過ぎてしまうんだ...僕は…僕は思い出したよ.恋人や母や親友の事を彼らが彼らである理由を..ずっと昔からはるか昔から、想いを寄せ合っていたんだ.そして強力な磁力で、その生を結ばれた一時は、濃密な関係を築いていたんだ..でも、それは、志半ばでどちらか一方が死別する….これが遥かなる追憶の旅への始まりとなり輪廻してしまう因となるのだ一生で未解決な事件の始まりなのさ….ああ、でもこの時僕はこう思う.その別離に気付くときいっそのこと死んでしまいたいと.同じ瞬間であればまだ間に合うかもしれないと..そしてその誘惑は正しいかもしれない…しかし、それとて、時の扉が待ち構えている.一瞬、気の迷いだと思った瞬間に閉じられているのだ.このようにして人はまるで追憶の奴隷となり.永遠にこの連鎖の中で出会えない人を探し回っているかのよう.この亡霊のような自分を憐れんで.神様は人から<記憶>を奪う魂の根幹の目標をはぎ取ったまま新しい身体を与えるのだ.でもその優しは不完全なまま.まるで僕らは..切ない吸血鬼のよう….魂の希求にどうしようもなくのどが渇き愛するものへの魂の血液を吸うことでしか愛せない.もし、想いを遂げたとしてもそのものは死んでしまう….それでいて自分は死ぬことすら許されないのだ.もし神様がいたというのならば彼に与えてあげることはできないのだろうか.生きる希望かいっそのことの<死>を..それができぬのならせめて<理解>の糸口を魂の遍歴に<地図>を...Eili ...
2020年07月26日
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幸せというものは目指すものではなく訪れるものだ.と捉えていることにある。.これは奥ゆかしいが、誤りが一つある。.がつがつする必要はないが、望みを持ち続けることは最低限必要なことだ。望みを持たぬことは、質素倹約にして、時に体制側に都合の良い方便であり惑わされてはいけない。.むしろ、それは、自分に対しての裏切りである。...Eili ...
2019年12月30日
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.~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~三日目にガリラヤのカナに婚礼があってイエスの母がそこにいた。イエスの弟子たちも、その婚礼に招かれた。..葡萄酒がなくなったので、母はイエスに言った。「葡萄酒がなくなってしまいました…」.イエスは母に言われた。「…私の時は、まだ来ていません。」.母はしもべたちに言った。「この方が、あなたがたに言いつけることは、何でもしてください。」.イエスは彼らに、「かめに水を一杯入れなさい」といった。さらに、「さあ、くんで料理頭のところに持っていきなさい」と.料理頭はそれを見て、このように感嘆する。「どんな人でも、初めによい葡萄酒を出して、酔いがまわったころに悪いのを出す。」「それだのに、あなたはよい葡萄酒を今まで取っておかれました…」..ヨハネ福音書 第二章~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~.僕はこの一説は読んでいたにせよ、この奇蹟のシチュエーションについては謎が多く、自力で読み解くこともできず、遠く頭を離れていた。それどころか、奇蹟の演出にしてはベタすぎるそれは、今の時代にはそぐわないとさえ感じていた。..しかし、この一説は改めて読みとくと、奥が深いのである。.このくだり、アリョーシャ(※)の捉え方は異なる。まどろみの中で、この朗読を頭に響かせながら、彼は、このシチュエーションをありありと描写してゆくのだ。.そして、今僕自身にもいろいろ思い悩み巡らしていることと照らし合わせると、妙に神秘的な響きを感じる。...キリストが訪れたのは、悲しみの場所ではなく、人間の喜びでありはじめて奇蹟を行って、人間の喜びに、力を貸したのだ….人を愛する者は、 人の喜びをも愛する…. 喜びがなければ、生きてはいけない。.真実で美しいものはすべて 常に寛大さに充ちている….この時のアリョーシャの気づきで重要な点は.救済者であるイエスは、単にその恐ろしい偉業の為だけに、この世界に降りてきたわけではないこと.に気づくことにある。.通常の素朴な人の営みの中にも、その喜びを理解できぬイエスではないことを「そっと」示しているのだ。.ただし、奇蹟をむやみに信じることは、危険だ…その希望のほとんどが無残に引き裂かれている事実をみれば、これらの神話に類する話の多くは、人につかの間の希望をあたえ、そして奪いとり、さらには神への信仰すら奪う結果となるからだ。.謎めいて奥行きがあり、この話の真髄に触れた気がするが、それを振りかざすわけにもいかない物語だ….彼がゾシマ長老から学んだことは、こういうことになる。たった一本の葱を必要としている人に与えてあげること…それがいかに重要なことなのかそれが、愛を波及させることにつながるのだ、ということ。.それに対し、僕が学んだことは、「葡萄酒がなくなってしまいました…」ということを正直に訴えてしまってもよいのだということ。...※)カラマーゾフの兄弟...Eili ...
