森田理論学習のすすめ

森田理論学習のすすめ

2022.03.22
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2022年2月号の生活の発見誌に臨床心理士さんの記事があります。
この方は神経症と格闘しているうちに心理学そのものを勉強したくなったそうです。働きながらですから大変だったでしょう。
まず放送大学に入り心理学を受講した。
弾みがついて夜間の大学院に通って臨床心理士の資格まで取得された。

生活の発見会にはすごい努力家がいます。
私の知ってる人の中には、臨床心理士、精神科医、産業カウンセラー、一級建築士、公認会計士、司法書士、土地家屋調査士、社会保険労務士になった人がいます。向上心が半端ではないといった感じですね。
そういえば森田先生の時代は、弁護士、外交官、検察官、陸軍幹部、新聞記者、医者、大企業の経営者、大学教授、自営業で成功した人などが目白押しでした。
生活の発見会に入ると、そういう人たちと親しく交流でできるのですからたまりません。

さて紹介記事に入りましょう。


苦手な場面ではいまも緊張します。
しかし、これまではそれが人生の「最大の悩み」だったものが、人生の数ある中の「悩みの一つ」になりました。
不安や症状に対する見方が大きく変わったからです。
「悩み」は必ずしもなくならなくても、「悩み」を持ちながらでも人は十分生きることができる。それを森田から学びました。
それは私にとって「治る」ことに匹敵するとても大きな変化だったのです。

この記事は短いですが、神経症が治るということを的確に説明されています。
治るということは、症状が跡形もなく消えてなくなるということではありません。そういう希望を持って森田理論学習を続けておられる方がいらっしゃいましたら、希望に沿うことはできません。

最初は神経症の葛藤や悩みが頭の中を覆い尽くしていたと思います。
森田理論学習と実践により、その比率が少しずつ下がってきます。
その比率が下がってきた分だけが、神経症が治ってきたということになるのです。ですから、たとえばがんが治って元の状態に戻るような治り方はしないということです。神経症の火種というものは最後まで無くならない。
不安にとらわれやすいという神経質性格は元のままです。

それが語弊があれば、治りつつある人と言い換えてもよいでしょう。

普通は、治った部分は当たり前のことで、まだ苦しい治らない部分に注意を向けてどうしても根治を目指してしまうのです。
その方向は、思いがかなえられることはなく、アリ地獄へ真っ逆さまに落ちてしまうのです。ですから短絡的に、神経症が治ったが治らないかという二者択一的な考え方をもつことは、百害あって一利なしということになります。

治った部分に感謝しながら、日常生活の中で小さな楽しみや喜びを見つけ出していく。家事、育児、仕事、勉強、趣味、人との交流に課題や目標を持って取り組む。
日々生活に丁寧に取り組むようになった人は、それだけで救われている人です。





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Last updated  2022.07.13 07:10:47
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stst@ Re[2]:強情と盲従の弊害について(02/27) 森田生涯様、返信アドバイスをしていただ…
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