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道士の所属する部は公社債関係の事務を担当するいわゆる「現場」である。本部や営業部署は年末年始は仕事は早々に終え、一杯やってお開きとなるが「現場」はそうはいかない。年末は納会(夕方)ぎりぎりまで仕事をし、それを中断して納会を始め、年始は挨拶もそこそこに仕事を始めあっという間に日常が戻ってくる。道士が入行したころはまだ銀行業界ものんびりしたところがあって、女性行員の多くは晴れ着をきて出勤してきてそれは華やかだったことを思い出す。道士も上司同僚に年始の挨拶を済ませると早速書類との格闘が始まった。今年一年の抱負だが、それほどのことは考えていない。うつのほうはごくゆっくりと快方に向かっている感じではあるが、まだまだ頑張るだけの余力が無い。「今程度の仕事をこなすと同時に欠勤日数を減らすこと」が今年の目標と言えば目標だろう。焦らず気長に我慢の一年になるだろう。だが、「もうだめか?」と諦めかけた3年前からよくここまで回復したものだと思う。これほど長く苦しむとは思っていなかったが・・・道士の40代はうつ病との闘いにあけくれた。格闘だけで10年間を費やしてしまったような感じがする。そのため、「空白の10年間」と言う感じで10歳歳をとった感じがしない。まだ気分は40歳のままだ。気持が若いということが良いことか悪いことか分からないが、多分よいことではなかろうか?とにかく元気にに一年間過ごせれば良いなと願うばかりである。
2010.01.04
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昨日は箱根駅伝往路を観戦してから道士の実家で年始の集まりがあった。箱根駅伝の往路、東洋大柏原君の走りを楽しみにしていたが期待以上の走りだった。20Kmを自転車で1時間で走るのもなかなか大変だが、800m余りの山登りを走って登りきるパワーは人間離れしている。まだ2年生。来年再来年がますます楽しみだ。「走れ!!君は美しい」人の走る姿は美しいと心から思う。さて、年始の集まりだが、道士の両親は今年父80歳、母75歳。さしたる持病も無く健在である。義理の父母も81歳と76歳。こちらも健在である。双方の両親が健在ということ、これに勝る幸せは無いと思う。本当に良い正月だ。残念ながら長女は友人と鎌倉に初詣、次女はうつの具合が悪く昼過ぎになっても起きられない。家内は次女の世話のためちょっと顔を出しただけで帰宅。寂しい年始の集まりになってしまった。夕食はふぐがメニューの中心。北九州市勤務の経験のある弟が現地から宅配便で父宅にふぐを送ってもらったもの。人数が減った分一人当たりの「分け前」も増えた。ふぐをこれだけ食べたのは初めてだった。満足、満足。今日は今年最初の主日礼拝。仲間と新年の挨拶を交わすのが楽しみだ。
2010.01.02
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ニューイヤー駅伝を見ていてびっくりした。CMでキムタクが昔懐かしい地球防衛軍の制服を着て艦橋に駆け込んでくる。するとカットが変わってひげ面の山崎努が「そうだ、これがヤマトだ!!」と宣言する。「なんだぁ、こりゃぁ???」急いでネットで検索すると実写版宇宙戦艦ヤマトのHPがヒットした。1年後公開予定でクランクインするそうだ。12月には映画版アニメ「宇宙戦艦ヤマト復活編」が「完結編」公開から26年間の年月を経て公開されて仰天したが、とうとう実写版までとはもう参ったの一言。道士はまさにヤマト世代である。TVアニメ第1作イスカンダル編が放送されたのが1974年秋。高1だった道士は毎週日曜日の午後6時30分からの放送を心待ちにしていたものだ。以降、映画版ヤマトは全部観た。TVアニメは第2作彗星帝国編はもちろん観た、TVアニメ第3作は丁度大学時代か社会人になったばかりかで忙しく観る暇が無かった(当時はビデオデッキは「高値」の花だった)映画版アニメと言い実写版アニメと言い「何で今頃」の感がある。一体どういった層を対象にしているのだろうか?ヤマト世代はもう40代の後半以上の年齢ではあるまいか?今更映画館に「ヤマト」を観に行くのには照れがある。まあ実写版には新しいファン層を開拓する狙いがあるのかもしれないが。いずれにしても道士は恥ずかしくて映画館には行けないだろう。DVDを借りてきて観ることになるだろう。しかし内心は大喜びしている道士なのである。
2010.01.01
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明けましておめでとうございます。皆様の上にも豊かな神様の祝福がありますようにお祈りいたします。さて、新年を迎えた。特に大きな抱負があるわけではない。少しでも欝を軽くしたい。この一事に願いは尽きる。健康があって初めてやりたいこともはっきりしてくる。正月三が日の過ごし方だが、これは毎年決まっている。元日、ニューイヤー駅伝、サッカー天皇賞決勝観戦(もちろんテレビ)二日、箱根駅伝(往路)実家へ年賀、道士の実家は平塚中継所のそばなので、沿道で応援三日、箱根駅伝(復路)、アメリカンフットボール/ライスボウル観戦とまあ、スポーツ観戦であっという間に三日が過ぎる。この他にも夜にもドラマなどを観るのでTV漬けの三日間ということになる。これだけTVを観るのも正月だけだ。今年の正月は休みが短いのでTVを観ておしまいとなってしまいそうだが、毎年の習慣は守らないと調子が出ないだろう。そうそう、忘れてはいけなかった。三日は日曜日。礼拝がある。元日礼拝にはさすがに出席出来ないが、三日の礼拝には是非参加しよう。それにしても、毎年のことだがクリスチャンは初詣に行けない。「宗旨が違う」からである。これだけは毎年ちょっと寂しく辛い思いをさせられる。では皆さん良いお正月を!!
2009.12.31
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昨日は仕事納め。納会で美味しいお酒を酌み交わすことが出来た。振り返るとこの一年、本当に綱渡りの一年だった。薬で支えても常に軽いうつ状態が続き、それが悪化しないよう恐る恐る仕事をしてきた。しかし、月に数日は「中うつ」状態になり会社を休むことを余儀なくされた。今年は休みを有給休暇(20日)の範囲に止めたかったのだが、残念ながらその2倍ほど休んでしまった。「傷病欠勤」という制度を使い何とか凌いだ(傷病欠勤をすると毎月の給料はそのままだが、ボーナスが減額される)。ただ「大うつ」に落ち込んで長期間休むということはなく、綱渡りの日々の結果最終日まで持ちこたえることが出来たことは自信にもつながる成果だと言える。来年は「綱渡り」ではなく「平均台」の上を歩くぐらいの安定感を取り戻すことを目標の一つとしたいと思っている。道士のうつ病生活は長い。発病から20年、再発してからも丸10年という長さである。そんな長期うつ病が1年で快癒するとは考えがたい。一年一年少しずつ良くなれば良しとせねばならないだろう。あと問題は仕事に対するモチベーションをどう保つかだ。何度も言うように同士は窓際族である。将来がある人と異なりどん詰まりの状況に置かれている。この厳しいご時勢、仕事があるだけでも感謝しなければならないのは分かっているのだが、それでもやはり頑張って仕事をするだけのモチベーションが無いのは残念ながら事実。これをどうするかが最大の課題である。不思議な偶然だが、道士のうつと日本の景気はこの20年ほとんど連動してきた。景気が上向けば調子が良いし、悪い年は調子も悪い。鳩山政権の景気対策で来年の景気が上向きになってくれることを切に祈っている。
2009.12.30
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28日は世間一般では仕事納め、官公庁や多くの会社では29日から正月休みに入る。しかし、その例外の一つが道士の属する銀行業界だ。仕事はびっしり今日まである。昨日から通勤電車はがらがら。乗車駅から座れるのはありがたいが、閑散とした車内を見回すと何だか悲哀を感じてしまう。道士が若いころは大晦日まで営業していたことを考えると、休みが一日増えたのだからよしとせねばなるまいが、せめて30日も休みにして欲しいものである。今年は最短の4日間の正月休みということであわただしい。道士の実家は庵から車で30分程度のところにあるので「帰省」の苦労が無いことだけはありがたい。両親も健在で新しい年を迎えられることは幸せと言わざるを得まい。今日はやっと仕事納めだが、普段と変わらぬ仕事が待っている。特に今は仕事のピーク期間中なので大変忙しい。納会ぎりぎりまで仕事が詰まっている。今日一日今年最後の一頑張りをして、納会で美味い酒を飲もう。
2009.12.29
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キリスト教会の礼拝(プロテスタントの場合。カトリックでは「ミサ」という)は日曜日と決まっている。この礼拝、台風が来ようが、地震が来ようが、はたまた信者が誰も来なくても執り行われる。それだけ大切にされてきているものである。年末年始にかけては日曜日以外にも3回の礼拝が持たれる。その一つはクリスマス・イブの夜に持たれるクリスマス・イブ礼拝。蝋燭の柔らかい光の中で持たれる実にロマンチックな礼拝だ。次に、大晦日夜の歳晩礼拝。最後に元日朝の新年礼拝。この2つの礼拝が全世界共通のものか、教団独自のものかは道士は不勉強で知らないのだが、初詣に行けないキリスト教信者にとっての「初詣」の代わりになっている。蛇足ながら付け加えると、主イエス・キリストを信じるという「信仰告白」をしている信者にとって、神社、寺院いずれも「宗旨」が違う。そういうところに言って神仏を拝むということはNGなのである。道士も家族が初詣に行くのについて行けないので、その点ではちょっと寂しい思いをさせられる。今年は体調が悪く余り礼拝に加われなかった。来年はもっときちんと礼拝に加わること。道士の来年の目標の一つである。
2009.12.28
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東京の水道水は不味いか、美味いかと聞かれれば多分10人が10人とも「不味い」と答えるだろう。道士の同僚たちは皆ペットボトルでミネラルウォーターやお茶を買って飲んでいる。給湯室には冷水機もあるのだが、使っているのは道士ひとりで他に使っている人の姿を見たことが無い。道士は神奈川県民なので東京の水道水と言えばオフィスの水道の水しか飲んでいないので、東京の水道水一般のことは言えないが、冷水機から出る水道水は決して美味くはないが不味いとも思えない。もちろんミネラルウォーターと比べれば不味いということになるのだが、水道水がミネラルウォーター並みに美味しいのは名水100選に選ばれる土地の水道水くらいなものだろう。そんな時、ネットで東京都水道局の記事が目に入った。最近、東京都の浄水場の浄水方式を順次「高度浄水処理」(何が高度で今までと何が違うかは書いてなかった。)に改善しているそうである。まだ全部の浄水場に行き渡ってはいないようだが、この方式による水道水はできたては「不味くない」と自信をもって言えるのだそうである。蛇口に届くまでの水道管や貯水タンクが古かったりすると味が劣化するが、塩素臭さが残るということは無いそうである。と言うことは道士のオフィスの水道水はもしかしたらこの高度浄水処理をされた水なのかも知れない。記事には続きがあった。この高度浄水処理を施した出来立ての水をペットボトルに詰め、1本100円で販売しているそうである。不味くない水に100円払うかどうかはちょっと考えるところなのだが、道士が毎日通る東京駅のお土産コーナーで「東京水」という名前で売られているそうだ。話の種に1本買ってみようかと思っている。
2009.12.26
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第九の季節だ。今日もあちこちのホールで「歓喜の歌」の大合唱が鳴り響いているに違いない。この歓喜の歌、思うに最高のカラオケではないかと道士は思っている。#カラオケではなく本物のオケではあるが。大オーケストラを伴奏に、声を張り上げて歓喜の歌を歌う。道士はまだその経験はないが、さぞかし気分の良いものだろうと思う。歓喜の歌の歌詞を要約すれば「世界の人たちは皆仲間だ!!友達なんだぜイェイ!!」ということになる。こういう曲を一年の最後に演奏し、歌い締めくくるのを好む日本人は平和を愛する民族なのだなぁとちょっぴり誇らしく感じてしまう。ベートーヴェンの交響曲は全部で9曲ある。どの曲が好きか?と問われると道士は困ってしまう。なぜなら1番から9番まで全部好きだからである。道士はベートーヴェンの交響曲は9楽章からなる壮大な大河小説的大交響曲だと感じている。だからベートーヴェンの交響曲を聴く時には1曲だけを聴くのではなく1番から9番まで全部一度に聴く事が多い。またそうさせる音楽の力がベートーヴェンの交響曲は持っている。とにかくベートーヴェンの交響曲は素晴らしい。人類の宝だと思う。ベートーヴェンの交響曲の素晴らしさは、誰が演奏しても素晴らしさが損なわれることがないということでも分かる。道士はベートーヴェンの交響曲全集のCDを(正確に数えたことは無いが)30種類以上持っている。我ながらオタクの世界に入り込んでしまっているのだが、聴くに耐えない演奏に出会ったことが無い。どの演奏を聴いても新しい発見がある。それだけベートーヴェンの交響曲の楽譜の完成度が高いということなのかもしれない。モーツァルトの音楽が音楽の神からの啓示で書かれたものとするならば、ベートーヴェンの音楽は人間が高みを目指して身を削って行き着いた最高の高みに到達した音楽だと思う。その違いが道士をベートーヴェン好きとしているのだと思う。今年もあと数日を残すのみ。道士も第九のCDを聴いて一年の締めくくりとしたいと思っている。
2009.12.24
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道士はお酒はそこそこ飲めるほうである。若いときには日本酒5合までは(翌日二日酔いになったが)飲めた。しかしうつ病関係の薬の量が増えたので、主治医からも「お酒は控えなさい」との指示を受けそれを忠実に守ってきた。そもそもお酒の席には加わらないようにしてきたが、加わった席でも中ジョッキ1杯に抑えてきた。さて昨日は一日早い我が家のクリスマス・パーティーだった。道士は体調も良かったのでスパークリングワインをワイングラスで3杯飲んだ。飲んだ時はほろ酔い加減でご機嫌だったのだが、その後がいけなかった。今朝、目が覚めて時計を見ると何と10時!!完全に熟睡して寝過ごしてしまった。家内は、道士が出勤時間になって起きてこなくても「体調が悪いのね」ということで、無理に起こそうとはしない。自然に起きてくるのを待つというスタンスである。参った。お酒はすっかり抜け、気分爽快なのは良いのだが、完全に寝過ごしてしまった。会社には家内が今日は休む旨電話をしてくれている。午後だけでも出勤しようかどうか迷うところなのだが、気勢を削がれてしまった感じだ。教会ではクリスマス・イブ礼拝があるのだが、何となく家を出るのも億劫になっている。今日は一日家で英気を養おうかなとそんな気分になっている。精神・神経系の薬にお酒はノー・グッドであることを痛感した。
2009.12.24
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歯医者通院二日目。今日は神経を抜いた前歯の治療と聞いていたので「痛くはないぞ、楽勝楽勝、ルンルン」と明るい気分(1時間余り堂々と仕事もさぼれるし・・・)で診療所に出かけた。治療台に座ると女医さんが、今日は「前歯を治療します。一緒に糸切り歯の横が虫歯になっていますのでこれも片付けます。」「おいおい、そんな話聞いてないよ。」とは言え治療台に座ってしまったらそこは歯科医の天下。「いやそれは勘弁してください」と言うわけにもいかず。「お願いします。」と言わざるを得なかった。そしてあのキュイーンというドリルの音。いつピリッとした痛みが走るかとビクビクしていたのだが、幸い軽い虫歯だったので痛みを感じることは無くて済んだ。ほっとした。昨日は一挙に3本の歯を治療した(問題の前歯はまだまだ何回もかかるようだ)。所要時間約50分。治療が終わった時にはさすがにどっと疲れがでた。次の治療は年末最終日の30日先生も年末ぎりぎりまでご苦労様である。
2009.12.22
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鳩山首相は東大の応用数学科の出身で元はと言えば学者先生だったそうだ。それとは全く関係無いが、道士の通う教会の牧師先生も理系出身である。早稲田の理工学部(専攻は聞いていない)を出て東京神学大学に入り直して牧師になったという変わった経歴の持ち主である。噂によると、蟻の行列を見て啓示を受け聖職者への道に進んだそうだ。現在40歳、まさに新進気鋭の牧師先生である。人間何がきっかけで「神」に出会うか分からない。道士も庵の近所のお宅の紅梅の咲いてる様を見て啓示を受け教会に通うようになり今日がある。元気な時には「自我」が強くて「神」が入り込む余地は無い。しかし自分が弱って無力で小さい状態になった時「神」が心の中に入ってくる。閑話休題牧師先生は理系出身ということもあろうが、極めて緻密で論理的である。礼拝には牧師の「説教」があるのだが、先生の説教は論理的でまるで神学の講義を聴いているような錯覚すら覚える。道士としては正直に言えば「神は偉大だ、神は愛だ、イェイ、ハレルヤ!!」的なノリの説教の方が好みなのだが、冷静な先生にそれを望むべくも無い。牧師先生は教会着任5年余り。すっかり教会の柱となって支えてくれている。牧師とは3年契約というのが道士の教会のルールであり、もうすぐ契約更改のタイミングになるが、問題なく契約更改になるだろう。牧師を育てるのは信者であり、信者を育てるのは牧師である。そういった良い関係が今道士の教会にはあると感じている。
2009.12.21
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昨日は教会のクリスマス礼拝だった。クリスマス礼拝は主イエス・キリストがお生まれに「なった」お祝いの礼拝なのだが、今年は主イエス・キリストがお生まれに「なる」クリスマス・イブ礼拝の前にクリスマス礼拝を行うという後先逆のスケジュールになっていた。どうも気分的にしっくりこないのだが、暦の関係らしい。まあそういうことなので仕方が無い。クリスマス礼拝には教会員が大勢集う。普段は平均約120人で礼拝を行って(これを教会用語で「礼拝を守る」と言う)いるのだが、クリスマス礼拝には普段礼拝に来ない幽霊教会員も出席し、200人余りの大人数で礼拝を守ることになる。クリスチャンは皆真面目に礼拝に出席しているとなんとなく外部の人は思っているかもしれないが、案外不真面目な人もいる。クリスマスとイースターの礼拝しか姿を見せないという人も結構いるのである。さて、道士は聖歌隊員でもあり、ベースパートを受け持っている。クリスマスは聖歌隊にとっても晴れ舞台である。何曲かうたうのだが、お祝いの礼拝であるから景気の良い曲が多い。その中でも最後に歌うことになっているヘンデルのメサイアからの「ハレルヤ・コーラス」これは歌っていて本当に気持ちが良い。「ハーレルヤ、ハーレルヤ、ハレルッヤ、ハレルッヤ、ハレルーヤ!!」と歌う誰でも一度は耳にしたことがあるであろうあの曲である。こういう曲を歌う時、しみじみ「聖歌隊に入ってよかったな」と思う。今回のクリスマスでは新たに3人の受洗者もありお祝い気分は更に盛り上がった。クリスチャンは日本の全人口の1%以下というマイナーな集団であり、少々肩身が狭い。「あの人、クリスチャンなんだって」という偏見めいた印象を持たれることも多いのだが、そんなことは無い。皆常識的な人たちばかりである。一部には狂信的な宗派もあるのは確かだが、道士の教会の属する「日本基督教団」について言えば全く「まとも」である。クリスマス礼拝も無事終わり今度はクリスマスイブ礼拝なのだが、天皇陛下があと一日遅くお生まれになっていれば有難かったのになぁ・・・と考えるのは少々不遜ではあるが、クリスチャン皆が恐らく抱いている思いだろう。クリスマス礼拝もまた聖歌隊の晴れ舞台。蝋燭のほのかな明かりの中で行われるクリスマス・イブ礼拝。真にロマンチックな礼拝である。教会の門は万人に広く開かれている。是非最寄の教会で本物のクリスマス・イブを体験して欲しいなと道士は切に思う。
2009.12.20
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道士は着るものに無頓着である。暑さ寒さを凌げれば、またみっともなくなければ別に何でも構わない。ましてやブランド品などには興味が無い。先日ユニクロで9990円のトレンチコートを買った。これが存外良い品で「これユニクロだよ」と言わなければ誰もそうとは思わないであろう出来で道士は満足して使っている。ここ数日寒さが厳しくなってきたので家内に「マフラーと手袋出しておいて」と頼むと「多分あなたの部屋のクローゼットの中だと思うのだけど・・・」「・・・・」道士の庵のクローゼットの前にはCDを入れた段ボール箱がうず高く積み上げられている。「こりゃ探すのは無理だ」ということで再びユニクロのお世話になることにした。ユニクロのHPを開きマフラーと手袋を探すとあるある。フリースのマフラー500円、同じく手袋790円、ついでにニットのキャップ500円もついでに買ってしまった。昨晩商品が届いたが、マフラーも手袋も暖かくて実に良い。キャップもまたしかり。だがここで心の中を一陣の北風が吹き渡った。「安物ばかりだなぁ・・・」コートといいマフラーといい手袋といい全く実用に困らない良い品だ。だが安物という事実は動かせない。安物で身を固めるということを考えると何だか自分が安っぽい人間になったように感じてしまう。道士は窓際族だから安っぽい衣料で十分だと言う無かれ。未だ腐っても鯛の心は残っている。ここで感じたことがある。ブランド品というのは高くて良いものが多い(多分値段に見合わないものも中にはあるに違いないと思う)。ブランド品などどうでも良いと思っていた道士だが、ブランド品を身につけるということは「誇り」を身につけることなのだなあ、ということである。トレンチコート、マフラーがバーバリーだったら(手袋のブランドは思いつかない)多分気分がいいものだろうなと考えてしまう。ブランド品は人に見せつけるためでなく自分のためでもあるのだな、と感じるのである。とはいえユニクロの品の暖かさは捨てがたい。当面はユニクロで身を固める道士である。
2009.12.19
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ヅラ頭のオヤジを見かけると後ろからそっと忍び寄りザバッとヅラをひん剥いてやりたい衝動にかられて仕方がない。実行したらさぞかし痛快だろうと思うのだが、その後のことを考えると怖いので未だ実行には至っていない。ヅラ愛用者には気の毒なのだが、ヅラは見てすぐにヅラだと分かる。何よりも先ず髪の量が不自然に多い。次に生え際、分け目の具合が不自然。そしてヅラと自毛との境目が不自然。「生え際」については「生え際の魔術師」を称するカツラメーカーもありもしかすると見逃しているケースもあるかもしれない。ヅラは80~90万円もするそうだ。しかも何年かに1度は作り直さなければならない。大変な出費だ。ヅラ愛用者はその負担をしてでも自分の薄毛・ハゲを隠したいものなのだろう。男にとっての髪の悩みはは女性のお肌のシワ・シミ・タルミの悩みと同じほど切実なのだ。しかし、女性は男性がハゲであるかどうかこだわらないというアンケート結果もある。ハゲは別に恥ずかしいものではないのではないか?道士はスキンヘッドである。スキンヘッドにしてずいぶん気分が軽くなった。髪型にも髪型の乱れにも気を使う必要が無くなった。またこの先髪が薄くなろうがハゲようがどうでもよくなった。なにしろ今すでに積極的ハゲ頭なのだから。髪というのは煩悩の一つだと思う。気にすること、執着することこれは煩悩だ。仏教で出家者が髪を剃るのは煩悩を減らすためなのだなあと思った。
2009.12.17
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先日テレビで乳がんと闘う45歳の女性テレビプロデューサーのドキュメントを放送していた。この方は3年続きで生死に係わる不幸に見舞われていた。先ず、子宮筋腫で子宮全摘手術。翌年にはインド旅行の際走り出した列車に飛び乗り損ねてホーム下に転落、骨盤骨折で生死をさ迷う。そしてそのまた一年後乳がんの手術。一人の人間がこれほどたて続きに不幸に見舞われるとは驚くべき話だ。この話を聞くと、旧約聖書のヨブ記のヨブ(信仰にも人間的にも全く問題のないヨブが神様から様々な過酷な試練を与えられても信仰は揺るがなかったという話)を思い出す。彼女も(クリスチャンでなくても)神様を呪ったことだろう。その彼女の言葉が心に響いた。「幸せのハードルが下がりました」この言葉、道士には良く分かる。健康な人は、あれが無ければ幸せではない、こうでなければ幸せではないと「幸せのハードル」がとても高い。かく言う道士もそうだった。しかし人間生きるか死ぬかの状況に置かれた場合、人間が望むのは先ず今日一日を無事生きることになる。「幸せのハードル」が下がるというわけだ。道士のように健康を害している者も同様に今日一日元気に過ごせればそれで満足という気持ちになる。ただ、うつ病はそれ自体は死に至る病ではないので、「もしうつ病ににならなかったら今頃は部長、運がよければ常務になっていただろうに」という俗っぽい嘆きがふと出てしまう。嘆いてもしょうがないことであることは分かっているのだが・・・。でも、道士の「幸せのハードル」は確かに下がった。今の「窓際族」の立場を嘆くより、仕事が出来ることに満足を感じるようになった。京都のどこか有名なお寺の蹲(つくばい)に彫られている文字「我唯足るを知る」この言葉は全く真実だ。人間の幸せはその人の心持ち次第。道士は今結構幸せでである。
2009.12.16
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道士は歯医者が苦手である、いや嫌いである、いや正直に告白しよう、道士は歯医者が怖い!!あのドリルのキーンという神経にヤスリをかけるような音を聞くと背筋がぞっとする。出来るだけお世話にならないようにしていたのだが、とうとうそうは言っていられなくなってしまった。半年ほど前、小学生のころ治療した右上の奥歯の詰め物の周りが虫歯になっていて、詰め物がが取れるどころか周りの歯まで欠けて「お皿」状態になってしまった。痛みはないので放っておいたのだが、今度は10年前治療した前歯2本の詰め物が立て続けに取れてしまい、「こりゃ、もう歯医者に行かなければ仕方がない」という状況に追い込まれてしまった。大企業の有難さで社内に立派な診療所がある。歯科も氏素性のはっきりした医師が6人常駐している。幸い診療所の受付に入社以来顔見知りの女性の先輩がいるので「どの先生が評判いいの?」と尋ね先輩お勧めの先生(女医さん)にかかることにした。この先生実に手際がいい。早口で的確明瞭に治療の方針を説明してくれ、治療中も今何をしているか、次に何をするかをパッパと知らせてくれる。確かに評判通りに腕は良いようだ。さすがに10年も放っていたため、今回の3本だけでなく他にも何本か小さい虫歯が見つかった。「10年ぶりですからねぇ」「今治療すれば後10年は大丈夫ですよ」「10年後まで生きているか分かりませんよ:笑」「それはお互いさまですよ:爆」などと冗談を交わしつつ、次回以降の治療スケジュールを相談し約40分の処置は終わった。今回は前歯1本の詰め物の再充填が完了。次回はもう1本の前歯の処置をするが1時間はかかると言われた。が、神経を抜いた歯なので痛みを感じることはないので安心だ。ここ暫くは歯医者通い(週1回)が続きそうだ。歯は大切だ。入歯にならないようにするためにもここできちんと治療しておこうと思う。痛くなければ歯医者は怖くない。これ実感。
2009.12.15
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仕事の合間にインターネットで色々な新聞のHPで記事を読んでいたら、今多くの大学で大学特製グッズの作製・販売が盛んだという記事に出会った。記事に添えられていた写真を見ると早慶を始めとして実に色々なグッズが販売されていることが分かった。さて、道士の母校ではどうかと思い検索してみたら、大学生協のHPがヒットした。その中に大学グッズのページがあり、実に様々なグッズが紹介されていた。文房具(定番ですね)、雑貨、衣料品、お菓子など実に様々である。道士の在学中には生協に行っても大学グッズなど見かけた記憶は全くと言ってない。例外的には学生の多くが使用していた透明ビニール製定期&学生証入れ(金色で校章が印刷されている)ぐらいなものである。変われば変わるものだと感心してHPを見ると、何と御丁寧にWEBで通信販売もしているではないか!!これには少々驚いた。大学グッズを買うのは先ず在校生が大半であろう。後はお土産で買う人や我が母校を目指す受験生くらいではなかろうか?「わざわざ通信販売でグッズを買う人なんているのかなぁ・・・」と思いつつ商品を見ていると、大学の校章入りマグカップと大学名を墨書きした湯呑を見つけた。「お、これはいいぞ」と速攻注文してしまった。数日後には届くだろうが、家内の反応は目に見えている。「あなたも物好きねぇ:笑」そう、その通り道士は物好きなのである。
2009.12.14
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先日、ボーナスが支給された。金額はともあれこの厳しい経済情勢の中、ボーナスをもらえることはありがたい。ボーナスで何か大きな買い物を、と考えると道士の家では買い替え時の物が2つある。一つはリビングのテレビ、もう一つは道士の庵のパソコンの2つである。リビングのテレビはもう10数年使っている4:3サイズのブラウン管テレビ。立派な現役選手として活躍している。もう薄型テレビに買い替え時なのだが、道士を含め家族のだれからも買い替えの声は上がらない。家電店で薄型テレビを見ると、どれも素晴らしく美しく画像も鮮明だ。道士も店では「よし、買い替えよう!!」と思うのだが、家に帰るとすーっとその意気込みは消え、「まあいいや、このテレビで十分だ。もう少しこのブラウン管テレビに頑張ってもらおう」という気持になってしまう。どうも道士を始め家族のだれもがテレビの画質に全然こだわっていないということがよく分かる。テレビの買い替えはいよいよ寿命だ、という時まで待つことになりそうだ。そして道士の庵のパソコンである。もう5年半使っているXPのノートブックパソコンである。よる年並みに抗しきれないのか最近動作が遅い。どれくらい遅いかというと電源オフの状態からWEB画面が開くまで20分(2分ではない!!)もかかる。また画面の切り替えもサクサクどころではなくザックザックという感じの遅さでストレスがたまることこの上ない。とはいうものの、よく分析してみれば庵のパソコンの稼働率は意外と低い。リビングにある家族用VISTAパソコンで用を済ませていることが多い。何かと評判の悪いVISTAだが、普通に使っている分には特にストレスも感じない。というわけで、庵のパソコンも「まあ、しばらくこのままでいいや」ということになってしまう。(ちなみにこの文章も、VISTAパソコンで打っている)というわけで大きな買い物のの予定は出ず終い。とりあえず昨晩は家族で焼き肉を食べに行った。
2009.12.12
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道士は窓際族である。窓際族は戦力外通告を受けたロートル社員のことを指すが、最近の厳しい環境の中そうも言えなくなっている。12月から2月中旬にかけて道士の配属されている課は仕事のピーク期間を迎え大変忙しくなる。一方要員数は人件費削減のためぎりぎりまで絞り込まれており慢性的なマンパワー不足。ピーク時には臨時のスタッフさんに来てもらって何とかしのいでいる。管理職は課長と課長代理がいるのだが、この二人継続案件の処理や何やで猛烈に忙しい。日常業務の伝票や申込書のチェックや決裁をする時間が全くと言っていいほど無い。これ自体人事部の要員配置ミスだと思うのだが、人事部も無い袖は振れないといったところらしい。そんなわけで、道士に「お鉢」が回ってくる。道士は部長にはなれないが、次長、課長になれる資格をもっていて日常業務の決裁権限がある。課長、課長代理が処理できない伝票類の山がごっそり道士の目の前に積まれることになる。伝票処理といった仕事は創造的な能力は全く使わない(うつ病者にはありがたい)が神経を集中させなければならない。一日中こういう仕事をしていると本当に消耗する。庵に帰ると文字通りバタンキューである。まあ、何もしないでぼんやりしているよりは単純作業でもやっている方が時間潰しになってよい。部長からも「よろしく頼む」と言われ戦力扱いされていると思うと少しはうれしい。この辺が微妙なところで、過剰な期待を持たれ厄介な仕事を押し付けられるのは窓際族と割り切っている道士は御遠慮したいのだが、一日中暇を持て余しているのも苦痛である。気楽で暇つぶしになるような仕事が有難い。今の伝票処理はその点良い暇つぶしの仕事と言えるのだが、仕事で精力を使い果たし庵に帰っても何もする元気が出ないという点で少々重い仕事である。健康体ならそんなことは無いと思うが、道士はうつ病人である。健康な人より精神的パワーの量が少ない。これから2か月の長丁場、体をだましだまし、上手く休養をとりながらダウンしないようにしのいでいこうと思っている。
2009.12.12
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宝くじの1,2等が当たる確率が何百万分の1ということは日常生活において無視しても良い数字なのだが、1/2,1/3という確率は無視できない。何の確率かというと1/2は日本人が癌にかかる確率。1/3は癌で死ぬ確率だそうだ。こうして確率で示されてみると何と高い確率だろうと愕然とする。こう高い確率の事象に対しては何らかの心の準備が必要だ。先ず現状把握。道士は既に50年を生きた。人生五十年と舞って四十九で本能寺に散った織田信長や、同じく胃潰瘍で四十九で亡くなった夏目漱石よりも長生きしている。窓際族であるから仕事でやり残したことが心残りになる訳でもない。まあ、おまけの人生を生きているという感が強い。おまけであっても長いにこしたことはないのだが、「はい、これでおしまい」と宣言されても「ああそうですか」と受け止めることは出来そうな気がする。末期癌ならばじたばたしないで従容として受け入れようと思う。痛いの何ので苦しむのだけは御免なので、QOLを維持するために痛み止めの施術だけは積極的に受けて、治療は断ろうと思う。苦しい思いをして2~3ヶ月生き延びて何になるというのか?まだ治療の余地があるというのなら、一通りの手術なり投薬なりを受けて何年間か余分に生きようと思う。薬石効果なく再発したらその段階にあった標準的な治療を受けそれでもだめなら上述の如く治療ではなく痛み止めに止めようと思う。死ぬまでの暫くの間ホスピスでのんびりとするのも悪くない。50歳を超えると死が近づいてきたことを無意識の内に感じてくる。どう生きるか?人生は楽しむべきであると強く思う。やりたいことはどんどんやって、死ぬときには「ああ、楽しかった」と一言つぶやける人生を送りたいものだと思う。
2009.12.06
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煙草の増税が決まったようだ。ここで一気に1箱600円になる位の増税をしてくれるならば、道士もすっぱりと禁煙するのだが、今検討されているのは1本2~3円の増税とまさに「蛇の生殺し」的な上げ幅だ。道士の吸っているマルボロ(320円)は360円~380円になる計算だが、出そうと思って出せない金額ではない。オフィスで飲む缶コーヒーやペットボトル飲料をインスタントコーヒーで我慢すると言う工夫をすれば出費増を防ぐことが出来る微妙な金額だ。もう一つの工夫としては、吸う煙草を今の1箱320円のものから300円(ラークなど)に代える。こうすれば実質1箱20円~40円の負担増で済む計算になる。そして次なる工夫は、吸う本数を減らす。これは今までの経験からすると案外難しい。目の前に煙草があると、あと1本、もう1本という具合で結局今まで通りの本数になってしまうことが多い。さて、どうするかということなのだが、丁度この数日風邪で喉が痛い。こういうときに煙草を吸っても美味しくないので、どの位禁煙出来るか試してみることにした。現在禁煙3日目、特に禁断症状は出ていない。買い置きの煙草も無いし、寒い雨の中煙草を買いに出るのも面倒だ。いっそのこと、このまま禁煙してしまおうかとも思うのだが、道士の場合ニコチン依存症というよりは純粋に煙草が美味しいと思って吸っている部分が大きい。そうした楽しみを切り捨ててしまうことが出来るかどうか。悩むところではある。
2009.12.05
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世間ではドリームジャンボ宝くじの宣伝を盛んに行っている。いかにも当たりそうな口調であるが、道士は宝くじなどというものを買う気がしない。くじが全部で何枚発行されているのかは知らないが、1等、2等が当たるのは何百万分の1というまさに天文学的低さだからである。道士のオフィスのすぐそばの宝くじ売り場で2等1億円の当たりくじが出たという垂れ幕をつるして客寄せしているが、まあ確率の問題だからそういうこともあるだろう。道士はむしろ1度高額当たりくじ出た売り場から引き続き高額当たりくじが出る確率はさらに天文学的二乗の低さになるのだからますますその売り場で買う気が無くなる(いずれにしても買う気はなのだが)日常生活において何百万分の1という確率は無視して差し支えない数字である。合理的行動としては宝くじに何千円、何万円投ずるより家族でステーキでも食べに行った方が余程ましだと道士は考えてしまう。そのことを家内に話すと、「皆、夢を買っているのよ」とのことである。「夢ねぇ」そう言われればそんなものかなあと納得してしまう。しかし、そういう家内が宝くじを買っている姿を見たことはない。本質的に道士同様現実的なのである。宝くじは買わないろ言いつつ、「ドリームジャンボで3億円当たったら優雅なハッピー・リタイアメントが出来るのだがなぁ」とつい思ってしまう道士なのである。
2009.12.02
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とうとうインフルエンザが襲来した。というのは道士が配属されている課の話。道士の隣に座っている課長代理が先週末から体調を崩し、医者に診てもらったらA型のインフルエンザだったとのこと。道士の課には2つの主要業務があるため、担当者を業務毎に2つの島(机のかたまり)に分けていたのだが、新型インフルエンザ患者が出た場合は同じ島に属するメンバーは全員自宅待機という会社の通達が回ってきていたので、1つの業務担当者を2つの島に分けて万一の場合に業務が停滞しないように準備していた。さて、今回はインフルエンザといっても従来のA型である。どうも会社の方針にもいい加減なところがあるようで、新型ではないので島のメンバーは自宅待機しなくても良いようである。A型も新型も感染力は似たようなものだと思うのだが。くだんの課長代理君、症状が軽くて済んだらしく今日からでも出勤したいと言っているそうだ。そこは医師の指示に従ってということになっているのだがどうなるだろう?それにしても繰り返しになるが、新型には腫れ物に触るような対応を要求し、従来型には適当な対応をする会社の方針、どうにも納得がいかないこと甚だしい。
2009.11.30
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早稲田や慶応出身者の愛校精神は本当にうらやましいと思う。結婚式の披露宴などでは必ずOB・OGたちによる「都の西北」「若き血」の大合唱が定番となっている。それだけ自分の母校に誇りと愛情を持っているのだろう。道士は自分の母校(大学)にそのような愛校精神を持てないでいる。4年間に出来た人とのつながりは大きな財産だが、学校そのものに愛情を抱けないでいる。むしろ愛校精神を強くもっているのは高校である。青春まっさかり、汗と涙の思い出に満ち道士の土台とも言うべきものを築いてくれた高校には今も「あの3年間は良かったなぁ」と懐かしさと共に感謝の気持ちで一杯になる。当時学生服に付けていた徽章(校章)とボタンは記念として大事にとっておいているのだが、最近徽章が作った時金型が磨り減っていたのか模様がはっきりしないの不満に思え、新しい徽章が欲しくなった。高校OB会に相談の電話をかけると、担当の女性(道士の先輩のOGだった)はびっくりした様子。OBから徽章を買いたいなどという相談を受けたことがないのであろう。それでもこちらの身元が確認出来たことで徽章を扱っている学生服問屋を教えてくれた。その問屋は新宿にあり、道士のオフィスから往復1時間程度で行ってこれる。というわけで窓際族の気楽さ、仕事をサボって買いに出かけた。店で「徽章が欲しい」と言うと、店の人は一体何事か?とこれまた大変驚いた様子。徽章は当然生徒にしか販売しないもの。こちらがOBでOB会の了解を得ていることを説明すること数分、やっと売ってくれた。道士の母校の校章は質実剛健を現す柏の葉4枚をX字様に配したものである。今回買うことが出来た徽章は葉の葉脈もはっきりした満足のいくものだった。道士にとって校章は道士の青春時代を象徴するもの。綺麗な徽章を得て何だかほっとした思いにとらわれている。
2009.11.29
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これだけ土俵が国際化してしまうと今更日本人力士が不甲斐ないなどと嘆くのは時代遅れなのかもしれないが、やはり日本人力士にはもっとがんばってもらいたいと思ってしまう。今場所も日本人力士は元気がないなぁと思って観戦しているのだが、一人魁皇だけは気をはいてくれている。大横綱という言葉はあるが、名大関と言われることはあっても大大関と言われることは無い。魁皇は横綱になる実力はあったが残念なことになれなかった。悲運の大関と言われることも多い。だが、黙々と一番一番土俵を勤めいつの間にか間もなく幕内勝ち星歴代第一位、幕内在位100場所という大記録に手が届くところにまで来た。これは本当に凄い記録だと思う。とにかく時間がかかる。魁皇は既に37歳、この年齢まで大関の地位を保っていることだけでも凄いと思う。日々の精進、稽古、体のケアどれだけの努力をしてきたことか。頭が下がってしまう。昨日は黒星で7勝7敗で千秋楽に勝ち越しを賭ける。是非勝ち越してもらいたい。そして大記録を打ち立ててもらいたい。記録にも記憶にも残る「大大関」になってほしいと思うこと切である。それにしても、やはり日本人力士でこれからどんどん番付を上げていく勢いを感じさせる力士がいないのは寂しい限り。稀勢の里などはもう一度気持ちを引き締めて稽古に励み大関、横綱を目指して行ってほしいのだが・・・。日本人にハングリー精神が失われたことが土俵にも現れているのだろうか?昨今の日本の置かれた状況を見ると、もう一度日本人全体がハングリーになって頑張らないと未来は無いと危惧しているのだがどうだろうか?
2009.11.29
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以前からiPodというものがあることは知っていた。しかし、PCにダウンロードした楽曲をさらにiPodにダウンロードすると聞いて「音が悪いんじゃないの?」と敬遠していた(道士は昔ながらのオーディオ・マニアである)。だが、通勤電車で周りを見るとiPodやそれに類するMP3プレーヤーを使っている人が大勢いるので、家電量販店でiPodを試聴してみた。すると意外なことに結構良い音質であることに驚いた。早速1台(160GB)買って手持ちのCDを片っ端からダウンロードした。イヤホーンも付属のものからもっと上等の音質の良いものに取り替えた。道士が最も聴く割合が多いのはクラシック音楽なのだが、全く不満は無い。容量160GBをCDの枚数に換算すると2500枚ほどになる。容量を気にせずいくらでもダウンロード出来る。iPodを使い始めてからというもの、これまで大金を投じた自慢のオーディオセットの出番が無くなってしまった。iPodの便利さ(一々CDを探さなくても良い)音の良さに圧倒されたというところだ。確か1979年にSONYのウォークマンが発売された。そのときのセンセーションを道士ははっきりと覚えているのだが、iPodはそれ以上の驚きだ。ウォークマンはせいぜいカセット数枚分の音楽を野外に持ち出せたにとどまるが、iPodは道士のCDライブラリーを丸ごと持ち運びが出来る。そしてどこでも音楽を楽しめる。これは本当に凄いことだ。最近ではノイズキャンセリングイヤホンを購入し、電車の中でも騒音に邪魔されずに音楽を楽しめるようになった。それにしても、人間の記憶力というものには限界がある。iPodにダウンロードしたCDが1000枚を超えた辺りから自分が何のCDをダウンロードしたか分からなくなってきた。機械に人間の能力が付いていけない一つの見本とでもいうべきか?
