山口小夜の不思議遊戯

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2006年01月21日
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 この時期になると、本当に一尺から一丈の白髪が、すいーっ、すいーっと、どこからともなく相生の里に飛来してくるのだ。さすがの呼びなりにたけている里の人だけに「山ん婆の髪の毛」とは、よくいったものである。山ん婆が冬ごもりの身支度のために髪をすいている、というのだ。

 実は、この現象の真犯人は「蜘蛛」である。

 蜘蛛は大気の温度が下がり始めると、より暖かいところに移動しようとして、南風が吹いた日に一斉に糸を空気中に吹き出して風に乗る。糸が吹流しの役割をすることによって、蜘蛛は地上からそこそこの高度を保って飛翔できるのだ。
 適当な場所が見つかると蜘蛛は糸を切って下降していき、役目を終えた糸だけが空中をさまよい続ける。これが豊の目にとまった「山ん婆の髪の毛」の正体というわけだ。

 蜘蛛が移動を始めるのは、寒くなってきた徴である。
 「山ん婆の髪の毛」が飛んだ数日後には、決まって「雪おこし」と呼ばれる雷が鳴る。「雪おこし」は雪をもたらす積乱雲であり、これが遠くの空で鳴ると、もう冬の始まりである。

 豊も昔ながらの伝統にしたがって、雲行きを予測していた。


 そして屋敷に飛んで帰ると、冬越しの準備を行なうためにさっそく村中の馬を集めて平原に繰り出した。このところ降り続いた時季はずれの地雨が、平原の草をすっかり生き返らせているだろう。それらの新鮮な草を食むことによって馬たちはさらに何キロか肥えふとり、冬の寒さへの抵抗力をつけるうえでおおいに役立つだろう。これらまったくの予想でしかない連鎖を、豊は馬使いのカンというものだけで実行に移してはばからなかった。

 しかし、馬の群れとともに森林の内懐の深くを通り抜け、間近に大平原が迫ってくるころになると、豊は何かがおかしいことに気づいた。

 物音がない。
 いやに幽(しず)かだった。
 空気はそよとも動かない。

 豊は猫のように一心に耳をすませた。

 息の詰まるような静寂のなか、豊はふいにぞくりとして、こんな真空を作り出すものはひとつしかないことに思いあたった。呪の子である彼は、その匂いをかぎ分けることができた。その味が舌の先に感じられた。
 別離の哀しみが、空気のなかに満ちている。

 誰かの死か。

 豊は自分を乗せた太秦(うずまさ)の頭を返すと、楢林の中を可能なかぎり一直線に突っ切っていった。豊が連れ出した馬たちも主人の後方に忠実に続いていた。しかし、豊は馬のことなどは、もう構ってはいなかった。彼は今や言い知れぬ焦燥感に追い立てられていた。



 ──ゆたっ、みくまりに聞いたが。小夜が急に横浜に越してもうた!
 綾一郎の喉も裂けよとばかりの物言いに、豊の表情が凍りついた。

 ──もう間に合わん。行くなら早よういけーっ!!

 綾一郎は渾身の力を込めて太秦の腹を蹴り上げた。

 太秦は驚いて疾走を始めた。



 道はひとつに限られていた。
 豊は全力で駆けに駆けて相生村を越え、国道に通じる山道で小夜を乗せたトラックを捉えた。
 国道はもう目の前に迫っていた。

 相生を出てから後ろばかり振り返っていた小夜が、馬で追ってくる豊の姿を認めた。
 小夜は車中の誰かに支えられながら窓から身を乗り出した。

 ──小夜-っ! さよ-っ!!

 それは小夜が最初で最後に聞いた、豊の大音声(だいおんじょう)であった。

 ──これを・・・・・、

 彼の声はかすれてゆき、だがその左手が放ったなにごとかの呪(しゅ)は、糸で繋がっているかのようにすいっと小夜の手のなかに落ちた。

 迷いの果てた小夜の目と、切なさにすがめられる豊の目がしっかりと合った。

 小夜の視界の中で、豊の姿はみるみるうちに背景にした楢林の丘に溶けてゆき、最後には彼自身がその彩りの一点となっていった。




                                 ─最終章のおわり─





 明日は●エピローグ●です。
 本当はこれもひとつの章として、「夢の中の少年」「古代オリエント博物館にて」「みくまりからの電話」「神々の采配」という節に分けようと考えていたのですが、私の愛する「鳥取」の土地とは離れた部分のエピソードですので、いたずらに引き伸ばしたりはせず、明日の一日で書ききってしまおうと思うに至りました。

 おそらくは私が更新するのは明日で最後となります。
 『鳥取物語』も、明日ですべての章が完結です。
 皆さま、8月23日のブログ開設から、ちょうど五ヶ月が経ちました。素晴らしい出会いをくださり、ありがとうございました。けれども今後、別のかたちでまた、ますますのご縁をちょうだい頂ければと切望しております。

 タイムスリップして、大学生になった小夜に会いにきてくれなんせ。

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 追:あんまりしんみりと明日を待ちたくない方もいらっしゃると思いますので・・・・・もしよろしければ布石となっております、こちらへ→ 豊のあったること(大学生編)





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最終更新日  2006年01月21日 05時01分21秒
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