山口小夜の不思議遊戯

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2005年12月09日
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 豊という独特の個性を持つ少年は、万事が万事、常人の‘斜め’一歩前をいくといった調子であったため、彼が綴った文章も文部省のいわゆる「作文コンクール」などでは入選しにくい文体であることは一目瞭然だった。

 しかし、教育委の人がわざわざ訪れたとなると、それは豊の文章表現が何らかのかたちで認められたに決まっている。小夜はシリアス路線にはまろうと思えば、いくらでもはまれる表現を得意としていたが、ことそういった‘マジメ’な文体を求められる課題に関しては、豊は決して自分のスタイルを妥協させなかった。

 先生が子供たちにコンクールのための課題に沿った作文をさせるたびに、豊は自分が指定の題名では書けない理由というおそろしくふざけた内容の文章を、原稿用紙に規定の枚数きっかりで書き上げて、涼しい顔をして提出したりしていた。

 みんなあっぱれといった感じで、自分の意志をあくまでも貫くという豊の姿勢を見つめていた。しかし、そのなかにあって、小夜ひとりが胸の痛む思いをしていた。小夜だけは、同じ「綴」として、豊のたぐい稀な才能を誰よりも身につまされている者だった。

 他人の文章をとやかく指摘することは容易だ。
 だが、ならば自分で同等のものを書いてみろと言い返されたら、どれほどの人間がそれに応じることができるだろう。

 豊は日常的に寡黙な少年である。
 けれども、彼は自分の胸のうちにある気持ちを文章にするときのみ、実に誰よりも雄弁なのだ。だからこそ、小夜はそこに絶対の価値があるように思われた。


 見たままの風景をそのまま切り取って文字にしたかのような見事な描写、抜群の切れを見せる文章と他の追従を許さない冴えた視点。

 年齢? そがなもの、関係ないない。

 その天賦の才の前には、いかな自分が小手先に言葉を駆使した作品を並べ立たせてみても、鈍らな表現力に思えてしまうほどの完成度であるように、小夜には感じられた。
 それを承知している上で、小夜は彼のあふれるその知性を全力でぶつけた文章を、一度でいいから見てみたかった。

 しかし、何はともあれこの識者の分校訪問によって、道は拓けたものと言ってよいのだろうと、小夜をはじめ里の人々の心は浮き立った。

 教室での穏やかならぬ一件については、豊の心の隅にしまわれたままだった。

 だが、彼を少なからず怒らせた教育委の老人は、はじめこの少年の心の動きが読み取れずに、なにがまずかったのだろうといぶかしみながらも、なんとか会話を続けようとしていたのだ。

 だが、彼がもう一度口を開こうとしたそのとき、ふいに少年は顔をそむけて歩み去っていた。

 声をかけるいとまもなかった。



 彼はじりじりと十分ほど、ひとりで教室のなかに立ち尽くしていた。
 豊少年はふり返りもせずに、席についたまま傲然と顔をあげ、窓の外をいっしんに見つめていた。
 一度だけ老人を気づかってか、ひとりのこれまた端正な容貌をした少年が声をかけてきたが、豊はそれに屈託のない笑顔で応じたものの、教室の隅の存在に対してはまったく反応を返さなかった。

 それを見届けると、老人は立っていき、橋本先生に声をかけると、すぐにその足で分校の門に待たせてある公用車のほうに向かった。
 老人の気分はひどく落ち込んでいた。

 少年が自分から離れ去っていったときの光景を何度も頭のなかでくりかえし、なにかとりつく島のようなものはなかったか考えようとした。だが、さきほどの出来事にはどこか決定的な感じがあって、そのせいで彼はなにかすばらしいものが、つかもうとしたとたん手からすりぬけてしまったという恐ろしい感覚に悩まされた。

 なぜあのとき彼のあとを追って、己の軽率な態度への許しを乞わなかったのかと、自分の無駄な自尊心を容赦なく責めたてた。
 玉三郎が彼の作文を見い出したというのは本当であった。
 小学生だとあなどることをせず、すぐに非礼を詫びていさえすれば、稀代の役者が手放しでほめた才能を持つ少年と、今頃はなにかおだやかな、もっと深い意味のある話題を楽しく続けていたかもしれない。

 彼は玉三郎の言葉を、今度は掛け値なしできちんと少年に話したいと思った。だが、もう二度とそんな機会はないかもしれない。
 あの分校の教室のなかに戻りたかった。なのに今、彼は地獄に落ちた魂のように、茫漠たる校庭の上をうろうろと歩き去っているのだった。

 帰りの道々、老人は少年の突然の怒りを、分校のなかでその顔をとりまいていた光を思った。それは威厳という名の輝きであったことに、彼はやっと気がついた。このお偉方が、人生の大半を費やして今日、目の前にまざまざと見ることができたのは、まさに人の威光というものだった。

 そして確信した。自分になにかできることが残されているならば、玉三郎のもとにもう一度赴いて、彼に会ってきた印象をつまびらかに語ることであろう──。

 この老人はそれからの尽力を怠らなかった。

 以後、豊の文章は歌舞伎役者たちのなかで回し読みにされるようになり、花柳界の内輪の同人にもたびたび掲載されるようになった。豊はそのために書き下ろすことは絶対にしなかったので、新作が尽きると、橋本先生は編集の人に分校の本棚に置いてある豊の既存の作品を送っていた。

