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2006/07/02
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カテゴリ: カテゴリ未分類
李光洙という朝鮮(戦前であるから韓国といわず朝鮮とよぶ)の作家の本を読んだことはないが、才能のある人だったらしい。1892年生まれ、1905年に日本に来て明治学院に留学し、その後、早稲田大学に入っている。彼はロシア革命や第一次世界大戦後の民族自決の流れを見て、朝鮮独立を志し、上海に渡って独立運動を始めるが、その後、彼の名は独立運動から消える。3・1独立闘争のリーダーとしても現れない。

李光洙は以来、日本は朝鮮の欠点を映し出す鏡として、併合後の朝鮮総督府の機関紙「毎日新報」に東京通信を書き続け、朝鮮人の懶惰で無気力な姿を罵倒し続ける。
朝鮮人は「・・眼精は緩み、口はぽかんと開かれ、四肢は垂れ下がり、胸部はへこみ、からだは前かがみ、歩行には気力がなく顔色は病黄である」「このような眼で眺めたとき、日本人は緊張して暮らしており、「明哲な頭脳」で「東馳西走している・・」。
李にとっては福澤の脱亜論は、当時のことごとくダメな朝鮮や中国のことを言っており、日本だけが例外であった。そのような国に朝鮮もならねばだめだと絶望的に感じていた。1940年に率先して創氏改名に応じ、「私は天皇の臣民である。私の子孫も天皇の臣民として生きていくであろう」と書き、太平洋戦争に朝鮮兵士が出征していくための壮行の歌に「わが国日本を守りたまえというかたじけない御心を体して行く志願兵」とまで書いている。李光洙にとって自分の国は「わが国日本」なのであった。
池明観氏は結論として、彼は日本の帝国主義の悪逆な面を理解しなかったと書いているが、それは戦後の言葉であって、選択肢がなくなったときの李光洙の変身は運命的なものを感じさせる。私は親日的な韓国の友人たちの心の中をのぞくときに、いつもこの李光洙の存在を思い浮かべるのである。





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Last updated  2006/07/02 08:37:36 PM


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