森田理論学習のすすめ

森田理論学習のすすめ

2014.11.22
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森田理論を学習していると、さっき言ったことと反対のことではないのかと首をかしげたくなることがよくあります。

たとえば、森田先生はマキ割りの話で、割ろうとするマキの中心部に神経を「集中」しなければ、マキは割れないという。
その時意識や注意が自分の心身の状態、たとえば斧の持ち方はこの角度でよいのか、あるいは自分のマキ割りを見て周りの人はどう思っているのだろうかなどに向けてはならないという。

ボールを投げるとき、ボールを受けるときも気持ちが内省化してはうまくゆかない。
意識の外向化が起きないとうまくいかない。
つまり今取り組んでいることに神経を集中しなさい。
物そのものになりきって一心不乱になりなさい。と言われています。

しかしもう一方で、「集中」ということでは、一つのことに注意を向けることではない。
とらわれるときは、次から次へと、とらわれていくのがよいといわれています。


すると講義内容が気になる。聴講している人の態度が気になる。机の上のものが気になる。
野外の物音が気になる。同時にいくつものことを気にしながら講義をしている。
このようにいろんなことが気にかかり注意が分散している状態が集中していることである。とも言われています。

森田理論を学習している人はいったいどちらが、「集中すること」の説明だろうかと混乱されるかもしれません。
この混乱に陥らないためには、森田先生の言葉そのものを理解するという学習方法を改めることが重要です。
そして森田先生はこの話によって何を伝えたいのだろうと発想してゆけばよいのです。

先ほどのまき割りの話では森田先生は何を伝えたいのか。
人から言われたことだけを仕方なくやるという気持ちではいけない。
それはお使い根性というものであるといわれています。
なぜいけないのかというと、そこには感じ、気づき、発見、アイデア、感じの高まりが全く発生しないからです。
森田先生は、森田の修養の出発点は、物事に対する「感じ」を高めていくことであるといわれています。

これは森田理論の核心に迫るところです。

次に講義の時の話ですが、これは「無所住心」の説明をされています。
「無所住心」とは、全神経があらゆる方面に常に活動して、注意の緊張があまねく行き渡っている状態のことを言います。
この状態にあって我々は、変化に即座に対応して、臨機応変、適切な行動でこれに対応することが出来るのである。
この態度で生活していると、一つのことにとらわれるということがありません。


この例のように、森田理論学習は言葉にとらわれると、訳が分からなくなります。
もう一歩踏み込んで森田先生はこの話で何を言いたいのだろうかと考えてみてください。
そうすると目の前に豊かな世界が広がってくるはずです。





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Last updated  2014.11.22 07:53:18
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