山口小夜の不思議遊戯

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2005年08月28日
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 目の前の墓石から、すいと豊が姿を現した。
 それはまるで小夜の呼びかけに森の精霊たちが一斉に応えて、豊に凝縮されて姿を現したかのようだった。
 彼は馬に乗っていなかったので、小夜はその容姿がはっきり見てとれた。

 豊の紺飛白の着物に付けられたおかしな模様に、小夜は目を吸い寄せられていた。豊の胸に下げられた僻邪(へきじゃ)飾りが、まぶしい朝の陽射しをあびてきらきらと反射し、小夜の顔を照らした。
 武人ほどではなかったが、豊は小夜よりだいぶ背が高かった。つややかな髪が、明るい陽光の中でかすかにゆらめいていた。
 手にはなぜか使い込んだふうの束子が握られており、その手で顔をこすったのか、鼻筋の通った顔はところどころ黒く汚れていた。

 気がつくと、豊も小夜を見つめていた。
 なんのてらいもないその率直な眼差しが、小夜にはひどく奇異なものに感じられた。横浜では、こんなふうに他人の顔を覗き込むことは、ぶしつけなこととされていた。だが無礼と断ずるよりむしろ、今、豊が小夜を見る瞳は、人を見つめることに照れを覚えない赤子のそれだった。

 ──うち、小夜っていうん。横浜から来たんよ。


 ──なにをしに、ですか。
 ややあってから、豊は小夜の目を見つめたまま、静かにそう言った。
 一度聞いたら忘れられない、不思議な静謐さに満ちたあの声だった。それは単純にして深遠な問いかけに小夜には聞こえた。

 小夜は喜びにあふれていた。
 そしてきびすをかえすと、里に向かって駆け出した。

 すっかり自信に満ちた気分になっていた。今度こそ自分から新しい世界に打って出たのだ。
 父親の転勤に伴って、本人の意思に関わらずひきずられるようにしてやってきたのではなく、心優しいみくまりに手を引かれてこどもたちの輪の中に連れ出されたのでもなく。
 小夜の自信の源は、自分から豊に逢いに行ったということにあった。寝床から起き上がり、自分から外の世界に出て行ったのだ。
 小夜は呼びかけ、彼は応えた。それで充分だ。

 今や、小夜には様々な思いが腑に落ちていた。
 鳥取に自分が来た意味、それはすなわち、あの少年に出会えたことと同義だった。

 もはや、相生の子を生きるということが、小夜の胸のうちで鮮やかに知覚されていた。

 小夜は走り、気がつくと吸い寄せられたようにてつの家に駆け込んでいた。
 喜平じぃはもちろんそこにいた。
 小夜は広大な土間から上がって、老人の前に息をはずませて正座した。
 小夜はいつもあいさつしながら縁側の前を通るだけで、これまでにまじまじと喜平じぃの顔を見たことはなかった。


 その容貌の縦横に走る、地殻にも比すべき皴の奥深く、知性に輝くまなじりが小夜を見つめていた。
 小夜は自分の全体を包み込むようなそのまなざしに促されるまま、ひとり問わず語りを始めた。

 ──うち、ゆたに会うただ。横浜から来たて言うたら、なにしに来たですかって言うたっちゃ。
 小夜はこの老人に向かって、相生の言葉で一生懸命に言いつのった。

 喜平じぃには、それだけで充分に伝わったようだった。
 ゆっくりと彼の上体が傾いてき、その大きな両の手が小夜の小さな頭を包み込んだ。

 ──行って、遊んどいで。
 喜平じぃは、いとしいものを見るような目をして小夜を見つめていた。
 唐突に小夜は、この老人のかつて聖域であった場所を今子供たちが遊び場として使える幸せと、彼のはかり知れない寛容さとを思い知った。






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最終更新日  2005年08月31日 12時52分02秒
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