山口小夜の不思議遊戯

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2006年01月22日
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 あれから十三年の歳月が流れた。

 その年の冬、小夜はめずらしく風邪をこじらせて一時期は肺炎を疑われ、一ヶ月ほど臥せっていたことがあった。そして、病も峠という日の初雪の降る夜半、小夜は懐かしいような、不思議な感じのする夢をみていた。

 夢の中で小夜は八歳か九歳の少女だった。
 彼女は同じ年頃の子供たちと一緒に、渓流にそっていっさんに走っていた。
 そこはどこかの農村であるらしかった。
 冬なのか、雪がちらついていた。子供たちは誰ともなしに谷を越えようとつり橋に駆けつくと、次々に向こう岸に渡っていった。
 しかし、小夜はなんとなく渡るのをためらって、列の最後の方になってしまった。
 その理由はすぐに知れた。



 彼は紺飛白(こんがすり)の着物を着て、幼い妹であるのか、なぜかその腕に小さな女の子を抱いていた。

 小夜は少年にこう言っていた。
 ──横浜にも来てな、と。

 彼はそれには返事をせず、小夜にその幼子とともに、光るさやえんどうのようなものを寄越してきた。

 ──この珠がぜんぶ光り終えたらな。

 ──それはいつ。
 小夜はすぐに訊ねた。思わず知れず、それは詰問の口調を帯びた。

 ──さあ、いくときかかるやら。

 彼は小夜と目を合わせずに、雪の降りしきる果てを見やったまま、そうつぶやいた。
 小夜はその返事がなんとなく不服で、彼から渡されたものを預かったまま、すいと少年から離れると、片手で蔓をぐいぐいと伝ってつり橋を渡り始めた。



 小夜は向こう岸のつり橋のたもとで、さやに入った七つの豆がひとつひとつ光っていくのを見つめていた。夜になった。夜があけ、朝になった。

 そうして幾千もの夜が往き、ある晩のこと、七つのすべてのえんどう豆に光がともされた。
 そのとたん、満天の星空から、数知れぬ流星群が小夜の頭上へと降り注いできた。

 あっと思って額に手をかざした小夜は、その自分の手のひらに、見たこともない文字が描かれているのを見い出した。

ББΘлзб 」ПЭБэ¬∂ ∠Ψι∝ζ λησδΠιη э¬∂∠Ψδ



心だにまことの伴にかなひなば 祈らずとても神や守らん

 ───

 忘却の朝に、その少年の名は忘れられた。

 そして、肺炎が治った後も、卒論などに取り紛れて、この夢のことは半年のあいだ思い出すことはなかった。半年のあいだは。

 それから約半年後の五月のある日──正確に言うなら五月十日だ──のことである。
 その日、小夜は毎週火曜日に入っているアルバイトのために、都内の博物館に行っていた。

 それは午後になって、研究部の手伝いをしていた小夜がちょうど受付を通りかかったときだった。
 券売の仕事に入っていた友だちのひとりが、学生の券を切っている。

 ──学生さんですね、学生証を拝見いたします。・・・・・ありがとうございました。400円になります。ちょうどいただきます。ごゆっくりどうぞ。

 言いかけて、彼女は不審な顔をして学生をみやった。
 エントランスを通りすぎようとしていた小夜も、彼が何か中に入るのを躊躇しているようであるのに気がついて、ふと目を上げて驚いた。彼は小夜を凝視していたのである。
 小夜と目が合うと、彼はすかさずこう言った。

 ──ぼくのこと、憶えていますか。

 見れば、彼はこざっぱりとした格好の、背の高い青年であった。
 しかし、小夜は自分を見つめるその切れ長の眼差しには、まったく見覚えがなかった。彼女は瞬時のうちに脳内のありったけのメモリーバンクを大捜索してみたが、ついに検索にひっかかってくる該当者は出てこなかった。

 青年は自分を見上げたままでいる小夜に、にこっとすると、そのまますたすた館内に入っていってしまった。

 ──劇的な出会い?

 同じバイトの子で、仲良しの有美(ゆみ)が、券売の席から小夜に声をかけてきた。
 にやけたその声に、小夜は思わず知らず顔を赤くした。

 ──そんなんじゃないって。あたしの記憶にあんな人いないよ。
 わざと荒っぽく言う小夜に、彼女は追い討ちをかけてきた。
 ──そぉ、あたしには劇的に見えたけどさ。じゃあイイコト教えたげる。あの人、京大だよ。学生証にそう書いてあった。
 ──それがなんだっちゅうの!
 ──東洋美術史専攻だってさ。山口のご同業じゃないの? けどまあ返事もせずと・・・・・あれじゃナンだから、ちょっと追いかけていって話しくらいしてきなって。

 ほれほれと有美に追いたてられるようなかたちで、小夜は展示室の中にしぶしぶといった心持ちで入っていった。正直なところ、どう声をかけてよいのかすらわからなかった。顔も名前も思い出せない人と、いったい何を話せというのだろう。

 しばらくして受付に戻ってきた小夜に、待ち構えていた有美がさっそく首尾を訊いてきた。

 ──どうだった、どうだった?
 ──ねぇ有美、あの人、出た?
 ──え? まだ誰も出てないよぉ。

 有美はぽかんとしてそう答えた。

 ──いなくなっちゃった・・・・・。
 ──はぁ?! じゃ、もしかして話してきたんじゃないわけ?
 ──うん。だっていないんだもんよ、中に。

 この博物館は、出口と入口が同じ構造になっている。つり銭などの現金があるため、券売の子は何があっても席を外さないことになっている。有美がいるかぎり、入る人も出る人も、みんなその前を通ることになるのだ。その有美が、未だ館を出た人がいないという。

 ──・・・・・また出たってことかな。

 小夜は有美をつついた。
 この博物館は、戦後のA級戦犯の処刑場の上に建てられた大型施設に併設してあるもので、学芸員の先生たちのなかでは、深夜の残業などで研究室に残っている時に、怪奇現象を体験する人もひとりやふたりではないのだ。

 ──ひぃーっ、まだお盆じゃないのにーっ!

