Day3:2004年12月31日


肉体の変化:相変わらず動きが軽い。手足、身体が暖かい(こんな雪の日だったのに。)外出先でとてもお腹が減ってついたいやきを買って食べたら急に熱が発生されるのがわかった。身体の変化に敏感になった?
精神の変化:うちが明るい。両親のしてくれたことに簡単に「ありがとう」と言えるようになった。きもちも軽い。
できごとの変化:助産院にいくとき、ちょっと家をでるのが遅くなって約束の時間におくれるかな、と思ったら道がすいていてバスがとても速く走れた結果間に合った!昨日友人にもらったブランケットはピンク地にうさぎの透かしの入ったとても可愛いもの。うちの下の娘の外出着はピンクのうさぎ。おそろいシンクロだ!と気が付いた。家族でTVを見ているときに、感想をいおうとすると同じことを主人に先に言われることがふだんより多かった。そして、私が思ったことをいうと「おれもそう思った」と主人に言われることも同様に多かった。
助産院にいるときに予定日よりかなり早いのにおなかがいたい、という電話が入っていた。先生が「足、腰、肩をよーくあたためて、人を頼んででも安静にしなさいね。心からゆったりしなさいよ。」とおっしゃっていたのだが家に帰って友人のHPをみたらその友人のベビも下におりぎみだと書いて有った。助産院で小耳にはさんだ対処法を伝えることができた。

宿題3日目。
ポジションをわけてやってみた。というかやりながら気持ち良く眠ってしまった。これが皆さんのいっていたことか!少し眠って目が覚めたのでまた続きをやった。後頭部がもやーんとした。眼をつむっていても妙に明るい。白い感じ。

昔の自分にもレイキを送れると伺っていたので、試しにやってみた。
今でも覚えている、「とてもかなしかったこと」が2つある。
今日はそのうちの1つについて。
いくつのときかははっきり覚えていないけれど多分小学校低学年のとき。母といっしょに寝ていた。そして、ある朝。ふと「お母さんはこの手で、大変なのにお店をやりながら(実家は母が自営業を営んでいる)私たちを育てたりおうちのことをやってくれている。ありがたいなあ。」と思った。そして自分なりに感謝のきもちをこめて布団の中で母の腕をなでていた。すると母に「何してるのよ、気持ち悪い。」と言われた。自分では喜ばれるかな、と思ってやっていたのに「気持ち悪い」と言われて衝撃で何も言えなかった。どんな気持ちでやっていたのかの説明をすることができたのか、それすらできなかったのかは忘れてしまった。そのときの「かなしかった」自分に感謝と愛のきもちを送ってみた。
イメージはちいさかった私が出て来た。小さく丸まってしゃがみこんでいた。かなしそうだったので緑色の毛布をかけてあげたくなり、かけてあげた。そして背中をさすった。ちいさかった私の背中があたたかくなったところでなんとなく終了しようと思って終了した。また折りをみて彼女が立つぐらいまでレイキを送ってみよう。

そして、気付き。
母は別に悪い人ではなく、むしろ愛に溢れた人。ただ時々表現が極端になったり、自分のやり方を貫きたいタイプ。そういうひとなんだ、とわかったのはここ1、2年。
娘がべたべたに母に可愛がられているのを見て「そういうふうにしないで!」と怒っていたけれど。本当は自分がそうされたくて、というか、自分が親に精神的に愛され、受け入れられていると感じたかったのだ、きっと。ちいさいころの私のために。「あの頃の私は、あいされていたのだ」と感じるために。
物質的に満たされ、「やりたい」といったことは全て叶えてもらっていた。厳しく勉強させられたがお陰で希望していた進学校に進むことができた。親はそういう方法で私への愛を表現していたのだ。それはわかっていたけれど、私はけなされたり叩かれたり叱られたりではなく、身体を、心を、抱き締めてほしかったのだ。「どんなお前でもあいしているよ」と間接的でなく直接表現してほしかったのだ。何かの結果―例えば良い成績とか一生懸命勉強したこととかたくさんの賞状とかーで「だからお前を愛しているよ」ではなく。もちろん、母は普段から私をあいしてくれていたのだろうけど、悪ぶるところがあるのでストレートには表さず、素直な方法では伝わってこなかったのだ。何か良いことをしないと、と私は思っていたのだ。母に認められたかったのだ。
娘たちは可愛いけれど、なんとなく距離をとっている自分がいた。もっとあいすることができるのに、そこまでに感情が至らない自分がいた。他のお母さんと話していて「どうしてそこまで子供を愛せるのかなあ」と思ったりしていた。そして上の娘に時々、とてもきびしく接している自分がいた。たった2歳なのに。とても賢いこなので初めは「どうしておこるの?」といっていたが、最近はふつうにしていても、語調が強くなると「おこってなあい?」とよく言うようになっていた。きれやすくもなっていたこう接したら傷付くだろうなあ、と思うのに、そのように接してしまったりしていたのだ。そして自分もそうしたことに「やってしまった」とか「いってしまった」と傷付いていた。とめられなかったのだ。
でも。レイキ伝授を受けて、自分をみつめることができた。そしてきがつくことができた。今日、助産院の先生がお話しして下さったのは「理はひとつ。それは宇宙をもつつむような、ちいさなひとつぶにもいたるような、愛。ひとつなら、正しい。そして間違えない。」といったようなこと。今日の助産院の先生のおはなしとレイキとで、ひとつ自分の棚卸をすることができた。伝授後は上の娘も「だっこしてー」と寄って来てだっこをせがむようになった(伝授前はほとんどなかった。)そして私も以前より上手に娘を受け入れることができるようになった。より直接的にあいをあらわせるようになった。これができるようになっただけでもレイキ伝授を受けた甲斐が有る、としみじみ思った。
そして。自分がなぜひとより太めなのかの一因がわかった気がする。私は確実に「あいされたい」のだ。いうなれば「愛のくいしんぼう」。「ねえねえ、こんなわたしでもあいしてくれる?他のひとみたいにかわいくなくて、太ってるけど、それでもあいしてくれる?」と思っているところが有るのだ。主人とつきあいだして、「受け入れられている」と思ったからほんの少しやせたけど、結婚してきっとまた不安に思ったのだ。「こんなわたしと結婚しててもイイの?」と。そして愛をためすために、愛をはかるために太ったのだ。娘が産まれて物理的にも忙しくなってそれでやせたのもあるのだろうが、娘から受ける無条件の愛情で、確実に「あいされている」と本能でわかって満たされていっているのだろう。だから二人目の娘が産まれて、またすこし体重がおちてきているのだろう。わたしは娘たちにいやされているのだ。娘たちに、おなじことを繰り返させるところだった!
2005年は、みんなでしあわせになれるなあ。うれしいなあ。感謝だなあ。
今度は折りをみて、上の娘のネガエネを抜こう。レイキも送ろう。
よい感情の棚卸ができた、よい大みそか、新年だった。雪で穢れを落とせたのかなあ。

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