2019年12月30日
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思索というものはとめどなくうごめくものだけれども、それをすべて摘み取って、言葉に落とすようなことは、しない。.今は、しないように心がけている。それを学んだ。.逆説的だが、以前は真逆…ただそれも、沈黙の時期が訪れて、何も語れない時期が数年は続くのだ。. すべてを摘み取らなければ、その答えは得られないもの….と感じていた。.いわば、使命感に近いものがあった。そしてこのどうしようもない感覚は抜け出せない。.周囲への違和感と、内面と外面で演じなきゃいけない世界観の圧倒的なギャップでも、それは、悲惨では決してない。.以前よりよっぽどうまく生をやりくりできるようになった。それは奇蹟的なことだが、あの下手糞で一本気な頃の自分は、貴重な時期だと感じている。ここには、その痕跡がある。.自分が幸せをかみしめているすぐ横で、悲しみに暮れている人がいる。それは彼らの不行き届きによるものでなく、全くの理不尽で不可抗力的なもの…それに気づいてしまう。.それは大人になること…なる言葉なんかでは、くくれないほどの深みがある。神の意志はどこにあるのかを問いかけたくなる誘惑にかられるし生の意味を問いかけたくなるし慈愛や慈悲といったものの真意を問いかけたくもなる.もう本質的に、無邪気に喜ぶことはできないんだってことだ。.ここまで世界をごまかしなく分析したあと、釈迦の教えに出会うんだ。それは強烈なはずで、ここに反応できない人は、まだ「気づいていない」んだ。.そして、そこからも 離れるべきだと…僕は感じる。あるいは、離れるべき時期が訪れるのではないか…という感じがしている。...宗教的な友人に言いたいことは、彼らがその生を宗教的神髄に触れるがごとく全うしたとして僕の境地とはどの程度かけ離れているか…だ。.人の生を踏みにじって、なお、至福を感じているならば、真逆だ。どこかがおかしいのだ。.でたとえ、そういう体験がなく、<安全に>宗教をやれたとしても何かが足りないのだ。.カルトの間違いを指摘することは、たやすく、賛同も得やすいだろう。。過ちを後悔することも。でもそれだけじゃ意味はない。.しかし、3大宗教の神髄を手放すことができない人たちもいる。何千年にもわたって。そこに安らぎや救いや達観を得た人たちだ。多くいる。.でも、それも、その世界を否定しないとしても、宇宙を包含してはいない。宗教的な次元を超えた宇宙観というものがあり、宗教がそれを包含しているつもりでいて、たどり着いてはいない。.ところで、課題はもっと身近なとるに足らないようなもの…そこまで大きな宇宙観を携えなくとも、生かされている事実.今年はもうすぐ終わる。.普通人は日々の生活に追われながら生きる。酷使された労働者には、一編の詩が必要になることがある。...Eili ...
2019年12月29日
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記憶が消されてゆくことは不幸なのかそれとも記憶に縛られ、残されることのほうが不幸なのか.答えはでている.人は過ちを犯しそれを受け止められず消し去りたいと思う時がある.また人は楽しみを体験し少しでも永く味わおうと望みながらその記憶は薄められ、いつしか去ってゆく.たとえそれが無意識なものであるとして忘却が訪れる.不思議なことにつらい記憶は刻印されやすく、いつまでも残響し楽し気な記憶は、忘れやすい.忘却はいわば緩衝装置むしろ生命を守ってさえいる.しかし、本人の表層意識から消え去ったとしても本質的には、消すことはできない.この世に生じたことは…メッセージ起こされたことは、どこかに必ず刻印されており消すことができない.それは我々の生命の謎でもある..自分の記憶と他人の経験してきた記憶の境界線がなくなってゆくような不思議な感覚….それは自分だったかもしれないもしくは、自分が自分である必要はなかったかもしれないあなただったかもしれない….きわめて曖昧な自己の輪郭.自と他の区別は溶け出してゆき過去と現在の区別が記憶の深さの尺度では意味をなさなくなってくる.そんな世界の感覚に包まれる目の前の光景を見ている自分が、自分ではなくなったかのような誰かの共時体験のような過去かあるいは未来の兆しなのか...いずれにせよ驚くほどの静けさに包まれながら明日は嵐が来ることが、確実視されている。まだ訪れてはいない、確定されていない未来を変えようがない未来の事であるかのように語られている。...Eili ...
2019年10月12日
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昨年の今頃は、一番一時を深く感じる時期だった。豊田君をはじめ、残された死刑囚の執行が気になって仕方がなかった。折しも仕事がめちゃハードで、なかなかスイッチを切り替えるのが難しい時期でもあり、どうも落ち着かなかった事を覚えている。.今年も、同様にして掛け持ちの仕事を抱えてたりして、意識チェンジがうまくできない。正直忘れたいし、忘れられないし、忘れちゃいけないし。変なコメントがつくようになったから、記録しずらい。.結局、人はいずれ死ぬ。その時、生きてきたフェーズをどのように振り返るのだろう…忙殺された毎日は、どれだけ印象に残るのか…?むしろ、たったひと時でも、忘れられない時間を過ごしたとしたら、その記憶の刻印が、集合意識に刻み込まれるのではないだろうか。。。.人生は大切にしなければならない。個人にとっても、社会にとっても、未来にとっても….僕はこう感じる。なにもかも、忘れることが出来ず、情け容赦なく、刻み込まれているのだ。。生きてきた行いの数々の責任を取らず(…人は結局誰も責任を取ることが出来ないのだ)、連綿と続いていき、場は彩を増す。。それは汚点ともいえるし、色彩ともいえる。人によっては、それを罪と言い、また別の人によっては、業という。.時代は流れる.宇宙は様相を変えてゆく...ダイナミックな精神活動も、どこかに伝播しているのではないかと感じる。...Eili ...
2019年07月24日
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あれから、あっという間に1年がたった。あの頃も忙しい時期で、僕には余裕がなかった。今年もそうだった。七夕のシーズン.彼の最後の手紙では、本当に自分の最後の時を察知したかのような言葉が綴られていた。常に死を感じながら生きる….逆説的だが、命の尊さを知るには、終わりが来ることを受け止めないといけない。罪と罰というよりも、生と死このテーマは普遍的だ。...Eili ...
2019年07月06日
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ヒトラー、スターリン、毛沢東、麻原…...400万人、600万人、1500万人、(70億人).彼らが権力を掌握し、人類の頂点に立ち、虐殺してきた人数だ。(※ うち、麻原は、全人類抹殺まで企てえた…予定の数となる)..サイコパス…その圧倒的で、黒い知略に富んだ暴力に、どう立ち向かえばいいのだろうか。.サイコパスの示す愛…これを、どのように受け止めればいいのだろうか。彼らのほとんどは彼らの行為をそのように肯定しているかのようだ。.これが、ホモ・サピエンスに宿っている、遺伝子のひとつだと?歴史は戦慄にも示している….サイコパスの餌食になった人々死ぬまで奪われ切った魂は、たとえ転生を信じたとして、復活を遂げるのか?.弟子の何人かは、最後まで、教祖を信じ、処刑されるまで、信を解かなかった。(解けなかった)...Eili ...