 有美のおおげさな叫び声に小夜が大笑いで和して、その話題はそれきりになってしまった。

 ───

 その日は、本当にいろいろとあった日だった。

 晩には、久しぶりにみくまりから小夜の家に電話がかかってきた。
 みくまりは東京に出てきている。都内の音大を卒業した後、そのまま研究科に残って研鑽を積んでいるのだ。小夜は次第に相生での記憶を失っていく中で、しかしみくまりとだけは互いの連絡を途絶えさせることなかった。そして、ふたりのあいだでやりとりされる手紙の内容は、共通の話題からやがてそれぞれの新しい生活や友人のことに終始するようになり、旧友のことにはめったに触れられなくなっていたのだった。

 ──ねね、元気だか?

 電話口からは、いつに変わらぬ暖かいその声。
 みくまりは東京に出て長いので、もう共通語は使いこなせるのだが、小夜と話すときは鳥取のなまりでしゃべってくれた。

 ──みくまり! 元気元気。ダーリン(←綾一郎のこと)は? 元気にしとんさる?
 ──なんも。変わったことないが。ねねこそ何しよるだ、大学院はどうなんえ?
 ──月曜日だけだが。あとはバイト・・・・・あ、そうそう、バイトっちゃなんがみくまり、ほんとにあった怖い話してあげるっちゃよ。大将にも伝えてや。今日な・・・・、

 小夜はつい数時間前に起きた‘古代オリエント博物館人体消失事件’について、彼女に話して聞かせた。

 ──なんも怖いことあらぁせんが。
 小夜がおどろな調子で語り終えても、みくまりは一向に動じる気配というものがなかった。

 ──ねね、忘れたぁん? うちはそがなことのできるやっちゃを、里でひとり知っとるわ。きっとそれだがな。ねねもよく知る人だわして・・・・。

 ──・・・・・・っ!

 この時、小夜はこのところ自分の身に起こっていたすべての采配に、ようやく合点がいったのだった。

 あの時、かの者が提示した学生証を見て、有美はなんと言ったか。
 ──・・・・・京大(ねこの)・・・・・、

 そういえば、物静かだが、そこはかとないおかしみの漂うあの声には聞き覚えがあった。
 そしてあのまなざし、彼のあのまなざし。

 小夜は互いが約束を守り、出会いを果たしたことを知った。

 このたったひとつのきっかけが、眠っていた小夜の記憶を呼び起こし、幾歳月を超えてあのめくるめく森羅万象の中にあった真実の日々に小夜を招いた。

 あらがいようのない流れによってふたつに隔てられていた物語は、互いを呼び合いひとつとなり、さらにいくつもの新しい章が綴られてゆくことになるだろう。

 だが、これは別のお話。ここで語ることは慎むべきもの。

 ───

 幼いころ、小夜の生得の感性は、凝視という方法で貫かれていた。
 自分の頼れるものは、その資質だけであることを彼女は思い知っていた。
 事実、小夜の感性はあの日々の中にあって、すべての本物の姿を、真実の姿を射抜くようにと培われた。小夜はどのような虚構でも見破ったし、そんなものは最初から恐れをなして彼女に近づかなかった。小夜のまわりにはすべて真実のものしか集まらなかった。否、まわりのすべてが真実の姿であったから、小夜自身、そうでなければならなかったのか──。

 さあ、今日こそは、別れの朝。

 大河が大地を、ゆったりと呑み込んでゆく。
 こんなにも美しい朝に、鳥取よ──君は眠っている。
 舞い落ちる雪さえ穏やかに囁いて。

 鳥取よ。
 かの空よ、海よ、山よ、街よ、草原よ、砂丘よ、
 悠久の時よ──。

 君よ。我がいとけなき日を思い出す者よ。

 もしも心に思い運ぶ翼あれば、伝えて欲しい、同じ涙、喜びを。
 だから、誰も変わらぬ重さの物語なのだと。
 そこに在った者は誰も同じと親しみを持て。

 もしも星の夜なら、身を寄せてかの物語を語れ。
 終わりの日の嘆きさえも愛しい、息づきだから。
 もしも深い森なら、木漏れ日にかの物語を語れ。
 触れた心、想いは古老の木肌に残るのだから。

 なぜ苦しむのだろう。 
 なぜ哀しむのだろう。

 ひとときの別れがつらいなんて思いたくはない。
 出逢えたことが愛しいと抱きしめてみればいい。
 その手のぬくもり伝わるならおそれは消え去る。

 体の傷より痛む心よ。
 共に生きるいのちと親しみを持て。

 物語の翼よ、今、わが思いをのせ
 愛しい命のもと、はばたいてゆけ
 再び逢える、尽きせぬ願いをこめ
 こをひもとく、君のもとへと──。




 読んでくださった方に心から感謝しつつ──
              『鳥取物語』 ─完─






 ありがとうございました。
 私、みんなのこと、大好きだから。
              小夜子拝











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最終更新日  2006年01月22日 07時37分16秒 コメント(14) | コメントを書く


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