― 碧 虚 堂 ―

― 碧 虚 堂 ―

真夜中と真昼の夢








お前は誰かの為に振り返ったりしない


ただ ひたすら前へ前へ―――


傍にある誰かの手の温もりすら忘れて


だから俺はお前を繋ぎ止める為に 少し卑怯な取引をする







『真夜中と真昼の夢』





 ―――はっきり言って、コイツの考えてる事は全くもって理解出来ない。

 「なぁ、賭けをしようぜ」

 「――は?」

 今現在も得体の知れない話を、このコックは持ち掛けて来やがった。




 ナミの故郷・ココヤシ村を出港してから数日後、麦わら海賊団のメンバーは海軍や他の海賊船に遭遇する事もなく、順調に航海を続けて

いた。

 ある日の晩、今更ながら新しい仲間が加わった祝いや、これから未知の “偉大なる航路 ”に突入する前の景気づけだと称して宴会が

始まったのだった。

 ゴーイングメリー号の甲板に船長のルフィを始め、ゾロ、ナミ、ウソップ、サンジが集合する。

 夜とはいえ、空には綺麗な満月がくっきり昇り、昼間のように明るかった。

沢山の豪勢な食事や酒が、宴会の為にと床に並べられる。最初にメンバーがそれぞれ手に酒を持ち、『乾杯』を告げた後は各々に酒を

飲み、食事した。

 乾杯をしてから数十分後、酒の入った席でメンバーは示し合わせた訳も無く、一人ずつ自分の夢を語り出した。

 先頭を切って口を開いたのは船長のモンキー・D・ルフィ。「海賊王になるんだ!!」と、自信たっぷりに叫んだ。

 剣士のロロノア・ゾロは「世界一の大剣豪だ」と、言葉少ないながらも静かに語る。

 航海士のナミは「世界中の海図を書きたいの」と、話す。しかし、「あ、それとお金持ちにもなりたいわ」等と付け加えた。

 狙撃手のウソップは「勇敢なる海の戦士になるぜ」と、息巻く。そして「これは嘘なんかじゃねェんだ!」と、何度も繰り返した。

 最後に、コックのサンジは「オールブルーを見つけてやる」と、笑みを浮かべた。

 それからメンバーは笑い合い、大騒ぎを繰り返す。とっぷりと夜が更けた頃、甲板にはゾロとサンジが変わらず酒を飲んでいる姿が

あった。

 ナミは早々に飲むのを切り上げ、部屋に戻っていた。元々、酒に弱いルフィとウソップは飲むと言うよりも食べるのが優先で、満腹に

なると寝こけてしまったのだ。ゾロは「しょーがねェな…」と文句をたれながらも、二人を男部屋に放り込む。

 そして、サンジは黙々と自分の隣で酒を飲むゾロに、ある提案を促したのだった。




 「オイ。コラ、聞いてんのか?」

 「……ああ」

 自分の顔を覗き込んでくる相手にゾロは少したじろぐ。

 相手ことサンジはかなり酔っている様で、顔は真っ赤になっていた。さっきから飽きもせず、ペラペラ喋ってはいるものの、呂律はおかし

いし、目も虚ろだった。

 片手には酒の入ったグラスを持っているが、オーバーアクションをしながら話しているせいで、殆んど中身が零れてしまっている。もう片

方の手には毎日、何十本吸ってるかも判らない程に手放せない煙草があった。

 今夜の不寝番を務めるゾロとしては一人で静かに酒を飲んでいたかった。しかし、そんな時に限って、自分の希望は叶わない。

 ゾロは宴会当初、行儀良くグラスに酒を注いで飲んでいたが、段々と面倒になり、酒瓶に口を付けてラッパ飲みを始めた。酒好きのゾロ

にとっては、まだまだ量の内ではなく、酔ったという感覚は未だに訪れていなかった。

 (コイツは…喋ってねェと窒息すんじゃねェかって位によく喋りやがる……)

