森田理論学習のすすめ

森田理論学習のすすめ

2015.03.08
XML
論語の中に「学ぶ」ということに関して次のように書いてある。

「学びて思わざれば則ちくらく、思いて学ばざれば則ちあやうし」

学ぶだけで、それを自分の身に即して深く考えなければ、漠然としてとりとめのないだけのこととなり、その知識は身につかない。
さりとて、いくら自分があれこれと考え、思いつめたりしていても、学ぶことがなければ危うい。
思い、学び、そして再び考え学ぶ。それが真に「学ぶ」ことなのである。
(老いを生き抜く 森本哲郎 NTT出版 39ページ引用)

なかなかうまいこと言うものである。
本を読んだり、偉い講師の話を聞いて感心するだけでは「学ぶ」ということではない。
その話を自分なりに考え、整理して消化しないと身につかないと言っているのである。


「修養とは、ともかくも実行である。私に接近し、私の気あいに触れねばならぬ。
この感化を受けることを薫陶と言います。この気合いで神経症が治るのであります。」
(森田正馬全集5巻191ページ)
理屈を言う前に森田先生の言われるように行動・実践しなさいと言っておられます。

また「修養という事は、実行の復習であって、思想の規定ではない。
撃剣のようなもので考えると、最も分かりやすい。
これは相手の隙間に打ち込み、受け止めるには、こうするとか思想判断する余地は少しもない。
打つもはずすも、そこに間一髪もない。いわゆる電光石火の機がそれであります。
つまり思想を排し、直覚と実行とから出発するという事を強調したい。」(同5巻70ページ)

ここで言う思想というのは理屈、観念優先で頭で考えることだと思います。
森田の修養とは、理屈や観念優先ではない。実行が伴わないといけない。

つまり森田理論を学ぶという事とそれを生活の中で応用して検証してみる。そして体得していく。
この2つがセットにならないと森田理論学習はほとんど意味をなさない。
そのためにわざわざ「修養」という難解な言葉を使っている。

森田を深めておられる、ある方は「学修」という言葉を使われる。
こちらの方が分かりやすいかなと感じている。

でもこの言葉を聞いた人が、そんな造語を勝手に作って学習会の場に持ち込んでは困ると言われた事があるそうである。
そういう発言をされた方は、言葉にとらわれてその先の学習に進むことができないのだろうと思う。

森田先生は、言葉は符牒と言われている。言葉はコミュニケーションをとるには便利なものである。
でも言葉は反面いい加減なものである。その証拠に人間はその言葉を使って平気でうそをつく。
心にもないことを平気で口にする。そういう面が多いという事を認識すれば、言葉は100%信用できない。
おおよその見当をつけるぐらいにとどめておいた方がよい。
言葉はその後事実を検証することによって真実となる。
だから言葉そのものにとらわれるよりは、その奥に隠されている真意を探る方が、よほど意味があると思うのである。





お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう

Last updated  2015.03.08 06:56:53
コメント(2) | コメントを書く
[森田理論学習の進め方] カテゴリの最新記事


【毎日開催】
15記事にいいね!で1ポイント
10秒滞在
いいね! -- / --
おめでとうございます!
ミッションを達成しました。
※「ポイントを獲得する」ボタンを押すと広告が表示されます。
x

PR

Keyword Search

▼キーワード検索

Profile

森田生涯

森田生涯

Calendar

Comments

森田生涯 @ Re[3]:強情と盲従の弊害について(02/27) ststさんへ 今の生活は日中のほとんどが…
stst@ Re[2]:強情と盲従の弊害について(02/27) 森田生涯様、返信アドバイスをしていただ…
森田生涯 @ Re[1]:強情と盲従の弊害について(02/27) ststさんへ コメントありがとうございま…
stst@ Re:強情と盲従の弊害について(02/27) 森田生涯様、こんばんは。 過去に何度かコ…
軸受国富論@ Re:森田の正道を歩むとはどういうことか(06/05) かの有名なドクターDXの理論ですね。ほか…

© Rakuten Group, Inc.

Design a Mobile Site
スマートフォン版を閲覧 | PC版を閲覧
Share by: