山口小夜の不思議遊戯

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2005年09月20日
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 木々はすっかり葉を落としていた。

 季節はゆっくりと、しかし確実にめぐっているようだった。
 それは早い冬の訪れだった。二,三日前からちらちらと降っていた初雪は、実はその後のすさまじい吹雪の前触れだった。

 分校は大雪の間は休校になり、子供たちはまる二日、それぞれの家にこもって、雪の晴れ間を待っていた。

 大雪になる前に、小夜はみくまりからある心あたたまるまじないを教えてもらっていたので、家に閉じ込められていてもそのことばかりが気になって、たいくつすることなど微塵もなかった。みくまりが言うことには、

 降る初雪を懐紙で受け、雪の乾かぬうちに、

 ──しろたえの 袖ふりかへす 恋なれば 
   妹(いも)の姿を 夢にし見ゆむ



 小夜はもちろんそれをひそかに試行してみたが、初雪というのはその季節に初めて降った雪という広義の意味での初雪ではなく、初雪の中でもいっとう始めに降りてきた雪のひとひらを受け止めなければならなかったのではないかと、気が気ではなかった。

 もっとも親しい賢者であるみくまりにふたたび尋ねてみることも考えたが、なぜそんなに真剣になるのかと尋ね返されたらなんだか困るような気がして、結局小夜のはじめてのまじないは、自己流で終わることになった。

 果たしてその晩の夢は、やはり小夜の呪(まじな)いのやり方に不手際があったのか、きわめて抽象的な像を結ぶのみであった。

 とある背の高い青年が、いずこかの屋敷の中にしつらえられている重厚な階段をとんとんとんと身軽に降りてくるのに、小夜は夢の中で行きあった。

 だが、忘却の朝に、その青年の顔は忘れられた──。

 さて、小夜にとっては、このわくわくするような大自然に翻弄される生活も、地元の人にとっては非常事態でもなんでもなかった。

 毎年雪の季節になると、学校はしばしば休校に追い込まれ、かろうじて外界との接点となっている郵便物や新聞も、一週間に一度、七日分をまとめて配達されるのみの、閉ざされた世界になるのである。

 また、相生村から市街に向かう便も、一週間に一度。買出しためのライトバンが村人の御用聞きを集めた紙を携えて、鳥取市に向けて出発する。
 小夜も何度かそれに乗せてもらったことがあるが、大丸の駐車場は割高だというので、ダイエーに車をおいて大丸まで品物を買いに赴くのだった。

 後に小夜は他県の人に、鳥取とは西日本にあるから暑い地域なのだろうと言われて、唖然として答えが返せなかったことがある。


 鳥取は夏暑く、冬寒い。彼岸になると、あたかも帳(とばり)が切って落とされたかのように、鳥取の季節はまことに潔よく寒暖を決する。

 さて、学校のない二日間のおかげで、小夜は最近届けられたばかりの、横浜でのクラスメートからの手紙をゆっくりと読むことができた。

 一ヶ月ほど前に、小夜は手ずから摘んだ二十世紀梨を聖ヨハネ学園の三年A組宛に送っていた。
 今回届いた分厚い茶封筒は、クラス全員からの感謝状であるようだった。 包みを開くと、原稿用紙にひとりずつ、教わったばかりと見受けられる型のそろった書き方で手紙がしたためてあった。

 ──山口さん、なしをありがとうございました。


 皆が皆、必ずと言っていいほどこの書き出しから始まっていた。
 四時間目から延々と一クラス分の梨をむいて下さった宮下先生にはお疲れ様なことではあるが、二十世紀梨は二十一世紀になったらその名称をどう変えるのか、という質問が、まるで判を押したように並んでいるのには、さしもの小夜も閉口してしまった。

 さすが──というかやっぱりというか。街の子たちの作文ではある。

 梨はどうやって作付けするのか、また梨を実らせる上での苦労など、誰かひとりくらいは知りたがってくれてもよいのではないか──小夜は小さな眉を寄せて思った。小夜はそれに対する答えを、たくさん用意して待っていたのだ。

 仲のよかった友達の名前も見つけたし、その中にはいまだに文通している子もいないではなかったが、実のところ、小夜の人間に対する魅力というものは、鳥取の子供たちに移ってしまって久しかった。



 本日の日記---------------------------------------------------------

 私が鳥取にいた頃は、デパートといえば大丸かダイエー、そして大きな店舗としては「うしお電気」というお店を覚えています。

 ダイエーだかに、「キャプテンクック」というそのデパートならではの自社ブランド製品があり、言霊を重んじる相生の子供たちの中で「キャプテンクック」という名前の響きがおおいに興味をそそられ、みんなで手分けしてその人物について調べた覚えがあります。

 それによると、「キャプテン」とは「船長」のことで「クック」が名前であることがわかりました。「キャプテンクック」とは、「クック船長」のことだったのです。

 また、彼は人類史上最も偉大な冒険家の一人であることもわかりました。
 大航海時代の末期、全長わずか30メートルのちっぽけな木造帆船の上で94名の乗組員を統率し、月へ行くのとほぼ同じ距離を航海したキャプテン。
 三年をかけて地球を一周する航海の厳しさは、相生の子供たちの想像力をおおいに刺激しました。

 当時としては珍しく、クックは「未開の異文化」を尊敬する人間でした。
 イギリスのヨークシャー州に農夫の子として生まれ、階級社会の壁を乗り越えて偉業をなしたクックだが、意外にもその人物像については謎が多く、私たちはこの偉大なキャプテンの内面に迫るべく、子供の想像力を総動員してあれこれと語り合いました。

 けれども、今思うに、この物語との出会いを相生村の中で一番に欲していたのは他ならぬ私であったのだと思います。
 歴史学者のバーナード・スミスがいうとおり、「ほかのだれよりも世界をひとつにすることに貢献した」キャプテン・クック。
 世界を変えた男の物語として、そしてその後の世界のあり方を考える意味でも、私は鳥取時代にキャプテンクックの冒険譚に触れていてよかった。

 ビバ!ダイエー!!(おりしも創始者はおととい亡くなったけど)

 鳥取市内のデパートは、今ではとても増えたのでしょうね。

 明日は●二十世紀梨とは●です。小夜なりに、一生懸命鳥取の梨の説明をします。タイムスリップして、あらあらあらと首を傾げにきなんせ。





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最終更新日  2005年09月20日 09時22分19秒
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