日々、考察中。

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松前漬け!

松前漬け!

2004/4/13
 実家に帰ったときに母親が、「これあげる。」と言いながら、僕に手渡したのは、3枚入りのするめだった。歯が丈夫だから食べられるだろう、と言う母親に、僕は素直に、「ありがとう。」と言いつつ、"まあ、酒の肴に焼いて食うか"と考えていた。
 1週間後の土曜日。
 暇を持て余していた僕の頭の中に浮かんだのは、松前漬だった。もちろんその考えは、暇と同じようにするめを持て余していたからであった。僕は車に乗り、ジャスコを目指した。購入するのは、昆布とたかのつめだ。
 帰ってきて"失敗した"と思ったのは、するめに酒を振って柔らかくしておかなかった事だった。10年近く前に1度、僕は松前漬を作った事があって、それは父親に好評だった。だから、作り方だけは確実に記憶にある。するめは柔らかくするためと、風味を良くするために表面が湿る程度に酒を振り、しばらく置いておく必要があるのだ。袋からするめを取り出した僕は、胴体と足を分割し平らな皿に寝かせた。日本酒の1升ビンの口に親指を当てながら、するめ全体に酒が振りかかるようにする。完全に乾燥しきっているするめは、見る見る酒を吸収し始めた。
 しばらく待たないとなあ、と考えている僕の視界の隅に入ってきたのは、たった今買ってきた昆布だ。よく考えれば、昆布も表面を固く絞ったふきんで拭いて、ごみなどを取っておくと同時に、柔らかくしておく必要があった。僕は袋から昆布を数辺取り出し、作業を開始した。
 それが終わると、するめと昆布待ちになった。この間にやる事はいくつかある。たかのつめの中の種を取っておくこと、大根を千切りにする事、漬け汁となる日本酒、味醂、しょうゆを混ぜたものを火にかけアルコールを飛ばして冷ます事。
 するめも昆布も、くたーっとなった。いよいよ本番だ。僕が苦労をするときがやってきたのだ。僕は、キッチンはさみを取り出して刃の部分を洗い、拭きあげた。
 ダイニングテーブルの上に並べたのは、するめこんぶたかのつめだいこん。まず立ち向かうのはするめ。胴体の部分を縦に3分割する。あとは横方向に細く細く刻んでいくのだ。1枚目の胴体を刻み終えたとき、僕の右手は硬直寸前だった。
 するめを刻み終えたのは、僕の右腕がすっかり終了してしまったあとで、左手のぎこちない動きが始まった途端だった。しかしまだ、昆布がある。僕の腕達には休養が必要だった。休養を兼ねた松前漬準備の一環は、密封式ビンの準備である。耐熱ガラスで出来た密封式ビンに熱湯を入れ消毒をする。その後水気を切っておくのだ。「あちっあちっ」と言いながら、数10分でその作業を終え、腕にちょうど良い休養を与えた僕は、ダイニングテーブル上に待つ戦場へ再び戻っていった。
 昆布は皿の上に山盛りになっていた。僕のはさみは停止する事を知らないイノシシのように、開閉を繰り返す。山になっていた昆布は、瞬く間に千切り昆布に変貌していた。
 密封式ビンの中に"するめこんぶだいこんたかのつめ"をいれた僕は、1度ふたを閉めてバーテンダーがカクテルを作るようにシェイクした。これで材料は完全に混ざった。いよいよクライマックスである。すっかり冷めている漬け汁をふたを開けて注ぎ込んだ。そして箸で撹拌する。僕の重要な役目は終わりに近かった。
 土曜の午後にビンの中に入れられ、撹拌された"えさき式松前漬"は、冷蔵庫の野菜室の中で約4時間しっかりと眠った。4時間後にたたき起こされたのは、全体を均一に漬かる様にするための僕による撹拌で、そのころには全体がしっとりとまとまって良い状態になっていた。
 日曜の朝、何度目かの撹拌。
 日曜の昼、さらに撹拌。味見。抜群。
 2度目のクライマックスがやってきた。日曜の夕食は炊き立てのご飯と松前漬だけで良い。脇役に新たまねぎとわかめのサラダを用意してみたが、あくまで脇役。今日の完璧な主役は、"えさき式松前漬"である。
 ほかほかと湯気を立てるご飯の上に松前漬をひと箸。ご飯といっしょに口の中に放り込む。咀嚼。口中に広がる昆布のグルタミン酸のうまみ、するめのイノシン酸のうまみ。そして細切り大根の食感。完璧である。うまい事この上ない。
 僕のたった1人の、日曜の夕食は、かなりのレベルの幸福感を与えてくれる夕食となった。
 そしてこの幸福感は、味を深くしつつ変化していく松前漬とともに、しばらくは続くだろう。



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