2019年06月25日
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.どうしてもオウムのテーマは重くなってしまうし、それが歴史の一ページであったとして、そこに埋没してしまいそうになる自分を抑えておきたい。時は令和のフェーズに移ったのだし、自分も先のテーマに挑みたい。。.しかし、歴史の生き証人でもある僕らは、それぞれに見てきたものを語り落してゆく義務を感じる。僕は、当時の時間をかなり深く探り、見落としていたものはないか…と考察を繰り返しているのだけれども、やるせない思いに駆られる。。。.この事件のキーパーソンは、村井秀夫だ…彼の証言がないために、いくらか歪んだ形で裁判は進行していったと感じる側面がある。.あまり世の中に出ていない話なのだが、「村井秀夫最後の説法」…というものがある。時は1995年3月後半~4月前半にかけて、場所は清流精舎.この説法を拝聴できたのは、わずか30人ほどの科学技術省のメンバー。彼の部下であり、亨君の部下でもある面々だと聞いているが、ここに野田成人氏や上祐氏はいないため、彼らは知りえない。.教団では基本教祖が説法を行うのだが、科学技術省では、村井氏自らが説法を行うことがあったようだ。(※ ちなみに、僕はそうした体験は一度もない)サリン事件実行後、強制捜査の動乱のさなか、彼は豊田亨と清流精舎に戻る。(※ 一緒にではないはずだ、別々に戻ったと考えたほうがいい。)これが如何にあり得ない行動だったかは、当時日本中で指名手配と同じ扱いで、警察と公安にマークされまくっていた彼が教団施設にに舞い戻るという危険を冒していたからだ。.捕まることを覚悟していた。捕まることを厭わない行動だった。.そこで、彼はわずか数十人の信者を前にして、感慨深く、自分の今までの帰依の在り方について語ったという。この集いに、僕の朋友の一人が参加しており、当時の状況を生々しく語ってくれた。.あの時、部下である信者を集めると、オウム三唱を行い、恭しく説法が始まったという。そこに参加していた友人は、他部署にいたにも関わらず、事件前に急遽科学技術省に配属されて、知らず知らずのうちに危険な領域に汲み取られようとしていた。彼はかろうじて実行犯から逃れているが、実行後の実行犯が、己の犯行を隠しながら、部下の前に現れ、説法を行うというのだ。疑惑が渦巻く中。.一体、何を述べようとしていたのか、気になって仕方がない。もう既にサリン事件は起こっていたし、教団は疑われていたし、信者は自分の教団の立ち位置もそれぞれに察していたはずだ。.(一体どうなっているんだ…?)という疑念の中で友人はこの説法を聞いていたようだ。.その時、不意に彼(村井)のもとに電話が入り、どうやら教祖からの緊急の伝言らしかった。その様子を見ていた友人はいぶかしがる。.無視したというのだ。あの村井氏が、教祖からの指示をガン無視…ありえない光景だった…と..彼は教祖からの電話を無視し、放置し、自らの説法を続けたという。この情報は、僕を混乱させた。そして一つの謎を更に深め、じっくりとこの事項について彼の当時の立ち位置と心理状況を分析することになった。.短絡的な事は何も言えない。この説法は、彼の人生の最後を悟ったうえでの吐露なのだ。.彼はこう述べたという。「私はかつて、一度たりともグルの命に「できない」と応えたことはない…」と.感慨深げに語ったという。部下に向かって、自分の身を身を捧げろとか、そんなやぼな事は言わなかったようだ。.ただ、彼は自分の今までの信仰のありかた、帰依の在り方を、部下に伝授したくなったようだ。彼の唯一の誇りだったのだろうか….そのわずか30人に満たない真相を知らない信者に対し、独りだけ般若のような形相で彼の説法を聞いていた部下がいたという。..豊田亨君.そう、彼だけは、他のメンバーと違い、血塗られた実行犯となってしまったから、この言葉の汲み取りに命を懸けているようだったと。。.実行後に、教団施設に戻り、彼の部下の前に現れたが、終始、無言のままだったという。...あんな亨君の表情は見たこともなかった。と穏やかな表情の彼が、あんなにひきつった表情を見せるのは意外でならなかったと。.そして友人は悟ったようだ。(…教団は、やったんだ! おそらく…)と.「俺は、自分でも本当に鈍感なやつだっておもうけど、その時ばかしは、戦慄を覚えた。。。」「何か底知れぬ恐怖というか、見過ごせない何かを感じてしまった。。もちろん口に出しては言えないけど」「教団は、やっちまったんだな、てその時、気づいたんだ」と...Eili ...
2019年06月23日
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...時は黙々として、他の一日に移り変わってゆく。言葉はそれを見ている。...ただし、大抵はその静かなる遷移を台無しにしてしまうのだ。そして、私たちは、本質的には黙ることができない。それは、生命活動そのものといってよく光景の中に印象の影を見出してしまう生き物だからである。.頭蓋の中で、音は鳴り響いているそれが心地よい周波数になるまでただじっと佇んでいようとする.この時の私たちは演奏者ではない視聴するもの.森の中でざわめく小枝の中からただ聞き分けようとする.紛れ込んでいる本質的な何かを発見しようと努めるほかないのだ...Eili ...
