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八木哲郎

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2005/06/14
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カテゴリ: カテゴリ未分類
12日に札幌のYOSAKOIソーランまつりを見に行きました。

この祭りには全国からの参加団体が来るらしく、和歌山や福岡や島根、東京、大阪など日本各地から来た団体のおどりのパレードが引きも切らずに続き、観覧席や沿道は黒山の人です。
どこも元気いっぱい、鉦太鼓笛に合わせて、揃いの衣装で一糸乱れず、宙に舞う足、空に伸びる手、縦に横に体の位置を変えると思いきゃ、くるりと回り、顔を傾け、激しく乱舞し、ドタドタ走り、次の瞬間に見事に型を決める美しさ、凛々しく、いなせで、一心不乱、ひたむきに舞う姿に堪能しました。
聞くところによると5日間の参加者は4万人におよび、見物客はその100倍とかで、長谷川さんという北海道大学の学生が、高知にヨサコイおどりを見に行って感動し、学生仲間で高知のヨサコイ節と北海道のソーラン節をくっつけて始めたイベントが10年たらずでこんなにも膨れ上がった。
長谷川さんの話によると、最初は道路の使用許可がなかなか下りなかった由。それで窮余の一策で、誰かが、デモなら警察は憲法の表現の自由を犯すことはできないから許可するだろうと言い出してうまくいった。普通ならデモはなかなか許可されないだろうと考えるところを、デモなら許可せざるを得ないだろうと逆転の発想をしたのですね。
このまつりは札幌で成功したばかりでなく、以来、東京はじめ全国各地でまねするところが増え、全国的展開になった。
長谷川さんは偉大なことをやった!です。

その日の夕方、札幌支部の人たちと図解による合意学の演習をしました。終わっていっぱい飲んでたのしく語らいました。


翌日は、麻布高校時代の友人の皆藤君がホテルに訪ねてきました。コーヒーをのみながら50年ぶりによもやま話が弾みました。
この人は早稲田を出て北海道テレビに勤め、かれこれ40数年もこの札幌に住み、すっかり根を生やしたと言っていました。『「森と湖のまつり」をめぐって』という近著を頂戴しました。
この人は身長、体重とも並みの人より一回り大きく、学生運動でも猛者ぶりを発揮し、麻布を出てから会ったときは、デモの先頭にいました。「イールズ帰れ」とか、「マックやめろ」とかの学生デモで私のいた外語大はせいぜい2~300名くらいの小集団ですが、早稲田ときたら2千名とか3千名の大部隊で、角帽に学生服の真っ黒い一団が「ミヤコノセーイホオク、ワセダーのモリニイ」と歌いながらやってくるのですから圧巻でしたね。百万の援軍を得たような感じ。そしてなんとその最先端に大旗を振りかざしていたのがこの皆藤君でした。
思えば、高校時代は懐かしい。次々にトモダチの話が出ました。
なにしろあのころは高校生のくせに毎日あきもせず、言論戦をやっていた。いわゆる左のグループのリーダーをしていたのが共産党の幹部を父にもっていた中西君で、なんと全国唯一の高校の共産党細胞をつくっていた。それに対抗する形でクリスチャンのグループだの、仏教グループだの、白樺派だの、実存主義だの、社民だの、厨川白村だの、ドストエフスキーだのが入り混じって、生齧りに議論に泡を飛ばしていた。霞町、赤十字下から、渋谷、新橋方面に三々五々熱中して議論しながら歩いて帰った。議論が決着しないままにすぐ目的地についてしまい、物足りない感じで分かれた。翌日はあいつを負かしてやろうと図書館に本を読みに行った。

この皆藤君とはまたちがう思い出があります。当時麻布には不良グループがのさばっていた。私はそのころ、親に死なれて荒れていましたから、やったろかというので、拳骨で瓦などを割る練習をしたり、刀のつばを懐中に潜ませて、対抗心を燃やしていました。
ラグビーの試合のときに不良の親玉を後ろから蹴っ飛ばしてやったら、さっそく呼び出しがきて屋上で決闘をした。私が柔道で首をしめて、そのまま壁に頭をぶっつけてやろうとした段になって、レフェリー役の上級生が引き分けだということにした。
この話が広がって、クラスでやったろうという空気が出てきて、国語の教師だったテラカンこと寺田先生がお前と皆藤が組んでやれば勝つなどとたきつけられた。相手が決闘日を言いにきたので、私はさかんに瓦割りの練習をし、皆藤君は棒やチェーンなどを用意していた。
この決闘日には、別な組の不良のナニガシも加わって、ドスを振り回しだしました。屋上に大勢の見物人が集まりました。私と皆藤君はドスはヤバイから素手にし、外部の者は帰れといい、なかなか話が合わず、とうとう決闘をやめることにした。向こうも不思議にそれに応じた。見物人たちは大立ち回りを見られなくてガッカリしたようです。
とまあ、私と皆藤君とはこんな思う出がありました。
皆藤君を分かれた後、運河の詩情がもう一度見たくて、小樽に行きました。相変わらず、この町には詩が残っています。でも古い倉庫群を改造した喫茶店がすくなくなって運河の風情が変わっていたのが残念でした。北の硝子などを回り、安いお土産を孫に買って夜の飛行機で帰りました。あの大型ジェット機がYOSAKOI帰りの人たちで満杯でした。





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Last updated  2005/06/14 02:18:52 PM


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