山口小夜の不思議遊戯

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2005年12月31日
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 焦らすこともなく、しごくあっさりと、何のためらいもなく指先で──掌でその手触りを確かめる。それは撫でるというよりも、何かを検分するようなそっけなさにも似て、豊を不快にさせた。

 ──と。

 まるで、そんな豊の心情を見透かすかのように荒神が笑った。
 口の端だけ、ひっそりと。
 甘さなど微塵もない。
 それは、思わず身震いのくるような美々とした冷笑だった。

 ゆるゆると耳たぶを掠めるように首筋をなぞる指先が肩に滑り落ちると、全身が鳥肌立った。                        

 胸元を確かめられ、一瞬、何とも形容しがたい震えが走る。      ●あけましておめでとう!●     


 ・・・・・ドクン。
 ・・・・・・・・ドクン。
 ・・・・・・・・・・・ドクン。
 鼓動が跳ねる。

 荒神は感触を確かめるように、きつく、緩く、丹念に触れる。
 指先でなぞり、掌で握り込む。
 弾き、捻り、押しつぶす。

 目の前に緋が走り、足が攣れるように震え出すのを止められない。

 本当に、これまで誰とも肌を合わせたことがない。
 自分ですることすら、おざなりだった。箍が外れてしまうのが怖くて。
 人肌が恋しいほど、大人ではなかった。

 ほかに興味の赴くことは、森羅万象の中にいくらでもあった。

 そんな無垢な身体に与えられる刺激は、彼が思っていた以上に強烈だった。
 ──口の割りに、身体はずいぶんと正直だな。
 冷ややかに揶揄られて、だが豊の自尊心に火がついた。

 ──あんたの言葉は、単なる優越感から出たものじゃないんだな。


 双の黒瞳は潤んで、眦はうっすらと紅く染まっている。

 ──それは、神であるだけで実体のない自分の、生身の人間に対する嫌悪?

 次の瞬間。
 豊は背後に飛ばされて地面を滑り、さらには壁にぶつかって失神しかかるまで全身を打ちつけられた。

 岩肌に横倒しにぶつかった拍子に、豊は口の中をしたたかに噛み切ってしまい、飲み込んだ自分の血に咳き込んで肩を喘がせることになった。
 豊が被った痛手が予想以上だったのか、荒神は手加減を忘れていたことを思い出したように眉を歪めた。だが、

 ──言いたいことを言って、気が済んだか。
 しわがれた低い声で威嚇するように言う。

 肩で息をつぎながらも、豊はなんとかして身体を起こそうとした。
 岩床に散ったその髪を、荒神の足が踏みつけた。

 ──は・・・・やく、ひと思いに殺せばいい・・・・・。
 言って、新たな血の味が口腔にひろがった。

 それを荒神が見逃すはずはなかった。
 逃がさぬように豊の上体にのしかかると、確かに愉しみながら衣を引き裂き、彼の身体を床にはりつかせ、唇を奪ってそこに滲む血を味わった。頭を振って逃れたが、唇を塞がれて舌をからめとられ、吸われているうちに、豊の息が詰まってくる。そのまま呼吸を許されないでいると、頭の奥に眩暈の渦が生まれて、次第に思考が痺れてくる。

 ──我がどれだけ慈悲深い神か、おまえに教えてやろう。望みとおり、おまえの血を吸い尽くしてやる。

 豊がその言葉の意味を反芻する間もなく、荒神は絹糸のような黒髪を指先でかきあげ、今度は白い首筋に口づけてきた。

 喉首に触れていた唇からのびた牙が肌を裂き、喰いこんでくる激痛。
 呼吸が止まるほどの衝撃だった。
 そして、血を奪われる。
 一瞬、身体中の血が引いて、それから流れが速くなる。
 飢える魔物は、豊の首筋から血を啜り上げると、一度舌で味わい、嚥み下した。

