賛美と誉れと栄光と力が永遠にあるように

賛美と誉れと栄光と力が永遠にあるように

2008.12.25
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カテゴリ: 説教




多くの人は家に帰ってから、聖書を開き一生懸命に理解しようと努めるかもしれません。多くの聖書に関係する書物を買って読みあさるかもしれません。しかし、聖書を分かろうとする全ての努力はすばらしいですが、それ自体は無意味であると言わなければなりません。聖書を全て暗記したとしても、それは聖書を理解したことになりません。
ではどうやったら聖書はわかるようになるのでしょうか? 聖書では「目が見たことのないもの、耳が聞いたことのないもの、そして、人の心に思い浮かんだことのないもの。神を愛する者のために、神の供えてくださったものは、みなそうである。」(第一コリント2 章9 から10 節)「生まれながらの人間は、神の御霊に属することを受け入れません。それらは彼には愚かなことだからです。また、それを悟ることができません。なぜなら、御霊のことは御霊によってわきまえるものだからです。」(第一コリント2章14 節)
イエスも「『助け主』、すなわち、父がわたしの名によってお遣わしになる聖霊は、あなたがたに全てのことを教え、また、わたしがあなたがたに話した全てのことを思い起こさせてくださいます。」(ヨハネ14章26節) とありますが、御霊、すなわち聖霊の働きがなければ、人間には聖書、つまり神の言葉を決して理解することはできないのです。なぜならば「神よ。あなたの御思いを知るのは、何と難しいことでしょう。その総計は、なんと多いことでしょう。」(詩篇139 編17 節)だからです。
私たちが神の言葉を聞いて、それを信じるようになることも聖霊の働き、神の恵みがあって初めて可能なのです。しかし、私たちにある罪深さは、神の働きに逆らおうとします。神の言葉を疑おうとします。エデンの園でサタンがアダムとエバを誘惑したように、サタンは私たちが神の言葉を疑うように、罪深さ、うわさ、科学、偽教えなどによって私たちを神から引き離そうとします。
ですから、今日の御言葉は大切です。「私の犯した罪のためにも、ご自分を捨ててくださったほどに愛している方を疑うことができましょうか。私はあなたがそのようにおっしゃるならば、そうだと信じます。」とありたいものです。マリヤも天使が現れて、処女であるマリヤに聖霊によって男の子がみごもること、その男の子は全人類の救い主であるという衝撃の知らせを聞いたとき、疑いと、恐れと不安が心を支配しようとしましたが、天使は彼女に「神である主は全能である」ことを思い出させました。神にとって不可能はないのだと。死人を生き返らすことも、聖霊の働きをもたらすことも、天にも地にも満ちていることも、人にはできませんが、神にはできるのです。神のことを知れば知るほど、私たちの疑いは薄れ、神への確信と平安が心を満たします。
神の言葉を信じきる人は幸いです。逆に、神の言葉を疑って何の得がありますか? 神は本来地獄に入るだけの存在であった人間を救い出すために、ご自分を犠牲にして、私たちがイエスの業を信じるだけで永遠の死から救い出し、天の御国の愛する家族、義なる者として受け入れてくださったのです。この幸いをあなたの、人間の理性や経験、知識によって失うことがありませんように。アーメン

水戸恵福音ルーテル教会 芳賀牧師説教より





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Last updated  2008.12.26 00:09:34
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