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八木哲郎

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2006/06/21
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私が伯ちゃんこと李愚伯きょうだいと遊びほうけていたのは、昭和10年ごろから17年の秋までである。この頃は日韓併合(1910年)から30年以上が経っていた。

李家は最後まで改名を嫌がったが、とうとう我が家に相談に来て、父が改名を考えた。
同じ年に小学校で併行して教えていた朝鮮語の教育を禁止した。朝鮮人は日本人語の学習を強制されるようになった。
その他、宗教も神社参拝、宮城遥拝などが押し付けられた。カトリックおよびプロテスタントの総局はただちにキリスト教徒が神社参拝、天皇崇敬を強制されても、それは習俗に従ったもので、信仰とは別のものであるとして信徒たちの逆境を救った。
天津にはその頃、すでに5万人ほどの日本人がいたが、そのうち1万5千人ほどは朝鮮出身の人であった。台湾の人も日本籍であった。1938年に法令ができると、朝鮮人の子は別校舎で教育していたのを、日本人の小学校に移し、サクラ組という新設の組をつくって入れられた。
朝鮮で義務教育令ができると、両班といわれる上流階級は自分の子を貧民の子と一緒にされることを嫌がった。それで彼らの一部は日本人の子と一緒にしてほしいと希望してきた。李家は両班出身であったから、李家のきょうだいは日本人の学校に入ってきたのである。
今日の若い人はピンとこないかも知れないが、朝鮮半島の人は北朝鮮も南朝鮮も、満州のほうにはみだして移住していた約80万人の朝鮮系の人々もおしなべて建前は日本人だったのである。内鮮一体ということがいわれて、朝鮮人、台湾人の準日本人化がどんどん進められた。





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Last updated  2006/06/21 12:13:22 PM


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