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その日只野は、結婚式への参列のため、ホテル内の教会風建物に着席していた。これを教会と呼ぶのかどうかはわからない。チャペルと言う人が多かったことは記憶している。 小さいパイプオルガンを弾く人がいる。厳かである。そういえば「フランダースの犬」のネロとパトラッシュは、このような場所で昇天したのではなかったかと思い出す。いかんいかん、縁起でもないなどと思い直す。 そのうち、不意に神父さんが横を通り抜ける。そしてその直後に主役が現れる。只野にとってはまったく不意打ちであって、ちょっとビックリすることになった。 儀式が始まる。神父は「賛美歌を一緒に歌ってください」などと言う。パイプオルガンが響く。 「あぁ賛美歌ね…えっ賛美歌?キイテナイゾ」 戸惑うまもなく歌が始まる。ハミングでもしていた方が失礼にならないかなどと思っている。いやしかし下手に歌わない方がいいかなどとも思う。 そうこうしているうちに「アーメン」となり、賛美歌は終了した。只野はちょっとホッとした。「まぁ一度ぐらいは、こんな緊張があってもいいか」 式は滞ることなく進んでいく。儀式もすみやかにとりおこなわれる。只野は他人事ながらホッとすることになる。こういうときに得てして、笑ってしまうようなことが起こるのだが、今回はそういうことはなかった。 次の瞬間、ホッとしている只野の耳に入ってきたのは、神父さんの神聖なセリフであった。 「賛美歌を一緒に歌ってください…」 「勘弁してくれぇ」只野は心の中で叫んだ。
2007年05月14日
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只野は、毎晩晩酌をする。まずはビールを飲む。冷蔵庫からなくなったときは飲み出す前に補充する。夏はコップも冷やすが、今の時期はその必要を感じない。 肴を準備する。セルフの場合も多い。冷凍枝豆を皿にあけ、レンジでチンする。できるだけ解凍にとどめ、温めないよう監視している。 冷や奴を皿に開ける。味の素をかける。味の素は発ガン性などと騒がれたが、只野は気にしない。最近はとろろ昆布を周りにしき、醤油をかけることにしている。これがなかなかよい。 そうこうするうちに、ビールがなくなる。そうすると只野はおもむろに立ち、棚からロックグラスとコースターを出す。別の棚から角瓶を出す。角瓶の中が寂しいときは、別の4Lの角瓶から継ぎ足す。そして南京豆を30粒ほどあけ、冷蔵庫より冷水を取り出す。 すべてが整った後、冷凍庫よりロックアイスを出す。最近はローソンアイスが多い。形といい、固まり具合といい、今はこれが一番気に入っている。 これでオールスターが揃うことになる。これで懐かしのメロディなど放映されていれば言うことはなく、只野は酔いしれることになる。 只野の晩酌のルーティンである。もっともこのルーティンは、人によってそれほど変わらないだろうと、只野は思っている。
2007年04月27日
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只今入りましたニュースによりますと、只野壮年氏に筋肉痛警報が発令された模様です。 只野氏は、一昨日の日曜日、自宅まわりの「えざらい」に従事した模様で、それによる筋肉痛が観測されています。 筋肉痛の第1波は今朝到達する見込みです。すでに第1波は只野氏の「感測」において到達しています。 なお筋肉痛は第1波が収まっても、時間をおいて第2波、第3波が到達しますから、只野氏においては、それほど動かなくてもいい場所に避難するなどの措置を速やかにとってください。 繰り返しお伝えします。 只今入りましたニュースによりますと、只野壮年氏に筋肉痛警報が発令された模様です。 … なお只野氏によると、この筋肉痛について、能登半島沖地震との関連は今のところないとのことです。 (イタタ…)
2007年04月17日
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日曜日の朝である。例年4月のこの日曜日の朝は「えざらい」になる。「いざらい」と呼ぶところもあると聞いている。いわゆる溝掃除である。 只野の家の周りは昨年の場合、建築現場だったこともあり、大量のコンクリートあたりが溝に流れ込んでいることは、容易に予想していた。したがって、例年以上にこの日を構えていたことになる。 やはり予想通りであった。単なる溝さらいの道具では追いつかない。 そのとき只野は、古ぼけた三角状のクワを思い出した。「あいつがあれば掘り出せるかもしれない」 そのクワはかなり古く、柄の部分はササクレだっていた。最近では、愚息2が発掘と称して庭の砂利を掘り出す道具として使っていた。 そのクワは、只野の予想通り溝のコンクリートを掘り出す貴重な役割を果たすことになった。 しかしそれを操る力は、例年の倍以上のものを感じることになった。そしてその事実は、只野が事後のビールを飲む格好の理由にもなった。
2007年04月15日
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日曜日の朝である。いつもよりゆっくり起きる。いつもの2倍時間をかけて新聞を読む。 それは2回目のスポーツ欄にさしかかったときだった。 突然床が揺れ出すではないか。とりあえず只野は四つん這いになった。これが一番安定するととっさに思うことになった。 「地震に強い最近の家も揺れるんだな」などと思っている場合ではない。しかし「今回は景気よく揺れているナァ」などとも思ってしまう。 「ガス消して~」母親が飛び込んでくる。ちなみに只野の家はオール電化であり、ガスは存在しない。これは只野も気がついた。只野は「それより仏壇の火は?」ととっさに指摘した。 揺れが収まったところでテレビをつける。能登が大変なようである。国営放送は同じニュースを繰り返し告げている。 結果として、前日の宴会明けであった只野は、人より揺れを感じなかったと判断している。 むしろ2日続きの宴会となるその晩、JR等がすべて止まっている。どのようにして会場に行くか、只野はそのあたりについて一番困ることになる。
2007年03月31日
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今年の春分の日は水曜日である。水曜日の祝日というのは、なかなかいい頃合いである。 1週間で考えると土日が休みとすれば、2日行って1日休んで2日行って2日休むことになる。週4日制、週休3日制である。 週5日働くということになると、どうしても月曜日は構えることになる。「さぁ始まるゾ」ということになる。一方でブルーマンデーということにもなる。 水木ぐらいは勢いに乗って過ごしていく。金曜日になると「あと1日」という感じになる。 2日行って1日休むことになると「さぁ仕事だ」ということにならない。1日過ごせば「あと1日で休み♪」ということになる。したがって月曜日の憂鬱を感じるほど、構えることにはならない。 したがって、祝日は水曜日がいいと只野は思っている。難があるとすれば、次の木曜日が月曜日の感覚になってしまうことぐらいである。 と言いながら、実は「少し贅沢カナ」などとも思う只野である。
2007年03月21日
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只野は、毎年の健康診断について成績がよくない。したがって毎年、精密検査を勧められることになる。 今年も例外ではなかった。まぁそこまでなら、ここでの話にはならない。 今年は事後管理健康診断なるものに見事選ばれることになった。結果としては同じ健康診断を再び受けたようなものであった。 今年のトピックスは尿酸であった。プリン体がよくないという。 「ビールはプリン体が多いですよ」と医者。 「ずっとビール党ですね」と只野。 「ウィスキーはプリン体が少ないですよ」と医者。 「いや~そうですか。ウィスキーも好きなんです」と只野。 営業であれば商談成立ということになる。只野はビールを極力減らし、ウィスキーにすることにした。 最近はウィスキーフロートが気に入っている。氷、水の順に入れて、最後にウィスキーを静かに注ぐ。決して混ぜない。 まず見た目がよい。ロックグラスの上から下へ、琥珀色から透明色へのグラデーションである。氷模様が色を添える。 味わいもよい。一口目はストレートである。二口目はややロックである。以下徐々に水割りに近づいてくる。 「医者もたまにはいいこと言うナァ」このところ只野は、医者のススメに感謝している。尿酸が減ったかどうかについては知らない。
