常緑樹6 21世紀に…


(平成13年2月号 2001/1/20)

昭和二十五年は西暦では1950年、覚えやすい年です。

その年は朝鮮戦争勃発の年として有名です。
今ようやく南北統一が見えてきたようです。
国内では最近その是非が話題になっているミス日本の第一回コンテストが開催され、山本富士子さんが選ばれました。
今年も二月に明治座で舞台公演と、いまだに美しくご活躍中です。

年末には池田勇人大蔵大臣が消費者米価引き上げについての答弁で「所得の少ない人は麦を多く食う、所得の多い人は米を食うというような、経済の原則に沿った方へもって行きたい」と発言し「貧乏人は麦を食え」発言として世間を賑わした年でもあります。
第七回の国勢調査で人口は八千三百二十万人、今のほぼ三分の二でした。

その年の四月に大阪で生まれました。寅年です。
秋にジェーン台風が近畿地方に上陸し、三百三十六人もの方がなくなりました。
生家も水害にあい、生まれたばかりの私は、水が出たぞー、との声とともに階段に置かれ、水位が上がるにつれさらに上へと上げられたそうです。
誰かに忘れられていたら今はなかったでしょう。
壁にそのときの水の跡がずっと残っていました。

二十世紀のちょうど真中でしたから、振り返ると十九世紀はすごく昔のことでまったく実感がなく、二十一世紀もほとんど想像がつきませんでした。
半世紀、五十年というのは切りのいい節目です。
団塊の世代のしっぽにぶら下がっていましたので、いつも競争の中でバタバタ、オロオロしていたように思います。
五十歳をひとつの目標にしてきましたが、そこまで生きようとか、新世紀には何をしようか、などということは考えていませんでした。

にもかかわらず、二十一世紀になってしまいました。
正直に言って特段の感慨もなく越えてしまいました。
あの想像もしていなかったはずの未知の世界へ、もっとすごい変化があってもよさそうなのに何もなく。

経済発展結構、便利になったのも結構、人が増えたのもいいじゃないですか。
しかし、ほんのりとしたというか、しっとりとした喜びが少なくなりました。
人が増えたのに、その関係が薄く、ギスギスしたものになったからでしょうか。
ごまかしや口だけではない本当の意味でのやさしさが必要だと思います。

早く、全てに「おんぶに抱っこ」を求めていないことに気付き、もう少しいい感じの世の中にしましょう。
厳しくも、暖かい新世紀がいいですね。


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