笠置山~笠やんを偲んで



秋晴れのこの日笠置山駅に降り立つ友二人。
笠置山の案内猫「笠やん」を偲ぶ笠置山登山が今回の目的。

登山口からの二枝分かれの道標にちょっと迷った末、二人は史の道を行くことに。
先を行くおじさん一人、声をかけます。
どうやらご近所の方らしい。
この道でどうやら間違いないらしいがしかし、やまみちっ!という感じの細い急勾配。
どんぐり拾いながら歩く友とゆっくりのんびり登っていきます。
途中「柳生へ」と書かれた道標あり。
ここから柳生にも通じているのかと知った私はこの次は柳生に行くべえと密かな野心を燃やしました。

やっとこ舗装された広い道に合流。すると笠置寺までは後すこしのはず。
笠置寺門前脇の民家にカゴ売りされてる奇妙な瓜を発見。
腰掛けて足を伸ばししばしここで小休止。
するとここの売店の窓ガラスに「笠やん」の写真を発見!
おお~笠やんだぁ♪と二人はしばらく在りし日の笠やんをみつめていました。

笠置寺はかつて奈良時代に修験行場として栄え、平安時代には末法思想の流行とともに本尊弥勒大磨涯仏は厚い信仰をうけるも、元弘元年(1331年)後醍醐天皇の行在所となって以後は荒廃し明治初年、無住寺となっているという歴史を持つ。
この笠置寺門から向こう山頂まで一帯が修験場ということになるらしい。

いったいこの寂れた山で笠やんと言う猫はどういう一生を送ったのだろうか?
10年も前に亡くなってしまった笠やんのことを私たちは知る術もないが、在りし日の笠やんの写真が山間の本堂にも飾られていて、多くのハイカーがその思い出を胸に「追悼レリーフ」まで寄贈している。

在りし日の笠やん

笠やんはこの山を訪れるハイカーを導くように現れて、後醍醐天皇御在所跡まで案内するとまたどこかへ消えていく不思議な猫だったと言う。
今の私たちは笠やんに道案内してもらうことは叶わないが、どこかで笠やんが見守っていてくれるような気持ちを胸にゆっくりこの山道を歩いた。
はじめにここへ来たいといったのは友だったね。
笠やんのことを知ったのはHPだった。
多くの人からその愛称で親しまれ、惜しまれつつ逝った彼は確かにここに居る気がする。
まだ少し紅葉には早い時期だったけれど、美しい山頂の景色を楽しみながら笠やんのことをそれぞれに思う二人はいつしか暖かい気持ちでこの山を去った。



いつまでもこの胸にその思い出を秘めて。

「笠やん追悼」

平成2年夏、どこから来たのか笠置山に住みついて5年。
多くの人々に愛され可愛がられた野良猫、笠やん。
笠置山を訪れた多くの観光客と共に日に何回となく笠置寺修行場を歩いていた。
人は案内猫、笠やんと呼んだが、君は君自身修行をしていたのではなかったのか。
君の姿を見ていると、ほんとうに猫だろうか、ほんとうは人間ではないかと。
愛され可愛がられた笠やん。
しかし平成6年2月2日、冬にしては風のない暖かい日だった。
君は君の好きな駐車場脇で、冷たくなってしまっていた。
朝は元気だったのに、静かに笠置山を去ってしまった笠やん。
多くの人々に愛と夢と希望を与えてくれた笠やん、有難う。
笠やんを愛した全国の多くの人々と共にここに君の名を
永久に止めたいと思う。
平成7年春  笠置寺住職  慶範

愛し猫よ ひと声なりと 雪笠置
           森 義久



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