2007年03月17日
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ソラ見ろ!言わんこっちゃない。 着陸しようとしたら前輪が出てこなかったなんて、シャレにならないね。もっともあれだけの大きなものが、あれだけ豪快に飛んでいるわけだから、どうせそういうトラブルはきっとあると思っていましたよ。 もともと、あの飛び立つときの気味悪さったらありゃしないね。それまでものすごい速さでタイヤがゴロゴロやってたのに、それがスッと消えるんだから。足が宙に浮くなんてのはあのことだね、まさに。 飛び立つときに、スクリーンで機体下の様子なんか映したりしてるんだから、思わず手を合わせたくなりますよ、まったく。あの画面で酔ったなんて人もいるでしょうに。 そのくせ、見えない操縦室では機長が客室乗務員の記念撮影やってるんだからね。自動操縦とはいえ、操縦桿まで触らせたなんて飛んでもない話ですよ。 ソラ見ろ!(お願い!見上げてね)あんなでっかいやつには乗りたくないね。
2007年03月14日
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もうしばらくすると総選挙になる。言ってみれば今は、嵐の前の静けさという頃だと、只野は思っている。 テレビは、東京都知事選挙なるものの候補者の動静ばかり取り上げている。東京都民でない只野でさえ「誰のなまえを書こうか」などと勘違いしそうになる。 ともあれ選挙に関わる人たちは、一斉に支持を得ようと行動しているようである。 支持を得るためにはどうすればいいか。これは簡単である。 とにかくウラがあってはいけない。今の国民は(政治家はよく「コクミンが...」と言うが、これが本当に「国民」をさしているとは思えない場合が多い)とにかくウラがあるものを指示しない。加えて言えば、今までの政治にはすべてウラがあると見ている。 ヒガシコクバル知事にしても然り、コイズミ前首相にしても然り、古くはタナカヤスオ前知事にしても然りである。少なくとも彼らにはウラは感じられない。 国民は「ウラがあるものはヤマシイ」と見ているのである。ヒソヒソ話で政治をやっているうちは、支持率が上がるとは到底思えないのである。 もっともこのページは、只野のウラの部分にあたる。しかしそれとこれとは話が違う。
2007年03月12日
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「本当に今年はまったく雪がなかったナァ」というのが、2月までの感想である。たまに寒い日もあったような気がするが、例年の比でない。 この冬は本当に、冬と言えない感じだった。春夏秋春というのがふさわしいとさえ思えるほどであった。その証拠に、暦の上では真冬のある日、庭に虫の舞う姿を只野は見ている。 ところがである。3月のこの時期になって、吹雪になり雪が積もる日が現れ始めた。只野もあわてて車用のスノーワイパーを再び装備したほどである。 3月のこの時期は普通、三寒四温を繰り返しながら、緩やかに春になっていく感じになる。しかし今年の場合、ずっと暖かかった。ここにきて、冬に遭わずに春にしてたまるかという、お天道様の頑固親父の一面が垣間見えるような塩梅である。 まぁしかし、お日様は確実にながく、高くなりつつある。お天道様の与える試練も長くないだろうと、只野は踏んでいる。 とはいえ「春時々冬、所により吹雪」の状態はまだ続きそうな気配である。窓の外の吹雪を眺めつつ、只野はこの駄文をしたためている。
2007年03月11日
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それは1枚の広告がきっかけとなった。只野の言葉にすれば、新聞の「チラシ」ということになる。 ベッドである。板間の寝床というのは、やはり少し違う感じがしていた。「いずれベッドだな」と思い始めていた。 チラシには、手頃な値段のベッドが載っていた。「このあたりが頃合いだな」などと只野は思ってしまうことになった。 「よし買いに行こう」思いついたが日曜日である。こういうときの只野の行動は早い。 店に入る。広い店内である。見渡す限りベッドである。こういう部屋というのも悪くない。「今日はどのベッドで...」などと考えることになる。もっとも布団干しは大変そうである。 「チラシに載っていたベッドですけど...」只野は店員に尋ねた。 「それはこれですね」店員は軽妙な受け答えである。「まぁこれもいいんですけどね...」店員は客の要望を半分受け入れながらも、否定的講釈の構えである。 「頭に小物入れがあれば...」と只野。 「それもいいんですけど、実際寝てみると頭の上というのは案外使いにくいんですよ。むしろベッドサイドに小さな台を置いた方が...」と店員。 「ベッド下に収納があれば...」と只野。 「収納は便利ですよね。でも通気がよくないんですよね。ベッド下は空けておいた方が...」と店員。 「マットレスが大事なんですよ。寝てみてください...違うでしょ。そうそう替えるものじゃないし、マットレスにはお金をかけた方が...」と店員。 結果、只野は予算にして3倍の金銭をかけることになった。ちなみに只野のセミダブルと家内のシングルである。加えて急遽、手持ちの予算から、ボーナスをあてにせざるを得なくなった。 いずれにせよ、いよいよ只野の就寝も高床の時代に入ることになった。
2007年03月10日
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「今日、寿司食べにいくんでしょ」 火曜日の朝、朝食を終え、そろそろ出勤しようとした只野に聞こえてきた愚息3の言葉である。 「そうだ、この間言ってたでしょ」 家内の言葉が覆い被さってきた。実は只野はそのことを忘れていた。酔っているときに決めたものと推測することになる。 折しもその火曜日に只野は、2年越しの仕事に区切りをつける予定になっていた。そういう意味ではいいタイミングである。財布の中は相変わらず寂しいのであるが。 回転寿司である。すでに予約済みであり、いい席に座る。平日というのはやっぱりよい。あきらかに休日より空いていることになる。 只野はもっぱら飲むことになる。お造りと天ぷらを頼むことにした。愚息2,3はひたすら食べている。愚息1はゲームの時間がもったいないという理由でついてこなかった。親としては残念ということになるが、資金管理者としてはありがたいことになる。 子どもというのは、食べるだけ食べたら動き出すことになる。さらに2人ということになるとなかなか手に負えない。只野を残して、他の人たちは外で待つことになった。 只野の注文はあと1品来ていなかった。シロエビのかき揚げである。向こう側には待ち客が見える。この特等席に一人でいるのは忍びないと思うことになる。只野はかき揚げをさっさと平らげて店を出ようと思っていた。 ところがである。登場したシロエビのかき揚げというのは、サツマイモを細く切って15cm四方の網目にし、そこにシロエビを敷き詰めて揚げたものを2枚、あたかも合掌造りの藁葺き屋根のように立てかけたものであった。「そんなつもりではない」只野は心の中でつぶやいた。 「これは困ったことになった。」只野はそれも思った。ただでさえ待ち客の目を気にしつつ、特等席を一人陣取って飲み食いしているのである。その待ち客の目を隠すかのように大きく出てきたシロエビのかき揚げに、只野はひたすら戸惑いの色を濃くすることになった。 寿司屋でこんなに焦ることになるとは思わなかった。待ち人にかまわず飲み食いしているように見えるが、そんなつもりはないと、只野は心の中で叫んでいた。 「次回があるとしたら、シロエビのかき揚げはご遠慮したい」只野はそれも思っていた。
2007年03月04日
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その日只野は、愚息2と近くの公園に自転車で行くことになった。ただしそのことについて只野は、飲んだときに約束をしたらしく、朝になって心の中で「えっ?」という状況であった。 経緯はともあれ、晴れた日の自転車は気持ちがよい。愚息2は、公園で写真を撮るために、使い捨てカメラを買ってほしいと主張し、只野はそれにしたがい、途中のコンビニで使い捨てカメラを買うことになった。 愚息2のトレンドは恐竜である。その公園には大きな恐竜の模型が飾ってある。愚息2は使い捨てカメラで恐竜の写真を撮りまくった。只野も携帯で「写真を撮る愚息2」を撮ることになった。 その日の午後である。天気はまだ晴れである。只野には一つ気になる外回りがあった。家の一部である「つげの木の塀」である。 これについては、只野自身何度か剪定をしたことがある。しかしここのところ、のばし放題になっていた。只野は密かに気になっていた。 剪定そのものは大変なことはない。しかし、落とした後の始末が大変である。折しもこの日、風が強かった。剪定によって自由になった葉っぱが、自由自在に舞うことになった。只野は葉っぱの自由を奪うのに精一杯であった。 とにかく結果としてこの日、只野はアウトドア派になった。 何となくちょっとだけ、日焼けをしたような気がした。
2007年02月25日
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南沙織が歌った「春の予感」がある。尾崎亜美が作った曲であるが、この人の曲について、只野はなかなか自然で気に入っている。 この季節は、春の予感だらけである。その日も只野は外を歩いていて、これは4月の空気だと思うことになった。足りないのは野焼きの匂いぐらいである。 何しろブーツが要らない。只野がそう思うくらいであるから、冬物衣料の売り上げには大打撃だろうというのは容易に予想できる。 この暖かさに、熊も人里に出てきていると聞く。他人事ながら睡眠不足が心配になったりする。もっとも人ではなく獣であるが。 とにかく雪が降らない。そして、どうもそれがツケになっているような気がしてならない。などと思いながら、只野は日々過ごしている。今年に限った春の予感ということになる。
2007年02月18日
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その日、只野は法事に臨席していた。七回忌ということである。 七回忌を「ななかいき」と言う者が増えたというのは、只野が勝手に師匠と仰ぐ山口瞳氏の嘆きである。いずれ赤穂浪士の四十七士を「よんじゅうななし」と呼ぶことになるだろうとの予言もあったような気がする。 大体そんなことを考えているのは、何かを紛らせているときである。それにしても正座をする機会が少なくなったなどとも思っている。ときに「しびれを切らす」というのは、なぜ切らすなんだろうなどと思ってみたりする。 和尚は、只野の家のお寺さんである。この宗派はお経が長いことで知られている。只野の家の普段のお勤めは般若心経から始まる。盆の墓参りでは舎利礼文(しゃりらいもん)になる。いっしんちょ~らい、ま~んと~くえ~んま~んである。 法事の締めくくりは法話になる。只野ら参列者は、和尚から2枚のプリントをいただくことになった。これが、なかなかありがたい話だったと只野は思った。 只野は、その中に書かれていた一部を広く知らせたいと思い、ブログに載せることにした。
2007年02月11日
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その日只野は、午後2時半より休暇を取り、確定申告のため税務署へ向かっていた。 春の陽気である。本来なら除雪で汗をかく2月であるが、陽気で汗をかいている。ふところだけは相変わらず寒いことになっている。 ふところ…そう思ったときにふと、年末に作った通帳のキャッシュカードが届いていないことに只野は気づいた。 ちょうどいいタイミングである。只野はまず銀行に行くことになった。 窓口で問い合わせる。窓口係は「しばらくお待ち下さい」と言い、所長らしい人に報告する。 「郵便局に問い合わせていますので、もうしばらくお待ち下さい」と所長らしき人に言われ、只野はしばらく待つことになった。 銀行の午後3時は、窓口終了の時刻である。ソファで待つ只野を残したままシャッターが降り始める。 「閉店間際の銀行に強盗が…」という事件をよく耳にすることがある。実際こういう状況で強盗が騒ぎ出すのかなどと、只野は妙なことを考えていた。 そのうち、いよいよ只野は完全密閉された銀行の中に取り残されてしまった。「困ったことになった…」困る必要もないのだが、只野はなんとなくそう思った。「帰りはどこから出ればいいのだろう」などとも思っていた。 それにしても、銀行員というのは大したものである。閉店後もすべての行員が次から次へと手を休めることなく動かしている。しかもすべての行動が素早い。なかなかこういう光景は見られるものではない。 もっともそういう光景を見れば見るほど、只野はここにいることが場違いであるという思いを深くしていた。 やがて時計の針は3時半になろうとしていた。強盗ならすでに逃げていると思われた。 そう思った頃、ようやく所長らしき人が近づいてきた。 「どうも郵便局でも配達したようなのですが。印鑑も丸い感じのものが押されていたということで…」 只野は「これは真に困ったことになった」と思った。しかし出口については、所長らしき人が隅のドアを開けてくれた。この時点で只野の心配は一つ消えたことになる。 結局キャッシュカードは、棚の上の見えないところに置いてあった。只野が酔っていたときに何気なく置いたと、只野は推測している。
2007年02月09日
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雪が降ると、こういう光景が見られるナァというものがある。 雪が降ると、積雪によるワイパー損傷を防ぐために、駐車時に車のワイパーを立てている。ところがそれを忘れて、ワイパーを立てたまま動かしてしまう人がいる。ワイパーが踊ることになる。 多くは路肩に止めて、ワイパーを倒すことになる。中には信号で止まったときに、窓から腕を出して倒している人がいた。その人が助手席側のワイパーをどうしたのか、只野は知らない。 雪が降ると人々は手袋をする。只野のところでは車の積雪があるので、それを払ってから車に乗る。 そこで車に乗るときに手袋を外し、屋根の上に置く人がいる。結果として、屋根の上に手袋を置いて走ることになる。この場合、多くのドライバーは目的地まで気づかない。したがって、手袋は持ち手に戻らないことが多い。 雪とは関係ないが、車の鍵を開けるために両手の段ボールを屋根に乗せて、それを忘れたまま発車した車を見たことがある。走り去る車の上に、しかと段ボールが乗っていた。しかしその段ボールの結末について、只野は知らない。 冬も半ばとなったときに、この手の話はタイミングとしては明らかに遅い。しかしこの季節は暖冬のため、雪が降った今朝になってようやくこの話を思いついた只野である。
2007年02月01日
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只野は以前、縁あってラグビーを見る機会が何度かあった。必然的にルールなども知ることになった。 ラグビーのルールというか、マナーというか、そういうものが好きである。ともすれば人格まで否定しそうになるスポーツとは、行って来るほど違うと思っている。 会場では鳴り物をならさないことになっている。サッカーや野球とは違う。あくまで人そのものが発する応援になる。人の気が直に伝わってくることになる。応援はこういうものでないといけない。 観客席は敵味方の区別がないことになっている。もっとも実際はある程度、応援のグループで固まることになるのだろう。素晴らしいのは、敵同士が隣り合っていても「いさかい」にならないことである。大人はかくあるべきであると思っている。 只野のもっともお気に入りは「ノーサイド」である。その昔、松任谷由実の曲のタイトルにもなっていた。 試合が終わって、決着がついたらノーサイドである。勝ち側、負け側の「側」はお互いに取り去らなければならない。「…ならない」と言われなくても、選手たちはすでに心得ている。「お互いよく頑張った」という気持ちを交わしたところで、本当のホイッスルが聞こえるということになる。 この「ノーサイド」、残念ながら日本人には一番苦手な考えであり、なかなかできない考えである。 異論が喧嘩になり、人格否定になる日本人の議論にノーサイドの笛を吹ける審判はいないのかなどと、只野はつくづく思うことがある。
2007年01月30日
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嫌いなものがジゴウジトクによるということもある。「自業自得でしょ」なんて言われることになる。でも嫌いなものを嫌いというのは自由である。 夜の懇親会というものは、たとえエライ人たちとの会合であっても、最初は気を張っているのであるが、後になると「ドウニデモナレ」となってしまう。もっともこれは只野だけかもしれない。 その結果どうなるか。ビールが酒になり、焼酎、ウイスキーとリレーすることになる。見えないバトンが只野の中で受け渡される。絶好調になる。 その結果どうなるか。翌朝にはツケが回ってくることになる。寂しい財布と二日酔いである。特に二日酔いの影響は大きい。 只野は、この朝の何とも言えない中途半端な感じがいいと思うときもある。ボーッとしている間に時間が過ぎていく。 しかし二日酔いは一般的に嫌いである。何しろ体調がよくない。加えて無気力状態になっている。何より気持ちが前に行かない。 陰陽とはよく言ったものである。ただし順序が違う。前夜が陽、そして朝が陰である。返り点が必要になる。 「当分酒はいいか」などと思うことになる。しかしながら、夕食の香りが漂う頃には、自然とグラスを傾けている。 確認しておくが、只野は二日酔いは嫌いである。 ちなみに、これを書いている今まさに只野は二日酔いになっている。
2007年01月27日
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嫌いなものを嫌いといっても、なくなるわけではない。でも嫌いなものを嫌いというのは自由である。 2つの信号が続いていることがある。その多くの場合は、もとあった信号の奥に、新しい大きな道ができて、そちらの交通量が増えた場合である。この状況が嫌いである。 より狭い道が抜け道になってしまう。その、より狭い道は登校途中の子どもたちがたくさん歩いている。危ないこときわまりない。 大体抜け道を利用しようとする者の考えにろくなものはない。自分よければそれでよしというのが大半である。 そういう抜け道の信号はとってしまえばよい。できれば歩行者専用にするべきである。自動車に乗っている者は楽なのだから、渋滞に要する時間ぐらいは我慢すべきである。 最近も芸能人の娘が、交通事故で命を奪われたと聞く。芸能人だからということで大きなニュースになるというのは、別の意味で嫌いだけれど、これを機に交通のあり方が筋の通ったものになってほしいものである。 只野は昔、自動車好きであった。小学生の頃から、月刊自家用車なる雑誌を読み、購入計画まで考えていた。マイカーローンの計画まで練っていた。 しかし最近は嫌いになりつつある。できるだけ自動車に乗らないことを真剣に考えてみたりしている。
2007年01月21日
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只野が新居に移ってから、これで2ヶ月が過ぎたことになる。さすがに、カリテキタネコのような状態からは脱しつつある。 新居に来て一番の変化は、何と言ってもトイレである。借家に移った頃、温水便座がないことを嘆いていたが、ここにきて一気に文明開化を遂げた感がある。 トイレに入る。センサーが感知して、電気が点き、ファンが回り、便フタが「ようこそ」とばかり開くことになる。さすがに便座は開かない。しかし、ボタン一つで開くことになる。 ついでに、只野の「社会の窓」まで開けていただけないかと思ったが、そういうわけにはいかない。 ちなみに、便器はタンクレス式である。「ブルーレット置くだけ」なんてコマーシャルを見たとき「うちではどこに置くのだろう?」などと毎回思うことになる。 「急ぐとも 心静かに手を添えて. 外に漏らすな 松茸の露」 このあたりは、昔も今も変わらない。 温水は、便座に体重をかけないと自動で止まってしまう。只野は何度か尻を浮かせていて温水が止まったことがある。故障じゃないかと業者に掛け合ってみたが、そのうち自分の使い方に問題があることに気づいた。その後は順調である。 所用が終われば「大小」ボタンを押せばよい。あとは電気もファンも便フタも自動で閉じることになっている。 今どきのトイレは、物臭者にとって「あなたにこそ使ってほしい」トイレになっているということを、只野はここに来て深く実感している。
2007年01月17日
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只野はこのところ、仕事の上でちょっと長い原稿を抱えている。具体的には30ページものと10ページものの2種ということになる。 いずれも締め切りが迫っている。なかなか厳しい状況が毎日続いていることになる。 こういう切羽詰まった状況のときに限って、どうでもいいことを考えてしまう。これは只野に限ったことなのか、誰にでもあることなのか、よくわからない。 どうでもいいですよ~と言う芸人がいるが、まさにあのフレーズとともに考えてしまうことになる。 ☆ ☆ ☆ 先日の紅白歌合戦では、例のオズマとかいう輩のパフォーマンスが抗議など反響を呼んだそうである。 只野は、ここでその是非についてどうこう言うつもりはない。ただ、恒例の小林幸子の派手な衣装の直後に、こいつをもってくるというのは、NHKも実は確信犯でないかなどと考えてしまう。 しかし只野にとっては「どうでもいいですよ~」ということになる。 ☆ ☆ ☆ 成人の日が、例のハッピーマンデー制度で、1月の第2月曜日になって数年経つ。しかしこれがどうもしっくりこないと感じているのは、只野だけであろうか。 ちなみに今年の場合、史上最も早い成人の日である。一番遅い設定は1月15日であり1週間の差がある。不公平感があるかどうかはわからない。 子どもにとっては休みが1日増えてよかったのかもしれない。 しかし只野にとっては、これも「どうでもいいですよ~」ということになる。
2007年01月08日
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正月というのは、一般に無礼講であり、規則も生活習慣も「正月だから…」ということになってしまう。 子どもが夜遅くまで起きていても「正月だから…」許されてしまうことになる。只野も高校生の頃「大晦日の晩だから、徹夜で遊ぼうぜ」なんて言って、友達を集めたことがある。 しかしそこで思い知らされたのは、徹夜というのが何とも長い時間だナァということであった。少なくともトランプと人生ゲームでは徹夜がつらいということがわかったことになる。 もっとも麻雀を知ってからは、こんな徹夜のスポーツはないナァと感心したのも事実である。 朝から酒を飲んでいても「正月だから…」許していただくことにしている。正確には、お屠蘇だと思っている。最近は泡の出るお屠蘇や、葡萄からできるお屠蘇、ハーフロックのお屠蘇など事欠かない。 もっとも神様のお屠蘇については、フランス製であったり、イギリス製であったりすることはない。 かくして仕事始めを迎える。「お正月だから…」という言い訳がなくなり、ちょっと寂しい現実に戻ることになる。
2007年01月04日
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今更、只野が言うことでもないことであるが、年末年始という感覚がなくなりつつある。 元日営業が当たり前の時代になっている。初詣の帰りにコンビニに寄って餅でも買っていこうという感覚である。休んでいるのは「ジゴクノカマ」ぐらいである。 もっとも便利であることはありがたいことではある。しかし正月を感じるのは、もはやテレビぐらいになってしまった。テレビの向こうでは、依然として晴れ着姿でお屠蘇をという光景が見られる。 今年の場合、12月31日は日曜日である。大晦日に笑点やサザエさんというのは、「また明日から…」という日曜日の晩の雰囲気とは違って、明日に希望の光が見える感じになる。 しかし、そうかといって年末年始という感じはしない。週末週始といったところである。
2006年12月30日
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12月もクリスマスを過ぎ、年末年始にかかろうとしている。もっとも暦通りの只野にとっては、いつもの月末がやってくるという感覚でもある。 昨年はすでにこの時期、除雪で汗をかく機会が何度もあった。スキー場が、久しぶりに開幕から営業というニュースがあった。(これが久しぶりというのも大変なのであるが) 今年はである。朝霜は何度か見たものの、車通勤の場合、まだ外套は着ない毎日が続いている。冬になると車に積んでいるスコップが、今のところお笑いである。 今年のゆきさんはいったいどこに行ったのだろうか。思わず「ゆきさんは、どこへいかはったんでしょうねぇ」などと、舞妓さん気取りで叫びたくなってしまう。 「あんさん、そんなんいわはらんでもいいどすぇ。じきにふります」なんて、どこからか返ってきそうであるが。
2006年12月25日
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ジョーという奴にはなかなか悩まされることになる。 ジョーはなかなか色白である。一見、悩まされるという感じではない。しかしジョーは常に静かに我々を待ちかまえている。 ジョーは決して手を出してこない。したがって我々から手を出さないといけない。 ジョーは師走に集結する。しかし自分から集まるわけではない。我々が集結場所まで連れて行ってやらないといけない。 ジョーは正月になると大勢で家にやってくる。しかしこのときはすでに敵ではない。お年玉まで持ってくる。 ジョーの姓は「ネンガ」という。
2006年12月24日
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おおよそ長靴なんてものは、ゴム製であり、泥んこであり、防寒用であるというのが相場である。 しかしである。魅惑の長靴というものがある。正確には「あった」というのが正しいのかも知れない。 クリスマスソングとともにやってくる長靴である。よく見ると段ボールに銀紙を巻いたような長靴であるが、しこたまお菓子が入っており、網のフタがされている。 あの魅惑の長靴というのは、今も売られているのであろうか。只野にとっては、今になって思い出すまでは、その存在すら忘れていたので、店先に置いてあるかどうか知らない。 昔はあれが、うれし楽しだったことを思い出す。中身をそっくり出して、履いていたという記憶もある。 もっとも、中身のお菓子を食べた記憶はないし、中身のお菓子にうれしさを感じた記憶もない。単にあの外面の魅惑の長靴に、うれし楽しを感じていたことになる。
2006年12月22日
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この時期、今しか流せない曲がしきりと流れている。只野の耳にも容赦なく入ってくる。 定番は、昔ながらのクリスマスソングである。ショッピングセンターでは、これでもかという感じで流れている。 その雰囲気は、ついつい気を大きくさせる。まっいいかということになる。そういうときは100円ショップに入れば、金額として実害は少ない。 ちょっとした雰囲気では、山下達郎か松任谷由実となる。冷静に考えると「きっと君は来ない~」というのは、デートにはふさわしくないと思われる。 「恋人がサンタクロース、背の高いサンタクロース」というのを「恋人がサンタクロース、手の早いサンタクロース」と何気なく鼻歌していた人を、只野は見たことがある。 只野が何となく好きなのは「12月のエイプリルフール」である。その昔、エポという人が歌っていた。何が何でもハッピークリスマスというのが好きでない、へそ曲がり只野の好みそうな曲である。 12月25日になってテレビが一気に年忘れに衣替えする。ここに1年に1度の醍醐味であると、只野は密かに思っている。
2006年12月19日
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今どき、ラーメン1杯食べると大体約700円ぐらいかかることになる。只野はラーメンが好きであって、この場合の金額は惜しまない。 ところで最近只野は、携帯を買い換えたところである。只野が携帯を買うときには、いわゆるニューモデルは買わない。 そもそも携帯というものは、軽くてコンパクトであるべきというのが、只野の持論である。今回は特にこだわった。 選んだのはソニー製の702iなどという携帯である。ゴチャゴチャした機能はいらぬ、電話と携帯とインターネットができればよい、そして軽いほどよいなどと思っていて、その機種にした。 なかなか使い心地はよい。何しろコンパクトであって、只野の想定範囲で携帯することが可能である。 そこで価格の話になるが、まぁポイントなどもろもろの特典を重ねて、600円でお釣りをいただくことができた。 只野としては、ラーメンを1杯我慢して、新しい携帯を手に入れた気分である。
2006年12月14日
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最近の若い者は…というのはよく言われる言葉である。多くは…○○がよくないということになる。 只野はこういうことにへそ曲がりになる。「最近の若い者は○○がいいじゃないか」ということを探したくなる。 最近の若い者は、案外礼儀正しい者が多くていいじゃないか。半分やけくそで「おはようございます~」なんて言ってくる。朝から気合いが入ることになる。 最近の若い者は、案外清潔でこざっぱりしているじゃないか。ワイシャツの襟なんてパリッとしている。こいつは一日朝晩2回風呂に入っているんじゃないかと思ったりする。 最近の若い者は、コンピュータ関係では融通が利く。Aを頼んでも、B,Cまでやってくれる。「そういわれると思いまして…」なんて言いやがる。 この辺り、頑固親父の類は譲らないが、只野は柔軟である。有り難く感謝することにしている。ある意味では、若者が育つことにもなる。もちろん、それがいけないことであれば話は別である。 最近の若い者は…まだありそうではあるが、このあたりでそれを思いつくまでのエネルギーが尽きてしまう。 最近の若い者には、このエネルギーが体内にみなぎっているのだろうと、只野はうらやましく思っている。
2006年12月13日
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12月の今頃、只野の見る景色には尾根に多くの雪を抱いた連峰が見えることになる。これを只野は、霜降り連峰と呼んでいる。もっとも霜以外は肉色ではなく山肌である。 山々が霜降り連峰になる頃、近隣の山は紅葉の終盤を迎える。それは一様に濃い色であり、地味になる。一段と冬の寒さを感じることになる。 山々が霜降り連峰になる頃、只野は晴れ間を選んで、冬タイヤに換えてもらうことにしている。以前は自分で換えていたが、最近は根気がなくなってしまった。また、こういうことで景気に貢献するのは、季節のものとして悪くないとも思っている。 山々が霜降り連峰になる頃、街では冬ならではの花が咲くことになる。垣根の冬ボタンなど、なかなかよろしい。緑濃い垣根に、鮮やかな存在感を示している。 山々が霜降り連峰になる頃、只野は灯油の心配をすることになる。しかし現在すでに、灯油を使う器は只野の近辺にはない。むしろ加湿器の貯水を心配しなければならないことになる。 ここしばらく、霜降り連峰が「脂身」になる日は近いと只野は見ている。
2006年12月12日
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日曜日の午後、只野は愚息2とともに自転車を買いに行った。巨大ショッピングセンターで自転車を買うのは2度目である。 愚息2は、練習のかいあってようやく自転車に乗れるようになった。止まる按配がまだ難しいらしいが、それは体で覚えるしかない。 考えてみると、自転車のブレーキを握る按配というのは、言葉にできない難しさがある。急に握るとタイヤがロックして危ない。前タイヤならつんのめってしまう。 愚息2の自転車は、スピードメーター付き、夜間ライト自動点灯である。スピードメーターは、只野の自動車にもついているが、夜間ライト自動点灯はついていない。この点、只野の自動車より豪華であることになる。 思えば只野も、生涯二度自転車を買ってもらった記憶がある。1度目はラジオと方向指示器とスピードメーターがついていた。方向指示器は、昔のトラック野郎を思わせる派手さがあった。 今では、只野にとって自転車は、車輪の下に「操業」をつけるものしか存在しない。 師走である。
2006年12月11日
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只野の貯蔵庫には現在、ビール、ワイン、焼酎、ウイスキー、日本酒が存在する。これだけの種類が揃っているのは珍しいと思っている。 ビールは、正確には第3のビールである。こいつは頻繁になくなっていく。そのおかげで酒屋にはしょっちゅう顔を出すことになる。 ワインは季節柄、ヌーボーである。ヌーボーの解禁日は11月中旬であり、少しあたためておこう(保存しよう)とすると、クリスマス手前になる。このあたりのあわいが絶妙である。したがって現在、ワインが存在することになる。 焼酎は甲類である。ホワイトリカーということになる。梅を漬けるわけではない。今の季節は、グレープフルーツジュースと水で割って、レンジでヒトハダにする。 ウイスキーはサントリー山崎である。これは正月に飲む予定である。山崎蒸留所で飲んだハーフロックが絶妙であったことを思い出す。 日本酒は新築の祝いである。現在はこいつをヒトハダで飲んでいる。 人間、選べるというのはなかなかうれしいものである。今晩はどれにしようかと悩むことになる。しかしご利用は計画的にとの指示が周りから出ている。 只野は密かに「明るい飲酒計画」を立てて、毎晩に臨もうと考えている。
2006年12月08日
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ビルの工事現場横の通りを歩いていたら、鉄骨が降ってきたけど、保険会社がさっと出てきて支えてくれた… 某保険会社のCMに、こんなのがあったことを憶えている。まぁしかし、突然降ってくるものというのは、大変なものである。 はるか上方の高速道路から、巨大な鉄の箱が突然降ってきたそうである。箱は甲子園球場の入口付近に落ちたという。 野球の季節であれば大惨事になったことは誰にでも予想できる。不幸中の幸いとはこのことである。 いずれにせよ、この種のものが突然降ってくるというのは、あってはならない。 金は天から降ってくるものだなどと言われる。こういう降ってくるものは歓迎したい。 只野は、その降ってくるものを最もたくさん受け止めるためにはどうすればいいかなどと考えているが、これは余計である。 師走の時期を迎えると、もう一つ降ってくるものがある。そいつは、恋愛ドラマのバックで降る分には、心豊かに穏やかに過ごすことができる。 しかし時として、威圧的に降ってくることがある。戦々恐々ということになる。 その白い降りものについて、すでに北の便りでは聞いている。しかし只野は、今シーズンまだ確認していない。
2006年12月06日
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新居に移ったことについては、またたく間に職場で話題になってしまう。只野の場合も例外ではない。 ☆ ☆ ☆ 「いや~只野さん、新居ですか。いいじゃないですか。カンソウでも話して下さいよ。」 「カンソウですか。いや大したもんですよ。」 「やっぱりそうでしょう。いいですね、新築は。もっと具体的に教えて下さいよ。」 「すごいんですよ、毎日。部屋にはいるだけで、こう、何というか…」 「そんなにすごいんですか。うらやましいナァ。」 「いや、うらやましいなんてもんじゃないですよ。これでも結構大変なんですよ。」 「只野さん、大変なんて言ってたらバチ当たりますよ。素直にいいと認めないと…」 ☆ ☆ ☆ 只野の新居は現在、大したカンソウである。原因は鉄骨構造と蓄熱暖房機らしい。 現在はリビングに加湿器を置いたことで、ちょうどいいカンソウになりつつある。
2006年11月29日
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ついに只野は、新居に入ってしまった。約5ヶ月過ごした借家に別れを告げたことになる。 借家のテレビが日テレとNHKだけしか入らなかったことは、何度も書いたところである。森田一義などというタレントの顔を、5ヶ月間見ていなかったことになる。 然るになんぞ、この地デジなどというものは。映像のみならず、データ放送まで見ることができる。画像も鮮明である。髪の毛の1本が見えている。顔のでこぼこが鮮明である。 これはテレビの出演者は困るだろうと、只野は思った。何しろ肌のきめ細かさが見えてしまう。男性のドーラン顔など、すぐわかってしまう。 スポーツの審判も困ることになる。行事差し違いが、テレビの前の人に判断されてしまう。バレーボールのワンタッチが、審判より鮮明に見えていることになる。 小さい子どもの保護者も困る。ドラマの残虐な場面がよりリアルに表現されてしまう。 とにかくテレビのチャンネルは、一気に今様に増えてしまったことになる。只野にとっては、5ヶ月の高度経済成長期を経て、一気に文明開化した感がある。 愚息1が「無線LANの…」と言いかけたときに、只野の母が「卵なら今日安いよ」と言った。文明開化の頃は、そんなもんである。
2006年11月28日
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只野の3人は、程なく京都駅に着くことになった。この時点での3人の共通認識は「タクシーに任せて、紅葉の名所でも3時間ぐらいお願いしよう」ということであった。 然るに何ぞ、この景色は。バスもタクシーも、乗り場という乗り場はすべて何十メートルという列をなしている。 その景色を見た時点で3人の意見は期せずしてまとまった。「蒸気機関車を見に行こう。」 これは当初からの予定であった。それが京都に近づくにつれて「紅葉もいいんじゃないか。」ということになっていったのである。しかし何十メートルの列を見たときに目が覚めてしまった。 梅ヶ丘蒸気機関車館である。イメージが湧かない人は「機関車トーマス」の機関車が話し合う半円の状況を思い出してもらいたい。その状況を見ることができる。 蒸気機関車が走っている。北の大地を走る蒸気機関車を思わせる雄大な姿である。 汽笛が鳴る。叫んでいるという感じである。汽笛というのはこれでないといけない。とにかく蒸気機関車というのは、何事も一生懸命な様子がいい。 梅ヶ丘蒸気機関車館は、東海道線、山陰線の分かれ目にある。あるとき、蒸気機関車と新幹線と特急が並んで走る様が見られた。こういう景色に只野は弱い。感傷的になってしまう。 このあと只野は、帰宅することになる。帰宅する間際に、この日はあまり飲んでいないことに気づくことになった。 多少二日酔いの気がないでもなかった。
2006年11月24日
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いつになく熟睡した只野は、目が覚めても自宅と勘違いしていた。寝ぼけ眼に雑魚寝の風景を見て、一泊二日の一泊だったことに気づくことになった。 旅館の朝食は気持ちがよい。海苔と梅干しと漬け物と卵焼きがあれば、朝食にして2回分になる。只野は1.5回分のご飯をいただくことになった。京都なら湯豆腐があってもいいのではなどと思ったが、量としては贅沢な感じもした。 只野を含めた3人は、宿を出た。しかし行き先にはまだ迷いがあった。とりあえず行き先を決めるためにスターバックスに入って、相談することにした。 とりあえずコーヒーを注文する。カップを決めろと言われる。こういうときに一番大きいとか小さいというのは極端である。そうかといって、コーヒーをたくさん飲みたいという気はない。したがって下から2番目を選ぶ。 下から2番目のカップは予想以上に大きかった。3人とも、そろそろ出発したいと思っても、残りのコーヒーはそれを許さなかった。スターバックスで、これほど難儀することは予定にはなかった。 結局、この後の行き先を決めることなく、スターバックスを出た3人は、とりあえず京都駅に向かうことになる。
2006年11月22日
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その夜、只野には一つの目論見があった。「京都の真ん中に泊まっているのに、サンボアに行かない手はない。」 サンボアは老舗のバーである。もとは京都ではないが、その長い歴史の中で本舗となりつつある。只野としては、その老舗の雰囲気を味わってみたいと思っていた。 ただし、只野がそのことを思いついたのは宿に着いてからである。宿のフロントに電話をすると、ボーイは時を待たずして、丁寧に旅雑誌のコピー、宿を中心とした地図にマーキングしたものの2種を持ってきた。 こういう時の只野は、単独行動になる。自分の趣味を人に押しつけてはいけない。 サンボアに入ると、そこはまさに古きよき「バー」であった。古い木造の調度品に並ぶ幾種もの瓶が、そのことを物語っている。 マスターは職人である。こういうときは一言一言の間が絶妙になる。 「一度来たいと思っていました。」… 「それはありがとうございます。」… 「山口瞳のファンで」… 「よく来られましたよ」… つまみは南京豆である。皮はカウンター下に落とすことになっている。只野は皮まで食べた。 「先生(山口瞳)は、ハイボールでしたよ」… 「じゃ、同じものをください」… 万事この調子で、只野はついつい飲んでしまうことになる。 帰り道において只野は、来た道をどこで曲がってきたか思い出せなかったので、タクシーに乗って宿に戻ることになった。 タクシーの料金が基本料金で済んだことは、なんとなく只野の記憶に残っていた。
2006年11月21日
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山崎蒸留所で生まれた只野は、その後、長岡京市にあるサントリー京都ビール工場に向かうことになる。 途中、食事の時間になったので店に入ることにした。ここはサントリービールで行こうと思っていたが、果たしてサントリーモルツが出てきた。これは学校でいえば、予習ということになる。 ビール工場まではシャトルバスが走っている。乗り合いバスであるが、整理券は出てこない。料金表もなく、どうやら無料のようである。 ビール工場に着く。案内嬢はIさんである。ウイスキーのときもそうであったが、何とも説明がうまい。痒いところに手が届くような感じである。 ビール工場はクリーンである。醸し出すような香りは感じない。もっともその方が、ビールとしては好感が持てる。同じ酒でもウイスキーとはこうも違うことに、只野は気づいた。 一通り見学した後は、試飲レストランに入る。健康のため、一人3杯までというお願いを聞く。ガバガバ飲むと試飲にはならない。只野は、プレミアムモルツをキッチリ3杯飲んだ。 もっとも只野の場合、それまでに飲んだ量があるので、健康のためというのは問題外であるとも思っていた。
2006年11月20日
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山崎駅は京都駅から大阪に向かって4つめの駅である。只野は3人のグループで山崎駅に降りた。目的地までは歩くことになる。 雨が落ちてきた。秋雨であり濡れていこうと只野は思った。 山崎駅は京都である。しかしサントリー山崎蒸留所は大阪になる。すなわち只野らは、歩いて県境を越えることになる。「正確には府境ですよね」との指摘はまことに正しい。 サントリー山崎蒸留所に着く。只野にとっては今回一番の目的地である。ついに電車からの車窓を手にした気分である。 案内のMさんの後に続き、工場を見て回ることになる。Mさんの説明は当を得ており、まことにわかりやすい。毎日何度も同じ説明をされているのだろうなどとも思った。 重厚な蒸留釜が並ぶ。一つ一つ形が違う。それが多彩なベースのウイスキーを生むということである。生まれたての透明なウイスキーを目の当たりにすることになる。普通ウイスキーの偽物はお茶で作るが、これなら水でよいと只野は思った。 貯蔵庫である。一歩足を踏み入れると「香りの世界」である。只野は故郷に帰ってきたような感覚で、貯蔵庫の雰囲気を味わっている。 例の、樽が何段も積み重なった貯蔵庫である。樽には生産年が刻印されている。一番古いもので1920年代のものもある。ただし只野の生年のものはなかった。 この静寂の中に、芳醇な香りを漂わせて、時が静かに流れていく感じがよい。只野は貯蔵庫という胎内で、ウイスキーという羊水を味わっていた。 貯蔵庫から生まれた只野は、試飲会場でウイスキー山崎を元気よく飲むことになる。
2006年11月15日
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只野は、最寄りの駅からサンダーバードに乗り込んだ。サンダーバードは特急の名称である。 当初渡されたのは乗車券のみであり、どの列車に乗り込むかわからなかった。よく聞けば、指定券が取れなかったそうである。したがって自由席に乗り込むことになる。 先に乗り込んだ同僚が席を確保してくれていた。これはありがたいことであるが、周りの客に対してちょっと気が引けることになる。 座席はすでに対面になっている。落ちついた頃に車内販売がやってくる。只野はビールとミックスナッツを買う。対面の同僚も同じものを注文した。しかしミックスナッツは只野で売り切れてしまった。同僚はポテトチップスを買った。ビールとポテトチップスの組み合わせの方が安いことがわかった。 ミックスナッツの量は中途半端である。ビールを飲み干したときに7割方残っている。こういうときに輪ゴムがない。あってほしいときになくて、どうでもいいときにたくさんあるものの代表である。仕方がないので、只野は袋の口をねじって握っていた。 そのうち、向かいの同僚が残ったポテトチップスを窓のサンのところにおいた。「これはいい」と思い、只野もねじった口を戻して窓のサンにおいた。 車内案内は「もうすぐ京都」を告げている。しかし只野のおいたミックスナッツはまだ残っている。 只野は、ミックスナッツの口をもう一度ねじって、バッグのポケットに押し込み、京都駅のホームに立った。
2006年11月14日
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社内の慰安旅行というのは、この紅葉の時期に多くあると思われる。只野の場合も例外ではない。 今年は京都である。統一行動は行き帰りの電車と旅館(宴会)であり、あとは自由である。こういうのは只野のようなものにとっては非常にありがたい。 実は以前から「今度京都へ行ったときは…」という目的が、只野にはいくつかあった。 サントリー山崎蒸留所である。関西へ行くときには、必ずこの建物を目にしていた。それをウイスキー只野が見逃すわけはない。 もう一つは、京都のバー「サンボア」である。この老舗のバーで一度飲んでみたいと思っていた。 結論から言うと、この2つの目的は達成したことになる。 今回その他の計画としては、サントリーの長岡京ビール工場と梅小路蒸気機関車館ということにした。 この紅葉の時期に、なぜ寺に行かないのだということになる。しかしこの時期の寺は、紅葉でなく人を見ることになる。 加えて今回「この寺ではホニャララ天皇がホゲホゲをしたところだ」などと言える人はいない。したがって、京都にして寺いらずということにした。 これがなかなか気分のよい旅になるのである。
2006年11月13日
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○(まる)というのは、優れものであると、只野はつくづく思うことがある。最初に考え出したのは誰だろうかなどとも思っている。 人が遠くまで移動できるのは○(まる)のおかげである。タイヤがないと車というモノは動かない。しかしタイヤがあると、地続きの果てまで移動することができる。○(まる)は大したものである。 トンネルの強度は○(まる)によるところが大きいと聞く。すべての方向から一様に力がかかるので、大きな山の下に掘っても、かかる力は分散するということになる。やはり○(まる)は偉大である。 時計の文字盤は○(まる)だからこそ、非常にバランスがとれている。長針も短針も、書かれた数字に対して平等に到達する。これが四角だといけない。横長だと12時と6時だけに対して、針が妙に近づくことになる。やはり文字盤は○(まる)が、バランスの上でもよい。 満月は、○(まる)の典型である。こいつはその曲線が、他のどんな曲線よりも美しい。だ円とか、歪んだ円ではいけない。只野はコンパスで書いた円にも勝ると思っている。とにかく美しいんだな、月というものは。 ○(まる)。人間関係というのも、かくありたいと思う今日この頃である。 (こういう感じで筆を置くのは只野らしくないので気に入らないのだが。)
2006年11月10日
