権威に弱い僕
僕の周りには、脱サラして農業に転向した人が結構いる。
凄いなあと思いつつ、彼らの話を聞いていると、違和感を覚える事がある。
恥ずかしながら、最近までその違和感の正体に気付かなかった。
彼らはほとんどの場合、意思が強く、非常に勉強家で博識、食文化を始め政治経済など
幅広く興味を持っている。気性もまっすぐで、だいたいにおいて正義漢である。
ただ共通して感じるのは、話しているうちに、こちらが しんどくなってくる
というところだ。
彼らは、フツーの人々よりも自己矛盾に厳しい。だから、何につけ「真理」を求めるために
一生懸命勉強する。
そうすると、情報はそれを求める人のところに集まる訳で、非常にハイレベルな知識を持つに至る。
まあ、そこまではいい。
問題は、その先である。
彼らは、自分達のように努力しない、自己矛盾を抱えたまま矛盾にすら気付かない人々に対して、
冷ややかで厳しいのだ。
「胡散臭くあやしい優越感」に満ち満ちた俗世が嫌で、自給自足の世界に入ったはずなのに、
今度はそこで、 「悟りを開いた者としての優越感」
を放射し始める。
どんな立場にある人であれ「他人に対する寛容さ」を持ち合わせていない人と話すのは、なかなか
苦痛だなあと思う。
そうそう、忘れてた。
何で僕が、彼らの人を見下す態度に気づかなかったかということ。
それは、最初のうち
「自分の器が小さいゆえに、彼らの到達した境地をまだ理解できないのだ」
「安定した収入を捨て、あえて農業という厳しい道を選んだ人なんだから、人間が出来ているに違いない」
と信じ込もうとしていたからだ。自己暗示って奴だ。
自分にとっての真実を追い求める事と、他人に対して寛容である事は、全く別のことであって、
後者を忘れない事の方が、むしろ難しい。
おおらかでやさしい人に、なりたい。