 豊は身体の奥底から生気を啜り上げられていく異様な感覚にのたうった。
 血を吸われ、生気を奪われていくのと逆に、荒神の記憶も、滔々と血管の中を流れて、豊の裡に入り込んできた。

 この魔物は、どれほどの年月を生きてきたのか。
 そこに、どれほどの人の涙が流されたのか──。

 その瞬間だった。
 次なる惨劇の幕開けを待っていたかのように、大気が、大地が、そして樹木が、一度に牙を剥いた。

 地を這う蔓が、ゆらりと頭をもたげた。
 逃れ逃れて滝壷に今しも落ちかけている豊めがけて、まるで獲物を追い詰める触手のような不気味な動きで迫ってくる。

 あ。

 だが、あっと思う間もなく、四方から鋭くしなった蔓が豊の足を、胸を、首を絡め取った。
 まるで巨大な蜘蛛の巣にかかった哀れな生贄のように、そうやって滝壷のはるか上空で彼の動きをすべて封じてから、蔓は奇妙な触手をいっぱいに伸ばし、豊の肌をまさぐり這った。

 ──・・・・・・っ!?

 ぬめる粘液が、強烈な異臭を漂わせる。
 思わず胃がひっくり返りそうな嘔吐感を、豊は必死にこらえた。

 ゆるゆると、触手が左肘の傷口をなぞり、そのたびに焼けつくような痛みが走る。
 凝固しかけていたその傷の存在を見い出して、荒神は腹の底から唸った。
 この小童っぱの、身勝手な振舞いに激怒して。
 小細工を施すことを知る、その智慧の忌々しさ。
 ひとしきり唸って、荒神は目をすがめて豊の傷口を顎でしゃくった。
 そして、触手はいきなり、ずぶりと傷口に潜り込んだ。

 こらえきれない絶叫が岩肌にこだまする。
 それを機に、豊の身体を絡め取っていた触手という触手が、いっせいにその肉を突き破った。筋を裂き、内臓を抉り、それは生きたまま豊の神経を断ち切ってようやく止まった。

 風の唸りは止んでいた。
 大地の歪みも、今はない。
 不二角の喉を割った異質は、今は影をひそめている。
 何もかもが、不気味に鎮まり返っていた。

 ゴボリ・・・・・・と、豊の口から鮮血があふれ出た。

 不思議に恐怖はなかった。
 ただ、昂ぶり上がった神経がぽとりと落ちてしまったような喪失感に、全身の力が一気に抜けていく。

 ゆっくりと、視界が沈んでいく。

 竜骨を持って生まれ、それを隠し通してきた。
 母はそれを知りつつ、自分を守ってくれた。
 父は竜骨を持つ子を望んではいたが、生まれてくる子供たちは分け隔てなく慈しんだ。
 幼い頃、沢に足をすべらせた豊の手を、すぐに引いて助けてくれた。
 腕の不自由な父は、体勢をくずして自分も水の中に落ち込み、豊を抱いて大笑いした。
 母も笑い、みんなが笑った。
 父の手は強く、優しかった。優しく豊の頭を撫で、大丈夫だと髪を梳いてくれた。
 多くの兄弟たちのなかで、何も心配することなく育った。
 呆れることもあったが、愛されていることがわかっていたので、いつも胸は温かかった。

 父と母の子供で──よかった。
 守宿の嗣子として生まれて・・・・・けれども、ふつうの子供として慈しんでくれたことが嬉しかった。

 暗闇の中で、豊は悟った。
 そういう、運命なのだ。
 彼らの知らない場所で、守宿多として死んでいく──。
 一番守宿も二番守宿も、三番守宿の少年も、そうやって命を捧げた。
 そういう運命も、あるということなのだ。