 そんな訳で、目の前の酔っ払ったサンジを見ながら、ゾロは冷静にそんな事を考えていた。

 (そのクセ、こっちが相づちしか返さねェからって直ぐに怒るし、面倒くせェ)

 ゾロがウンザリしている中、今度は話の先が見えない話題をサンジが振ってきたのだった。

 酔っ払いの相手など、煩わしい以外の何モノでもなかった。ルフィ達と同様に、早く酔いつぶれてしまって欲しいなどと考えたりする。

 ましてやコノ迷惑な人物はサンジなのだ。


 ゾロとサンジは初めて言葉を交わした時からウマが合わなかった。

 顔を合わせれば先ずは些細な事で口喧嘩。それが発展して殴り合い、取っ組み合いの喧嘩も数え切れない程していた。

 兎に角、『本質』から違うのだ。

 生まれた場所や生きてきた環境や境遇、思考や性格、それらが二人の仲の悪さを一層、際立たせていた。


 「どーせ、この船ん中の楽しみなんざ、ナミさんの笑顔と、ガキ共からかう位だろー?」

 サンジはケラケラ笑いながら咥えた新しい煙草に火を点す。

 ガキ共とは年下のルフィとウソップを指している。しかし、サンジはそのガキ共とよくつるんで馬鹿騒ぎをしている姿をゾロは何度も目撃し

ていた。

 最終的にはナミに一喝入れられて事態は終息する。

 ゾロは「てめェだって充分にガキだろうが」と、言いたいところだったが、喧嘩にでもなったら面倒なので言葉には出さなかった。

 サンジは話を続ける。

 「だからよ、俺がオールブルーを見つけんのが先か、てめェが大剣豪になるのが先か、賭けてみねェか?」

 「………」

 詳しく説明を聞かされて、ゾロはやっと意味を理解した。

 嬉々として語るサンジの表情にゾロは溜め息をつき、

 「アホか」

と、口が出た。

 自分の大事な夢を、そんな下らない競争などに賭けるつもりはゾロには全く無い。

 しかし、それを無視するかのように、サンジは話を進める。

 「勝敗の決め方はまぁ、先に夢が叶った方が勝者で当然だな。負けた方はやっぱし勝ったヤツの言う事を何でも聞くって王道パターン

だ」

 「!?ちょっと待て!」

 「何だ、豪華賞品は別の物が良いか?」

 「だから、その前に話を勝手に進めんな!」

 互いに賭けをしよう等と言うクセに、スラスラと話を纏めていくサンジにゾロは一瞬でも口を挟む猶予を求めた。

 「大体、俺はまだ賭けを承諾した憶えはねェぞ」

 「本当に、つまんねェ野郎だなぁ。もう怖気づいたのかよ、クソ剣豪」

 酔っていてもサンジはゾロを挑発する術を知っているようだ。

 ゾロは直ぐ様、頭に血が上る。

 「ああ!?てめェなんかに負ける気なんざ更々無ェ!」

 語尾に力一杯ドスをきかせて言い切った直後、ゾロはハっと我に返り、

 (これはいつものパターンじゃねェか……)

