松下幸之助氏は、自らが成功した理由として、次の3つを挙げていた。
①学歴がなかったこと。松下幸之助氏は尋常小学校4年生の中退である。
②身体が弱かったことである。肺尖カタルという病気にかかり、病弱のために会社勤めを諦めなければならないほどであった。
③家が貧しかったことである。父親が米の相場に失敗して、それまで住んでいた家を出て、大変貧しい生活を強いられた。9歳の時から働き始めたのも、家が貧しかったからである。
以上の3つは、普通に考えたら、どれも「だからできませんでした」という口実になりえるものばかりです。
しかし、松下幸之助氏は 「3つのおかげ」
という。
①について、社員はみんな僕より学歴があり、みんなが自分より偉く思えたので「君やってくれんか」と任せた。
もし、自分が社内で一番偉いと思ったら、「うちの会社にはろくでもないやつしかおらん」と考えて、存分に力を発揮してもらおうとは思わないだろう。
また、松下幸之助氏は並外れた 「 聞く耳」
を持っていたことも、学力がなかったお陰だという。
②について、身体が弱かったので、会社を立ち上げたものの、先頭に立って働けない。週の半分だけ働き、あとの半分は静養するような生活だった。
そのために、部下を信じ、「君、頼む」と任せるしかなかった。
そのおかげで、任された人たちが、社長に代わって頑張らないといけないと思って、どんどん成長したのだ。
③について、9歳から親元を離れて大阪に行き、住み込みで働き始めた。
最初に給料としてもらったのは5銭だった。その当時でもわずかなお金だった。
家が貧しかったからこそ、わずかな給料を喜んで受け取れたのである。
もしお金持ちの家の子であれば、こんなわずかなお金しかくれないのなら、どこかもっと給料の高い会社に転職しようと考えたかもしれない。
運命を嘆いて恨んでいても、どうにもならないことはどうすることもできない。
今がどん底だ、これから先必ず浮上してくるはずだと考えることができれば、決して運命を嘆いて恨むことはない。むしろ発奮材料となる。
問題のある今現在の自分の状況を素直に受け入れることができるかどうかが分岐点になる。そして目標を見失わないようにして努力精進することが大事になります。
(松下幸之助の教訓 上甲晃 致知出版社 207ページ参照)
松下幸之助氏は、3つの逆境を「3つのおかげ」として、あるがままに受け入れました。天気でいえば毎日雨が降っているようなものです。
これに対して松下幸之助氏は、「雨の人はうっとうしいから外出をしないという考え方ではいけない。やるべきことや人と会う約束をしていたら、傘をさしてでも出かけなければいけない」と言われています。
これは当たり前のことに対して、手を抜かずに淡々と実行することだと大事だということです。
これは森田でいう、「不快な感情や気分」と「実践・行動」はしっかりと切り分けなければいけないということを言われているのだと思います。
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