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2006/06/29
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韓国の旅6

もうひとりの友となった金容善氏を紹介しよう。この人の日本語のイントネーションはまったく日本人と変わらない。まるで日本人である。あにはからんや、彼の母は愛媛の人である。父が韓国から松山の旧制高校に留学しているときに恋愛して結ばれた。父は京都大学を優秀な成績で卒業し、卒業して朝鮮総督府に勤めた。戦争が終わると、父は対日協力者として北朝鮮に拉致され、そのまま行方知れずだという。
金氏人は、「僕は3回国が変わったのを経験しました」と言った。ひとつは朝鮮が日本に併合されたとき、もう一つは戦後、韓国が独立したが、すぐ朝鮮戦争が起こり、2か月半ほど北朝鮮の支配下に入ったとき、3回目がまた朴政権に変わったとき、である。
この人とは数時間一緒に話してずいぶん理解が深まった。エンジニアとして大成し、韓国の大企業のエリートとして活躍する。日本とは何度も往復して技術移転を受ける。日本がいちばん輝いていたのは70年代だったという。あのころの日本は活力がみなぎり何を見てもかなわないと思い、韓国は絶対にこの国を抜けないと思ったという。それが80年代後半になってから変わってきた。90年代に入ったら、日本人は確実にだめになってきて、もう尊敬しなくなったという。
彼は今はリタイアしてエッセイを書いたり本を読んだりして知的な生活を楽しんでいる。

この日本語教育を受けた世代の韓国人エリートの特徴はどういうものだろうか。ひところ世界に連載していたT・K生つまり池明観氏の「李光洙と日本」がいちばんよくそれを表している。
李光洙は1892年生まれ。日本の明治学院に留学してきたのは1905年の日露戦争の頃である。日清戦争で韓国は日本の保護領となり、1910年に日本に併合される。いわばこの頃から韓国エリートのアンビバレントな人生が始まるのだが、明日また書く。





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Last updated  2006/06/30 12:17:17 AM


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