と、顔を顰めた。

 いつものパターンと言うのは、ゾロとサンジが繰り返している喧嘩の前触れである。

大抵、どちらかが「お前には負けない」等と言うと、「俺だって」と、相手も挑んでくる。まさに『売り言葉に買い言葉』なんて言葉がしっく

り来る。

 どちらも負けず嫌いで、どちらもまだまだ子供だとは当事者の二人以外は重々、承知していた。

 メンバーと酒飲みしながら馬鹿騒ぎをして気分も良かったのに、また下らない喧嘩でお開きになるのか、と思うとゾロは一気に気分が萎

えた。

 取り敢えずはコックが怒って喧嘩を仕掛けて来るのを待っていた。

 しかし、サンジの返答は予想と大分、違っていた。

 「てめェなら、そう言うと思ってたぜ」

 「―――」

 サンジの声が静かに響く。ゾロは少し驚いていて相手の顔を見た。顔は真っ赤で酔ってはいるが、急に正気に戻ったかのような口振り。

 喧嘩になると踏んで構えていた肩から力が抜ける。

 「なら、良いじゃねーか。俺だって、てめェなんかに負けるなんざ微塵も思っちゃいねーよ」

 コックは殊更に笑う。

 いつもと違うリアクションにいぶかしみながらも、ゾロはまた一つ溜め息をつく。

 「大体―――」

 「ん?」

 「大体、その時まで俺かお前か、この船すら一緒なのかも分かんねェのに、か?」

 「………」

 ゾロは少し言葉を含んだ言い方をした。

 ―――それはいつの日にか、必ず訪れる出来事。

 この船を離れ、仲間と離れる運命があるかも知れない事を物語っていた。

 今でこそ、麦わら海賊団はルフィと言う船長の下に集った『仲間』だ。

 気の合う仲間、同じ思い出を確かに共有する仲間。だが、叶えたい夢はそれぞれ違う。

 夢を叶えて船を降りる者、夢の為に別れを告げる者、それを止める権利は船長のルフィにすら無いのだ。最悪、これから入る未知の 

“偉大なる航路 ”で命を落とす可能性だって十分にある。

 『海賊』であるからこその危険も、仲間だからこその別れもあるのだ。

 「ここの連中は気に入ってる。出来れば、自分の夢を果たすまでこの船を降りるつもりは無ェが、何かしらの理由で離れる場合だって

幾らでもある」

 ゾロは淡々と自分の意見を口にする。

 言いながら、自分の台詞に苦笑が湧いてきそうだった。

 今まで、仲間と呼べる相手が居なかったな、などとフト思う。つるむ仲間など必要無いと昔のゾロは思っていた。


 それは人を斬る感触を知った時からずっと感じていた。

 人を一人斬れば、悲しむ誰かが必ず一人分、存在するのだ。二人斬れば二人分。斬った人間の重みを知った。

 強さを求めると、相応の人の重さを実感した。

 そして、大事な仲間を失って悲しむ自分も。

 実を呈してまで助ける、助けられる仲間など、邪魔以外の何者でもない、と。

 しかし、麦わら海賊団のメンバーは違った。

 それぞれが自分の為に戦っているのだ。自分だけの夢を追い駆け、その中で自分たちは共存しているだけだ。

 常に対等の立場で居る存在が『仲間』なんだと、ゾロは改めて思い知らされた。

 サンジの方は見ずに手に持った酒瓶に視線を落とす。

 決して、冷たい物言いをしている訳ではない。

 この船は、この仲間達が居る場所は至極、居心地が良い。

 だが、何かに執着し過ぎて自分自身が夢を捨ててしまった時、それを言い訳にする事だけはしたくない。

 言い訳も後悔も、人を弱くしてしまう。

 自分の夢は子供の時から、ただ一つ―――。



 「そんな曖昧な――」

 「………曖昧だからこそ」

 話の途中でサンジが口を挟んだ。

 先程のヘラヘラした口調が消え、いつもより低い声で静かに話し出す。

 「だからこその賭け、だろ」

 サンジに目をやると、ゾロと同様に視線を下に落としていた。

 しかし、その表情はまるで、今にも泣き出しそうだった。

 ゾロは再び驚いた。こんな顔をするサンジを見た事が無かったからだ。

 いつだって、笑って、怒って、そんな顔しか見ていない。

 ゾロの視線に気付いたサンジはハっと顔を上げ、みるみるいつものへラっとした顔に戻る。

 「んな重っ苦しく考えんな。これだからクソ真面目な剣士サマは頂けねェ」

 鼻で笑うような口調。

 (……こいつの調子にはつくづく付いて行けねェな)

