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画像は5月末に仙台港に寄港・公開された自衛隊の護衛艦を見に行った時のものです。
娘は特別支援学級、放課後デイ、就学前に通った療育施設でダウン症のお子さんと接する機会が多々あり、ごく普通に友達として接しています。
今まで「AちゃんとBくんって顔が似てない?」と聞かれることはありましたが
「そうだね」と流していました。
ダウン症の方は似た顔立ちになる方が多いですが
言葉の方は人それぞれで、全く話せない方から日常会話に問題ない方までいます。
加えて足が不自由な方や体の小さい方が多々おられるのに最近気づき、
言葉の方も一緒に遊んでいるうちにどんどん喋れるようになったお子さんがいる一方で、学年が上でもゆっくり言葉を覚えるお子さんとの「違い」に気づいたのがきっかけだったようです。
「この人達って病気なの?」という質問がついに来ました。
私「病気ではないよ。障がいだよ。」本当のことを言いましたが、
ダウン症という固有名詞を知るには幼い年齢なのでそこはあえて伏せました。
娘「フーーン」
しばし考えていたようでしたが
「じゃあ、私も障がいなの?」と突然聞いてきました。私「そうだよ。」
嘘はつけないのでココは正面から向き合いました。
娘は現在、自分がなぜ支援学級にいるのか?という本当の理由は分かっていません。
ただ、交流学級ですごく親切に接してくれるお子さんが複数いるとのことで
クラス内では普通なのに、なぜ自分が行くと声音を変えて大歓迎?するようなことを言ってくるんだろう?とは思っていたそうです。
「親切な人が多い」と素直に喜んでますが
「支援学級の子には優しくするように」という指導があってのことです。
「障がい」を告知した後も娘は特に変わりなく、いつも見ているテレビを見てゲラゲラ笑っていました。
私は番組が終了するまで約20分ほど考えた後、
私「保育園の時にさ〜、20人クラスがとても辛かったんでしょ?」
娘「うん。」
私「今普通学級にいる人達はね、20人クラスでも30人クラスでも特に『辛い』とは感じないわけ。りと子(娘)は1日中普通学級にいるのは耐えられないでしょ?」
娘「うん。」
私「つまり、そういう『障がい』ってわけなの。」
娘はこれで納得したらしく、その後追求してくることはありませんでした。
自分の診断名をいつかは知ることになると思いますが、学校や放課後デイの先生と相談しながら 対応していこうと思ってます。
先日、療育手帳を役所に返還したことを書きましたが
今までは「療育手帳があることが条件」の支援学校に高等部から行けて将来の就労につながる
指導を受けられたら良いな。。と思っていました。
が、療育手帳がなくなったことで中学卒業後がどうなるのか?という心配事が出てきたので
専門家の方に意見を聞いたところ
「中学の支援学級の先生がお子さんに合ったところを提案してくれると思いますから心配はいりません。」と言われたので安堵しているところです。
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