2009.11.28
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道士はポスト・ビートルズ世代、パープル/ツェッペリン世代である。中学・高校のまさに青春時代はこの2つのグループと一緒だったと言っても過言ではない。高校の入学祝いに父にねだって安物のストラトキャスターモデルのエレキギターを買ってもらい、リッチー・ブラックモアの真似をしていたことが懐かしい(道士は当時パープル派だった)当時ロックは若者の音楽と思っており、聴く方も演奏する方も30歳で引退だとぼんやりと思っていた。まさか自分が50歳を超えてHR/HMを聴いているとは想像だにつかなかった。ましてや、当時現役ばりばりのロッカーたちが60半ばを超えた現在でも現役でロックしているとはまさに「お釈迦様でもご存知あるめぇ」の世界である。日本でもつい先だって矢沢の永ちゃんが還暦記念コンサートをやっていた。その放送を見て感じたことは一言「かっこいい」に尽きる。60歳というのは高齢化社会の中ではまだまだ老け込む歳ではないんだなぁ、と永ちゃんを見習わなければならないなあと反省に近い思いを抱いた。サラリーマンにとって50歳というのは一つの区切りである。この時点での地位・ポジションでその後の社会人人生が決まってしまう。道士のような病気持ちの窓際族にとっては「その後」があるのかどうかも分からない。まあ、何とか食っていけるだろうと余り深く考えないようにしている。話戻してロックである。ロックは最早若者だけのものではない。老いも若きもロック命でいいのではないか?ロックには世代を超えた魅力がある、と道士は思っている。
2009.11.26
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連休の後は「鬼門」だ。生活のリズムが「お休みモード」に入ってしまい、それを「お仕事モード」に切り替えることが上手くいかないことが多い。今回の三連休、体は十分に休まったのだが、お仕事モードへの切り替えがやはり上手くいかなかった。深層心理の部分で出勤したくないという思いがあるのだろうが、今回は久しぶりの劇鬱が出てしまった。月曜の朝から今日の昼過ぎまでこんこんと眠り続けてしまった。幸い気分は鬱状態ではなく、明日からの出勤は出来そうだが、十分に気をつけていたつもりなのだが、鬱の方は容赦なく襲い掛かってくる。これには参る。主治医からは「これから少しずつ抗鬱剤を減らして生きましょう」と言われているのだが、大丈夫だろうか?鬱病が再発して10年余り、少々の浮き沈みに一喜一憂する段階は超え、じっくり鬱と付き合う心情になってはいるが、やはり早く健康な体に戻りたいというのが本音である。鬱は辛い。やはり辛い。
2009.11.26
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久しぶりに図書館に行った。この前行ったのはもう2年も前になるかもしれない。それ以前は毎週のように通ったものだが、鬱病の症状かこの2年ほど本が読めなくなってしまった。朝刊を開くのもおっくうになった。オフィスでは窓際族であるから仕事が無く手空きとなる時間も多い、そういう時にはインターネットで新聞各紙や雑誌のWEBページを読んで暇を潰しているのだが、行き帰りの通勤電車の中で小説を読んだりすることが出来なくなってしまい現在に至っている。「そういえば最近図書館にいってないなぁ」と思い、本当に久しぶりに図書館に出かけてみた。図書館というのは本当に良いところである。図書館の天井高く広い空間と静寂の中に身を置くと心が静まって行くのを感じる。「癒やされるなぁ」と思う。和風の旅館などでも同じような「癒やし」を感じることがある。自分の書斎(誰が見てもゴミ屋敷と言うだろう:あふれかえっているのはゴミではなくCDと本なのだが、空間をふさいでいることは同じである)と違う広々とした空間と静寂(木々の葉のそよぎや水のせせらぎの音が一層静寂を際立たせる)が心のささくれを抑えてくれる。暫く図書館の椅子に身を委ね空間と静寂を楽しんだ。せっかく来たので、エンターティメント風時代小説1冊とホルストの惑星のCDを借りてきた。図書館の本には返却期限がある。締切に追われて何とか読めるのではあるまいか?以前のような「活字中毒」に戻れればいいなと思う。
2009.11.23
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街のあちこちで年賀状を販売している。道士のオフィスでも先日エレベーターホールで年賀状の出張販売をやっていた。これを見ると「もう年末なんだなあ」という感を強くする。今年の正月は年賀状を1通も出さなかった。年末調子が悪く宛名書き(道士の家では年賀状の裏面だけ印刷し、宛名書きは手書きをしている。両面印刷では心がこもっていないと思うからである)すらする気がおこらず、「来た人に返事を書けばいいや」と思っていたらそれすらも億劫で、結局年賀状を1通も出さないで終わってしまった。道士はそもそも年賀状を余り出さない。60通ぐらいでここ10年ほど変わらない。友人、お世話になった上司などが主なのだが、中身を見ると大学卒業以来1度もあったことが無い人も多い。上司にしても10年以上会っていないし多分この先会うこともないだろう。こういう人たち宛の年賀状は一種の「生存報告」で「今年もよろしく」という年賀状本来の趣旨から外れてしまっているような気がしてならない。50歳を過ぎ、これから段々と世間との交わりから身を引いていこうと思っている道士にはこの年賀状も「仕切り」の対象である。どこまで削るか。本当に年賀状を出したい相手はせいぜい10人ぐらいなのではないかと考えている。
2009.11.22
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苦手だけれども好きなものという屈折した思いを持つもの。それは道士にとっては数学である。高校時代を思い出すと、毎日の勉強時間のうち4割が数学、4割が英語、残り2割で他の科目という時間配分だった。これだけの時間をかけても他の科目の平均点に達することはなく、やはり苦手科目の一つだったのだが、頭をひねって考えた末解答にたどり着いた時の爽快感、これがたまらず苦手だけれども諦めることなく頑張って取り組んだ理由である。数学は面白い、これがもっと深く理解できたらどれだけ良いだろうと思うことしきりである。先日、NHKでリーマン予想の特集を放送していた。リーマン予想とは素数論の大問題、ひいては数学最大の問題と言われている問題である。もしこの問題が解ければ数学のみならず物理学を始めとしてこの世界の「根本」が明らかになるかもしれないという「神の領域」に到達するかもしれないという大変な出来事になるそうだ。この番組はビデオに撮ってゆっくり見ようと思っていたのだが、録画予約をしていたつもりが録画し忘れていた。1月も待てば再放送するのだろうが、それが待てず最近NHKが始めたNHKオンデマンドでこの番組を見た。面白かった。問題解決の一歩手前まで来ているということだがどうなることか?フェルマーの定理も解決された。リーマン予想が解決される日もきっと来ることだろう。そうなった時、世界がどう変わるかが楽しみである。私事だが、リーマン予想など知らない高校時代、素数の並び方、現れ方を見て「どういう規則になっているのだろう?」と不思議に思っていた。もちろんそれに取り組むだけの知識も能力も無かったのでそのままになっていたのだが、道士の疑問が数学最大の問題だったと知り驚いた。数学は美しい。そして面白い。引退したらもう一度高校の数学を勉強してみたいと思っている。
2009.11.20
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ユニクロと言えば数年前のフリースの大ヒット以降これに匹敵するヒット商品も無かったが、地道に商品のラインナップを広げ、先だっての激安ジーンズで再び衣料業界に激震を走らせた。先日新聞の折込チラシの中にユニクロのチラシが入っていた。それを眺めていると驚くことにコートがあった。「へー、ユニクロはコートまで手を広げたか」と値段を見ると1万円アンダーの9,990円。「1万円なら1シーズン持てば十分だ」と試しに買ってみた。するとどうだろう、生地も縫製もしっかりしている。1シーズンどころか何シーズンでも使えそうな代物であった。「安かろう、悪かろう」では今の世の中そんな商品誰も相手にしないが、「安かろう、(ほどほど)良かろう」という商品はまさに時代の要求そのものだ。売れないはずはない。ユニクロの柳井社長は売上高5兆円宣言をしているが、まんざら大風呂敷ではないかもしれない。蛇足だが、今回道士が買ったのはベージュのダブルのトレンチコート。スキンヘッドにしたので頭が寒いので別の通販でソフトハットを買った。この組み合わせで出社したところ、課の女性から「カサブランカね:笑」との声がかかった。道士もハンフリー・ボガート気取りでこの格好をしていたのでちょっと嬉しかった。
2009.11.18
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宝くじなどで何億円も手にしたら話は別だが、給料がもう少し上がったらやってみたい贅沢が二つある。第一には「グリーン車通勤」。半年ほど前、今よりもっと体調が悪かった時暫くグリーン車通勤をしたことがあったが実に快適だった。乗車駅から確実に座れるし、普通車より静かでリクライニングシートに身を委ね、iPodでゆっくり約1時間音楽を楽しむことが出来る。「痛勤」が「至福」の時間に一変する。もう一つは、早めに家を出、東京駅のスタバで30分ほどゆっくりコーヒーを楽しみながら新聞か本を読むということ。オフィスにも喫茶部があるが、ソファーは無くゆっくりコーヒーを楽しむという雰囲気ではない。スタバのコーヒーが本当に美味しいかどうかは評価が分かれるところだろうが、通勤経路にあるという点で手近で入りやすい。まあ、道士の舌は敏感ではないのでスタバ程度の味を供してくれればそれで十分である。それにしても我ながらささやかな贅沢だと思う。あと月3万円懐に余裕があれば出来る贅沢だ。しかし、この3万円という金額、50過ぎのサラリーマンにとってはなかなか手の届かない金額なのだ。ささやかな贅沢と言いながら夢に終わってしまう贅沢だ。そう考えると一抹の寂しさを覚えざるを得ない。