2019年06月08日
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.平成は、動乱の時代でした。戦争が起こらなかったことが平和と等しいとは思いません。むしろ、アプローチを変え、国家規模によらないテロが多発する時代に突入し防ぎにくい時代となりました。また、地球規模の天災も何度も生じ、日本もその被害は甚大なものでした。.物質世界と精神世界の両方のカタルシスを経験したのが1995年でした。.予兆はありました。静かに…昭和の時代から連綿と受け継がれた不安感が終末感情が、この国を包んでおり、それは西欧世界だけの物語ではなくなっていたのです。.僕は平成当時、この世界で未来を夢みて生きてゆく事を、一旦諦めました。青臭い理想を胸に、すべてを捨て、賭けていたものがあります。大切に、大切に….当時、さだまさしの防人の詩が頭蓋に響いていました。出家前に、聞いた最後の曲は、確か、この曲でした。.教えてくださいこの世に生きとし生けるもののすべての命に限りがあるのならば.海は死にますか山は死にますか風はどうですか空もそうですか...教えてください.この歌詞は、切実です…すべての人にとって釈迦の境地と通じるものさえあります...僕は神秘的な世界の扉を開いたつもりでした。現世の縁や未来の可能性をすべて捨て去るわけですから、この道は誤るわけにはいきませんでした。.辛い生活とはいえ、生まれてきた意味、真実を見出せる…と信じていたのです。.その特殊な空間では、みなが何かに急き立てられ、来るべきカタルシスに向けて準備をしているような状況でした。戦争でもないのに、ここでは戦争前夜のような緊迫感が、ずっと続いていました。.上九一色村に集うメンバーは、基本、横になって眠りませんでした。眠ることができるのは、PSIという脳波を教祖と同調させる装置を受けている時と、薬物を治療班に注射され、モルモットのように横たえさせられる時のみで、それ以外は、24時間、ワークでした。働きバチのように。.この劣悪な環境を乗り切るためのモチベーションは終末が訪れることを確信し、救済の手伝いをする使命感のみ…でした。...これが崩れ去ると…精神崩壊が訪れます。もしくは正常な精神を維持した場合、この世界からの逃避は極めて難しい問題でした。間違いに気づくものも何人もいたはずなのです。でも、彼らは逃走することさえもできなかった…何人も脱走を試み、何人も失敗し、何人もコンテナ行きになっていました。...彼らの内、何人かは、その後気配を感じません。.信者は、40人行方不明のままであり、この40人に関しては、警察の調査もされておらず、事件にもなっていません。...多くの時間が費やされ、事件の深層は刑事事件として暴かれてゆきました。闇に葬られたままの要素は、まだ残されており、それはもう解明はされないでしょう…...このように、人の世に居ながらにして、人の世を信じなくなってしまった団体がありました。それに絡められた人たち、接点を持った人達は、みなそれぞれの層において、不幸を背負いました。...この時代は、昨日圧縮されしゅくしゅくと次の時代へと移り変わります….さて、この普遍的なテーマ、「人の生と死」については、令和において、どのように読み解かれてゆくのでしょう。僕はそれを静かに観察しながら、かつての過ちが、繰り返されることがないように願ってやみません。...わずかな命のきらめきを信じていいですか言葉で見えない望みといったものを去る人もあれば来る人もあって欠けてゆく月もやがて満ちてくる.なりわいの中で...犠牲になっていった人たちの魂の供養のためにも続く時代の世界の像に平和と人の可能性を見出したいと僕は思います。...Eili ...
2019年05月01日
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平成最後の日、東京はどんよりとした曇り空、そして雨、雨、雨晴れやかな気持ちにはしてはくれぬ一日だった。.昨日ちょっと過去の人とあっていた。過去というのは、不思議な表現だ。でも驚くほど僕はそう感じた。似たような境遇を経ている方なのに、この視野の違いはなんだろう…本当は友人の話が聞きだせるチャンスだったのだが…ほとんど聞き出すことができなかった。.僕は、もう離れなければならない….異質だ…何か、本質的に...時が経ちすぎたのだろうか…おそらくそうなんだと思う...傷ついた人が多い。本質的にはその人たちを、癒すことができない。体験している時空間において、共時体験でありながら受け止め方が異なるわけだから。なのであれば、静かに立ち去る事...ここにはなかった…ということだ。...Eili ...
2019年04月30日
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平成最後の日、東京はどんよりとした曇り空、そして雨、雨、雨晴れやかな気持ちにはしてはくれぬ一日だった。.昨日ちょっと過去の人とあっていた。過去というのは、不思議な表現だ。でも驚くほど僕はそう感じた。似たような境遇を経ている方なのに、この視野の違いはなんだろう…本当は友人の話が聞きだせるチャンスだったのだが…ほとんど聞き出すことができなかった。.僕は、もう離れなければならない….異質だ…何か、本質的に...時が経ちすぎたのだろうか…おそらくそうなんだと思う...傷ついた人が多い。本質的にはその人たちを、癒すことができない。体験している時空間において、共時体験でありながら受け止め方が異なるわけだから。なのであれば、静かに立ち去る事...ここにはなかった…ということだ。...Eili ...
2019年04月30日
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.やっぱり、僕の場合は、嘉浩君や亨君の目指していた世界とその危険なアプローチ、その眼差しが、自分の生身の眼底に被り、フラッシュバックしてくる。.その精神世界は、今ではどこか異国の情景を思わせるけれども、ひとつの世界観として層をなしており、僕は度々この世界にダイブして見落としてきたものはなかったのかと探るのだ。そして限界を感じると、こちらの世界に戻ってくる。.僕一人別の精神体となり、その世界では僕の存在に気づかないかつての信者たちが、せっせと世の終末に向けて準備をしている…自分たちがどこに向かってしまうのか気づかないまま。僕は、たとえそれを見る心の準備がないとしても、2~3メートル上空で見せつけられてしまっているような…そんな世界.僕は何かガラス越しにその光景を見ているような錯覚があり、嘉浩君や他の幹部の人たちの行動を見つめる。そこに、教祖が訪れ、何やら叱責と喝を入れながら幹部連中を操作している、そんな光景だ。.彼は、いつもびくついている…背筋を伸ばし、ハキハキと応える姿は勇敢な若者というよりも、得体のしれない使命に自分の心をねじ伏せながら同調させようとする幼い姿だった。彼は、その後彼自身の瞑想によって、この不条理な世界観を苦い汁を飲み干すようにして、骨髄に落とし込んでいく。.サンジャヤ、ウパーリ、ミラレパ、ヴァジラパーニなどが、ドア越しに訪れては消えてゆく、奥に気になる人の気配があり、マンジュシュリーであることを知る。.彼等全員、逸脱者…という点で同志なのだろう。次第にこれが現実なのだと、彼らは落とし込んゆく。わずか数十人の先鋭のヴァジラヤーナ戦士という自覚を植え込まれ、彼らは、救済と認識しながらにして、世を終わらせようと行動に移そうとするのだ。.実に生々しい光景は、なんだろう…これはもしかして、見たこともない、八王子アジトの光景だったのだろうか….所詮幻影にすぎぬただ、ひっかるのだ。.彼等には、確信がない…こんな恐ろしい事をしようとしているのに、真に自分たちの行いの果てに事態がどう展開するのかを立ち止まって考えようとはしていない様子だ。.みな己の使命としながら、何か強力な呪縛の中に完全に嵌り、操られている事に気づけていない…そうこうしていると、メンバーの一人、ミラレパが、何かの霊感を働かせたのか、こうつぶやく。「今、誰かに見られている…」他のメンバーが、それに応える。「…誰、尊師?」「いや、違う」「…何かの変化身だろうが、敵か味方さえも分からない…」「もう、ここを出たほうがいい…今すぐにでも」.僕は、自分が察知された事に気づき、気配を更に消し、位置を変えた。そして、消えた。.こうした不思議な精神世界を通じ、こちらに戻ってくると、もう既に死んでしまっているはずの彼等の霊魂の強さに、妙な感覚を感じるのだ。これは過去であり、別世界…もしかしたらもうひとつのパラレルワールドなのだろうか….そういえば、第六にいたときも、何度か、室内が若干暗くなるような錯覚に襲われていたことを思い出した。あの頃、僕も何かの気配を感じた。そして、妙なデジャブが訪れていたことも.誰かに見られていたのではないだろうか…未来の誰かに….あの、PSIのイニシエーションを受けていた頃だ…僕は何か妙に胸騒ぎを感じてならなかったが、精神を安定させたかった。この異様な世界に飛び込んでしまった自分を果てしなく呪いたくなる気持ちを精一杯抑えながら、まさに、宗教的生活に全霊を注ぐしかないと決意してゆく….本当はここで教団の決意如意促とかを聞くべきなんだろうけれども、僕はその時、持ってきてはいけない音楽のテープをウォークマンに入れ、心を落ち着かせようとしていた。.グレゴリオ聖歌だ...Eili ...
