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Sep 4, 2005
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カテゴリ:  視聴レポート
前日、実家で燃え尽きてしまったか、ピアノの前に座る力も残っていなかった私は、とりあえず今朝録画したばかりの「題名のない音楽会21」を観ることにした。

8月21日の日記 でも紹介していたとおり、9月4日、テレビ朝日「題名のない音楽会21」では、40周年記念企画として「ショパンコンクールの覇者・ブーニン」特集が放映されたのだ。

忘れてはならない、今年は5年に1度のショパン国際コンクールの年。だからなのか、テレビにおける音楽番組でもショパンを取り扱う特集もきっと増えるだろうと予想していたが、まさに大当たりである。

■テレビ朝日「題名のない音楽会」~ショパンコンクールの覇者・ブーニン~

4日放映の出演者は、1985年第11回ショパン国際コンクールにて優勝したスタニスラフ・ブーニン、そして、同コンクールにて第4位入賞の小山実稚恵さん、といった実に豪華な顔ぶれ。実際の演奏をまじえながら、コンクール時代の思い出話やショパンの曲に対する思いなど、なかなか興味深い話を聞くことが出来た。

・ショパン国際コンクールの思い出

まず最初に語られたのは、ブーニンが(旧)ソ連の代表としてショパン国際コンクールにのぞんだ時のお話。当時、旧ソ連ではショパン国際コンクールが実に重要視されていたとか。参加費用を国が出していたこともあってか、国内選考も厳しかったらしい。
また、ブーニンはコンクール当時「夜中にお腹が空いたからといって、仲間が(宿泊施設の?)ルームサービスの残りパンを集めて持ってきた」などといった思い出話を懐かしそうに語っていた。まぁ、若い時代ゆえ、ホテルの食事だけではとても足りなかったのだろう。

小山実稚恵さんは、日頃、質素に暮らしている方々がわざわざコンクールを観にきてくれていることに、胸がいっぱいになったという話を語ってくれた。



12,3歳の頃にショパンの曲を弾きたいと思っていたブーニンだが、当時はまだ経験や技術がなかった、と口を開く。だから、ショパンのなかでも比較的容易に弾けそうな曲としてワルツに着目したらしい。また、当時、モスクワではワルツが流行っていたこともあって、皆に知られている曲であり、それと同時にピアノの技術を身につけられると考えたようである。

というわけで、ここでブーニンが「子犬のワルツ」のさわりを演奏。




・コンクールを受けた際の思い出の曲

ブーニンはショパンコンクールで優勝した2年前である17歳の時に、既にロン・ティボー国際コンクールでも優勝している。その際の第1次予選曲で、ショパンのピアノソナタ第2番を演奏。あの有名な「葬送行進曲」を含むソナタである。ブーニンはこの葬送行進曲はあまり演奏したくないらしいが、中間部の長調部は非常に好みのメロディだとか。

小山実稚恵さんにとってのコンクール思い出の曲といえば、全日本学生コンクールの本選で演奏したスケルツォ第2番Op.31。(つい最近、スーパーピアノレッスン ショパン編のレッスン曲でも取り上げられた、「ところてん・ところてん」でお馴染みな曲だったり)

・コンクールから20年、生活に変わりはあったか

これについては小山実稚恵さんが語ってくれたのだが、コンクール直後はしばらくの間、ずっとショパンの曲を弾かねばならない状況だったらしい。「だからこそ1回ショパンから離れてみたいと思った」としみじみと語る。多分、ピアノ弾きの方々ならばその気持ちが分かるであろう。

続いてこうも語ってくれた。「時をあけて、また何年か後に同じ曲を弾いてみると、その時には感じられなかったフレーズの感覚がある。若さと共に失っている部分も多いが、また、気がついた部分もある」と。

一度ピアノから離れた私が再開して、最も思った部分がこの「年月」の重み。だから、小山さんのこの話はとてもとても心の奥まで入り込んできた


・ショパンの音楽に対する考え

これについて語ったのはブーニン。ブーニン曰く、「ショパンは私にとって悲劇的な作曲家。その悲劇的な部分が、私の心の底に触れ、ショパンの曲に私は過敏に反応してしまうのかもしれない」と少々苦悩な表情を浮かべる。そして最後にこう締めくくった。

「私は楽しいショパンと悲劇的なショパンのバランスをとりたい。そしてショパンの、人として、音楽家としての気高い優雅さを持ち続けたい」


・当日の演奏

ブーニンはショパンの 3つのマズルカOp.63全曲。つまり、Op.63-1(ロ長調)、Op.63-2(ヘ短調)、Op.63-3(嬰ハ短調)をトークの合間に演奏した。全体的に音が硬めな印象はあったものの、演奏するお顔の表情は軟らかだったり。ブーニンってこんな顔して演奏していたっけ、とふと見入ってしまった。トークの合間にバッハの「主よ、人の望みの喜びよ」のさわりを演奏されたが、ブーニンのバッハ、かなり直線的に心にグサリと突き刺さる良い響きだと思ってしまったのは私だけ?(ショパンよりもバッハの方が印象に残ってしまった私である)

そして小山実稚恵さんの演奏はショパン 「舟歌」Op.60。実は私、変な表現ではあるが動く小山さんを観るはこれが初めてなのである。それまでCDで演奏を聴いたり、音楽雑誌で姿を拝見するだけだったのだ。いやぁ、とても素敵だった。音の厚みもあり、ショパン演奏の貫禄のようなものを一気に頂いたような感じがした。


◆ ◆ ◆ ◆ ◆

こうして、存分に番組を堪能していると、宅配便が家にやってきた。注文していた高橋多佳子さん演奏の「ショパンの旅路」シリーズの残り3枚、つまりセミナーで購入しなかった3枚が届いたのである。

あぁ、まさしく今日はショパン三昧な休日。「ハッピーバースディ変奏曲」も昨日でひと区切りついたことだし、明日からはショパンの曲でも始めようかな、と思いながら、しばしショパンの音色に酔いしれる、そんな休日であった。


◆ ◆ ◆ ◆ ◆

そうそう、過去の日記でも何度か語っているかもしれないが、子供の頃、私が初めて弾いたショパンの曲は「子犬のワルツ」。小学生の頃だった。あの頃は、ショパンの曲を弾ける、というだけで本当に嬉しかったものだ。だってピアノの先生、なかなかショパンの曲を弾かせてはくれなかったのだから。以前、ムジカノーヴァ8月号で「ショパン 弾きたくてたまらない生徒 vs 弾かせたくない先生」だったかの記事があったことを、ふと思い出してしまった。

ブーニンが12,3歳で初めてショパンを弾いた・・・というのには、ちょっと驚いてしまったが。
それも「子犬のワルツ」・・・やはり初ショパンは子犬のワルツが多いのか、と改めて思った私である。

皆さんも初ショパン、思い出してみよう。






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Last updated  Sep 6, 2005 11:11:24 AM
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