2009.11.16
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土曜日に大検(正確には何と言うのか知らないが、高校卒業資格を取る試験である)があった。次女がこれを受けた。次女は学校の校風になじめず、高二の秋ごろから鬱状態になり、学校を休み勝ちになった。三年生への進級は進級会議でも問題になったが、先生方の温情により進級させてもらった。しかし、四月以降不登校状況になり、担任から「このままでは卒業は無理だ、卒業に必要なのは公民一単位なので大検を受けたらどうかと薦められていた。次女は長女と同じ県立高校に通っていたので、どのような学校かは両親とも良く分かっており「この学校なら我々も通ってみたいね」と言っていた良い雰囲気の高校だった。学校行事がたくさんあり、生徒は一丸となって「燃える」。「あの夕日に向かって走れ」的な雰囲気なのだが、次女はこの雰囲気についていけなかったようだ。試験自体は心配していなかったのだが、鬱状態の次女は朝が遅い。大体平均10時半まで寝ている。試験に間に合うには8時過ぎに起きなければならない。これが出来るか、両親とも冷や冷やものだったが、次女は気力を振り絞り8時過ぎに起き試験を無事うけることが出来た。次女の履歴書には○○高校中退という一行が加わってしまうのだろう。残念だが仕方がない。何の問題も無く高校時代/青春を満喫してくれるもだと信じていたのだが、予想外のことが起こるものだ。次女は大学に進学するつもりでいるが、受験勉強は全くと言って良いほどやっていない。次女の体力も考え、都心ではなく近くの大学進学を考えているのだが、次女の学力からするとかなりレベルが下の大学である。これまた合格しても雰囲気に馴染めるかどうか分からない。合格するかどうかも分からない。雰囲気に馴染めるかどうかも分からない。親の心配は尽きることが無い。
2009.11.15
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天皇陛下御即位20年おめでとうございます。心よりお慶び申し上げます。皇室が世界遺産だなどと書いたら、戦前ならば即、特高警察にしょっぴかれただろうがこんなことを言えるのは民主主義になったおかげだろう。皇室は700年ごろ天武天皇の頃からは確実に万世一系(それ以前の日本書紀の記述には相当嘘が混ざっていると思われる)、こんなに古い王家は世界中他には無い。これを世界遺産と言わずに何と言うべきだろうか?道士も若い頃は「天皇制など不要だ」と思っていたが、陛下のお姿を拝見するにつれ天皇制は必要かなと思うようになった。陛下の姿は日本人の美点を集約化したようでまさに国民の象徴と言えるように思う。元首ではなく「象徴」という微妙な立場を具現化している。国民の誇りと言っても過言でなかろう。陛下と面談する外国の要人たちは日本人の美点の集約化した姿を目にすることになる。誤解されがちな日本のイメージを好転させるのに大いに役立っているのではないか?陛下もすでに70代後半、公務に就かれるお姿に痛々しさを感じるのは道士だけではなかろう。星の数ほどある職業で引退出来ない仕事は皇位だけではなかろうか?早く皇太子に皇位を譲りゆっくりしていただきたいと思うのだが無理なのだろうか・・・
2009.11.13
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ドラえもんの何でもポケットから出してもらいたいもの。名づけて「下車駅表示眼鏡」これをかけて通勤電車で座席に座っている人を見ると、頭の上にその人が降りる駅が表示されるというもの。これがあれば座れる確率がぐんと跳ね上がるだろう。こんな眼鏡があったらいいなと思う。とはいえ、実際にはこのような便利な眼鏡はないから、道士なりに通勤電車で座る方法を考えている。簡単なことだが1.毎朝決まった電車に乗る2.途中駅で階段のすぐそばになるドアか電車に乗る3.座っている人の顔を覚え、その人が降りる駅を覚える。4.電車に乗ったら素早く座っている人の顔を見回し、途中で降りる人の前に立つ。案外座っている人には毎朝同じ電車に乗っている場合が多く、上に述べた道士の工夫も役にたつ場合が多い。道士の乗車駅から終点東京駅までほぼ1時間。東海道線は幸い中央線のように乗車率200%というようなすし詰め状態にはならないので立っていても楽なのだが、やはり座って楽をしたい。それにしても「下車駅表示眼鏡」これが実際にあったら10万円出しても惜しくない。おっと、他の人もこれを買ったら意味が無いか。やれやれ。
2009.11.10
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スキンヘッドのいい男といえば古くはユル・ブリンナー、現在ではブルース・ウィリスというところだろうが、道士もついにスキンヘッドの仲間入りを果たした。サラリーマン特に銀行員という「お堅い」職場で、周りを見回しても「坊主頭」はいても「スキンヘッド」はいない。正確に言えば、常駐のソフトウェア会社の人に一人スキンヘッドがいるにはいる。というわけで、スキンヘッドにするには確かに勇気がいった。話が後先になったが道士がスキンヘッドにした理由だが、一言で言えば「気分転換」これに尽きる。ぼさぼさの長髪を続けてきた道士だが、生まれ変わりたい気分が強くなって、色々と考えた結果髪形を変えることにした次第。道士と自称する私だが、とうとう見かけも道士(出家者)になってしまった。このスキンヘッドだが、家内には不評であるがそれ以外の人たちには概ね好評である。先日教会の礼拝後、仲間から「どうしたんですか、その頭」「いやぁ、出家しましてねえ」「時々そういう方もいらっしゃるんですよねえ」おいおい道士はクリスチャンだぞ仏教とは宗旨が違う!!「いやだなあ、冗談ですよ。言葉通りに受け取らないでくださいよ」「道士さん、頭の形が良いわね。袈裟を着たら徳の高いお坊さんみたい」とこれは会員の大御所のお婆様から。その他にも好意的反応が多かった。スキンヘッドというもの、ちょっと考えれば分かることだが「お手入れ」に手間がかかる。髪は髭と同様毎日伸びる。きれいなスキンヘッドを維持するためには毎日剃らなければならない。道士の場合、髭そり用の二枚刃の剃刀で毎日ぞりぞりと髪を剃っている。このぞりぞり感も慣れてくればなかなか快感でもある。もう一つ問題は、スキンヘッドだと当たり前だが頭がすうすうする。特にこれから冬に向かい寒くなると頭が冷えて風邪をひいてしまうかもしれない。その対策で帽子を買った。昔の映画に出てくるソフト帽である。今年の冬はトレンチコートにソフト帽という映画さながらのスタイルのおしゃれがが楽しめそうである。
2009.11.09
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道士は敬虔なクリスチャンであるかどうかは分からないのだが、クリスチャンである。クリスチャンは日本では極めてマイナーな存在で、人口の1%にも満たないそうである。某学会のように人口の約10%が会員と言っているようなメジャーな存在ではない。だからと言うわけではないが、教会のメンバーは仲良くまとまっている。道士の属する教会は日本基督教団という日本では最大のプロテスタントの教派のF教会である。在籍会員数約260名。うち毎週日曜日の礼拝(カトリックではミサと言う)への出席者は平均その半分ほどである。信者にとって礼拝出席することは喜びである(決して義務とは捉えていない)のだが、道士はこの2年半ほど礼拝に出席することが出来なくなってしまっていた。2年半前のある日曜日、「今日はつかれているから礼拝を休もう」と礼拝を休んだのがきっかけで、何か心の中でポキッと壊れたものがあって、「来週の礼拝には出よう」と思いつつ当日になると足が動かなくなる。この2年半は鬱病が悪くなったり、鬱病が軽くなり会社に仕事に行くようになって疲れ果ててしまうというようなことがあったりもしたことが原因と言えば原因だと思う。昨日はどうしたことかすっと体が動き、久しぶりに礼拝に加わることが出来た。神の招きに応えることが出来た。教会の仲間たちも道士の鬱病のことを知っており、大変心配してくれていた。久しぶりの道士の姿を見て皆喜んでくれた。道士は聖歌隊のメンバーでもある。ちょうどクリスマスに向けての練習が始まったところでもあった。教会に復帰するにはとても良いタイミングでもあった。来週からは自然体で神の招きに応えることが出来そうである。
2009.11.08
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道士が会社の喫煙所で一服していると、隣の席で先輩・後輩らしき二人連れの会話が耳にはいってきた。曰く。先「今度こそ煙草の値上げは避けられそうにないな」後「そうですね」先「値上げしても煙草を止める気はないけれど、せめてワンコイン(500円)にして欲しい よ。600円だと千円札を入れてジャラジャラと出てくる400円のおつりを取るのが面 倒だよ」後「体に悪いから値上げするというのならば、タールの量で値段に差をつける考え方もありま すね」先「一理あるなぁ。そうすると俺の吸っている煙草(彼の手元を見てみるとオリジナルのセブ ンスター:これは重い!!)は高くなるなぁ」後「僕の煙草は(マルボロライトのメンソール)安くなりますね(笑)」先「ビールの値上げで発泡酒が出て、発泡酒も値上げされたら第三のビールが出たろう?煙草 も大幅値上げになったらビールみたいに第二のビール、第三のビールが出てくるんじゃな いかなぁ?」後「あるある。そうですね」なかなか面白い会話だった。第二・第三の煙草がどういうものになるのか想像つかないが(煙草の葉の割合を少なくして別の何かを混ぜる?)これは実際ありそうだ。道士が煙草を吸い始めた高校時代(もう35年も前になるが)当時はセブンスターは100円だった。貧乏高校生だった道士はセブンスターが買えず、echoなどの安煙草で我慢していたが・・・。その後10円20円と値段がじわじわと上がっていったが、「まあしょうがないか」値上げを受け入れ現在に至るが、さすがに一気に倍の値段になったとすると、道士はそこまで懐を痛めてまで煙草を吸う気にはなれない。今ですら月九千数百円のお金を煙にしていて内心「もったいないなぁ」と思っているのが二万円近くに跳ね上がるとこれは道士の負担できる限度を超えている。そうなったら今度こそ禁煙が出来て良いかもしれない。それにしてもセブンスターやハイライトといった激重の煙草を皆が吸っていた30年前より軽い煙草全盛の現在の方が肺癌の患者が増えているというのは何故だろうか?分からない。不思議である。