2019年04月29日
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.しばらくここに訪れることができなかった。.ここは特別な場所で、正直、日常生活とは相いれない。激しく屈折率が異なり、今の僕の生活スタイルでは共存不能。本来ここで語り合えるような事が現実世界でも語り合えればいいのだろうが、それは無理だろうし、期待もしない。日常生活で接する人とは、不用意に、この領域には近づいてきてもらいたくはない、とさえ感じる。僕の見つめている本質は、知らなくていい。.嘉浩君や亨君や広瀬健一さんの辿った人生は、もしかしたら僕もその道に踏みこんでしまったかもしれない…これは、極めて恐ろしい領域の思索で、僕の精神をキリキリさせる。だが反面、究極の哲学的テーマを手に入れた事になる。.平成という時代に刻まれた悪夢は、普遍的な人間のテーマだった。. 人はなぜ、この時代に生きているのか… この世界は、終わらせたほうが良いとでもいうのか…!.それを眉一つ動かさず、馬鹿げたストイックさで真面目に問いかけ、挑み、砕け散っていった青年たちが、僕の魂の親友達だった。.もうすぐ、平成が終わる。この時代は、アーカイブされ、人々の記憶の片隅に配置され、圧縮された記憶が展開されるのは、歴史学者の仕事となる…...もう今の時代の方々とは、十分に話をしてきました。100年後、1000年後の方に、メッセージがあります。. 「人間の本質はなんだろうか…」.その問いかけに、あなた方の時代にはどんな言葉が返答されますか…できれば、僕はその答えを垣間見たいです。.今まで、たくさんの立場の人々と、このテーマについて話し合ってきました。これほど重すぎるテーマなのに、僕の手元には、1000通を優に超える<小さな哲学者>からの言葉が寄せられました。皆この事件を自分の事のようにとらえ、感じて頂けた言葉が綴られていました。.ここに再現できればいいのですが、それも難しいことです。.僕の思索は、現在過去未来に飛び回ります。今はおそらく生きているうちに到来するであろうAIに支配される時代の事と、その後の人間のありかた、存在価値…についての模索.より優秀な人材を選別する遺伝子操作とゲノム解析による選別…そうした支配層の「抗えない欲求」の末の世界に訪れる、超人の世界と機械人間の世界…しのぎあいながら、優劣については、圧倒的な差を見出され、自分たちの手で自分たちを除外し始める人間の姿…それが性なのだろうか、その姿が100年後には結果として現れているはずです。.そうした世界が、僕たちの存在をどの程度受け止めているのか…想像すると、暗く感じられます。破滅を予言した人物がかつて現れ、早急に自滅していった時代の刻印を、紐解き、あなた方の時代には、どういう答えを得たのか、興味があります。...Eili ...
2019年04月27日
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「悔悟」p152,p153,p169,p170...彼の残した言葉と思考は、彼が気が狂う前なのか後なのか…も知っておきたい。僕はまさに今、文献哲学の巨匠であるニーチェやドストエフスキーの取り組んだテーマよりも遥かに生々しく深遠なテーマに触れているという気がしている…この課題は、麻原の置き土産なのか、不始末ともいえる惨劇の放置の中に一人取り残された元凶として彼がポツリとそこに存在しているかのような…圧倒的な孤独を感じる。.彼はこう主張しているに等しい….私はマインドコントロールされて、この事件を起こしたのではない…それは救済だと認識していたのだ、と。騙されていたとも思っていない、思考停止もしていない…深く落とし込むことが出来てしまったのだ…と.教祖はこう述べ(p152,p153)、しかと救済の目標を掲げ、その課題の意図を述べたのだ…ともちろん、それはその後の自身の犯した罪で苦しむ被害者の慟哭を耳にして、爆死するほどの後悔の念に滑落してゆく事になるわけだが、彼はそれを正直に誠実に告白することで、事件の動機に関する真相究明に、寄与するつもりだったのだ….彼のこの気迫は凄まじい….嘉浩君の独白と悔悟にも鬼気迫るものがあり亨君のストイックすぎる沈黙にも、その無念さの深い色に眩暈がしそうでおぼれそうになる。広瀬さんの分析は、精神の中枢にある骨髄から髄液が滴り落ちるほどの苦痛を伴っての、告白なのだ….こうした取り組みを、嘉浩君も亨君も横山さんも林さんも、できずにいた…言葉にできぬほどの「理解不能の世界」であるために、避ける避けないではなく、で・き・な・い のだ。己の犯した罪の大きさと被害者の苦しみを背負った時点で、火に焼かれるほどの精神状態になるわけだから…弁明はすべて「言い訳」にしか響かず、嘉浩君の言葉などはほぼすべて、正直であるものであるにもかかわらず、「情けないもの」として悉く葬り去られていた。.事件に関与することなく「かろうじて」救われた同列の幹部信者は、この課題の考察と分析から、遠ざかった。.そして、それをすべき責任は、教祖であった麻原にあることは言うまでもない。言うまでもないのだが、それを誰もしないので…広瀬さんは、それを独り背負ったのだ。.「私は思考停止などしていない…ちゃんと己の頭で考え、落とし込み、そこには教祖なりの理論が存在し、それは当時の自分を納得させており、他の同列の幹部連中もみな、そのように受け止めていたはずなのだ…!」と…そこに誰一人彼を知り、彼を分かるはずの朋友達が、名乗りをあげなかった….この圧倒的な孤独をなんと表現したらいいだろう….その時、隣にいる「同じ境遇」の「同じ理解をしていた」と思われる朋友が、沈黙を貫き…見ていたはずのものを見てはいなかったのごとく、「思考停止した…」と表現した際に、見捨てられてしまった…とまで感じてしまったであろうことは疑いがない….ただしかし、そこまで神のごとく麻原の像を捉えていた人は、いたのだろうか…それは固くなまでの広瀬さんの信仰の彩であり、「他の信徒たちもそうであったに違いないのです」という発言が、虚しく空を切って手ごたえを失う….おそらく、この分析は、限りなく真相解明に近い段階まで肉薄しているにも関わらず、後のない他の実行犯の境遇でさえ、それを認めるわけにはいかぬほど恐ろしい領域の心理分析であり…不明瞭な心のよりどころのなさに、弱々しく顔をそむけるしかないものであったに違いない。.そして、広瀬さんと豊田君の教祖に関する捉え方の違いは、「神のような完全な人」という広瀬さんの認識に対し、「神のよう意識の及ばないうかがい知れない人」と捉えていたであろう点であり、同じようでいて、この認識は信仰において大きな差異があり、不安にさいなまれていた亨君の心情を僕は感じてならないのです。。。.~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~「なぜ教団が事件を起こしたのか、知りたい」.被害関係者のこの慟哭を、B弁護団もBも直接聞いているはずです。それを考慮すると、Bらの「思考停止」の主張が妥当なものか、再検討を要するかもしれません。Bは前述のように、麻原からの指示の目的・結果を考えて(あるいは知って)いました。これは動かしようのない事実であり、証拠の上でも明らかです。.「悔悟」 p169 広瀬の言葉~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~...Eili ...