 とある高名な女形の役者の発掘をもって、豊の文章の読者はこれまでとは比較にならないくらいに激増したのだった。そして読んだ人々はみな一様に、豊の名前の前に印刷されている彼の出自に驚かされていた。これほどの文が書ける者は、しかしまだ小学生ではないか。

 だが、花柳界というのは元来、こういった年少から花開く才を認める世界でもある。そこに豊の文章がもっていかれたことこそが、正当な評価を受けるという意味でも幸いした。

 まさか思っていたことが、現実になる──。

 たったひとりの少年が生み出す作品群が、文部省における小学生の作文能力を見直す機縁となったことなどはとるに取るに足らない。

 これは相生村にとっての、ひとつの見果てぬ夢だった。
 豊の点睛はその後もとどまることなく続けられ、これはこの章に一括して書ききれるものではない。

 思い返してみれば、はじめは綾一郎の発案である相生の文化交流計画は、功を奏すどころか相生のみならず、すべての集落を巻き込む波となっていったのだった。



                                 この章のおわり



 本日の日記---------------------------------------------------------

 本日は明日から始めさせていただく番外編に向けての備考のような内容を、ちょっとだけ記させていただきます──。

 というはじまりで、以前に触れた「全国の豊さんへ」─後編─を付記させていただこうと思ったのですが、全部入れるとやはり字数オーバーになってしまうので、この内容は明日に回すことにいたします。

 ですが、これはもともとが明日の日記部分に付けようと考えていたものなので、もとのさやに収まったというべきでしょうか。

 というのは、まことに勝手ながら番外編では本日の日記をつけることができないと思うのです。おそらくは一節ずつが本編よりも長くなるので、日記までの容量が(一回の更新で全角5000字がリミット)入らないのではないかと懸念されるのです。けれども、明日はプロローグなので、うまくすれば「豊さん」その1とその2を併せて掲載できるかもしれません。

 こういった事情をどうかよろしくご了承のほど、お願い申し上げます。


 明日から番外編●不二一族物語●のはじまりです。
 正直、これを掲載することはとても悩みました。
 つまり・・・・・『鳥取物語』の本編のトーンとはだいぶ違ったものになりそうだからです。
 でも、番外編だからということで、書くとなったら思いっきりハジケることに致します!
 ひとクセもふたクセもある兄弟たち、ふたクセもみクセもある神たちに囲まれて、豊も普段のたたずまいとは人が違ったかのようにけっこうしゃべります。

 私の持論としては、人というものは仲が深まれば深まるほど、あまり会話しないものだと思っているのです。とくに隠れ里のなかの子供たちの一員であれば、おそらくは幼い頃から死ぬほど見飽きた顔ぶれであるはず。綾一郎と豊なぞ、会話にならない会話で意志の疎通ができるのです。それゆえに、私の文章には会話文が極端に少ないのだと思います。

 けれども、それは彼の外面(そとづら)にすぎず、九人の兄弟たちの喧騒のなかにあれば、ひとりだけかやのそとを決め込むことのできない状況が生まれることを、私は知ることになりました。豊が外の生活で寡黙であったのは、家庭内の自分とのバランスをとるためであったとも、今では確信しているくらいです。

 あ、そうそう。時代と場所を明記しておかなければ。
 時代:昭和62年(1987年)、豊が15歳の頃です。番外編の 高校生編 で、河童に遭難させられそうになった直後のお話だと思います。
 場所:不二屋敷の本家。一番東側が豊の部屋。
 備考:番外編の 「呪の子」 を読み返していただければさいわいです。

番外編登場人物 (年齢順)

不二角 (すぼし):‘おづぬさま’と呼ばれる本家の当主。現世守宿。自分の性格とことごとく違う子供たちの扱いに悩む日々。
不二菜摘子 (なつますこ):一族の命運を一身に背負う夫を支える慎み深い妻。豊とある秘密を共有しているらしい。
不二遼 (はるか):長兄。ワタリガラスの研究家。自らも旅がらす。行き先は鳥に聞いてくれ。
不二静 (しずか):次兄。京都の大学の医学部に籍をおいている。ちょっとお姉さま入ってる人。
不二結 (ゆひ):双子の長女。豊は‘超女’と書くと思っている。
不二織 (おり):双子の次女。性格は一卵性なので長女に同じ。不二一族では女子には髪に由来する名をつける。
不二和 (のどか):三男。呪師の本家に生まれながら、神霊に関しては全般的に気弱な男。
不二円 (まどか):四男。‘るーみっくわーるど’でいえば、じゃりテン的な存在。豊とは一番の仲良し。
不二豊 (ゆたか):五男で末息子。人間界の居候。
不二編 (あみ):三女。屋敷に潜む芸術家だが、豊は特に害はないと思っている。
不二組 (くみ):四女で末娘。ルバン三世を敬愛する‘クラリスなりきり’少女。

 身内のなかに、ひとりくらいはマトモな奴がおらんのかッ!(豊の心の声)。

 皆さま、あそこでふり返って待っている豊の背中についてきて!
 さぁタイムスリップして、‘ジャパニーズどたばた奇譚’の世界に飛び込んできなんせ。



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最終更新日  2005年12月09日 10時48分11秒
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