2009.11.06
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サラリーマンの楽しみの一つは「昼食」。道士などは朝から食堂の週刊メニューを見ながら「今日の昼飯は何にしようか」と考えている。それにしても社員食堂があるというのは有難い。外の食堂よりも安いし味もうるさいことを言わなければ十分美味しい。以前の上司は、昼飯まで会社の世話にはなりたくないとよく一人で外食していたが、こういう人は例外だ。昨日の昼食メニューは久しぶりに何を食べようかかなり迷ってしまった。昨日のメニューは次の通り。鶏肉の柚香焼(320円)五目野菜炒め(380円)特製味噌カツ(450円)博多ラーメン(290円)どうです?食欲をそそるメニューでしょう?で、道士が選んだのは特製味噌カツ。大変美味しゅうございました。少々カロリーが高い(828kcl)のが気にかかったのだが・・・今日の昼食は既に決定「ビーフストロガノフ」お昼がたのしみだ。
2009.11.05
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「鬱病は遺伝しないのですか?」今から丁度20年前道士が鬱病を発病し、精神・神経科の診察を受け始めた頃の質問だ。というのは道士の父も50代半ばで仕事の心労から重い鬱状態に陥り、とうとう夜中に屋根裏部屋で首を吊ろうとしたところを異変に気付いた母が寸でのところで押しとどめ、何とか一命を取り留めたという事実があったからである。医師は「鬱病は遺伝しませんよ」と一笑に伏したが、本当に遺伝しないと言えるのだろうか?父と道士の鬱病の原因はいずれも仕事の心労でたまたま一緒だったが、あろうことか現在高三の次女も学校の校風に馴染めず、その心労から一年程前から鬱状態になり登校出来なくなってしまい鬱病の治療を受けるに至ってしまった。祖父・父・娘と3代続けて鬱病になるとは・・・。鬱病の遺伝説を唱えたくなってしまう。従来から鬱病になりやすい「気質」として生真面目、完璧主義などが上げられてきたが、鬱病が脳神経の機能不全であることを考えると、ストレスに弱い(鬱病になりやすい)「器質」の脳というのは当然遺伝するのではなかろうか?家内は気の毒に家の中に鬱病患者を二人抱え込む心労から軽い鬱状態になり、幸い短期間だが鬱病の治療を受けるはめになった(今は元に戻っている)。全く次から次へと大変だった。道士も今では軽い仕事ならこなせるようになり、会社に出たり、休んだり(一日二日程度)を繰り返しながら何とか働いている。3年前には病欠日数が規定日数(366日:02年度からの通算)を超え約10か月間の「休職」を余儀なくされた。その頃から比べれば相当回復したと言えるのだが、まだ本調子には程遠いと言うのが実際のところである。家内の心配を軽減するため出来るだけ会社を休まないで元気に仕事をしているところを見せなければいけないなと思う。
2009.11.04
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昨日の朝、始業時間になっても課長の姿が見えないので、隣の同僚に「課長、休みかい?」と尋ねたところ「何か用事があって遅れるそうですよ」とのこと。どうしたのかなと思っていたら間も無く息を切らして課長が登場。「いや~、傘を忘れないようにと傘、傘と思い続けていたら電車を降りる時、鞄を置き忘れてしまって駅で回収の手続きをしていて遅れてしまった」とのこと。これはよく有り勝ちなことだ。まさに「他山の石」道士も注意せねば。で、課長は所沢在住なのだが、鞄が確保されたのは飯能駅。見つかったのは幸いだったが、引き取りに行くのが大変と嘆きの課長だった。
2009.11.03
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本来ならば約2ヶ月間の病欠後、今日から職場復帰のはずであった。しかし、夜中の2時頃目が覚め重い気分でこれは不味いと思い寝直したのだが、朝起きると欝状態でとても出社出来る状態ではない。今日は欠勤する旨会社に連絡し、気分転換に散歩に出かける。途中のコンビニでグレープフルーツジュースを買って飲む。帰宅しぼんやりとする。気分は重い。寝逃げに走るが、うとうとしながら見た夢も悪夢に近い。リタリンの在庫を1錠飲む。あまり良くないこととは分かっているのだが、ウィスキーをあおる。少しは気分が良くなる。ハイドンの交響曲をかける。落ち込んでいる時、ハイドンのような健全な精神の塊とでも言うべき作品を聴くと心が落ち着く。明日は顔見世だけでも良いから、何とか出社したいと思っている。
2005.08.01
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明日から職場復帰だ。約2ヶ月の自宅静養をした。落ち込むことは無いが、「やるぞ」という意欲は湧いていない。ただ、主治医に書いて貰った診断書の期限が今日で切れるので、明日から出社することになる。この数年出ては休みの繰り返しで、今回もまた同じことになるかもしれない。悔しいことだが、より難易度の低い仕事に異動させてもらうべきかもしれない。今の職場に復帰してもコンスタントな仕事が無い。たまに廻ってくる仕事だけである。仕事の無い時間は自席でぼんやりとしているだけである。これが辛い。簡単な仕事、単純な仕事でも何かをやっていることが出来れば気持ちが紛れるというか、辛さから解放されるのだが、中々そういう仕事は無い。専ら女性やパートの人の仕事である。それと同じ仕事をするということも難しい。定時に出社し定時に帰る。これだけでも大変なストレスである。気分が滅入ってきたが、気合いを入れて明日から頑張ろうと思う。
2005.07.31
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今日は朝からビデオ三昧。撮りためていた映画を3本続けて観た。「着信あり」中々ぞわぁっとして楽しめた。「プリンス・オブ・エジプト」どうもディズニーアニメの絵には馴染めない。「黒水仙」韓国映画。南北分断が根底にある作品。流石に疲れた。夕方からぼや~っとしている。タイガースも今夜は大負け。ナイターを観る気力も無し。今晩は早く寝よう。
2005.07.30
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家内の車の運転練習も兼ねて、2km程の距離のショッピングモールにリビングの照明を買いに行った。引っ越してこの方12年間リビングを照らしてくれたライトだが、最近調子が悪くなり、家内が買い替えを決めた。照明器具コーナーに行くとあるはあるは、各メーカーの製品がずらりと並んでおり選ぶのに一苦労。あれがいい、これがいいと暫く二人で悩んだ末やっと決めることが出来た。家内も新しい車にかなり慣れてきたようだ。「走り出してしまえば前の車とそう違わないみたい」と言っているが、助手席に乗っていると、まだアクセルの踏み加減に難がある。前の車とのパワーの差を掴みきっていないのかもしれないが、まあ合格点と言ったところか。それにしても家内の運転は独り言が多い。「ここで一時停止」「右見て、左見て」などぶつぶつ言いながら運転している。それだけ慎重なのだろうが、同乗者は知らないと戸惑うだろう。
2005.07.29
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テレビで甲子園大会神奈川県予選の決勝戦を観戦した。大逆転で桐光学園が優勝した。先ずはおめでとう。それにしても神奈川県は195チームが参加する全国一の激戦区だそうだ(大阪なども同じような状況だろう)。一方では30チーム位しか参加しない県もあるようだ。政治の世界では「一票の格差」が問われて久しいが、高校野球の「一校の格差」も真剣に考えるべきではないか?少なくとも神奈川県と大阪府は2エリアに分けてしかるべきと道士は考える。のだが、その30数チームの代表が全国優勝してしまうことがあるのが甲子園大会不思議なものである。ともあれ「一校の格差」は是正してもらいたい。それ以上に「一票の格差」の是正を何とかしてもらいたいものである。
2005.07.28
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今朝、自転車で警察署まで出向き免許の更新をした。今月初めに接触事故を起こしてしまったので、ゴールド免許はダメだろうと覚悟していたのだが、意外にもゴールド免許で更新ができた。交通違反と事故の扱いが違うのだろうか?この前の事故は「物損事故」で処理されているので、免許証への影響が無かったのかもしれない。何れにしてもラッキーであった。写真を新しく撮ったのだが、5年間の歳月は覆い隠せず「老けたなぁ」とがっかり。粋な爺になるべく努力しようと思っている。それから今日は家内の誕生日。朝、気がつかずに「おめでとう」の言葉をかけなかった(しまった)ばたばたとパートに出かけてしまったので、帰って来るまでお祝いが言えない。携帯にメールを入れておこうと思う。プレゼントは、美味しい和菓子を用意しておこう。
2005.07.27
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道士はサッカーはまあまあ興味がある。野球はもっと興味がある(トラキチである)。一番好きなのはアメフトである。まあそれはさておき。昨日の東京ヴェルディ1969とレアルマドリードとの試合には興奮した。親善試合・楽勝のつもりだったろうレアルマドリードを3×0で粉砕!!喝采である。キラ星スター軍団に対しヴェルディの選手が少しも名前負けしていなかったのが頼もしかった。久しぶりに溜飲を下げた。加えてFIFAが発表した最新ランキングで日本は13位と何とイタリアの14位を抜いた。これにも目を疑った。来年のワールドカップで世界の8強というのも満更夢ではなくなってきたようだ。嬉しいニュースが2つ。今朝は気分が良い^^。
2005.07.26
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