2019年04月02日
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.平成の時代はアーカイブされ、新しい時代の始まりを意識させる。。綺麗に移行できているのかどうかは分からないけど、様々なものが終わり、心機一転。.素晴らしいものも、悲惨なものも、記憶に焼き付きながら、過去のステージに追いやられ、新しい風がまたふきはじめるんだろう。.時は静止することなく、私たちは、立ち止まれない。...Eili ...
2019年04月01日
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p149~p170 p203.彼の生死をかけた貴重な分析でもあり、とはいえそのまま受け入れるわけにもいかない繊細で深遠なテーマしかも、ここには、豊田亨君の存在が大きく関与していた….平成も残すところ1か月という時期に、最も重いテーマを投げつけられてしまった…...第三章第二節.まず、論点としてマインド・コントロール下の心理状況についての分析があり、Bさん=つまり、豊田君の弁護団が用いた弁護方針に疑義を提示するという、大胆な内容になっている。この背景には両者の弁護方針に食い違いもあり、3人同時に法廷で裁かれるという異常さもあり、広瀬さんは豊田君の弁明の仕方を、じっくりと「批判」しているのである。.彼の沈黙はの姿勢は、彼の誠意の弁明に沿うものはなかったのか、広瀬さんの精神を追い込んでいったのかもしれない。亨君の沈黙に耐えられなかったのは、僕だけではなかった…当事者である広瀬さんは気が狂わんばかりだったのかとも思う….僕は、この章は胸騒ぎをおこさず読み通すことはできなかった。.これは、豊田弁護団への批判という形をとりながら、亨君本人へ向けられたもので、広瀬さんにとって、「彼にしかわかってもらえない」切実な訴えだったのだ。そしておそらく、彼は、亨君に裏切られた…とまで感じていたかのような内容だった。.そして、それは、本来であれば、教祖が背負い、弁明していかなければいけない事を…広瀬さんは、それを背負い、私は教祖のヴァジラヤーナの教義の意義を深く理解し、同意し、違和感なく受け止めていた…つまり、救済だったのだ…との認識を示すことで、真実の解明を志すというものだった….それをする機会を奪ったのだ…とまで手厳しく追及する。.彼のこの血のにじむ回心を嘉浩君も嘉浩君流のやり方で示すわけだが、彼は部署も任務も違う。亨君は、いわば実行犯としてもステージにおいても同格であるために、広瀬さんにとっては、当時の信者の心情を示す段階において、これほど同様の境遇にあったものはなく、彼がヴァジラヤーナ教義という、凶悪で恐るべき思想の落とし込みについて、自分の心情を吐露した時に、亨君は、思考停止を訴えたことに、腹を立てているのだ….あの静かな面持ちの広瀬さんが、彼の姿勢に我慢ならなくなるのは、おそらくじわじわとだろう…最初の数年しか傍聴に耐えられなかった僕は、この彼の心情の変化を捉えることができなかった。その後、彼にこれほどの重しと、おそらく、亨君には強いやるせなさを感じ…報われない感じまで起こしていたことが予想できる。.それは、ディープすぎるテーマだった。サリン散布の目的、動機に関するものだった.広瀬さんは、ひとつ亨君の事を誤解…買いかぶりすぎている側面がある。僕は、嘉浩君と亨君の弁護側証人として出廷までしている…しかし、接点がそれほどでもなかった広瀬さんのものは…できなかった。.今ここで、当時の広瀬さんの苦しみを解きほぐすことはできない…しかし、これだけは言える…広瀬さんほどではなかったのだ、豊田君は。...89年3月31日に出家し、教祖からヴァジラヤーナの教義をふんだんに聞かされ続けていた広瀬さんと92年93年頃(正確な日を失念してしまった)に出家した彼とでは、その洗脳の度合いが異なる。僕は、亨君が在家時代である91年11月頃に発言した言葉が頭にこびりついている。.「とても、彼ら(先達の出家修行者)のようにはいかないですよ…」「私は、今生は、在家で十分です…」という超控えめな姿だったのだ。在家信者にとって、出家信者の焦燥感は、一種引き気味で、そこまでは埋没できない苦悩を僕も豊田君も感じていた。...その後、嘉浩君や野田成人の強い勧めで、教祖のシークレット・ヨガを受け、そのまま出家してしまった…と聞いている。強烈なオルグで強引だったことは疑いもないだろう….広瀬さんのように、教義を落とし込み、感動し、親も大学の教授たちも入信を勧めるような活動はしておらず、亨君は、内緒…秘かに自分のペースでヨガがやりたかっただけなんだ。だから、ご両親は、彼が宗教やっていたことも出家したこともどこにいっていたのかも最後まで知らなかった….ある時、行方不明の息子が、変わり果てた姿で、TVに出ており、サリン犯となった事を知るのである。.ヴァジラヤーナ教義を、心底落とし込んでいたなどとは、到底考えられないんだ。.あの時、そうヴァジラヤーナ決意がサマナに配布された当時、僕が第九サティアンの麓で、彼と長々と話し合う際に、彼に問い詰めたのは僕だ。「ヴァジラパーニ師長は、これをどう思うのですか?ヴァジラヤーナを…こんな過激なもの信じられますか?」と.その時、彼は彼なりの理解で僕を説得しようと試みるも、それは叶わず、「私にもヴァジラヤーナな教義は、深遠すぎ深く洞察できるものではございません…」との趣旨を述べていた。「時代はカーリ・ユガ、我々の通常の認識で救済できる時代ではなくなってきた」.だから、p159 にあるような疑義、亨君に対しての心情は…救済だからやらなければ…という圧力下において、行為として負けるものの、だが、しかし、心情においては、広瀬さんが感じるほど落とし込めぬ上での犯行だったと僕は思うわけです。。。.その残酷さが、この事件の実行犯に襲い掛かった悲劇だと僕は感じています。...Eili ......
