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2007/03/13
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赤ちゃんポスト その3

今日は捨て子についての随想。江戸時代まで間引きというのがあり、間引きが禁止されてからは、日本でもお寺の前とか情け深い人が通りそうな場所にそっと捨て子するということがあった。お寺で預かった捨て子は貰い手がなければ、小僧とか寺男として雇った。欧米では教会や修道院が引受け手で、貰い手がない場合は、教会施設の下働きとか、成人して優れた者は宣教師になった。

私は「宣教師東漸」で書いたが、中国では戦前は捨て子が多く、フランスからやってきたカトリック乳児院が捨て子救済の事業を行っていた。修道女がたくさんやってきてそういう仕事をしていた。
私が育った天津の旧フランス租界に立派なカトリック教会があるが、違う場所にかつてノートルダム・デ・ビクトリアルという盛大な教会があり、そこの付属施設として乳児院があった。そこのシュバリエ神父は立派な人で、赤ちゃん救済に力をつくし、伝道のかたわら見つけた捨て子はかならず教会に連れて帰った。しかし、これでは間に合わないので、人を使って多数集めさせた。シュバリエが1868年から翌年にかけて救済した捨て子は延5万6千名に達したが、このうち命を永らえたのはわずか5百名弱に過ぎなかった。大半の幼児は乳を与えられなかった発育不良児であったり、病児であったり、捨て置かれた時間が経ちすぎて衰弱がはなはだしく、大半は乳児院に連れ帰ってすぐに死亡した。シュバリエは死前洗礼をほどこし、死体は教会の敷地内の墓地に葬った。
ところが、これが誤解を生んで有名な天津事件になった。
そのころ、幼児誘拐事件が頻々と起こり、市民は教会が幼児を大量に集めて、医師たちが目玉をくりぬき、それを薬用にして輸出しているという噂が広まった。悪質な排外デマであるが、当時の人は占とか噂を信じやすく、親たちは連日大挙して教会に抗議におしかけた。調査団が組織され、シュバリエと交渉して、内部に入り、秘密の医務室がないか、誘拐された子が墓地に埋められているかどうかを調べる発掘作業などを始めた。ところが、これを聞いたフランス領事フォンタリエが激怒して、現場に急行し、調査団を追い出し、扇動容疑者とみられるリーダーを射殺したことから、群衆が暴発してフォンタリエと従者を殴殺し、フランス教会を焼き、シュバリエ以下教会関係者十数名を殺害して火中に投じ、中国人クリスチャン数十名まで巻き添えにするという大事件になった。
もはや中仏戦争になるところまでいきかけたが、中国は多額の賠償金を払って一件落着した。これが戦争までにいたらなかったのは、1ヶ月後に起こった普仏戦争のためである。

私はこの教会のあった場所に、深夜、鬼気迫る形で魔女のような修道女が赤ちゃんの死体を埋めている大きな絵が描かれているのを見たが、今もあるかどうかはわからない。





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Last updated  2007/03/13 11:16:09 AM


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