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その日只野は、外を歩く機会を得た。傘の心配をまったくしなくてよいというのは、気持ちのいいものである。 空には雲一つないといった天気である。小春日和の「小」を「中」「大」にしたい感じである。 最近は「小春日和」を読めないという話を聞く。「どこの女性?」となるそうだ。そんなことを思い出しながら、只野はさらに歩く。 公園を横切ることになる。公園では若者がサッカーに興じている。平日の昼間であり、どんな人たちなのかと思ったが、気にする必要はない。 自転車が横を通り抜ける。只野はセカンドバッグを抱えている。バッグをとられるときは、このタイミングでスッととられるのだななどと思ってみたりする。とりあえず、バッグを道路の隅側に持ち替えることにした。 十字路の信号にさしかかる。只野は2度渡ることになる。渡る方向で待ちながら、もう一方の信号が青であることに気づく。「渡ろう!」と思って一歩足を出した途端、青信号が点滅を始める。只野は何もなかったかのように、元の位置で待つ。 川べりを歩く。秋の晴天には欠かせない匂いが感じられる。見れば野焼きをしている。やってはいけないのだろうが、この匂いの癒し度は高い。 小1時間ほどで、只野は戻ることになった。ちょっと汗ばむくらいの小春日和だった。
2006年11月08日
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只野の借家暮らしもいよいよ大詰めである。もう10日もしないうちに借家を離れることになる。 借家における只野の寝室は、愚息1の部屋の奥になる。ちょうど奥座敷の格好である。 したがって、愚息1とは「フスマ1枚隔てて」ということになる。その昔「フスマ1枚隔てて寝息を立てている妹」とう唄があったが、そういう状況である。 たまに寝息が聞こえてくる。愚息1はまだイビキはかかないようである。只野がイビキをかくとしたら、愚息1は文句を言うはずである。言わないところを見ると、只野も目立ってイビキはかかないことになる。 その晩、華々しい雷とともに雨風になった。只野は、ウトウトしながら障子の奥に稲光を感じていた。いよいよ冬の始まりの天気になったなと思っていた。 同時にここで借家に雷が落ちると困るとも思った。一応火災保険には入っている。しかしあと10日を切って、落雷に遭うことになると、これはたまったもんじゃない。 そんなことを思いながら、只野は寝床でさらにウトウトし、眠りかけていた。 そのときである。障子の向こう側が思い切り明るくなるではないか。しかも明るいままである。 「明るいナショナル♪」などという歌があったなどと思っている場合ではない。只野は、いよいよ雷が落ちたかと思った。 必死にウトウトから目を覚ました只野は、その明るさが「フスマ1枚隔てた」愚息1の部屋の蛍光灯だったことに気づいた。 只野は、何事もなかったかのように再び寝床に収まる格好となった。もっとも何事も起こっていない。
2006年11月07日
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自動車を前から見ると、人の顔のように見える。昔は、ライトがほとんど丸形だったこともあり、一層人の顔の様相を呈していた。 ところがである。最近の車というのは、なぜか一様に「コワモテ」になってしまった。 たとえば「ツリ目」である。いかにも走ってやるぞと言わんばかりの様相を呈している。 そうかと思うと、ライトの上半分をツリ目状に隠して、いかにも「フテクサレ」になっている車もある。 「ツリ目」の顔をしながら、紅葉マーク(枯れ葉マークとは言わない)をつけて、制限速度-10kmで走る方もみられる。これは対向車から見る分には、なかなかユーモラスである。 「フテクサレ」のワンボックス車に、一家揃って乗っているというのも、対向車から見る分には十分ミスマッチでおもしろいものがある。 問題は歩いているときである。「ツリ目」や「フテクサレ」の車とすれ違うとゾッとする。 まして、その車が飲酒運転や脇見運転でこちらに突っ込んでくることを考えると、これほど恐いものはない。 安全運転はもちろん絶対である。しかし最近の車の「コワモテ」というのは、もっと優しくならないものか。 個人的には笑顔満点、ニコチャンマークの顔をした車にお目に掛かりたいものである。 さんざん言いながら、只野の車も「ツリ目」の富士重工謹製レガシィであることを記しておく。
2006年10月31日
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夜の会合というと「それは宴会だろう」と言う人が多い。しかしまともな会合もあるのだ。 その晩、只野は、19:00からの会合に間に合わせるように車を走らせた。いつも時間ギリギリになることが多いので、今回は5分前に着こうと決意を固めていた。 そういうときに限って、敵が次々登場するものである。 まずは信号である。世の中にこんなに信号があったのかとあらためて思うことになる。 しかもみんな赤い顔してやがる。にらみ返してやると、1~2分して青い顔に変わる。何ともしおらしいヤツである。 もう大丈夫だろうと思うと、次は踏切である。こいつの通せんぼは長い。人は目を白黒させることがあるが、こいつは目を赤黒させてやがる。 にらみ返してやると、黒くなって寝たふりをする。しかし手を挙げることになる。「ありがとよ!」などと言って、只野は颯爽と通り過ぎる。 かくして只野は、会議室のドアを勢いよく開けて「みなさん!こんばんは!」などと元気よく挨拶し、着席する。時計を見ると、かっちり5分前である。 などと一度はやってみたいものだと思いながら、只野はいまだに運転している。車の時計は19時に5分前を指している。
2006年10月26日
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この時期、背の高く黄色い花をつけて野原に群生するのが、セイタカアワダチソウである。只野は、このことを昨年の今頃知った。 今年もその時期にさしかかっている。ふと目をやれば、野原や川原にセイタカアワダチソウが所狭しと花を盛んに咲かせている。 昨年はそうも思わなかったが、今年はその黄色が妙に毒々しく見えている。テレビの子どもヒーローものにおける悪役魔女の感じに見える。 周りの雑草は、魔女の手下ということになる。魔女の足下でしっかり守っているといった構図になる。 微妙なのは、ススキである。その格好からして正義のヒーローというには、ちょっと弱い。情緒を醸し出してくれることぐらいが救いではある。 今日も、魔女の毒々しい黄色が風になびいている。早く正義のヒーローが現れないものかと、只野は渋滞の車窓から眺めている。
2006年10月24日
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その朝、只野は愚息の学習発表会へ行く準備をしていた。 学習発表会では、食券が必要になる。只野も、こいつを忘れてはいけないとばかり、早々にセカンドバッグに入れておいた。 只野は、世の父親の例に漏れず、ビデオと三脚の準備をしていた。三脚は初めての使用であり、使用方法を確認しておかなければいけない。 さぁ学校へというところになって、只野はふと考え込むことになる。ビデオと三脚を持つと手がふさがってしまう。これでは何かと不便である。したがって、後の持ち物はできるだけ少なくすることにした。 そうなるとセカンドバッグは邪魔である。只野は携帯電話と財布だけを取り出して、後は置いていくことにした。 学校までは歩いて12~13分ほどであろうか。天気がよいというのは、歩いていても気持ちがよい。 学校に着くと、只野は母とすれ違った。愚息の祖母である。 「○○さんが『食券忘れて、取りに行ってきた』と言われて、自分も食券を忘れたことに気づいたから、さっき取りに行ってきた。」只野の母はそう言った。 「食券忘れた?それは大変だ…食券?…セカンドバッグ?」そこで只野も食券を忘れたことに気づくことになった。 只野は一路走って、家まで食券を取りに行くことになった。小学校の頃、忘れ物をして家に走って取りに行ったことを、期せずして思い出すことになった。一日に3度取りに行ったことも、走りながら思い出していた。 天気がよいというのは、走っているとさすがに暑い。
2006年10月23日
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