2019年03月31日
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.東京は、少しひんやりと冷え込み、曇り空であるものの風は一切なく、まるで静止した絵の中にいるかのような、静かな春の彩りが感じられる。.昼間であるにも関わらず薄暗い灰褐色の空に淡いピンク色の桜の花のコントラスト.それは、あまりに繊細で、空と地上とがかろうじて識別できる程度の色の差異しか感じさせない。.そして何よりも風がないために、時間が止まっているかのような錯覚に陥る。....僕は豊田、広瀬、杉本被告の公判には何度もあしげく通っていたので、広瀬さんの事がやはり気になる….一度精神崩壊をされてしまっていて、その後復活したようだが…でなければ、あのような冷静な分析による手記などかけはしない…それがいつ頃なのか、どの程度のものだったかを想像できない。.麻原にはできれば出会いたくはなかった…彼の半生と僕の半生もかぶってゆく。時期がずれていたことが僕の救いだったのか、それとも、麻原との直接の縁が強すぎる彼の不幸なのか…彼も餌食になってしまったことには変わりはない。..明晰な分析が出来る方だ。頑なな印象はあるものの、それはある意味僕ら全員がそうであったわけだから、彼の内省に違和感はない。しかし、彼はそれでもとびぬけて真面目な方だった事を知る。.彼は帰依の駒を、更に一歩、更に一歩と進めている。(僕は、それができなかったのだ…)(豊田君だって、正直広瀬さんほどには落とし込めなかったはずだ。)(豊田君は92年か93年、僕は94年だし、広瀬さんとほど長くは麻原思想に汚染されていない)深い理解に落とし込むために、体感的な事実を裏付けにして、無理難題な教義を自身に落とし込んでいこうとする。.この表現は秀逸で、嘉浩君の内省とはまた一味違った深淵にたどり着こうとしている。本音を言って、今僕自身の精神状態はあまり余裕がなく…彼の冷静な<悔悟>につきあっていけるだけの胆力があるかどうかは不明だ。だが、頑張ってみよう。....広瀬さんの、主眼となるテーマが「生きる意味」についてだったために、僕は彼の手記を手に取り、まず面食らった。元を言えば、僕はこの「生きる意味」のごまかしのない徹底追及の末に、喪失感と虚無感、空虚感を招き、学生時代日常生活が破綻し、精神科に通院する毎日だった背景があった。広瀬さんの体験した精神状態は、痛すぎるほど理解できる….僕は自分の手記「オウムからの帰還」にかけなかった逸話がある。.学部三年時にこの症状は深刻で、単位をすべて取っているにも関わらず、僕は留年して通院する。嘉浩君に出会う1~2年前だ。この時に主治医の精神科医の方に言われた言葉は、こうだった。「…もしかしたら、あなたは宗教的なものが起因かもしれない」「宗教的な鬱に陥っていると言えそう」.むしろやんわりと、宗教に関心は示せないのかしら…とまで進言されていた。.「それで解決する若者を知っている…年のころはそう、あなたのように 22~23歳の方が陥る症状」.僕は、その頃はまだ宗教に低俗な誤解を抱いており、僕はずっと哲学的かつ科学的な真理探究になると思っていた。.僕は一年にわたる通院で回復の見込みがなく、入院を勧められた…だが僕はこの申し出も、何の解決の見込みもないものとしてしり込みしており、焦燥感に襲われていた。.その時、処方されていた睡眠導入剤を備蓄しており、それを一気に飲み干すという生と死の賭けに出た。…激しい頭痛と嘔吐下痢によって、試みは失敗する。後には引けなくなっていた。入院を断るための唯一の道は進学だった。.運よく院の試験だけはこなし進学したのだった。モチベーションは、奇跡的に降ってわいた天文学への道だ。折しもその頃、自分の所属する地質学科に、異質の地球物理学者が赴任してこられ、いきなり野辺山天文台での研究への道筋を作ってくれたのだ。僕は、その後、天文台の実際の職員の方々、研究者の方々と研究し、実質的には大学を飛び越えていきなり「本物の学問」の道へと分け入ってゆく。野辺山天文台で見せられた 赤方偏移(※)は、僕の初めての神秘体験だった。.これでかろうじて、一旦は救われたんだ。僕の場合。でも、この「生きる意味」への問いかけは、いわば真理への問いかけ、そう簡単なものではなかった。その存在の意味の喪失と渇きは、再び襲い掛かってくる事となる。.※ 赤方偏移は光の波長が伸びて観測される現象のこと。いわゆるビックバンの観測的事実とされる現象の事。天体現象において赤方偏移を生じる状況は3つに分けられる。 第一には天体がわれわれから遠ざかる運動をする場合に,音の場合のドップラー効果と同様に、光の波長が長くなる現象。...~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ウイリアム・ジェイムズの宗教的心理学によると人は、人生のあらゆる価値に対する欲望が失われてゆく憂鬱状態から、心休まることのない問い…生きる意味に対する…に駆り立てられ、宗教・哲学に向かうとされています。また、この「宗教的憂鬱」はしばしば、突然の宗教的回心によって解決されるとジェイムズは指摘しています。「悔悟」 P200~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~広瀬さんは、ご自身の状況を、これと一致している、とそれは、僕も同様でした。切実なほど。...Eili ...