 ゾロは繁々とそんな事を思っていた。

 サンジは船長のルフィがクルーにしたいからと、バラティエと言うレストランからスカウトしてきたコックだった。

 料理の事となるとやたら五月蝿くて、そうかと思うと女の尻ばっかり追い駆けている。

 ゾロとは正反対の性格。

 そんなヤツと同じ船に乗ってサシで酒を飲む日が来ようとは、世の中はまだまだ不思議な事もあるなと、ゾロは生真面目に考えていた。

 だが、アーロンパークでのサンジの闘い方を見て、ルフィが連れて来ただけの事はあると感心した。

 夢の為に住み慣れたレストランを離れ、このゴーイングメリー号に乗り込んだ決意も。

 料理や女の事だけではない、自分の夢をしっかり見据えている人間なんだと。

 「約束なんて重いモンは要らねェ。破ったら腹を切れなんて言い出しやしねーよ。コロっと忘れたって良いんだぜ?こんな酒の席だ。

楽しく美味い酒が飲める肴だとでも思ってくれりゃ、それでいい」

 (約束………)

 ゾロが約束を交わした相手は一人だけ。

 必ず、『世界一』になると約束した。

 脇に置いた一本の刀を見る。今、ゾロの傍らに有るのは親友の形見だけだ。

 スっと親友の顔が頭をよぎり、ゾロの口端に自然と笑みが浮かぶ。

 (只の賭けなら構わねェか)

 「俺が勝ったら……」

 「お、ナンダナンダ?」

 漸く自分の話に乗ってきたゾロに、サンジは興味津々とばかりに身を乗り出す。

 「酒だな」

 「酒?」

 サンジは首を傾げる。

 「酒をタップリ奢って貰おうじゃねーか」

 ニンマリとゾロが笑う。

 「お前は……本っ当に酒が好きだな……」

 その顔にサンジは呆れた風な表情で返す。

 直後、徐にサンジが立ち上がった。吸い終わった煙草の火を靴底に押しつけて揉み消す。

 そして無言のまま空になった皿を数枚手に持ち、キッチンへと繋がる階段を上り始めた。

 「あ、おい!」

 何も言わずに立ち去ろうとするサンジの後ろ姿にゾロは慌てて、声を掛ける。サンジは少し足元がフラついた、酔っ払いの仕種を見せる。

 「んー?」

 返事は何とも素っ気ない。

 「お前は何、賭けんだよ?」

 人に賭けを持ち込みながら、自分の『豪華賞品』を明かさないつもりかと、ゾロは相手を睨んだ。

 「ん~~、そうだなぁ…………思いつかねェ」

 「は!?」

 予想だにしなかった返事に、ゾロは間の抜けた声を上げる。

 「ま、そん時までには考えといてやるよ」

 (そっ、そん時っていつだ?てめェからフッかけといて!?何なんだ、コイツは!?)

 ツッコミを入れたいポイントが何ヵ所もあったが、言葉にならず、ゾロは唖然としてしまった。自分から話を持ち掛けておいて、飄々と

交わす態度。流石に気が抜けてしまう。

 そんなゾロの顔を見て、サンジは然も面白そうに顔を綻ばせ、

 「片付けすっから食い終わった皿、こっちに運べよ」

 なんて、ゾロに指示する。

 「…お、おう」

 ゾロも何とも素直に応対してしまった。



 バタン、とドアの閉まる音がして、サンジがキッチンに姿を消す。

 途端、ゾロは無意識に盛大な溜め息が出てしまった。

 ポツンと一人、甲板に残される。

 サンジに完全にからかわれた様で、後味がとても悪い。

 (やっぱし、あのコックはよく分かんねェ……)

 やっと一人で飲める事にホっとしつつも、先程まで隣で五月蝿かった相手の事を思い出してしまう。

 加えて、泣き出しそうだった表情も。

 あの表情の意図は掴めない。何を想っていたのかも。

 賭けなんてくだらない事を承諾してしまったのは、あの泣きそうな面を見たせいか―――。

 (……自分にゃ、関係無ェだろ)

 そう思い至って、右手に持ったままだった瓶の酒を一気に煽る。

 いつの間にかカラカラになっていた喉を酒が潤していくのを感じた。

 少し肌寒い海風が心地好く、ゾロを掠めていく。


続く




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