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八木哲郎

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2006/06/19
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カテゴリ: カテゴリ未分類
李家きょうだいと私の兄弟はともに日本人の幼稚園から小学校に通った。我が家が李家と別れたのは昭和17年の秋で、我が家が旧イギリス租界に引っ越したからである。やがて戦争がたけなわになり、李きょうだいたちと会うのはたまにしかなかった。昭和19年、我が家は北京に引っ越す。以来、李家との交流は途絶えた。

昭和の30年代の中ごろ、私が名古屋に転勤となり、休日に歯医者の待合室で備え付けの雑誌をパラパラとめくると、KBCの日本向け国際放送のアナ李愚伯という記事を見つけた。それでさっそくKBCに手紙を書いて互いの消息が知れた。
伯ちゃんこと李愚伯氏はそれからまもなくアメリカ行きの途次日本に立ち寄り、我が家に泊っていった。
李家も我が家のことを案じて、三井の本社に問い合わせたが、不明という返事であったという。18歳の彼は、朝鮮戦争が起こると、国連軍の英語通訳になり、やがて北鮮軍の捕虜になり、脱走して南にもどり、姉たちはアメリカに避難し、大変な時代だった話を聞いた。
その後、私は韓国に行き、KBCで我が家と李家のつながりを放送させてもらった。伯ちゃんは事業が成功して2つの会社を経営する身となり、立派な邸宅に住んでいた。
姉たちはアメリカで結婚しており、おばさんは老齢化が進んで寝たきりであったが、半分認知状態の中ではっきりかつての働き者の声を聞いた。
今回の旅行をふくめて李氏は常に熱い接待をしてくれる。どうしてこんなによくしてくれるのか、家内はいぶかりながら推測した。
「あんなによくしてくれるのは並大抵ではないわよ。幼馴染みという程度なら普通はあんなことはしないわよ。きっとあれはあなたのお母さんが向こうによくしてあげたからではない?」。





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Last updated  2006/06/19 07:21:01 AM


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