 ここで、ひとりで。

 身体が震える。恐怖のせいか、血を失ったせいか、もうわからない。
 思考がままならなくなってくる。

 どうして人の子はこういう目に陥ったのか。
 人と神との契約の、なにがいけなかったのか。
 なぜこの神は、誰も愛そうとはしないのか。

 愛されなくては、愛を知ることができないからだ。
 否、そうではない──神とは、誰も愛さず、愛を受ける者を言うのか。
 けれども人の子を支配する神は、捧げられる愛に決して満足しない。

 混乱する頭の中で、豊は強く思った。

 死にたくない。諦めたくない。
 こんなところで、砂つぶほどの愛のかけらもないままに、ひとりで死ぬのは嫌だ。

 神の支配する聖域のなかで、いったいどれほどの涙が流されてきたというのだろう。
 けれども、自分はこの身のためには決して泣かない。我が身を憐れむ涙など、流さない。

 父と母、兄弟たちがおかえりなさいとくり返す、あのおおらかで不可思議な家に還らなければ。
 自分もそこで、ただいまを言い続けなければ。

 手立てはあるさ・・・・・必ず、見つける。
 出立の前、橘の木の前で誓った思いを反芻する。

 蒼ざめた唇で御詞を刻みながら、豊はひそかに身の深淵に潜ませた叡智をめぐらせる。
 そうして、直系の血をたっぷりと吸った大地に足先を触れた。
 誓約の血はここにある──と言わんばかりの不遜さで。

 これ以上、失うものは何もない。
 (来い)
 誰ともなく──豊は誘う。

 不二一族はいにしえより神のすべてを受け容れてきた──だから、神はおれたちから何も奪うな。
 今日の朝(あした)、大地に流した守宿多の血を受けた者よ。
 おれの血と引き換えに、真の力を示せ。
 この血を吸って、忌むべき檻のすべてを叩き壊せ。

 だが。

 ──こしゃくな奴よ。
 まだ抵抗するのかと、荒神の眼が笑った。
 その方が愉しめると、魔物は嘲笑するのだ。

 ──おまえは言ったな。自分の骸と永遠に遊べと・・・・お望みどおり、遊んでやるさ。目も見えず、耳も聞こえず、だが決して自我を失うことのできぬ世界でな。
 末期に聞こえたのは、地を揺るがすような哄笑だった。

 そのまま、ゆっくりと、視界が沈んでいく。
 その先を拝殿の床に昏倒したままの父宮の姿がかすめ、豊は喘ぐ吐息をなだめすかすかのように、渾身の力を込めて顎を持ち上げた。

 切ない想いが、喉いっぱいに込み上げてくる。
 ──父上、母さま・・・・兄さ・・・・ごめ・・・・んなさ・・・・・、

 最期に思い浮かべるの・・・・・誰の顔にしようかな──。







 あけましておめでとうございます!

 なんだかぜんぜんめでたくない内容でごめんなして。
 でも、こうして皆さまにお年始のご挨拶ができるのを、とても楽しみにしておりました。
 『鳥取物語』を始めた折は、年内どころか11月くらいに完結すると思っておりましたから。
 皆さまに応援いただき、当初の予定が大幅に延びてこの日を迎えられたことを感謝致します。

 前の番外編のときに書いたか・・・・・今回の「不二一族物語」の主題は、兄弟たち全員が通る、一種の成人儀礼だと勘違いしていたのです。それが、書き始めてみたら全然違った・・・・!

 守宿の交代の話じゃねーかッ! なんしてそがな重要なことはじめに言わんのじゃ!
 ということで、かなりだまされてました私は。
 そういうわけで、ひーはー言いながら書いてます。でも、山の神さまに感情移入できて、ちょっと楽しい・・・・。はい、私はどちらかといえばSのようです(←お正月からカミングアウト)。
 ちなみに、本日のご挨拶は午前中に差し替えさせていただきます。

 明日は●骸●です。
 人は最期になにを想うか・・・・・。
 タイムスリップして、いまわのきわにもぼくのそばにいて。


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最終更新日  2006年01月13日 15時06分32秒
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