2019年03月30日
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~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~この記事は、思いがけないコメントにより、あらぬ方向を恐れ、一旦削除してしてしまった記事ですが、僕の24年来の究極とも言える最重要なテーマとなるため、復活させることにしました。僕の生きてきた中で重要なひとときであると同時に、日本の歴史の一幕でもあると感じています。~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~...先日、嘉浩くんのお父さんにようやく会うことができ、ご挨拶をすることができた。証人出廷後、22年ぶりだろうか…当時は何度も法廷では会っていたのだけれども、休廷の僅かな時間しか声を掛ける機会もなく、また、語りかける言葉とて、言葉を失うほどの事件…何を話したのか記憶にはない。.当時は、それでも気丈な面持ちで、証言を傍聴していたと思う…表情は固く、引き締まり緊張が抜けない、そんな感じだった。.二十数年の時を経て、改めて対面すると、目元にそれまでの歴史が刻まれていた。驚くべき証言を聴き続け、世間からの非難を浴び続け、息子からの悔恨の手紙を受けとめ続けた父親…何という深みだろう…その柔らかな面持ちと苦悩を受け止め続けた瞳に、世間に向けられた贖罪の気持ちと、息子に対する慈愛が宿されれているようだった。.僕がしたためていた手紙・詩は、嘉浩くんの仏前に供えられているらしい…そして、僕を通じて嘉浩君にメッセージを下さった方の言伝も、供えてありますとのこと….僕は、年末年始たくさんの事象に見舞われていて、うまく言葉を落とせなかったのだけれども、地下鉄サリン被害者のご家族の方から、僕と嘉浩くんへ向けて語られたメッセージがあるんだ。。。.それを是非、お父様に伝えたくて、それをお伝えすることができました。.被害者から加害者への言葉…なんと重く、身の引き締まる…それでいて、なんという憐れみ深いお言葉なのだろう…この23年間に渡り、極端に引き裂かれてしまった人達をつなぐ言葉が存在する…それだけで、僕は救われる思いがして、胸が熱くなった。.本当に、本当に、ありがとうございます…...Eili ...
2019年03月30日
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.平成もそろそろ終わろうとしている。やり残したこと…平成に背負ったテーマは重すぎた。この時代は昭和に比べればまだ平和だったはずなのに、自分の場合はそう感じ取ることはできない。.広瀬本、この時期に、実にディープで書評を書けるレベルではない。この時代、この国に、これほどの傷跡と記憶の刻印をしたものはない。.今後、回想を交えてつぶやくかもしれないが、わからない。.平成最後を締めくくるうえで、しておきたいこと….まずは、これを振り返り、この空間に示しておきたい。...~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~犠牲になった人たち、そして加害者となってしまった人たちの、壊れてしまった心をつなぎ合わせるために、僕に一体何ができるだろうか。いま、僕は自問自答を繰り返しながら、ただ立ちつくしている。僕のなかでは、いまだ何も終わってはいない。.「オウムからの帰還」あとがき 1996・2・26~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~.たとえ現実にはその境遇に立たされなかったとはいえ、彼の境遇を想像することなく生活をすることなど不可能になってしまった。僕という人間は「ぎりぎりで生かされて」いる存在でしかなく、「かろうじて許容されている」に過ぎない存在などだ、ということに気づかされたのだった。この時から、僕の中に、どっしりと重い「沈黙」がしんしんと降りてきたように思う。...これだけの事件を起こし、その引き金を引いてしまった「師」たちの事を、しかし僕は事件の結果だけから悪く言うことがどうしてもできない。彼らはむしろ、全く反対の方向に歩んでいた人たちだったのだ。.「オウムからの帰還」文庫本へのあとがき 2011・12~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~...Eili ...
2019年03月30日
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.もううまく言葉が落とせなくなってきてしまった。がんばって書き留めておきたい記事がいくつかあった。.向き合えない…のだろうか、そんな事はなかったはず。向き合うべきではない、という示唆だろうか…そうかもしれない。.このままだと書けない。.バランスは大事?…それはそう現実世界と遊離してる?…そうかもしれない。いや、かろうじて地に足はついているはず。仕事は決して休まない。人と会いたい?…渇望。いや、もう会いたくはない。.自問自答.3/20 以前に書きたかった記事が書けなくなり、激しく自己嫌悪もう機会を永遠に失ったから….それ以降では、時代が異なる通り過ぎる言葉を拾い上げることができなかった。...季節は春の訪れ待ったなしで訪れる否応なく変化してゆく.春の嵐春の気候この不安定さが、身に染みている...世界の事象が、体の中を通り抜けてゆくような感覚散逸した意識...出版されたばかりの広瀬さんの手記を読みふける。意味を求める病….僕と同じ症状の彼が綴った手記だ恐るべき手記...彼と僕の人生の展開は天と地ほどの差があるが、僕と彼の虚無的意識は根底が同質のものであり、物理的にも、彼の第六サティアンでの小部屋は僕の斜め向かい、距離にして 1m くらいだった。この寡黙な青年は、うつむき加減でいつも何かを思念しているような…そんな感じだった。極めて高度な集中力、場合によってはそれは強烈な視野の狭さでもあり、ひた向きさでもある。それは科学者の風貌でもあり、僕はそうした人種に囲まれていた。サンジャヤ、ヴァジラパーニ、ゴーサーラ二人は刑死、一人は廃人となった。...いけないな….桜だ…桜が咲いている...すぐに散ってしまうだろうが、今は考えるべきではない。.....Eili ...
2019年03月29日
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無明.拒絶.孤独.鍛錬.集中.信仰.裏切.絶望.悔悟.刑罰.死.恩寵...Eili ...
2019年03月25日
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